sadanori nakamure

「DETOUR AHEAD  SOLO GUITAR LIVE AT AIREGIN」(地底レコード B96F)
中牟礼貞則

 ギターソロ。正直、私にとってもっとも遠い音楽のようにも思うが、聴いてみるとめちゃくちゃよくて涙が出てくるような演奏だった。危ない危ない(泣かせの演奏というより、まったく真逆のストイックな演奏なのだが……)。ソロギターなので、バップ的なフレーズを真摯につむいでいくと、、ときには流れが引っかかるような箇所があり、そこを「……う……」というようなため息とともに演奏のリズムに乗せてしまう感じが「ジャズ」だなあと思った。流麗に弾きまくるような演奏はたしかにすごいが、こうした思索的な、一音一音を無駄にしない、というか、コードチェンジの流れのなかの音にせず、今、ここでこの音を出す、という確かな意志が感じられる。そんなたいそうな……と思うかもしれないが、「良いビバップ」というのはそれの積み重ねだと思います。ノスタルジアとか関係ない、マジで良質のバップで、こういう音楽をきっちり演奏するひとがいて、それを録音して商品にしてくれるひとがいるというのは、なんとも豊穣なことではないかと思う。こういう真摯な作品を「渋い」の一言で片づけたりするのはあかんやろ。ソロギターなのでリズムは自由である。だから、本作は基本ルバートだ。ビートがあっても精神はルバートである。中牟礼貞則の自由なノリでメロディ、リズム、ハーモニーが語られていく。ステディなビートはないが、このギタリストの「気持ち」に同化できれば、その瞬間からこのアルバムの世界は「自分」のものになる。ギターというハーモニーやリズムも出せる楽器で、あえて単音をたっぷり使ってのソロ演奏……というのはハードル高すぎるが、それを楽々クリアしておられる。「ステラ・バイ・スターライト」からはじまり、おなじみの大スタンダードやジャズオリジナル(ジム・ホールやスティーヴ・スワロー、ビル・エヴァンスの曲も!)が並ぶが、これは本当によく目にする手垢のついた表現だが「何千回も演奏しただろう曲をはじめて弾くかのような新鮮な気持ちで弾く」ような演奏であり、同じ曲から毎度毎度まったく新しい「なにか」を引き出してくる(リー・コニッツの演奏姿勢を連想したりした。同じようなストイックな姿勢を感じるのです)。しかし、このギターソロによる訥々とした演奏を聴いていても、やはり聴き手として感じるのは「楽しさ」であって、だからこそ何度も何度も繰り返し聴けるのである。ラストは中牟礼のオリジナルで、いい曲だと思うがその後に続く演奏がこの曲から引き出していく「もの」に感動する。こういう演奏を、ちゃんと向き合って、しかも楽しみながら聴く、というのは人生におけるきわめて重要な時間だと思う。音楽性はまるでちがうが某ブルースマンの晩年のソロを思ったりもした。傑作。