「LEVEE CAMP MOAN BLUES」(BLUES INTERACTIONS PCD−5723)
TEXAS ALEXANDER
私は、楽器はテナーサックスなのでサックスのことはなんとなくわかるのだが、ほかの楽器(やボーカル)がメインになっている演奏については、皆がすごいすごい、歴史的傑作、大傑作……と言ったとしても、いくら聞いても「入り込めない」「わからない」ものがなかにはあって、恥を忍んでそれを告白すると、たとえばブルースではこのテキサス・アレクサンダーやロバート・ジョンソンなどである。正直に言うと、めちゃくちゃ好きなのだが、どこか「近寄りがたい」みたいなところがあって、遠くから眺めている感じである。やはり、ブルースはギターミュージックであって、ギターが弾けるかギターに興味があるひとでないとわからんのかなあ……と思ったりするが、サン・ハウスとかライトニンとかはすぐに入り込めたからなあ……(しかも、テキサス・アレクサンダーはボーカルのみのひと)。やはりこのひとのかもしだすものすごくシリアスな雰囲気に立ちはだかられて、そのなかに飛び込んでいけないからなのだろう。しかし、こういうシビア(?)なブルースは大好きなので、ずっと聴き続けていきたいと思っている。歌詞も重いし、歌い方も重い(声が太いとか低いとかではなく、深くてずしんと来るのだ)。いくつかの曲でモーン(呻き声?)がフィーチュアされる。決してポップではないことはない。小出さんのライナーを読んでも、とにかくドラマチックな私生活を送ったひとのようで、いろいろと考えさせられる。ボーカルのみのひとなので、共演者が必要だったわけだが、基本的にはデュオで、ロニー・ジョンソン(すばらしい!)のギターやエディ・ヘイウッドのピアノ、ミシシッピ・シークスを従えたような演奏もある。ここには入っていないが、ライトニン・ホプキンス、ロウエル・フルソンを従えていた時期もあるという。いわゆる12小節のブルース進行からはかなり自由で、一応ブルース形式になっていても、次のコーラスでは歌いたいところを強調して12小節から逸脱したり、とミシシッピブルースのように(8小節ブルースとか普通にありますよね?)ブルース初期のプリミティヴな雰囲気が感じられてすばらしいと思う。伴走者もたいへんだったと思うが、「だれがブルースは12小節て決めたんや!」的なアヴァンギャルドではなく、ある音楽形式とか音楽ジャンルが形作られていく過程を見せられているようで感動的である。そういう感触ってジョン・リー・フッカーとかライトニンもずっと保ち続けていたものだと思います(ってブルース知らんのにえらそうに言ってはならんが)。ブルースは基本的にはかっこよく聞く音楽のように思っておりますが、本作はいつも居住まいを正して聴く感じである(コルトレーンのように)。そういう姿勢は間違っているかもしれないが、聴くとどうしてもそうせざるを得ない(でも、聴いていて楽しいことは楽しいのですよ)。歌詞を詳細に読むと、なかなか一筋縄ではいかないし、歴史や差別やとにかくいろいろなことがグワーッと覆いかぶさってくるような気持ちになるが(4曲目とか5曲目とか……)、ピアノとの共演では楽しいダンスミュージックとしての側面がつたわってくる。解説の小出斉さんも「一気聴きしたら、体の芯から疲れること請け合いのヘヴィなモーンフル・ブルースの数々である。心して聴かれよ」「通して聴くと、どっと体が重くなりそうなCDだが、それは音楽的精度が高くはないとか、曲想に似たものが多いということが原因ではなく、ただひたすら、アレクサンダーが歌に込めた念の強さゆえだ」などと書いている。このヘヴィなブルースを受け止めるのはなかなか体力がいるのだが、それは心地よい疲労感でもある。