「TEATRO」(EUROPEAN ECHOES 001)
AMADO/KESSLER/NILSSEN−LOVE
ケント・ケセラー、ポール・ニルセンラヴという豪腕のふたりに囲まれて、テナー〜バリトンサックスがフロントときたら、これは聴かざるをえないでしょう。というわけでわくわくしながら聴いてみたが、このロドリゴ・アマドという若いサックス奏者(といっても、もう四十歳をすぎているわけだから、ええ歳や。ヴァンダーマークらと同じぐらいか)はどうやらポルトガルのひとで、このグループはオポルトでのジャズフェスの際に組まれたものらしい。アルバムは父親であるフェルナンド・アマドに捧げられているが、聴いたことのない名前だ。ディスコグラフィーなどをみても、かなりのアルバムに参加しており、リスボンのインプロヴァイズドシーンでは有名なひとのようだ。しかし、聴いてみると、どーもものたりん。ベースとドラムはさすがにめちゃ良いのだが、サックスだけが語彙不足で浮いている感じ。バリトンも硬質すぎて楽器に振り回されているようで広がりがなく、テナーもぐじゃぐじゃっという団子状に丸まった感じで、もさもさしていて、あまり興奮しなかった。でも、何度も言うようだが、ベースとドラムを聴くだけでも価値はあるし、サックスのひともけっしてヘタではないので、ほかのアルバムも聴いてみたい気にはなった。
「REFRACTION SOLO」(TROST RECORDS TR229)
RODRIGO AMADO LIVE AT CHURCH OF THE HOLY GHOST
上記評を書いてから幾星霜。今ではすっかりこのひとのサックスが好きになっている私です。本作は、ロドリゴ・アマドがコロナ禍のもとで録音したソロ。テナーに徹している。かなり長文のライナーを読むと、コールマン・ホーキンスの「ピカソ」や「ボディ・アンド・ソウル」から説き起こして、ロリンズについてもかなり詳しく解説してくれているが、1曲目のソロの途中で「セント・トーマス」が出て来たりする。このアルバムにおいてロドリゴ・アマドはギミック的を奏法をほとんど使わない。ギミックというと悪い意味にとられてしまうかもしれないが、そうではなくて、いわゆる特殊奏法を使わず普通のトーンで普通に吹いているということだ。ときどきぐちゃぐちゃっとクラスターみたいになったり、フラジオでぴーぴーいわせたり、マルチフォニックスが顔をのぞかせたりする場面もあるが、基本的にはだれもが吹けるような通常のトーンで普通のテクニックを使って吹いている。それがストイックな雰囲気をかもしだしている。私はフリークトーン、オーバートーン、マルチフォニックス、ハーモニクス、ダーティートーン、グロウル、ノイズ、その他もろもろの限りを尽くしたようなサックス演奏が大好きだが、一方ではこういうものもいいと思う。本来のサックスの通常奏法のなかでソロにおいてなにができるか、という試みなのだ。このロドリゴ・アマドのソロを聞くと、とてもオールドなタイプの演奏に聞こえるが、それはとても聴きごたえがあるし、説得力がある。ときどき、サックスソロなのに、まるでリズムセクションがいるかのごとくぺらぺらと饒舌に吹きまくるような演奏をする奏者もいるが、ここでのロドリゴ・アマドの演奏はサックスソロでないと意味がない、という表現ばかりである。ライナーにはホーキンス、ロリンズ、ジーン・アモンズ、ズート・シムズ、レスター・ヤング、アルバート・アイラー、ジョー・マクフィー、オーネット・コールマン、ドン・チェリー、サム・リヴァース、セロニアス・モンク……らの名前がつらなっているが、そんな風に個別に指定しなくても、この演奏にはオールドタイプのジャズのエッセンスとそれを発展させたフリージャズ的なものの要素がたっぷり感じられる。でたらめに吹いているのではなく、アイデアを最初に提示し、それを展開していく、という意味でこれは真摯な「ジャズ」であります。終わったあと観客から「おおーっ……」というどよめきとともに拍手がある。傑作。