「2 DAYS IN APRIL」(EREMITE MITE023/024)
FRED ANDERSON,HAMID DRAKE,”KID”JORDAN,WILLIAM PARKER
フレッド・アンダーソンとキッド・ジョーダンというシカゴのふたりのテナーが、ウィリアム・パーカー、ハミッド・ドレイクという猛者を従えてのライブ2枚組。曲は7曲だが、曲名のかわりに演奏時間が書いてあるだけという純粋な即興。これが、何となく見過ごしがちな地味なアルバムなのだが、内容は激烈で、老人ふたりが激突というか衝突というかひたすら大暴れする。この録音時、フレッド・アンダーソンは七十歳のはずだが、とてもそうは思えない長尺のソロを繰り広げる。たいへんな集中力である。一方のキッド・ジョーダンは、ファッツ・ドミノとかと演奏していた人らしいが、ずーっとフラジオでピーピーギャギャーいいたおす。とんでもない不良老人たちである。聴いていると、なんだか笑福亭松鶴と古今亭志ん生が高座で対決しているみたいな感じである。キッド・ジョーダンはライナーで「これはテナーバトルじゃなくて、テナーフレンドシップだ」とか抜かしているが、どう聴いてもフレンドシップというよりは、どつきあいである。いやはやとんでもないです。
「ON THE RUN」(DELMARK DG−534)
FRED ANDERSON
フレッド・アンダーソンが自分が経営しているシカゴのヴェルヴェット・ラウンジで録音した演奏(その名もずばり「ライヴ・アット・ザ・ヴェルヴェット・ラウンジ」というのがオッカにあるが、それとは別物)で、共演者はベースのタツ・アオキとおなじみドラマーのハミッド・ドレイク。一曲目はいきなりテナーの無伴奏ソロ。いわゆる「フレッド・アンダーソン・フレーズ」でまくり。こういうプレイは、フリージャズイコールフリーインプロヴァイズドミュージックだと思っている聴き手にはクリシェだらけのつまらないものにうつるかもしれないが、それはあまりに一面的というべきである。純粋に音楽としてすばらしいのだから、それ以上何を望もうか。全曲、ハミッドのドラムとタツ・アオキのベースがフィーチャーされ、どちらもすばらしいのだが、やはり最大の聴きどころは御大の豪快なテナー。この人のフレーズは、ほんとに「心から流れ落ちてくる」ようで自然である。ある評論家は、彼のテナーを、ジーン・アモンズの音色でオーネット・コールマンのようなソロをする、と評したが、この音のどこがジーン・アモンズ的なのか。もっともっとスムーズで澄んだ、きらきらと美しい音である。シカゴの老テナーというイメージ先行で聴くからそういう風に聞こえるのだ。「耳をかっぽじって、よく聴け」と言いたい。手近な棚にあるということもあるが、愛聴盤である。
「LIVE AT THE VELVET LOUNGE」(OKKA OD12023)
THE FRED ANDERSON TRIO
傑作中の傑作と呼んでさしつかえないのではないか。フレッド・アンダーソンという人は70歳過ぎて、老いてますます盛んというか、衰えないうえに、作品によってのばらつきのない人で、どのアルバムを聴いてもだいいたい満足のいく内容ではあるのだが、この盤はそのなかでも折り紙付きの傑作である。たった3人でつくりあげているとは信じられない濃密な演奏で、どの部分を切っても一期一会の凄みがあふれだす。主役のフレッド・アンダーソンは、例によってファンにはおなじみの「アンダーソン・フレーズ」を連発していて、つまりはクリシェに満ちた演奏であり、ある意味、フリーインプロビゼイションとは言い難い部分もあるのだが、そういう末節なことを振り払うだけの力を、それも強烈な力をこの演奏は内包している。いつものフレーズであっても、それを力強く、新鮮に吹ききることができれば、それは「フリー」になるのだ、ということを教えてくれるのである。ペーター・コバルトとハミッド・ドレイクもそれぞれの力を出し切った演奏をしており、まさにトライアングル。月並みな表現ではあるが、いつまでも聴きつづけていたい、終わってほしくない、と思わせる演奏である。あまりにナチュラルでノー・ギミックなので、聴き手の心にぐいぐいと入ってきて、いつのまにかとりこになってしまう。そんな魅力にあふれた、最高のフリー・ジャズ。そうです。これは「ジャズ」なのです。フレッド・アンダーソンの同趣向の諸作のなかでも、頭ひとつ抜きんでた傑作としてつよく推薦します。
「VINTAGE DUETS CHICAGO 1−11−80」(OKKA OD12001)
FRED ANDERSON − STEVE McCALL
フレッド・アンダーソンのアルバムのなかで何が一番好きかと言われたら、迷うことなく、いや、けっこう迷いながらかもしれないが、ロバート・バリーとの「デュエッツ2001」をあげるだろう。それぐらい、あのデュオはよかった。だから、1980年の、しかもスティーヴ・マッコールとのデュオときいて、これはもしかしたらめちゃくちゃ凄いのではないか、と胸ふくらませて聴いたが……結論。なかなかのもんでした。同じドラム〜テナーのデュオとはいえ、「デュエッツ2001」とはアルバムのおもむき自体が全然ちがうので比較することはできないが、今から20数年前の、フレッド・アンダーソン自体が過小評価のまっただなかにいたと思われる時期に、この録音がなされていたというだけでもありがたいことである。一枚で二曲という過剰さなので、めったに聴かないが、今回、この項を書くために3回ほど聴き直して、それはとても楽しい時間でした。しかし、この人のフレーズ……何十年もずーっと変わらないのね。これでも「フリー」なのか……とついつい思ってしまう今日このごろです。
「DARK DAY(LIVE AT THE MUSEUM OF CONTEMPORARY ART) + LIVE IN VERONA」(ATAVISTIC UMS/ALP218CD)
FRED ANDERSON QUARTET
フレッド・アンダーソンが(少なくともレコード上は)不遇をかこっていた時代に本拠地シカゴで録音されたアルバム「ダーク・デイ」(なんとも意味深なタイトル)をCD化するにあたって、シカゴでのライブの4日後にイタリアで録音されたライブを付け加えて2枚組とした決定版である。メンバーはまったく同じで、曲も2曲重なってはいるが、まるでちがった内容になっているので収録する意味はじゅうぶんにある。1枚目のシカゴでの録音のほうは、最後の曲である「ザ・プレイヤー(のちに「ボンベイ(チルドレン・オブ・カンボジア)」と改題されたらしい)」というのはハミッド・ドレイク(レコードではハンク・ドレイクという名前でクレジットされている)の曲で、10分以上にわたって、ベースがアルコでひたすら同じフレーズを引き続けるというもの。それに乗せてドレイクがドラムソロを繰り広げるわけでもなく、ふたりでずーっと同じフレーズを演奏する。ラッパがちょこっと出てくるが、アンダーソンは登場しない。当時としてはかなり挑戦的な曲ではないかと思う。トランペットのビリー・ブリムフィールドという人は、よく知らないが、すごく「まっとう」なプレイをする人で、フリーに吹いているときに、アルペジオのけっこうむずかしいフレーズが挟まったりして、ああ、よく練習しているんだな、ジャズが根っこにある人なんだな、と思う。とても、真摯な演奏ではあるが、直球一本やりであり、レスター・ボウイや近藤等則のような、笑い、怒り、悲しみ……といった多種多彩な感情を表現する場面をつくりだしてくれないと、トランペットの音色は飽きがきてしまうし、やはりそのおおらかさ、豪快さ、ナチュラルさ、存在感、さまざまな駆け引き……などでは主役のフレッドに一歩をゆずる。全体の出来としては、今回発掘されたイタリアでのライブテープのほうが頭ひとつ出ている感じ(トランペットとテナーを完全に左右のチャンネルに振り分けてしまったのは、ちょっと聞きづらいけど)。一曲目から全力疾走で吹きまくるフレッドは凄みさえあって、聞き惚れる。しかし、この人はいつ聴いても、どこでノッているのかわからんなあ。なんとなくエリック・ディクソンを連想してしまう(高音がへろへろっとなる音色もなんとなく似ているか)。今は「老年フリージャズ」を実践しているフレッドだが、この当時は中年の働きざかりだったはずで(なにしろハミッド・ドレイクがまだ20代。そのころから今まで共演が続いているのになれ合いになってないのは驚異)、その野太く、豪放な音は、現在よりもずっと鳴りまくっている感じ。でも、あのフレーズ、例のフレッド・アンダーソンフレーズは使いまくっていて、うーん、この人、30年もずっと同じフレーズ吹いてるんだなあと感心したりあきれたり。でも、若き日のドレイクとデュオで、たたきつけるようなリズミックなフレーズを吹きまくったり、最近はほとんど使わないクラスター的なハーモニクスを連発したりする「まだ枯れていない」アンダーソンを堪能できるアルバム。よく残ってましたね、このイタリアのテープ。オリジナルジャケットのデザインもかっこええよ。
「BIRDHOUSE」(OKKA DISK OD12007)
THE FRED ANDERSON QUARTET
フレッド・アンダーソンのスタジオものかあ。ドラムはハミッド・ドレイクかあ。あいかわらずだなあ。ベースは知らない人だ。それにピアノ……えっ? ピアノが入ってる! というわけで、このアルバムはピアノレス編成が普通のフレッド・アンダーソングループにしてはひじょーに珍しくピアノ(ジム・ベイカー)が入っているのだが、だからといってフレッドの音楽が何かしら変化したというわけではなく、テナーはいつものとおり鳴り響き、自由に歌いまくる。ピアノは、セシル・テイラーやらミーシャやらのようにリズミカルにがんがん弾くわけではなく、どちらかというとソリストとは別の旋律を浮遊するように奏でている感じ。だが、テナーソロが終わってピアノソロになると、なんというか、「ジャズ」の雰囲気になるのが不思議。ピアノ〜ベース〜ドラムのトリオだと、「ジャズ」というか「ふるーい4ビートのフリージャズ」みたいなサウンドになる。それはそれでいいのだが、やはりいつものフレッドのアルバムとはおもむきがちがう。一曲目はフレッドが「ベルベットラウンジ」のまえに経営していたジャズクラブの名前。3曲目の「ライク・ソニー」というのは、コルトレーンにソニー・ロリンズに捧げた有名なオリジナルがあるがあれとはちがってフレッドの曲で、ソニー・スティットに捧げたもの。4曲目の「ウェイティング・フォー・MC」というのは、スタジオでピアニストのマリリン・クリスペルが来るのを待っているあいだに、ハミッド・ドレイクとデュオで吹き込んだテープで、フェイド・インしてはじまる以外はいつものふたりの音。これだけ吹き込みがほかの3曲より5ヶ月ほど古い。聞き所多く、同時期のライブ盤に匹敵する、密度の濃い演奏が詰まっている。でもなあ……ピアノはやっぱり違和感あるなあ……。
「BACK TOGETHER AGAIN」(THRILL JOCKEY RECORDS THRILL139)
FRED ANDERSON/HAMID DRAKE
フレッド・アンダーソンはこれまで何種類かの、ドラムとのデュオアルバムをリリースしているが、これは最新盤。ハミッド・ドレイクも、サックス奏者とのデュオを何枚か出していて、相手は、ブロッツマン、アシーフ・ツァハー、サビーア・マティーノ……など。しかし、フレッド・アンダーソンバンドでの共演歴は三〇年をこえるはずの、このふたりのデュオというのはアルバム上ではありそうでなかった……のではないかと思う(私が知らんだけかもしれませんが)。内容は、もちろん上々。フレッド・アンダーソンも、もう80歳を過ぎているはずなのに、精神に一点の濁りもなく、新しいフレーズだのおなじみのフレーズだのといった分け隔てをせず、そのときそのときに感じたフレーズに、息を吹き込む。年輪を重ねるというのはこういうことである。とくに最後の曲、延々とドレイクのボーカルがフィーチャーされ、聴き手はむせかえるように濃密なそのアフリカ呪術的空間に酔ったようになる。そこに、老フレッドの枯れたようで力強いテナーがからんでいく……。おいしい。おいしすぎる。そして、このアルバムにはもうひとつのおいしさがある。実は2CDとなっているので、当然2枚組なのかと思っていると、二枚目のCDには何の表記もない。表記というか、文字がまったく印刷されていないのである。どこかへ放り出しておいたら、ぜったいにあとでわからなくなる。しかも、ジャケット(これがひどいんです。録音年月日もなんにも書いてない)には、1枚目のCDの曲名しか書いていない。なんなんだ、これはととりあえず聴いてみたが、音が出ない。たいがいの人はこのあたりであきらめてしまうだろうが、まんがいちの可能性を考えて、パソコンにつっこんでみると、なーるほどやはり映像だった。3曲ほどの演奏風景とインタビューが入っている。しかし、クイックタイムが必要で、うちのパソコンには入っていないので、嫌だったがダウンロードした。とにかくジャケットにちゃんと、もう一枚のCDは映像が入っていて、こういうコンピューターなら再生できて、ソフトは……みたいなことを書いとけっ。と怒りたくなったが、フレッド・アンダーソンとハミッド・ドレイクのデュオの映像が見られた喜びのまえにはそんな怒りは一瞬で消え失せてしまった。こういう趣向は大歓迎です。
「BACK AT THE VELVET LOUNGE」(DELMARK DG−549)
FRED ANDERSON
デルマーク設立50周年とかの記念アルバム。同じくヴェルヴェットラウンジで録音された「オン・ザ・ラン」の続編的な性格なので、こういうタイトルがついているのだが、内容はまるでちがう。「オン・ザ・ラン」のほうはピアノレスのシンプルなトリオなのだが、こちらは、2ベース(曲によって)にギターとトランペットが加わった編成である。しかし、中身はいつものとおり。垂れ流しているようだが、妙に心に残る、ちょっと聴けば、ああフレッド・アンダーソンだとわかる「例によって例のごとき」フレーズの数々。いつものフレーズをいつものように吹くジジイ。これのどこが「フリー」なのか。まさに、「道を究めた」感じである。いわゆる「即興」とはほど遠い、しかし、フリージャズなのだ。不思議ふしぎ。フレッドは74歳だが、ここまできたら立派というほかない。同じくシカゴの大御所テナーマン、ボン・フリーマンはフレッドよりわずかに年上だが、いつも練習しろ練習しろと口癖のように言ってるらしい。おそるべき老人たち。共演のトランペット、モーリス・ブラウンはまだ20歳そこそこで、フレッドにとっては孫のような年齢だが、果敢に吹いている。かなり固いが、その初々しさがこのライブにみずみずしさを与えている。ギターの参加は、このアルバムに限っていえば成功しているが、まあ、正直いって、我が道を行く御大にはそんなこと関係ないんだよね。ただ、この音楽には、ピアノが入るよりは、ギターのほうがずっといいとは思うが。まだまだ現役ばりばりのフレッド・アンダーソン。いつまでも水木しげる先生のように元気でがんばってほしいものだ。
「FRED ANDERSON/DKV TRIO」(BOMBA RECORDS BOM22018)
FRED ANDERSON/DKV TRIO
シカゴの御大フレッド・アンダーソンと、ヴァンダーマーク率いるおなじみDKVトリオが共演したアルバム。日本語ライナーによると、両者の共演はこれがはじめてだというが、ほんとかな〜。だって、ハミッド・ドレイクはどっちのグループもレギュラーでやってるわけだから、実は、このふたり(35歳差があるそうです)、しょっちゅう共演してるんじゃないのかあ……。私としては、DKVトリオの過激な演奏にフレッド・アンダーソンが触発されて……という展開を期待したが、そうはならず(あたりまえか)、全曲フレッド・アンダーソンの曲ということもあってか、全編フレッド・アンダーソンのペースで演奏は進んでいく。もちろん、ヴァンダーマークはえぐいトーンでブロウし、フレッドに迫るのだが、さすがに老御大はそんなことで揺らぐことなく、悠々自適マイペースにソロを吹く。だから、かみ合わないといえばかみ合わないが、そこがおもしろいともいえる。まあ、フレッド・アンダーソンのファンなら、聴いて損はないアルバムだと思う。日本語ライナーの、フレッド・アンダーソンの音はジーン・アモンズ直系だという部分はよくわからん。全然似てない。ジーン・アモンズの音はいかにもラーセンのラバーを吹きこなしてます、といった感じのエッジのたった音だが、フレッド・アンダーソンはもっと柔らかい。オーネット・コールマンにも近い音だ、というのもさっぱりわからん。まったく似てないと思うがなあ……。なお、原盤はオッカディスクである。
「THE GREAT VISION CONCERT」(AYLER RECORDS AYLCD−052)
FRED ANDERSON & HARRISON BANKHEAD
フレッド・アンダーソンの新作が立て続けに出たが、本作は、クインテットによる作品のほうにも入っているベースのバンクヘッドとのデュオ。やっぱりええなあ。フレッド・アンダーソンの作品でいちばん好きなのは、ドラムのロバート・バリーとのデュオだが、本作も楽器はちがえどデュエットで、どうもデュオというセッティングが、いまのフレッドの魅力を引き出すような気がする。独特の、クリアなような、へしゃげたような、たくましいような、軽いような音色も、ほかの楽器の音にマスクされないから、とても鮮明に聞こえるし、なによりバンクヘッドはフレッドの音楽性を熟知している。ほんと、しみじみとええアルバムだ。あいかわらずのフレッド節というか、おなじみのフレーズと即興フレーズを混ぜあわせながら、自在闊達に吹きまくるこのジジイからいろんなことを教わるなあ。とにかく、聴いて、元気が出てくる一枚であることはまちがいない。うちにはフレッドのリーダー作がやたらめったらあるけれど、なかでも一、二を争う好盤だと思う。いつまでも元気で、長生きして、ばりばり吹いて、まあ無理だろうけど日本にも来てほしいもんです。
「THE MISSING LINK」(NESSA N23)
FRED ANDERSON
あああああああああ……とうとう亡くなってしまった。現代フリージャズ界の最長老のひとりであり、多くのフリージャズミュージシャン、テナーマンに、「ジジイになってもフリーはできるんだ」「ジジイになってもクリエイティヴな姿勢を保つことは可能なのだ」「ジジイになっても意欲的な演奏はできるんだ」と勇気を与えつづけてきたフレッド・アンダーソンだが、ついに天に召されてしまった。あっけない最期だったといってもいい。しかし、彼の残した功績は絶大かつ永遠だ。なんと本作は日本盤で、ライナーノートもついている(フレッド・アンダーソンの音を「ひきしまったジーン・アモンズ風味の豊かなトーン」と書いているのは意味がよくわからん。全然ちがうと思うけど。ピアノレスでパーカッションをくわえた4人編成で、ドラムはハミッド・ドレイクなのだから内容は悪いわけはないが、こうして久しぶりに聞きなおすとやはり感動する。本当に惜しいひとを亡くしたなあ。声を大にして「なにを聴いても一緒!」と断言できるプレイヤーであり、いわゆるフリージャズの即興演奏というのとは微妙にちがうような気もする。つまり、即興に命をかける、というタイプではなく、その場その場の空気を感じながら自由に自分のフレーズをつむいでいく感じで、ただそのフレーズというのがいつも同じなのである。マンネリというより、それだけオリジナリティのかたまりというべきだろう。だって、なにを聴いても一緒ではあるが、なにを聴いても新鮮なのだから。我々にできることはこうしてアルバムを聴いて追悼するぐらいだが、彼がシカゴのフリージャズシーンに残した偉大な足跡、そして、自由な精神は、形を変えながらも後輩たちに脈々と受け継がれていくはずだ。そう信じたい。
「FROM THE RIVER TO THE OCEAN」(THRILL JOCKEY RECORDS THRILL183)
FRED ANDERSON & HAMID DRAKE
タイトルから、デュオなのかなと思うひともいるかもしれないが、ジェフ・パーカー、ハリソン・バンクヘッド、ジョシュ・エイブラムスの入ったクインテットである。バンクヘッドは1曲目と3曲目だけベースを弾き、あとの曲はチェロとピアノを弾いている。エイブラ蒸すは3曲でベースを弾き、2曲でグンブリ(ギムブリ?)を弾いている。1曲目だけツインベースなのだが、あとは別の楽器という構成。ものすごくええ感じのサウンド。とにかくリズムが強力で、なんというか、バウンスしまくるリズムなのだ。ベースを「ドゥーン」と弾くだけでバウンスする。さすが、リズムの元締めがハミッド・ドレイクだけのことはある。フリーなパートもあり、弦楽器の共演などの見せ場も多く、楽しい楽しい楽しい! フレッド・アンダーソン(合掌)は、あいかわらず例の「フレッド・アンダーソン・フレーズ」を連発していて、ある意味、フリージャズのロックジョウ・デイヴィス的なところもある。とくに2曲目がひどくて(?)笑ってしまう。ギターがブルージーにカッティングするリズムセクションのうえを、ゆったりとフレーズをつむぐフレッド・アンダーソン老人……という図式はかなり「来る」。ギターソロもベースのアルコソロも毎回良い。3曲目の、わけのわからない「歌」はだれが歌っているのかわからないが、おそらくハミッド・ドレイクだと思う(自分のアルバムでもよく歌っているからね。作曲はバンクヘッドなので、その可能性もあるか。いやいや、やはりドレイクでしょう……と揺れ動く男心)。この曲はちょっとコルトレーンの「インディア」あたりのモーダルで宗教的な感じが感じられる。4曲目はアフリカンリズムの饗宴といった感じで盛り上がります。ラストの曲は、エイブラムスのベースだけを相手に、フレッドがアフリカ的なワンフレーズにこだわった滋味あふれる演奏を繰り広げる。このアルバム、案外、フレッド・アンダーソンの代表作といってもいい一枚だったのでは、と今回聴き直して思った。やっぱりこういう音が好きやな。