teodross avery

「AFTER THE RAIN:A NIGHT FOR COLTRANE」(TOMPKINS SQUARE TSQ5623)
TEODROSS AVERY

 期待していたのの100倍ぐらいよかった。これは末永い愛聴盤になるだろう。最近、ONDREJ STVERACEKのライヴとかポール・ダンモールのサン・シップカルテットとか、コルトレーンに捧げるアルバムがけっこう出ていて、どれもええ感じなのだが、本作はほとほと、ほとほと、ほとほとほとほとほと感心してしまった。トオドロス・エイヴリーはたぶん今40代半ばぐらいだと思うが、これまでもずっとコルトレーンの影響を標榜してきたこのひとが(たぶん)満を持して全面的にコルトレーンに捧げたアルバムを作ってしまったわけだ。はー? 今ごろコルトレーン? どうかしてるぜ……とかいうひとがひとりでもいたらそれは大きな損失だ。このアルバムは、とにかくめちゃくちゃすばらしい内容なのだ。選曲を見るかぎり、エイヴリーはフリージャズに傾倒した後期のコルトレーンではなく、もっとまえのコルトレーンの音楽に焦点を当てているように思える。しかし、実際聴いてみると、エイヴリーの演奏は激烈で、フリージャズに足を踏み込んでいるように思える。つまり、素材はバップ〜モード期の曲だが、実際の演奏はもうどこまでもやりまっせ、的な姿勢なのかも、と思った。まあ、そんな分析はどうでもよい。1曲目の「ブルーズ・マイナー」(「アフリカ・ブラス」に入ってる曲)がはじまったときは、なるほどガッツのあるかっこええ演奏やなあ、ぐらいの感じで聞いていたのだが、途中からほぼ無意味なフリークトーンを急に挟んだりしながらどんどん熱く入り込んでいくようなプレイになり、「おお、これは……」とぐっとスピーカーに近づいて聴きいるような視聴姿勢になった。高音と低音を交互に放ったり、フラジオでフリーキーなフレーズをしつこく連打したりしながらも、フリーに行かないそのあたりのストイックさ(フリーに行かないのがストイックというのも変な話だが)もかっこいいと思った。ピアノソロもなかなかよい。そして、テナーとドラムの8バースがあってエンディング。しかし、2曲目はこんなものではなかった。冒頭の、ダーティートーンをまじえたテナーの無伴奏ソロに心熱くしないものはいないだろう。そこからのヴァンプがあって、テーマ。曲は「コルトレーン」に入ってた「バカイ」である。渋い選曲だが、こうして聴くとかっこいいね。エイヴリーはコルトレーンが絶対やらなかったであろうグロウルを多用してテーマを吹く。ソロもコルトレーン的というのとはまるでちがって、たとえばジョージ・アダムスのように一音一音に灼熱の情感を込めるようにじわじわ熱くなっていき、ついに噴火するような演奏である。それがまたいいんです。堅実なピアノソロを経て、ベースがパターンを弾いてそのうえでのドラムソロになる。ピアノもドラムももっとめちゃくちゃしてもええのになあ、と思わぬでもないが、シリアスな緊張感はずっと持続されている。3曲目はソプラノでの「アフロ・ブルー」。これが強烈である。テーマのあとピアノソロがあってそのあと出てくるソプラノソロは最初からぶちかましてくれる。ピアノソロはマッコイ的な感じなのだが、なんかいまひとつ自分の表現というより、「コルトレーンカルテット」を意識した演奏になっているような気がして、もっとやりたいように弾けばいいのに、と思ったりするのだが(これが「やりたいこと」ならすいません)、ソプラノソロはひたすら激烈で凄まじい。そして、そのバックのピアノは、自分のソロのときとはうってかわって好き放題やっているように聞こえる。そのあとドラムとソプラノのデュオになってからは、それまでの盛り上がりのすべてを投入したかのようなえげつない演奏になり、私はスピーカーのまえで、ぎゃーっ、とか、ひえーっ、とか叫んでおりました。そしてけっこうクールにテーマに戻る。いやー、かっこええわ。4曲目はバラードで「アフター・ザ・レイン」(「インプレッションズ」に入ってるあの名曲)。これまでの曲は、あくまでエイヴリー自身の表現だったわけだが、この曲などはコルトレーンが憑依したのかと思えるほどのリリシズムがあって、すごい。短い演奏だが、このアルバムの白眉のひとつと思う。5曲目はおなじみ「アフリカ・ブラス」。凄まじい絶叫がモードジャズの枠内で繰り広げられる。硬い低音、グロウルする中音域、悲鳴のような高音……すべてすばらしい。私が「ジャズ」というものに求めるものはだいたいこのなかにあるような気がする(フリージャズとかフリーインプロヴァイズドミュージックとかノイズは別)。ピアノソロにづくベースのアルコソロも苦悩の叫びが聞こえてくるようなインパクトのあるソロですごい。ラストの6曲目は「至上の愛」から「パーシュアンス」(追求)。アップテンポのモードジャズとして演奏される。激しい演奏のあとドラムとのデュオになるがすぐに戻る。しかし、全体にハードでパワーミュージック的な展開は持続しており、これはいまだに世界中のライブハウス、ジャズクラブ等で日々演奏されている展開だと思う。これを発明(?)したのがコルトレーン〜エルヴィンだというのはざっくり言い過ぎかもしれないが、いや、やっぱりそうじゃないの? ここでの演奏もその流れのなかにあるひとつなのだ。かっこいいっすねー。重量級の演奏ばかり詰まったこのライヴ、このまえ亡くなったドラムのF(学生時代のあだ名はエルヴィン)が聴いたらさぞ喜んだだろうなと思ったりした。傑作。