「HOLY GOHST」(REVENANT213)
ALBERT AYLER
これはすごいすごい、すごいですー。出る出るといわれていたアイラーの未発表9枚組ボックス。9枚組といっても、そのうち2枚はアイラーへのインタビュー(有名な、最晩年の児山氏によるSJ誌へのもの含む)で占められているので、演奏は実質7枚。それでもすごい(あと、初録音であろう、ビッグバンドでの演奏がおまけとしてついているので、8枚か)。正直いって、このボックスが出るまえに書かれたアイラー論は、すべて無効……とまではいわないが、大きな加筆を要求されるであろうとまで思えるほどの、たいへんな音源である。その存在は知られていたが、正規のアルバム化はされていなかった、超メガトン級に貴重な演奏がたくさん含まれていて、もうびっくり。たとえば、ジミー・ライオンズを含むセシル・テイラー・ユニットでの演奏(植草甚一の本にある、コルトレーン・グループとステージを分け合ったときのものとはちがうが、その頃の演奏)、ファラオ・サンダースとの演奏、コルトレーンの葬儀のときの墓のまえでの演奏(これも、有名な話)などなど、歴史的なお宝ぞろい。しかも、どれも内容がよくて、そういう意味でも貴重。私は寡聞にして知らないが、アイラーのソロテナーなんか、これまで出てた(ソロっぽい演奏はあるけど、完全なソロはないのでは?)? そんなのも入ってるのだ。よく、これだけ探したよなー。音質も、すごくいいものもあり、いまいちのものもあるが、聞くにたえないような(パーカーの隠し撮りみたいな)ものはひとつもない。ちゃんと、アイラーのテナーのソノリティが聴き取れるものばかりである。超豪華絢爛、資料価値大、読物としても楽しく、写真もいっぱい入ってるブックレットや、おまけもたくさんついていて、最強の復刻。日本で作られるこういった復刻ものも、なかなかマニアックな視点から作られているものもあるのだが、このアイラーボックスには、何にもまして、アイラーの音楽への異常なまでの愛が感じられる。ランダムにどの一枚を手にして、デッキに入れてみても、満足が味わえる、質、量ともに最高のボックス。アイラーファンならずとも一度手にとって、(中をあけて)その凄さを堪能してほしい。
「THE HILVERSUM SESSION」(COPPENS RECORDS CCD6001)
ALBERT AYLER
アイラーの未発表だったやつ。レコードで持っていたが、あるとき、何を血迷ったか、(未発表とか別テイクとかに何の意味があるのだ。そんなもの聴くひまがあったら、オリジナル盤をもっと聴きこむべきではないのか)と思ったことがあって、そのときにこの手のアルバムをいろいろ売ってしまったので、CDが出たのを機会に買い直した。ラジオ放送用の音源なので、音はいい。アイラーの場合、フレーズ重視のインプロヴィゼイションというより、みしみしいうようなテナーの音色がひとつのポイントなので、音が悪いとその魅力は半減である。メンバーも最高で、いつものゲイリー・ピーコック、サニー・マレイに加えて、トランペットには弟のドナルド・アイラーではなく、ドン・チェリーが参加している(だいたいどういう時期の録音かわかるでしょう?)。ドナルドは、おおかたの意見として、ダメなトランペットという評価が定着していると思うが、だったらこのアルバムはドナルド・アイラー参加作よりもずっと出来映えがいいのかといわれると、そうでもないのがおもしろいところ。アイラーの音楽には、弟の下手くそなラッパがうまくフィットしていたのかもしれない。ドン・チェリーもがんばっているが、なんとなく、チェリーが吹き出すと、その部分だけ、ドン・チェリーの音楽というか、オーネット・コールマン的になる。それはそれで聞き物なのですが。おなじみの曲がずらりと並び、どれも熱演でレベルも高く、「スピリッツ・リジョイス」や「ベルズ」、「ウィザード」、「ヴァイブレイションズ」などにも十分肩を並べられるような出来映えと思う。アイラーファンは必聴でしょう。
「LIVE ON THE RIVIERA」(ESP−DISK ESP4001)
ALBERT AYLER
アイラーのラストレコーディングのときの、別の日の演奏だそうだ。だから、音もいい。一曲目冒頭、いきなり濁った音色でのテナー無伴奏の咆哮がはじまり、その音色といいフレーズといい、あまりにインパクトが強いので、そこですっかりアイラーワールドにひきずりこまれてしまう。そのあとは、クワガタの強烈な牙でがっしり挟まれたごとく、最後の曲の最後の一音まで、ずるずるずるずるとアイラーの世界をひっぱりまわされる。いやはや、すごいラストライヴである。メリー・マリアのボーカルとしゃべりはほかのアルバムではうっとうしく感じることも多いのだが、このアルバムでは完全に音絵巻の一部となっていて、はじめて存在意義を感じた。三曲めはソプラノかと思っていたら、もしかしたらミュゼット? 光線を放射するようなユニークなフレーズをまきちらしていく。アイラーのボーカルも、まあ、いいでしょう。このころのアイラーを聴いていて、いちばん気になるのは、「ミュージック・イズ・ヒーリング・フォース・オブ・ジ・ユニバース」に代表されるような、愛だの神だの音楽はすばらしいだのといったおおげさなメッセージだが、まあ、それさえ気にしなければ、全曲すばらしい演奏で、アイラーファンはもとより、多くの人に聴いてほしい傑作。
「MUSIC IS THE HEALING FORCE OF THE UNIVRSE」(IMPULSE! AS−9191)
ALBERT AYLER
一曲目でいきなりアイラーのブロウが炸裂する。マイナーレーベルであったESPより録音もいいので、アイラーのリアルトーンがしっかりわかって迫力満点であるが、全体としてはESP時代よりはるかにかっちりとまとまった作りになっているし、ボーカルのオブリガード的な演奏も多いので、フリージャズファンにはちょっと物足りないかもしれない。でも、私は一曲目の表題曲が好きで、学生のころ、テープに録音してもらって、よく聴いていた。CD時代になっても「ラヴ・クライ」や「イン・グリニッジ・ヴィレッジ」などは出るのだが、このアルバムはなぜかなかなか出ず、ようやく再発されたので久しぶりに聴き直してみると、覚えていたいた以上に甘口だなあとは思ったが、やはり悪くはない。アイラーを聴いたことがない、というひとにすすめるのはどうかとは思うが、やはりインパルス期のアイラーもなかなかのものです。ただ、歌詞を日本語に訳して考えると、ちょっと引くけど。
「SPIRITUAL UNITY」(ESP DISK SFX−10712)
ALBERT AYLER TRIO
このアルバムは、高校生のとき、清水の舞台から飛び降りるつもりで買った。廉価盤ではなく、非常に高かった。なぜ本作をそんな思いで購入したかというと、名盤事典的なものにフリージャズ黎明期の傑作としてあげられており、(これはどうしても聴かずばなるまい)的な興味を覚えたのと、当時、ちょうど中上健次の「破壊せよ、とアイラーは言った」が出たところで、それを読んで、ぜったいに凄いにちがいないと思ったからである。「破壊せよ……」はラジオドラマにもなり、私はそれも聴いたが、おそらくそこでBGM的に使われていた音源がアイラーのものだと思い、これなら買っても損はないだろうと考えたのである。しかし、実際に買って、聴いてみると、山下トリオなどの、全員で疾走してドシャメシャやりまくる神風フリージャズにはまっていた私の耳にはどうにもぬるく、なんやねんこれ、と思ったのが正直なところである。たしかに「ゴースト」という曲はなかなかおもしろいが、アイラーのヘタウマ的なテナー、ゲイリー・ピーコックのうまいんだか下手なんだかわからないベース、そして、「革新的」と言われたらしいサニー・マレイのシンバルをチロチロチロ……と叩くパルス的なドラムは、「なんか、いまいちやなあ」というのが感想であった。しかし、大枚をはたいたのだから、元をとらねばならぬ。高校生の私は、毎日毎日来る日も来る日もこの盤を聴き倒したのである。その結果、ほとんどのフレーズを覚えてしまうほどになった。バップやスウィングのアルバムではない。こういうフリー系のアルバムのソロを覚えてしまい、口ずさめるようになるというのはよほどのことである。そして、だんだん本作の良さがわかってきた。アイラーのテナーは、一瞬だけ「ガーッ!」と割れた音色で吹く瞬間があるが、それ以外はどちらかというと、咆哮するような箇所はほとんどなく、太い音とそれがしゃくりあげるように裏返っていくフラジオで「歌う」感じである。微妙に音を外しながら、異次元の歌を歌うアイラー。そして、それを「補佐」するゲイリー・ピーコックのベースこのふたつが本作の柱だ。いまだに、サニー・マレイのドラムよくわからん。ああいう風に小刻みなパルス状に叩けば、どんなフリーな演奏にも「合わせる」ことはできるはずだが、それがいったいなんなの? という気もする。ある本に、アイラーの音楽は愛の音楽であって、彼自身は一度も「破壊せよ」などとは言っていないのである、というようなことが書かれていたが、なにしろこちらは血気盛んな高校生である。是が非でも「破壊せよ」と言ってもらわんと困る。しかし、そういう耳でこの「スピリチュアル・ユニティ」を聴いてもなかなかわからなかったのは当然である。しばらくのあいだ、毎日聴いていて思ったのは、「ああ、このアイラーというひとは、めちゃめちゃサックスは下手くそやけど、下手は下手なりに、これだけの表現ができるのだなあ。俺もがんばろう」ということだった。しかし、同じころに植草甚一の本で、まだ彼がバップをやっていたとき、アイラーはすごくうまいが、うますぎて、テクニックに頼りすぎるところがよくない、と批評されていたことや、チャーリー・パーカーに似すぎていて「リトル・バード」とあだ名されていたことなどを知り、愕然とした(記憶で書いているのでちがってたらすいません)。なんと、下手くそどころか、テクニックがありすぎて困るやつだったのである。「スピリチュアル・ユニティ」での演奏は、まったくそういった技術力を感じさせない。そこではじめて、アイラーの演奏はジャズを原初の姿に戻した、とか、幼児がはじめて楽器とたわむれているような、とかいった評が飲み込めたのである。とにかく、植草さんの文章を読んだ時点で私のアイラー観は一度全部白紙に戻す必要が生じた。それからである、本作と真剣に対峙しはじめたのは。その後、アイラーの多くの作品を聴きまくり、例のボックスも全部聴き、ファースト・レコーディングからラスト・レコーディングまでを聴いた耳で、久々に本作を聴くと、なるほどなあ……と思った。なにがなるほどかというと、ちょっと表現しにくいのだが、アイラーのテナーはやはり牧歌的とか愛の演奏とかいうけど、やはり過激で過剰できわめてスリルに満ちた激しいものだ、ということと、ゲイリー・ピーコックのベースはめちゃめちゃええ、ということと、サニー・マレイのドラムはやっぱりよくわからん、ということと、過激さではスタンダードを「崩して」みせる「ファースト・レコーディング」や「マイ・ネーム・イズ……」のほうが上かもしれないが、全編オリジナルで、しかもピアノレストリオで、ここまで絶妙のテンションで、聴くものを飽きさせず最後までひっぱることに成功した本作こそ傑作である、ということなのである。とにかくすばらしいアルバムだし、私にとって、山下トリオ的フリージャズ観から一歩踏み出させてくれた、という意味でも大事なアルバムなのである。「ゴースト」は山下トリオで坂田明もやっているが、もちろん本作での「ゴースト」こそがまさに「ゴースト」である。
「THE FIRST RECORDINGS」(GNP CRESCENDO RECORDS GNP−9022)
ALBERT AYLER
いやー、過激ですなあ。初レコーディングにしてこの過激さ。傑作のほまれ高い「スピリチュアル・ユニティ」も、過激さでは本作にかなわないのではないか。それほど衝撃度の高いアルバムだ。同時期のオーネットやドルフィーとくらべても、こっちのほうがドスがきいてて、ギャアアアアといってる点では突っ走ってる感がある。たとえば、中途半端なファラオ・サンダースの初リーダー作(ESPのやつ)などにくらべても、初リーダー作からここまで自己表現を徹底してなしえた、しかも、おそらくはフリージャズのなんたるかをよくわかっていないリズムセクションをバックにしてのこの快挙。もっと評価されてしかるべき作品だと思います。A面いっぱいをしめる「アイル・リメンバー・エイプリル」がやはりいちばんすさまじいが、B面の「ロリンズ・チューン」やマイルスの「テュー・アップ」、いちばんフリー寄りのその名もずばり「フリー」もすごい。
「MY NAME IS ALBERT AYLER」(TRIO RECORDS PA−9709)
ALBERT AYLER
過激さや衝撃度では前作の「ザ・ファースト・レコーディングス」に一歩を譲るが、完成度ではほぼ同時期の本作のほうがうえかも。ベースがペデルセンだしね。やけに甲高い声で自己紹介をするイントロダクションにつづいて、ソプラノによる「バイ・バイ・ブラックバード」……これがすごい。ソプラノによるテーマ提示やアドリブは、それほど崩していないのに、なぜかものすごく前衛的に聞こえる。ソプラノなのであまりギャーとか叫ばないのに、これが非常に不安定感丸出しで心地よい。この時点でなんとアイラーはすっかりフリージャズミュージシャンとしての自己を確立しているのだから驚く。なにしろバックはペデルセンほか真っ当な、マジメな北欧のジャズミュージシャンたちばかりで、それに混じって、リーダーとして「この」演奏だからなあ、すごいですよ。本作の白眉といえるのはやはり「サマータイム」で、たしかにどこからどう聴いても「サマータイム」なのだが、ホラー映画のテーマ曲のような凄味と怖さがある。「ビリーズ・バウンス」も、この曲をとりあげたことで、アイラーの当時のビバップに対する距離感というか考えがわかるような気がする。このあとアイラーは、ほとんどスタンダードを演奏しなくなるが、アイラーと「ジャズ」との関係性というか、アイラーのジャズ観が如実に伝わってくるという意味でも貴重な一枚。なお、本作はあの明田川荘之さんが「スピリチュアル・ユニティ」は傑作ではなく、アイラーのほんとうの傑作は本作、と書いていたことでも知られているが、私はどちらも好きです。
「WITCHES & DEVILS」(ARISTA FREEDOM AL1018)
ALBERT AYLER
ノーマン・ハワードのトランペットを相棒に吹き込んだアルバム。一般には「スピリッツ」というタイトルで知られているが、うちにあるのはフリーダムから出た再発盤。ドラムはサニー・マレイでベースは、おお、ヘンリー・グライムズではないか。アイラーは、同じ曲をいろんなアルバムに何度も吹き込むが、本作でも「スピリッツ」(この曲のテーマの吹き方はほんま泣ける)をはじめ、おなじみのナンバーが並ぶ。自分で自分の曲を一種のスタンダードナンバーのようにしているわけで、このあたりもアイラーの特殊性ではないか。ヒットした曲を何度も吹き込むというのとはちょっと意味がちがう。「スピリチュアルユニティ」の「ゴースト」にはふたつのバリエーションがあるが、ある意味、アイラーのすべての演奏はバリエーションなのだ。本作も、アイラーはめっちゃかっこよく、一人だけ突出した感がある。録音がやや残念だが、これは同時に録音された「スウィング・ロウ・スウィート・スピリチュアル」も同様なので、しかたないか。
「SWING LOW SWEET SPIRITUAL」(OSMOSIS RECORDS 4001)
ALBERT AYLER
今気づいたのだが、このアルバムって「ウィッチズ・アンド・デヴィルズ」と同じ日に同じ場所で吹き込んでるのね。知らんかった。メンバーがちがう(トランペットが抜け、カール・コブスのピアノが入っている)ので気づかなかった。残りテイクとかそういうのではなくて、本作はいわゆるゴスペル集。一曲目からアイラーが個性全開で迫る。「スピリチュアル・ユニティ」的な、ギャーッというようなブロウは全体的にほとんど抑えられており、ゴスペルをややアブストラクトに演奏しました、という感じ。フリージャズというほどではなく、どちらかというとメロディーを素直に吹いた感じだが、それでもこの不安定さ、というか不安感、というか、「揺れる」感じ……船に乗っていて船酔いがはじまったようなヤバさはなんだ。音程があるんだかないんだかわからないソプラノが炸裂する曲など、ほんとすごいです。でも、残念なことに録音が悪く、真価は伝わらない。レコードデビューして間もないころのアイラーが、こんなにもポリシーのあるコンセプトアルバムを出していた、ということがわかるだけでもものすごく価値がある。今は、それこそアーチー・シェップやデヴィッド・ウェアをはじめ多くのフリー系テナーマンがゴスペルアルバムを吹き込んでいるわけだが、そういったひとたちのギャアアアアアッと吠えるような場面のあるフリージャズゴスペルみたいなものを期待すると肩すかしを食うが、そういった作品の先駆、それもかなり早い時期の、おそらく最初期の作品という意味で本作は金字塔である。アイラーの先見性はめちゃめちゃすごい。「ゴーイン・ホーム」ではじまり、「オール・マン・リヴァー」なども入った選曲もよい。ああ、もっと録音がよければ……。なお、残りテイクがブラック・ライオンから出ているので、もしかするとCDではそのあたりがコンプリートになっているのかもしれないなあ。私は知りませんが。
「PROPHECY」(ESP−DISK 15PJ−2020)
ALBERT AYLER
「スピリチュアル・ユニティ」とほぼ同時期の、同メンバーでのライブ盤。曲もかなりかぶっている。ただし、「ゴースト・ファースト・バリエーション」「セカンド・バリエーション」となっているのは、二曲目のほうはじつは「スピリッツ」。ライヴだけに、録音状態はかなり悪く、アイラーのテナーも遠くなったり近くなったりするが、当時のライヴの様子がわかる、という点では貴重。とにかく拍手がほとんどない。なんやねんこれ、という感じで客も聞いていたのだろうなあ。よくわからないが、ずーーーーーーっと聞こえている人の声のような、ベースの弓弾きのようなものはなんだろう? 気になって気になってしかたないが、うちのスピーカーではよくわからん。ゲイリー・ピーコックかサニー・マレイがピチカートで弾きながらハミングしているのか?(たぶんサニー・マレイじゃないかと思うが……)。歌みたいにも聞こえるが……。とにかく、演奏自体はものすごく思い切ったもので、一切の妥協はない。「スピリチュアル・ユニティ」のまさにライヴバージョンといった感じで、客に対して、わかりやすい演奏をしてちょっとでも理解してもらおう、とか、スタンダードを自分たちのやりかたで演奏して、フリージャズへの入門をしてもらおう、とか、そういったことはまったく考えていないようだ。その心意気はすばらしい。たしかに「プロフェシー(予言)」のような演奏であって、この妥協のなさが、彼らがフリージャズシーンをこのあとぐいぐい牽引していくことにつながったのであろうと思う。
「VIBRATIONS」(ARISTA FREEDOM AL1000)
ALBERT AYLER
ドン・チェリーが相棒として入っている以外は、「スピリチュアル・ユニティ」と同じメンバー。1964年のアイラーは、正規盤だけでも「スピリッツ(ウィッチズ・アンド・デヴィルズ)」、「スウィング・ロウ・スウィート・スピリチュアル」「プロフェシー」「スピリチュアル・ユニティ」「ニューヨーク・アイ・アンド・イヤー・コントロール」本作「ヴァイブレイションズ」……などを固め撃ち的に吹き込んでおり(「ヒルバーサム・セッション」もこの年)、翌65年には「ベルズ」「スピリッツ・リジョイス」……などが来る。そして、その翌年には弟のドン・アイラーが相方になり、インパルスに移籍して賛否両論……ということになるわけで、つまり、64年の一年間こそがアイラーのフリージャズミュージシャンとしての自己を確立した「当たり年」ということである。ノリまくっているのである。で、本作だがあいかわらず「ゴースト」が2テイク入っている。冒頭のバージョンはドン・チェリーがいるからか、2管用のアレンジがほどこされており、ワンホーンでのあの渦を巻くようなどろどろした「土着感」はなく、あっさりと軽快であるが、なにしろテーマだけで終わってしまうので「な、なんや……?」と肩すかしを食う。なので、2曲目「チルドレン」からが本領なわけだが、アイラーのテナーはめちゃめちゃすごくて、録音のよさもあいまって、64年におけるアイラーの最高のプレイはこれでは、といいたくなるほど。でも、正直言って、録音の善し悪しがかなりアイラーのアルバムの印象に差を与えているような気がする。今のCDでのミックスはよくしらないので、私の場合はほとんどLPでの印象なので、もしかすると今はどれもめちゃめちゃ音がよくなっているのかもしれない。だから、ちょっと最近出ているCDでこのころの作品を聴いてみたい気もするのだが、そんな遊びというか趣向につかう金はない。あったら新譜を買う。3曲目「ホーリー・スピリット」冒頭の「叫び」ちゅうか「雄叫び」もすばらしいのひとこと。ああ、このアルバムは好きやーっ。B−1の「ゴースト」はアイラーのワンホーンにドン・チェリーがからむようなラフアレンジで、全員本イキの演奏。すばらしいが、なんとなく「スピリチュアル・ユニティ」のバージョンのパロディのように聴こえるのは不思議。つづく「ヴァイブレイションズ」と「マザーズ」も「揺れ」が凄まじいアイラーが突出していて、もうめちゃめちゃかっこいい。インパルス以降のアイラーに賛否両論あるのもよくわかる。というのは、この、ストレートで振幅の大きい、悲鳴のようなスクリーミングをなんの装飾もなくシンプルかつパワフルにズドーンと表明していたのはこのころまでであって、インパルスに入ってからは、いろいろな趣向や装飾のおかげで、聴き手はそういうものをはぎとりはぎとりしつつ、アイラーを聴かねばならない、という手間をかけることになる。そういう意味で、64年、65年のアイラーは美味しいですよ、録音がよければもっと美味しいですよ……ということで、本作を私はアイラーをはじめて聴くひとにも推薦したいっすね。
「BELLS」ESP−DISK BT−5004)
ALBERT AYLER
このアルバムはどうしてもレコードで持っていたい。こんなもん、CDで買ったら値打ち半減やん! なにしろ、A面しか入っていないのだ。よく、B面にはなにも入っていなが、針の保護のために溝だけ切ってある、というアルバムがあるが(そういったものには、たいがい「おまけ」が入っていたりするのだが)、うちにある「ベルズ」のB面は溝すらない。一度、念のために針を落としてみたら、つるーーーーっと滑っていって、大慌てしたことがある。これで両面入ってるフツーのレコードとおんなじ値段やから、これは詐欺みたいなもんです。さて、本作はジャケットもめっちゃかっこいいことで知られているが、内容も負けず劣らずすばらしく、当時のアイラーの充実ぶりというか、日頃どんな演奏をしていたのかがリアルにわかる。相棒は弟のドン・アイラーとアルトのチャールズ・タイラー。ベースがルイス・ウォレルというひとでパーカッションがサニー・マレイというカルテットで、タウン・ホールでのライヴである。タウン・ホールというとオーネット・コールマンもちょっとまえにESPでのライヴアルバムを残しているし、ミンガスのアルバムも録音されているので、ニュージャズ系の牙城だったのかもしれない。うちにある日本盤はマジックで書き込みがされているような中古だが、裏ジャケットに鍵谷幸信のものすごく長いライナーが前面に印刷されているのだが、これが何度読んでもなんのことかよくわからない。「冒頭からいきなりフリーの極北をいく、音圧がこれ以上高まりようのない、濃厚な密度をもった音が、無法地帯の無法をも破壊しつくすサウンドで飛び出してくる。(中略)アイラーの音は一瞬天国上昇をとげたと思って安心していると、次の瞬間にはいきなり地獄下降をさっとやってのける。喜怒哀楽の情念がアイラーのサックス音の一部始終にしみ込んで、全体を人間情念のるつぼと化した音群で覆い尽くす」……どうです、なんのことかわかりますか。あと、ライナーでこのひとは何度もチャールズ・タイラーのテナーが云々と書いているが、たぶんアルトを吹いているはずである。「ベルズ」という曲を一曲だけ演奏していることになっているが、実際にはドン・アイラーとチャールズ・タイラーをフィーチュアした一曲目、アイラーのテナーとベースソロをフィーチュアした二曲目、そこからニューオリンズ風のアンサンブルになり(まあ3曲目といっていいだろう。このテーマが「ベルズ」なのか?)、この一派特有のでたらめがはじまっておもしろい。いろんな曲のモチーフというかリフが急にはじまったりして、このあたりはバンドして、あるいはフリージャズの稚拙さとしてとらえてもぜんぜんかまわないのではないかとすら思うが、それも含めておもしろいのだからしようがない。ドナルド・アイラーの初心者のようなラッパも、サニー・マレイのドコドコバタバタと幼稚な感じのドラミングも、アイラーの音楽には、うーん、ある意味「あっている」とは思うが、なにも付け加えてはいないと言い切ってもいいかもしれない。とにかく、全体にちゃんとしたところがなく、よれよれで、決まりごとはあるようなないような、でたらめに進行していく演奏なので、そういうのがダメなひとには無理だと思う。強いてはすすめません。「プロフェシー」でもおなじみのあの「声」がずっとつきまとっているのも、不快な印象をあおる。だれでしょうね、ほんと。残念ながら、やはりESPなので録音がけっこう悪くて、いまいち迫力に欠ける部分もあるのだが、アイラーのテナーはさすがに音といい表現力といい最高なのだが、本作を聴く鍵はやはり、この全体の猥雑な感じというか、めちゃめちゃで統一感のないぐちゃぐちゃっとしたいいかげんさ、でたらめさにあるのだと思う。幼稚で単調なようで、じつはかなり深く、一筋縄ではいかぬむずかしい音楽だと思う。
「SPRITS REJOICE」(ESP−DISK1020 15PJ−2022)
ALBERT AYLER
「ベルズ」とはベースが変わっただけだが、なにしろツインベースでゲイリー・ピーコックとヘンリー・グライムズなのだからかなりすごいメンバーである(一曲だけカール・コブスがハープシコードで加わっている)。「ベルズ」の4か月後のライヴで、こちらはジャドソンホールというところのライヴらしい。内容は「ベルズ」の発展形だが、こちらのほうが迷いがなく、迫力がある。ドナルド・アイラーのパラパラパラパラと同じことしかしないラッパや、いまいちいるかいないのかわかりにくいチャールズ・タイラーのアルト、合っているんだかいないんだかわからんサニー・マレイのタイコ……などが、アイラーの一吹きでぎゅうっと凝縮し、整然と行進しはじめるさまは、たしかに「魂の歓喜」としか言いようがない。とにかくアイラーがすごい。メンバーは多いが、アイラーの音は突出しており、絶好調の張りつめたフルテンションのテナーがたっぷり聞ける。最後の曲のテーマなど、気が狂ってるとしか思えない「曲」で、よくこんなわけのわからん曲を書いたもんだ。ジャケットも最高で、「スピリチュアル・ユニティ」と並ぶESP時代の傑作……という一般的評価が当たっているのだなあ、という平凡な感想になってしまったが、それもまたよし。
「ALBERT AYLER IN GREENWICH VILLAGE」(IMPULSE YP−8548−AI)
ALBERT AYLER
サニー・マレイの「サニーズ・タイム・ナウ」への参加のあと、有名なスラッグス・サルーンでのライヴやヨーロッパでのライヴなどを経て、満を持して大手インパルスへ移籍、その第一弾はサイケなデザインのライヴ盤。世間では(インパルスのなかでは)名盤という評価があるようだが、私は昔からこのアルバムがどうしてもいまいちなじめない。その理由を今回も聴きながらつらつら考えてみたのだが、たぶんアイラーがA面のほとんどをアルトを吹いており、その音がぴんと来ないからだと思う。アイラーのアルトは音が非常にストレートで、テナーのときのようにベンドしたり、ギャーッといわしたり、音を揺らしたり、といったことあんまりせず、とにかく伸び伸び吹いている。悪くはないし、それなりにいいと思うのだが、テナーでの迫力に比べると二歩も三歩も譲る。このあたりの感じ、チャールズ・ゲイルがアルトを吹いたときに似ているような気がする。そういう、アルトの曲を先に持ってきているため、どうしてもアルバム全体の印象が薄い。テナーだのアルトだのといったちがいを気にしないひとにはどうでもいいことかもしれないが、やはりアイラーには「あのサウンド」が似合う。それは、アイラーの音楽というものはそういうこととは関係ない、とか、彼が表現したかったものは楽器がなんであれ……みたいな話とはちがう次元のもので、まずはサウンドありきで聴いてしまうと、理屈を言い立てられてもわからんのである。間章が例によって長い長いライナーを書いていて、それを要約すると、要するに「なにをやっても、どんなアルバムでもアイラーはアイラー自身でありつづけたではないか。ほかになにを言うことがあるのか」ということをものすごい長文を使って、煽るように書いているだけである。こういう論調がいちばん困る、というか、アイラーがアイラーであるのはあたりまえで、それを踏まえたうえで、各作品の個性があるわけで、「どれでもアイラーはアイラーだ」というような当然かつ乱暴な意見をことさら言い立てられても、そうですなあ、としか言いようがない。B面はテナーで、良い感じだが、うちにあるLPだとなぜかいまいちアイラーのテナーが前面に出てこず、今のCDではこのあたりは改善されているのかもしれないが、同様のコンセプトの「スピリッツ・リジョイス」などのほうがアイラーのサックスに関しては録音がいいと思う。そんなあたりも、いまいち印象が薄い(というか悪い?)原因かも。今は、このあたりのライヴはコンプリート盤が出ていて、曲も3倍ぐらいに増えているが、それは聴いたことがない。アルバム単位での印象などは、こうしてコンプリート盤とかが出てしまうとコロッと変わってしまったりするから怖い怖い。評論家のひとってほんとたいへんだと思います。とくにアイラーに関しては、あのボックスが出てからは、それ以前の評論は全部白紙になったと私は勝手に思っているので。「ミュージシャンなんて、一曲聴けば、そのひとの全アルバムを聴いたのと同じだよ」と言い切るひとがいればべつですが。
「LOVE CRY」(IMPULSE YP−8549−AI)
ALBERT AYLER
本作のことを、意外に好きだ、とか、再評価しなくては、とか、アイラーの真意は実は……といった文章を見かけることがあるが、私にはやはり「なに考えとんねん、このおっさん」としか言いようがない。A面は短い曲がずらっと並び、一曲目など、テーマを吹くだけで終わってしまうし、そのあともそれに準じたような、これからがええとこなのに……的な演奏が続く。B面は2曲だけだが、その2曲目の「シオン山」という曲は、まるで「Cジャムブルース」みたいに2音しか使っていない、超シンプルなテーマ。これがいいんです。全部こんな感じにしてくれればよかったのに。ドナルド・アイラーが軍隊ラッパ的なノリでテーマがガンガン吹いて、そのあとアイラーがめちゃめちゃ音を歪ませたグロウルテナーで登場、おおっ、これはすげーっ! となる一曲。となると、A面はなんだったんだ、ということになるが、いやー、実際、なんだったんでしょうね。正直、アイラーの音楽というのは、「ファースト・レコーディングス」以来ほとんどゆるぎなく変化もないわけで、怖ろしいことに最初の最初っから個性が完璧に確立していたのだ。その音楽性は最高のものではあるが、あまりに変わりなさ過ぎて、そろそろワンパターンというか、飽きられてきたのも事実ではないかと思う。たぶんこのころ、ライヴを聴きにいったら、めちゃめちゃすげーっ、ばんざーい、となったと思う。それぐらいアイラー一派の演奏はすごいのだが、アルバムとしてはどれもおんなじような感じになってしまっていて、しかもアイラー自身はあまりにゆるぎなく、あとは「それをどう見せるか」で変化をつけるしかない。はっきり言って、レコードを出さなければいいのだ。本人のうえに変化が訪れるまでゆっくり待てばよかったのではないか。でも、早すぎる死を考えると、いやいや、無理してでもこうやってアルバムをたくさん吹き込んでいたのはよいことだった、と思わざるをえない。この矛盾が、アイラーというひとの演奏を解く鍵ではないかと思ったりして。たしかにインパルス時代のアイラーは、よく言われるように、ESP時代と本質的にはなんにも変わっていないが、それをどう「変わった」ように見せようか、とインパルスのスタッフが右往左往していた、ということではないか。本作も「ニュー・グラス」も「ヒーリング・フォース・オブ・ジ・ユニバース」も、どれも見せ方を必死で変えようとしたあげくの産物のように思うがどうでしょう。なお、本作のジャケットはアイラーはアルトだけを吹いているが、中身はちゃんとテナーを吹いているのでご安心を。
「THE LAST ALBUM」(IMPULSE AS−9208)
ALBERT AYLER
アイラーは、ずっとラーセンのメタルだと思っていたが、いろいろ写真を見るかぎりでは、基本的には本作のジャケットのようにリンクのメタルのようだ(ただし、中身で実際に吹いているかどうかはわからん。音だけ聴いてるぶんには、おんなじに聞こえるけどなあ)。じつは、インパルス時代以降のアイラーにあまり興味がなかったからか、長いあいだ、本作の存在すら知らなかった。その理由はおそらく、本作のあとでフランスで吹き込まれた有名な遺作である「NUITS DE LA FOUNDATION MAEGHT」というアルバムが、日本では「アルバート・アイラー・ラスト・レコーディング」という邦題をつけられていたからで、「ラスト・アルバム」ときいても、ああ、あのマグー美術館のライヴね、持ってる持ってる、ということになってしまったのだと思う。このアルバムは、ある作品を某社に書いたとき、某社の編集長からもらったのだ。そのひとは、いろいろあって文芸以外の部署に行かされてしまい、私のシリーズも途中で中止になり、すったもんだがあったすえ、よその出版社が拾ってくれてことなきをえたが、まあ、そういう嫌な思い出のある出版社なのである。ゆいいつの良い思い出は、その編集長から本作をちょうだいしたことであって、へー、こんなアルバムがあるんですか、知らなかったなあ、とすごく嬉しかった記憶がある。アイラーの死後に出された、インパルスでの最後のスタジオ録音、ということになるのだろうが、これがなかなかすばらしい。インパルスのアイラーは、どのアルバムも演奏者にもレコード会社にもいろいろな試行錯誤が感じられ、なかなかズドーンとストレートアヘッドなパワーのある作品がないわけだが、本作でのアイラーはなにかが吹っ切れたような感じで、音とたわむれている。A面一曲目のエレキギターとバグパイプのデュオ、いうのも、際物的に思えるかもしれないが、なんともいえないナチュラルかつアグレッシヴな演奏で、私は好きだ。アイラーの音楽的パートナー兼彼女だったマリー・マリアのボーカルはあってもなくてもいいと思うが、本作では2曲だけの参加(A−2で大フィーチュアされている。たぶんB−2でちょこっと聴こえるのはマリー・マリアだと思う)なのであまり邪魔になっていない(ドナルド・アイラーは、この女がバンドに入ってきたから俺はやめたんだ的なことを言ってるようだし、マリー・マリアは、私がアルバート・アイラーの音楽を支えたのよ、ドナルドには才能がなかったのでアルバートも困ってたのよ的なことを言ってるみたいで、どろどろしていてたいへんおもしろい。このころのアイラーの曲のクレジットは、アイラー作曲のものは全部「マリー・パーク作曲」となっていて、つまり、印税はぜんぶマリー・マリアに入る仕組みなのだ)。B−1は、かなり「ごくふつう」のブルースナンバーでギターが2本聴こえるがクレジットによるとひとりなので、オーバーダブでギターバトルをしているのかもしれない(なんの意味があるのかよくわからん。もしかするとクレジットがまちがっていてギターは二人いるのかもしれないけど)。アイラーのソロもふつうだし、曲じたいもテーマなしのただのブルースセッション。なんやねん、これ。こういう演奏にも、昔のリスナーや評論家は意味を見いだしていたのだろうなあ。B−2はアイラーとマリー・マリアがデュエット(?)的に歌うナンバーだが、バックがドロドロなのでちょっと「なるほど」とは思う。しかし、英語がわからん私には、途中で飽きてしまう。テナーはかっこいい。B−3、4は悪くはないが、まあ、この時期にありがちの縮小再生産的な演奏なので、「すげーっ」という感じにならないのはしかたがない。泣いても笑っても、本作がアイラーのスタジオでの最終作品なのである。
「NUITS DE LA FOUNDATION MAEGHT」(RCA RECORDS SRA−9459〜60)
ALBERT AYLER
あの「ラスト・アルバム」やインパルスの諸作がウソだったかのような、溌剌とした、豪快で気合いのこもった、すばらしい演奏が、のっけからぶちかまされる。冒頭のテナーの吹き倒しはすごい。2曲目はおなじみ「スピリッツ」だが、ライブでテンションが高かったのか、すごいアップテンポになっており、アイラーも吹いて吹いて吹きまくる。前半はほとんどがフラジオで、ピーピーピーピーギャーギャーギャーギャーと凄まじい。一時期のデヴィッド・S・ウェアの演奏のようでもある。後半は中低音を中心に渾身のブロウを繰り出し、それが興奮にたまらなくなって、またフラジオにずりあがっていき……というあたりはほんとうにすごい。B−1の「ホーリー・ファミリー」(途中で「ゴースト」が引用される)やB−2のこれもおなじみ「スピリッツ・リジョイス」などはほんとうに喜々として演奏している感じが伝わってくる。音のきついベンドといい、デフォルメ具合といい、インパルス時代のスタジオではなかなか見えてこない、ESP時代の前衛ジャズとしての良さとインパルス期に得たポップさが融合して、なるほど、アイラーのやりたかったことはこれなんだな! と万人が膝を叩くような演奏になっている。死ぬ直前にこういうライヴを残すことができたアイラーは幸せではないかと思う。とにかく、ひとりで吹いて吹いて吹き倒すのだが、それが「バックが置いてきぼり」とか「一種のパフォーマンスとして演っている」という感じではなく、とにかく吹くのが楽しい、どうだ、これが俺の今の演奏だ、聴いてくれ! というのがクリアに伝わってきて、マジですばらしい。2枚目のA−1「トゥルース・イズ・マーチン・イン」は一枚目の「ホーリー・ファミリー」的な祝祭日のお祭で、アイラーがまたしても吹いて吹いて吹き倒す。A−2「ユニバーサル・メッセージ」はタイトルこそおおげさだが、内容はデビュー以来ずっとアイラーがモチーフとしてきたような「歌」であり、しみじみと心を打つ。B−1はアンコールナンバーらしいが、まるで「スウィング・ロウ・スウィート・スピリチュアル」におけるゴスペルのように響く。これまでのアイラーのいろいろなアプローチの集大成のようにも聴こえる。さて、この二枚組、マリー・マリアの参加が心配な向きもいらっしゃいましょうが、じつは二枚目のB−2「ミュージック・イズ・ヒーリング・フォース・オブ・ジ・ユニバース」(たぶんアンコールの二曲目)一曲しか参加していないのである。これはありがたい。本音を言うと、ほんとありがたいかぎりです。聴きたくないなら、この最後の曲だけを聴かなければいいわけだからね(私も、たいがいこの曲だけ飛ばす)。「音楽は宇宙を癒す力です」というこの曲は、さすがにいつ聴いてもきついわなあ……。なお、内ジャケットの写真を見るかぎりでは、ここでもアイラーはリンクのメタルを吹いているようだが、音色はラーセンを使っているころとなんら変わらない……と思う。まあ、このひとぐらいになると、どんなマウピを使っても自分の「音」になってしまうということでしょうか。このラストライヴを、アイラーの入門としてもいいぐらい推薦したいです。なお、私が持っている日本盤は、なんと油井正一、児山紀芳、岩波洋三の3人がライナーに名前を連ねているわけだが、岩波氏の「先日ある雑誌からモダンジャズの全LPからベストテンを選んで欲しいと依頼されたとき、ぼくはちゅうちょなく、このアルバムをその中に入れた。ここでのアイラーたちの演奏は、なにか広大な宇宙全体に浸透していくような広がりと解放感をもっており、その精神性豊かなプレイは聴き手の心を浄化する作用さえもっているように思う」という文章には驚くしかない。今、同じアンケートをとっても、本作をベストテンに入れるのかなあ。
「NEW GRASS」(IMPULSE/WEA MUSIC WMC5−134)
ALBERT AYLER
68年の作品で1曲目はエレベとアイラーのサックスによる強烈なデュオで幕を開ける。アイラーはフリーフォームというより、音圧とバイブレーションでなにかを伝えようとしているらしく、フレーズらしいフレーズは吹いておらず、ひたすらギャオーッと叫んでいる感じ。そのあと、アイラーのメッセージが延々と朗読されるがこれもよくわからない。最後のほうにホーンセクションも入ってくる。2曲目はブルース形式だが、曲調はブルースあるいはジャズブルースではなく、いわゆるロックンロールというやつのパロディに聞こえる。このあとの曲も同工異曲で、ドラムがぱたぱたと鳴り、薄っぺらいソウルボーカルグループとメンバーだけはやたら豪華だがほとんどリフをちょろっと吹くだけのホーンセクションがついていて、アイラーは濁った音でR&B風にガーガー吹くか、フリーキーに倍音を出しながらブホブホ吹くかで、全体としては「なんのこっちゃ?」という感じに聞こえる。評判のもうひとつよくないインパルス期だが、「グリニッジヴィレッジ」や「ミュージック・イズ……」はけっこう面白いので、この作品(と「ラヴ・クライ」)の印象がインパルス期全体の印象として広がったのではないか、と思ったりして。
「LORRACH/PARIS 1966」(HAT HUT RECORDS BRJ−4110)
ALBERT AYLER
アイラーのドイツとフランスでのライヴ。もともとどういう音源なのかしらないが、音はそこそこいい。それはアイラーのテナーの音がマスキングされずに十分聴けるという意味であって、そのソノリティや生々しさがもっともいい状態で伝わるほどにいいかと言われると微妙だが。アイラーの音楽は、パーカーやコルトレーンのように、録音状態が悪くても、毎回フレージングなどが変わるのでどれも価値がある、というものとは異なり、だいたい演奏の主旨は同じだが、その「音」のヴァイブレイションや生々しい響きなどによって説得力を持つものなので、できるだけよい音で収録されているほうがいいに決まってる。ただし、音楽として最高のESP期はあんな風で、逆に音楽としては中途半端なインパルス期がめっちゃええ音というのも皮肉なもんである。ときどき細部まですごくよく聞こえたり、ときどき全部がもやもやになったり、マイクから外れたのか完全にオフになったり……つまりは状態はバラバラ。で、本作に収められているのは「いつものアイラー」で、ファンにとっては親しいあの感じである。ドン・アイラーの大味で雑なトランペットを相方に、ビーバー・ハリスのドラム、マイケル・サンプソンのヴァイオリンなどを従えて、あの爆発的にハッピーかつドロドロした、精霊や妖怪の跋扈する森林のなかのような演奏を聴かせてくれる(ラストのひとつ前の曲での頭がおかしいとしか思えないボーカルは最高)。とくにヴァイオリンとのコンビネーションは抜群で、荘厳なサウンドのなかで発作的に爆発するアルバート・アイラーの咆哮を聴いていると、インパルスのプロデュース力のなさが実感される。あれはあれでいいとか、アイラー自身が望んだことなのだ、という意見もあるが、いやー、やっぱりその直前にこれだけの凄まじい演奏をしているのだから、それがちゃんとメジャーでもパッケージングできないと嘘でしょう。「グリニッジヴィレッジ……」を聴くかぎりでは、インパルス期もライヴではすばらしい演奏をしていたはず。例のボックス「ホーリー・ゴースト」の6枚目、7枚目あたりでもうかがい知ることはできるけど……。あと、曲名とかも、今見るとあまりに「ホーリー」で笑ってしまうが、あの当時は演る側も聴く側も大まじめだったのだ。
「REVELATIONS THE COMPLETE ORTF 1970 FONDATION MAEGHT RECORDINGS」(ELEMENTAL MUSIC 5990443)
ALBERT AYLER
アイラーのフランスのマグー近代美術館でのコンサートのライヴの完全盤である。アイラーは紆余曲折を経て、こういう境地というか演奏スタイルにたどり着いたのだと思うが、コンサートのあと、「こんなに嬉しいことはありません。どうもありがとう。わかってくれたでしょうね。ぼくの音楽は愛の音楽なんですよ。メルシ、メルシ……」と言ったらしいが(植草甚一の訳による)、こういう言葉も正直、いかがわしさを伴っていないとは言い切れない。しかし、ここでの演奏を聴くと、やはりアイラーは最高の演奏家であり革新的なミュージシャンだったのだ、とわかる。というか、今はようやくわかった。
高校生のときに「破壊せよとアイラーは言った」を読んでどうしても「スピリチュアル・ユニティ」を聴きたくなったが、高くて買えず、悶々と数カ月考えたあげく、ようやく購入し、聴いてみたときの失望感。しかし、しつこくしつこく毎日聴き続けた結果、これはなにかあるぞ、という若干の手応え。その後もアイラーの諸作をいろいろ聴いて、なんだかはぐらかされたような気持ちと、いや、ここにはなにかある、という気持ちが並行しつつ、「ゴーストを吹いたらアイラー気分」みたいなことはまったく思わなかった。本作の土台となるレコードも聴いたが、この、なんというかドレミファ……な感じがどうも理解できないままだった(アイラーというひとは初期の演奏からずっとドレミファなのだ)。明田川荘之さんが最高傑作と言った「マイ・ネーム・イズ・アルバ―ト・アイラー」や、ゴスペル集である「スウィング・ロウ・スウィング・スピリチュアル」、私も最高だと思う「スピリチュアル・ユニティ」をはじめとするESPの諸作……などどれもすばらしいとは思うのだが、インパルスの諸作は、音の良さが逆に魔法を解かれたような感じで、個人的にはあまりのめりこめない。インパルスのあの音色がESPの作品でも鳴っているのだ、と頭のなかでミックスダウンすればいいのかもしれないが……とかなんとか思っているところへこのアルバムである。アイラーがイーストリヴァーに浮かぶ少しまえ(約4カ月)の演奏である。
学生時代、中古で日本盤二枚組を買ったのだが、いまいちよくわからんかった。インパルス期の延長にある演奏で、メアリー・パークスという謎の存在もあって、わかりやすくて楽しいが、「破壊せよ」という言葉とはもっとも遠い音楽に思えた。当時の私は「潰せ、壊せ、破壊せよ」とハカイダーにもアイラーにも言ってもらわないとおさまらなかった。今になって「アイラーは一度も『破壊せよ』などと言っていない」と言われても、高校生というものは既存のものをむやみやたらと破壊したがるのであって、私にとってはSFもフリージャズもそういうものとして私のまえに現れた。だから、「スピリチュアル・ユニティ」がしっくりきたのだが、このラストコンサート(ラストレコーディングはたぶん一カ月後)の内容はぴんと来なかった。その後何度も聴いているうちに、アイラーはやっぱり、こういう音楽をやりたかったのだろうな、という気がしてきた。
シンプルでわかりやすいテーマの提示、テナーが主導し、皆がそれに唱和していくような原始的な形のインプロヴィゼイション、即興的に醸し出されるヴァイブレーション……などのことだが、こうして最期に近い演奏を聴くと、アイラーは「フリージャズの創始者のひとりとして即興に徹した」ということもなく、「R&B的な演奏を時代の要請にこたえて心ならずも行った」ということもなく、結局はこういう力強いテナーの音色によるヴァイブレーションを全員で拡大していくような音楽をやりたかったのだと思う(だから、インパルス期のR&B的な演奏はまったく必然なのである)。
「スピリチュアルジャズ」という言葉はいろいろ誤解されやすいと思うが、やっぱりアイラーはどう考えても「スピリチュアルジャズ」だよなあと思う。たとえばファラオ・サンダースが「スピリチュアル」だというと、そこにはある種のいかがわしさ(魅力的だが)がつきまとうが、アイラーは純粋だ。それの結晶が本作での演奏ではないか。こうして完全盤(?)として我々のまえに現れた音源は、とにかく音がよくて、それははっきり言って、アイラーの音楽には不可欠のことなのだ(さっきも書いたが、アイラーの音楽にはテナーサックスの生音の迫真性が根本にあるので、それがマスクされるような状態での録音を聴いても魅力は半減、いや、それ以下である。傑作「スピリチュアル・ユニティ」ももっと録音がよかったらきっと「フリージャズの名盤」ではなく「すべての音楽のなかでの名盤」ぐらいになっていたかもしれない。
このアルバムでのアイラーの演奏はアイラーの真価を伝えているし、私が悩みまくった学生時代の感情をあっさり吹き飛ばす。4枚組だが、ざっくり言うと、3〜4が既発音源で1〜2がその前々日の演奏。CD−1の1曲目「ミュージック・イズ・ザ・・ヒーリング・フォース・オブ・ジ・ユニバース」(学生時代の私はこの曲のインパルス盤での演奏を聴いて「なんておおげさな……」とゲラゲラ笑ってしまった)は、いきなりアイラーのグロウルしたテナーの激熱のブロウとマリアの朗読(?)ではじまり、アイラーは途中からはほとんどキーキーとリードのミストーンのような音を吹きまくる。昔はこういう宗教的なのが苦手だったが、今はまあ……わかります。2曲目はアイラーを中心としたゴリゴリのフリーな演奏でこれもかっこいい。こういう演奏を聴いているとさっきから書いているようにヴァイブレーション過多(!)の音楽だと思うし、それをスピリチュアルジャズと呼ぶこともアイラーならいいんじゃないでしょうか。終わったからドワーッと拍手が来るのもわかる。3曲目はアイラーのソプラノの無伴奏ソロからはじまるゴリゴリのフリーの曲で超かっこいい。アイラーはほとんど同じフレーズしか吹いていない。潔い! ベースソロもいい。この集中力はすごいと思う。4曲目はアイラーがテーマを吹いている横でメアリーがソプラノを吹く。写真を見ると、セルマーのジャズメタルをガバッとくわえて吹いている。昔はこのひとのソプラノが「おいおい……」という感じで嫌いだったが、今は……。5曲目はベースだけをバックにしたアイラーのボーカルが聴けるが、かなりフリーな感じである。そしてアイラーのテナーソロになるが張り詰めたような緊迫感のあるブロウであり、テナーとボーカルが交互に現れる。このあたりが1〜2枚目のひとつの頂点だと思う。6曲目はメアリー・パークスとアイラーの交歓というような感じの演奏。アイラーも伴奏というよりぐいぐい行ってます。7曲目はアイラーのテナーソロからはじまり、自身のボーカルとメアリーのボーカルが交錯する混沌とした演奏だが、聴いている分にはしっかりした構成に聞こえる。いや、これはさすがですね。1枚目をしめくくるにふさわしい演奏。
CD−2はいきなり「ゴースト」ではじまる。わざとテーマの音をフリーキーに外したりするが、「スピリチュアル・ユニティ」とちがうのはリズムがずっと一定なこと。ESPのゴーストの凄さは、単純なテーマをベースに全員が好きなように吹いたり弾いたり叩いたりしていることなので、なんとなく違和感がある。アイラーじゃなくて、べつのひとが吹いている「ゴースト」のようにも感じる。うーん、これがインパルス期を経た「ゴースト」ということか。ベースソロもかっこいい。アイラーの熱量はすごい。終わったあとものすごい拍手が来る。アンコール的に続きが演奏される。そのあともめちゃくちゃ拍手がくる。アイラーのソプラノがぶちかまされ、メアリー・パークスの「はれほれひれはれ……」というわけのわからんボーカルがフィーチュアされる2曲目の「ラヴ・クライ」(これもアンコールなのか?)。この「はれほれひれはれ……」が「クライ」の部分なのか。クレージーキャッツの「シャボン玉ホリデー」でのギャグが元だというが、実際、アイラーよりそっちのほうが早い可能性も……ないこともない。アイラーの力で押すようなソプラノはいいですねえ。最後にもう一度「はれほれひれはれ……」の波が来る。3曲目は「ザ・ラスト・アルバム」にも入ってるメアリー・パークスの歌伴。途中までルバートでアイラーのソロからインテンポになる。アイラーがずっと追求してきた「スピリッツ・リジョイス」的な「フリーのようでフリーでない」真摯な演奏。4曲目はマリア・パークスがソプラノで、アイラーもソプラノによる即興。パークスのソプラノはおそらくあまり評判はよくないような気がするが(セルマーのジャズメタルをガバッと奥までくわえて吹いている)、こうして聴くと、問題ない。ソプラノのデュオになるのだが、なかなかどうしてその場限りの演奏としてはすばらしいソプラノデュオではないか。5曲目もアイラーのテナーとベースのデュオではじまり、メアリーのソプラノが入ってくる。確信犯的なフリージャズで、メアリーにめちゃくちゃやらせておいて、アイラーはドレミファなリフを延々と吹く。これがアイラーの音楽なのだ。アイラーに関してはいろんなひとがいろんなことを言ってるが、結局これがすべてなのではないか。そして、それは音楽の根源にかかわる演奏なのだ。6曲目はテナーが主体となったパワフルな即興。とにかくこういうのを聴いているだけでうれしいのだ。なんとなく「ゴースト」っぽいけどね(というかほとんどゴーストでは?)。この演奏は当時のアイラーが極めたひとつの境地だと思われる。大拍手のあと、7曲目はこれも執拗なアンコールだと思われる。アイラーとメアリーのスキャット(?)が大々的にフィーチュアされる演奏だが、これでも聴衆は熱狂している。うーん、なるほど……当時のフランスでのアイラーバンドの人気というのをもうちょっとちゃんと把握しないと、この演奏のことはわからないものかもしれない。そのあとまたしても脅迫的なアンコールが来る。よほど、この聴衆にアイラーははまったのだろうと思う。3〜4枚目についてはすでにレビューをしてある音源が多いが、今回の再発(?)に関して若干補足したい(1、2枚目の翌々日の同じ場所での演奏で、カール・コブスのピアノが加わっている)。
CD−3に関しては、3曲目、5曲目、7曲目、8曲目が、CD−4に関しては1曲目、4曲目が「ラスト・レコーディング」に入っていない演奏である。一応、うちにあるLP(日本盤)の「ラスト・レコーディング」と本作を聴き比べてみたのだが、断然、今回の再発(?)のほうが音がいい。アイラーの音も艶があり、迫力というか切迫感が増しているし、ピアノ、ドラム、ベースなどの細かい動きがはっきり聞こえることに関しては、断然今回の盤のほうが良くて、そういう意味でも今回の発売にはめちゃくちゃ意義がある。CD−3の1曲目「トルース・イズ・マーチン・イン」は途中からアイラーが音程のないようなフリークトーンをひたすら吹きまくる展開になり、圧倒的としか言いようがない凄まじい暴風のような演奏である。アイラーの真骨頂だと思う。ただし、この演奏がよくわからないのは、フリークトーンをかましまくっているアイラー(と思われるサックス)が、7分を過ぎたあたりでべつのテナーが右チャンネルから現れるように聞こえる。「ラスト・レコーディング」では音が悪くてよくわからないのだ(あくまでうちにある日本盤ではということだが)。たぶん、アイラーのテナーが高音部の倍音を激しくキーキーいわせている最中に低音の倍音が一瞬出て、それが(録音のせいもあって)かぶったように聞こえているのだろうと思う。2曲目も音がよくなった結果としてものすごく説得力を増したと思う。3曲目は本盤でのお目見えの曲。メアリー・パークスが入る。ボーカルというより「語り」という感じか。生々しい音楽ではある。4曲目はひたすらリフを吹くアイラーで、こういう感じってニューオリンズジャズやカンサスシティジャズ、そしてその後のロックやR&Bとの関係を感じざるをえない。ある種のトランスミュ―ジックという風にも考えられ、終わったあとのぐわああ……っとくる拍手がなんとなくそれを示しているのかも。5曲目は(このアルバムタイトルにもなっている「レヴェレイションズ」という曲は要するに曲名がないインプロヴィゼイションにつけている仮題なのか。この手の曲は「ラスト・レコーディング」ではだいたいカットされているのである。冒頭からアイラーがひたすらゴリゴリ吹きまくるのだが、こういう演奏がこういう音質でもっと多く発表されていたら、この時期のアイラーの評価もかなり変わったのではないか。20分にわたる演奏をずっとハイテンションをキープするというのはなかなかすごい。圧倒的なテナーソロのあと、スティーヴ・ティンヴァイス(と読むのか?)のアルコソロになり、それにドラムがからむ。ふたたびアイラーが登場してまたまた絶叫また絶叫。だれか(メアリーか?)が感極まって叫んでいる声。しかし、アイラーは止まらず、フラジオをキーキーいわすだけのシンプル極まりないソロにありったけのパワーと情感をつぎ込んでいて爽快ですらある。ちょっとデヴィッド・S・ウェアを連想させるようなところもあるな。そのあとドラムソロに雪崩れ込み、アイラー再登場で、一旦終わり拍手が来るのだが、ブレーキの壊れた機関車のようにふたたびアイラーが吹き出してしまう。アイラーがなにを考えているのかよくわからないが、とにかくアイラーが吹きはじめると、バンドがすぐにテンションあげあげでぴったり盛り上げるのはたいしたもんである。そのあとアイラーは吹きながらそのへんをうろうろしているらしくぴーぴーいわせながらマイクのまえに戻ってきて、ふたたびブロウ。いやー、よくもまあこれだけ緊張感が続くよなあ。タフなミュージシャンである。ラストはなんだかヘンテコな即興とおぼしきテーマを吹き出して終演。すげー! 6曲目は一転して朗々と歌い上げるバラード。なんというか、ヨーロッパ的な哀愁も感じさせる曲。7曲目はまた「リベレイションズ」で、この音程のないようなへろへろの楽器がフィーチュアされる(一応テーマはある)。ライナーによるとミュゼットらしいが(ほんまかなあ……)、まったくコントロールできていない。かつての私ならめっちゃ怒ったことだろうが、今はこういうのへろへろ系もOK。音程がめちゃくちゃなミュゼットを聴き続けているとだんだん不思議な気分になってくる。ピアノやベース、ドラムもよく伴奏しているなあ、という感じ。8曲目はメアリーの深いボーカルがフィーチュアされ、アイラーのオブリガードとの相性もばっちりです。アイラーはこういのをやらせるとほんとに上手い(テナーの音色もすごくいい)。
4枚目に移り、1曲目は激しい曲で最初メアリー・パークスのソプラノがフィーチュアされる。ときどきアイラーがバックリフみたいなものを吹いているが、基本的には前半部分はパークスに全面的にソロを任せている。パークスはかなり荒削りで一本調子ではあるが(ようするにめちゃくちゃに近い)、とにかくこれだけの聴衆をまえにして7分ぐらいの即興をやりまくるのだからたいしたもんである。そのあとアイラーが登場するがマイクを移っているらしく、聴いていてちょっと混乱する。アイラーはさすがに安定のフリーキーさである。そのあとカール・コブスのパーカッシヴなピアノソロになり、アイラーのテナーが再登場、そこにメアリーのソプラノも加わってぐちゃぐちゃになるが、演奏のビートはずっとキープされているのでいくら過激にブロウしても破綻しない(アイラーはずっとフラジオ一発で通している)。途中からはアイラーが全体をリードしてエンディング。この演奏もほぼ20分ある。やるほうも聴くほうも体力と集中力を必要とする演奏である。2〜5は「ラスト・レコーディング」に入ってる演奏。2はおなじみの「スピリッツ・リジョイス」。たしかにアイラーのこの曲の吹き方を聴いているとホッとする。学生のころ、はじめて聞いたときは「なんという変な曲だろう」と思ったものだが。3曲目もおなじみ「スピリッツ」。この曲もアイラーが吹いてこそ、のテーマであって、微妙な抑揚やダイナミクスなどがあいまってこのかっこよさ、というか個性が出るのである。テーマのあとのアイラーはびっくりするぐらいの馬鹿テクで吹きまくって驚く。いやー、これはすごい。猛烈なエネルギーとテクニックによって成立しているすさまじい音楽。この4枚組で、アイラーがここまで普通の意味でのテクニックを露わにしたのははじめてでは。怒涛の如く押し寄せてくる感じでまごまごしていると吹き飛ばされそうだ。4曲目はR&Bっぽいリズムとテーマの曲。ボーカル入り。5曲目はどうやらアンコールナンバーで、ピアノとベースを主な相方として演奏されるバラード。アイラーのいろんな曲の断片がちらっと顔を出す。カール・コブスのピアノが美しいです。またしても盛大なアンコールの拍手が沸き起こり、はじまった6曲目はこれまたおなじみの「ミュージック・イズ・ザ・ヒーリング・フォース・オブ・ジ・ユニバース」で二日前はコンサートの頭で演奏していた曲をこの日はラストに持ってきた。昔この曲をはじめて聴いたときは、なんという大げさであからさまで押しつけがましい表現か、と思った。とにかく歌詞が嫌だったし、それを盛り上げる(?)音楽も「なんじゃこれは」という感じのあまりにありがちなものに感じたのだ。直球も直球すぎるやろ、というか……正直、今聴いてもその感覚はまったく変わっていないが、「嫌」ではなくなった。というか、1970年には彼らがこういう表現を是としていて、それを聴衆が欲していた、ということなのだなあ、と思いながらこの演奏を聴くと、いろいろ感慨がわく。日本では1970年のこんにちわーとかいって万博に浮かれており、そこにはヨーロッパのフリージャズオールスターズが来日して演奏している。そういうときの、この演奏なのだ。アイラーのテナーはメアリーの愛だの癒しだのといった歌詞を真摯に伴奏していて、それを聴衆は熱狂とともに受け入れている。ラストはメアリーが「サンキュー・ベリー・マッチ」を繰り返してエンディング。
考えてみればこの2枚組、すべてを通してアイラーの「1曲」といってもいいぐらい、同じ曲調の曲が並ぶが、アイラーはそういう生涯を貫いたのだということかもしれない。このラストレコーディングがフルバージョンでしかもいい音で再発されたことの意義はめちゃくちゃ大きいのではないか、と思う。アイラーをはじめて聴くというひとに勧めるのがこの4枚組でもまったくかまわないのではないかと思った。このアルバムのブックレットにはロリンズ、シェップ、デヴィッド・マレイ、ジョー・ロヴァーノ、ジョン・ゾーン、カーラ・ブレイ、ビル・ラズウェル、ジェイムズ・ブランダン・ルイス、ゾー・アンバ……といったひとたちのアイラーの音楽についてのインタビュー(このアルバムのためのものではないけど)が掲載されていて圧巻だが、それとともにこのときのアイラーの写真が多数掲載されている。それらにおいてアイラーは笑い、ブロウし、汗を光らせている。どれひとつとして悲壮なものはない。こんな風にパワフルに、精力的に、ひたむきに演奏し、高らかに笑っていたミュージシャンが数カ月後にみずから命を……というのは考えられないことなのだが……。私が言えることはこのアルバムが傑作ということぐらいである。