「THE OTHER SHORE」(BOXHOLDER RECORDS BXH040)
EXUBERANCE
ルイ・ベロゲニスとロイ・キャンベル・JRの双頭バンドで、ウィルバー・モリスに捧げたアルバムらしい。オーネット・コールマンの初期の演奏を忠実に引き継いでいるような、変態バップ的なテーマからソロ回し……という非常にシンプルで地味な、だが、ある意味ストレートアヘッドでシリアスな演奏が並んでいる。ロイ・キャンベルは好きなプレイヤーだが、大味なところと小味なところが同居しており、曲によってそのどちらかが出る。一方、ベロゲニスは「うまいな〜」と思う。悪い意味ではない。フリージャズの八方破れ的なところがなく、楽器がよく鳴っているし、フレーズやスケールを普通にうまくアーティキュレイションをつけて吹けるし、普通の意味でテクニシャンである。だが、そういった普通の技術というものはフリージャズをやるうえではときに足かせになる。自由に吹こうとしても、そういった「培った技術」みたいなものが顔を出す。そんなミュージシャンは多い。しかし、このルイ・ベロゲニスやアシーフ・ツァハーなどは、ありあまるテクニックを足かせにせず、逆に道具にしている点で新しい世代のフリージャズミュージシャンだと思う。やっぱりフリージャズだってうまいほうがいいよなあ、と思わせてくれるアルバム。だが、ベロゲニスには、ラシッド・アリとのデュオで延々一曲20分……みたいなパワーミュージック的側面もあり(ラシッド・アリの項目参照)、決してこの盤での姿がすべてではないが、こういった小気味よい短編集的フリーもちゃんとできる、というのは大事なことだと思う。いちど生で見たいものです。双頭バンドなのだが、プロデュースその他からして、ベロゲニスの項目に入れた。アイラーレコードからこのバンドのライヴもでているようだが、それは未聴。聴いてみたいなあ。
「BELLS」(KNITTING FACTORY WORKS KFW190)
PRIMA MATERIA WITH RASHIED ALI
「プリマ・マテリア」というのは、ルイ・ベロゲニスがリーダーのカルテットで、そこにラシッド・アリがゲストで加わったものではないか、と思っていたが、このグループは、ほかにも「ピース・オン・アース」「メディテイション」といったコルトレーンにトリビュートしたアルバムを残しており、そのいずれもラシッド・アリが参加しているので、もしかしたらラシッド・アリとベロゲニスの双頭バンドなのかもしれない。ある資料には、もともとベースにウィリアム・パーカーが参加しており、2ベースだったが、パーカーは脱退した、とあった。まあ、よくわからん。とりあえず、ベロゲニスがライナーノートを書いているし、(ラシッド・アリとともに)プロデュースもつとめているので、ベロゲニスの項目に入れた。ニッティング・ファクトリーにおけるこのグループのライヴで、収録曲はなんとアイラーの「ベルズ」のみ。一曲が1時間5分15秒という長尺ものである(ただし、5パートに分割されている。5パート目はただのメンバー紹介で、こんなものわけてもしかたないと思うけど……)。音楽をいいとこどりでダウンロードし、アイポッドで何百曲と持ち歩くような今の時代にとうてい受け入れられる音楽ではないが、こういうアホでエネルギッシュな試みこそ大事にしなくてはならない。で、肝心の演奏だが、やはり1時間強のあいだテンションを維持するのはなかなかむずかしいようで、ダレる瞬間もある。だいたいが似たような展開ではあるし、ラシッド・アリが例によって「気持ちはあるんだけど、技術が……」的荒っぽい、型にはまったドラムをずっと叩いていて、演奏家もさることながら聴き手のほうがテンション維持がむずかしい。しかし……しかしである。それにしてはなかなかがんばっているほうだと思う。アルトのひとはぜんぜんしらんひとだが、フリーの嵐のような演奏のなかで、朗々とメロディックなラインを吹き、存在感を示す。ルイ・ベロゲニスは相変わらずのすばらしい吹きっぷりで、さすがにアシーフ・ツァハーと並ぶ若手フリーテナーの雄だけのことはある(私が言ってるだけだが)。ベロゲニスのファンなら買って損はない一枚。ただし、ラシッド・アリがどうも……というひとには向きません。
「TWICE TOLD TALES」(DIW RECORDS DIW−944)
LOUIE BELOGENIS
最初聴いたとき、めちゃめちゃおもろいけど、テナー吹き以外にとってはどうかな……と思った。たとえば、ギターのひとが何人か集まってのライヴなどを聴いていると、本人たちはいかにも楽しそうに「お、そうきましたか。じゃあ、私はこっちから」「なるほど、さすがですね。でも私なら……」「おお、それ知ってるのか。私だってほら……」みたいな感じで和気藹々、喜々として弾いているにもかかわらず、我々ギタリストでない人間には、なにがおもしろいのかさっぱりわからないような演奏ってあるでしょう? このアルバムは、音楽的にももちろんかなり高いところにあるとは思うが、正直、ちょっとそういったギターミュージック的な部分に片足を突っ込んでいる感なきにしもあらず……と思った。で、久しぶりに今回聴き直してみたのだが、いやいや、やっぱりかっこええなあ、ルイ・ベロゲニスとトニー・マラビーが組んでるのだからあたりまえか、聞き所満載やなあ、と感心した。フリージャズ+びしびしのキメ……みたいな演奏は、どちらかというとマラビーの音楽ではないかと思うが、リーダーはベロゲニスなのであった。──しかし、こういう聴き方も、じつは私のテナーサックスオタク的な耳によるものかもしれないが。こういった「テナーサックスミュージック」的な演奏というと、リーブマンがらみのものをいろいろと思い出す。エルヴィンのライトハウスは、エルヴィンの存在によってそうなることを免れているが、近年のリーブマンのリーダー作でテナー二管のものは、かなりの確率で「テナーオタク」向けになってしまっているのではないか、と内心思っているがどうだろう(だから、あかんというわけではなく、逆に私にとっては喜びではあるが……)。あと、タイトルがすばらしいと思った。このアルバムにぴったりである。
「REJUVENATION」(ESP−DISK ESP4052)
FLOW TRIO
テナーのルイス・ベロゲニスのワンホーン、ピアノレストリオによる演奏。最近しばらく名前を聞かなかったが、こうしてがんばっているのを知ってうれしい。ただ、内容は、ときどき聞いているほうの緊張感が途切れる瞬間があるかも。最初から最後まで、おなじようなタイプの演奏が続くのも、その一因か。ベロゲニスのテナー自体は立派で、ガッツのある、野太いブロウを聴かせてくれるが、トータルではもっとストレートに、果敢に攻めてくれたほうが好きかも。バンド名が浮遊トリオなので、そういった、ややふわふわした感じを出そうとしているのかもしれない、とは思いました。
「BLUE BUDDHA」(TZADIK TZ4010)
BLUE BUDDHA
えーっ、あのルイ・ベロゲニスが? TZADIKから? しかもトランペットがデイヴ・ダクラスでドラムがタイショーン・ソーリーでベースが……げっ、ビル・ラズウェル? どうなっとんねん! もちろんただちに聴いた。めちゃめちゃええやん。これまでのベロゲニスは、遅れて来たアイラー系テナーで、ラシッド・アリなどにかわいがられながら、ニューヨークの仲間たちとアンダーグラウンドシーンでがんばってる、私好みのテナー奏者……という感じだったのだが、本作では完全に一皮も二皮も剥けたような自信にあふれた音楽を展開しており、ああ、やはりこのひとは凄腕だった、いいテナーにはいいリズムセクションが必要だなあと思ったが、単にテナー奏者としてだけでなく、ここで繰り広げられている音楽自体が従来よりもずっと大きな世界観のあるものになっており、きっと本作で開花したというより、これまでもこのひとはこういう深い音楽をやりたいと思っていたのだが、場に恵まれなかっただけなのだと感じた。そらまあ、これだけのメンバーを集めるには金もかかるやろからなあ。でも、とにかく本作は凄くて、なかでもビル・ラズウェルの存在は大きく、演奏をかなりキワキワのキレキレなものにしている。そしてもうひとりはタイショーン・ソーリーのアグレッシヴかつ包容力のあるドラム(めちゃかっこいい!)。このふたりの作り出すリズム世界に、ベロゲニスのテナーは真っ向からドストライクのブロウをぶち込んで、ディープでスピリチュアルで、かつフリーキーな演奏が繰り広げられている。こういうセッティングで聴くと、たのひとのテナーの音の艶やかさや楽器コントロールの見事さもあらためてわかるなあ。ゆったりしたロングトーンの音にほれぼれする。2曲目のドラムとの激しいデュオも最高。いやー、コンポジションもいいし、めちゃくちゃ気に入りました。もちろんデイヴ・ダグラスもすばらしいですよ。やっぱりこれはジョン・ゾーンのプロデュース力なのかなあ。ゾーンは、ベロゲニスの演奏を聴いて、共演者はたぶん、えーと……こいつとこいつと……あとこいつがいいんじゃない? みたいに適格な人選をしたのだろうと思う。ベロゲニスの本当の実力というか音楽性はこれまでもその片鱗は感じられていたのだろうが、今回のセッティングにおいてはじめて完璧に発揮された、といったら言い過ぎだろうか。作曲・構成力をはじめ、アブストラクトなプレイ、モーダルなゴリゴリしたプレイ、フリーキーに暴れ倒すプレイなど、底の深さと幅の広さを存分に見せつけて感動的である。一種のオールスターバンドなのだが、オールスターたちを相手にまったくひけをとらずに自分のなかに呑み込んでしまう大物ぶりにちょっと感涙。本作がベロゲニスの到達点であり、また新たな出発の第一歩でもあると思う。がんばれベロゲニス。応援してまっせ! 傑作。なお、本作はルイ・ベロゲニス名義ではなく、ブルー・ブッダというバンド名義らしい。
「WINTER GARDEN」(ESP−DISK ESP5040)
FLOW TRIO WITH JOE MCPHEE
フロウ・トリオというのはルイ・ベロゲニス率いるピアノレストリオでベースはジョー・モリス、ドラムはチャールズ・ダウンズ。前作も聴いた記憶がある(というか、今CD棚を見たら前作のESPの同じ盤が2枚あるではないか。どういうことだ)。本作はそこにジョー・マクフィーが加わったカルテットなのだがESPから出るというのがなかなか感慨深い。ベロゲニスはこの手の演奏が好きなひとにはおなじみのテナー奏者で、ラシッド・アリとのプリマ・マテリアでの共演その他はなじみ深い。現代にアイラーをはじめとするフリージャズ初期の亡霊を蘇らせようとしているミュージシャンである。本作は1曲目からその魅力全開で、ベロゲニス、マクフィーという2本のテナー(ベロゲニスはCメロサックスの比率がかなり高い。マクフィーは本来アルトやソプラノなども吹くがここではテナーだけで押し通している)がひたすらゴリゴリブロウする。アコースティックで自由でパワーに満ちてい……いわゆる60年代フリージャズの尻尾を引っ張ったような演奏で、そこがめちゃくちゃ魅力的なのである。これはブラックミュージックがどうとか、初期フリージャズがどうとか、ということとは関係なく(関係あるかもしれないが)、こういう演奏はどこかブルースを感じさせるものなのである。テナーのふたりはひたすら真摯に、フルトーンで、熱く吹きまくる。それだけでもう十分であって、正直、そこには「即興とはなんたらかんたら」という能書きはない。4人がひたすら互いの音を聴き合い、楽器に息を吹き込み、叩き、弾く……それがすべてである。その結果が、こういっか一種の即興ブルース(形式としてのブルースではまったくないのだが)に到達する、というのは驚異である。全員でクラスターをぶつけあう……みたいなことの結果がブルースっぽくなる。このあたりのことが、オーネット・コールマン以来の「フリージャズ」と呼ばれる音楽の秘密なのかもなあ、と思ったり思わなかったり……。とにかく1曲目冒頭の「ガツン!」という衝撃が大きい。この録音時、マクフィーは80歳だが、叫びながらテナーをブロウしており、その迫力はベロゲニスのゴリゴリぶりに負けずとも劣らない。いやー、たいしたものです。精神力や創造性があっても、管楽器であるサックスを吹くには肉体的な部分も大事だが、マクフィーはそれらすべてが衰えていないのだ。フレッド・アンダーソンのようにフリージャズのリヴィングリジェンドとしてこれからも元気でバリバリ吹いてほしいものだ。とにかくヨレヨレさがまったくなく、「音」の説得力があるのが凄いよなー。ベロゲニスはあいかわらずパワフルで、いったい今は何年だ、と言いたくなるぐらい、初期フリージャズの衝動そのままの激奏だが、結局、これぐらい一直線に、楽器を鳴らしまくり、ひたむきに吹いたら、聴き手は感動するということなのだ。それはブロッツマンが証明していることでもある。ほかの奏者との比較はあまりしたくはないが、ベロゲニスに関してはどうしても「アイラー」という言葉が出てきてしまうが、アイラーの音楽の持つ「音色」「音量」「ビブラート」「叫び」……といった基本的要素をこのひとも備えているからそう思うのだろう。同じフリージャズでも、サックスに息を入れてそこから出てくる「音」そのものにどういった意味を持たせるか、で表現は大きく変わってくるが、そこに焦点を当てたのがアイラーであり、短期間しか活動しなかったアイラーが今なお多くの奏者に影響を与えているのは、それが大きな理由だと思う。ベロゲニスは(そしてマクフィーも)、譜面に書かれたCならCの音を吹いても、そこに個人個人のヴァイブレーションを込めることによって、だれが吹いても同じにはならない、というすごく当たり前のことをここで証明している(この話はけっこう奥深いしややこしいので、ここではこのぐらいにしておく)とにかくひたすらかっこよくて、テンションの高い、アコースティックでシンプルな演奏がぎっしり詰まっている。「さすがに2021年にこれはなあ。もう少しひねりはないのか……」というひとはアイラーもシェップもファラオも聴かないのか? この「ひねりのなさ」を今維持することのむずかしさとか、私はいろいろ考えながらも感動しました。ジョー・モリスとチャールズ・ダウンズもすばらしい。傑作!
「TIRESIAS」(PORTER RECORDS PRCD−4057)
THE LOUIE BELOGENIS TRIO WITH SUNNY MURRAY & MICHAEL BISIO
タイトルがなんのこっちゃわからなかったがギリシャ神話に出てくる予言者テイレシアースのことだそうだ。知らんがな(有名なひとらしい。ナルキッソスやオイディプスを占ったのもこのひとだとか)。本作はベロゲニス本人はもとより、サニー・マレイもベースのマイケル・ビシオもすばらしい演奏で、ベロゲニスのかなり多いリーダー作中でも代表作といっていい内容ではないかと思う。めちゃくちゃよかった。ベロゲニスといえば強いビブラートと朗々とした音色、フリーキーなフレーズなどを積み合わせたパワーミュージック的なフリージャズ表現をするテナーの猛者だが(まあ、はっきり書けばアイラー的である)、その目指すところに本作の共演者ふたりはばっちりはまった。ある意味、ベロゲニスがよく共演しているラシッド・アリ(本作はこの録音の2年前に亡くなったラシッド・アリにも捧げられている)よりも、サニー・マレイは合っているのではないか……とか思ったりもした。曲はコルトレーンの「アラバマ」を除いて全曲ベロゲニスのオリジナル。1曲目は「闇が落ちたとき」という意味深なタイトルで、ベースの小刻みなアルコではじまり、シンバルが加わる。そして、いきなりベロゲニスの低音のオーバートーンが炸裂して、一気に気分はESPレコーズ。ヴァイブレーションの塊のようなテナーとベースの弓弾き、マレイのどこでノッてるのかわからないような、全体を包み込むドラム……いやー、ESPの頃のアイラーの録音がもっと鮮明だったらこんな感じではないか、と思う。そして、サニー・マレイの低音を響かせた呪術のようなドラム、痙攣しているかのようなベース、テナーの咆哮などが絡み合う。最高ですねー。2曲目は「盲目の予言者」というタイトルでこれも「テイレシアース」と関係しているのだろうな(テイレシアースは盲目の予言者なのです。ライナーによると、「アラバマ」を除く本作の収録曲はすべてギリシャ神話の予言者や吟遊詩人の歌に関係がある、と書いてある)。マレイの低音をドスドスいわせる独特のドラミングではじまる暗黒の祝祭日のような演奏。テナーのフレーズは書いてあるのかどうかわからないが、たぶん全部即興だろう。なんだかよくわからないが自由勝手でかっこいいドラムソロのあと、ベースがピチカートで凄まじい斬り込みを見せる。最後はテナーが悪魔を召喚するかのように朗々と吹き上げ、ドラムとベースがそこに絡みつく。この曲などは「ゴースト」の反射のひとつだろう……と思ったが、え?「プロフェシー」……? というわけで、3曲目も「予言者」というタイトルで、なるほど、これはもうはっきりとアイラートリビューションのアルバムなのだな、とわかってきた。この曲ではビシオはインテンポでベースを弾き、マレイはなんだかわからないドラミング。そして、ベロゲニスはぐじゃぐじゃと巨大な紙屑を押しつぶしていくようなソロ。テナーが消えて、ベースが激しさを増し、ドラムもどんどん前に出てきて、熱気が最高潮になったときにふたたびテナーが登場する。この曲もまさに呪術的儀式を表現しているように聞こえる。最後は付け足しのようなドラムソロが消えていく。4曲目はタイトルチューンで、19分ともっとも長い演奏。ドラムのブラッシュとベース、そしてテナーの3人がそれぞれ距離を取った、というか、「間」を置いた演奏をはじめて、それがじわじわと距離を詰めていく。テナーは、ときにフリーキーに、ときに押しつぶしたようなへしゃげた音色で、ときに倍音を混ぜて、さまざまな音を、急がず焦らず押し出していく。そして、ベースがインテンポになってパターンを弾き出すが、急に沸騰したりすることなくじっくりと沸かしていく。ベースが太い音でソロをはじめ、それが7拍子のパターンになり、ベロゲニスが(おそらく)テーマらしい音列を吹き始める。なるほど、ギリシャ神話だと言われたらそうなのか……? ドラムが入り、このアルバム中ではいちばんリズミカルな曲調になる。それにしてもサニー・マレイのドラムはヘンテコで、面白く、聴いてて飽きない。高校生のときに「スピリチュアル・ユニティ」ではじめて聞いて、なんちゅうわけのわからんドラムや、と思ったが、こういう遊び心のあるひとなのだ。もしかしたら、ハン・ベニンクにも通じるかも……なんちゃって。とか思いながら聴いているあいだも、ベロゲニスはクールかつ熱くブロウをかます。このドロドロネチネチした感じは、けっこうこういうテナーのひとに共通しているような気がする。一旦リズムがなくなり、マレイのドラムソロ。これも変なソロだ。途中でテナーが出てくるが、マレイのソロに触発されたのか、変なソロで最高。そして、そのままベースが入らずに演奏は終わっていく。どういうこっちゃ! 5曲目はコルトレーンの「アラバマ」で、「ライヴ・アット・バードランド」に入ってるスタジオ録音曲。ベロゲニスが柔らかい音で無伴奏で吹き始め、すぐにアルコベースと重々しいドラムが入る。コルトレーンらしいじつに重厚な曲調の曲だが、なぜベロゲニスがコンセプトアルバムである本作にこの曲(アラバマ州の教会で、KKKに襲撃されて殺された4人のこどもにコルトレーンが捧げたもの)収録しようと思ってかは、長文のライナーを読んでもわからなかった(読み落としたのかも)。しかし、短いがなんともいえない慟哭を感じる演奏で、バラードといっても3人が自由に、付かず離れずひとつのものを作っている。そして、ラストの6曲目だが、速い4ビートでめちゃくちゃかっこいい(たぶんテーマはない)。ここでのベロゲニスは、前の曲に続いて、コルトレーンが乗り移ったかのような凄まじい咆哮を連発していてすごい。もしかしたら(これは勝手な想像だが)1〜4はアイラー、5,6はコルトレーンへのトリビューションなのでは、と思ったりした。3分あまりで、ひたすらベロゲニスが咆えまくって終わるが、この重厚で手応えのあるアルバムの最後にふさわしい演奏だった。傑作!
「LIVE AT TONIC」(DIW RECORDS DIW−940)
LOUIE BELOGENIS
これはすごい傑作で、どうして今までレビューしていなかったのかわからんが、とにかく大好きなアルバム。これが日本盤として発売されたときの衝撃は今でも覚えている。まあ「いまどきのおかたやおまへんなあ」と言いたいような演奏なのだ。CDはラシッド・アリの名前がかならずいちばん先に記されていて、どう考えてもラシッド・アリのリーダー作のように思えるのだが、日本盤ではルイ・ベロジナスのリーダー作という扱いなのでそれに従っておきます。プロデューサーがベロジナスで、副プロデューサーがジョン・ゾーンと杉山氏、デザインがイクエ・モリというすごい面子なので、実質的にはベロジナスのリーダー作ということでいいのだと思うが、とにかくそういったことがどうでもよくなるぐらい熱い演奏だ。本作が私がベロジナスの演奏にはじめて接したアルバムだから、というのも大きいのかもしれないが、とにかく「すげーっ」と思った。そのあとプリマ・マテリアをはじめ、いろいろ聞いたが、本作が一番衝撃的だ(今聞いても)。一曲目の、中音域の濁った音でブロウしまくるテナーは圧倒的で、それにガチンコで応えるウィルバー・モリス、ラシッド・アリもすばらしい。ベロジナスの魅力はやはり「音」で、中音域を中心とした濁った、すばらしい音が武器である。もちろんそこから高音部に狂っていくあたりがアイラーを連想させるのだが、多くのフリージャズテナーがフリークトーンを武器にしているなかで、ベロジナスは基本的には中音域で言いたいことを延々とまず言ったうえで、そこから展開していく。それはたとえばアイヴォ・ペレルマンなども同様で、とにかくしっかりした中音域でのソロが全体を支えているのだ。ここでのベロジナスのソロは、特殊なことはなにもしていない、本当にストレートアヘッドな「フリージャズ」の語法を使ったブロウであって、この真摯な演奏が聴衆だけでなくアルバムのリスナーにもしっかり届いたのだろうと思う。ラシッド・アリのドラムは、前衛的というより非常にオーソドックスなものの延長で、確信に満ちた演奏のように聞こえる。べロジナスのカーブドソプラノはへしゃげたような音色といい、アイラーやコルトレーンの影響うんぬんでは語れないオリジナリティあふれる演奏だと思う。4曲目は即興なのだろうが、めちゃくちゃ速いテンポでベースが16ビートのパターンを刻み(サンバかもしれない)、ベロジナスがひたすらブロウしまくる熱い演奏。タイトルはロリンズの「イースト・ブロードウェイ……」を連想する。このフリーキーな感じは本当に「フリージャズの黄金時代を思い浮かべてカンドー」みたいな感じになってしまい、それはさすがによくないような気がする。フリージャズもノスタルジイとともに語られるようになったらヤバイ。いや、でも……マジでそうなってるのだろうなあ、この2001年の時点で。。帯にも「こんな時代だからアイラー系、コルトレーン系」という文章があったが……。しかし、2001年といえば宇宙の旅であって、今から20年以上まえなのである。この音源自体がノスタルジーの産物のように思われてはいろいろマズい。ノスタルジーの極致ともいうべきバンパクとかいうものもあるらしいから……。5曲目はアイラーに捧げた曲だというがまさにベロジナスがアイラーになりきって吹いている。この時期でいうと、ヴァンダーマークとかマーズとかがアイラーの良さ(精神的なものだけでなく、奏法とか全体の音楽観も含めて)をしっかり見極めてトリビュートしはじめたころで、そのひとりがベロジナスだったのだと思う。ここでのテナーはまさにアイラー的で、めちゃくちゃかっこいい(もちろん第一にベロジナス的である)。6、7曲目はコルトレーンの曲だが、6曲目の超アップテンポでのラシッド・アリのドラムとゴリゴリのテナーの対峙には感動。ラシッド・アリもこの時点ではバリバリのジャズドラマーで、6曲目のものすごく長いドラムソロなどは「ジャズ」であります。ラストの7曲目はコルトレーンの「スピリチュアル」で、もとはルバートの曲をインテンポで演奏しているが、これがまためちゃくちゃかっこいいのであります。ライナーノートはあまりよろしくない感じがするので、まずは音を聴くことをおすすめします。傑作!
「PEACE ON EARTH(MUSIC OF JOHN COLTRANE)」(KNITTING FACTORY WORKS KFW158)
PRIMA MATERIA
プリマ・マテリアはラシッド・アリ〜ルイ・ベロゲニスの双頭グループと思われるが、今までに4枚のアルバムが出ている。本作はアラン・チェイスというアルト奏者が入っており、このひとはバークリーで学んで、そののちアンソニー・ブラクストンやロスコー・ミッチェル、ジョージ・ルイスらが携わっていたクリエイティヴ・ミュージック・スタジオで学んだらしい。主にフリージャズ系の人脈とともに活動しているらしい。本作は「メディテイションズ」と同じようにウィリアム・パーカーが入った2ベース編成で、このグループの初アルバム。コルトレーンに捧げられている。本作が注目すべき点はジョン・ゾーンがゲストで入っていることで、選曲はたしかにコルトレーンの曲ばかりだが、いわゆるモード期の曲で、「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」とか「コルトレーン・カルテット・プレイズ」とか「アット・バードランド」とかあのあたりの曲を取り上げているのも興味深い(だいたい一発もののマイナー曲ばかり)。コルトレーンのあの重量感には欠けるが(エルヴィンやマッコイがいないのだから仕方がない)、雰囲気のある演奏である(やや軽いスピリチュアルジャズという感じか? そんなのあるのか?)。1曲目、ラシッド・アリのバウンスするモードジャズ的なリズムのうえに乗って、ジョン・ゾーンはギョエーッというノイズとモーダルなフレージングを組み合わせたような演奏や細かいテクニックをぶちかまして耳をを引く。同時にルイ・ベロゲニスはヘヴィなブロウーをそこにかぶせてくる(これがやっぱりいちばん好みである)。アラン・チェイスはソプラノ、ベースデュオもめちゃくちゃいい。しかし、全体の雑さというか豪快さはいなめない。コルトレーンのこの曲「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」の「スピリチュアル」)の原曲の、ジャズクラブでの演奏なので雑然とはしているが聴いてみるとかなり硬派なスピリチュアルジャズ的である……といった感じはない。もっとていねいに一筆一筆描いたらでとは思うが、これが限界なのかとも思う。最後のテーマのあとのぐじゃぐじゃがまた長い。2曲目はルイ・ベロゲニスのテナーとラシッド・アリのデュオ。どう考えてもコルトレーンとの「インターステラー・スペース」を彷彿とさせる演奏である。とてもいいデュオだが、ラシッド・アリのドラムが「ここぞ」という感じではなく、全体にだらりとスウィングする「ええ感じ」になっているのと、「インターステラー・スペース」のようなテナーの一音でぶっ飛ばされるような衝撃がなく、ゆったりとしたフリージャズ独特のスウィング感に包まれているのはやはり惜しい。最後だけアンサンブルになって、ベースのアルコを中心とした延々たるフリーな展開になるがもしかしたらこの曲の聞きどころはこの部分かも。そのあとグロウルしながらテナーが登場して終演。3曲目は「コルトレーン・カルテット・プレイズ」に入ってる曲だが、アップテンポではじまりジョン・ゾーンのアルトが激しく炸裂する。そのあとアラン・チェイスのアルトがその対比のように入ってくる。これはどちらもすばらしい演奏だと思う。そしてテナーが登場し、がっつり吹きまくる。まあ、こんな感じの音楽である。私は正直、こういうのが好きなのだが、またか、雑やな、うるさいな、みたいに思うひとがいても不思議とは思わない。ある種のパワーミュ―ジックなのはわかっているのだから。最後はラシッド・アリのドラムソロになって終演。このバタバタな感じのドラムが、慣れてくるとけっこう快感になってくるのが不思議。4曲目は一番長い(19分弱)の「インディア」だが、これも「インプレッションズ」に入っていた曲。つまり、コルトレーンのモード期の曲をフリージャズとしてとらえようとしている……みたいに評論家が言うような感じでしょうか。2ベースのデュオが長々と続き、ひたすら至福の境地に至っていると、6分30秒ぐらいから管楽器とドラムのアンサンブルが登場する。インテンポになり、(おそらく)アラン・チェイスのなめらかなソロがはじまるが、正攻法のていねいな演奏で、エグくはないが好感が持てる。そのソロに縦からも横からもからみつくように2ベースがすごい演奏をしている。そのあとリフがあって、ベロゲニスのテナーがグロウルしながら登場。エッジの立った音色で吹きまくる。なんともひたむきで情熱的なブロウで、アラン・チェイスのソロとは真逆の、細かいことは置いといて感情をほとばしるまま吹く、という感じの演奏。つまりは、いつものベロゲニスというべきか。オーソドックスなドラムソロがあって終演。ラストの5曲目は「アラバマ」で、「ライヴ・アット・バードランド」に入ってる曲。「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」と「アフロ・ブルー」に注目がいってやや影が薄いかもしれないが、コルトレーンがこの曲に込めた慟哭は非常に重い。アラン・チェイスはソプラノでベロゲニスのテナーと二管でテーマを奏でる。テーマとその変奏だけの演奏ではあるのだが、それぞれのソロがなくてもじゅうぶん堪能できる。
やはり全体に(二曲だけだが)ジョン・ゾーンは流れを変えようとしたり、いろいろ試してみたりとかなり積極的に仕掛けてくる感じだ。それと、ツイン・ベースがものすごく効果的で、ベースだけ聴いていても楽しいぐらいに主役級の活躍をしている。では、リーダー格のラシッド・アリはどうなのか……というと、非常にオーソドックスな演奏をしていて、印象はやや薄い。なお、プリマ・マテリアで検索するとボーカルグループ(インドのラーガ、モンゴルのホーミー、チベット仏教のチャント……などを組み合わせているらしい)のアルバムがヒットするので注意。