「WORSHIPPERS COME NIGH」(SILKHEART RECORDS SHLP−111)
CHARLES BLACKEEN QUARTET
このチャールズ・ブラッキーンというテナーのおっさんが大好きなのだ。これも、会社員になってすぐのころ、仕事でも人間関係でもいろいろうっとうしいことも多く、これが一生続くなら死ぬなあ、と思って鬱々としていたころ、シルクハートでの諸作を聴いて、なんとなく目からうろこが落ちた。べつに、新しいことをしているとか、すごいことをしているわけではまったくなく、どちらかというと、朴訥で、下手ウマなテナー吹きがたどたどしく淡々と演奏しているわけだが、ふんぷんたるブラックな臭いとか、その奥から感じられるマグマのような情熱とか、フレーズの端々から聴こえてくるものすごい「ガッツ」とか、ああ、こういう演奏も「あり」なんだ、こういう人生も「あり」なんだ、と勇気づけられた。ほんと、シンプルでわかりやすい演奏ばかりで、オル・ダラ、フレッド・ホプキンス、アンドリュー・シリルという筋金入りのブラックミュージシャンを従えて、堂々たる風格で吹いている。たとえばボン・フリーマンとかフレッド・アンダーソンなども彷彿とさせるような、これしかおまへん的なサックスである。もともとオーネット・コールマンの影響を受けたひとらしいが、このアルバムでは、メンバーがメンバーなのに、フリーというよりはどちらかというともっとモードジャズ的な演奏になっていて、しかも、全体からは吹きすさぶような自由を感じさせるのだ。すぐに「ジョアン・ブラッキーンの元夫」のような形容をされがちだが、私ははっきり言って、ジョアン・ブラッキーンなんかどーでもいいんです。このチャールズ・ブラッキーンの無骨なテナーが好きなんです! かっこええなあ。ジャケットの写真を見てもわかるが、共演者全員、どう見てもヤクザです。主役のチャールズ・ブラッキーンもスキンヘッドで強面すぎるやろ。なお、プロデュースはデニス・ゴンザレスだが、彼はラッパを吹いていない。
「ATTAINMENT」(SILKHEART RECORDS SHLP−110)
CHARLES BLACKEEN QUARTET
「ワーシッパーズ・カム・ナイ」とおなじときの演奏。こちらのほうが翌日の演奏のようだが、発売されたのは(たぶん)早い。こちらもおなじぐらい凄まじいブラックジャズの嵐が吹き荒れている。まるで野武士のようないかつい演奏である。そう、野武士というのはいい得て妙な表現だったかもしれない。このチャールズ・ブラッキーンたちの風貌といい、演奏といい、聴いていると「七人の侍」を思いだすのだ。技術や理論を超えた、もっと人間の深い、根源的なところで彼らは演奏している。ファラオ・サンダースやビリー・ハーパー、チャールズ・トリバーだけがブラックジャズやおまへんで。このチャールズ・ブラッキーンこそがその代表なのだ、と私は思う。だいたいジャズは白人がやろうが黄色人種がやろうと宇宙人がやろうとすべてブラックミュージックだったわけだが、いつのころからこんなブラックジャズのような表現ができたのか。とにかく聴いていると、マイケル・ブレッカーのようにものすごいフレーズを早吹きするわけでもなく、情に流された演奏をするわけでもなく、ファラオ・サンダースやガトーのようにフリークトーンに魅力があるわけでもなく、ブロッツマンやエヴァン・パーカーのように即興の極北を追求しているわけでもなく、いろいろなものに色目を使い、なんでも取り入れ、どちらかというと、もっさりした、ええとこなしの、田舎臭い感じの表現に、なぜかしら心踊り、なにか熱いものが身体の奥から込み上げてくるのだ。なんというか……すごい確信というか自信があるのだと思う。かっこええよなあ……ほんと、めちゃめちゃかっこええ。でも、そのかっこよさは、こうこうだからかっこいいのだ、と文章であらわすのはむずかしいタイプのかっこよさなのである。聴いてもらうしかないし、聴いたひとの半分ぐらいは、なんでこれがかっこええの? と思うだろうこともわかる。でも……かっこいいんです! 「ワーシッパーズ・カム・ナイ」よりも若干フリージャズっぽいかなあ。でも、どちらもよい内容である。フレッド・アンダーソンにしても思うことだが、彼らの演奏のフレーズの幾ばくかはたぶん指癖なんだろうなあ、と思うのだが、それがまったく指癖に感じず、束縛のない自由さを感じるのだ。だれですか、人徳だとか言ったのは。でも、そんな感じさえする、理屈のつけにくい「自由さ」なのであった。本作のB面の二曲など、ほんと、鼻歌みたいな自由な演奏なのであります。
「BANNAR」(SILKHEART RECORDS SHCD−105)
CHARLES BRACKEEN QUARTET
チャールズ・ブラッキーンのテナーが大好きなのだ。シルクハートには本作を含めてリーダー作は3作あって、あと、アーメッド・アブダラーの作品に一作、デニス・ゴンザレスの作品に3作加わっているのだが、どれもだいたいベースがマラカイ・フェイヴァースでドラムがアルヴィン・フィールダー……という共通のリズムセクションで、ほとんど1987年に録音されている。本作もそんななかの一枚だが、めちゃくちゃ意欲作で、1曲目は「スリー・モンクス・スーツ」という組曲で、スリーなのに7つのパートに分かれており、ライナーを読んでもセロニアス・モンクとどう関係あるのかはわからない。ブラッキーンはずっとペラペラの音色のソプラノを吹いていて、これがまたいいんですよねー。自身が「これはフォークミュージックであり、ピープルミュージックだ」と語っているように、ほぼ全編、即興はなく、ひたすら譜面がこなされていくが、それはチンドン的な、あるいはヨーロッパの街角の音楽的な、メロディをひたすら反復することによってリズムもハーモニーも感じさせるようなタイプの、ある種根源的な音楽だ。素朴で、稚拙で、ひたむきで、どこか間が抜けていて、楽しい。これを1曲目に持ってきたことで、本作を聞くものは全員、このフリージャズではまったくない、わらべ歌のような音楽と向き合うことになる。2曲目は、オーネット・コールマン的なオーソドックスでアコースティックなフリージャズで、血や汗の匂いが感じられる、つまりわたしの好みの演奏で、こういうテナーの重厚な手触りは本当に好きだ。ファラオ・サンダースのようにテクニカルに絶叫することもなく、ブロッツマンのように過激になにもかもぶちこわすようなめちゃくちゃもせず、巌のようにゴツゴツした手触りのフレーズを重ねていくその真摯で圧倒的な存在感のある演奏は、たとえばフレッド・アンダーソンなどを思わせる滋味がある。3曲目は、アラーの神への賛歌なのか。ブラッキーンとゴンザレスによるコーラスがフィーチュアされるスピリチュアルジャズ。かっこいい。コーラスのハモりが、微妙にずれているところも含めてすばらしい。ファラオの「ハム・アラー・ハム・アラー・ハム・アラー」を想起させる。4曲目はブルースなのだが、ベースの武骨なランニングや、テーマのハーモニーがブルースっぽさを否定する。だが、やはりブルースなのだ。マイナーブルースだか普通のブルースをモードっぽくやっているかすらわからないこの大づかみのブルースが、ものすごく心地よいのである。5曲目も、モードというか一発もの的な曲だが、ブラッキーンのテナーは、上手いとか下手とかいう次元を超えてぐいぐい迫ってくる。6曲目は2曲目の別テイクだそうだが、とにかくひたむきな演奏で、しかも「まだまだ言いたいことがあるんだよね」的な「言い尽くせていない」感じがたとえばシェップとかとは違うんだよねー(シェップももちろん大好きなのですが)。傑作としか言いようがない。
「MELODIC ART−TET」(NOBUSINESS RECORDS NBCD 56)
MELODIC ART−TET
チャールズ・ブラッキーンとアーメッド・アブダラー、ロジャー・ブランク(「タウヒッド」に入ってるひと)が中心になり、大規模で商業主義のジャズコマーシャリズムに反抗した形で行われたのがこのグループらしいが、アブダラーのものすごく長いライナーを読むと、政治的なものが背景にある音楽である。それを切り離して純粋に音楽として楽しむこともできるのかもしれないが、そういう聞き方はできない。ただ、めちゃくちゃ熱くて上質の音楽である。ライナーには当時のロフトシーンに関する詳述もあって面白い。中心人物はブラッキーンとブランクとアブダラー。ベースはずっとロニー・ボイキンズだったが、本作ではウィリアム・パーカー(22歳でこの演奏!)であり、トニー・ウォーターズのパーカションが加わっている(アーメッド・アブダラー、ロニー・ボイキンズといい、サン・ラーがキーマンになっていることは間違いない)。アコースティックで、70年代のフリージャズ(という言葉の使い方は難しいが、ここはあえてフリージャズ)的なまさに濃密な演奏が繰り広げられるのだが、やはりオーネット・コールマンの最初期のころを彷彿とさせる。もう少しテナーが大きく録音されていたら言うことないのだが、その分、ベースやドラム、パーカッションははっきり聞こえてすばらしい。ブラッキーンの武骨で熱量のあるテナーは本当にすばらしく(ソプラノもめちゃくちゃいい)、長いあいだ「リズムX」しかリーダー作がなかったが、その後のシルクハートでの大活躍は皆さんご存じのとおり(シルクハートにはアーメッド・アブダラーのリーダー作もあり、それにも参加している)。本作は74年録音なので、「リズムX」とシルクハート期のあいだを埋めるものである。この時期、ブラッキーンがこういった緊張感と躍動感のある演奏を継続して行っていたことが、本作の発売で我々にも容易にわかるようになった。全部で80分とけっこう長尺だが、あっという間に聴き終えてしまう。それぐらいこちらの骨髄にぐさぐさ入ってくるような真摯な演奏で、酔っぱらってるときに聴くと(なぜか)涙ぐんでしまうような、それぐらいのストイックさがある。ライナーも、資料的な価値のあるチラシ類などもたくさん掲載されている、めちゃくちゃ気合いの入った理想的な形での発売なので、多くのひとに聴いてほしいと思う。ブラッキーンは、たとえばファラオ・サンダースやアルバート・アイラー、アーチー・シェップのような派手なブロウをするひとではなく、まあ、はっきり言って地味でごつごつした巖のようなテナーを吹くひとなので、パッと聴いたら、なんとなくピンと来ないというひともいるかもしれないが、これが聴けば聴くほどスルメのような味わいというか、ほんとにすばらしいです。本作は5人とも最高なんですよ、ほんと。アーメッド・アブダラーも力強い演奏で、ブラッキーンと双子のようなソロを繰り広げる(とてもストレートな演奏だが、3曲目のラストでフラッタータンギングをぶちかますところなんかかっこいいーっ!)。最後になったがコンポジションもいい(1曲をのぞいて全部ブラッキーンの曲)。傑作。ただし、2曲目の冒頭で右横で咳をしまくるひとがいてどうも気になる。