ed blackwell

「WHAT IT IS?」(ENJA RECORDS CRCJ−1025)
ED BLACKWELL

 1992年に亡くなったエド・ブラックウェルによる死去の2カ月まえのライヴレコーディングだそうだが、ブラックウェルは20年にわたって人工腎臓を携帯する生活だったそうで、普段は東海岸に住んでいるブラックウェルにとってロスでの演奏は移動も含めてなかなかきつかったようだが、本作はブラックウェルの旧知のドラマー、エディ・ムーアを偲ぶプログラムだったため、「ムーアのためなら参加するよ」とブラックウェルが決断して実現したプロジェクトだったようだ。そして本作はブラックウェルにとって生涯たった1枚のリーダー作ということになった。わからんもんやなあ。ブラックウェルといえば、シャープとか知的とかバカテクとかそういったドラミングとは正反対の、プリミティヴで優しく、自然発生的でその場の思いつき的な、つまりフリージャズ的なドラムを極めたひとだという印象があり、ドン・チェリーのドラム版的なイメージがあるが、ここでもそういった力の抜けた、軽くて楽な感じの、自分を主張しないドラムは健在だが、じつはこのゆるーい、無農薬的というかのんびりというか呑気というか、そんなドラムが全体を仕切っている、というのも聴いていて如実にわかる。共演者はカルロス・ワード、グラハム・ヘイズ、マーク・ヘライアス。1曲目はワードの曲でめちゃくちゃかっこいい。ひとつのスケールを主体としているだけなのに、いい曲だと思う。ワードはもっと直情的なブロウもするがここでは、オーネット的なぐねぐねしたラインを吹いている。そしてグラハム・ヘインズのスカッとしない、ぐにゃっ、べちゃっとしたトランペット(コルネットですが)もこのグループにすごくあっている。2曲目もワードの曲だが、たしかにオーネット・コールマン的なぐじゃっとしたバップ……みたいな感じはあるが、ざっくりとアフリカンな曲調といっても間違いではないと思う。え? ドン・チェリーじゃないの? という声があっても不思議はないようなヘインズのぬるいソロはしみじみするし、つづくワードのソロはアルトなのに不思議とデューイ・レッドマン的な朴訥さが感じられる。3曲目はマーク・ヘライアスの曲で完全にアフリカっぽいモードの曲。ゆったりとした大河の流れを感じられるような演奏で、ベースソロもたっぷりフィーチュアされる。ワードのフルートもクラシック的な奏法を忘れてしまったかのような素朴な演奏。4曲目はマイナーなラテン曲で、ここでもワードのフルートが炸裂する。ヘインズのミュートコルネットのゆるい叙情もたまらんなあ。ブラックウェルのドラムソロもあるのだが、死の二カ月まえのソロとは思えないめちゃくちゃ「しっかり」した演奏である。このソロを「さすがに往年の力はないが」とか「シャープさは欠けているが」とか「最晩年のソロとして評価する」みたいな評があるとしたらそれはまちがいである。ブラックウェルはずっとこうだったのだ。ここには、そのエッセンスだけが残っているのであって、このソロはブラックウェルそきのものだ。5曲目は「マレット・ソング」という曲で、ブラックウェルのマレットをフィーチュアしながら残りの3人が和風(?)のリフを吹くという曲。いやー、しかし亡くなる2カ月まえにこれというのは、さすがに感涙である。ちゃんと叩けている、というレベルではなく非常に創造的である。最後の曲もワードの曲。のっけからワードの、いろんなものの入り混じったスタイルのソロが存分に味わえる。それを受け継ぐ形で現れるヘイズのコルネットもワードと同じくさまざまなスタイルの入り混じった、息の長いフレーズをぐねぐねうねうねと吹きまくる疑似バップ的な感じで、テンションをキープしつつさまざまな場面を作り出していく。司会者がブラックウェルとそのメンバーを賞賛するが、この2カ月後に亡くなるとはマジで信じられない話である。もし本作を聴くかたがあれば、亡くなる2か月前の作品であることは頭の片隅に置いておいていいかもしれない。