「UGETSU」(RIVERSIDE RS9464)
ART BLAKEY
ショーターが入っているジャズメッセンジャーズの演奏は数多く、ブルーノートを中心にレーベルも多岐にまたがっているが、本作はライヴであり、その充実度も群を抜いている感がある。私はとにかくめちゃめちゃ好きですね。A面B面どちらもよいが、まずはA面から順番に聴いていくと、いきなり甲高い声で「アート・ブレイキー! アンード・ザ・ジャーズ・メッセンジャーズ……」という名物司会者が紹介し、シダー・ウォルトンの「ジャッジャッ、ンジャッジャッ」というリズムのイントロ、そして「ワン・バイ・ワン」のテーマが始まる。これがなんともいえずいいテンポなのである。もう少し速く演奏したいところをぐっとゆったり目のテンポでグルーヴさせ、4小節目でブレイキーのあまりに露骨であまりに野卑なフィルインがあって、ドカーンとバンドが爆発する。かっちょええーっ! 作曲者であるショーターの「太い音色で歌う鼻歌」のような不思議なソロがすばらしく、つづく各人のソロもよい。また、「日本のファンタジー」と紹介される、アルバムタイトルともなっているシダー・ウォルトンの「ウゲツ」は難しいキーで難しいチェンジだがそれを感じさせない、黒々としたさわやかな、ちょっと言葉で言い表せないような新しい魅力をもった曲である。後年、シダー・ウォルトン4の「イースタン・リベリオン2」や「サード・セット」などでは「ファンタジー・イン・D」というタイトルになっていた。ほかの曲もどれもよくて、あっというまにA面B面を聴き終えてしまう。もちろんショーターの作曲、編曲、変態的で力強いなソロが中心的な魅力だが、ハバードもフラーもジミー・メリットもシダー・ウォルトンも、そして御大ブレイキーも全員が個性を出しつつ、その個性ががっちり組み合わさった稀有な作品だと思う。今にして思えば、この頃のメッセンジャーズは、若手が持ってくる新しい波とブレイキーの古くからのやりかたがちょうどいいバランス、ちょうどいいパワーで均衡がとれていた、若手たちにとってもブレイキーにとってももっともいい時代だったといえるのかもしれない。名盤です。
「ANTHENAGIN」(PRESTIGE P−10076)
ART BLAKEY AND THE JAZZ MESSANGERS
73年録音で、ショーター、モーガン、ハバードらを擁したゴージャス3管時代のあと、メンバーの入れ替えがいろいろ激しくなった時期(ゲイリー・バーツとかフランク・ミッチェル、ジョン・ギルモア、チャック・マンジョーネ、ビリー・ハーパーなどなど)を経て、75年ごろからのビル・ハードマン〜デイヴ・シュニッターという上手いがやや小粒感のあるメンバーで地道に行きましょうという感じに落ち着く間の、レコードとしては「チャイルズ・ダンス」に続くもので、ウディ・ショウ、カーター・ジェファーソン、スティーヴ・トゥーレという、今から考えるとめちゃめちゃすげーっという感じの70年代3管と、シダー・ウォルトンが音楽監督的な役目を務めているあたりが本作の売りであって、それはまさに私の好みにぴったりなのである。ちなみに、このころは一般的にはメッセンジャーズの低迷期という風に思われていて、録音も少なく、このあとボビー・ワトソンが入って音楽監督的になり、そして、マルサリス登場で完全にふたたび時代の最先端に躍り出るわけだが、この「アンセナジン」というアルバムは、知ってるひとはめちゃめちゃ知ってるが、知らないひとはあんまり知らないという作品で、内容はものすごくクオリティが高い最高の演奏が詰まっている。もっぺん言いますが、ウディ・ショウ、カーター・ジェファーソン、スティーヴ・トゥーレ(裏ジャケットでの表記がTURLEYとなっている)ですよ! しかも、6曲中シダー・ウォルトンの曲が3曲も入っている(そのうちの1曲はあの「ファンタジー・イン・D」、つまり「ウゲツ」の10年ぶりの再演だ)し、音楽的には70年代のあのドロドロジャズの熱気をはらんだモーダルな味わいに満ちている。シダー・ウォルトンが曲によってエレピを弾いていたり(エレピうますぎ)、1曲だけギターが入っていたりと、いかにも70年代的な雰囲気があって、ほんとすばらしい。その分、逆にジャズメッセンジャーズ的な感じは薄いかもしれないが、各曲のバックでズダダダダララとドラムを叩きまくるその音はたしかにブレーキーそのものである。1曲目から、ああ、シダー・ウォルトン! というサウンドで、めちゃかっこいい。まるで「イースタン・リベリオン」だよねー。ソロイストは全員すばらしいが、やはり耳はウディ・ショウの張りつめたようなストイックなテンションのあるプレイに引きつけられる。どの曲でもかっこよすぎる。カーター・ジェファーソンも、ときにフリーキーに逸脱したり、若さあふれるプレイで◎。「ファンタジー・イン・D」(ややテンポ遅い)でも、ボブ・バーグとはちがった良さのあるブロウ(ブレイキーとシダーがめちゃくちゃ煽っている)を展開していてス・テ・キ。2曲目のウディ・ショウの曲も、ウディ・ショウのリーダー作だっけ? と思ってしまうぐらい、完全なウディ・ショウ・ミュージック。B−1のタイトル曲もシダー・ウォルトンの曲だが、ここでのウディ・ショウの、抑えた感じではじまるソロのかっこいいことったらない。ひとりで延々と吹きまくり、吹けば吹くほど新しいイマジネイションが生まれていくようだ。まさに副題の「フィーチュアリング・ウディ・ショウ・アンド・シダー・ウォルトン」というのが看板に偽りなしとわかる。つづくカーター・ジェファーソンもウディ・ショウにならって「抑えめにはじめる」行き方をとっているが、これもしだいにヒートアップしていき、じつにええ感じの崩れ加減のソロになっていく。ボブ・バーグやグロスマンのようにそのあまりのテクニックに呆然としてしまうような演奏ではなく、ああ、わかるわかる! と思わず手を叩いてしまうような私好みのソロなのです。がんばれ、カーター・ジェファーソン! と応援したくなるような熱い演奏。そのあとのシダー・ウォルトンのエレピソロも最初は抑え気味。うーん、もしかするとそういう仕掛けなのかも。どのソロも何コーラス目かで、ずっとチクチク叩いているブレーキーがだんだん盛り上げていき、最終的にはガンガン来るわけで(パーカッションも活躍)そういう趣向なのかも。それにしてもシダー・ウォルトンのエレピ最高っす。B2はピアノの無伴奏のイントロではじまる、ちょっとファンキーな小品。管楽器はお休みで、ピアノトリオ(エレピ)。こういうのもええなあ。最後は、ゴルソンの「アロング・ケイム・ベティ」の再演。ウディ・ショウのソロは空間を切り取るというか、もう見事の一言。そのあと突然ギターソロが出てきてびっくりし、みんなジャケットのメンバー表を見なおすという行為に出る(はず)。なんでこの曲だけギターが入ってるのかは不明。カーター・ジェファーソンの短いソロは、いい意味でもたついた感じ(この表現で伝わるかなー)で私は好きです。ああ、こうしてたまに聴き直すと、ほんま傑作や。メッセンジャーズで一番好きかも。それは嘘か。でも、3本の、いや、5本の指に入るぐらいは好きだ。いつの時代もブレーキーは若いやつらに好きなようにやらせていたのだ。その結果、メッセンジャーズの音楽は統一感がないほどに時代時代で音楽性がころころ変わっていったが、そのことによってメッセンジャーズは長い時代を生き延びた。そして、こうして今の目(耳?)で振り返ってみると、メッセンジャーズはメッセンジャーズであって、それは好き放題やらしていたと思われていたブレイキーが、ちゃーんと要所要所をしめているからなのだろうなと思った。もう一度書きますが、名盤です。とくにウディ・ショウ好きは必聴。ジャケットはしょぼすぎる。あと、トゥーレのソロはありまへん。
「RUTGERS UNIVERSITY,NJ,APRIL 15TH 1969」(HI HAT HH2CD006)
ART BLAKEY & THE JAZZ MESSENGERS
最近いろいろと面白いものを出してくれている放送録音のシリーズだが、本作は二枚組で5曲と、一曲一曲がかなりの長尺。なぜジャズメッセンジャーズを買ったかというと、本作はウディ・ショウとカルロス・ガーネットの2管なのです。しかも「ムーントレイン」をやってる。これは聴かずにはおれませんなー。メッセンジャーズのウディ・ショウというと「チャイルズ・ダンス」とか「アンセナジン」とか「ブハイナ」とかあるわけだが、これはそれらよりも3年ぐらいまえの演奏。音質はかなり良いが、ところどころ音がこもったり、音が途切れたりしている。でも、鑑賞に影響はないし、なにより熱演が詰まっているので問題ない。メッセンジャーズで「ムーントレイン」をやってたとはなあ、と聴いてみると、いきなりブレイキーのロングドラムソロではじまり、テーマのアレンジもなにもかも、ウディ・ショウグループでの演奏とまったく一緒。これは凄い。ウディ・ショウは気合い入りまくりのソロをぶちかますし、ブレイキーのドラムともかみ合っていてすばらしい。カルロス・ガーネットは、「ムーントレイン」にはやや手こずっている印象だが、がんばっている。ピアノがジョージ・ケイブルスというのもいいですね。この曲でベースソロまでフィーチュアされるっていうのもライヴならでは(スコッティ・ホルトというひと)。そのあとまたしてもブレイキーのドラムソロになる。ここはもう、「ああ、ブレイキーやなあ……」という感想しかない。そのあとテーマに戻るが、ドラムソロで走ったらしく、めちゃテンポが速くなっている。2曲目は、「ラウンド・ミッドナイト」。ウディ・ショウがこの曲のテーマをフェイクしながら見事に歌い上げるのを聴くだけでうれしくなってくる。やっぱりウディ・ショウはええなあとしみじみ思います。ドラムがどしゃんどしゃんとうるさく入ってくると、あっ、そうか、これってメッセンジャーズやったんやと我に返るが、ウディのソロはきりりと鋭く怜悧でパッションもあり、ほれぼれする。ケイブルスのソロを挟んで、ウディが超ハイノートで凄まじいソロを吹きまくったあとテーマに戻る。うわーっ、これは凄い。これはウディ・ショウのファンはぜったいに聴かないとね。カデンツァも、いかにもウディ・ショウ的だ。3曲目は、タイトル不明のモード曲。先発ソロは、ラウンド・ミッドナイトでは出番のなかったガーネット。最初こそギクシャクしながら、ややたどたどしげにフレーズをつむいでいくが、ウディ・ショウのハイテンションのバッキングに煽られるように、フリーキーなブロウを展開していく。これはすばらしい! 大味かもしれないが、ライヴならではのド迫力の演奏で、ウェイン・ショーターのような自由さも感じられる。カルロス・ガーネット最高っ。二流だの荒いだのとガーネットにいろいろ文句をつけてる評論家はまとめて相手になるぜ(嘘です)。つづくショウは、そのガーネットのテンションを受け継いで、のっけからハイノートで激しく吹きまくる。ブレイキーは激しいが案外細かいバッキングをしていて、ショウもそれに応えるようにイマジネイティヴなフレーズを繰り出していく。いやー、このころのウディ・ショウは無敵やなあ。ケイブルスのピアノが炎上するような熱気を鎮める。ベースソロが「マイ・フェイヴァリットシングス」を引用したりギャリソン風のスパニッシュギター的奏法を見せたりと、かなり長くフィーチュアされたあと、ブレイキーのこれもけっこう長い、例のパターンのソロがあり、このあたりで聴いてるほうはすでになんの曲だったかわからなくなっている。最後にテーマに入って終了。この曲だけで27分もあるのだ。二枚目に移ると、1曲目は「モーニン」。えっ? そんな曲やってるの、という向きもあろうが、ウディ・ショウがやってるんだから興味ありますよね。先発ソロはウディ・ショウで、ファンキーな感じもちょっとあるけど、やはりウディはウディ。高音部でぴーんと張りつめたような凄いソロを展開する。途中、煽るような掛け声をかけているのはブレイキー? しかし、よくここまでハイノート出るなあ。出るだけじゃなくて、ずーっとそのあたりの音域で吹いてるのだからな。鉄の唇だ。これが後年、あんな風になるとはなあ……。それを思うと悲しい。ほかの、同じような道をたどった金管奏者のこともいろいろ思い出されて、よけいに悲しくなったりして。とにかくフリーでもなんでもなく、ただひたすら真摯に吹いているだけなのに、めちゃくちゃ凄まじいトランペットソロで、もはや「モーニン」だかなんだかわからないぐらい。つづくガーネットのソロは、最初こそ、ちゃんとフレーズを吹いて歌心を示そうとしているが、途中から1枚目の3曲目みたいな、自由奔放勝手気ままなブロウになり、そこからどんどんすごくなっていく。いやー、カルロス・ガーネットって、スタジオ録音の枠には収まらないひとなのだなあ。このソロも、まったく「モーニン」っぽくなくて素敵すぎる。ギョエーッっていってますよ。ベニー・ゴルソンも真っ青だろう。ケイブルスの、これもファンキーからは遠いさすがのソロを経て、ベースソロもたっぷりフィーチュアされるが、このあたりなど完全にモードジャズの雰囲気です。ラストはこれも超おなじみの「チュニジア」で、テーマのところからすでにウディ・ショウは快調そのもの。ただし、テンポが速すぎるからか、ソロに入ると、ブレイキーがやたらめったら煽りまくり、かなり大味な展開にはなる。でも、かっこいいですけどね。これだけドラムに煽られたら、そちらへの反応が主になって、フレーズを積み上げていくような演奏は無理だろうな。つづくガーネットは、相当がんばっていてえらいが、やっぱり、もうちょっとテンポを遅くしたら、すごくいい演奏になっていただろう。でも、このテンポがガーネットの凶悪かつフリーキーなブロウを引き出しており、そういう意味では面白い。自由すぎるというか、途中からはフラジオでひたすらピーピーいってるような、まあ、「めちゃくちゃ」だと言っていい混沌ぶりだが、ブレイキーが「これでいいんだ」といってるわけだから、いいのでしょう。ケイブルスはさすがにしっかりしたソロだが、それでも途中までは手こずっている感じはある(でも、すごくいいソロで、69年の時点ではかなり新しい感覚なのでは?)。いい感じのベースソロもフィーチュアされ、そして、御大のドラムソロコーナーへとなだれ込む。5分以上にわたる激しいドラミング。いろいろなバリエーションが次から次へと示されるが、聴くのもなかなか体力がいる。最後の最後に、ウディ・ショウのカデンツァがあり、そのあとのエンディングもどしゃめしゃになります。というわけで、少なくともウディ・ショウ好きとカルロス・ガーネット好きは聴くべきアルバムだと思う。強烈な2管の個性だなあ。最近は中音域を中心に吹く、というトランペットが多いが、ハンニバルといい、この時期のウディ・ショウといい、こういう感情のたけを狂おしいハイノートに託すような表現を「時代やなあ」で片付けてはいかんと思うがどうか。
「ART BLAKEY JAZZ MESSENGERS」(IMPULSE RECORDS MCAD−5886)
ART BLAKEY
ジャズ・メッセンジャーズ名義であり、タイトルもジャズ・メッセンジャーズというアルバム。うちにあるCDはそうではないが、レコードはとにかく「!」がつきまくっているタイトル。ショーター、モーガン、フラーの3管で、モードジャズ的な曲が多いが、ピアノはボビー・ティモンズでベースはジミー・メリット。聴いてみると、なんともいえない「時代」を感じる。それはつまり大げさにいうとハードバップからモードジャズへと移り変わる歴史の胎動で、1曲目のフラーの「ア・ラ・モード」以外はスタンダード(?)ばかりなのである。とにかく「ア・ラ・モード」がめちゃくちゃいい曲で(私も学生時代にやりました。けっこうこのリフはむずい。シンプルに思えるがかっこよく吹くにはよほど考えなくてはならない)何度聴いても「あー、かっこいい」と思うが同時にノスタルジックな気持ちにもなる。たぶんドラムのせいだと思う。もちろん悪い意味ではなく、この時代のジャズを支えたリズムというのは「これ」だったのである。2管に比べて3管だとアレンジがしっかりしている分自由さにおいて物足りないというひともいるかもしれないが、そんなことはなく、案外、ジャズメッセンジャーズは3管でもこの時期はぐちゃっとしている。マルサリスのころやドナルド・ハリソン〜テレンス・ブランチャード〜ビリー・ピアースのころなどの綿密なアレンジのことを考えると、結局はメンバーのなかのアレンジ担当者の考えによるのだろう。1曲目なんか、ただのリフを「いかに変にハモらせるか」というだけに主眼を置いたアレンジで、じつにシンプルですばらしい。ソロイストはそういううえで自由に遊んでいる。音色やらなにやらをそろえる気はない。しかし、テーマといいアンサンブルといいソロといいしっかりした演奏である。とはいえ、不思議なものでどの曲も、2管より3管……一本管楽器が増えただけなのにアンサンブルパートの比重が大きくなっている。この時期のメッセンジャーズは、ラフだが周到なアンサンブルとそのうえで聴く自由自在なソロ、そしていつものリズム……を聴くのがいいのかもしれない。ショーターがとにかくすごいが、ハバードもフラーもティモンズもみんなすばらしい。この3人は、ソロイストとしてはもちろんだが、アンサンブルを吹いても、ひたすら「個性」のひとなのだ。モーガンがリードを取る「インヴィテイション」の茫洋としたラテン的なアレンジも、同じくラテン系の「サーカス」のユニゾンによるストレートなアレンジも、「ユー・ドント・ノウ……」のおぼろげな春の夜のようなアレンジもいい。「アイ・ヒア・ア・ラプソディ」のヘッドアレンジみたいなアレンジも捨てがたい。ハバードのトランペットソロはぴちぴちと魚がはねるみたいな感じだし、ショーターの変態的なソロもフラーの正統派なソロもシダーのソロも全部いい。ソロ回し的な曲なのだが、ソロ回しにちょっとしたアレンジが有効に働いており、全員がいきいきした演奏を繰り広げている。ラストの「ジー・ベイビー……」はざっくりしたアレンジだが、先発のショーターのソロは頭の線がぶちぎれたような過激なもので、つづくフラーはおっとりと中庸、ハバードは技巧を見せつける……というような各人各様の短い演奏が続く。これは、この時期のメッセンジャーズの才能の豊穣さを示しているのではないかと思う。選曲の妙もあって、傑作になったと思います。
「THE BIG BEAT」(BLUE NOTE RECORDS CP32−9514)
ART BLAKEY & THE JAZZ MESSENGERS
めちゃくちゃすごいアルバムで愛聴盤。ジャズメッセンジャーズでのショーターは、とにかく大活躍なのだが、よくぞまあこんな変態的な吹き方をする超個性的なテナー奏者をブレイキーがフロントにすえたものだと思う。これだけの才能があるのだから当たり前だ! という意見もあるだろうが……いやー、このひとの個性とか才能というのは一歩間違うと、なんじゃこれは! と非難されたり、見過ごされたりする可能性があるぐらいの凄まじいオリジナリティなので、ブレイキーは本当に人材を見いだす力があると思う。本作では、ショーターの作曲力、アレンジ力、ソロイストとしての力……などが全面的に発揮されていて、同じくブルーノートに残した自己の輝かしいリーダー作に匹敵しまくるぐらいの充実した内容だ。リー・モーガンとボビー・ティモンズがいるのに、ファンキージャズとは一線を画した、変態的で凄い作品になっていて、しかもファンキーさもちゃんとある、という稀有なアルバムなのだが、正直、このころのブルーノートのメッセンジャー作品(とかインパルスの「ジャズメッセンジャーズ」とか「ウゲツ」とかも……)は全部ものすごいので、聴いてるとため息が出る。しかし、本作がそのなかでも人気作なのは、たぶんフロントがファットな三管ではなくシンプルな2管で、しかもハバードではなくモーガンというあたりが理由なのかとも思う(ハバードもすばらしいが、モーガンだとぐっとハードバップっぽくなる)。そして選曲。「ダット・デア」が入っている。この「ダット・デア」(学生のころにやったことある)はキャノンボール・アダリーのバンドでの録音にくらべてかなりエグくてシリアスだが、それはたぶんショーターのせいだろう。めちゃくちゃかっこいい! そして、本作を私が愛する最大の理由は「レスター・レフト・タウン」で、これは天才ショーターの天才ぶりを見せつける傑作で、ほんまに、よくもまあこんなすばらしい曲を書いたなあ、と思う。ショーターのぬめぬめとしたソロも最高である。「ポライトリー」や「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」(えげつないアレンジである!)などが入ってるのも人気の理由だとは思うが、私にとってはなんといっても「レスター・レフト・タウン」! かっこよすぎる。ブレイキーの2曲目のドラムソロなどハードバップ的な聴きどころも多い。リー・モーガンがこの時期、めちゃくちゃファンキーなぶりぶりのソロのようで実はかなり新しい表現のフレーズをきっちり入れてきているのも聴きどころか。傑作!