THE OGUN COLLECTION
「LEGACY−LIVE IN SOUTH AFRIKA 1964」(OGCD 024)
BLUE NOTES
聴いてびっくり! なんじゃこりゃーっ。ブルー・ノートがまだ南アフリカで演奏活動をしていたころの超のつく貴重な記録だが、なんと普通のジャズなのである。普通というか、モードジャズですらなく、スウィング〜ビバップの、しかもめちゃめちゃうまい演奏。みんな、ちゃんとたくみにバップフレーズをスウィンギーにつむぎ、歌い上げる。たしかに上出来の演奏だが、こ、こ、これがあのブルー・ノートかと耳を疑う。なかでもテナーのひとは、太い音で朗々と吹き、ラッキー・トンプソンかドン・バイアスか、と思うほどの快演。そうかあ、全然知らんかったけど、南アフリカで演奏されていたジャズというのはこういうごく普通の、ちゃんとした四ビートジャズだったのだなあ。こういうしっかりしたジャズの土台のなかから、ブルー・ノートの渡英以降のああいう表現が生まれていったのだなあ、と改めて思った。もしかしたら、ここに収められている演奏は、彼らの余所行きの顔で、スタジオとかべつのところではもっと先鋭的な演奏に取り組んでいた可能性はあるが……。全曲オリジナルというのが、このあとにつながるやる気というか彼らの見据えている高みを感じる。
「BLUE NOTES FOR MONGAZI」(OGCD 025/026)
BLUE NOTES
一緒に渡英した仲間のうち、まずトランペッターが逝去し、本作は彼に捧げた二枚組。上記のスウィング〜ビバップ的演奏から十年ちょっとが経過して、すっかり変貌したブルー・ノートの演奏。テーマらしきものもあるようでなく、全編即興を主体に押し切る。CD二枚組という長丁場なので、正直ダレるところもあるのだが、なにしろ仲間の死去に捧げた慟哭のインプロヴィゼイションであり、しかも単なる仲間ではなく、南アフリカから命懸けで脱出してきた、いわば生死をともにした同志の死である。演奏者の感情が音楽をこえて噴出する瞬間がたびたびあって、我々の胸をつかむ。カルテット編成だが、ドゥドゥ・プクワナというアルト吹きは私は昔からよくわからない。名前といい面構えといい、ものすごい音でブロウする感じだが、実際には(誤解を承知で言うと)リー・コニッツ的な音色だし(そうでないときもある)、演奏も感情を剥き出しにしてブロウしまくる、というより、非常に抑制がきいて知的な感じである。つまり私はあまり苦手なタイプ(どちらかというと、サックスよりもボーカルとか叫びを担当しているときのほうが私にはグッと来る)だが、このグループを聴く楽しみはほかにあるのでぜんぜんかまわない。やはりなんといってもルイス・モホロとジョニー・ディアニのコンビネーションはすごい。とくにルイス・モホロ。これほど強力なドラムはなかなかいないですよ、マジで。原田依幸のグループでの演奏を京都で聴いたが、やはり強烈な存在感があった。
「BLUE NOTES IN CONCERT」(OGCD 027)
BLUE NOTES
上記と同じメンバーでのライヴ。上記2枚組が感情を剥きだしにした、ひたすら即興を積み重ねる硬派な演奏だったのに比べ、このアルバムはいろんなタイプの曲を演奏していて楽しい。プリミティヴな曲、ダンサブルな曲、さまざまなバラエティがあるのも、この面々が南アフリカで、いわゆるダンスミュージック的なジャズからバップ、モードなど、いや、おそらくあらゆるポップチューンをレパートリーとしていた体験がベーシックにあり、アフリカ人としての民族音楽の素養ももちろん土台としてあって、それらが混合されて、こういう風なごちゃまぜ音楽としてでてきているのだろう。しかし、それがごちゃまぜに聞こえないのは、南アフリカでの長いバンド活動からイギリスにいっしょに渡りそこでもまた辛酸をなめるような暮らしのなかで得た一種の「芯」が一本ずどーんと通っているからだろう。力強く、自信に満ち、前衛的でもあり、またエンターテインメントでもある演奏。ジャズというのは本来こういうものなのだ。ええ曲ばっか。おそらく本作は、当時のこのグループの行っていたライヴの典型だと思うが、それはかくのごときレベルの高いものだった。ここでもやはりルイス・モホロのパワフルなドラムが光っている。ロイ・ヘインズのようでもあり、エルヴィン・ジョーンズのようでもあり、ディジョネットのようでもあり、ハミッド・ドレイクのようでもあるこのグレイトなドラマーがアメリカではなくイギリスで活動することを選んだというのは、画期的なことだ。
「BLUE NOTES FOR JOHNNY」(OGCD 028)
BLUE NOTES
ついにジョニー・ディアニが亡くなり、ブルー・ノーツも3人になってしまった。これはそのディアニの追悼ライヴの様子。ベースがいないので、普通は代役を入れるのだが、ここではアルト〜ピアノ〜ドラムという編成で、あくまでオリジナルメンバーにこだわった演奏が展開する。しかも、曲は亡くなったディアニのコンポジションが中心という大胆な試みである。正直、時期的にも渡英から20年近い歳月を経ていて、ドゥドゥ・プクワナのアルトなどかなりへばっている感じもあるのだが、そこは追悼演奏であり、南アフリカからやってき苦楽をともにした仲間の死を悼む思いがストレートにあふれでて感動的である。とくにヴォイスを使った(というか、抑えられぬ感情が自然と表に噴出しているような)部分は今聞いても3人の思いが伝わってくる。巧拙とか理屈をこえたもの、というのは、文章ではよく言われるが、実際にはなかなか耳にすることはない。しかし、ここにある演奏はたしかにバランスのとれた編成とか選曲とか技術的な問題とかを超えていると思う。じつは20年以上まえにディアニのリーダー作を聴いて、それがフュージョンみたいなものだったので、そういった先入観を払拭するまで時間がかかったが、いまではもちろんブルー・ノーツの連中が大好きです。この4セット5枚組のボックスは、これからも折に触れて聞き返すことになると思う。この黒々とした舌触り(耳触り?)はあとをひく。アメリカジャズの模倣のようでいて、じつはその根源に迫る音楽なのだ。