lester bowie

「THE GREAT PRETENDER」(ECM RECORDS ECM 1209)
LESTER BOWIE

レスター・ボウイのこの一枚、と言われたら、真っ先に本作を推薦したい。もう、めちゃめちゃ好きです。無人島に持っていく準備もできております。ボウイのリーダー作といえば、ブライスの入った「フィフス・パワー」とか二枚組の大作でアリ・ブラウンの入った「オール・ザ・マジック」、ジュリアス・ヘンフィルらを加えた「ファースト・ラスト」、ジェイムズ・カーターのイントロデューシング的なニューヨーク・オルガン・アンサンブルの二枚……など、いいものがたくさんある。そんななかでも本作は別格のすばらしさだ。いつもは、ラッパの音をねじまげて、諧謔と嘲笑のかぎりをつくし、暴走しまくるレスターが、このアルバムにおいてはなぜか、非常にドストレートな演奏をする(場面が多い)。これを聴くと、レスターのトランペット奏者としての根本的なうまさ、というか、トランペットできちんとメロディを即興的につむいでいく能力、タンギングを含むアーティキュレイションの良さ、リズムへのアプローチ、そしてラッパを慣らす能力……などが非常に高いということを思い知らされる。これは、まあ正直言って、アート・アンサンブル・オブ・シカゴのメンバーのなかでもピカイチのレベルの高さだと思う。サックスのふたりは、その音楽性の高さとはべつに、サックス演奏者としてはマルチリードであることを言い訳にしているような面もなきにしもあらずなのでなおさらレスターのトランペッターとしての技量がクローズアップされるのだ。とはいうものの、本作においても、レスターは、すばらしい音色で「おおっ」というようなラインを吹きまくったかと思うと、すぐにはぐらかしたり、唾液のような汚い音を混ぜたり、妙なリズムを並べたり……と、あいかわらずの暴れぷりも見せつけて、一筋縄ではいかないのだが、このアルバムに関しては、そういった逸脱も含めてすべてがレスター・ボウイという一トランペット奏者の個性として、破綻なく完全に一続きにつながっている感じなのである。16分以上もあるA−1のタイトル曲がなんといっても白眉だが、ほかの曲も全部すばらしい。ポップチューンをテーマにしていても、まるでゴスペルのように聞こえたり……というあたりの解釈ぶりも楽しいし、A−1だけに参加しているハミエット・ブルーイットのバリトンも最高のソロを披露する。レスターのソロ作における盟友ともいうべきドラムのフィリップ・ウィルソンもじつにリーダーと息の合ったプレイだし、ベースがエレベをぺんぺんいわせるのもおもろい。ときどきボーカルやボイスが入るのも、このアルバムがひとつの世界を完結させている感じがじつによく出ていて、もう言うことありません。本当にすごいミュージシャンだったなあ、レスター・ボウイ。グレイト・プリテンダーというのは、あなたのことですよ。

「GITTIN’ TO KNOW Y’ALL」(MPS POCJ−2553)
THE BADEN−BADEN FREE JAZZ ORCHESTRA

 よく、バーデン・バーデン・フリージャズ・ミーティングでのライヴと思われているが、じつは「バーデン・バーデン・フリージャズ・ミーティング」のために集められたメンバーによるスタジオ録音である。ジャケットもかっこよくて、昔、学生時代、LPで出たときに買ったのだが、そのときはうちのしょぼいスピーカーではちゃんと聞こえず、数年後に売ってしまった。フリージャズ初期には、小編制は十分やったから今度はオーケストラだ、みたいな時期があって、こういう大編成がやたらと試みられたが、「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ」みたいに、はっきりしたテーマとソロイストがいて、残りのメンバーはリフなどで盛り上げる、といったタイプのものは聞きやすいが、いやいや、それは本当の意味でのフリージャズのオーケストレイションとはいえない、やはり大編成でも「フリー」にやらないと、という考えのひとが出てくるのももちろん当然のことである。しかし、なにしろフリージャズ・イコール・ギャーギャー叫ぶ、みたいな解釈のミュージシャンも中にはいたから、サウンドとしてコレクティヴインプロヴィゼイションのときはひたすら団子みたいになってしまい、ずーっとモチャーッとした混沌とした演奏が続くだけで、うーん……パワーの発露はわかるんだが、ダイナミクスがないとだんだん飽きてくるよなあ、という印象の演奏がたくさんあったような気がする。私にとってはこれもそういう一枚で、結局売ってしまったわけだが、なぜ今回買い直したかというと、あのころそんな風に思っていたアルバムを最近CDで聴き直すと、なかなかええやん? いや、めっちゃええやん、俺の耳ってアホやった? という感想を抱くことが多いからである。それってどういうこと? つまりは、スピーカーがしょぼかった、とかそういう理由ではなく、じつは、LPとCDの差なのか? それともミックスがすごく良くなっているのか? いずれにしても、そういう大編成のグチャーッと聞こえていた演奏が、CDだとクリアに各楽器が聴き取れて、快適快適……ということがけっこうあって、それならば、と名盤の誉れ高き本作にも再度チャレンジしてみたわけである。今からは考えられない位豪華なメンバーで、主要なメンバーだけみても、トランペットにはレスター・ボウイ、ケニー・ホイーラー、トロンボーンにはマンゲルスドルフ、エジェ・テリン、リードにはジョセフ・ジャーマン、ロスコー・ミッチェル、アラン・スキッドモア、ハインツ・ザウアー、ゲルト・デュデュク、ジョン・サーマン、ウィリアム・ブロイカー、ギターにテリエ・リピダル、ピアノにデイブ・バレル、ベースにバール・フィリップス、ドラムにスティーヴ・マッコール、トニー・オクスリー……総勢21人のすごいメンツをそろえた本作が、悪いわけないじゃん、といいつつ、さて今回はどういう感想を抱くのか、とわくわくしながら聞いてみると……まず1曲目と2曲目の長尺演奏(あわせて30分以上)が本作の白眉であって、全メンバーを揃えてのレスター・ボウイ指揮(?)による集団即興である。フェスティバルの名前が「フリージャズ・ミーティング」で曲名(アルバム名も)が「ギッティン・トゥ・ノウ・ヨール」つまり「あなたたちのすべてを知ろうとして」みたいな感じであり、フリージャズを発明(?)したアメリカ黒人(の第二世代というべきか)と、その影響を受けつつも独自の発展をしつつあったヨーロッパの若手の顔合わせなのである。それも激突とか衝突ではなく、タイトルのように「仲良くしましょうよ」的な邂逅らしいのである。あらためて聴いてみると、なるほど、冒頭の導入部的な部分をはじめ、そこからの発展、そして混沌のなかに響きわたり、また没入するソロ……といった展開は、コンダクションがある程度あるのだなあ、と思ったり、細部まで注意が払われているなあ、とは思ったが、やはりぐちゃぐちゃはぐちゃぐちゃであって、かなり真剣に何度かチャレンジしたが、途中でダレるところがある。つまり、昔の印象とさほど変わらないのだった。しかし、失敗作とか駄作というのではなくて、フリーなソロにはフリーなアンサンブルで応えましょう、という考え方はすごくよくわかるし、アメリカとヨーロッパのフリージャズが、現在ではやすやすと越えてしまっているその壁を、当時はこういった手さぐりで越えよう、あるいは手をつなごう、としていたのだなあ、というドキュメントとしても貴重だ。しかし、本作においてなによりもおもしろいのは、3曲目以降であって三曲目は八人編成のテリエ・リピダルグループで、カーリン・クロッグのボーカルがフィーチュアされる(このあたりも、アメリカの当時のフリージャズにはない感覚だったと思われる)。四曲目はそのカーリン・クロッグの4トラック重ね録りによるひとり即興アンサンブル。すごくいい。そして、五曲目はウィリアム・ブロイカーとジョン・サーマンのバスクラデュオ。曲調もモンク的、あるいはドルフィー的でめちゃめちゃおもしろいが、私は「ダンケ」の梅津〜原田バスクラデュオを連想した。あれもドイツ(から帰ってからの録音だっけ?)だよね。なお、だれのリーダー作というわけでもないが、もっとも尺をとっているレスター・ボウイのコンダクションによるタイトルチューンに敬意を表して、この項に入れた。

「THE ORGANIZER」(DIW RECORDS DIW−821)
LESTER BOWIE NEW YORK ORGAN ENSEMBLE

 アート・アンサンブル以外にもブラスファンタジーなどさまざまなグループを作ったレスター・ボウイが1991年に結成したグループの第一作。個人的には「グレイト・プレテンダー」と並んでかなり好きなアルバム。当時、「ジャズ批評」誌で副島さんがメールスのレポート中に、若手のサックス奏者ジェームズ・カーターについて紹介し、その演奏の凄まじさと、終わってからインタビューしようとしたら、サックスを吹きながらずっとこえう出して唸り続けていたため、声が枯れてしまってインタビューできなかった、というエピソードを書いておられ、読者である我々は「どんな凄いやつなんや!」と聴きたい気持ちを募らせたものだが、それが最初に実現したのがディスクユニオンから出たこのアルバムだった。それだけでもこのアルバムは価値があるというものだ。このバンドは、黒人音楽の大きな分野のひとつである「オルガンサウンド」にスポットを当てたものでオルガントリオ、オルガンジャズはもとより、R&Bやブルース、ゴスペル、ロックインストなどにもオルガンのゴージャスで真っ黒なファンキーなハーモニーは欠かせないが、それにフリージャズの要素をプラスするという思いつきはレスター・ボウイならではのものだ。メンバーもめちゃめちゃ豪華で、レスター、カーターにスティーヴ・トゥーレの3管編成に、オルガンはアミナ・クローディン・マイヤーズ、ドラムはドン・モイエとフィリップ・ウィルソンが分け合うという凄さ。曲も、フリーっぽいものは皆無で、ハードバップ〜R&B的なサウンドのなかでソリストがぎりぎりまで暴れる、というブラックエンターテインメント志向の強いものだ。なにしろ、アルバムの1曲目の最初のソロイストがジェームズ・カーターで、その時点でボウイのカーターへの期待と信頼が絶大だとわかるが、それに応えてカーターは太く濁った音でうねるようなソロをする。そして2曲目はな、な、なんとカーターをフィーチュアしたバラード「エンジェル・アイズ」で、ワンホーンで奏でられるこのスタンダードをカーターは黒々と染め、このとき21歳とはとうてい思えない成熟ぶり。なにしろ音の説得力が凄すぎるし、バップ的なフレーズでの歌心もあるし、いやはや信じられんなあ。この「エンジェル・アイズ」で当時我々は度肝を抜かれ、副島さんのレポートは大げさでもなんでもなかった。えらいやつがでてきたなあと噂したのである。その後の大活躍は皆知ってるとおりだが、この1作目からカーターは片鱗どころか全身をあらわにしているのは、レスターも偉いが、DIWも偉い。3曲目はレスター・ボウイをフィーチュアしたシャッフルのブルースで、レスターのソロはジャズの言語から外れないが、そのフレーズの端々のねじ曲げ方はアート・アンサンブルなどで見せる、人間の怒りや笑いや哀しみを切実に感じさせるものだ。ときどき大きく間があいて、どないなったんや、と聴いてるほうが焦ったり、そうかと思うとアミナ・クローディン・マイヤーズのソロのあと、また急に入ってきたりと、このひとはそういうことはあまり気にしないのだろうな。まあセッション的な感じで録音したのだろうが、そういうダラダラした空気感も含めて、めちゃくちゃ人間くさい演奏になっている。4曲目はいきなりボーカルからはじまるが、これはアミナが歌っているのだろう。ラテンっぽいリズムのファンキーな曲で、ボーカルがとにかくインパクトがある。ドラムも弾けている。そのバックで3本の管楽器が集団即興風にオブリガードをつける。こういうのをやらせると、この3人はうまいですなー。そこからカーターのテナーが抜け出してソロをするが、どう聴いても熟練した大物テナーのような風格と味わいがある。5曲目はどこからどう聴いても、ブルーノートに録音されたハードバップのような曲。でもレスターの曲なのだ。オルガンにぴったりの曲調で、さすがわかってらっしゃる。トゥーレのソロもいいねー。最後の曲はレスターの曲で、ブルックリンをモチーフにした組曲らしい。4つのパートに分かれていて、全編レスターのワンホーン。Aパートは、レスターが軽快にテーマを吹くR&B風の曲。Bパートはワンホーンのバラードで鈴の音とともにレスターが美しい音色を聴かせるが、収録時間の関係かすぐにフェイドアウトする。CパートもR&B的な曲調でかっこいい。これもフェイドアウト。そして最後のDパートは鈴の音があちこちで鳴らされ、カチカチというパーカッションの音が聞こえたあと、静寂のなかからレスターが切々と哀愁のテーマを歌い上げ、フェイドアウトとなる。ちょっと最後の曲は全体に断片的でよくわからず、聴いているほうとしては不完全燃焼だが、レスターはきっとどうしてもこの組曲を収録したかったのだろう。というわけで、全体にとっちらかった印象も受けるアルバムではあるが、そのあたりがレスターっぽいではないか。