「LIVE IN HELSINI 1995」(RANDOM ACT RECORDS RAR1018CD)
UMO JAZZ ORCHESTRA WITH MICHAEL BRECKER
だれがなんといっても傑作だ。みんな聴け! 言うことはそれしかない。でも、まあ一応中身について書いてみると、私はブレッカーはめちゃめちゃ好きだが(私が「ブレッカー」と書くとき、それはマイケルのことを示している。ランディではない)、87年のインパルスの「マイケル・ブレッカー」以降のリーダーアルバムは、たしかにすばらしいものが多くて(二枚目が一番好きかも)、メンバーもとびきりゴージャスだし、音楽性もぶっ飛んでるし、曲からなにから文句のつけようがないし、グラミーも取ったし……ではあるのだが、唯一物足りないのはブレッカーのソロ部分で、全体の音楽性に注意がいくあまりか、かつてのような人間とは思えないほどキレッキレのソロをぶちかまして、これは常人ではない! とか、頭がおかしい! とか、凄すぎる! とかスピーカーのまえで叫ぶ……という体験はなかなかできなかった。リーダー作だけでなく、ゲストでフィーチュアされる作品でも、いろいろ考えて吹いてるんだろうなあ的な演奏が多いように(私には)思えていた。なんというか「深み」が出てきたのである。私が「かつてのような」というのは、たとえばブレッカーブラザーズとかステップスとかオーレックスとかスリーカルテッツとかスピークウィズシングルボイスとか……ああいうやつのことで、それは若さがやらせた、深みのないオーバーブロウであって円熟期になったブレッカーはいつまでもそういうのじゃダメだから全体に気を配る音楽家へと成長したわけじゃよ、と言われたらハイそうですねと言うしかないのだが、どこかもやもやしたものが残っていたのです。ところが、1995年という時期に吹き込まれたこのビッグバンドアルバムで、ブレッカーはほぼ全曲でテーマを吹き、ソロを吹きまくっているが、そのソロがすべてキレッキレなのである。いやー、これは凄いなあ。UMOジャズオーケストラというオランダのバンドで、全員相当上手いプロフェッショナルなグループだが、アレンジもいいし、メンバーのやる気も凄くて、ブレッカーはそれに応えて、とにかく鳥肌ものの圧倒的な演奏を繰り広げている。ひゃー、こういうのを聴きたかったんだよなー。1曲目の「インヴィテイション」の冒頭のアレンジからして、もうたまらんなあと思うのだが、それに続くブレッカーのソロをちらっと聴いて、わしゃ涙涙。あの「スラング」も、かっこええビッグバンドジャズになっとるでー。「ニカズ・ドリーム」や「ナットビル」といった(かつてのボス)ホレス・シルヴァーがらみの曲もええなあ。「GINARE」という曲で、オランダの若いテナー奏者マニュエル・デュンカーというひととバトルをするのだが、ライナーでリーダーのRICH SHEMARIAが書いているように、「想像してほしい。あなたのアイドルがあなたの町に来て、テナーバトルをしなきゃならないのだ。デュンカーは怖かっただろうけど、見事にやりきったよ」的な状態だったようだ。その熱気も伝わってくる。いいライヴなのだ。2曲目でフィーチュアされるトランペットソロなど、ブレッカー以外のソロもよく、バンドの質の高さがよくわかる。リズムセクションもすごくいい。とにかくブレッカーファンは絶対聞き逃したらダメなアルバム。ジョー・ザヴィヌルの「ブラウンストリート」(だっけ?)を連想した。あれもよかったよなー。ライナーには、「リハのあいだずっとマイケルはマウスピースを調整していて、なにをしてるんですか、楽器がおかしいのですか、と問うと、いや、新しいマウスピースを手に入れたのでね、もっとダークな音色が出せないかと思って……と答えたので、どうしてですかと重ねてきくと、私はずっと、音がブライトすぎると批判されてきたからねえ、と答えた。なにを言うとるんですか! あなたはマイケル・ブレッカーなのに!と私は言った」というリーダーの文章が載っていて、なるほどと思った。音楽や楽器に誠実な、ええひとやったんやなあ。なお、ライナーにはランディ・ブレッカーやさっき触れたマニュエル・デュンカーの文章も載っていて、それらも感慨深い。ビッグバンドとしても、マイケル・ブレッカーの作品としても傑作。
「THE BOTTOM LINE ARCHIVE」(THE BOTTOM LINE RECORD COMPANY BFD/BLRCD011)
THE BRECKER BROTHERS
ボトムラインでのライブ録音。ランディとマイケルのブレッカー兄弟に、ゲストとして3曲デヴィッド・サンボーンが加わっている。キーボードにドン・グロルニック、ギターはスティーヴ・カーン、ベースはウィル・リー、ドラムにクリス・パーカー、パーカッションにサミー・フィゲロアというひと。今にして思えば超豪華な顔ぶれだが、たぶん当時はみんな友達感覚だったんだろうなあ。ライヴとは思えないほどぴったりの驚愕のアンサンブルだが、このバンドはインストフュージョンバンドという顔以外にファンクバンドであり、豪華ホーンセクションのついた歌入りロックバンドであり……といったコマーシャルな成功を目指す側面もあり、そういう意味でもめちゃくちゃ楽しく、おもろいやろ、かっこええやろ、楽しんでや、どやっ、どやっ……とぐいぐい来る感じである。だから、ランディやマイケルの作る変態的でかっちょいい曲とそこでのエグいソロの数々だけに目を向けるのではなく、ボーカル曲やらなにやら全部丸ごと楽しむのが正しい聴き方だと思う。たしかに「ロックス」とか「ナイト・フライト」とかはかっこいいが、ほかもどれもこれも面白いよ。とはいえ、ドラムとのデュオで炸裂するブレッカーの強力なソロには目が点になるし、エフェクターをかけてのアグレッシヴなソロも凄い(途中でエフェクターを突然切るので、急に普通の音色になってびっくりする)。マイケルは曲のエンディングでハーモニクスを使ったギャーッという音を何度か出しているが、その運指を覚えたてで喜んでるのか? というわけで、ブレッカーブラザーズ好き(とくにマイケル好き)にはたまらん発掘でした。本来は「ブレッカー・ブラザーズ」という項を立てるか、もしくは兄ランディの項に入れるべきかもしれないが、なんとなくマイケルの項に入れてしまいました(今後もそうする)。
「BEST OF MICHAEL BRECKER WORKS」(SONY MUSIC LABELS INC.SICJ 30017〜8)
MICHAEL BRECKER
ずいぶんまえのことだが、タワーレコードに入ったらどう考えてもブレッカーとしか思えないえげつないテナーのブローが延々と聞こえてきて、これはなんだろうとレジのところにいくと、ブレッカーのベスト盤2枚組だという。たぶん収録音源はほとんど持っているのだが、こうしてずらーっと並べ立てて聴けるのもいいかも、と購入。もちろんこれだけがブレッカーの名演のすべてではないが、ここからマイケル・ブレッカーの泥沼の世界にはまり込んでくれるひともいるかもしれない。熊谷美広さんによる懇切丁寧で的確なライナーはすばらしいし、選曲も文句なしだし、ほんと、なんにも言う必要のない最高のマイケルのベスト盤であります。とくに2枚目は数々の歌伴とかスタジオワークでの名演、ゲスト参加した曲などにも目が行き届いていて、本人が亡くなってた今となっては、(マニア的に必死に集めなくてもよい)ありがたい選曲になっている。とりあえずこの2枚組でマイケルの凄さを知ったら、オリジナルアルバムやほかのいろいろなアルバムに手を伸ばしていけばよい。ベスト盤なので各曲についてごちゃごちゃ言わないが、私はお手軽に、かつ、ときどき鳥肌を立てながら、ありがたーく愛聴させていただいております。マイケル・ブレッカーという偉大なミュージシャンの足跡を、踊りながら、笑いながら、ぶっ飛びながら味わいましょう! しかし、これだけ超名演ばかりを並べ立てられると、途中から「これが当たり前」状態になり、ブレッカーの凄さに慣れてしまう感があるので、一日一曲ずつ聴くというのはどうか、と提唱するものであります。
「LIVE AND UNRELEASED」(JAZZLINE−LEOPARD D 77072)
THE BRECKER BROTHERS
ブレッカー・ブラザーズの未発表ライヴのなかでも、「ヘヴィ・メタル・ビバップ」期のツアーの演奏というところが貴重である。ドラムはボジオではなくリッチー・モラレス。肝心のマイケルとランディの「音」がリアルに、かなり大きめに録音されているのがありがたい。1曲目「ストラップ・ハンギン」をはじめとしてマイケルのブロウは他を圧して凄まじい。1曲目のランディのソロは(途中、音を捻じ曲げてはいるが)かなり正統派のバッピッシュなフレーズをきっちり吹きまくっているが、そのあとの延々と続くゴリゴリのソロをようやく終えたあと、テーマをびしっと決めるマイケルのクールさには感動するしかない。マイケルのソロも、エグい音使いや奏法はぶちまけているものの、基本的には歌心あふれるバップ的なものである。2曲目のマイケルの曲(「デタンテ」に入ってる)でのえげなついブロウ、3曲目のおなじみ「スポンジ」での兄弟によるえげつないバトル(ギターとキーボードの熱血バトルもすごいーっ)、4曲目(これもおなじみ)「ファンキー・シー・ファンキー・デュー」でのすさまじいソロ、1枚目最後の曲でのラストの「いつまで続くねん」的なカデンツァ〜キーボードとのデュオ(必聴!)など聴きどころ満載である。2枚目はこれもおなじみのブルース「インサイド・アウト」ではじまり(ノリがアルバムとはちょっとちがう? マイケルのソロはオリジナルアルバムと比べてもなんの遜色もない。ファンキー!)、2曲目は「デタント」に入ってる曲で、こういうイケイケのテーマとリズムで、途中ブラジルっぽいパーカッションソロが入ったりすると、いかにも「フュージョン」という感じで懐かしくなる。3曲目は「サム・スカンク・ファンク」で、マイケルのワウをかけたソロは「ヘヴィ・メタル・ビバップ」収録のものとはまたちがったエグさ。そのあとシンセの長いソロがあって、これも時代を感じさせる音色作りでおもしろい。つぎは「イースト・リヴァー」で、ボーカルはベースのニール・ジェイソン。何遍聴いても変な歌詞だが、ええ曲。ようするに我々が「淀川ってええ川やで!」みたいなことをえんえん歌うようなものか。ラストはアンコールか? 「デタント」からの選曲。全編マイケルとフィナティのソロがぐいぐい来るアルバムではあるが、それを支えるリズムセクションはさすがにツアーバンドだけあってめちゃくちゃちゃんとしているし、とくにマイケルのファンは感涙の部分が多々あります(写真を見るかぎりではデュコフっぽい)。
「MICHAEL BRECKER」(IMPULSE!/MCA RECORDS MCA5980)
MICHAEL BRECKER
今となっては想像できないが、長年、リーダーアルバムを吹き込むことがなかったマイケル・ブレッカーがはじめて吹き込んだリーダー作。まさに満を持して、という感じだった。サイドマンやコ・リーダーとしては怪物のようにその凄まじい実力を発揮してきたブレッカーだが、リーダー作は「ただただ自分の思うようにテナーを吹きまくる」というわけにはいかず、リーダーとしてすべてに配らねばならなかったと思うが(共同プロデューサーは盟友のドン・グロルニック)、さすがの手応えのある重量級アルバムに仕上がっている。うちにあるのはLPレコードで、このころはまだレコードとCDの勢力差(?)が微妙な感じの時期だったような記憶がある。メンバーを見ると、パット・メセニー、ジャック・ディジョネット、チャーリー・ヘイデン……とこれは「80/81」ではないか、と思うぐらいかぶっているが、あのメセニーのアルバムの録音体験がいかにブレッカーにとって重要なものだったかを表しているのだろう。とにかく全員すごい。当たり前やろ、と言われそうだが、ほんまに全員すごいのだ。演奏に参加していないドン・グロルニックの曲を2曲演奏し、集合写真ではグロルニックが中央にいる、というのを見ても、彼のこのレコーディングにおける重要性がわかるというもの。また、同じく演奏に参加していないマイク・スターンの曲も取り上げられている(ラストの曲はブレッカー、スターン、グロルニックの合作)。こういう「満を持して」のリーダー作はだいたい全曲オリジナルで固めたりするものだが、マイケルにはそういう気持ちはなかったらしく、そのあたりがいかにもマイケル・ブレッカー的でいいですね。正直、このアルバムをはじめて聞いたときは「どんな音なのだろう……」とかなりどきどきしながら聴いた。そういう「めちゃくちゃ聴きたい。でも、聴くのが怖い」的な体験というのは最近あんまりないような気がする。
しかし、1曲目の荘厳というか宗教歌のようなサウンドのなか、朗々と自分の「音」で歌うマイケルを聴いたとき、「おーっ」と思ったのを覚えている。これまでの参加作における圧倒的な神技的ブロウははっきり言って控えめで、全体のサウンドを聴かせたい、聴いてもらいたい、という気持ちがはっきり伝わってくる。コルトレーンのある種のアルバムを思わせるようでもある。2曲目はディジョネットとテナーのデュオで開幕する。ここでテナー奏者マイケル・ブレッカーとしての凄みを見せつけてくれるが、このふたりだけでアルバムを一枚作ってほしかったほどの高みにある演奏。ブレッカーも目くるめくテクニックを披露してはいるが、それとともに(ドラムとのデュオなのに)歌心も感じさせる。その勢いのまま全員での演奏に突入する。ケニー・カークランドとディジョネットの激突はすごい。ブレッカーも思いのたけをぶちまけるような情感にあふれたソロをしている。3曲目はマイク・スターンの曲で、スカスカなリズムセクションに対してブレッカーがその音色をフレーズをこれでもかとぶつけまくる感じの演奏でブレッカーファン、テナーファンにはたまらんものとなっている。
B−1はかなり正攻法のジャズっぽい演奏で、ストレートアヘッドな魅力全開。B−2はマイナーのバラードなのだが、エキゾチックというかルーツミュージック的な響きもあり、メセニーのギターがすばらしい。ブレッカーのソロは短いが、一音で聴いているものを別世界に誘うような力があり、「間」をいかしたプレイである。ラストのB−3はブレッカーのEWIをフィーチュアしてはじまるが途中からテナーに持ち替え、さわやかな曲調なのにかなりえぐいソロをしている。全体に「かっこいい」としか言いようがない演奏ばかり。当時は「ブレッカーのアコースティック回帰」みたいな評があったかと思うが、こうして今聴いてみると、ちょうどバランスがよくて、あんまりそういうしょうもないことは考えずに済むようになっていると思う。CDは「マイ・ワン……」がボーナスで入ってるらしいが聞いたことはない。傑作。
「MICHAEL BRECKER BAND & RANDY BRECKER BAND LIVE AT FABRIK,HAMBURG 1987」(JAZZLINE KKJ 195/6 D−77102)
MICHAEL BRECKER BAND & RANDY BRECKER BAND
こういうタイトルだと、いわゆるブレッカー・ブラザーズ的なメンバーによる演奏だと思うかもしれないが、じつは2枚組で、一枚はマイケル・ブレッカー・バンドの演奏、もう一枚はランディ・ブレッカー・バンドの演奏で、同じ日の同じ場所での演奏なのに、共演はしていないのである。おもろい! しかし、聴いてみると、おもろいどころかめちゃくちゃすごい演奏すぎて言葉を失う。
まず一枚目のマイケルに関しては、例の初リーダー作(インパルスの「マイケル・ブレッカー」)が出た、というタイミングもあってか、かなりの意気込みを感じる。ジョーイ・カルデラッツォ、マイク・スターン、ジェフ・アンドリュース、アダム・ナスバウムという自己のクインテットによるもので、全員すごい。録音もよくて、マイケルの瑞々しい音が低音からフラジオまでしっかりとらえられている。マイケルもリーダーバンドのライヴということで奔放に吹きまくり、えげつないぐらいかっこいい。バンドとしてもなにしろマイケルのリーダーバンドなので全員それぞれの音楽性をばりばり発揮していて気持ちがいい。一曲一曲が長尺なのも、レコーディングに合わせた演奏ではなく、これがロードバンドとしての生々しい姿なのだろう。そういう意味でこれはジャズであります。マイケル以外のプレイヤーも、自分のソロのパートとなると、俺が主役とばかりゴリゴリの演奏をするのも好ましい。個々の演奏に触れるつもりだったが、いやー……とにかく充実のプレイばかりが続くのでごちゃごちゃ言葉でなんやかんや書いているひまがない。一分の隙もない演奏が延々続き、いわゆる「ダレる」場面や気を抜く(レイドバックする)場面、リラックスする場面がないのだ。この緊張感が皮膚がざわざわざわざわと逆立つ感覚につながる。どう考えてもエンターテインメントなのに、しかもインストなのに、そういうことってすごくないですか。やはりジャズというものの可能性はまだまだ広がっているのだ。途中に挟まれるスタンダード「マイ・ワン……」も唐突感はあるが、「ジャズテナー奏者が好むバラード」ということで、このバンドのこの演奏がすべてジャズに回帰するということを表していると思う。正直、ここに収められているマイワンはすばらしいですよ!
無伴奏で奏でられる最初の部分のあまりの美しさ、説得力にただただ伏して拝むばかり。そのあとバンドが入ってきてもその凄さは変わらず、チャーリー・パーカーがライブで「泣き叫ぶようなプレイをしていた」というのがここにも当てはまるような気がする。ブレッカーはこのバラードで泣き叫んでいるよ! ほかのメンバーのソロもすばらしい。ラストの5曲目はEWIではじまり、テナーでフォーキーな、ジャズ的なコード進行ではない曲調の曲をブロウする。こういう感じはメセニーの「80/81」などで会得した世界観のような気もするがこれは根拠なく適当に言ってるのである。それにしてもかっこいいし、すごいよなー、と思う。全体にブレッカーもすごいが、キーボード、ギターなどの圧倒的な快演がこのパフォーマンスを支えていて、そういうこともちゃんとわかっているのがマイケルのたたき上げのミュージシャンとしてのありようなのだ。これをあざというというなかれ。人間離れしたすさまじい音楽性のぶつかりあいなのだ。ひえーっ、すさまじいよなあ。
2枚目はランディのクインテットで、ランディが書いたヘンテコな曲を4ビートジャズのすごい人たちの演奏で楽しむ……という感じである。メンバーはボブ・バーグの参加が光るが、ピアノがデヴィッド・キコスキ、ドラムがジョーイ・バロン(!)と最高の布陣。1曲目は、コード進行とかはまともなのになぜか変な感じの曲がそこに乗る。それぞれのソロもいきいきとしている。2曲目は明るい曲調のボブ・バーグをフィーチュアしたワンホーンの曲で、バーグの暑苦しく饒舌なテナーが明るい雰囲気をぶっ飛ばすほどのブロウをみせてかっこいい! 3曲目は「ミンガスとモンクと我々」という意味深な曲名の曲。たしかにそういう雰囲気のメロディだが、ランディのトランペットはそんなことにはあまり関係なく我が道を行く。4曲目は「グリーン・ドルフィン」でめちゃくちゃ普通のアプローチのように思える。ミュートしたトランペットを聴いているとまるでマイルスのパロディのようでもある。5曲目はトランペットのワンホーンのバラード。けっこうな力技で、コード進行どおり歌うことをよしとせず、いろいろこねくりまわしながら最後はメロディにたどりつく、というようないつものランディの好みの演奏。これをよしとするひとも多いだろうし、ひっかかるひともいると思うが、私はこういう感じは「ランディ節」だと思っているので好ましい。とにかく87年時点のランディの等身大の演奏だと思う。最後の「スネイクス」はマイナーブルース。ハードボイルドな演奏で、ボブ・バーグの暑苦しいブロウ、ランディのストレートアヘッドなブロウ、キコスキのクレバーだがきりもみ状態に狂っていくようなソロ、そしてジョーイ・バロンのすばらしいドラムソロなど聴きどころ満載である。傑作。なお、本作もどの項目に入れるべきか迷ったが、便宜上、先に名前の出ているマイケルの項に入れた。
「TALES FROM THE HUDSON」(IMPULSE!/GRP RECORDS MVCI−7)
MICHAEL BRECKER
ブレッカーのリーダー作4枚目。まあ、はっきり言って文句のつけどころがない内容である。なんとか無理矢理文句をつけるとすれば(なんのためにそんなことをするのだと言われると困るが、あまりに傷がない作品というのも気持ち悪いから)、ブレッカーがリーダー作を出して、それがグラミーを受賞したりしてすごく評価される、というのはもちろんすばらしいことだと思うが、サイドマンとしての参加作よりも、全体の構成とかいろいろリーダーとして考えなければならないことが多いからか、はちゃめちゃなブロウは抑え気味で、全体としての音楽性とかアルバムとしての統一感とかそういったものが優先されているような気がする。本作もライナーによると「延べにして二カ月以上の時間をかけた制作」だそうで、安直さとはほど遠い、練りに練った、作り込んだ作品なのだ。だから、そういう部分をしっかり聴かないとあかんのだ。ソロ部分だけ聴いて、おー、ブレッカー、ゴリゴリ吹いてるなあ、カッケー……ではもったいない。で、久しぶりに聴いてみると、出たときは「マッコイとの共演」というのが話題になっていたような記憶があるが、それは二曲だけで、基本的にはメセニー、カルデラッツオ、デイブ・ホランド、ディジョネットというメンバーによる安定のリズムセクションがブレッカーの作曲、アレンジ、演奏……を支えているのだ。ディジョネット(すごい!)に関してはこの当時のジャズドラマーとしては、先鋭性と貫禄というかキャリアを同時に体現しているひととして、もう全幅の信頼を置かれていたと思われるし、デイヴ・ホランドがベースというのもかなり本作のサウンドの鍵を握っているような気がする(チャーリー・ヘイデンよりジャズ的にぐいぐい来る)。2作目と3作目(とくに3作目)がけっこうコレクティヴなメンバーによる作品だったこともあって、それから約6年ぶりの本作は、曲ごとにその曲にふさわしいメンバーで、というやり方から、ほぼ固定メンバーによってじっくり聴かせるというやり方に変化している。パット・メセニーがプロデュースも手掛け、ドラムがディジョネットというのは、一作目「マイケル・ブレッカー」からの流れも感じられる(もちろん「80/81」の流れも)。1曲目のメセニーのソロは、これ以上ないぐらい完璧な「ジャズ」的なもので、フレージングはもちろん、音色、ピッキング、ノリ……なにからなにまでかっこよすぎる。そして、ブレッカーのブロウは、全体のサウンドに配慮していたことが嘘のようにひたすら吹きまくる感じで、いわゆるブレッカーの奥の手というかさまざまな必殺フレーズを繰り出してリーダーとしての貫禄を見せつけているし、それをあおりまくるドラムもすごい。カルデラッツォのピアノもいいですね。この「いかにも」という感じの曲ではじまり、スピーカーのまえで悶絶していた我々がつぎに接するのはカルデラッツォの作曲による2曲目で、おいおい、という雰囲気のグッと抑えたミディアムというかウォーキングテンポのジャズっぽい曲で、かえってびっくりする。落ち着いたノリで、音色やアーティキュレイションに最大の配慮をしながら音を選んでいくブレッカーのソロは、「巨匠」感がある。歌心という意味でもすごくて、昔はブレッカーというと、めちゃくちゃ音数が多くて、テクニックもすごいんだけど、心に残らないよね、みたいな評価があったと思うが、そういうやつはこの曲のソロを聴いたら無言になると思う。メセニーのソロについてもまったく同じ意見を言いたい。3曲目はいよいよ待ったマッコイ登場だが、ディジョネット〜ドン・アライアスという強烈極まりないリズムとドライヴしまくるホランドのベースに乗って、まずはブレッカーが俺が主役だと言わんばかりのブロウをぶちかます(おなじみのフレーズを魔法のように切れ目なく繰り出してくるが、それはクリシェとかいうのではなく、ただただひたすらオリジナリティに満ちた、圧倒的なものだ)。最後の絶叫を受け継いだマッコイのソロは意外にも軽やかな感じだが(5曲目でそういう印象が覆される)、そのあとのメセニー(作曲者でもある)のソロはこめかみがブチ切れそうなほどの凄まじいものでした。4曲目はブレッカーの曲で、ゆったりとしていてバラードっぽい雰囲気の箇所もあるアレンジ。テーマを聴いているだけで心地よいが、かなりの難曲のようでもある。先発のメセニーのソロもビターで聴きごたえありまくりだが、つづくブレッカーのソロは堂々と見事に歌い上げていてすばらしい。5曲目はふたたびマッコイ登場で、曲調もアフリカっぽい、いかにもマッコイが書きそうなめちゃくちゃかっこいい三拍子系のモードナンバー。テーマもいかにもなリフだが、端々にブレッカーのこだわりが感じられる。先発はいきなりマッコイで、かなり重い、ああ、マッコイだ……と思えるソロ。もっと延々弾いてほしかったようにも思うが、ディジョネットとの相性もばっちり。そしてブレッカーのソロは、マッコイとの共演の喜びをホーンにぶつけているような爽快なブロウで、めちゃかっこいい。テーマのあともそのグルーヴがずっと続いていて、それも美味しい。あー、これでマッコイの出番は終わりか……と残念な気持ちにもなる。2曲は少ないやろ! と文句を言ったりして。6曲目は7曲目へのイントロという位置づけで、ホランドとブレッカーのデュオで、すぐに7曲目がはじまるのでなぜふたつに区切ったのかはよくわからん。なんともいえない怪しい空気感のバラードで、名曲ではないかと思う。ブレッカーのソロも、本作中白眉ともいえるような凄まじいブロウで、圧倒される。ホランドのベースソロもすばらしいが、そのあとエンディング的なブレッカーの再度のソロも完璧なのでフェイドアウトが惜しいぐらい。8曲目はドン・グロルニックの曲で、ウォーキングテンポの4ビート曲。タイトルは「ウィリー・T」だが、日本語ライナーには「ジョン・ウィリアム・トレーン(コルトレーン)」と翻訳していいだろう」と書いてあるが、それなら「ウィリー・C」じゃないのかな? これはたぶん「スタンリー・ウィリアム・タレンタイン」のことでしょう。コテコテな感じのブレッカーとメセニー、カルデラッツォのソロがフィーチュアされる。ラストはめちゃ速いいかにもブレッカーが書きそうな変態的な音使いのテーマの曲で、テナーもピアノもブリブリの激しいソロを繰り広げて圧倒されたままエンディングを迎えます。あー、かっこええ!
ブレッカー自身がスペシャルサンクスに挙げているなかで、コルトレーン、ロリンズ、ショーター、タレンタイン……などの名前が並ぶのはもちろん納得なのだが、二番目にジョー・ヘンダーソンの名前が挙がっているのは、ブレッカーとヘンダーソンの関係を例のブレッカーの伝記で読んだ後では、かなりせつない。