「CONCENTRIC」(CLEANFEED RECORDS CF067CD)
JOHN BUTCHER/PAAL NILSSEN−LOVE
めちゃめちゃ気に入った。最近、ニルセンラヴはいろんなひとと競演しているが、エヴァン・パーカーとのカルテットよりも、私はこのデュオがよかった。ジョン・ブッチャーはパワー一辺倒のひとではなく、さまざまな多彩な表現をもっているミュージシャンだが、それがときとしてパワー不足というか迫力不足な感じを与えるアルバムもあった(たいがい共演者の問題だと思う)。しかし、本作では、ジョン・ブッチャーはいつもどおりいろんなことをしているが、それを受け止めるニルセンラヴとの相性抜群で、じつにうまく両者がからみあい、聴いていて想像力を刺激されるすばらしいデュオとなった。たとえばヴァンダーマークとのデュオ(これはパワー全開でぎょえーっ、ぎゃおーっ、ぐえーっというやつが多い)やグスタフソンとのデュオ(グスタフソンはバリトンが多く、ちょっとひねった感じ)、ハーコン・コーンスタとのデュオ(これがまあ、いちばんバランスがよくて平均点的かも)などと比べても、なんともいえぬ深みがあり、即興としてのスリルもあり、なおかつ聴きやすいという、まれに見る作品ではないかと思う。
「THE GEOMETRY OF SENTIMENT」(EMANEM 4142)
JOHN BUTCHER
どう考えても、このひとは2008年におけるフリー系サックスの重要人物のひとりでしょう。私はめっちゃ好きだし、いつも感心している。しかし、こっちが勝手に思っているほどの話題にならないのはどうしてだろう。つまり、このひとが何でもできるからではないか。そういった才能というのは、これしかおまへん的な一直線のひとよりも中庸的に見られることが多い。ブッチャーのソロを聞いていると、さまざまなテクニックが、これ見よがしにではなく自然に、しかも絶妙に効果的な形で織り込まれており、歌心も、音の響きも明確なアイデアもモチーフの展開もどれもこれも「言うことなし」であって、これ以上を望むことは少なくとも私にとってはない。現在のインプロヴィゼイションの世界において、テナーによる即興の行き着いたひとつの到達点だと思う。もっとインパクトがあれば、とか、パッションが、とか、血のにじむようなブロウがない、とか無い物ねだりをしてはいけません。この緩急、この楽器コントロール、この冷静さ……見習うべき要素がいっぱいだ。少なくとも私は、何度聴いても感心します。
「FIXATIONS」(EMANEM 4045)
JOHN BUTCHER SOLO SAXOPHONE IMPROVISATIONS 1997−2000
このひとのソロは「名人芸」という言葉がふさわしい。管楽器のインプロヴィゼイションによる無伴奏ソロ、という、なんとも芸術的な行為に対して「名人芸」というのはなんとなくそぐわないように思うかもしれないが、実際、これほどまでにテナーサックス(とソプラノその他)の楽器としての機能を知り尽くし、それを百パーセント活かした即興はめったにない。一曲一曲のアイデアが、まず、明確だし、それを人前で管楽器一本できちんと表現できるだけの技術があり、それをある程度の芸術的感動をもって最後まで吹ききる、という意志もそなわっている。かなりのチャレンジではあるが、一方では、かなりの安定感である。これは両立しないように思えるかもしれないが、そこが「名人芸」なのである。うますぎて、ちょっとどうか……という意見もあるかもしれない。ギャーッと咆哮して、そのあとどうなるかわからないような荒っぽい、八方破れの即興のほうが、わくわくどきどきする、というひともいるだろう。そういったある意味出たとこ勝負の、黒人的な表現(といってしまっては決めつけがすぎるかもしれない。ブロッツマンなんかはその代表だろうし)は、たしかに魅力的ではある。エヴァン・パーカーやこのブッチャーのようなソロは、「予定調和だ」という批評があるかもしれない。でも、実際には、ギャーっといって指をぐねぐね回して、どうなるかわからん……というタイプのサックスソロのほうが、サックスから出てくる音は予定調和的というか、いつもどおり、であったりするのだ(もちろん私はそういうのも大好きですが)。ブッチャーのこのソロワークは、そういった「いつもの」感をできるだけ排して、毎回、きちんとしたテーマを設定し、毎回、チャレンジ精神をもってのぞんでいる。ほんと、まじすごいですよ。立派ですよ。感心しますよ。聴いたあとものすごくすがすがしくなるのもブッチャーのソロの特色である。
「OPTIC」(EMANEM 4089)
JOHN BUTCHER & JOHN EDWARDS
すばらしいです。圧巻、という言葉がぴったりの瞬間が頻出する。ジョン・ブッチャーは大好きだが、これまで聴いたのはソロが多く、ベースとのデュオというフォーマットでどんな即興を展開してくれるのか興味津々だったが、聴いてみて期待以上だった。ほんまうまいわあ。あくまでサックスにこだわり、微妙な音色の変化、アタックの変化、アーティキュレイションの変化などすべてに気持ちが行き届いているというすごい集中力を要する演奏にもかかわらず、パッと聴いた感じではそういうことを思わせない、自由で好き放題な演奏に思えるのだ。全体に凄まじいパッションに満ちた大迫力の演奏だし、サックスの限界を少しずつでも外へ外へと広げようという意気込みもあり、言うことありません。ベースのジョン・エドワードもすごいよなあ。正直、ベースのことはよくわからんが、このひとはすごいと思う。しっかりした基礎とテクニックがあるが(あるからこそ、か?)、インプロヴィゼイションに関する特殊な技もたっぷり持っているし……ああ、なるほど、このひとはジョン・ブッチャーと同じタイプなのだ。そうかそうか、そういうことなのだなあ。だからこのデュオは上手く噛みあったのだ。もちろんまるでちがったタイプのプレイヤー同士だからこそおもしろくなるという場合もあるに決まってるが、演奏のタイプというより、目指す方向性とか精神性とかそういったものが共通していると、やはりパワーが倍になる気がする。このデュオは丁々発止という古い表現ではまったく表せないのはわかっているが、どこかにそういった古風な感覚もちゃんと残している。フリージャズから出発して、かなり遠くまで来たもんだ、という、私の好きなタイプの即興。それぞれのソロもたっぷり楽しめるし、お買い得。でも、よく考えたら、方向性も精神性もまるでちがうデュオというのもおもしろそうだな。馴れ合い以外のあらゆるデュオがおもしろい可能性がある、ということか。なんか妙な結論(?)になってしまったが、このアルバムはええっすよ。それにしても多作なひとなので、全然追い切れない。もしだれかジョン・ブッチャーが死ぬほど好きという友だちがいて、そのひとが全作貸してくれたらありがたいんだけどなあ、と夢を見る今日このごろです。まあ、ぼちぼち聴いていこう。完全に対等のデュオのようだが、先に名前のでているジョン・ブッチャーの項にいれておく。
「TEMPESTUOUS」(ANOTHER TIMBRE AT01)
THE CONTEST OF PLEASURES
「テンペステュアウス」というのがタイトルで「コンテスト・オブ・プレジュア」のほうがグループ名らしい。テナー、ソプラノサックスのジョン・ブッチャー、クラリネットのクサヴィア・チャールズ(と読むのか?)、トランペットのアクセル・ドーナー(井野信義らとの二枚組での快演が記憶に新しい)という3本の管楽器だけで構成された即興。これはどうしても聴かねばならん、と思い、ただちに注文。わくわくして届くのを待ったが、いやー、期待にたがわぬ傑作でした。目まぐるしく変わるインプロヴィゼイションの、花火のように華麗で瞬発力のある展開がおもしろくておもしろくて、あっというまに聞きおえる。もちろんリズムをキープする楽器はいないわけだし、管楽器のなかでもトロンボーン、チューバ、バリサク、バスクラなどの低音楽器もいないので、どちらかというと浮遊感ただよう、すぐに糸が切れてバラバラになりやすいであろう即興アンサンブルにおいて、さすがにこのひとたちは、バラバラのようでバラバラでない、求心力があるようでじつはいいかげんで、崩壊の危険をはらみつつ、間一髪で合わしていく……というような微妙な構成力を発揮していて、これはパーカッションやベース、ギター、ピアノなどがいたらこんな風にはならなかっただろうし、管楽器でもこの3種のとりあわせだからこそ実現した絶妙のブレンドなのだと思う。とくにトランペットの参加が、楽しい。一種の際物のように思われるかもしれないが、これがめっちゃかっこいい。全部即興だと思うが、3人が3人とも個性豊かなのに、それ消しあうことなく、大きな爆発を生んでいる。いきなりズドーンとくるようなタイプの演奏ではないが、じわじわと応酬を繰り返していく過程でゆっくりと高まっていく。その分、聴いているこちらの気持ちも奏者と一体となり、ほとんど同じペースで高揚していくことになり、それが「ひし」と抱きついているような感覚を生んでいる。なお、3人対等の即興だと思うが、マスタリングをしているジョン・ブッチャーの項にいれた。
「LONDON AND COLGNE」(RASTASCAN RECORDS BRD026)
JOHN BUTCHER
サックスソロ。1曲をのぞいてライヴ。1曲目はソプラノ。エヴァン・パーカー的な、循環呼吸とハーモニクス、タンギングなどを組み合わせた演奏だが、そのクオリティは「完璧」としか言いようがない。聴いていて惚れ惚れする。魂が浄化されるといったら大げさのようだが、こういうソロを聴いていると、ほんとうに魂が身体から抜け出して、桃源郷を遊んでいるような気分になる。2曲目はテナー。フレーズを吹いていて、その途中の一音だけ重音にするという高等テクニックをあたりまえのように使いまくっていて興奮する。サックスのどこを押してどういうアンブシャーにしてどういう息の送り込み方をすればどういう音が出るかをすべて把握しつくしているのだろう。そんなんおもろないやん、というひとはおかしいと思う。楽器を演奏する、というのはそういうものですから。3曲目はこれだけスタジオ録音で、ソプラノサックスによる多重録音(?)だと思われる。これもすごくいい感じで、ひとつのトラックに乗せていったというより、3人ぐらいのサックス奏者がいて、互いに聞きあいながらプレイしているような演奏である。こういう雰囲気にするのはなかなかむずかしいと思う。4曲目は、非常に抑制のきいたボリュームでの、ハーモニクスと歌心をたくみに聴かせるテナー演奏で、作曲された現代音楽のようなおもむきがあり、ちょっとうるうるするぐらいの感動がある。ジョン・ブッチャーは凄いなあ、と思わせる。でかい音で吹きまくるというのとは対極にある静謐な演奏だが(ちょっと大音量になるところもあるがダイナミクスの妙もある)、そこに使われている技術はえぐい。わしゃ、こういうのがとにかくめちゃめちゃ好きなのである。本作の白眉といっていいかもね。5曲目はソプラノ。ときどき音を歪めたり、ふっとハーモニクスにしたり、虫がすだくようなリリ……リリ……という音を出したりするあたりの「間」が、エヴァン・パーカーにはない東洋的な美も感じさせる。6曲目もテナーによる短い演奏。徹頭徹尾ハーモニクスだ。7曲目はソプラノ。おんなじようなことをしているようでじつは微妙にアクセントをつけたり、フレーズの一部を変えたりして、演奏が一定の形にとどまらず、川のように流れていき、気がつくとまるでちがった局面になっている……というあたりを味わうにはもってこいの演奏。うまいとしかいいようがない。最後はテナーによるパワフルな演奏。超クールで超かっこいい。あー、ジョン・ブッチャーはかっこいい。
「AT OTO」(FAKATA 2)
JOHN BUTCHER MATTHEW SHIPP
ジャケットにタイトルとミュージシャン2名の名が印字されているだけで、デザインもまったく施されていないこのしょぼいCDに、これだけの感動的な演奏が詰まっているとはだれが予想するだろうか。いや、予想するひとは多いかもしれないが、それはジョン・ブッチャーとマシュー・シップのファンで、彼らがどれだけすごいミュージシャンかということを知っているひとに限られるだろう。しかも、接点がなさそうなこのふたりのデュオということで、もしかすると買いのがしたひともいるかもしれないが、そういうひとには「急いで買いに行け!」と言いたい。4曲入っていて、1曲目はジョン・ブッチャーのテナーソロ、2曲目はソプラノソロ、3曲目はシップのピアノソロで、最後の4曲目にいたってやっとデュオになるので、このアルバムをデュオアルバムというのはおかしいかもしれない。しかし、本作はデュオアルバムだ。ソロに関してはふたりとも「あいかわらず凄い」としか言いようがない。ファンにとっては、聞き飽きた話になるかもしれないが、また書く。1曲目のテナーソロは、現代のサックス奏法におけるあらゆるテクニックが駆使されているにもかかわらず、テナーサックスとしての「野太さ」がしっかり伝わってきてすばらしい。2曲目のソプラノソロは、ハーモニクスを中心とした音響的な演奏なのだが、ときどき「メロディの力」をうまく利用して、そのバランスの見事さには驚く。この2曲は、どちらも8分ちょっとの短いものだが、ライヴとは思えない繊細さもあり、聴き惚れる。3曲目のピアノソロは、目まぐるしく変化する演奏だが、個々の部分にはリズムとメロディが強く感じられる強靱で美しいソロだ。セシル・テイラーのように横へ横へと広がっていくのではなく縦に積み重ねていくような構築美を感じる。15分弱の演奏だが、なんとも感動的である。1〜3のそれぞれのソロは、ソロなのにまるでオーケストラのようだ。とくにブッチャーは、単音楽器(ほとんどハーモニクスを吹いているとはいえ)のはずなのにオーケストラを感じさせるとは驚異である。そして4曲目のデュオは25分もあるが、これが凄い。この二人が合うのかなあと思うひとは多いと思うが、意外にも、いや、意外といってはいかんか、とにかく合う。合いまくる。この演奏に興奮しない人間がいるだろうか。とにかくどんどん変化していく展開をおっていくだけでも楽しくスリリングで、複雑な応答が続いたかと思うと、シンプルすぎるぐらいシンプルな応酬になったり、そのあたりの呼吸は最高のコンビネーション。思い切りもよく、ダイナミクスもあり、とにかく「すげーっ」と何度も叫んだ。いやー、参りましたねえ。最後にブッチャーについてもう一言だけ。ブッチャーの演奏を聴いていると、たとえば唾液をすするような音、舌でなめるような音、破裂音などの下品な音の数々を使っている。また、ダーティートーン、ノイズ的な音、フラッタータンギングによる耳障りな音なども多用している。しかし、それらが完全に音楽の「美」に奉仕するものへと昇華しているのがすごい。ここまでの高みに達したインプロヴァイザーはなかなかいないと思う。ブッチャーファンもシップファンも、聞いていないひとはぜひぜひぜひ。あと、ジャケットだが、私はこういうシンプルの極みみたいな削ぎ落としたジャケットが好きだ。売る気がないのかというひともいるかもしれないが、ミュージシャンがにこにこ笑ってポーズを決めているようなものがいいとは思わない。こういうデザインのほうが、ものすごく聴く気が湧いてくるし、中身も凄いんじゃないかという気になる。なお、対等のアルバムのようだが、ミックスを手掛けているのでジョン・ブッチャーの項に入れた。
「DAYLIGHT」(EMANEM 5024)
JOHN BUTCHER/MARK SANDERS
おなじみのふたりによるアコースティックなデュオ。ブッチャーは冒頭一発目の音からハーモニクスで、もう心が鷲づかみにされる。しかし、この重音と単音をトリルのような速さで交互に繰り返していく奏法はどうやっとるんだ。さっぱりわからんぞ。まあ、そういう細かいことは言い出したらきりがないが、このふたりはほんの数分で驚くほどの高みに到達してしまい、あとはもうなにをやってもハラホリヒレハレの世界なので、こちらは魂を遊ばせるだけ。しかし、ブッチャーについてなにを書いても、言っても、最終的には聴いてもらうしかないな。そういうミュージシャンだ。この驚きと感動は聴いてもらうしかない。終わり……というわけにはいかないのでもう少し書く。あ、マーク・サンダースも凄いですよ。1曲目のソロの途中での、なにかを叩き落とすような音を重ねていくところは興奮。とにかく、このデュオはドラマチックで、山あり谷ありなので、胸倉を掴まれたようにどんどん引っ張り回される。ブッチャーはひとつのテクニックにこだわらず、それを千種類ぐらい並べ立てているような感じ。サックスの変態テクニックのオンパレード。見本市。技のデパート。エヴァン・パーカーよりもテナーを「しっかり」吹くので(つまりテナーらしい音で吹くということ)、私としてはブッチャーをひいきせざるをえない。今でもパーカーのテナーオンリーのアルバムはぜったいに買うのだが、なにしろ私はあらゆる楽器のなかでテナーが一番好きなのだからしょうがない。それにしても、1曲目の13分過ぎぐらいからのブッチャーの、「ほぼ無音」奏法には呆れるしかない(生で見たときもこういうことやってたけど、真似できん)。1曲目25分ぐらいからの、同じ低音を延々ぶっ放し、サンダースがドラムで暴れ狂うあたりのすばらしさは筆舌に尽くしがたいです。しかし、そういうすごい場面も彼らはすぐに捨てて、つぎのステージへ展開していく。この「惜しげなく」感がいいんです。しかも、ブッチャーはハーモニクスなどの(ある意味)トリッキーなテクニックを使わなくても、普通にリアルトーンで吹くだけでもすばらしい即興を繰り広げることができる(3曲目のソプラノとか)。このアルバムはブッチャーの作品のなかでは、おそらく平均的なものだと思うが、このひとの平均はめちゃめちゃ高いので、ブッチャーを聴いたことがないというひとがこのアルバムから聴くとしてもまったくOKだと思います。
「CONCERT MOVES」(RANDOM ACOUSTICS RA001)
BUTCHER・DURRANT・RUSSELL
ジョン・ブッチャーと、ヴァイオリンのフィル・デュラント、アコースティック・ギターのジョン・ラッセルの3人によるトリオのライヴ。ブッチャーによるライナーによると、1984年に結成され、87年にはアルバムもリリースしたが近年はあまり演奏する機会がないのだという。このアルバムは92年の録音。いわゆるインプロヴィゼイションで、ブッチャーのあの爆音ハーモニクスによる自己主張は控え目。その分、アコースティックな楽器のふたりの共演者たちの繊細な音に対して、自分の繊細・微細な音量変化、音色変化で対応している。こういう演奏ってきっと鍛えられるんだろうな。曲ごとにさまざまなアプローチが試される。とくにブッチャーは、ほんとにテクニシャンでなんでもありだが、トリオとしてのアプローチはこのころはまだカンパニー風だったということか。デレク・ベイリー〜エヴァン・パーカーあたりを強く感じる。とくに最初のほうの曲は手探りっぽくて、初っぱなからもっとガンガンいったらええのに、と思う箇所もあるし、そうすると音楽がつぶれてしまうと思っているのかもしれないな、とも思う。じつはそんなことはないのだ、ということがわかってくるのはこのあとなのか。いや、そんなことはないだろうな。このトリオはもともとそういう趣旨なのだ。ただ、今なら、おそらく3人とも、たとえ音がマスクされて聞こえなくても、もっと自分を前面に出し、そして引っ込めるだろうとは思った。そういう風にダイナミクスがもっと強調されたほうが私の好みなのだが(つまり、もっとガン! と来る瞬間があってもいい)、でも、こういう演奏もおもしろいし好きです。後ろの曲になればなるほど、やりたい放題になっていくあたりもいい。全編、ブッチャーはテナーをテナーとして吹いていて、それが私には好ましい。5曲目はソプラノを縦横無尽に吹きまくっていて(この演奏は完全にブッチャーの個性が発揮されていると思う)、ギターとのやりとりもすばらしく、手に汗握る場面多し。この演奏が白眉か。6曲目の小刻みトリオもすごくよかったし、7曲目のなんだかわからないリズミックな演奏も頭がおかしくていい。ギターがもう少し大きく録音してあれば、強弱のニュアンスがもっと伝わったんだろなあとは思いました。あと、ジャケットはチープだが、一匹だけ蠅がとまっていてかっこいい。
「SECRET MEASURES」(WOBBLY RAIL WOB006)
JOHN BUTCHER AND PHIL DURRANT
ジョン・ブッチャーとライヴ・エレクトロニクスのフィル・デュランのデュオ。1997年の録音なので、上記「コンサート・ムーヴス」から5年後の演奏だが、フィル・デュランというのはヴァイオリン弾きじゃなかったのか? とかいいつつ聴いてみると、これはすごくよかった。5年間でふたりとも長足の進歩をしているね、なんてえらそうに言ってすいません。ブッチャーは自分のサックスを電気的に変化させる即興も最近試みており、それはそれですごくいいのだが、あれだけむちゃくちゃな音を自在に出せるひとが、それをまたねじ曲げたり増幅したりする必要があるのかと思わぬでもない。でもここ聴かれるのは、ブッチャーはアコースティックで、もうひとりがライヴエレクトロニクスというデュオで、なんとも心地よいサウンドだ。過激なライヴエレクトロニクスとそれを上回るかのようなブッチャーの過激なサックスがブレンドしあい、反応しあい、対決しあい、応酬しあい、素晴らしい瞬間をばんばん作りだしている。このレスポンスの良さはかなりのもんですなー。とくにフィル・デュランの、ブッチャーが出した音に対する食いつきかた、対応のしかたはわくわくする。同じことをなぞったり、真逆のことをしたり、無視したり、裏切ったり、うえからべつのことを覆い被せたり……。なんか自由そうでいいっすね。ダイナミクスもすごくて、まああたりまえのことなのだろうが、「さーすが、わかってらっしゃる」という感じ。そういう「心得た」ふたりのデュオはどの演奏も極上です。ブッチャーは息の音、キーがかちゃかちゃいう音から、凄まじいハーモニクスのブロウ、野獣が吠えるような絶叫までを、デュランは微細なノイズから耳障りすぎる騒音、オーケストラのような悪魔じみた電子音の嵐までを自在に操り、そのふたつが重なって、めちゃめちゃかっこいい音絵巻を織り上げる。あー、このアルバムはほんと聴いてよかった。ブッチャーに関しては、その特殊奏法のほとんどはこの時点で自家薬籠中のものとしているように思う(もちろん細かくいうと、どんどんネタは付け加わっていってるのだろうけど)。ほんと、このひとのアルバムは何枚続けて聴いても飽きないねー。俺、よっぽど好きなんだろうね、このひとが。
「PLUME」(UNSOUNDS 35U」
JOHN BUTCHER/TONY BUCK/MAGDA MAYAS/BUCKHARD STANGL
2曲入ってる。1曲目は2007年の演奏で、ブッチャーとギターのバックハード・スタングル、ドラムのトニー・バックのトリオによるライヴ、2曲目は2011年の演奏で、ブッチャーとバックとピアノのマグダ・メイヤスのトリオによるライヴ。1曲目はアコースティックな即興で、かなり「間」を重視した、静かな演奏(さぐり合いとかではない)で始まって、それが祝祭日的に盛り上がり、激しい音と音とのぶつかり合いになっていき、また再び静かなものに戻り……が繰り返されるが、3人の集中力、自分が、自分たちが今なにをやっているのかを考えながらも、身体で反応する瞬発力、ダイナミクスなど、どれをとってもすがすがしいまでに最高の即興演奏。やはりブッチャーのソプラノの圧倒的な凄さに耳がひかれるが(邪道なテクニックの王者!)、ほかのふたりもすばらしいです。2曲目は3人ともほんとうに自由に音を出していて、それらが溶け合い、スパークしあい、刺激的な瞬間の連続を作りだしている。それにしても、小刻みな蠕動が生み出すこの異常な盛り上がり、昂揚感はなんだ。いつまで盛り上がっていくのだ。聴いていてだんだん怖くなってくるほど、3人は高まっていき、天まで届くようなすさまじい絶頂に向かっていく。静謐な部分と異常な昂揚が交互に来て、聴いているほうはへとへとになりながらも法悦の極地にいたる。いやー、ブッチャーのこのシンセみたいな音はすごいなあ。とにかくどんな音域でもどんな瞬間でもハーモニクスが自在に出せるのだ。息の音だけ、のソロから、美しさの極北のような至高のハーモニクスまでつぎつぎに繰り出される。ピアノもパーカッションも見事で、涙が出そうになる瞬間もあるほど(ジョン・ブッチャー聴いて、泣いてたらアホですけどね)。トニー・バックのドラムもすごいなあ。ブッチャーの咆哮、バックの延々と続くロール、メイヤスの変なリズムでのコード連打がからまりあって高まっていくあたりの興奮をどう説明すればいいのか。いや、聴いてもらうしかありません。
「13 FRIENDLY NUMBERS」(UNSOUNDS 07U)
JOHN BUTCHER
91年にレコーディングされ、アクタレコードから発売されたアルバムの再発。1曲目の冒頭からいきなり衝撃的な演奏がはじまり、度肝を抜かれる。フラッタータンギングによるものだが、それだけではもちろんなく、さまざまな複合的な技術が組み合わされた超絶技巧である。非常に短い演奏から長いものまで、美しいストレートトーンで奏でられるものからハーモニクス、マルチフォニックスの限りを尽くすものから電化されたものまで、完全なソロから複数のサックスをオーバーダビングしたものまで(バリトン、テナー、2ソプラノでオール電化とか、6ソプラノとかいろいろ)その趣向はさまざまだが、とにかく凄い。ふつうにフレーズを吹きながら、じつは一音ごとにハーモニクスとリアルトーンを交互に繰り返しているとか、もう当たり前のように吹いてる。オーバーダビング系でも、たとえば5曲目のテナー4本による演奏など、おもわず笑ってしまうほどの迫力。キーの開閉と微妙な息の入れ方によるパーカッシヴな奏法はだれでもやるが、それをこうやって複数重ねてパーカッションアンサンブルみたいにするなんて……アホですなあ。何考えてるんや。こういう「何考えてるんや」と思わせてくれる化け物みたいなサックスプレイヤーはほんとに貴重。インプロヴァイズドミュージック界の宝物です。
「THE NATURAL ORDER」(NORTHERN SPY RECORDS)
FRED FRITH AND JOHN BUTCHER
予想どおりすごく面白かった。どの曲のどこがどう、という必要がないほど、全編聞きどころばかりのスリリングで想像力を刺激する、楽しくシリアスな即興だった。千変万化するフリスのギターに対して、ブッチャーのテナーとソプラノは今回はアコースティックに徹していて、広い引き出しを開けまくる。どの曲も、フリスがめちゃくちゃすごくて、ここまでするかというぐらいさまざまなリズム、ネタ、ハーモニーその他もろもろをぶっこんできて、しかもそれがめまぐるしく変わっていくのだが、それに対してブッチャーもそれを上回るほどの多様性で吹きまくり、ここまでガチンコのがっぷり四つはなかなか聴けない。お互いの全力のぶつかりあいによる即興が、結果として完璧な融合を生み出している。コンポジションがあるのかどうかわからないが、そんなことはどうでもいいと思えるほどのすばらしい「音楽」で、とにかく感動しました。何遍も聞いたけど、たぶん100回ぐらい聞いても新しい発見があると思えるような濃密なデュオだった。傑作。
「逃げ水」(UCHIMIZU RECORDS 01)
JOHN BUTCHER
本作は、ジョン・ブッチャーのソロサックスで、1曲目のテナーソロが大阪の島之内教会で、2曲目と3曲目のソプラノソロが深谷のエッグファームで録音されているが、島之内教会には私も聴きに行っていた。心斎橋から島之内のほうに曲がったあたりで、道をぶらぶら歩いているブッチャーとすれちがったので、コンビニにでも行くのかなあ、と思ったことを思い出した。演奏は凄まじく、以前に聴いたときよりも強烈な印象だった。テナーでの演奏は力強く、低音がしっかりと出されており、そのあたりはエヴァン・パーカーに通じるものがある。また、途中でけっこうジャズっぽいというかビバップ風のフレーズを重ねる箇所があって、そのあたりもそういう感じを受けた。しかし、とにかく全体の印象としては「世界一のテクニック」と驚異的な音楽性の融合であって、サックスの無伴奏ソロとしては圧倒的なクオリティだと思う。あまりに引きだしが多すぎて、しかもそれらがバラバラにではなく、ひとつのストーリーとしてまとめ上げられていく作業は、芸術でありながらエンターテインメント性も強く感じる。とにかくめちゃくちゃかっこよくて、めちゃくちゃ面白いのである。これは、フリージャズとかインプロヴィゼイションとか聴いてらんないぜ派のひとも、ちゃんと聴いてくれさえすれば、いやー凄いっすねと言わせてしまうであろうぐらいの「強さ」を持った真の音楽だと思う。とくに、生演奏を現場で体感してくれれば、きっと説得力があるにちがいない。たとえば、ピカソなんてあんなもの絵でもなんでもないよというひとでも、ゲルニカの原画のまえに立てばきっとそれなりに強く感じるなにかがあるだろう、ということと同じだ。ブッチャーのテクニックの種類は、軽く書き出すだけでもあまりに多岐にわたっており、しかもどれも完成度が高いので、だれか一度整理・注釈してみてほしいと思うぐらいだが、それを組み合わせ、重ねあわせて、最終的には「音楽」にするこの凄さは、「もう、たまらんなあ」と叫ぶしかない。二曲のソプラノソロも絶句ものだが、大阪でのソプラノソロは、最初、マウスピースをくわえずに、遠くから強く息を吹きかけてリードを震動させるという技から、ネックの裏側に息を吹きかけたり……ということを繰り返し(それもちゃんと演奏になっているのだから驚くよ)、最後にマウスピースをちゃんとくわえてリアルトーンが発せられたとき、めちゃめちゃインパクトがあったことを覚えている(すぐに真似しました)。つまり、それはジョン・ブッチャーの「ユーモア」なのだろう。あんまりいろいろ考えずに、素直にこの演奏を聴けば、さっきも書いたように無上の芸術であり無上のエンターテインメントであるとわかっていただけると思う。いや、ほんま最高です。会場にはチューバの高岡さんがいて録音されていたので、そのうちCDになるんだろうなとは思っていたが、こうして聴いてみると、ブッチャーの息遣いやその力強さ、音色などがリアルにわかるすばらしい録音なのでとても喜ばしい。傑作です。行け、ジョン・ブッチャー!
「TANGLE」(FATAKA 14)
JOHN BUTCHER/THOMAS LEHN/MATTHEW SHIPP
マシュー・シップといえばデヴィッド・S・ウェアとのコラボレーションが名高いが、イーヴォ・ペレルマンとも長年タッグを組んで膨大な量の作品を生み出しているし、エヴァン・パーカーとのデュオ演奏もすばらしい。しかし、ジョン・ブッチャーとのデュオも凄くて、カフェ・オトでのライヴは度肝を抜かれる出来だった。というわけで、ブッチャー〜シップという組み合わせならば聴くしかないのだが、そこにライヴエレクトロニクスのトーマス・レーンが加わることでどうなるのかという興味もある。で、聴いてみると、やはりというかなんというか……シップは調性のあるフレーズを凄まじい勢いで弾きまくっており、そこには強烈なリズム、強烈な調性、強烈なメロディがすでに存在し、あとのふたりはそれに乗るか、あるいは反発するかという大きな二択を迫られることになる。とくにブッチャーにはその二者択一が突きつけられているが、さすがにやすやすと乗ることも、安易にまるでちがうことをすることもしていない。自己を強く主張しながら、マシュー・シップの「支配力」に対抗している。支配力というのは文字通りの意味でこれだけ具体的に弾きまくられたら、シップのピアノは共演者を、そして、この演奏を支配してしまうわけで、それをぶち壊したり、共調して新たなものを生み出すか……ということになるが、もし凡百の共演者だったらシップのピアノに絡め取られ、「マシュー・シップとその一味」みたいな演奏になってしまうだろうし、おのれの繊細な世界をつむいでいこう……というようなタイプの即興者(それは柔な即興者としか言いようがないのだが)にはやりにくいことこのうえないだろう。しかし、本作では、これだけシップがガンガン弾きまくっても、ブッチャーもレーンもそれに流されず、しっかりと自己をぶつけて、そこにすばらしい机上の楼閣を作り上げている。一瞬のちに消え去るのがわかっていても、机上の楼閣は机上なだけに美しい。もちろん、シップも、共演者がそれだけの実力者であるとわかっているから、これだけ「攻め」の演奏をしているのだ。すばらしい三人の世界であります。傑作!
「THE CLAWED STONE」(ROGUE ART ROG−0099)
JOHN BUTCHER/THOMAS LEHN/MATTHEW SHIPP
2017年のフランスでのスタジオ録音。この顔ぶれだと「タングル」というアルバムがあったが(2014年カフェ・オトでのライヴ録音)、あれも大傑作だと思ったけど、本作も負けず劣らずすごい。どうせおまえはジョン・ブッチャーが吹いてりゃなんでもええんやろ、という意見もあるかもしれないが、そんなことは……たぶんない。マシュー・シップというひとは、このことはみんなそう思ってるだろうし、私も何度も書いてるのだが、テナーサックス奏者と相性がいい。相性がいい、というような表現だと生ぬるいな。テナーサックス奏者を駆り立て、あおり、つつき、その臓物を引きずり出し、いつもの10倍ぐらい吹きまくらせるような発火剤となる。発火剤という言い方だと、自分は火をつけるだけで、相手に吹くだけ吹かしておいて傍観しているのか、と思うかもしれないが、まるで逆で、自分もガンガン弾きまくり、相手のリーダーアルバムだろうがなんだろうが気にしないような過激な表現を徹頭徹尾行う。しかも、知的でクールで、ときに何トンもあるような重量感があり、ときに鍵盤のうえを浮いているかのごとき疾走感があり、思い切りもよく、とにかくすべてをコントロールしている。たぶん、そんなところが硬派なテナー奏者から信頼を受けているのだろう。デヴィッド・S.ウェアはもちろんのこと、アイヴォ・ペレルマン、ポール・ダンモール、エヴァン・パーカー、そして本作のジョン・ブッチャーなど、引く手あまたである。なぜ引く手あまたなのかは、本作を聴けばわかる。ブッチャーも、(グロウルなどではなく、運指とアンブシャー等のコントロールによる)超絶的なマルチフォニックスの数々、フラッタータンギング、スラップタンギング、循環奏法……などを組み合わせて、驚異的なサキソホンミュージックを作り上げている。そして、そこにエレクトロニクスノイズのトーマス・レーン(めちゃくちゃセンスのいいひと)がこれまたバラエティ豊かなさまざまな音をぶち込んできて、まさに即興オーケストレーションである。静謐なものから激情的なものまであるが、静謐なものも、この3人だと、ただの静かな演奏ではなく、底にマグマが溜まっていて、いつ噴き上がるかわからない……というようなヤバいエネルギーを感じる。どうしてこういう演奏にここまで興奮するのか、自分でもよくわからないのだが、とにかく聴いていて、一瞬も飽きることなくひたすら盛り上がってしまうのである。もちろんそれはこの3人が「凄すぎる」からではあるのだが。タイトルの「クロード・ストーン」というのは、引き裂かれた岩、みたいな意味だろうか。なんか意味深ですね。傑作!