james carter

「JC ON THE SET」(DIW RECORDS DIW−875)
JAMES CARTER

  一時、ジェームズ・カーターにははまった。片っ端からアルバムを購入し、聴きまくった。今は憑きものがおちたような状態だが、久々に聴きなおしてみると、なぜあんなにはまったのか、そして、なぜ今、あまり聴かないのかの両方の理由がわかったような気がする。とにかく、ハッタリとケレンの人である。ただし、テクニックに裏打ちされたハッタリなのである。ラーセンのメタルによる濁った、ばかでかい音。突拍子もないところからはじまる、鬼面人を驚かすソロ。音程のないフリークトーンの多用。大味と紙一重の豪快きわまりない演奏。ブルース臭に満ちた、ファンキーでブルージーなフレーズ。フリーインプロヴァイズとかとは無縁の、クラスターのようなパワフルでパッショネイトでぐちゃぐちゃな逸脱。ズビダバズビダバといったホンキング。バリサクと見まがう低音の多用。誰かに似ている……と考えて考えてやっと思い至ったのは、アーネット・コブ、イリノイ・ジャケー、ウィリス・ジャクソン、ビッグ・ジェイ・マクニーリーといったホンカーたちである。ジェームズ・カーターはホンカーの末裔である、と言い切ってしまうのは簡単だが、そんな単純なものではないらしい。モンクの曲、サン・ラの曲、ドン・バイアスの曲……などのレパートリーを見ると、彼のルーツが古いジャズにとどまらぬ多彩な音楽のごった煮的なものにあるとわかるし、ジャンゴ・ラインハルトやジプシー音楽集で一枚作ってしまったりする面もあるし、バリサクなどの低音楽器へのこだわりは、サックスフェチである一面も感じさせる。そして、ジョシュア・レッドマンに代表される同年代のテナー吹きたちが、黒人らしからぬ頭脳プレー、繊細な演奏を心がけているのと対照的に、「吹き飛ばす」という言葉がぴったりの、よい意味で粗雑、かつ細部にねちねちこだわった、いかにも黒人的な笑いに満ちた演奏は、誰かを演奏させるなあ。とくに、ソロのはしばしでみせる、黒い哄笑というか、諧謔的な笑いは……レスター・ボウイ的といったらいいのか(彼はレスターのオルガンバンドで名をあげた)……とここまで考えてきて、やっとわかった。ローランド・カークだ。ホンカー的でブルーズマン的でフリージャズ的でオールドジャズ的でセンチメンタルで過激で過剰で……まさにカークそのものではないか。このアルバムは、たしかに全曲楽しいし、カーターのいいところは全部出ている。しかし、「メジャーに移ってからのカーターは牙をもがれた獣だ。彼の最高作はやっぱりDIW」という意見にはうなずけない。私はメジャーでの企画ものも好きだし、(本作を含む)荒削りな感じのDIWの諸作も好きだが、DIWの諸作にしてからが、カーターの本領を完全に発揮させたものとは思えない。まだまだすごいことができる人だと思っている。カークの、「ヴォランティアード・スレイヴァリー」以降のすさまじい作品群と並ぶような、めちゃくちゃな傑作をばんばん作ってくれるにちがいないと確信している。がんばれ、ジェームズ・カーター。

「JURASSIC CLASSICS」(DIW RECORDS DIW−886)
JAMES CARTER QUARTET

 ジェームズ・カーターのスタンダード集だが、フリー寄りのミュージシャンにスタンダードを演らせてみました的な企画ものとはちがった、かなりえぐいものになっているのは、カーターのテナー吹きとしての底力を示している。一曲目の「A列車」の冒頭、ハーモニクスでギャオーッギャオーッと汽笛の音を鳴らしたあと、超アップテンポで吹きまくり、イリノイ・ジャケーばりにホンキングしまくり、ついにははちゃめちゃのフリーに突入……とてんこ盛り。リズムセクションもいいし(とくに、不器用そうなピアノ)、見せ場やたらと多し。おもちゃ箱をひっくり返したようなにぎやかさ、騒がしさ、陽気さだが、終わってみると、おもちゃがところ狭しと散乱した部屋を見つめて「ふー、なんやったんや今のは……」と呟きたくなるような、深い味わいとは無縁の演奏。だが、それがいいのだ。それがジェームズ・カーターだ。やると決めたら中途半端じゃないぜ、とことんまでやったる。そういう潔さに私はひかれてるらしい。もちろん、深みのある演奏もあり、バラードとかも最高なのだが、基本的にはドガチャガした演奏が主である。しかし、やっぱりこいつはローランド・カークに似てるわ。2曲目のソプラノの大仰さなんか、カークのマンツェロとそっくりではないか。トリルを多用したり、フラジオの連発など、演奏自体も似ているが、なんというか、ソロの姿勢というかそういうものがよく似ているのだ。クリント・イーストウッドの番組で、ジョシュア・レッドマンとバトルをしたとき、あまりに非音楽的な部分の突出した、「見てみい俺のほうがすごいこと吹くでー」といったバトル的なバトルで、途中でジョシュアが笑い出してしまう場面があったが、そういう点もカークに似てる(「ミンガス・アット・カーネギー・ホール」とかいろいろ)。「エピストロフィー」のテーマの吹き方なんか、めちゃめちゃかっこいいが、そういったギミックというかハッタリを使わない部分のソロがあまりに普通というかオーソドックスで、これまた落差に驚く。レスター・ボウイ・バンド、フランク・ロウのサックスアンサンブル、ワールドサキソフォンカルテットへの客演、アート・アンサンブルとのツアーなどといった先鋭的な活動と、バディ・テイトらスウィング時代の巨匠との共演など、ブルースに根ざした活動がうまくミックスされていけば、もう一皮むけて、もっとすごいテナーマンになるはずである。これまでの作品のなかでは、この「ジュラシック・クラシックス」がいちばんいいとは思うが、彼の実力はこんなもんではない。このアルバムでもまだまだ全開ではない。がんばれ、ジェームズ・カーター。

「PRESENTTENSE」(EMARCY 0602517584495)
JAMES CARTER

 久々のカーターの新譜。一曲目はラッパと二管のハードバップナンバーで、しかも先発ソロをするラッパがいまいちぴんとこないので、ああ、この先どうなるねんと思ったが、二曲目のカーターがバスクラのワンホーンでドルフィーに捧げた曲がめっちゃよく、すっかり気をよくして、あとはとても楽しめた。カーターは本作でもさまざまな楽器をとっかえひっかけ吹いているが、ソプラノの泣き節や、バリサクの轟音、テナーのテンションの高いブロウなど、どの楽器もそれぞれの楽器の個性をいかしたうえで、完全に自家薬籠中のものとしている点は立派としか言いようがない。スタンダードやらなにやら、選曲的にもごちゃごちゃで、曲に対するアプローチも毎曲変えているので、ある意味、おもちゃ箱をひっくり返したような感じのアルバムではあるが、全体を「ジェイムス・カーター」という個性がつらぬいているので、木に竹を接いだような雰囲気はまったくなく、ブラックネスに満ちた、迫力ある好盤にしあがっている。ある意味、カーターをはじめて聴くひとにもすすめられるアルバム。

「LIVE AT BAKER’S KEYBOARD LOUNGE」(WARNER BROS.RECORDS INC. 48449−2)
JAMES CARTER

ジェームズ・カーターのライヴではあるが、ゲストが多いので、カーターの演奏だけをたっぷり楽しむというわけにはいかない。しかもカーターはいつもどおりテナーだけでなく、ソプラノ、アルト、バリトンを駆使しているので、よけいに焦点がぼけて、オールスタージャムセッションっぽくなっている。だが、選曲がすごくて、オスカー・ペティフォード、ジミー・フォレスト、エディ・ハリス、ドン・バイアス、ゲイリー・マクファーランド、ジョージ・デュヴヴィエ……と作曲者を列記していくだけで、おっ、これはなかなか……と思わせる仕掛けになっている。ゲストはジョニー・グリフィン、デヴィッド・マレイ、フランツ・ジャクソン(知らないテナーのひと)、ラリー・スミス(知らないアルトのひと)、ドワイト・アダムス(トランペット)……というあたりで、ピアノとオルガンがいて、ドラムもふたりいる。まあ、にぎやかなセッションだし、聴いているあいだは楽しいが、カーターのワンホーンのライヴだったらなあ、とも思わないでもない。それにしてもこのひとはソプラノからバリトンまで、なんでも「ちゃんと」吹けるし、それぞれの楽器の特性をいかしたソロができて、すごいよなあ。グリフィンもマレイも、自分をドーンと出す演奏で、すばらしい。でも、やっぱりいちばんいいのはカーターで、ゲストはいらんかったんとちゃうかなあと思います。

「CHASIN’ THE GYPSY」(ATLANTIC AMCY−1255)
JAMES CARTER

 アコースティックギター(あきれるほど超うまい)やアコーディオン(ものすごく効果的)などをフィーチュアした特殊なバンドをバックに、ジェームズ・カーターがジャンゴ・ラインハルトの音楽を自分なりのやりかたで表現してみせる。カーターはテナーよりもバスサックス(!)に重点を置いていて(ジャケット写真もテナーではなくバスサックスを持っているものばかりだ)、それがジャンゴのジプシー音楽を表現するのにぴったりだと思ったのだろうが、そこがこのアルバムの評価のわかれるところではないかと思う。バスサックスだと、いくらがんばってもかなりバリッ、めりめりっという音になるし、そのあたりがこの音楽の古いパリののんしゃらんで享楽的で哀愁的な雰囲気に若干逆効果になっているような気もする。これが、たとえばバリトンだったら、もっとコントロールできただろうし、それがハリー・カーネイのように深くディープでベルベットのように均一でしかも迫力ある音だったら言うことないのだが、(カーターもかなりそういう雰囲気を出そうとがんばっているが)バスサックスはなかなかそうはいかん。逆にいうと、ジャンゴの音楽を表現するための一種のノベルティさは普通のサックスよりもずっと現れているわけで、カーターの狙いはそこにあるのだと思う。そういう意味でひじょーにコンセプチュアルなアルバムだが、その狙いはかなり成功している。もちろん、テナーを吹いている曲は、なーんの問題もなく、すばらしい音で完璧に上から下までコントロールされているわけだが、全部テナーだとしたら、音楽的にはもっと完成度が高かったとは思うが、このバスサックス+2アコースティックギター+アコーディオン+ヴァイオリンという編成で奏でられるジプシーミュージックといういびつで麻薬的で魅力的な異常な空間は表現できていないと思う。とにかく、ギターのふたりがうまくて、このアルバムの魅力のかなりの部分を背負っているし、カーターも(ところどころぎくしゃくするが)すばらしい。また、いつものカーターの本領発揮のえぐいブロウも随所にあり、そこがコンセプチュアルな吹き方の曲との対比になっていて、楽しい。ソプラノの曲も1曲あり、あと、メゾ・ソプラノサックスというのを吹いている曲があって、これはなんでも、F管のアルトで、普通のE♭のアルトよりも1音高いチューニングになっている楽器らしい。ここでの演奏を聴くと、やはりジャンゴの曲を今やるというノベルティな感じには貢献していると思うが、効いているうちにカーターのあまりのうますぎる演奏に、楽器がどうとか全く気にならなくなっていた。フレージングももとより、タンギングとか死ぬほどうまいよね。なお日本語ライナーで何度も何度もバリトンサックスと書いてあるが、このアルバムではバリトンは使われてない。全部バスサックスである。ジャケットの写真では、バスサックスにまでカーターはアジャストーンのマウピをつけているが、これはバリトン用のを改造したのか、それともアジャストーンはバスサックス用のマウピを作っていたのか……。

「CONVERSIN’ WITH THE ELDERS」(ATLANTIC 82908−2)
JAMES CARTER

 タイトルどおり、ジェームズ・カーターが、ジャズ界の先達たちと吹き込んだアルバム。1996年の吹き込みだから、このときカーターはまだ27歳。その先達とは、レスター・ボウイ、ラリー・スミス、ハミエット・ブルーイット、ハリー・スイーツ・エディソン、バディ・テイトの5人で、いずれも管楽器奏者である。レスターとスイーツとバディ・テイトは故人になったから、一期一会のチャンスにこのアルバムをこのとき吹き込んだカーターは慧眼だったと思う。このうちラリー・スミスというひとについては注釈が必要だと思うが、1943年生まれのアルト奏者でビバッププレイヤーである。カーター自身の解説によると、ここ2〜30年のデトロイトのジャズシーンでは重要人物なのに、あまりクローズアップされたことのないミュージシャンだという。カーターは、その曲でフィーチュアする相手がバリトン奏者のときは自分もバリトンを、アルト奏者のときはアルトを、クラリネットならクラリネットを、テナーのときはテナーを吹き、相手がトランペットのときはテナーを吹く、という具合に、グレイトな先輩ミュージシャンを立てようとする気持ちだけでなく、挑戦する気持ちと吸収しようという気持ちが表れていると思う。1曲目はファンキージャズっぽい曲調でレスター・ボウイがイントロ的にちょろっと吹く、それだけでもうレスターの世界だ。音をへしゃげさせ、ねじ曲げ、トランペットという金管楽器がまるで木管のように柔軟にしゃべり出す。曲もレスターのオリジナルなので、ソロにはいるとまさに彼の独壇場である。技術的にはともかく、表現力という点で彼の右に出るトランペッターはなかなかいない。そのあと、ふたりでしばらく吹いたあとカーターのソロになるが、若いカーターのほうがトラディショナルな吹き方に思える。レスターの合いの手のほうが刺激的なのである。カーターのソロはかなり出たとこ勝負のラフなもので、そこがいかにもこのひとらしい。ねっとりしたテーマの吹き方もなかなか。2曲目は、ローカルミュージシャンだというアルトのラリー・スミスとの2アルトで「パーカーズ・ムード」。ラリー・スミスは線が細いが、正統派バップスタイルで、音を埋め尽くしていくことでブルースを表現している。カーターのアルトは太く、一音の説得力にかける感じ、かつ、さまざまなテクニックを駆使する。ときどきモダンな音使いもあり。どちらも聴き応えのあるいいソロ。ええ雰囲気のツインアルトである(バトルとはいえない)。3曲目は「レスター・リープス・イン」で、スイーツ・エディソンは高齢とは信じられないような安定したリズムとテクニックで吹きまくる。ある意味、本作に参加している「エルダーズ」のなかで一番しっかりしているかも。クレイグ・テイボーンのピアノソロもかっこいい。カーターのソロはいつもの強引かつ豪快にもっていく感じ。ブラックミュージックとしてのテナーを感じる。タニ・タバルの短いブラッシュソロもいい。4曲目は「ネイマ」で、ハミエット・ブルーイットとバリトン2本による演奏。これはガチンコ勝負で、なおかつ、本来は高音部で演奏すべきこの曲の雰囲気を、ちゃんと低音域で表現している点もよい。5曲目はバディ・テイトとの2クラリネット(ただしカーターはバスクラ)。ゆったりとした、ダルいブルースの雰囲気をいかに表現できるかが焦点だが、先発のカーターはちょっと飛ばしすぎか。つづくテイトはさすがの味わい。ひょろひょろしたクラがええ味だしてるわー。6曲目はスイーツ・エディソンとのブルース。パッと聴くと、レスター・ボウイとまちがえそうなほどスイーツのプレイはモダンで、表現力があり、しっかりしている。カーターのソロは、やや浮きぎみだが、ピアノソロはオールドスタイル。7曲目は2バリトンでアンソニー・ブラクストンの曲を。マーチのようなリズムで全編スタッカートで演奏される変わった曲。ソロはふたりで混合。本作中もっともフリー寄りの演奏だが、リズムはつねに一定。ピアノソロもフリーキーで、最後はバリトン2本だけになる。8曲目はテイトとの2テナーでカンサスシティジャズを。テイトは流暢だがやや弱々しいのに対して、カーターがやけに元気で張り切っていて、対比としてはおもしろいが、いまいち噛みあわない。でも、この共演はきっとカーターにいろいろなものをもたらしたものと信じる。9曲目はレスターとのワルツナンバー(カーターの曲)。カーターが先発で、鬼面人を驚かすタイプのギミックを総ざらいしての豪放なソロをぶっ放す。私はこういうソロは大好きだが、なんとなく空虚にも響く。それを受けて、レスター・ボウイが(レスターにしては)抑制された表現の短いソロを吹く。ピアノソロのあとのアレンジの部分が、レスター・ボウイの音楽世界をカーターなりにアレンジによって表現しているようで、すごく面白かった(このアルバム中、いちばん面白かったといってもいい)。というわけで、全体的には意欲的な意味合いはわかりすぎるぐらいわかるが、がっぷり4つに組んだという曲は少なく、やや中途半端か。各曲にもうちょっと尺があればなあ……いや、それだけでは解決しないだろうが。あと、ラリー・スミスの曲をもう一曲入れて欲しかった。

「OUT OF NOWHERE」(HALF NOTE RECORDS HN4520)
JAMES CARTER ORGAN TRIO LIVE AT THE BLUE NOTE

 文句なしの傑作だが、これももう10年近くまえの演奏なのか。ついこないだ買ったような気がするが。ジェイムズ・カーター率いるオルガン・トリオで、ライヴで、しかもゲストがジェイムズ・ブラッド・ウルマーとハミエット・ブルーイットだというのだから、これは聴くしかないでしょう。1曲目はテナーでスタート。なんとバラードなのだ(タイトルチューン)。むせかえるように濃厚なオルガンジャズの匂いのなか、サブトーンで怪しく吹き進むカーターの音の太さ、リアルさは、まさに当時のオルガンジャズと同じクオリティ。最近もオルガンに魅せられたプレイヤーがオルガンジャズを受け継いでいるが、往時とどこがちがうかというと、テナーなのだ。その点、カーターはさすがよくわかってらっしゃる。バディ・テイトの「ミッドナイト・スロウ」(だったっけ?)の雰囲気を感じさせる、ムードミュージック直前の腐敗臭漂うソロにはのけぞる。それにしてもええ音やなあ。しかも、ハーフタンギングなども含めた微妙な音色の表現が尋常ではない。2曲目はソプラノによる「アロング・ケイム・ベティ」だが、このひとはなにを吹かせてもその楽器の最高の音色を引き出すが、ソプラノのふくよかで鳴りまくる音もすばらしい。コントロールもばっちりで、聞き惚れる。ドラムソロのあとの絶妙のへヴィかつ「やりすぎ」感のある循環呼吸+異常な音色でのブロウは、だれしもローランド・カークを連想するだろうが、ライヴだけあって、めちゃめちゃはまりまくっている。ドナルド・ダックみたいな吹き方は、カークもやってなかったと思う。頭がおかしい。うますぎるわ、このひと。アクの強い、独特の表現をするひとなので、好みはわかれるかもしれないが、私は好きで好きで好きで好きでしかたないですね。3曲目は、いよいよウルマーとブルーイットが加わっての5人での演奏。けっこう長いドラムソロからはじまって、ワンコードの延々続くシンプルな8ビートになり、カーターのバリトンがさく裂する(ライナーにはテナーと書いてあるけど、バリトンです)。硬質な、中身がぎゅっと詰まったような音だ。ウルマーのギターは音色はもこもこさせているが、相手を傷つけるナイフのようなタイミングのフレーズやぐちゃぐちゃとこねくり回すような独特のフレージングは健在で、親指でぶんぶん弾きまくっていることが想像できる。続くブルーイットのソロは、音色はカーターよりも、やや柔らかい。いきなりハードに、フリーキーにブロウしまくる。場面を一変させる力はさすがのキャリア。そのあとカーターとブルーイットのバトル(?)みたいになり、いわゆる力技でのぶつかり合いになり、ここは本当に興奮する。ふたりとも個性のかたまりみたいなサックス奏者なので、おもしろすぎる演奏。ベースがいないので、ずっとフットペダルでベースラインを弾いているオルガンのジェラルド・ギブスさんご苦労さん。最後はまたしてもドラムソロになり(レナード・キング)、また、バリトンふたりがぶつかり合うという展開になってエンディング。あー、聴いてるほうも疲れるわ! 4曲目はブルーイットの曲で、カーターはここでもバリトン(英文ライナーには、ここではじめてバリトン2本での共演みたいに書いてあるが実際はまえの曲からそうなのだ)。(たぶん)ウルマーは入っていない。美しいバラード曲で冒頭はブルーイットのソロではじまり、そのままテーマを歌い上げる(そこにカーターがオブリガートをつける)。バリトン2本によるバラードなんて、なかなか感動的であります。ここで、ブルーイットはそのジャズサックス奏者としての基本的な凄さを存分に示す。なかなか余人の及ぶところではない幅広い表現で、本アルバム中のハイライトといってもいい演奏である。最後は吹きながらマイクから外れていくが、それをカーターが受け継ぐ。カーターは、音色の変化やギミック的なテクニックを多用しながらも、見事なブロウを示す。これだけ安定した美しいバリトンの高音のコントロールは、カーターのバリトンが余技ではないことを示している。すごいひとですよマジで。そのあとはオルガンの出番で洒落たソロ。最後はバリトン2本が即興的なアンサンブルを構築し、バリトンサックスという楽器のすばらしさを誇示するような、圧倒的な演奏になって、いやあ、これはすごい。たぶん、生で聴いてたら、涙なみだの感激ものだったと思う。ラストのブルーイットの超高音カデンツァもすごいよね。このアルバムの白眉。というか、2000年代ジャズの収穫といってもいいぐらいの演奏だと私は勝手に思いました。5曲目はブルースファンにはおなじみの「リトル・レッド・ルースター」で、いわゆる「どブルース」。ウルマーが復帰して、けっこうちゃんとしたブルースソロを繰り広げる。ウルマーのボーカルに、カーター(バリトン)とブルーイットが絶妙のオブリガードをかます。そういうブルースだけのアルバムもあったが、ウルマーって、ブルースが素材だとなぜかすごくちゃんと弾くのだよな。ブルーイットのソロ(カーターはなし)のあとまた歌に戻る。この演奏は短い。最後の曲はロバート・ケリーの「アイ・ビリーブ・アイ・キャン・フライ」。カーターはまたバリトン。バリトン比率の高いアルバムだなあ。テナーを1曲しか吹いていないとは。最初、バラード風にはじまり(ここはたぶんブルーイットが担当)、インテンポになって、カーターのバリトンソロになる。いかにもオルガンジャズ全盛期のような、当時のポップヒットをやってみました的な匂いのする、良い意味でのチープさもある演奏だ。オルガンソロは、もしかしたらこのアルバムでは一番のソロかもしれない。そのあと今度は(たぶん)ブルーイットのバリトンソロになるが、かなりアグレッシヴなブロウだ。そして、バリトンふたりが同時に吹きはじめ、リズムセクションが消えて、インテンポのままでデュオになる。まるでワールドサキソフォンカルテットのようだが、ここも本作の聴きどころのひとつ。ふたりで吹きたいだけ吹きまくって、一旦終了し、最後、一瞬だけバラードになって終わる。超かっこいいぞ。

「LAYIN’ IN THE CUT」(ATLANTIC RECORDING CORPORATION WPCR−27960)
JAMES CARTER

 毎度毎度このひとのアルバムを聴くと「アホかーっ!」と叫びたくなる。ふらりと入った定食屋で頼んだ料理が、通常の4人まえぐらいあって、「食えるかーっ!」と思うのだが、食べてみると超美味い……みたいな感じなのである。ジェイムズ・カーターのアルバムを聴いて満足しなかったことはない。とにかく腹いっぱいになるし、感動もする。カーター本人はなにをやろうとあまり変わらない。しかし本作は趣向がいつもと違うような気がした。ドラムがカルヴィン・ウェストン、ベースがジャマラディーン・タクーマとくれば、これはもうプライムタイムだが、ギターがマーク・リボーとジェフ・リー・ジョンソン(!)のふたりとならば、うーん、マジでオーネット・コールマンの音楽に挑戦か、という気にもなるが、実際聴いてみると、ああいうふわふわした変態ファンクの雰囲気はなく(つまりハーモロディックがどうとかいう感じはない)、めちゃくちゃファンキーなリズムに乗っていつも通りに豪快に吹きまくる……みたいな演奏。とにかく豪快で骨太でマッチョでギトギトでパワフルだ。どっちかというとカーターより共演者(マーク・リボーとか)のほうがどんどん逸脱していく感じの演奏をしている。1、2、3、5曲目が全メンバーの共作とクレジットされていることでもわかるが、基本的にはコンポジションは希薄で、一種のセッションのようである。1曲目のラストではカデンツァ的にカーターがスラップタンギングやマルチフォニックスの嵐をぶちかまし、4曲目ではソプラノの循環呼吸で過激にブロウしまくる。3曲目ではギターが大きくフィーチュアされ、めちゃくちゃかっこいい。5曲目の冒頭ではカーターの(さっきも書いたとおり)脂でギトギトな感じの無伴奏ソロがフィーチュアされる。6曲目はたぶんアルトで、ヒステリックなオーバーブロウがものすごい(タクーマのエレベソロもすげーっ)。全体にツインギターが見事に効果をあげていて(録音の良さもあると思うが)、どの曲を聴いてもめちゃくちゃすごいからみが聴ける。何度聴いてもその密度の高いからみ(濃厚にからんだり、全然べつのことをやったり……)は最高であります。それにしてもカーターを聴くときいつも思うことだが、テナーが主奏楽器であることはまちがいないと思うが、ソプラノ、アルト、バリトン(どれも本作で吹いている)を吹いてもこれだけ各楽器の個性をいかしながら(音色がどれもすばらしいのです)「カーター色」に染め上げることができるサックス奏者はなかなかいないと思う。しかも、どの楽器を吹いてもめちゃくちゃ上手いのである。コールマン・ホーキンス、ベン・ウエブスター、イリノイ・ジャケー、アーネット・コブ、バディ・テイト……といったテナーサックスの猛者を堪能したければ、このひとのアルバムを聴くべし、と思う。スタイルはまったくちがうんだけどね。傑作!