「NEVER LET ME GO」(A PLAYSCAPE RECORDINGS PRODUCTION PSR#111095)
THOMAS CHAPIN QUARTETS ’95 & ’96
チェイピンのライヴ3枚組。全部カルテットによる演奏だが、ピアノのピーター・マドスンのみ共通で、ベースとドラムは異なる。しかし、3枚を通して、ほぼ共通の、熱い演奏が収められている。曲よし、アルトソロよし、ピアノソロもよし、リズムよしで言う事なし。70年代ジャズ、つまり、曲作りもソロもモード的な手法がベースになっていて、そういううえに積み上がる熱気やインタープレイの新しさが「かっこいい」とおもえていた時期の空気がチェイピンのなかには95年、96年あたりにもちゃんと生きていたのだ。ここに詰まった、怖ろしいほどの熱気は、たしかにゲイリー・バーツやソニー・フォーチュンやなんとかやかんとか(急に名前は出てこない)がかつて持っていたものなのだろうが、それに加えて、90年代のこういう演奏は、熱くあるが暑くはない。つまり、聴いているとめちゃくちゃ清々しくて、あー、暑苦しいなあ、しんどいなあという感じにはならん。このひとやマーティ・アーリッヒ、チェカシン、ジョン・ゾーン、リーマン、マハンサッパ、ザミール、ミゲル・ゼノン、最近ではあのひと、えーと名前出てこん、といった熱血アルトな人々の共通項というのはあるなあと思う。なにかというと、まず音色で、それよりまえのアルトの音がけっこうしょぼくてよれよれ、でも、アルトというのはこういうもので、それはしかたないんだよ的なイメージだったのだが(俺だけか?)、彼らは、アルトのすばらしい音を持っている。これはもしかしたら(かなりもしかしたらなのだが)フュージョンの影響なのかもしれんなあと思ったり思わなかったりする。あと、さっきも書いたモード的な曲調とそれにぴったり対応して吹きまくれる技量、そして、バップの影響なのだが、チェイピンに関してはこの3枚組の2枚目の「レッドクロス」(無伴奏ソロではじまるところがカッキー!)を聴けば、その溢れ出るバップフレーズとそれを見事なアーティキュレイションで吹きこなしている彼の本気というかベースのひとつがわかるというものだ(こういうのは簡単なんだよとかいうやつがいたら首を絞めたい)。さっき書いたひとたちはなぜかハードバップではなくビバップに立脚しているような気がする。それはきっと、アルト吹きにとってのチャーリー・パーカーという存在のせいではないかと思うが、表面的に真似しているのではなく、アーティキュレイションがバップになっていて、心地よいったらありゃしない。ジョン・ゾーンだって、ソニー・クラークとか言っているが、あれもハードバップではなく、バップの感じがする。でも、スティーヴ・コールマンやケニー・ギャレットにはそういうものを感じない(しつこいけど、アーティキュレイションにおいて)。とかなんとかぐちゃぐちゃいってもしかたない。バラードやらポップ感のある曲なども含めて、この3枚組はもう、美味しい演奏が詰まっているので、3枚組かあ……とか言わずにただちに聴いてほしいです。フルートも歌心にくわえ、カーク的なブロウもあって、モードっぽい曲なのにブルースを聴いているような錯覚におちいるほどの黒いフィーリングがすばらしいし(2枚目4曲目のカデンツァ最高!)、アルトもダーティートーンをここぞというときに使うかっこよさがダンディズムを感じる。3枚通して聴くのはたいへんなので一日一枚でいかがでしょう。4日目にはまた1枚目を聴くのさ。ええ曲ばっかで、チェイピンの作曲力の凄さもわかるし、リズムも曲によって多様。4人がぎゅーっと一体化しているのもすごくて、もう、1曲1曲の盛り上がりがすごいのです(2枚目3曲目なんかえげつないっすよー)。全編通して、フリーな感じのアプローチがほとんどないのも面白い(3枚目1曲目の冒頭ぐらい?それもイントロ的扱い)。ごくフツーの、なにげないアルト+ピアノトリオというカルテットでも、こんなにいろいろできるんですねということを95、96年の時点で証明したような作品。現役のアルトをやってるひとたちにはぜったい聴いてほしいっす。あ、そうそう、ピアノもめちゃくちゃいいですよ。ベースとドラムも貢献大。とくに藤原清登のベースソロは感動的です。
「INSOMNIA」(KNITTING FACTORY WORKS KFWCD 132)
THOMAS CHAPIN TRIO PLUS BRASS
1992年録音のチェイピンのトリオ(ベースはマリオ・パヴァーヌ、ドラムはマイケル・サリン)に2トランペット、2トロンボーン、1チューバという5人のブラスを加えた演奏。ニッティングファクトリーでのライヴ録音。全編チューバ(マーカス・ロジャスというひと)が効果的に働いている。1曲目の一見変拍子っぽい曲はチューバのユニゾンでの超印象的でかっこいいラインにはじまり、チェイピンのフルートソロは3+3+2のうえで展開する(溌剌していてカークっぽいなあ、とおもったがチェイピン自身のライナーにはライオネル・ハンプトン、オーネット・コールマンと並んでカークの名がある)。ドラムが炸裂し、熱気あふれる演奏を聴いていると、あー、これこれ! とうなずいてしまう。そんな風にざっくりと雑に受け止めてはいけないのだろうが、「あの時代」の熱かったシーンがここに蘇る。続くトロンボーンの豪快なソロのあとテーマを挟んでもうひとりのトロンボーンによる、これも豪快なソロ。どちらも楽器をめりめりいわせるようなフルトーンでのブロウで、またしても、あー、これこれ! と叫んでしまう。最後にちょっとだけでてくるチェイピンのグロウルしたアルトもかっちょええ! ラストのなんだかわけのわからない、延々と続くエンディング(これは文章で表現するのはむずい)もすばらしいとしか言いようがない。というわけで、1曲目でいきなり心臓を鷲掴みにされて、このアルバムの世界に引きずり込まれてしまう。2曲目は不穏な雰囲気のチューバとトロンボーンのラインにはじまるタイトル曲で7拍子の曲。めちゃくちゃ速いベースのランニングのうえでトランペットがノイズの塊をぶちかますような生々しいソロをする。続いてトロンボーンとチューバのリフのうえでもうひとりのトランペットのミュートソロ。アルトの小気味のいいフリーキーなソロ(スラップタンギングが効果的)のあとブレイクになって、トロンボーンソロがフィーチュアされる。速いリズムが戻って管楽器が一斉に吹き出し、混沌としたなかでエンディング。おもろい! 3曲目はチューバがレイ・ステュアートというひとに代わる。フルートがリードをとる柔らかな管楽器のアンサンブル。いやー、めちゃくちゃかっこいいやん。チェイピンのフルートがエキゾチックな雰囲気のなかを揺蕩う。この感じ、たまりませんね。やはりカークのオーラを感じる。エンディングに至るチェンバーミュージック的なアンサンブルがまたまたかっこいいのであります。4曲目はトリオによる演奏。アルトの無伴奏ソロにはじまり、そこにドラムとベースが入ってくるがっつりした即興からテーマ(めちゃむずかしい)に入る。4ビートになって、アルトを中心にいろいろな場面が、ときにユーモラスにときにシリアスに展開していく。やっぱりトリオのほうが自由というか好き放題な感じだ。ベースソロとドラムソロもフィーチュアされ、これもすばらしい。5曲目はなんつーのかな、きっちりした譜面のある演奏で、テーマが終わったあとのブレイクのとき、なぜか客がざわめく。けっこう混沌とした感じだが、チェイピンのアルトがそのなかから際立って屹立し、アンサンブルになっていっそうパワーを得て、無伴奏のアルトソロになる。激情的にはじまり、クールになり、そこからわけがわからん感じに展開していき、最後は祝祭日みたいになっていくあたりのすばらしさよ。このわけのわからなさは最高ではないですか! いやー、天才だったのになあ……と突然悲しい気持ちになったりもする。6曲目も、4曲目と同様トリオによる演奏だが、フルートによる鋭く幽玄なソロは正直言って「めちゃくちゃかっこいい!」のです。2分ぐらいの短い演奏で、その短さもこの演奏を際立たせている。7曲目は本作でもっとも長尺な18分30秒の演奏。チューバべースが炸裂するファンキー(というのかなあ……)なテーマのあと、チューバの無伴奏ソロになるが、マルチフォニックスを駆使したすごい演奏。そのあとアルトが激熱のブロウをぶちかます。アルトソロとしては本作中の白眉。すごいよなー。それから二人のトランペットによるバトルになる(ひとりはプランジャー)。こういうあたりは伝統的なジャズの文脈を踏まえた演奏である。そして、トランボーンふたりによるバトルになる。これも当然のように盛り上がる。そのあとチューバソロになるが、ここが聴きどころなのである。チューバがぐいぐいとまえに出て、それを盛り上げるアンサンブル……かっこよすぎる。ドラムソロになり、全員によるヴォーカルのコール・アンド・レスポンスになり、テーマになる。エンディングを長く引っ張るのはライヴならでは(メンバー紹介が入る)。ラストの8曲目はたぶんアンコールで、フルートを中心にメンバーが笛(?)を吹いているアンサンブル。アルバムの締めくくりにふさわしい。傑作としか言いようがない。チェイピンのアルトに関してはほかのアルバムで十分に味わえるので、本作はそれとは微妙にちがう魅力というべきかも。