don cherry

「LIVE IN ANKARA」(SONET SNTF669)
DON CHERRY

 昔は入手しにくくて、紙ジャケのCD化ではじめて聴いた。ドン・チェリーというと、今ではなんとなく「癒し系」というか、牧歌的というか、民族音楽的というか、そういう面ばかりがクローズアップされるようだが、実際には、さすがにフリージャズの尾をひきずっていて、このアルバムも、全体としては癒し的な感じなのだが、要所要所にエレキギターにも聞こえる過激なトランペットブローやゴツゴツした岩のような音塊のぶつけあいがあり、演奏をひきしめている。69年といえば、「永遠のリズム」や「MU」あたりが出て間もない頃で、ドン・チェリーがフリージャズ以降の音楽を模索しはじめた時期であるが、そんなときにすでに、地元のミュージシャンばかりを従えて、こんなナチュラルかつアグレッシブな演奏をしていたことは驚きだ。あれ、これ聴いたことあるやん、というような曲の断片も入っていて、全体としてひとつの組曲のようでもある。このあとチェリーは、より一層ポップで自然な方向(に見えるような方向)に向かうが、その分岐点のひとつともいうべき演奏じゃないんでしょうか。個人的には、「永遠のリズム」で得たものを、現地ミュージシャンと一緒に楽しくわけあうことができました、という感じに聞こえる。

「LIVE AT CAFE MONTMARTRE 1966」(ESP−DISK ESP4032)
DON CHERRY QUINTET

 これは思わぬ発掘。「コンプリート・コミュニオン」や「シンフォニー・フォー・インプロヴァイザーズ」などの時期のドン・チェリーの欧州のライブ。音質はばっちり。メンバーも、ドン・チェリーのほかは、テナーがガトー・バルビエリ、ヴァイブがカール・ベルガー、ドラムがアルド・ロマーノ……という今から考えると豪華なメンバー。一曲ずつMCがあり、演奏は真摯そのもの。ドン・チェリーがすばらしいのはもちろんだが、ガトーのテナーがなかなかいい。後年のブエノスアイレス風ブロウもすでに片鱗を見せているし、きちんとドンの音楽性を把握したうえで、自分のソロパートで楽曲の枠を破るような演奏をしているのも、彼の年齢を考えると、末恐ろしいタマだ。しかも、ちょっと聴くだけで、「ああ、『あの頃』だなあ……」としみじみ感慨にひたれるような、独特の音である。具体的に説明すると、たとえば本来リズムのある曲の場合、現在ならばフリー系のミュージシャンでも、リズムをいかして演奏するのが普通だが、当時は、とにかくどんな曲もリズムを崩していたようで、サックスがインテンポでテーマを吹いていても、バックは「インテンポで演奏するの恥ずかしい恥ずかしい」とでもいうように、テーマを崩し、ソロも崩す。どんなジャンルでも、そういった「初期演奏」を聴くのは楽しい。このことは、ビバップ初期の演奏にもいえる。本当に初期の初期のバップは、評論家がよく言うように、フロントのソロのラインは、はじまるべきところではじまらず、終わるべきところで終わらないし、音の跳躍が激しいし、ものすごく細かいコードチェンジをしている。ドラムも、シンバルでリズムキープし、バスドラで変なアクセントをつけてソリストを刺激している(ロイ・ヘインズとかに顕著)。ピアノもベースも、いかにも「新しい音楽をやってまっせ」的な感じに聞こえ、全体として、落ち着きがなく、座りの悪い音楽に聞こえる。しかし、バップも後半になると、そういったことがどれも「ほどほど」になり、前衛さが薄れて、落ち着いた音楽になっていく。フリージャズも同じで、ポストフリーとかいうけど、あれは初期の、「俺たちゃ新しいものをやってんだ。なんでもかんでもこれまでとはちがったことをやらなきゃなんねー」みたいな落ち着きのなさがなくなり、「ほどほど」になったというだけだと私は思う。でも、新しいムーブメントが起こった初期の、瑞々しい、挑戦的な音源というのは、いつの時代も、聴くものを挑発してくれる。本作は、まさにそれだ。

「MUSIC/SANGAM」(HEAVENLY SWEETNESS HS015CD)
DON CHERRY LATIF KHAN

 ドン・チェリーとインドのタブラ奏者ラティーフ・カーンのデュオだが、エレクトロニクスやらなにやらがいっぱい使われていて、ふたりとは思えないカラフルな演奏になっている。どちらかというと「ブラウン・ライス」とかああいった民族音楽フュージョンみたいなテイストもある。今の耳で聴くと、チープなところもあるのだが、さすがにドン・チェリーがやると、まったく風化しない。こういうもんだ、といった感じでスーッと聴けてしまうのは不思議。人柄=音楽、というのをこれほど実践したひともいないだろう。A面がドン・チェリー主体のセットで、オーネットの曲やモーリス・ホワイトに捧げる曲などを演奏したりしており、B面はカーン主体のセットでインド音楽を前面に出した作りになっているが、聴いてみたらそんな差はあんまり感じられず、とにかくドン・チェリーのラッパ、歌、笛などにすっかりはまってしまう。ああ、こういう風に演奏できたらなあ……。

「LIVE AT CAFE MONTMARTRE 1966 VOLUME TWO」(ESP−DISK 4043)
DON CHERRY

 ガトー・バルビエリ、カール・ベルガーらを擁したドン・チェリーグループのモンマルトルコレクション(?)第二弾。最初、マイナー調の曲(「アルバート・アイラーに捧げる組曲」とか)が続くが、「エレファンタジー」や「コンプリート・コミュニオン」なども演奏されており、ドン・チェリーの曲にヴァンダーマークやグスタフソンなどの演奏を通して親しんでいるようなひとにも興味深い内容となっている。ただ、演奏はやはりライヴなので、荒い部分は荒く、雑なところもある。それが迫力につながる面ももちろんあるが、ノリ一発のところやバップ的なアドリブを長く続けるようなところは、ややダレるかも。でも、全体としてはさすがの出来で、とくに若きガトーのブロウはほかの用事をしながら聞いていても、思わず耳をそばだててしまうような凄みがある。やっぱりええなあ、ガトーは……という感じで、一種のフリージャズセッション的にも聞けるアルバム。

「ETERNAL RHYTHM」(MPS UPS−2131−P)
DON CHERRY

 ドン・チェリーで一枚といわれたら、かなり考えに考えたすえに本作に落ち着くかなあ。「ミュー」とか「ブラウン・ライス」とか、傑作が枚挙にいとまのないチェリーだが、やっぱり私が受けた衝撃を考えるとこの作品だろう。大学一年のときにはじめて聴いて、衝撃と影響を頭からどしゃどしゃと浴びた。いきなりはじまる笛二本吹きの素朴かつ自由かつかっこいいプレイに引かれ、アルバム全体を貫く民族音楽的だがじつは似非民族音楽であり、しかもじつは民族音楽よりも民族音楽の本質を射抜いた「空気」と、それを背景として吹きまくるトランペットでの歯切れのいい迫真の演奏に引かれ、何度聴いてもじわじわこみ上げてくる「楽しさ」にも引かれた。これはもう、ドン・チェリーの、というより、ジャズ史に燦然と輝く大傑作というしかない。傑作というものは、時間がたっても、いつまでも変わることなく、たとえば松尾芭蕉の俳句のように汲めどもつきぬイマジネーションが詰まっていて、色あせることはないのだなあ、とこういうアルバムをたまに聴くとしみじみ思う。フリージャズはジャズじゃない、とか、音楽じゃない、とかいう連中はこの作品を聴いても同じことをいうのだろうか。すでに本作が録音された時点でその手の論議の結論はとうに出ているのである。一曲目の冒頭からB面ラストの音まで、間然とするところなく、ドン・チェリーの魔法にかかってしまう……そんな最高の音楽。

「OLD AND NEW DREAMS」(AN ECM PRODUCTION ECM1154)
OLD AND NEW DREAMS

 傑作。はじめて聴いたとき、ああっ、という一種の「悟り」のような感じで、それまで理屈ではわかっていたつもりだが、どうしても「体感」できていなっかたオーネット・コールマンの音楽がこのアルバムを聴いて瞬時にわかった(と思った)。本作は、オーネットは健在なのになぜかオーネットがいないオーネットバンドによるオーネットトリビュートであって、一曲目に「ロンリー・ウーマン」をもってきているあたりも、彼ら自身がそう思っていることのあらわれだと思うが、年月を経て、よりすっきりとわかりやくなったオーネットの音楽は、このメンバーによるこのアルバムによって、完成形として世に問われたようにおもう。オーネットがこういう演奏をしていたころは、世間の風当たりとか無理解とかもあったと思うが、なによりオーネット自身が、これからなにかを切り開いていくという過程にあったわけで、 試行錯誤の繰り返しだったと思われる。それを後年、振り返るような形できちんとまとめあげたのが本作なのである。だからといって、昔を懐かしむとかあの時代の音楽を再現、みたいなノスタルジックな後ろ向きな精神はみじんもなく、オーネットの最初期の音楽が今でも通用する、いや、今ではこれほどメジャーな感じで万人が共感できる音楽だったのだ、ということを素直にわからせてくれるという意味で、非常に価値のあるバンドだと思う。だって、私もこのアルバムで、オーネットの音楽が「わかった」、といったら上から目線になるが、そういう感じだった。オーネットというと、今でもあれは偽ものだ、山師だ、はったり屋だ、サックス奏者としてはアマチュアだ、作曲はいいけどアドリブはでたらめだ……みたいな意見があり、私自身もかつては、ドルフィーと比較するとソリストとしては「圧倒的存在感」みたいなものや、迫力に欠けるように思っていたが、今は逆に、そんなことを自分が思っていたことがアホらしく感じるほど、オーネットはすごいと思っている。たしかに初期の作品は、パッと聴くと「?」が頭につくものが多いが、ゴールデンサークルやブルーノートの諸作などはだれが聴いてもわかりやすく、そのすばらしさがわかるのではないか。ドルフィーなんかと比較するのがそもそもまちがいであって、オーネットの音楽というのは、テーマとソロが不可分であり、テーマの持つ「気持ち」や「空気」を発展的にどんどん展開する、それをメンバー全員で「せえの」でやる、みたいなものだと思う。プライムタイムも、基本的にはそういう音楽的土壌に基づいているのではないか。俺を聴け、俺のソロを聴け、みたいな音楽ではそもそもないのに、ジャズファンというのはサックスが吹いていると、サックスソロ+リズムセクションみたいな聴き方にどうしてもなってしまうので、物足りなく感じるのではないか。オーネットの浮遊感ただようアドリブは、全体のなかの個として聴かなければおもしろくないのです。そういったことを、なぜかオーネット不在のこのアルバムで教えてもらったような気がする。そういう意味で、たいへんありがたい作品だが、そんなことは置いておいても、本作は楽しい。ポップですらある(オーネットの曲はたいていポップだが)。ヘイデンの捕鯨反対の曲でクジラの声を模した部分はちょっと笑ってしまうけど。なお、5人対等のグループだと思うが、便宜上、最初に名前の出ているドン・チェリーの項に入れた。もともと「オールド・アンド・ニュー・ドリームス」というのはデューイ・レッドマンの曲名だから、デューイの項目にいれようかとも思ったのだが、このグループのコンセプトからして、ドン・チェリーでいいかなあと思う。

「LIVE AT THE BLACKNELL JAZZ FESTIVAL,1986」(BBC JAZZ LEGENDS BBCJ7004−2)
DON CHERRY

 これは傑作なのだ! 86年のライヴで、共演はカルロス・ワード、エド・ブラックウェル、ナナ・バスコンセロス、マーク・ヘライアス。ブラックウェルはこの6年後に亡くなっているが、このころは57歳だからめちゃ元気。ドン・チェリーはこの時期、たいがいの傑作、問題作、重要作を吹き込んだあとなのだが、じつはまだ50歳。バリバリの時代である(今の私と同じだ)。いかに若くして活躍していたのかがわかる。で、このライヴだが、はっきり言って、大傑作だと思う。チェリーといえば、オーネットとやってたころは、バップのパロディ的なフレーズを吹いていたし、シェップらとやっていたころはかなりノイジーな音も出していたし、その後は民族音楽というか牧歌的というか、シンプルで耳に残るような演奏を行っていたし、ムーやブラウンライスあたりだともはやサウンドとしか呼べないような演奏をしていたり、ときにはハードバップ的だったりロック的だったりすることもあり、まさに千変万化のひとという印象だが、このアルバムでは、きわめてハードなチェリーが聴ける。「ハード」といってもなんのこっちゃと思うかもしれないが、グループのコンセプトが、めちゃめちゃ美味しい70年代モードジャズ+民族音楽という感じで、バンドとしてリズムもすごくタイトだし、ソロもぐいぐい、ぶりぶり攻めてくる。ブラックウェルとナナからなるリズムは信じがたいほどカラフルかつ素朴、そしてロックでもあり、超強力なのだ。マーク・ヘライアスのベースもまるでマイルスバンドのようにグルーヴする。この3人のリズムセクションの凄さがバンド成功の土台になっている。カルロス・ワードのアルトが全編にわたって凄まじいブロウを繰り広げており、ときにモーダルに、ときにバッピッシュに、そしてときにフリーキーに吹きまくる。小気味よい、締まった低音から、伸びのいい、聴き惚れてしまうような高音まで、すばらしい演奏。そして、チェリーもいつもよりも硬派な感じだ。わざとへしゃげた音を出してノイズっぽくしたり、牧歌的な鼻歌のような演奏をしたりせず、コルネットをひたすらちゃんと吹く。こんなにうまかったっけ、と瞠目するほど。まるで、ブッカー・リトルみたい。しかし、アルバム全体が、同時にめちゃくちゃ「ドン・チェリーの音楽」にもなっていて、もう何遍聞いたかわからないぐらい惚れた。曲は、カルロス・ワードの作曲のものが多く(3曲)、オーネットの曲も2曲、あとはナナの曲とマークの曲、そしてチェリーの曲が各1曲という構成。そういう意味でも、カルロス・ワードが音楽監督的な立場だったのかなと推察されるが、とにかくかっこよくて、楽しい。23分半にわたる1曲目がやはり白眉であろう。1曲といっても、さまざまな局面があって、一種の組曲のようになっていて、聴き所満載。複雑なリフをワードとチェリーがばっちり決めるあたりもスカッとします。ほかの曲も全部いい。2曲目はオーネットの曲で、速い4ビート。ベースソロとドラムソロもフィーチュアされるが、ワードのアルトソロが(こちらの思い込みもあるのか)オーネットのようにくねくねしていておもしろい。3曲目はバラードっぽい曲。シリアスなベースソロがフィーチュアされるが、テーマを吹くカルロス・ワードの音色のつややかさも心に染みる。4曲目もオーネットの曲。テーマはちゃんとしているが(すごく個性的な曲ではある)、ソロに入るとフリーっぽくなり、途中、おそらくナナのヴォイスが加わる。ワードのソロはめちゃくちゃ速い4ビートに乗っての、フリーなもの。5曲目はナナの曲で、ビリンバウを弾きながら、自身のエコーをかけたプリミティヴなヴォーカルがフィーチュアされる。タイトルもまさしく「オー・ビリンバウ」。これはナナの曲であり、ナナの演奏であり、ナナの音楽世界であるにもかかわらず、ドン・チェリーの音楽世界でもある。6曲目はワードの、ゆったりした4ビートの曲で、ミュートをかけたドン・チェリーのプレイは独特の歌心があふれていて、見事。7曲目も、民族音楽色が強い演奏で、ベースのヘライアスのオリジナル。ずっと、柔らかい音の通奏低音のフレーズが続く、ミニマルミュージック的な雰囲気もあり、アフリカンなヴォイスもフィーチュアされる。最後の曲は、やっとドン・チェリーの曲で、ペンタトニックでできているような素朴なメロディを、かっこいいリズムに乗せた曲。というわけで、とにかく1曲目だけでも聞いてほしいと思う、後期ドン・チェリーも凄かったことを実証する一枚であります。

「”MU” FIRST PART」
「”MU” SECOND PART」(SNAP 067CD)
DON CHERRY

 私は、レコードで持っているものは、よほどのことがないかぎり(どうしてもCDに追加されている別テイクが聴きたいとか)、CDで買い直すということはないのだが、これは珍しくCDで買い直した。というのは、レコードだと2枚だが、CDだと1枚に収まっていて、いっぺんに聴けるからだ。それぐらい、好きなのだ。BYGというレコード会社は、この1枚(2枚?)を出すために存在したといってもいい(記念すべき1枚目でもある)。ほかにも問題作はいっぱい出しているが、歴史を変えるほどの真の傑作はこれぐらいのものではないでしょうか。ドラムとトランペットのデュオというこのシンプルすぎるほどシンプルなコンビネーションに、これだけの豊饒な意味合いが宿ったとは奇跡かもしれない。それはたとえば、コルトレーンがエルヴィンやラシッド・アリとデュオをするというのとはまったく別次元の、ジャズというものがすべての虚飾を捨てると、ここまで単純でここまで美しくここまで力強い「音」がその芯に残っていたのだという驚愕の演奏なのだ。当時としては恐ろしいほどに大胆な試みだったと思うし、だからこそ、ここまで踏み込んで演奏したこの二人に対して皆は感動し、賞賛したのだ。この演奏は、たしかに表面的には牧歌的であり、のどかでプリミティヴで歓びにあふれ、どこかの国(特定はできない、いわゆるガンダーラ的な)の民族音楽のような、聴くものの心を豊かに、ほっこりさせるものだが、実はたいへんチャレンジングで、前衛的で、突出している。本当は研ぎ澄まされているのだが、それは一切おもてには出てこない。そして、こういう演奏をするひとたち、つまり後続がたくさん出たが、結局、このふたりだからこそ出来たということなのだった。あたりまえのことであるが、それはなかなかわからないものだ。ドルフィもマイルスもブロッツマンもコルトレーンもオーネットもいまだに凄い凄いと言われているが、それは「最初にやったから凄い」のではなく、「最初に最高のものを作ってしまった」から凄いのである。ドラクエの最初のやつみたいなもんだ。あるいはスーパーマリオ。とにかく、ここに収められた演奏は、フリーとか即興を志向するあらゆる後進ミュージシャンの聖書となった。何度聴いてもすごいし、まったく古びていないが、一番凄いのは、聴いていてとにかく楽しくてかっこいいことだ。聴いていないひとはただちに聴きましょう。ドン・チェリーは、そのへんに転がっている笛とか太鼓で、宇宙の深遠まで掘り下げるような深くておもしろくてかっこいい演奏ができると証明したコペルニクスみたいな偉人なのだ。

「HEAR AND NOW」(ATLANTIC WPCR−27406)
DON CHERRY

 民族音楽とフリーな精神の融合を追求してきたチェリーだが、世界中のリズムを積極的に取り入れ、ロック的なビートも積極的に使ってきたひとなので、このアルバムのようなかなりロックグルーヴに傾いた、かなり本格的なアシッド・ジャズ、フュージョン、ポップミュージックを演奏することも、ブラウン・ライスなどの延長として十分に考えられることではあった。とにかくチェリーというひとは、音楽に垣根とか境界を設けないので、多くのジャズミュージシャン(ジャズにかぎらないが)が苦労して乗り越えたり、くっつけたり、取り入れたりする他ジャンルの音楽をやすやすと自分のものにしてしまう。しかし、それはあくまでチェリー流の「自分のもの」なのだが、それで十分だ、というか、それがいいのだ。研究したり弟子入りしたりして本格的にその音楽を学ぶという選択肢もあるが、チェリーの流儀はそうではない。これはどちらがいいという問題ではない。というわけで、本作は(プロデューサーのせいもあって)相当本腰を入れた無国籍ワールドポップミュージックで、メンバーもレニー・ホワイトやマイケル・ブレッカー、コリン・ウォルコット、スティーヴ・ジョーダン、マーカス・ミラー、トニー・ウィリアムス……といったフュージョン系の猛者が脇を固めていて、フリージャズ命の硬派ファンは「おいおい」と思うかもしれないが、先入観を持たずに聴けば、チェリーの本質的な部分はまったく変わっておらず、それが逆に、こういうメンバーの手によっていつもとは違った感じで面白く生まれ変わっているということがわかるはず。ドン・チェリーのファンなら、チェリーのこういう側面についても十分承知しているだろうから、逆に大喜びするぐらいの出来映えである。1曲目はマイケル・ブレッカーが唯一入っている曲だが、ホーンセクションとして譜面を吹いているのかと思いきや、がっつりソロを、しかも曲の空気をわきまえた、チェリーバンドの一員としてのソロを吹いていて感動的である。ギターも大活躍。2曲目はチェリーのボーカルというか語りがフィーチュアされた曲。3曲目はパーカッションとコーラスが配され、チェリーの呪詛(?)も入ってる。4曲目は「カリフォルニア」というタイトル通り(?)すがすがしいフュージョン風サウンド。ジャケット裏には共演者として「オーシャン……母なる自然」と書いてあるが、要するに海の音がダビングされている。ほぼテーマだけの短い演奏。5曲目はなんと「ブッダのブルース」で、8ビートのロックブルースにチェリーがトランペットでめちゃめちゃちゃんとしたソロを吹いたかと思うと、そのあとすぐにフルート(普通のフルートではないようだ。笛?)に持ち替えて素朴すぎるぐらい素朴なソロをワンコーラス吹いて、またトランペットに戻る。なんやったんや?そして、どこがブッダなのか。お釈迦さん怒ってきはるで。6曲目はチェリーのフルート(インディアンフルート的な笛か?)とパーカッションふたりによる演奏で、素朴といえば素朴だが、とにかく短すぎて一瞬で終わる。7曲目はコーラスの入ったポップチューン。ここまでくるとサウンド的にはドン・チェリーだかニニ・ロッソだかわからない感じで、ほぼ9割はチェリーは出てこない、ただの「曲」なので、まあ軽く聞き流すのがよかろうと思います。老婆心。ラストは組曲で3つのパートに別れている。カラフルなパーカッションの16ビートに乗ったサンバっぽいノリのマイナー曲。ちょっと西部劇のサントラ風でもある。ラッパとギターがつかず離れずにソロをする。急に全体がとまり、インディアンフルートの無伴奏ソロになる。ここらあたりがチェリーらしさを感じる。でも、それはほんの一瞬で、すぐにニール・ジェイソンのエレベが活躍するトラックに。チェリーの吹くテーマもちょっとインド風かも。これもすぐに終わってエンディング。ドン・チェリーの変態的なソロをたっぷり味わうというわけには逆立ちしてもいかないが、全体としておもろい音楽になっていると思う。全体に曲調やチェリーのソロそのものはいつものチェリーの音楽なのだが、それ以外にフィーチュアされるほかのメンバー(しかも、それが大半を占める)のソロがあまりにバックのサウンドに合いすぎる、普通にうまく、普通にかっこいいものなので、そこが評価の分かれ目かもしれない。私は好きです。でも、ブレッカーには1曲だけといわずもっと吹いてほしかった。

「MODERN ART」(MELLOTRONEN MELLOCD 034)
DON CHERRY

 ドン・チェリーを中心に、彼の音楽に共鳴する(おそらく)スウェーデンの若者たちが集まって演奏したライヴ。セッションではなく、きちんとアレンジされた曲が多い。モキ・チェリーも入っている。メンバーのひとりだったPER TJERNBERGが再発プロデューサーも務め、彼による詳細かつかなり長いライナーノートもついており、ブックレットも充実している。TJERNBERGは自己名義のアルバムを12枚も出しているドラマー〜パーカッション奏者だそうだが、彼がチェリーから受けた影響はたぶんはかりしれないものなのだろうな。チェリーに捧げたアルバムも作っているし、81年にはチェリーをフィーチュアしたアルバムまで作っている。とにかく、本作はめちゃめちゃかっこいいし、ダレないし、楽しいし、シンプルだし、言うことなしである。ドン・チェリーのいちばんいいところが自然な形で出ている。録音もすごくよい。正直、このアルバムは聴いたことがまったくなかったけど、こんな傑作だとは思わなかった。ボーカルもトランペットもじつに「ええ具合」に炸裂しているし、リズムもプリミティヴで躍動している。ワールドミュージックというものは幻想だと思うが、こんな風に具体的に提示されるとかなりの説得力がある。しかし、よく考えてみれば、これはワールドミュージックでもなんでもなく、ドン・チェリー・ミュージックでありドン・チェリー・ワールドなのだ。どう聴いても、ジャズ、ロック、ブルース、インド、ガムラン、アラブ、チベット、中国……などなどなどなどの要素が絶妙なバランスで混じっている。なんというか、意図的にブレンドした、という感じではなく、ドン・チェリーの直感というか身体のなかから湧き上る衝動によって配合されている雰囲気なのがよい。この曲はどこそこのスケールにどこそこのリズムを合わせてみました的なものではまったくない。それにしても、リフというかモードというか、そういうものの持つ力というのは時代を超えるなあ。抒情も、スリルも、前衛的感覚もあるが、なにより一番感じるのは「自由」であって、その後のフリー・インプロヴァイズド・ミュージック的な展開よりも、ドン・チェリーのほうがずっと自由に聞こえるときもある。また、たとえば9曲目の「オーネットチューン」などは、チェリーのトランぺッターとしての根本的な上手さをはっきりと見せつけられる演奏である。共演者全員がチェリーの意図を完璧に理解し、一体となって演奏している点も好感度が高い(いわゆる手探り感がまったくないのです)。うーん、これは傑作でした。

「SYMPHONY FOR IMPROVISERS」(BLUE NOTE RECORDS BST−84247)
DON CHERRY

 名盤の誉れ高い本作だが、LPがどこかに行ってしまったので、CDで買い直して、非常に久しぶりに聴いている。学生のころは、とにかくファラオ・サンダースに耳がいって、ひたすらファラオのブロウに熱狂した覚えがあるが、こうして今の耳で聞き直すと、なんともしっかりした構成のある「ジャズ」のアルバムだと思った。これは万人が聴ける作品であり、フツーに傑作だ。それはたとえば「60年代という時代性を考えれば……」とか「こういうフリージャズ的なものを嫌いなひともいるかもしれないが……」とか「こういうのが好きなひとにとってはこたえられないような……」とかいった、鬱陶しい「前置き」をつける必要がないということで、これがアカンというひとは(たぶん)ほとんどいないと思うがどうか。もし、アカンと言う人がいたら、そのひとはかたくなに耳を閉ざしているか、よほどの先入観に固まっているわけで、一度そういうものから自分を開放して、たとえば今流行っているポップスとかアイドルグループの曲を聴く、ぐらいの軽い気持ちで接してみたらどうだろう。それぐらいの感じでも、十分この音楽は楽しめるし、喫茶店やショッピングモールのBGMとしてかかっていてもそれはそれで大丈夫なぐらいのしっかりした音楽的安定がある(ふさわしい、とは言ってない)。で、内容だが、1曲目(表題曲)は、こののちのチェリーの朴訥かつヘタウマ的な数々のアルバムを念頭におくとちょっとびっくりするぐらいの、超馬鹿テクな天空を行くがごときハイトーンでの壮絶なブロウやバップ的なフレーズを壊そう壊そうとする過程などが記録されている(チェリーはその後もいろいろなアルバムで、ときどき「えっ?」というぐらいテクニシャンぶり、バッパーぶりを披露しているので驚きはないが)。こういうシチューエーションだと、ときには茫洋、能天気な感じを生んでマイナスに働くこともあるヴィブラホンもじつにいい緊張感を生み効果絶大だ。ガトーの濁った音色のブロウは鼻血ものだし、ファラオの(これこそ超ヘタウマな)ピッコロも、ここではフィットしている(が、ピッコロ以外にほとんど出番がないのが残念)。ブラックウェルのドラムの躍動感の半端なさも感涙もの(ソロパートもさすがに聴かせる)。途中で出てくるチェリーの朗々としたスパニッシュモード風の歌い上げもすばらしい。カオスのようなフリーフォームの部分も、混沌としているようで、チェリーの芯のあるコルネットがじつはしっかり引っ張っているので安心。「シンフォニー」というだけあって、さまざまな場面が用意されているが、それぞれなんとなーくチェリーの意図がわかるようでうれしい。全体に、リズムはキープされており、それに乗った演奏なので、聴きやすいにもほどがある。ね、最初に書いたこと嘘じゃなかったでしょう? 楽しい演奏なのだ。2曲目は一転してバラード(ライナーの藤本史昭というひとが「ジャズにあるまじき美しいテーマ」と書いているのは、冗談なのか?まあ冗談ということにしておこう)。カール・ベルガーはピアノも弾いている。チェリーの歌い上げ(本来の音がいいことがこういう演奏でよくわかる。わざとへしゃげた音を出しているのだ)のあと、(たぶん)ガトーのソロ。ええ音やなあ。このあたりからベルガーはヴィブラホンにチェンジ。リズムが消えて、混沌とした部分を経て、ミディアムテンポになり、チェリーのソロ(このバックでのドラムは最高よ)。ベルガーのソロを経て、さあ、皆さん、おまちかねのファラオ・サンダースの登場ですよ。この瞬間のためにずっと聴いてきたのだからねっ。いきなりアクセル踏みまくりのフリークトーンではじまり、あとはひたすらギャーギャー吹く。やっぱりこのころのファラオは最高でございます。ブラックウェルのソロとリフを経て、ふたたび登場するファラオの激演は、嘔吐のようなフレーズ(?)を吹きまくって熱い。これだこれだこれですよ。なんだかーんだといってもこれ。これが聴きたくって音楽聴いてるんだよね。あーっ、もっと延々やってほしいのに。ライナーで藤本史昭というひとがたのソロについて「他のすべてを無意味にしてしまうようなそのサックスは……」と書いているが、まあ、そう書きたくなる気持ちもわかる。一歩まちがえると「潰し」になりかねないファラオのテナー。でも、その「潰し」になった演奏すら、いや、演奏こそを聴きたいというのがファラオファン共通の気持ちだと思う。そして、そういう危険性のあるファラオをメンバーに加えたコルトレーンは本当に慧眼の持ち主だと思う。後期コルトレーンを馬鹿にするやつは、ほんと許せないのだ。そしてベースソロのあと、ふたたび混沌としたなかで演奏は終了する……かと思いきや、突然またファラオが暴走をはじめ、それにブラックウェルが合わせて、もう滅茶苦茶になってから、ゆったりした雰囲気になって、ベースがランニングをはじめ、ベルガーのソロがそこに乗り、チェリーが先導して、今度こそ本当にエンディング。あー、楽しかった。いやー、ブルーノートでした。傑作。

「BROWN RICE」(A&M RECORDS 397 001−2)
DON CHERRY

 レコードでは持っているのだが、しょっちゅう聴くのでCDも買ってしまった。CDは変なジャケットのやつだが、中身は問題ないし、レコードも持ってるからまあいいか。とにかく大好きなアルバムで、ロックでポップでエスニックでフリージャズ……という、だれが聞いてもほっぺたが緩む、楽しく、狂気に満ちた架空の民族音楽みたいなもの。ドン・チェリーは「エターナル・リズム」あたりから世界中の民族音楽を取り入れたような演奏を本格的にやりはじめて、それは非常にそれぞれの民族音楽の表面を撫でただけのような、浅い理解によってなされた演奏というか、ええとこどりというか、なんとなくガムラン風、なんとなく中東風、なんとなくチベット風、なんとなくインド風……みたいなものとして受け取られたことがあるかもしれない(想像で書いてるので、ないかもしれない)。でも、結局それは、「ドン・チェリー族」という架空の種族が「ムー」という国に住んでいて、彼らにとっての民族音楽なのだから、なんら問題ないのだ。その「ドン・チェリー族の音楽」のひとつがこの「ブラウン・ライス」の演奏であって、わけのわからんボーカルも、素朴な笛も、狂気のテナーブロウも……この世のどこかにあるその国の曲なのだ。われわれの知らないその国の音楽を、ドン・チェリーはまるで夢のように我々に教えてくれるのだ。ここに収められた演奏について、私は学生のころ、フランク・ロウがもっと暴れてほしいな、という感想を抱いていたが、今の耳で聴き返すと、フランク・ロウは少ないソロスペースとはいえ十分暴れているし、なにしろ全体がドン・チェリー族の音楽なので、それを壊すことなく見事に溶け込み、ちゃんと個性的ななにかを付け加えている。ドン・チェリーで一枚といわれたら、「エターナル・リズム」かこれを推すと思う。無人島には持っていかないけど、有人島に持っていく一枚といわれたらこれでもいいなとぐらい思ってます。大好きな傑作。

「WHERE IS BROOKLYN?」(BLUE NOTE RECORDS BST−84311)
DON CHERRY

 ブルーノートに3作あるドン・チェリーのリーダー作のうち、最終作。1枚目の「コンプリート・コミュニオン」はテナーがガトー・バルビエリで、2作目「シンフォニー・フォー・インプロヴァイザーズ」はカール・ベルガーやジェニー・クラークが加わった7人編成、この3作目こそ、シンプルなカルテットでファラオ・サンダースのテナーがたっぷり味わえるのである。え? ドン・チェリーは? というなかれ。もちろんドン・チェリーはリーダーであって、3作ともリーダーとしての個性は際立っていて、チェリーの音楽であることは間違いないが、本作を聴けばわかるように、チェリーはコルトレーンがファラオに対してそうしたように、自分の音楽を作り上げる道具、あるいは必殺の武器としてファラオを使っている。道具とかいう言葉はよくないかもしれないが、チェリー自身はそれほどしゃかりきに吹かなくても、曲や全体の構成、空気感などを定め、あとはファラオに好き勝手にやらしている感じである。ファラオという飛び道具は、上手く使えば本当にとんでもないすばらしい効果を生むのだ。このアルバムはほとんどの曲がアップテンポ(4曲目はミディアム)で、テーマのあとドン・チェリーとファラオが順番にソロを吹いていき、ときどきベースソロが挟まる……というめちゃくちゃシンプルな構造になっていて、ぶっちゃけなんの工夫もないようだが、それなのにどういうわけかものすごい自由さを感じる。これがドン・チェリーの魔法なのである。そういうわけなので、本作は若き日のファラオ・サンダースの熱血のブロウを聴くには最適である。聴いていると、わかるわかる、ファラオ、わかるよ! と叫びたくなるようなソロばかりである。私はめちゃくちゃ好きですね。どの曲のソロもさまざまなフリークトーン、クラスター、マルチフォニックス、オーバートーン、グロウル、特殊タンギング……などが駆使されており、ファラオがこの時点ですでに各種のオルタネイティヴ奏法を研究しつくし、直薬籠中のものとしていたことがわかってうれしい。おそらく本作が録音された1966年の時点で、さまざまなサックスの特殊奏法が知られてはいただろうが、ここまで徹底的にのめり込んで自分の表現としたのはファラオ・サンダースだけだったはずだ。そういう若者がいた、ということがなんともうれしいじゃありませんか。5曲目ではへろへろへろ……とピッコロも吹いている。子供が遊んでいるような感じだが、それがまたドン・チェリーの音楽に合っているのだ。ヘンリー・グライムズのベースはぐいぐいと皆を引っ張っていて、めちゃかっこいいし、エド・ブラックウェルのドラムは相変わらず素朴で自由で楽しい。そして、チェリーは「こんな風にやればいいんだ。俺が吹くからそれに合わしてくれればいい」みたいな感じでずっと自信たっぷりにコルネットを吹きまくる。少なくとも、このアルバムにおいては、チェリーとファラオは完全に分かり合っているし、4人が一体となっている感じがひしひしと伝わってくる。曲も、すべてチェリーのオリジナルだが、「アウェイク・ヌー」や「ザ・シング」のように有名曲も入っている(有名といってもヴァンダーマークやグスタフソンが取り上げたというだけかもしれないが)。テーマが微妙に合わないのは、たぶんファラオ・サンダースがちゃんと吹けていないというだけだと思う。わざとではないでしょう。ヴァンダーマークやグスタフソンのアルバムを聴いて、あー、こういう曲だったのか、とわかったりしておるわけです。でも、中身にはなんの関係もない。本当にすばらしい作品だと思う。ファラオ・サンダースのファンは必聴。もちろんドン・チェリーファンも必聴。ジャケットの絵はドンの妻モキの作品らしいが、これはやっぱりLPで見たいところですね。傑作。

「ART DECO」(A & M RECORDS 395 258−2)
DON CHERRY

 なんの予備知識もなく聴いたら、1曲目のドン・チェリーのオープントランペットによるイントロのあまりのまともさ(?)に驚くと思う。そのあとすぐにミュートをかけてテーマが演奏されるが、これがドン・チェリーのオリジナルとは思えない小唄というかスタンダードの歌モノとしか思えない曲であり、バンドもピアノレスではあるが軽がるとスウィングする。チェリーのソロもハーマンミュートをかけた、昔のマイルスやらなにやらを彷彿とさせるスウィング〜バップスタイルのもので、なんじゃこれは、どうなっておるのだ、レコードを掛け間違えたか、と思うひとがいても不思議はない。続くジェイムズ・クレイのソロは本領発揮の、サブトーンぎりぎりの渋い音色で軽く吹いた感じのもの。ふたりともかなりぎくしゃくしたところのあるソロだが、歌おうという気持ちは十分伝わってくるし、味わいはある。なぜ、こんな演奏を……? と思いながら2曲目を聴くと、これが「サムシン・エルス!」に入ってるオーネット・コールマンの曲で、ブルース形式の12小節のなかにドラムソロが入るというひねった曲。いろいろなミュージシャンに取り上げられている。ドン・チェリーもジェイムズ・クレイも普通のブルースとしてストレートにソロをしている。ヘイデンのベースソロしかり、ビリー・ヒギンズのドラムソロしかりである。3曲目はなんと「ボディ・アンド・ソウル」で、ここまで来ると、ああ、ドン・チェリーが普通の曲を普通に演奏するという趣旨のアルバムなのだな、と思うだろうが、ソレがまあそうでもない、というところがまた不思議な作品である。「ボディ・アンド・ソウル」はジェイムズ・クレイのテナーをフィーチュアした演奏(ベースソロもある)。これもストレートな演奏である。ドン・チェリーは不参加。4曲目はモンクの「ベムシャ・スウィング」。ヘイデンのベースの無伴奏ソロではじまり、テーマのあとドン・チェリーのミュートソロになる。このソロはかなりわやくちゃで、ドン・チェリーのいつものソロっぽい雰囲気が顔を出している。ジェイムズ・クレイもなんとなく(?)モンクっぽいソロをしているような気がする。そのあとなぜかもう一度ドン・チェリーのソロになり、ここは最初のソロよりももっとぐにゃぐにゃの、いい感じの演奏になっている。ドラムソロのあと、またクレイのテナーソロになり、どういう構成になっとるんや、と思っていると、そのあとベースソロになって、それからテーマ。なんの意味があるのかよくわからない。不思議不思議。5曲目は、39秒と超短いドン・チェリーの無伴奏ソロ。このあたりから演奏の雰囲気が変わる。6曲目はチャーリー・ヘイデン作曲の「フォーク・メドレー」で、ベースの無伴奏ソロのみの演奏。これはすばらしいです。7曲目はオーネット・コールマンの「ブレッシング」で、これも「サムシン・エルス!」に入ってるやつ。ドン・チェリーのソロはかなり自由度の高い感じだが、クレイのソロはコードチェンジに沿ったしっかりしたもの。続くヘイデンのソロはめちゃいい感じ。でも、いまだにリーダーであるチェリーの意図はよくわからない。8曲目はビリー・ヒギンズの曲(?)でドラムソロのみの演奏。9曲目はスタンダードでこれもジェイムズ・クレイのショーケース(ドン・チェリー不参加)。いぶし銀のテナーが訥々と歌う。すごくいいソロだと思う。ひねった感じのベースソロもあり。ラストの10曲目はまたしてもオーネットの曲で、パット・メセニーとの「ソングX」やプライムタイムの「オープニング・ザ・キャラヴァン・オブ・ドリームス」(未聴)に入っている。ドン・チェリーのソロは完全にフリーで、このアルバムでは一番「いつものチェリー」に近い演奏。クレイのソロも相当自由に勝手気ままに吹いていて(そうせざるをえない曲調なのかも)すごくいい。クレイのソロとしては本作中の白眉であろう。ベースのバッキングにも注目です。そのあとドラムソロになり、テーマに。かっこいい!
というわけで、このアルバムを巡ってはてっきり「ドン・チェリーが日和った」「ドン・チェリーの伝統回帰宣言!」「ストレートに曲を吹き、演奏をしているようだが、じつはフリージャズよりも自由な演奏だ」「ただの下手くそなバップに過ぎない」「一見、普通の演奏のようだが、じつはベースソロだけの曲やドラムソロだけの曲が入っていたり、オーネットの曲を3曲も取り上げたりと、深い意図が感じられる」「普通の曲もただひたすら普通に演奏するところに諧謔精神が表れている」……といった激論が戦わされているのかと思っていたら、そんなことはとくになく、世間はこのアルバムの演奏を素直に楽しんでいるようだ。なるほど、それが一番っすね。

「EL CORAZON」(ECM RECORDS ECM1230)
DON CHERRY/ED BLACKWELL

「MU」ファーストパート、セカンドパートという歴史的傑作があるこのふたりだが、本作は、傑作の再現、とか、なぞり、とか、あの感動をもう一度……的な感傷を軽々と乗り越え、一蹴し、まったく新しい世界を構築してしまった傑作である。ドラムとトランペットというと、今では珍しくない組み合わせかもしれないが(とくにフリーミュージックでは)、このふたりがパイオニアなのである。ドラムしか相手がいないのにフリージャズ的にではなくメロディを奏でる、ということの可能性というか、意味というか、そういうものがこのアルバムには詰まっていると思う。「MU」ではそれは萌芽であり、全世界に影響を与えたとは思うが、このアルバムでのふたりのコンビネーションは完全に発芽、大木となっている。1曲目の冒頭、ブラックウェルの空間を感じさせるドラムが軽ーい感じで叩かれるのを聴くだけで、あー、幸せ、あー、かっこいい……となる。そして、チェリーのトランペットが馬鹿テクでもなく下手ウマでもなく、ちょうどいい感じで吹き鳴らされる。まったく攻撃的でもぴりぴり張り詰めたりもしていないが、かといって弛緩しているわけでもなく、本当に「ちょうどええ感じ」なのだ。輝かしく、また飄々としたトランペットは最高である。トランペットだけでなくピアノ、メロディカ、各種パーカッションなどを使っているが、それらが「添え物」という感じではなく、モンクの「ベムシャ・スウィング」などはとくになにをしているというわけではないのだが、確信に満ちた、明快にモンクを感じさせるピアノだ。そのつぎの哀愁(というのとはちょっとちがうか。苦い悲しみを噛み締める、みたいな感じ?)を帯びたトランペットとブラックウェルの3連のパターンが延々続く演奏は、このふたりにしかできない、大げさでもなく、露骨でもなく、技巧に走らず、かといって伝えたいことはすべて伝える……というような見事な演奏。そして、チェリーのピアノがテーマを力強く再現する。すべて確信犯なのだ。だれだ、ドン・チェリーを下手ウマだなんて言ってるやつは。そしてマイクを軽く外して吹かれるトランペットのかっこよさ。ブラックウェルのドラムソロの力の抜け加減の心地よさとしなやかさ。この1曲目のメドレー16分のなかに最高のドラマがあるのではないでしょうか。2曲目はスカタライツのローランド・アルフォンソ作曲の「ローランド・アルフォンソ」というタイトルの曲(ほんまかなあ)。メロディカで切々と演奏されるが、そこに途中からブラックウェルのリズムがさりげなく入ってくる瞬間が、何度聴いても鳥肌が立つ。3曲目はドン・チェリーのドゥーシングーニ(と発音するのかどうなのかわからないが、とにかくアフリカの弦楽器。ドン・チェリーはよく演奏しているが、ウィリアム・パーカーとかも使っている)による3連のリズムがアフリカ的な雰囲気を醸しだすグルーヴのある曲。超絶かっこいいっす! 4曲目はおそらくウッド・ドラムを使った恐ろしいほどに深い響きと、西洋的なマーチングロールが出会う……というような演奏。プリミティヴなようでいてテクニカルでもある。かっこいい。5曲目は(たぶん)ドゥーシングーニによるソロからのブラックウェルの肩の力の抜けたドラムソロ、そしてチェリーのピアノによってアルバムタイトルナンバーの「エル・コラソン」が奏でられる。チェリーはおそらく左手でピアノを弾きながら右手一本でトランペットを操っている……のだろうと思う。さりげなくよりそうブラックウェルのドラム。すかすかの演奏だが、死ぬほどかっこいい。このあたり、全部かっこいいので、いちいちかっこいいと書く必要はないのだが、つい書いてしまう。かっこいい。そのあとのドラムソロは「リズム・フォー・ランナー」というブラックウェルの曲なのか? これも最高。ドラムソロで終わるというのも、なーんかいいですね。6曲目は、これはなにを叩いているのだろう。弦楽器(ドゥーシングーニ?)をパーカッション的に使っているのだろうと思うが、バラフォンの演奏を聴いているときのような酩酊感がある。グッドトリップできそうである。最後はチェリーのトランペットソロによる「ヴォイス・オブ・ザ・サイレンス」。たしかに静寂の声を聞いたような気になる。あっというまの44分。とにかく「MU」を聴いたことのないひともこれを聴くといいかもしれない。もちろん「MU」も聴いたほうがいいに決まってるけど。大傑作として大推薦します。