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「歌声の蜃気楼」(EKI ATTAR RECORDS EKI−1105)
CHIRGILCHIN JAPAN TOUR 2022

 世の中には「聴くべき音楽」は多い。「これを聴いてないなんて、あんたほんまにアホでっせ!」と他人から居丈高に言われるものではなくて、聴いた瞬間、あー、今までこれを知らずにいた俺はなんてもの知らずだったんだろう、バカバカ俺のバカと思ってしまうような音楽のことだ。そして、そういう音楽を皆に知らしめようと努力しているかたもいる。そういうひとたちのおかげで我々は本作のような演奏を耳にできているのだ。コロナ渦中に巻上公一氏の尽力で来日を果たしたトゥバ共和国の「チルギルチン」だが、とにかくホーメイのスーパーグループらしい。そういった音楽に知識のない私だが、聴いたらこれがスーパー中のスーパーであることはわかる。私にわかるぐらいだから、「聴くひとが聴けば……」という感じではなく、たぶん誰が聴いてもこのグループの凄さは伝わるだろう。音楽性といいテクニックといいポップさといい民族音楽的魅力といい、群を抜いて圧倒的なのである。私を含めて、ホーメイのことをほとんど知らない(「タイガに響くカルグラー」というアルバムにはひっくり返ったが)リスナーがなにげなく聴いても仰天して二階から転げ落ちるほどの衝撃を受けると思う。しかも、なんというか、「めちゃくちゃ楽しい」のだ。ここがポイントで、まったく聞いたことがない音楽なのに、パッと一瞬聞いただけで、胸にスーッと自然に入ってきてドーンと爆発する、「理解する」という過程がいらない演奏なのだ。3曲目のアイドゥシュマー・コシュケンディがリードする曲など、あまりに凄まじくて、今日本にあふれている音楽とつい比較したくなってしまうが、そんなことをしても意味がない。比較などする必要のない、とてつもない説得力のある音楽だ。全編「ドラマ」というにふさわしい歌だと思う。どの曲も、人知を超えたような凄まじい歌唱がフィーチュアされるが、このプリミティヴな感動をなんと表現したらいいのだろう。非常にストレートな歌い方とホーメイ特有の特殊なテクニックを使った歌い方が交互(?)に登場するが、それがめちゃくちゃ心地よい。使いたくはない「超絶技巧」という言葉をどうしても使ってしまうのだが、それが露骨なテクニックの見せびらかしとかではまったくなく(そういう音楽もありますよね)、このひとたちが伝えたいことを伝えるがための意味のある自然なテクニックであることがそもそもすばらしいのである。たとえば12曲目のアイドゥシュマー・コシュケンディの絶唱も凄すぎるが、それにからむ(?)ほかのメンバーの演奏や歌唱も圧倒的で、この感動を言葉で書き表すのは死ぬほどむずかしい。14曲目の、男女の会話がベースになった曲も楽しい。この曲、劇的なことはなにも起こらないのだが、こういう音楽が「日常」のなかから発生したことがよくわかる。なにかを模したような弦楽器の音が、ノイズっぽく響いて楽しい。15曲目の、口琴をフィーチュアした曲も凄い。雨あられと降ってくるアコースティックな響き。ダクソフォンを思わせるところもあるかも。ラストを飾る「競馬ピース」も楽しい。トレインピースと同じく、競馬というのは私はよくわからないが「草競馬」をはじめ、ひとの心を躍らせるものがあるのだろう。にっこり笑いながら聴き終えることができること請け合いである。このライヴを体験できなかった私たちのようなものにとって本作は大きな大きな贈り物である。