「FREEDOM−CELEBRATING THE MUSIC OF PHAROAH SANDERS」(SOUL BANK OF MUSIC SBM005CD)
MARK DE CLIVE−LOWE + FRIENDS
ファラオ・サンダースが2022年の9月に亡くなったあとに発売されたので、追悼的な意味合いのあるアルバムかと思っていたら、録音は2018年のロスでのライヴだった。じつは、私はファラオが亡くなったことで相当がっくりきていたみたいで、そういう追悼的なものは聴く元気がなくて、パスしていたのだが、やっと聴く気になった……という感じなのです。正直、ファラオは私の人生でもっとも入れ込んだテナー奏者(ほかにはアーネット・コブ、ローランド・カーク、コルトレーン、グロスマン……とかだが、やはりファラオが筆頭だと思う。同じフリージャズ黎明期のテナー奏者と比較してもシェップやアイラーとは比べものにならないぐらいファラオにのめり込んでいる)で、ファラオへの「思い」を前面に出した作品と言われると、うれしい気持ちと裏腹に「大丈夫か?」という気持ちも同時に頭をもたげるのです。 テオドロス・エイヴェリイ(テッドロスという表記もあった)がファラオ役(〇〇役というのは嫌な言葉だが、ジャズ評論ではしょっちゅう見かける)なのだが、ここにたとえばフリー系でスクリームするノイジーなテナー奏者を持ってこず、このひとにしたのはめちゃくちゃいい人選だったと思う。しっかりした野太いテナーの音、グロウルを中心にしたノイズ、ハーモニクスなども現代のテナー奏者として身に着けており、いかにもコルトレーン〜ファラオのラインを今表現するにふさわしい。物真似をしようとしていないところがいいと思う。でも、このひとがいくらがんばってすばらしい演奏をしても、ファラオのあの気の狂ったようなわけのわからないブロウは再現できないのだ。それはもうしょうがないことだし、そのこと自体がファラオがワンアンドオンリーだったことの証拠にもなる。しかし、本作はもうめちゃくちゃがんばっていると思う。 一曲目の冒頭部を聴くだけで、「ああ、スピリチュアルジャズというのはこういう風にやれば演出できるのだな」とは思う。「タウヒッド」に入ってる曲で、4小節のパターンの繰り返しのうえにテナーがいろいろぶちまける。そのあとドラムとテナーのデュオになり、そこにヴォイスがかぶさるが、この展開などはまさにファラオがその人生を通してつらぬいてきたモードジャズのスピリチュアルジャズ的側面だろう。ドラムソロが大きくフィーチュアされる。2曲目は「エレヴェイション」のテーマで、コービン・ジョーンズというひとのたぶんスーザホンが重々しいベースラインを奏で、そこにテナーのリフやヴォイスが加わっていく。テナーは次第にコルトレーン的なモーダルなフレーズをごりごりと吐き出すようになり、ファラオとはまたちがった魅力をぶちまけるが全体としてはまさにファラオの音楽である。とくにヴォイスが尖っている。全員が一体化したような感じで、めちゃくちゃかっこいいです。3曲目は「カーマ」に入ってるやつで、ベースのアルコとピアノのイントロで始まり、テナーがグロウルしながらテーマを吹く力強いバラード。ドワイト・トライブルのボーカルが深い。さっき書いた意味ではレオン・トーマス役なわけだが、そんなことはどうでもいいぐらい自身の歌唱に徹していてすばらしい。リーダーのシンセなどもライヴなのに右へ左へと活躍しまくっている。4曲目はおなじみ中のおなじみ「ユーヴ・ガット・トゥ・ハブ・ア・フリーダム」で、原曲よりもシンプルでハードなアレンジになっていてかっこいい。テナーもだが、ボーカルが大々的に活躍していて、うごめくような、というか、自由を求めてもがいているような感じがすごく感じられる。本作の白眉のひとつだと思う。5曲目は「セムビ」だが、どう発音するかはいろいろな説(?)があるのでよくわからない。テンビが多いような気がするが、センビとか「ザ・ンビ」説もあるらしい。アフリカっぽいイントロのモーダルな演奏だが、イントロからこういう風になるまで、ファラオはもっともっと時間をかけたと思う。それをけっこうすぐにこういう感じにする、というのは、おそらく時代がちがうのである。今はそんなことを待ってられないのだと思う。サックスはここではソプラノ。端正でいい感じ。6曲目も「セムビ」からの曲。エレピがいい。これもサックスはソプラノ。柔らかい音色でしっとりとフレーズを重ねていく。キーボードとからみあうあたりも聴きごたえある。こういうあたりの雰囲気はファラオの演奏にはないので、このグループのオリジナルな表現といえる。 二枚目は、大ヒット曲「クリエイター・ハズ・ア・マスター・プラン」から。私はこの曲については昔からキリスト教徒ではないからか東洋人ということもあってか、あんまりほかの曲ほどピンと来ていないのかもしれないが、それでも本作での演奏はこの曲のさまざまなバージョンのなかではしっかり受け止められる。それはやはりドワイト・トライブルのボーカルが大きくフィーチュアされるからだろう。レオン・トーマスとはまた違った側面から説得力をもって歌い上げている。冒頭、ちょっと「至上の愛」のフレーズが何度か聞こえるが、一瞬の遊び心とは思えないぐらい曲に溶け込んでいる。ファラオのこの曲が「至上の愛」の延長線上にあることの証拠ではないか。長いイントロ(?)があって2分ぐらいしてからあのベ―スラインが始まる。ヴォーカルはライヴならではのパフォーマンス(客いじり?)を行っているのか、めちゃくちゃウケているがそのあたりのことはよくわからん。ヴォーカルとテナーがゆったりとしたゆとりをもって演奏しているのはわかる。トライブがもう少しギャーッとスクリームしてくれるとほんと言うことないのだが、このひとはどんなときも破綻することなくしっかりと吹きながらもスピリチュアルな表現をするので、ある意味安心で、ある意味スリルはない。ファラオはそういう意味でのスリルはたっぷりあったひとで、メジャーになってからも「なにをするかわからん」……というはらはらした感じがあった。2曲目はエレピ(?)とベースが主体のバラードではじまる「エレヴェイション」に入ってる曲だが、途中でフェイドアウトされる。3曲目は「ラヴ・イズ・エヴリウェア」で、「ラヴ・イン・アス・オール」に入ってる曲で代表曲のひとつ。これもスピリチュアルな感じで冒頭いきなりヴォーカルがぶちかまされるが、テナーの出番はない。4曲目は「ヴィレッジ・オブ・ファラオズ」の曲で(まあ、こういう風にファラオの長い演奏歴からいいとこどり(?)をしているのです)ベースの力強い演奏で始まる。そこにソプラノサックスが乗ってテーマを吹く。これも、ああ……スピリチュアルジャズだなあ……と嘆息するような演奏。このバンドのメンバーはリーダーも含め、本当にこういうのが好きなのだろうと思う。リーダーのピアノがフィーチュアされるが、すばらしいですね。エンディングもよい。5曲目は「エレヴェイション」に入ってる、一般(?)には「ナイジェリアン・ジュジュ・ハイライフ」というざっくりした曲名で知られている曲。こういう風に演奏されるとまるでファラオが生きていて吹いたり歌っているかのような錯覚にとらわれる。トーキングドラムをはじめ、パーカッションがぶっ放され、二枚目の白眉といっていい盛り上がり。ボーカルがなんといってもすごいがほかのメンバーもがんばってる。テナーも、もう一歩踏み出したらもっと頭のおかしい世界に突入できると思うが、そんなことはわかってるけどここはあえてこの表現にとどまったと言われてしまうかもしれない。それぐらいすばらしい。この曲がラストチューンだったように思われるが、最後のバラードも「ヴィレッジ・オブ・ファラオズ」からの曲で、ピアノ(二台?)とベース、ソプラノサックスによるルバートな感じの演奏。ドラムなども入ってきて荘厳な感じ。多重録音なのかルーパーなのかわからないけど、とにかくラストにふさわしい重い演奏でこの二枚組は終わっていくファラオに捧げる演奏ではあるが、ファラオの生前にこれがなされたということも驚く。いわゆる追悼演奏ではないのだ。ファラオのリスぺトとしてはもちろんだが、70年代ジャズのリスペクトとしても、現代のスピリチュアルジャズとしてもめちゃくちゃ意義のあるアルバムだと思います。ひたすら楽しい傑作。