「NEW YORK IS NOW!」(BLUE NOTE RECORDS CDP7 84287 2)
ORNETTE COLEMAN
オーネットは、高校生のころ、「ジャズ来るべきもの」を購入し、何度も何度もひつこく聴いて、うーん、わからん、とサジをなげた。当時は山下トリオにはまっていて、坂田明の圧倒的な演奏にくらべて、この「歴史的名盤」におけるオーネットのアルトはしょぼすぎた。ようするに、高校生のガキにはわからなかったのですわ。そのあとも、いろいろ聴いたがいまひとつピンと来なかった。いちばんの問題は「音」です。あの、か細いようなぺらぺらの音色がいやなのだ。「ゴールデン・サークル」や「クロイドン・コンサート」あたりはけっこう好きだったが、あれはリズムセクションのせいかもしれないし、「チャパカ組曲」はめちゃめちゃ好きだが、あれはどう考えてもファラオ・サンダースのせいである。とにかくまったくオーネットの良い聴き手ではなかった。当時、ブラッド・ウルマーが「フリー・ランシング」などで突出した人気を誇り、その影響でかつてのボスであったオーネットも久々に注目を集めていた。とくに彼の「ハーモロディック理論」というのがジャズジャーナリズムで話題になっており、私もいろいろアルバムを聴いた。そのころオーネットはプライムタイムというバンドを率いており、その新譜である「ヴァージン・ビューティー」を買ったのを覚えている。なんとなく楽しいのだが、フリー的なおもしろさはまったくない。これをどう聴けばいいのか。まだ10代の私にはわからなかった。そのあと、某ジャズフェスでプライムタイムのライヴも体験したが、「音がしょぼいなあ」というのを確認しただけで、ぜんぜんいいとは思わなかった。これにはもちろんアルト嫌いの私の体質が影響しているはずで、だって、「オールド・アンド・ニュー・ドリームス」のアルバムはどれも大好きだったので、オーネットの「音楽性」とか「曲」が嫌いだったわけではないのである。それをくつがえしたのは、早坂紗知がオーネットの「音がすばらしい」と熱く語っているのを読んだときで、私は早坂紗知のアルトの音はすごいとかねがね思っている。彼女の音は、アルトの音が大嫌いだった私が「すごい」と思う音なのである。その早坂さんが「すごい」というんだから、これは私の認識不足というか耳がアホなのであろう、とそれ以来、オーネットを一生懸命聴きはじめた。そして、このアルバムである。昔、デューイ・レッドマン(めちゃめちゃ好きです)を聴きたくて聴いた覚えはあるのだが、こうして久々に聴いてみると、うーん、あまりにすごい演奏なので腰が抜けそうになった。もちろんデューイもすごいし(ああいう風に声を混ぜながらゆっくりゆっくりソロを積み上げていく、というのはすばらしいし、見習うべきです)、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズもすばらしい(とくにエルヴィンはいい。このアルバムに底知れぬパワーと躍動感を与えている)が、やはりそれらすべてがオーネットの統率力とアルトプレイによってもたらされていることを考えると、「ああ、吾あやまてり。オーネット、汝はすごかった」とはじめて心底から納得したのである。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ぺこりぺこりぺこり。
「CHAPPAQUA SUITES」(CBS DISQUE YS−816〜7−C)
ORNETTE COLEMAN
このアルバムはなあ……なんというか、鬼門のような感じである。レコード二枚組。しかも、フロントはオーネット・コールマンとファラオ・サンダース。リズムはチャールズン・モフェットとデヴィッド・アイゼンソンというゴールデン・サークル面子。これはもう、めちゃめちゃすごいにちがいない! というわけで、学生のころ、必死で探して買いました。聴いてみると、これがどうもピンとこないのだ。映画のためのサントラとして録音された、ということを割り引いても、どうにもよくわからない演奏なのだ。何度聴いても、途中でフッと(こちらの)集中力が途切れてしまう。退屈かというとそうでもない。オーネットは熱演である。というか、どうやらオーネットの熱演が私になじめないのだとおもう。というのは、白状すると、私にとって、このアルバムに対する興味のほとんどはファラオ・サンダースの参加にあるのだが、このアルバム、じつは最初っから最後まで、ただただひたすらオーネットがひとりでソロをする、という趣向(?)であって、ほかのメンバーにはソロはまわらない。オーネットファンには、もしかすると宝物のようなアルバムなのかもしれないが、ファラオ・サンダースが聴きたい私には「なんやこれ」という感じなのである。オーネットとファラオの壮絶なバトルが聴けなくても、せめてファラオがたっぷりしたソロスペースを与えられて、ぎゃーぎゃー吠えてくれればそれだけで、あーよかったよかったと思えるのだが、ファラオはバッキングのリフを吹くだけで、ソロとしてはD面においてちょろっと出てくるだけである。これではファラオ好きの私はたまらん。だが、よくよく考えてみると、たったひとりで二枚組を吹きとおすというのはなかなかすごいことではないか。これまではファラオ目線でこの作品を聴いていたから、もしかするとその真価がわかっていなかったのかもしれない。というわけで、今回、はじめてオーネット目線で本作を聴いてみた。すると……なるほど、これはおもろい。オーネットというひとは、私にはなかなか理解できない部分も多いひとで、まず音色とかソノリティが昔からピンと来ないし、演奏自体も一種の浮遊感に頼ったようなソロは私にはわかりにくいのだ(もちろん好きな作品もたくさんあって、ゴールデンサークルとかブルーノートの2作とかはよく聴きかえしている)。「サムシング・エルス」以来、オーネットのソロには「ストレートな熱気」というか「灼熱のブロウ」というか、そういったほとばしる汗の匂いのするような「熱さ」をあまり感じず、どちらかというと「はぐらかし」とか「すかし」というか、そういった距離感を「フリー」と称しているような気がするのだ。しかし、さすがに本作のようにレコード2枚組をひたすら自分のソロで埋めつくすような演奏だと、突き抜けるような熱気も感じたし、オーネットのサックス奏者としてのうまさも感じたし、もちろんそれだけの長丁場をもたせる彼のイマジネーションの凄味を感じることができた。ときどき顔をのぞかせるバップ的なフレーズや教則本的なフレーズに、オーネットってほんまはうまいんやなあと思ったりした(そういう聴きかたはよくないかもしれないが)。というわけで、長年所持しているが聴くことはまれなこのアルバム、今回久々に聞きなおしてみて、なかなか感銘を受けました。ただ……ただ、ファラオの出番がなあ……。
「THE SHAPE OF JAZZ TO COME」(ATLANTIC 1371)
ORNETTE COLEMAN
一年に一回ぐらい聞き返すが、そのたびに、なるほど、ええなあ、すごいなあと思うのは一曲目の「ロンリー・ウーマン」だけで、あとはやはりバップ的だ。この時期のオーネットの演奏について、よく、バップのデフォルメだとかパロディだとかいう意見があるが、デフォルメとかパロディというより、私にはバップそのものに聞こえる。しかし、「ロンリー・ウーマン」一曲のために本作を購入するとしても十分その価値はあると思う。なぜならこのマイナーキーのバラードのなかに、このあと展開していくフリージャズというものの要素のほぼすべてが詰まっているからなのだ。自由さと背中あわせの不安感、という一種の「気持ち」というか「心象風景」が、徹頭徹尾強烈なテンションがキープされたまま、最後まで描かれていく。オーネットだけでなく、ドン・チェリーもすばらしい。誤解を恐れずにいうと、本作のほかの曲を聴くよりも、一曲目の「ロンリー・ウーマン」だけを百回聴くほうがいいのではないか、とさえ思う。この曲は未来を示唆し、すべての門を開いた。オーネットがサックス奏者としてどうか、とか、ハーモロディック理論はいかがわしい、とか、そういった枝葉末節な不毛な議論をすべて吹き飛ばすぐらいの、真っ赤に溶けた溶岩のようなエネルギーがどろどろとこの演奏のなかにあふれている。チューンと即興がフリージャズという器のなかで溶け合った最初期の例であろう。まるで戦前ブルースのように、汲めどもつきぬ発想の源泉である。
「ORNETTE ON TENOR」(ATRANTIC 1394)
ORNETTE COLEMAN
学生時代にレコードを買って、何度か聴いたのだが、その後、金に困って売ってしまった。そのときの印象では、あんまりおもろない、と思ったのだ。今から考えると、「もともとオーネットはR&Bのテナー吹きだった。このアルバムでは、そういった要素も押し出している」みたいな評を読んで、勝手に、オーネットがブルースサックス的にブロウしているのかも、と思っていのが、聴いてみるとそうではなかった、というのが「おもろない」と感じた原因だと思う。そもそも当時はオーネットのアルト自体もさっぱりわかっていなかったので、テナーがわからないのも当然なのだ。それ以来、長年、このアルバムについてはなんの関心もわかずに過ごしてきたのだが、最近、耳は超信頼できる吉田隆一という人物が本作をめちゃめちゃ好きであることがわかり、CDを購入、25年ぶりぐらいに聴き返してみたのだが……びっくりした。ここまで評価というか印象が180度変わるのも稀だと思う。いや、180度というか、540度、いや900度ぐらいは感想が変わった。そのことを、今から書くわけだが、正直、この文章は書かないほうがいいんじゃないかと思った。なんか、いろんなひとからおまえはわかってない、とか馬鹿じゃないか、とかオーネットを侮辱するな、とか言われそうなので、自分の心のなかだけにとどめておこうかとも思ったのだが、やっぱり書くことにした。つまり……このアルバムはオーネット・コールマンの最高傑作である。そして、オーネットはアルトよりテナーのほうがずーーーっといい。その理由を述べると、まずは音。以前から(高校生のころから)、オーネットのアルトの音はしょぼいと私は思っていた。ドルフィーなどにくらべると、音の説得力が希薄なので、いくらいいフレーズを吹いても、いまいち聴くものの胸に届かない。しかも、そのフレーズもドルフィーのように一聴して「すげー」「キ〇ガイか!」「頭おかしいで」とわかるものではなく、鼻唄のように吹きとばすような感じなので、なかなかわかりにくい。オーネットの真価がわかるのは、(チャーリー・パーカーもそうだが)あるとき「あっ!」と思った人間だけだと思う。ずっと聴いているうちに、突然、天啓のようになにかに気付くのだ。パッとわかるタイプの演奏ではない。その一因に、音色がしょぼいことがあると思う。しかし、アルトの早坂さんが、オーネットの音はすごい、と断言していたので、私はこの考えはまちがっていると思って撤回しました。早坂さんが言うんだから、そうなのだろう。私は生でオーネットを聴いたこともあるが、やはり音に関してはよくわからなかった。しかし、かりにオーネットの音がすごいのだとしても、一般的にはなかなかわかりにくいレベルの問題だと思う。そして……そしてそして、このアルバムを聴けば一目瞭然というか一耳瞭然だが、オーネットのテナーはアルトよりもはるかに、フツーの意味で、鳴りまくっており、「めっちゃええ音」なのだ。しかも、(マウスピースはラーセンじゃないかと思うが)R&B的な濁った、硬質な音である。そして、音楽性も、その「音色」にじつにぴったりである。そもそもオーネットの音楽はテナーで吹くべきものではなかったのか。低音から高音まで、めちゃめちゃええ音で鳴っている音、それに、表裏一体でよくわかる(感覚的に)フレージング、アルトだと流れてしまって入ってこないフレーズも、テナーだとどれもこれも心に響く(俺だけか?)。それに、テナーのほうが、楽器コントロールも完璧なような気がする。そういったあたりが、1曲目で何度か出てくる無伴奏ソロではっきりわかる。私は、本作ではちょっととまどいぎみなギャリソンも、どんなときでもぴったり合わせるブラックウェルも、ドン・チェリーさえもどうでもよくて、ああ、オーネットのテナーだけずーーーーーーーっと聴いていたい、という気になるのだ。4人でやってる演奏なんだから、それはおかしいと言うかもしれないが、いや、そういうもんなんです。それほどオーネットのテナーの「音」と「フレーズ」は快感なのである。個々の曲についても書こうと思ったが、もうどうでもいい(ただ、1曲目の最後がドラムソロの途中で突然、バサッと切れたように終わるのが不思議。大手レーベルなのに、なんでこんな演奏を1曲目に持ってきたのかなあ)。裏ジャケットのオーネットの言葉はなかなかおもろい。「テナーサックスは(アルトにくらべて)リズム楽器だ。そして、黒人の楽器だ」とかD♭のブルースの黒人音楽における意味とか、とにかくテナーサックス礼賛が延々つづくのだが、それならなぜ、あんたはテナーではなくアルトを吹いているのだ、と言いたくなる。日本語ライナーの解説は、ロリンズの影響ということをさかんに書いているが、うーん……関係ないと思うけどなあ。たとえば2曲目は「ロリンズの影響がよく出た演奏」とか「随所でロリンズのような音色とフレージングを披露する」とか「ロリンズ的な要素が出ている」とか「今度はロリンズ色は希薄で」とか「音色はロリンズを思わせるが、アイデアが枯渇したのか」とか……とにかくロリンズロリンズで、そんなことはどうでもいいのでは。「ここでの演奏を聴くと『ロリンズが降臨した』と思われる瞬間が少なくない」というが、私はさっき書いたように、このアルバムこそオーネットの最高傑作だと思っているので、ほかのミュージシャンを引き合いに出して、ここは〇〇的、ここはちがう、ここは影響を受けている……こういう書き方をする意味がよくわからない。この時期、ロリンズがオーネットの影響を受けてるんじゃないでしょうか。そして、「アワ・マン・イン・ジャズ」でその影響をあらわにしたのでは? この解説って、オーネットが人真似をしていますとずっと言ってるだけのように思える。まあ、そんな歴史的考証はほんと、この気高い演奏のまえではどうでもいいが、もっというと、曲の解説で、〇分〇秒から〇分〇秒まではロリンズ的になる、とか、〇分〇秒でトランペットソロになり、とかなにが言いたいのかよくわからない。そんな、時計を見ながら音楽を聴いているひとがいますかね。4曲目の解説で「音色はロリンズを思わせるがアイデアが枯渇したのか(中略)ベースのランニングは前曲同様快調だ」とあるのも、私にはベースがあまりに旧来の「ジャズ」の感覚で演奏を支配してしまい、なにも変わらないので、オーネットがそれを崩そうとしているようにも聞こえるけどな。とにかく、この歳で900度印象が変わるアルバムってあるんだなあ、と思った。なにごとも、決めつけたり、昔の印象ではかったりしてはいけない。しかし、これからもきっとそういうまちがいを自分は犯すことがわかっている。評論家とか研究家はたいへんだなあ(どのジャンルにおいても)。小説家とか音楽家はやりたいようにやり、あとは責任を持つだけだが、評論家は解釈したり決定づけたり考証したり評価したりしなくてはならないし、10年後に、ああ、あのとき書いた評価はまちがいだった、と考えを変えたとしても、本を全部回収するわけにもいかないし……ああ、作家は楽だ。
「LOVE CALL」(BLUE NOTE RECORDS BST−84356)
ORNETTE COLEMAN
「ニューヨーク・イズ・ナウ」の姉妹盤。同じときの録音で、「ニューヨーク・イズ・ナウ2」として出るはずだったが、なぜか(売れなかったんやろな)あとになって、タイトルもこんな変なものになり、ジャケットもおねえちゃんの写真という、およそオーネット・コールマンらしくないもので発売された。ジャケットだけ見て、内容を知らずに買ったひとはさぞ驚いただろう。「ニューヨーク・イズ・ナウ」と同じく、エルヴィン、ギャリソンというコルトレーンのところのへヴィ級リズムセクションを従え、相棒はデューイ・レッドマンという最高のメンバーでの録音。エルヴィンやギャリソンに、チャーリー・ヘイデンやデヴィッド・アイゼンソン、エド・ブラックウェル、チャールズ・モフェット……のような自由さ、奔放さ、前衛性などを求めるわけにはいかない。このふたりはオールドジャズのひとなのである。しかし、それがこの二枚のセッションでは良いほうに傾き、すばらしい成果があがった。オーネットの曲が、コルトレーンのモード的な曲のように適当なものではなく、しっかりした構成やチェンジのあるものが多かったことも、たぶん良い方向に働いた。躍動しまくるエルヴィンとギャリソンの重戦車のようなゴージャスリズムセクションが煽り立てるなか、オーネットとレッドマンが好き放題に吹きまくる。オーネットがいきいきしているのが伝わってくる。このときの相棒がデューイ・レッドマンであったことも幸いしたのだと思う。ワンホーンだったり、相棒がドン・チェリーだったりしたら、こういうしっかりしたリズムに乗ってるのに自由奔放な雰囲気が常時感じられ、しかもダレることのないセッションにはならなかったような気がする(あくまで「気がする」だけですが)。レッドマンはつねにセッションに新しい刺激を与えているのだ。そういう要員なのだ。エルヴィンのソロも、相手に合わせていない、自分を強く押し出したものですばらしい(エルヴィンって、相手に合わせてしまうこともできるひとなので、そういうときは面白さ半減だ)。オーネットのトランペットも、チェンジ・オブ・ペースとして悪くない。演奏ががんがんグルーヴしているのはたぶんギャリソンのベースのせいだと思うが、全体にものすごーく聴きやすい、楽しい演奏になっている。かっこえーっ。
「ORNETTE COLEMAN QUARTET LIVE IN PARIS 1971」(DOMINO RECORDS 891226)
ORNETTE COLEMAN
オーネットのことはよくわからない、とこれまで繰り返しいろいろなところに書いてきたが、ついに「わかる!」という気持ちになった。それは本作を聴いたからで、長い道のりを経て、やっとわかったように思う。音楽を「わかる」とか「わからん」とかいうこと自体に意味がない、というひともいるかもしれないが、一リスナーとしてひとりのミュージシャンなりひとつの音楽なりを「わかった!」と思うのは私にとっは大事なことなのである。もちろん、たんにわかった気にさせられているだけかもしれないが、それでもいいのだ。本作は、ブルーノート時代の「ニューヨーク・イズ・ナウ!」とか「ラヴ・コール」のころのライヴで、メンバーは今から考えるとめちゃすごくて、デューイ・レッドマン、チャーリー・ヘイデン、エド・ブラックウェルという至高のカルテット。曲も演奏も最高だが、いつものことながらデューイ・レッドマンの演奏は私には本当にひしひしとストレートに伝わってくる。まあ、わかりやすいのだ。しかし、ここでのオーネットは、デューイ・レッドマンと同じぐらいわかりやすくて、ストレートで、パッションにあふれ、しかも歌心もバップ心もフリー心も全部ある。なるほど、こういうことだったのか、というオーネット音楽の一種の謎解きになっているようにも聞こえる。しかも、すごいテクニックを感じさせるフレージングの連発で、ええっ、オーネットってうまかったんだ、という驚きもあった。うまかろうが下手だろうがオーネットの偉大さにはまったく関係ないというひともいるかもしれないが、これも私個人にとっては大事な点なのである。とにかくこのアルバムには惚れ込んでしまったので、しつこく聴きまくり、そういう耳でオーネットのほかの作品を聴き返してみると……いやいやいやいや、びっくりしました。オーネットってやっぱりすごいんだなあというのがこの歳になってようやくほんまにわかったというか……これまで何度も「わかった」と思っていたが、そのたびに「やっぱり謎やなあ」と思い直すことが繰り返されていたが、今度こそ本当に心からオーネットがすごいと思えるようになった。この出会いは大事にしたい。わからんなりにしつこく聴き続けるというのは意味があるなあ。なんだか、目のまえにかかっていた靄がいきなり晴れたような感動があった。しかも、靄が晴れようが晴れまいがオーネットはオーネットであって、いつもと変わらない。変わったのはこちらなのだ……というような禅的な感慨もあったりして。オーネットのアルトは、黄金色の光線をものすごい勢いでまきちらすスーパーヒーローのようだ。軽さとスピードが同居している。しかも、浮遊感もあり、グルーヴもする。最高じゃないですか。ブロードキャストだが、音質はばっちりです(ライヴらしく、音が遠くなったりするところもあるが)。なお、最後の曲ではオーネットのトランペットとデューイのミュゼットが爆発し、これもまたよし。
「SKIES OF AMERICA」(SONY MUSIC ENTERTAINMENT SICP4042)
ORNETTE COLEMAN
聴くまえは、かなり身構えていたのだが、聴いてみると……いやー、すごく面白いじゃないですか。しかも、びっくりするほど聴きやすい。オーネットの考える「アメリカ」というのはこういうものなのかな。ネイティヴアメリカンのところにわざわざ取材(?)に行ったというが、結局オーネットの音楽であり、オーネット色に塗りつぶされた「アメリカ」なのだ。そのうえ、アメリカ初演ではなく、イギリスでの公演というのも不思議。ハーモロディック理論のオーケストラ化云々と本人も言ってるらしいが、そういうことは一切気にしなくても十分楽しく聴ける。でも、ハーモロディックというのは、そのときそのときにおけるメロディ、リズム、ハーモニーなどにおける即興的なアレンジなのではなかったっけ? だとしたら、それを譜面にするというのはどうやっとるのだ? そんな興味も湧く。もともとはオーネット・カルテットとオーケストラの共演が予定されていたけど、イギリスのユニオンが拒絶したため、オーネット単身での渡英になったそうだが、これだけ面白いと、そのカルテットバージョンがぜひ聴いてみたかった。そして、ところどころにオーネットのアルトソロが登場するのだが、これが自作の譜面とのマッチングが抜群で(あたりまえか。自分で書いてるんだからな)、めちゃくちゃかっこいいのだ。オーネットって「かっこいい」だけでなく「上手い」ひとだったのだなあと改めて思う。しかも、謎めいている。言うことないですよね。「ダンシング・イン・ユア・ヘッド」のテーマもちょこっと出てきます。
「VIRGIN BEAUTY」(EPIC SICP30318)
ORNETTE COLEMAN AND PRIME TIME
1988年の作品。2ドラム、2ギター、2ベースにオーネットという編成でゲストにジェリー・ガルシアが入る。プライム・タイムのアルバムではベースがめちゃくちゃ動きまくり、ギターが好き勝手にからみあい、しかもファンクでオーネットのソロも溌剌としている「OF HUMAN FEELINGS」がいちばん好きだが、本作もすごくいい。プライム・タイムとしては「ボディ・メタ」と「ダンシング・イン・ユア・ヘッド」が76年、「オブ・ヒューマン・フィーリングス」が79年で、「イン・オール・ラングエジズ」が87年で、それにつづく作品。全体にビートは一定だが気の利いたアイデアに満ちたリズムが楽しいし、ツインベースが暴れまわり、ギター2本が複雑かつヘンテコなことをしまくり、オーネットはひらめきのあるフレーズを吹きまくっているし、高音の伸びやかさに聞き惚れる。こういう試みは、たとえばベースを2本にする意味ある? というような結果に終わることも多いが、プライム・タイムはそのあたりの処理が見事としかいいようがない。この人数、この楽器編成でしかできない演奏である。テーマがどれもシンプルでキャッチーなのも(あいかわらずだが)すばらしい。1曲目のテーマがとにかく耳に残るが、中近東風というかなんともエキゾチックな曲で、8拍ごとに「ピエーッ」と鳴る音(たぶんオーネットのトランペットのオーバーダビング?)が印象的で、中東のダブルリードっぽく聞こえて麻薬的な味わいである。さまざまなタイプの曲が並んでいて飽きないが、たとえば3曲目はシンプルにドライヴするベースのうえでギターがきゃんきゃん鳴るヒルビリー的な曲で、そういう曲調にノリノリで吹いているアルトがだんだん外れていくあたりも快感。この「好き放題に吹く」ことと「全体がまとまっている」ことが両立しているところがプライム・タイムのすだいところだと思う。オーネット・コールマンのアコースティックなトリオなどとはスタンスが違うのだから、比較してどちらがうえとかうかとかいってもしかたがない。正直、私がかつてプライム・タイムに物足りなく思っていた点がそこで、基本的にはドラムのビートは変化しない(テンポが変わったり、拍子が変わったり、フリーリズムになったりしない)のである。でも、そういうバンドなんだもーん、と理解してからはめちゃくちゃ好きになった。4曲目はバラードでオーネットの「まともな」歌心のすごさに瞠目。狂ったようなヴァイオリンがオーバーダビングされていて、逆に演奏の美しさを引き立てている。6曲目なんか、オーネットの作曲力のすごさに舌を巻く。めちゃくちゃ単純な、フツーのリフ曲なのに、最後の部分でびっくりするようないい曲に化ける。7曲目はアルトソロとトランペットソロが同時に進行する。そのあとに出てくるギターがガルシアってことでしょうか。8曲目はエレベが冒頭からフィーチュアされるかなり変態的な曲調のナンバー。なんだかわからんがかっこいい。9曲目はトランペットをフィーチュアしたムード歌謡みたいな曲だが、10曲目は一転してけっこうフリーな感じでハードな演奏。ラストの11曲目は、これも「よくこんな変な曲を書くなあ」という曲だが、それが美しく感じられてしまうのだからオーネットはすごい。とにかくこういう編成にすればこういう音楽が出来上がる……というのとは正反対で、このメンバーでしかできず、しかもオーネットが吹かないとこういうものにはならないだろうとあらためて思いました。傑作。
「OF HUMAN FEELINGS」(ANTILLES PHCR−4036)
ORNETTE COLEMAN
学生時代になにげなく買った(レコードで)アルバム。金に困って売ってしまったが、当時はプライムタイムの演奏のひとつ、ぐらいにしか考えていなかったし、そもそもプライムタイムが、というかオーネット自体がよくわかっていなかったので、べつに売ってもかまわないと思ったのだ。その理由だが、
・そもそもオーネット・コールマンは音色もしょぼいし、フリーキーなブロウもしない。
・プライムタイムはハーモロディック理論に基づいたロックバンドで、メンバーが別のキーに移ったりしても、まわりがそれに合わせて変化していくから調性がなくてもバンドが一体となるファンクバンドである。また、全員が同時にソロをしているようなものだから、さまざまなことが同時進行で起き、それなのに全体としては一つの曲になっているからすごい。……というようなことが言われているが、どう聴いても、オーネットが吹いているときはオーネットのソロにしか思えないし、ソロイストがキーを変えると云々ということにしても、やはりテーマがあり基本のキーがあるので一時的な転調が行われているようにしか聞こえず、そんなにすごいこととは思えない(ライヴアンダーで生で観たときの印象が大きかったと思う)。
という二点が大きな理由だったと思う。それはプライムタイムではない、ほかのオーネットのバンドについても感じることであったのだが、それがいつしか私の受け取り方が変化し、
・オーネットは音がしょぼい→オーネットはめちゃくちゃすごい音
・プライムタイムはいまいち→プライムタイムはめちゃくちゃすごい
となっていった。アホ耳だったこともあったが、ようするにオーネットの音楽が分かっていなかったのだろう。それがいつしかオーネットの音楽にはまっていくにつれ、
「あのとき売ってしまった「オブ・ヒューマン・フィーリングス」をもっぺん聞きたい」
と思うようになったのだ。しかし、一度だけCD化されただけでその後再発もされていないらしい。というわけでずっと探していたのだが先日とうとう某中古レコード市で見つけた。しかし、4000円だった。さすがに買えんなあとあきらめたのだが、そのレコード市の最終日、どうしてもやはり聞きたくなり、清水の舞台から飛び降りたつもりで買うことにして、お金を握りしめて会場に行ってみると、なんと売れてしまっていた。それで諦めがついた……かというと逆で、どうしても聞きたくなり、結局、中古サイトで買ってしまった。でも、4000円よりずっと安く買えたので万々歳だった。さっそくめちゃくちゃ久し振りに聴いてみると……うわー、すごい! 思っていたよりはるかに凄かった。オーネットの音色もソロもすばらしい。自分が、こう吹きたいと思ったらそのとおりに吹ける、という技術をちゃんと持っている。あたりまえだと思うかもしれないがそんなことはない。技術力と美学の両方がしっかりしていないとできないことなのだ。のびやかでつややかなあるとの音色は本当にうっとりするぐらい美しくて、テキサステナーの伝統とかR&Bバンド出身云々というジャズ評論家たちの言葉をあざ笑うような、ほれぼれする確信犯的「いい音」なのだ。他のメンバーの演奏もすばらしく、同時にいくつものラインが互いに反応しつつ、自己主張をしまくりながらも、それが全体としてひとつの「曲」になっているという離れ業が成立している。しかもそれはファンクでダンスミュージックでもあるのだ。ディナード・コールマン、カルヴィン・ウエストン、チャーリー・エラビー、バーン・二ックス、ジャマラディーン・タクーマ……という今から考えるとキラボシのようなメンバーだが、当時はたぶんオーネット傘下の若手たちという認識だったのだろうな。あいかわらずオーネットのコンポジョンは最高で、昔聞いたときは、これが「ちょっとしたリフにすぎない」「フュージョンっぽい」と聞こえたのだからアホ耳である。しかし、じつはそういう側面も持っていることは間違いないのだ。そう、オーネットはリフの天才だ。基本的にリズムは一定でシンプルなのだが、ジャマラディーン・タクーマのエレベ(対等とかいうけど、このひとが一番キモになっていると思う)と2本のギターが混じり合って作り出すカラフルで奇想天外な空間にオーネットのアルトがときには斬り裂き、ときには溶け込むように吹きまくっていく快感のまえには、いろいろな理屈は言葉を失う。フレーズの語尾のアーティキュレイションの、震えるように消えていく美しさもすばらしい。再購入以来、文字通り毎日聞いているのだが、こういうやつって飽きないんだよね。とにかくめちゃくちゃかっこいいのだからねーっ! 2曲目の途中のアドリブフレーズが「東京節」(らめちゃんたらぎっちょんちょんでぱいのぱいのぱい)のなかの「すーりにけんかにかっぱらい」という部分と同じなので毎回笑ってしまう……ということも含めてプライムタイムの、オーネットの、ジャズの大傑作だと思うので、ぜひ皆さん聞いてみてください!
「TONE DIALING」(HARMOOLODIC/VERVE 314 527 483−2)
ORNETTE COLEMAN & PRIME TIME
プライムタイムとしては95年と、結構新しい演奏。ドラムはディナード・コールマンひとりで、キーボードがひとり(もしくはふたり)加わっている。ヴァーブなので金もかかっていそうだし、ポップな雰囲気で、ジャケットも含めて「売ろう」という意欲も感じられるが、ここまで来ると、フリージャズ的な要素はほぼなくなっていて、ハーモロディック的な「揺蕩う」ようなアルトソロとカラフルなリズムとのからみが聴きどころである。テーマはあいかわらず鼻歌のような耳触りのいい、しかも耳に残るキャッチーなフレーズをちりばめ、さりげなく転調したり、ずらしたりしている。これみよがしの演奏に比べると、洒脱といえるのかもしれない。ボーカル(?)が入る曲もおもろいです。ちょっとした童謡風というか、ポップ曲の断片みたいなものを真っ向から押して、ひとつの構築物にするその手際は、理論だとかではなく、ただただセンスの問題だと思う。「オブ・ヒューマン・フィーリングス」がこの路線の最高傑作だとは思うが、本作もええ感じだ。こうしてじっくりと何度も聴き返すとようやく真価がわかってくる。私以外のひとはたぶんもっと早くにプライムタイムの良さを分かっていたのだろうが、私としては本当に、これだけの歳月を費やしてようやくオーネットの凄さを理解し、プライム・タイムの良さもやっとわかったのだ。こんなことならオーネットとプライムタイムのライヴを観たとき、もっと真剣に見ておけばよかったよ。一期一会のチャンスだったのになあ。じつは2018年6月の地震でケースが割れて中身が床に落ち、そのうえにいろんなものが積もったせいで傷が入ってしまって、それ以降はノイズが入ったり、途中で止まったりするようになってしまったのだが、まあ、その直前までずっと聞いていた印象でこの文章を書いている。といって、捨ててしまうという気にならないのは、やはり「地震を乗り越えた」という気持ちだろうか。阪神大震災のときは、レコードのジャケットが引き裂けたり、もっとめちゃくちゃなことが多かったが、そういうレコードはいまだに持っている。CDもちょっと傷が入ったぐらいでは捨てませんよ。かなりフリーなパートも多く、なかなかヘヴィな手応えもある。今にして思えば貴重なアルバムかも、です。
「WHOM DO YOU WORK FOR?」(GET BACK GET2028)
ORNETTE COLEMAN
71年のベルリンでのライヴということしか書いてない。メンバーはデューイ・レッドマン、チャーリー・ヘイデン、エド・ブラックウェルという最強の布陣。録音にときどき聞きづらい箇所があるが、鑑賞に差し支えはない程度。私は、高校生のときにはじめてオーネットを聴いて以来、長いあいだこのひとの音楽がよくわからぬまま過ごしてきた。フリージャズ的なものが大好きなのに、それを創始した(うちのひとり)と言われているオーネットの演奏がわからんとは自分でも不思議だったが、でも、そうだったのだ。ライヴも観たし、オーネット好きのミュージシャンに質問したりしても、やっぱりわからぬままだった。それが、あるときコロッと「めちゃくちゃ好き」になってしまったのだ。きっかけは「ライヴ・イン・パリ1971」というライヴアルバムを聴いたことで、それを聴いた途端に長年の疑問がするすると氷解し、オーネットの良さ、面白さ、楽しさがすべて理解できるようになった。音楽を「理解」するというのは難しい、ときには嫌な感じにもなる言葉だが、やはりそう言わざるをえないぐらい「わかったわかったわかりました!」という感じになった。それまでも「嫌いだった」わけではなく「わからなかった」のが好きになったのであって、わかってみると、オーネット・コールマンの音楽は私が好きな要素ばかりで構成されていたのだった。これに気づかんかったとはなんとうかつだったのだろう。なぜ気づかなかったのかなぜわからなかったのかという理由もちゃんと今ではわかっているが、長くなるから省略。というわけで、私にとって重要作である「ライヴ・イン・パリ1971」と同じツアーと思われる音源の本作も絶対に聴かねばならない作品ということにある(曲も2曲かぶっている)。聞いてみると、やっぱりいいですねー! ほれぼれする。この4人は本当に強力だ。1曲目「ストリート・ウーマン」の冒頭からブラックウェルとヘイデンがからみながら打ち出していくリズムに乗ってデューイ・レッドマンが吹きまくり、ときに声を出しながらのノリノリのソロにいきなり心臓を掴まれる。そして、オーネットの自由奔放でスピード感のあるソロ! ああ、夜中にオーネットのライヴを聴く喜びよ! 2曲目はあの「ソング・フォー・チェ」で、ヘイデンのベースソロからはじまる。テーマのあと、唸りを上げるベースと好き放題のオーネットのアルトが絶妙にからみあい、そのふたりを自在にプッシュするブラックウェル……。すばらしい。そして、ふたたびヘイデンの慟哭のようなベースソロが延々続き、クライマックスになる。超かっこいい。「ソング・フォー・チェ」はヘイデンの「リベレイション・ミュージック・オーケストラ」での演奏が超有名だが、それより早く、じつはオーネットの「クライシス」というアルバムで演奏されている(ただしリリースは72年)。本作での演奏などを聴いていると、オーネットはライヴなどではこの曲を頻繁に演奏していたのではないかという気がする。3曲目は2管がからみあうめちゃくちゃ速いテンポの曲で、デューイ・レッドマンのテナーが個性をひたすらぶちまけたような最高のソロをする(声も出している)。オーネットの短いソロに続いてブラックウェルの短いソロ。そして、全員の激しくはじけるような集団即興が延々続く。いやー、すごいすごい。4曲目は、オーネットがトランペットに、レッドマンがミュゼットに持ち替えてのぐちゃぐちゃなフリーから、レッドマンがテナーに戻り、オーネットがおそらくヴァイオリンを弾きまくっている。ノイズフルな演奏とレッドマンのスウィングジャズ的なソロの対比が異様でおもしろい。オーネットがふたたびトランペットに戻り、レッドマンのミュゼットとともに混沌とした世界を作り出す。ラストの5曲目はこれも超々アップテンポの曲でヘイデンのベースも超高速。そこで繰り広げられるオーネットとレッドマンの爆発的なインプロヴィゼイション。ドラムソロとヘイデンのアルコソロもあり。いやー、おもろかった! オーネット・コールマンを聞いたことがないひとが最初にこのアルバムを聴くとしても、全然問題ないような気がする。なお、メンバー表にデューイ・レッドマンはトランペットとなっているが、もちろんそんなことはありません。
「ORNETTE COLEMAN・ORNETTE AT 12,CRISIS TO MAN ON THE MOON」(HAT HUT RECORDS EZZ−THETICS 1148)
ORNETTE COLEMAN
ハット・ハットのカップリングシリーズだが、なんとボーナストラックとして「マン・オン・ザ・ムーン」というタイトルで出た7インチシングルの2曲が入っていたので、思わず買ってしまいました。
「ORNETTE AT 12」(IMPULSE RECORDS IMPULSE! AS9178)
ORNETTE COLEMAN
「12歳なのにこんなに叩けてスゲー」とか「まだ音楽的にもテクニック的にも未熟な子どもが遊び心の赴くままに叩いた演奏こそがフリージャズの真髄」とか「やっぱり子どもは子どもなので、ちゃんとしたドラマーが叩いたら傑作になったかもしれないのに残念」とか……いろんなことを言うやつがいると思うが、私の感想としては、たぶんメンバーを知らずに本作を聴いたら、このドラマーが12歳だということはわからなかっただろうと思う。2曲目のようにお父さん(オーネット)がフリーキーなトランペットを吹くようなフリーな演奏になっても、単に子どもが遊んでるような反応ではなく、めちゃくちゃしっかりしたレスポンスが来るのは、(オーネットの狙いがどうだったかはともかく)ちゃんとした訓練を受けているたまものだろうと思う。しかも、オーネットはもとより、デューイ・レッドマン、チャーリー・ヘイデン……という剛の者たちがソロをしていても一歩も引かず、この時点における「自分」というものをぶつけているのはすごくないですか。かつての私がそうだったように、ドラマーが「リーダーの息子であり、12歳」というせいで「きわもの」「企画もの」と考えるのはもったいなさすぎる作品だと思う。即興演奏として非常にすぐれているし、そこにデナードがなにかをつけくわえていることは間違いない。傑作だと思います。
「CRISIS」(IMPULSE RECORDS IMPULSE! AS9187)
ORNETTE COLEMAN
上記メンバーにドン・チェリーが加わったアルバム。強烈なアンサンブルと強烈なソロ。至福としか言いようがない音楽。オーネットの音楽について、ハーモロディックがどうとか、音色がどうとか、作曲と即興の兼ね合いがどうとか……いろいろこの何十年かに考えたわけだが、結局、「理屈ではない」という気がする。たぶん、今の音楽研究家的にいうとそういうのは後退であり逃げであると言われるような気がする。オーネットが残したこのメソッド(?)について真摯に分析すべきだと言われるように思う。オーネットひとりなら、あいつは山師だぜ、とか、適当にやってることに名前をつけただけだぜ、とか言われそうだが、パット・メセニーやウルマーが真剣に「ハーモロディックとは……」という言葉を残し、取り組んでいることを考えても、ちゃんと向きあうべきなのだろうが、私のような立場の人間にとっては、やはり「理屈はあるようで、理屈はない」という気がする。じつは私の個人的なハーモロディック解釈があるのだが、それはここでは書かないでおこう。そんなことはどーでもいい。本作は無心に耳を傾ければわかるとおり、ひたすら音楽の快楽に満ちた最高の演奏が詰まっている。もはやディナード・コールマンが何歳で……とかいう次元は通り越している。そんなことマジでどうでもいいような音楽の至福がここにはある。かっこよすぎるやろ。この圧倒的な演奏をまえにして、細かいことはどうでもいい、という「敗北宣言」みたいな言葉が出てきたとしてもだれが攻められよう。それにしてもやはり演奏を引っ張っているのはオーネットの鮮烈なアルトである。おなじみ(?)の「ソング・フォー・チェ」もオーネットが奏でると格別の味わい。カラリと明るいオーネットのソロやヘイデンのソロ、そしてそれに対するディナードのドラムはめちゃくちゃいいと思う。つづく「スペース・ジャングル」という曲は全員がソロを同時に取るというような趣向の曲で、このぐじゃぐじゃさのなかで芯が一本通っているところなど、ああ、こういうのがハーモロディックなのか、となんとなく体感できる感じで、本作の白眉といってもいいかも。本作を聴いたのはじつは生まれてはじめて(だと思うの)だが、こんな傑作とはなあ……すばらしい作品だと思いました。傑作。
「MAN ON THE MOON」(IMPULSE RECORDS IMPULSE! 45−275)
ORNETTE COLEMAN
こんなシングルがあるなんて聞いたことなかった。1969年の人類が初の月面着陸を果たした記念として発売されたものだそうで、いやー、人間が月に行ったという事実は音楽の世界にもいろいろ影響を与えたのだろうな(パッと思いつくのはハウリン・ウルフの「クーン・オン・ザ・ムーン」だが、オーネットの受け取り方とは違っているようにも思える)。このあたりのことはきっと音楽と科学の関係における研究材料として面白いかも。R.E.M.の曲や映画とはたぶん関係がない。オーネット・コールマンはちょうどインパルスと契約していた時期なのでこの7インチもインパルスから出ているらしい。上記「クライシス」と同年の録音だが、同じときのものではなくこれだけ別に録ったらしい。「クライシス」のメンバーのディナード・コールマンをエド・ブラックウェルに変え、ドクター・エマニュエル・ゲントというひとがエレクトロニクスで効果音みたいなものを付け加えている。これは「月」となんの関係があるんやと言われても「さあ……」としか答えようがないが、あのオーネット・コールマンが人類初の月面着陸に多少でも関わっていたというのはすごく面白いではないか。