「PTAH,THE EL DAOUD」(IMPULSE 051 201−2)
ALICE COLTRANE
アリス・コルトレーンのアルバムを聴くと、毎回、「また、だまされた」という思いになる。最初に聴いたのは、大学一年のとき、カット盤の「ジャーニー・イン・ザ・サッチダナンダ」とかいうアルバム(名前もすでにうろおぼえ)だ。ファラオ・サンダースの名前にひかれて買い、うわー、なんじゃこりゃあ、だまされた、と思った。以来、もうやめよう、と思いつつ、なにかのときにうっかり買ってしまい、そのたびに、「またかーっ」と叫びつづけてこんにちに至るのだが、今日、タワーレコードでこのアルバムを見つけ、そうそう、これは噂には聴いていたが、まだ未聴だったんだよなー、と言いつつ購入。なにしろ、テナーがファラオ・サンダースとジョー・ヘンダーソン。たとえ曲がしょぼくても、ピアノがダメダメでも、このふたりのプレイを聴けるだけでも元がとれるだろう、と思ったわけです。で、聴いてみたが、アリスのピアノはちょっとマッコイ的なモーダルなコードをがーん、がーんと弾いていて、なかなか雰囲気があるし、テナーのふたりも、それぞれ何かをやろうとしているのだが、うーん、やっぱり今の耳には退屈だ。「時代ですなあ」というしかない。このアルバムをよしとするには、このアルバムのもつ「スピリチュアル」な雰囲気を楽しめるかどうかなのだろうが、私はファラオのストレートな咆哮を愛するものであって、江原某じゃないが、スピリチュアルはどっちでもいい。ファラオがおとなしく吹いているだけなら、かえってそういう雰囲気は邪魔。アリスのハープもしんどいし、ファラオのフルートは音が出ていないし……というわけで、最後の曲でファラオがちょっとギャーといってくれたのがうれしいなあ、という程度。アリスの曲も、なんか古いハードバップ的なテーマとアレンジで、ハモりのところなども古くさいし、やっぱりつらいわ。追悼の意味をこめて二度聴きなおしたが、やはり、だまされた感のつよいアルバムである。でも、一応フォローしておくと、サックス奏者がソプラノやフルートを吹かされたり、効果音的味付けのようなぬるいソロ(精神的なソロともいう)をさせられることの多いアリスのアルバムのなかでは、ジョー・ヘンダーソンもファラオも力強く吹いている場面もあり、いちばん手応えのあるアルバムといえるかもしれない。フォローになってるかなあ……。