「THE COMPLETE ”IS” SESSION」(BLUE NOTE RECORDS 40532)
CHICK COREA
これはすごいアルバムですよ。六十九年というと、チックがマイルスバンドをやめる直前で、ブラクストンらと「サークル」を結成するまえだが、このアルバムは「サークル」的なフリージャズとマイルスバンド的なモード風エグめの過激なジャズ、それに「リターン・トゥ・フォーエバー」的なフュージョンの萌芽的ジャズがひとつになり、それもうまく合わさっているというより、混沌とした状態で放り出されている感じ。それだけに、「チック・コリアの迷いの時期」みたいな評価をされているのだろうが、私にとっては、ほんと「美味しい」内容である。別テイクも収録した完全盤ということで、二枚組なのだが、一枚目はマイルス的モードジャズや、「ナウ・ヒー・シングス……」的チックの世界などがかいま見える、どちらかというと新主流派的内容で、二枚目は「サークル」っぽい、かなりフリーな内容。まず、共演者のなかではヒューバート・ロウズが出色で、自分のリーダーアルバムでのプレイとはみちがえるような硬派な演奏で、ガンガン行きまくる。ウディ・ショウは、とくに二枚目ではかなり壮絶なプレイを展開して、聴いていて興奮するが、それでもいつものウディ・ショウととちょっとちがっていて、チックにマイルス的な役割を期待されているのがわかる。でも……そこがいいんです! いちばん浮いている感があるのはベニー・モウピンで、モード風の曲ではコルトレーンスタイルで、フリー風の曲ではぐじゃぐじゃな感じにブロウするのだが、どちらも中途半端でいまひとつ根性が座っていない感じ。でも、そこがいいんです! 全編にわたって、ディジョネットのドラムがさえ渡っていて、チックとのやりとりは、ときに超過激、ときに知的で、そのパートだけを取り出しても、このアルバムを聴く価値がある。とくに二枚目は、聴きとおすのにかなりの体力がいるが、だからといってこのアルバムを、(さっきも書いたけど)「チックの迷い」だとか「今の時代にはあわない」だとか言ってしまうのは大間違いである。たまには、こういう「しんどいジャズ」をしんどく聴こうよ。少なくとも私にとっては、(ブラクストンの音色が私にはあわないため)あまり好きではない「サークル」よりはずっと聴きやすいです。
「FRIENDS」(POLYDOR PD−1−6160)
CHICK COREA
正直いって、よくわからん。これが出た当時としては、あのチック・コリアが4ビートをやった、みたいな受け取られかただったのかなあ。よくジャズ喫茶で耳にしたが、結局、私はジョー・ファレルというサックスがよくわからないので、この作品もピンとこなかったのだろう。今回、ものすごく久しぶりに聴き直してみたが、やっぱりジョー・ファレルの音が私にはなじまないようだ。めちゃめちゃうまいんですけどね。音色なのかなあ、問題は。(たぶん)ラーセンのラバーだと思うのだが、よくいえばやや透明感のある音、悪くいえば芯のない音を出す。エディ・ゴメス、スティーヴ・ガッドというリズムセクションはさすがなので、やはりファレルが私の好みではないということらしい。ファレルのリーダー作としてはザナドゥの「スケートボード・パーク」とかいうのが、これもよくジャズ喫茶で一時期かかっていたが、あれも同じでピンとこないのだった。ファレルの4ビートもので一番好きなのは「VIM’N’VIGOR」という、ビキニのお姉ちゃんがウッドベースを持っている、妙なジャケットのアルバム(のちにジャケットを変えて、「マイルス・モード」というタイトルになった。なんでや。CDは、タイトルは戻ったけど、ジャケットがちがうものもあるようだ)。あれはなぜか好きでよく聴く。とはいうものの、本作の主役はチック・コリアであって、彼さえよければべつにいいわけだが、マイルスのロストクインテットでの異常なまでのぶっとんだ演奏を聴いてしまうと、こういうアルバムでも、もっとむちゃくちゃやってくれたほうがいいのにな、と思ってしまう。正直言って、今の私が聴くべきアルバムではないようである。つまりは好みの問題ということになりますね。じつはチックのアルバムのなかでいちばん好きなのは「スリー・カルテッツ」で、あれは感動したとか影響をうけたとかいうより、「あこがれた」感じで死ぬほど聴き倒したが、考えてみると本作のリズムセクションはあれと一緒なので、やっぱりブレッカーとファレルのちがい、ということかなあ……。
「THREE QUARTETS」(STRETCH RECORDS MVCR−123)
CHICK COREA
チック・コリアが亡くなった。元気そうだったのでかなり驚いた。本作は学生時代にリアルタイムで聴いたアルバムで、驚異的な内容だった。チックは、サークル、マッドハッター、ナウ・ヒー・シングス・アウ・ヒー・ソブス、リターン・トゥ・フォーエヴァー、フレンズ……などを発表して「すげーひと」という認識だったが、本作はそういうものを全部軽くぶっちぎった作品、と私には思えた。とにかく辛口で、メロディー的に甘いというか耳当たりのいい部分がまったくなく、ひたすらこちらの耳を試してくるような、それでいて最初から最後までかっこいい、という、当時の最先端のジャズである、ということを演奏している当人たちもはっきりわかっているようなアルバムだった。各曲のテーマがすごくて、それをバシッと合わせて演奏できる4人のテクニックがすごくて、なにを手がかりにしているのかよくわからない、曲の構成がすごくて(あとでジャズ雑誌等のアナライズで、分数コード云々とか、ここではこのチェンジに基づいてソロをしていて、とか、ここはアウトしてる、とか、はー、そういうことか、と種明かしのようなことを読んで納得はしたのだが)、それを軽々とぶっ飛ばしていくブレッカーたちのソロがすごくて、また、それを煽る、というか、融合してひとつになっているゴメスやガッドがすごくて……とにかくなにからなにまですごいのだ。圧倒的、というか、自分が当時理解できていた先、はるかに先をいってる演奏だった。今聴いているのは4曲の未発表が入ったCDだが、これは別物であって、やはりもとのレコードの4曲だけを聴くべきだろう。もちろん未発表の曲も悪くはないが(とくに「フォーク・ソング」はすばらしい曲だし、テーマをひたすら繰り返すような「スリッペリー・フェン・イット」もかっこいい。チックがドラムの「コンファ」はブレッカーの本音が聴けるような感じで勉強になります)、完璧なアルバムとしての本作を聴くには邪魔である。コルトレーンのインパルスの諸作のように崇高な傑作であり、永久に聴き続けたいアルバム。こんなことを言うと、音楽を宗教的に祭り上げている、とか言われそうだが、そういう意味ではなく、ひたすら分析しても十分深く掘れる作品ではあるが、そのうえで自然に荘厳な雰囲気がにじみ出ているのだ。「至上の愛」とタメを張るぐらいすごいと思うけどなー。4曲ともすばらしい。チック・コリアを語るときに、なぜかあまり触れられない(一部に熱狂的なファンがいるが)作品なのだが、私はダントツ1位に推薦したい(2位は「クリスタル・サイレンス・ライヴ」)。なにも、ひねったことを言おうとしているのではありません。心から好きなのであります。今聴くと、いろいろわかるのだが、当時(学生のころ)はさっぱりその演奏の根拠というかルールがわからなかった。でも、今も大好きです。4人とも、自分を出しまくっているのに完全にチックの音楽になっている魔法。やっぱりかっこいいよなー。傑作!
「CREACTIONS」(CENTURY RECORDS CECC−00695)
CHICK COREA
傑作! 77年録音とされているが、実際は70年録音である。これはたぶん間違いない。チック・コリアのリーダー作ということになっているが、もともとはロルフ・キューンのリーダー作であり、それを再発に際してチックの名義にした、ということだろう。なぜそう考えるかというと、まあいろいろ理由はあるが、チック・コリアのリーダー作なのにチックの曲が1曲も入ってない。それはありえないでしょう。ロルフ・キューン率いるヨーロッパの精鋭バンドの録音に、チックがゲストとして加わったのだろう。セシル・テイラーのリーダー作がいつのまにかコルトレーンのリーダー作になっていたり、レコード会社の売らんがためのあの手この手であることはわかるのだが、リーダーだったミュージシャンにとってはそれは屈辱的ではないかと思うのだ。しかし、本作の価値には関係ない。日本盤としてはチック・コリアのリーダー作扱いだが、ジャケットにはロルフ・キューン、チック・コリア、ヨアヒム・キューンの三人の名が下の方に併記されている。まあ、そんなことより聴いてみましょう。どの曲もめちゃくちゃかっこよくて、当時のヨーロッパの主流派ジャズの熱気と個性がわかる。凄まじいエネルギッシュな演奏で、しかも静謐で透明感があって、作曲も輝きに満ちている。これぞジャズの王道だと思う。そして、チックもそこに絶大な貢献をしているのだ(ただのゲストにすぎないチックの名前を押し出しやがって……みたいな内容ではまったくなくて、聴いたらわかるとおり、チックのえげつないエレピは凄みがあります)。なにより(本来のリーダーである)ロルフ・キューンがクラリネットというこの時期のモード〜フリージャズにおいてはあまりクローズアップされなかった楽器を完璧に使いこなして、新しい、ヒリつくような表現をぶちかましているのはすばらしい。かといって、コルトレーンのソプラノの模倣ではなく、ちゃんとクラリネットの木の響きも大事にした演奏なのですごい。チックとヨアヒム・キューンの2ピアノ(たとえば3曲目、4曲目とか)も大成功だし、アラン・スキッドモアやジョン・サーマンもそれぞれはっきりした独創性のあるソロを繰り広げていて感動的だ。トニー・オクスレイのドラムも、8ビートのジャズロック的な曲でもかなりエグい叩き方をしていて、個性爆発。全体にオクスレイの貢献は大である。熊谷美広さんの1994年に書かれたライナーによると「現代の耳で聴くと、少々時代を感じさせるサウンドであることは否めない」となっているが、いやー、そうかなあ。私はそんなことはまえから全然感じませんでしたし、今もフツーにすげーモダンジャズだと思って聴けております。強いていえば3曲目のスキッドモアの曲とか5曲目のサーマンの曲が若干そういう雰囲気があるかもだが、でもいかにもスキッドモアやサーマンっぽい感じなので好きです。ゴリゴリのモードナンバーからぐちゃぐちゃのフリー、シリアスなバラードなどなど選曲のバランスもよく、本当に傑作だと思う。だれがリーダーとか関係なく、多くのひとに聴いてほしい。
「IN COCERT,ZURICH,OCTOBER 28,1979」(ECMRECORDS POCJ−2021)
CHICK COREA−GARY BURTON
出たときレコードで買ったのだが、のちにCDで買い直した。とにかくこの世の極楽的な至上の音楽で、美しさと鋭さと躍動感とスリルと狂気と……すべてを感じる奇跡的なアルバムだと思う。もともとスタジオ録音の「クリスタル・サイレンス」というアルバムがあり、本作はそれのライヴ盤という位置づけだと思うが、とにかく圧倒的なスピードがあり、ライヴならではの緊張感と開放感があり、ふたりの天才の音楽性がこれ以上ないというぐらいしっかり結びついたえげつない作品。一曲目の「セニョール・マウス」でみんな心をつかまれるのではないかと思う。終わったあとすさまじい拍手が来るが、それもわかる。まじで完璧な演奏。曲もすばらしい。2曲目が「バド・パウエル」というタイトルなのもすごく意味深で、いかにもなバップ的なものが底にあるのだが、変則ブルースにサビがついたような構成で、一筋縄ではいかない曲である。ふたりのリズム感やバップ解釈がめちゃくちゃ楽しい。3曲目はあの「リターン・トゥ・フォーエヴァー」で演奏していた「クリスタル・サイレンス」で、いやー、ECMですねー、という一種透明な美に聴き手もその周囲の森羅万象も溶けて没入していくような演奏。スタジオのバージョンも良かったが、このライヴでの演奏は一種のノリというか凄みというか繊細ではあるのだが豪快さ、野放図さもどこかにあって、とにかく絶妙であります。本作中いちばん長尺の演奏だが、たとえば「聴いていると心を洗われる」「美しい瞬間の連続」みたいな軟弱な感想は決して抱くことはできない、もっと壮絶で、透明な刃物でグサリと刺されるような演奏だ。ときどき、なんじゃこれは、と驚く瞬間がある……というのは、たとえばゲイリー・バートンのソロのときに、ちょっと一瞬の間を置いた感じのブレイクをしたとき、すかさずチックがそれにバシッと合わせたバッキングをするときとかだ。以心伝心というか、まるで譜面に書いてあったかのような絶妙の展開で、テレパシーとかがあるとしか思えないような「ぴったり」感なのだ。今日も、久しぶりに通して聴き終え、あー、かっちょいい、と余韻に身を浸していたが、もしかしたらこの音楽は喫茶店のBGMにもなりうるし、家でなにげなく流していたら、甘美でおしゃれなイージーリスニングのように受け取られるのかもしれない、と気付き、愕然とした。それでもいいじゃん、ちゃんと聴けば凄いし、なんとなく聴いたらBGMにもなるなんてすばらしいよ、という意見もあるかもしれないが、それはすごく嫌だ。真剣に聴いて、すみずみまでなめ尽くすように味わいたいです。7曲目の「ソング・トゥ・ゲイル」(「デュエット」にも入ってる曲)でのチックのソロのストレートさ、というか、ビバップにまでさかのぼるようなスケールをつかったソロがめちゃくちゃかっこいいのも、やっぱりリズムのせいでしょうか。デュオというと、日頃、もっとぐちゃぐちゃっとからみつくようなフリーなデュオを聴きなれているせいか、こういう「ベースやドラムがいるかのごとき」デュオは正直新鮮なのだが、あまりにしっかりしたリズムのうえに成立していて、それをここまであからさまにやられると開いた口がふさがらない。傑作というにもはばかられるような、何度も何度も共演しているにもかかわらず「一期一会」を感じる傑作。