carlo actis dato

「USA TOUR/APRIL 2001/LIVE」(SPLASC(H) RECORDS 520.2)
CARLO ACTIS DATO

 カルロ・アクティス・ダートは、本当に全身全霊でバリサクを吹いている、という感じがする。実は、イタリアのそういったシーンにはほんとに疎くて、何の知識もない。ダートにしたって、ヴァンダーマークが入っているというのでこのアルバムを買って、はじめて聴き、そのすごさに驚き、いろいろ聴くようになったのだ。だから、このアルバムが初見参だったわけで、世の中、ほんま、すごい音楽はいっぱい転がっている。とにかくすさまじい音で、なんちゅうか、身を削って吹いているような圧倒的な存在感がある。バスクラも多用しているが、テナーのように中音域からうえではダーティートーンを使うので、聴いているとテナーだかバスクラだかわからないぐらい。テクニックもすごいが、やはり低音楽器特有の、ソロの構成力や即興の屋台骨を支える感覚が心地よい。上のほうで叫んでいるのではなく、下から下から積み上げていって、一気に爆発する感じなのだ。余談だが、こないだあるクラシックのバリサク奏者のインタビューを読んで驚いたのは、演奏家は自分をおもてに出したり、自分が前に出たりしてはならない。作曲者の意図が何より優先だから、己を殺してとけ込むべきである。自己表現なんかは必要ない。みたいなことを言っていたことで、そんな風なロボットのような演奏をすることをよしとする人もいるわけだ。クラシック畑の演奏家がみんなこんな考えをもっているわけでないことはほかの奏者の演奏や発言を聴けばあきらかで、この人はまちがいなく音楽人生を浪費していると考える。いつか機械にとってかわられる演奏家である。それに比べて、このダートの演奏のなんといきいきしていることか! 会ったこともなければ、はじめて耳にするこの演奏から、彼の人柄やそのときの感情の動き、パートナーや客席とのコラボレーションまでひしひしと伝わってくるではないか。このアルバムは、ダートが2000年に単身、アメリカツアーをしたときの各地での地元の共演者との演奏が納められており、ウェイン・ホロビッツらとのトリオのセット、ベース、ドラムのトリオのセット、ヴァンダーマークとのデュオ、ダートのソロの4種類に分類できる。個人的には、さっきも書いたようにヴァンダーマークとのデュオへの興味で聴いたわけだが、実際聴いてみると、4種のどれもがちがった良さを持っていて驚く。いちばん感心したのはウェイン・ホロビッツのシンセがど迫力の音響空間をつくりあげるセットだが、ベース、ドラムとの共演もパワーミュージック的な疾走感のあるフリージャズになっているし、ヴァンダーマークとのデュオは期待どおりで、まさしく海を越えた音楽的兄弟の交歓という風だ。そして、ダートのソロは、やはり一番「凄み」を感じる。1曲目から最後の曲までどれもよい。何度聴いてもバリトンの咆哮とメロディーを重視した即興に釘付けになってしまう傑作である。

「DELHI MAMBO」(YVP MUSIC 3065CD)
CARLO ACTIS DATO QUARTET

 楽しいなあ。カルロ・アクティス・ダートはいろいろなシチュエーションでいろいろな演奏を行っているが、これはメインのバンドともいうべき「カルロ・アクティス・ダート・カルテット」である。リード楽器がふたり、それにベースとドラムであるが、4人ともめちゃめちゃ腕達者である。だから、彼らがやってる演奏はとにかくものすごくハイレベルなのに、それがそうであることがわからない。それぐらい、自然な感じで、超ハイレベルなフリージャズをやっている。彼らの特徴は、とにかく楽しいことだ。そして、一曲が短いのに、濃度が濃く、ぎゅっと凝縮されているから、短編集的というより、祝祭日的というか、短い時間にめいっぱい楽しみましょう、という雰囲気で、めちゃ濃い。一枚通して聴くとへとへとに疲れる。しかし、なにしろ楽しいし、テクニックもあるし、多楽器主義で曲によって目先がかわるし、曲もアレンジもいいし、楽器の音色もいいし(この要素はかなり大きい)、なんといってもものすごくうまくて歌心あふれまくりなので、ついつい、また最初から聴いてしまう。こういうところ、梅津さんを連想したりして。ダートはやたらとアルバムがでているので、どれから買うか迷うところかもしれないが、はっきり言って、「どれを買っても当たり!」なので心配ご無用である。いまだにフリージャズというと60年代のシリアスなものしか思いうかべないひとにはぜひこれを聴かせてノックアウトしたいです。

「ISTANBUL RAP」(YVP MUSIC 3112CD)
CARLO ACTIS DATO QUARTET

 かっこええっ! とにかくめちゃめちゃかっこええ。中古で買ったのだが、誰だこんなええアルバム売ったやつは。曲よし、アンサンブルよし、ソロよしで、言うことなし。少ないメンバーだが、全員が思いきって自分を前面に出したプレイをするので、何倍も数がいるように聞こえる。とにかく、彼らの良さは、「楽器のうまさ」にベースがあるような気がする。楽器を完璧に鳴らしきり、下から上までその楽器から出る音を完璧に吹ききり、フレーズもどんな難しいものでも軽々とこなし、でかい音、小さな音、変な音……なにもかも出せる。そんな自信がこの演奏につながっているのではないか。何を言ってるのかわからん? つまり、ヘタウマではなくメチャウマなのに、なぜかヘタウマに聞こえるということなんです。ユーモアもたっぷりなのに、じつは超絶技巧、というあたりが彼らの美学を感じる。そういうのって、やっぱりアメリカ的ではない、ヨーロッパ的な物ではないでしょうか。血とか人種とか、そういうことを軽々しく言ってはいけないが、ヨーロッパのフリー系管楽器奏者には、国を問わず、ミシェル・ポルタルやルイ・スクラヴィスをはじめとして、そういう「楽器への習熟」がきちんと底辺にあることを感じるのです。いつものことだが、リーダーのカルロ・アクティス・ダートのプレイには、バスクラもバリトンも、身を削って吹いているような凄まじさがある。音を聴いているだけで快感なのだ。とにかく一度聴いてくれっ。12曲も入ってて71分と、超お買い得だが、まるで聞き飽きないっすよ。

「ZHON GUO−CINA!(中国)」(LEO RECORDS CDLR497)
ACTIS BAND

 おなじみカルロ・アクティス・ダートの国名シリーズ。本作はジャケットにでかでかと「中国」と大書してあり、北京オリンピックの今にぴったり……だが、内容はダートの頭のなかにある架空の中国と思われ、たとえて言うなら「十二国記」みたいなもんか。一曲目、いきなりバンドメンバー全員によるボーカル(絶叫?)ではじまり胸ぐらをつかまれたみたいにこのアルバムの世界にむりやり引きずり込まれてしまい、あとはもうひたすら音の奔流を浴びるだけ。すばらしい作曲、編曲、そして完璧な基礎とバカテクを持つ奏者たちによる奔放きわまりないソロの応酬……もう言うことおまへん。いつも思うことだが、このひとは本当に梅津さんと似てる。今書いた「すばらしい作曲、編曲、そして完璧な基礎とバカテクを持つ奏者たちによる奔放きわまりないソロの応酬」というのはそのまま梅津さんのグループエクスプレッションに当てはまる。ソロからビッグバンドまでどんな編成でも強烈に自己主張をするが、2管のピアノレスカルテットやギターをいれたカルテットぐらいが機動力にもすぐれ、やりたいことを存分にできるのか、いちばん好んでいるという点も共通だし、フリージャズなのに頭でっかちの部分がなく、ひたすら楽しい音楽である点や、とにかく楽器が鳴りまくっている点など、いつも梅津さんの音楽のつながりを感じる。どちらもイタリアと日本が生んだ偉大な才能なのだ(共演作もある)。このアルバムは、あいかわらず凄い演奏が詰まっていて、あっという間に最後まで聞きおえてしまうが、随所にいろんな仕掛けがしてあって飽きないし、特筆すべきはギターとB♭クラリネットの活躍で、このグループをいきいきとした高みに持ち上げている。何度も来日しているダートだが、なぜか生で聞く機会がなく、残念に思っている(数日前も埼玉でライヴがあったらしい)。

「THE COMPLETE C.M.C SESSIONS」(SPLASC(H) RECORDS CDH503/504.2)
ART STUDIO

 カルロ・アクティス・ダート率いるアート・スタディオがC.M.Cというレーベルに残した初期のアルバム4作をコンプリートにまとめた二枚組。4枚分だけに、ぎっしりと濃密な演奏が詰まっており、なかなか聴きとおすには骨が折れる。フルマラソンを完走したときのようにへとへとになる(そんなことしたこともないが)。でも、とにかく傑作であることはまちがいなく、一曲目からもう興奮のるつぼである。もちろん曲も演奏もよく、ときどきフリーインプロヴィゼイション的な曲もあって、飽きることはないし、小編成なのでカルロ・アクティス・ダートのソロがこれでもかというぐらいたっぷり味わえる。いやー、それにしてもやっぱり思うのは「梅津さんに似てる」……ということで、ソロがどうこうというより、音楽へのアプローチというか、作り上げる世界というか、そういったものが根本的に共通項があるのだと思う(もちろん、まるでちがう部分もあるけど)。今回、おもしろいな、と思ったのは、我々はダートというと、まずバリサク、つぎにバスクラ、それからテナーとかクラリネットとかだという印象ではないかと思うが、一作目を聞くと、テナーを吹いている場面がやたらと多く、この時点ではテナー奏者だったのかなあ、と思った。それが二作目、三作目と進んでいくと、だんだんバリサク吹きになっていく感じ。あ、あと、ボーカルフィーチュアの曲も多くて、そのあたりもおもしろい。それと、ダートの演奏はどんなにめちゃくちゃなブロウをしていても、どこか「小気味よい」。そのあたりも梅津さんと一緒やなあ。

「WAKE UP WITH THE BIRDS」(LEO RECORDS CD LR285)
CARLO ACTIS DATO/KAZUTOKI UMEZU

 すばらしい! 梅津さんのアルバムというのは、未聴のものを聴くたびに「これが最高傑作だっ!」と叫んでしまうが、本作も聴いた瞬間に「最高傑作やーっ」と絶叫してしまった。このふたりのサックスプレイヤーが資質とか書く曲とか演奏姿勢とかサックスの音とかアプローチとか音楽家としてのスタンスとか……とにかくいろんなものが似ているというのはだれでも思っていることだろうし、私もカルロ・アクティス・ダートのバンドアルバムを聴くたびに、あー、ほんまに梅津さんに似ているなあと思ってきた。しかし、そのふたりが共演したら名盤ができるだろう、と素直に思えるほどジャズとかインプロヴィゼイションは甘くなくて、かつてそういった単純な発想から数多くの屑が生まれてきたわけである。ちがったタイプの奏者だからこそ、共演する意味があり、そこに丁々発止とか、個性を出してぶつかりあうという状況が現出するわけである。似たもの同士を並べたら、ただの「おんなじような演奏」が続くだけで、しょうもない結果に終わる可能性は大だ。ところが、本作のふたりはさすがにそんなレベルのひとではありませんでした。あたりまえだ、と言う声多数だと思うが、そりゃそうだよねー、梅津さんとカルロだからねー。もう、めちゃめちゃすばらしい作品になりました。なってしまいました。ああ、もう永久にリピートして聴き続けたい。このふたりは、ときに寄り添い、ときに反発しあい、ときに激突し……とにかく音楽的な高みを永遠に持続するすべを知っている。あまりにすごい場面の連続で息苦しくなるほどだ。いろんな意味ですごいとしか言いようがないのだが、とくにその楽器の鳴りは、もうやめてーっと叫びたくなるほど鳴りまくりで、圧倒的である。サックスを志すひとは、一度聴いてみて、恐れおののいてはいかがでしょうか。

「URATARU」(LEO RECORDS CD LR220)
CARLO ACTIS DATO

 バリサクやバスクラ奏者だけでなく、あらゆる木管楽器奏者に聴いてほしいアルバム。カルロ・アクティス・ダートの無伴奏ソロ。ダートは本作以外にもソロを出しているが、このひとはとにかく楽器がしみじみと深い音を出し、骨身を削って鳴りまくっている、という感じの吹き方をするひとだが、ソロだと夾雑物がないせいか、そのあたりがものすごくリアルに聞こえてきて最高である。そして、ソロだと、このひとが本当にきっちりとした吹き方をしている、ということもわかる。フリージャズの演奏家(とくにサックス)のなかには、気合い優先、雰囲気優先で、楽器が鳴っていない、指が回っていない、指と口が合っていない、タンギングやアーティキュレイションができていない、音程が悪い……といった欠点のあるひとがけっこういるからである(まあ、アマチュアですけど私などはその筆頭です。すいません)。だから、ソロは怖いのだ。音からなにからぜーんぶバレてしまう。そして、なによりも、自分のイマジネーションのなさ、引きだしの少なさなどもバレてしまう。いつもは、いかに自分が共演者に頼って「音楽」にしていたのか、ということがあからさまにわかってしまう。たとえば、こういう風に吹いてこういう場面にしたいな、と思っても、その場で自分にそのアイデアを吹きこなす力がなかったら、共演者に任せて、逃げるしかないわけだが、ソロだとそうはいかない。そのアイデアを今吹けなければ「無音」になってしまうのだ。そしてそしてそして……いちばんすごいのは、そういったことすべてをダートはクリアしたうえで、このサックスの無伴奏ソロを極上のエンターテインメントにしているという点であって(まあ、一般的にはエンターテインメント音楽とは思われないかもしれないが、私にとってはものすごい娯楽である)、とにかく「楽しい演奏」なのだ。そこがダートのすごいところなのだ。タイトルの「URATARU」は反対から読んでも同じ、一種の回文だが、なんの意味なのかなあ。

「THE MOONWALKER」(LEO RECORDS CDLR311)
CARLO ACTIS DATO

 冒頭、日本人学生の「御礼の言葉」ではじまるのが好き。妙な親近感がわき、リアリティもある。しかし、演奏がはじまるとそんなことは吹っ飛ぶ。カルロ・アクティス・ダートのソロのなかでも本作は傑作だとおもう。バリトン(だけではないが)ソロしかもライヴという、かなり苛酷なシチュエーションにおいて、ダートはそんなことを微塵も感じさせないぐらい自由で勝手気ままにふるまっているように聞こえる。しかし、そこには膨大な練習に裏打ちされた技術とそれを母体とした自信(自分のできることできないことをはっきりとわかったうえで、なおかつチャレンジも視野にいれた演奏姿勢)が厳然と存在する。おそらく緊張もしているだろうし、ときには失敗もあるだろう。だが、ここで聴くバリトンソロはそういうことをまるで聴き手に感じさせず、めちゃめちゃ愉しく、めちゃめちゃかっこよく、めちゃめちゃハッピーな演奏なのである。そのあたりがカルロ・アクティス・ダートの本領というか真骨頂だなあと思う。こんな風にサックスが吹けたらどれだけ愉快だろう、世界をこの手につかんだ、世界の王になった、みたいな気分になるんじゃないか……そんなことまで連想させられるすごいアルバム。一曲一曲は短いが、ショートショート集、あるいは短編集といったおもむきではなく、全曲がひとつの流れのなかにあるような、ずっしりと手応えがある。しかも、ある意味、軽く、すーっと聴けるような工夫もほどこされている。この世のものとは思えない超絶技巧がさりげなく、エンタテインメントとして挟み込まれているあたり、この世のものとも思えないすごさである。

「MUSIQUE MECANIQUE」(LEO RECORDS CDLR269)
BRASSERIE TRIO

トランペット、トロンボーン、サックスという管楽器だけのトリオのライヴ。リズムセクションのないこの編成で、あらゆる音楽をやる。やりこなす。あまりうますぎて、リズムがないということを忘れて聞き入ってしまうぐらい、この編成が自然に聴こえるからすごい。腕というか技としか言いようがないが、これは曲芸でもなんでもなく、リズムセクションがなくてもこれぐらいできるのだというアピールでもなく、この編成がこの音楽にとって必然性があるのだ。ジャズがベースになっていることは明らかだが、それはほんの「きっかけ」に過ぎず、ヨーロッパのロマ的なもの、北欧的なもの、シャンソン的なもの、アラブ的なもの、インド的なもの、カリプソとかラテン的なもの、ゴスペルや賛美歌的なもの、ロックやブルース……いろいろなものがごった煮的にそこに乗せられて、エンターテインメントとして成立している。これは恐るべき音楽性と技量があってこそだが、そんなことを微塵も感じさせないぐらい、この音楽はすっからかんと明るく楽しい。これがライヴとはなあ……カルロ・アクティス・ダートの演奏を聴くたびに思うことだが、とんでもないハイレベルなプレーヤーがこういうアホな音楽を全身全霊をかたむけて演奏するときにのみ、こういう奇跡の瞬間がおきるのだ。たとえば4曲目のダートの循環呼吸のソロを聴いてみてほしい。ユーモアと超絶技巧と即興がみごとに溶け合って、このときにしかない瞬間を現出しているではありませんか。ほかのふたりも超凄腕で、5曲目のトロンボーンの無伴奏ソロは、まるでレスター・ボウイのように人間味のあふれる、アコースティックな管楽器の生演奏でしか表現しえない、朴訥とした即興演奏だ。そのあとにつづく、ヨーロッパの街角的アンサンブルの素朴な心地よさは、じつはかなりの「切ったはった」の修羅場である過激で過酷なこの演奏をまるで春風のようにさわやかに見せかける(といったら語弊があるが)。そしてトランペットの無伴奏になるが、これもビバップ的な演奏の延長にあるのかもしれないが、延長といってもめちゃめちゃ長い長い延長上の極致のようなプレイですばらしすぎる。こうして聴くと、このトリオの音楽って、なんとなくローランド・カークを思わせたりもする。カークの音楽もジャズやブルースをベースにして、世界中のポップスや民族音楽をごった煮にして、エンターテインメントにしあげたものだからである。緻密な計算や超絶技巧を誇っていたかと思うと、アート・アンサンブルっぽい素朴な即興の面もあり、一曲ごとに趣向がまったく変わるので聞き飽きることがありえない。傑作。

「NOBLESSE OBLIGE」(SPLASC(H) RECORDS H118.1)
CARLO ACTIS DATO QUARTET

「OLTREMARE」(SPLASC(H) RECORDS H153.1)
CARLO ACTIS DATO QUARTET

「ZIG−ZAG」(SPLASC(H) RECORDS H186.1)
CARLO ACTIS DATO LAURA CULVER

 レコード3枚をCD2枚に収めたお得盤といえばお得盤だが、これを聴きとおすのはなかなかたいへんだ。というのも、カルロ・アクティス・ダートの演奏は一曲一曲がみっちりと詰まっていて、たいへんな充実ぶりのものばかり……というのは聞いたことがある人なら「そうそう」と思うはずだ。とにかく一曲聴くだけでけっこうしんどい、というか体力がいる。あんな楽しく、にぎやかで、明快な音楽のなにがしんどいのだ、というかたもおられるかと思うが、いやいや、このひとのアルバム、なんでもいいから1枚聴いてみてくださいよ。とにかく手抜きが一切なく、あらゆる空白を音とアイデアとパッションで埋めなければ承知できない性格なのだろうな、と思われる。その演奏の密度たるやとてつもない。全身全霊をこめて騒ぎ、全身全霊をこめて吹き、全身全霊をこめて歌う。一曲がふつうの演奏の3曲分ぐらいに相当する。これはある意味、コルトレーンの「至上の愛」ぐらいの密度だといってもいい。底抜けに楽しい音楽かシリアスな音楽のちがいはあるが、どちらもとんでもないぐらいに中身が詰まりまくっている。しかも、ダートの音楽は、じつはその根底にはかなりのシリアスなものがずっしりと存在していて、それがまたへヴィなのだ。能天気だが複雑でかっこいいテーマとアレンジ、めまぐるしく変わる場面、バリトン、テナー、バスクラといった楽器をびりびりと大音量で鳴らしまくるソロ(しかも超馬鹿テクとフリーなサウンドが同居)、そのバックにつくリフの数々、手拍子、パーカッション、歌、コーラス……と4人のメンバーは休む暇は一秒もない。これがたった4人か! ということにまずびっくりする。私は、カルロ・アクティス・ダートの演奏が大好きである。でも、これだけ一遍に聴くのはやはりきつい。中身が濃いからこそきついのだ。あほみたいなピアノトリオでスタンダードをしゃららんと弾いてるようなアルバムならなんぼでも聞き流せようが、これはこっちも必死で聴くしかない。やるほうも聞くほうも体力勝負。だからねー、私はダートのアルバムは一回につき1枚、いや、アルバム半分ぐらい聴くのでちょうどいいと思う。それを3枚……。個々にはめちゃめちゃいいですよ。もう、楽しくって騒がしくってかっこよくってエキゾチックでフリーキーで……。どの曲も? そう、どの曲もです。でも、分けて聴くことをおすすめします。しかもなぜか、CDの1枚目には、「NOBLESSE OBLIGE」の全曲とそのあとに「ジグ−ザグ」の前半部、2枚目には「OLTREMARE」の全曲とそのあとに「ジグ−ザグ」の後半部が入っている。なんでこんな編集にしたのだろう(このあと、ダートはこのカルテットで、地名がついたアルバムを続々作っていくのだが、この2枚はカルテットとしては初期のやつ)。ま、ええけど。で、この「ジグ−ザグ」というのはダートとチェロのデュオなのだが、これだけはしっとりとしたデュエットなのかと思いきや、続けて聴いていると、ほかのカルテットの演奏とほぼ区別がつかないほど、これまたリキの入った演奏ばかりで、とても二人とは思えないのだ。賑やかで騒がしくて楽しくて……いやー、こうなるともう業(ごう)ですな。このチェロとのデュオはほんとうに凄いデュオというかやかましいデュオで、チェロ奏者もベースラインは弾くはメロディは弾くはリフは弾くは、果てにはソプラノまでも吹くという八面六臂さで、ダートの共演者はみんなこうなってしまうのだ。いやー、疲れた疲れた。ここんとここの二枚組(アルバム3枚分)を毎日一回ずつ聴いていたので、相当疲れました。でも、やっぱりええなあダートは。ダート初期の若いパワーがズドーンと感じられる傑作3枚と言っていいでしょう。

「EARTH IS THE PLACE」(LEO RECORDS CDLR722)
ACTIS DATO QUARTET

 いやー、カルロ・アクティス・ダートの久しぶりの新作ですよ。あれだけ多作のひとがアルバムリリースが途絶えていたので(というか、私が知らんだけでけっこう出していたのかも。ありがち〜)実はかなり心配していたのだが、まったく心配無用だった。この作品を聴けばわかるが、まったくなにも変わっていないあの音楽がぎっしり詰まっていた。めちゃめちゃかっこええ。楽しい。すばらしい。毎回思うのは、一切手抜きがないこと。テーマにアンサンブルにリフにソロにと大活躍だが、それ以外にも掛け声をかけたり、歌ったり、パーカッションを叩いたりと四人が四人とも八面六臂にもほどがあるフル回転状態。曲の頭から終わりまで一瞬たりとも休まない。だからたった4人でオーケストラのような、まあ、オーケストラは言いすぎかもしれないが、少なくとも8人編成のコンボぐらいのサウンドは出ている。そして、曲数が多い。このアルバムも70分以上ある。しかも、一曲の密度が高いから、2、3曲聴くと、これだけハッピーでご機嫌な音楽にもかかわらず(あるいはだからこそ)へとへとになる。これは心地よい疲れなのでかまわんといえばかまわんのだが、イタリア人というのは凄いよなあ。パワーがちがうわ。ほかの3人もめちゃくちゃ上手くて、みんなでコーラスしたり、はっちゃけまくっている。アルトのひともいつもながらにすばらしいし、ドラムもベースも最高。このメンバーだからこそたった四人でこの音が出せているのだ。曲はどれもこれも中東っぽいエスニックなものであったり、イタリア的なご陽気なマーチであったり、世界中のキャッチーなメロディを大釜にぶちこんでかき混ぜたような佳曲ばかりだが、やはりそこにチンドンっぽさが感じられるのは偶然なのだろうか……といったような世界の民族音楽的なことを考えてしまったりするのもまた一興です。傑作。なお、調べてみると新録が途切れていたのはたった1年だったみたいで、なーんだ、そうだったのか。

「GINOSA JUNGLE」(SPLASC(H) RECORDS CDH710.2)
ACTIS DATO QUARTET

 カルロ・アクティス・ダートカルテットのこの地名シリーズはいったい何枚あるんだろうな。けっこう聴いたつもりだが、まだまだありそう。ディスコグラフィをチェックしながら潰していく……といった作業をしていないので、さっぱりわからない。感想は毎回一緒で、ただただ「すごい」と感嘆するしかない。たった4人とは思えないサウンドの濃密さにノックアウトされる。かっこよくてエキゾチックでキャッチーなテーマ、緻密で難しいがばっちりきまるアンサンブル、手を抜かないひたむきでハイテクニックなソロの応酬、ソロのバックでもリフやらなにやらを吹きまくる、フリーからビシッと戻るアレンジ、躍動的でパワフルにすぎるリズム……などなどが毎曲続き、正直、3曲ぐらいでおなか一杯になってしまうのだが、それがなんと13曲も入っているのだ。この体力知力にはいつもながらボーゼンとするしかないが、これがまたライヴだという驚き。13曲も入っているということは1曲がけっこう短いということだが、この短さでも満腹になってしまうのだから、異常なまでに1曲の密度が濃いということなのだろうなあ。すごいわ、このひとら。ドラムの煽りもすばらしいし、このアホな連中をがっちり受け止めて軽々とドライヴさせているベースもすごい。とにかくあらゆるリスナーをねじふせて大満足させるにちがいない作品だが、こういう作品を山ほど発表しているアクティス・ダート・カルテットには脱帽するしかない。正直言って、どのアルバムを聴いても一緒(というのはおんなじようなことばっかり、という意味ではなく、どれから聞いても同等の感動を得られる)なので、どの一枚がとくにお勧めと言うことはないのだが、本作ももちろんおすすめである。ぜったい面白いです。傑作。なお、タイトルの「ジノーザ」はイタリアの地名。

「ENNA MILONGA」(BAJ RECORDS BJCD 0016)
CARLO ACTIS DATO

 なんと日本盤。ジャケット(裸足の足の裏の写真)最高! いつものダート・カルテットによる軽快で重厚で濃密極まりない演奏がぎっしり詰まっている。1曲目の「なんちゃってー!」という叫びで爆笑して、すっかり心を掴まれてしまう。とにかく短い曲のなかにいろいろな要素がスーパーの袋詰めのようにぎゅうぎゅうに詰め込まれているので、一度に全部聴くとへろへろになるが、それは心地よい疲労なのだ。全員がめちゃくちゃ上手い、いろいろなツボを心得ているし、挑戦的で前衛的で、同時にエンターテインメントであり、ジャズ的なスウィングするリズムをベースにしているが、民族音楽的であり、しかもどこの民族音楽かと言われると「世界中の……」と言わざるをえないのだ。もちろんイタリアが出自なわけで、地中海的な雰囲気も多分にあるのだがそれにはとどまらないワールドワイドな視点でこのとんでもない音楽は作られている。これはこのカルテットを聴くときにかならずといっていいぐらい感じる感想である。おそらくこのグループをはじめて聞いたひとは、この演奏がたった4人で行われていることに驚くだろう。私は今でもそうだ。ピアノもギターもいないたった4人である。感嘆するが、同時に怖くもなる。すごいなあ……とヨダレを垂らすが、ひとりひとりの役割の負担を考えると(ガトスミーティングになるまえの林栄一カルテットとかを思い出して)うーん、がんばってください、リポD差し入れましょうか、と思ったりもする。とにかくこの4人は聴き手である我々を楽しませよう、高揚させようとめちゃくちゃがんばってくれているのだ。それは本当にもう十分伝わっております。コードを感じさせる楽器がベースだけなので、フロントのふたりはソロをカラフルに彩る、というか、一本調子のシンプルなソロではなく、コード感をちゃんと出して空間を埋めていくようなソロをしなくてはならないし、アンサンブルやバッキングなど休む暇もない。とにかくひたすら楽しい演奏なのだが、それをこの四人がしゃかりきになって提供していることがすばらしいと思う。傑作!