「SPECIAL EDITION」(ECM RECORDS PAP9096)
JACK DEJOHNETTE
とにかく最初聴いたときに度肝を抜かれた。ピアノレスの、全編アコースティックの「ジャズ」なのだが、この4人が作りだしている音楽は、200人編成のオーケストラにも匹敵するようなとてつもないものだと思った。まず、1曲目のテーマが凄い。なんじゃ、これ! レコードの針が飛んだのかと何度もたしかめねばならないような、ある意味ふざけた曲だが、このセンスに衝撃を受けた。そしてデヴィッド・マレイのバスクラリネットのソロの豊饒かつ雄弁な表現! 今のマレイにはまったく感じられない、凄まじいインプロヴァイザーとしての「個」がある。アーサー・ブライスもすげーっ。とくに高音部の独特な錐のような鋭く太い音色。ドラムソロも、「さあ、ここでドラムにしばらくスペースをあげるから、自由に好きなように表現して、観客にアピールしてください。終わったらテーマはいるから合図してね」的なものとは対極をなす、曲の一部としてのパーカッション部分というか……。2曲目の「ズート・スート」(キャブ・キャロウェイが来ていたズート・スーツにひっかけた名前か?)は、第一テーマはスウィングジャズを思わせる小気味よくシンプルなリフで、そのあと第二テーマとして深い森を連想させるような清浄かつクラシカルな旋律があらわれる。そしてまた第一テーマに戻り、ブライスとマレイがリズムにこびるような、リズムを無視するようなバトル(というか会話的な相互ソロ。互いにかぶっている部分もたくさんあるし、片方がソロをしているバックでのリフっぽいものもかなり自由に吹いている)を繰り広げる。このころのマレイは本当にすばらしい。音色といい、気力・体力・表現力・発想力……すべてが充実している。そして、第二テーマ→第一テーマとリレーされて終わり。B面に行きまして、1曲目はコルトレーンの「セントラル・パーク・ウエスト」をドラムレスのバラード的なアンサンブルで表現したもの。ディジョネットはピアニカを吹いてるが、それがアンサンブルに見事に溶け込んでいる。美しいが、清涼さを感じる演奏。そうだ、本作のキーワードはこのすがすがしさなのかも。豪腕ドラマーディジョネットが、ロフト出身の若手荒くれ者であるマレイとブライスをフロントに、けっこうエグイ曲などもやっているにもかかわらず、全体としての印象は、透徹したような清浄な演奏なのである。2曲目もコルトレーンの曲で「インディア」だが、ヴィレッシジ・ヴァンガードでのライヴにおけるドルフィとの2管でのあのどろどろしたマグマのような空気は一切なく、B1と同じく、ドラムレスでまったく別の曲に換骨奪胎した印象だ。マレイのバスクラやブライスのアルトが、空間を構築していくような吹き方でひとつの世界を作っていく。ベースはシンプルなドローンを続けている場合が多いが、それもああいった重低音でのオスティナートではなく、軽く、まるでボサノバのようにリズムを提供する。ドラムが入ってからは、バスクラとアルトが自己表現を行うが、いくらふたりが熱くなってブロウしても、全体のスカスカ感はそこなわれることなく続く。3曲目は低音のノイズ的なものやアルコの声明(しょうみょう)のようなドローンなどが延々と続く印象的な曲で、ドラムが入ってインテンポになると超アップテンポの過激なフリー系の表現となる。マレイはフラジオを中心にピーピー吹き、ブライスのアルトは濁った独特の音で吹きまくる。ブレイクがあって、サックス2本が無伴奏で無調のムードミュージック(?)のようなものを即興的に奏でていく。そこにアルコベースが加わり、ディジョネットがピアニカを吹いての、3管の怪しい曲がはじまる(このあたりワクワク感はんぱない)。おもろいなあ。なんやねんこれ、という気持ちと、おおっすごい、という気持ちと、がっちり握手したい気持ちと、置いていかないでっという気持ちが聴き手である私のなかに同時に生まれるような演奏。それは、今聞いてもかわらない。どの曲も、リーダーであるディジョネットはどういう意図なのだろう、と聴き手であるこちらが必死に探りたくなるような、そんな「わけのわからなさ」と、単純明快さが同居しているようなものばかりで、もちろんジャズとしてのストレートアヘッドな痛快さにも満ちているのだが、それだけでなく、もっと変な、そう、いい意味での変態性を強く感じる演奏が詰まっている。それが「はぐらかされている」ような印象にならず、聴き手と演奏者のしっかりした関係が作られているのは、ディジョネットのすごいところだと言うしかない。このグループが、メンバーを替えながら長く続いたのもそらわかるわ、という感じ。記念すべき第一作にして歴史的傑作だと思います。
「AUDIO VISUALSCAPE」(IMPULSE RECORDS MCA−2−8029)
JACK DEJOHNETTE’S SPECIAL EDITION
このメンバー構成を聞いて興奮しなかったジャズファンは当時いなかったと思う(たぶん)。私はおしっこを漏らしそうになるほど興奮しました。期待200、いや300パーセント。さーすが、ディジョネット。1枚目のマレイ〜ブライス以来ずっと、ええ人選しよるでと感心も得心もした。「ティン・カン・アレイ」と「インフレイション・ブルース」におけるチコ・フリーマン〜ジョン・パーセルというフロントも悪くなかったが、やはりマレイ〜ブライスの衝撃には及ばなかった(めちゃめちゃ期待はした)。マレイが復帰した「アルバム・アルバム」が大傑作で、つぎどうなるのかなーと思ってたら、「イレシスティブル・フォーシス」でこのフロントが生まれたのだ。いやー、生で見たかったなあ。本来は「インテスティブル……」からレビューするのが筋だが、どこにいったのか見つからないのでしかたなく(というか、手近にあるものを片っ端からレビューするのが本項のルールだから)、この2枚組を聞くことになった。このあたりの演奏は、スペシャル・エディションも初期のアコースティック+ロフトジャズ的なものから、エレクトリック+モードジャズ的なものに変貌しているのだが、それはゲイリー・トーマスやグレッグ・オスビーといった若いメンバーの当時の音楽性(まあ、言ってしまえばM−BASE)と共通している。しかし、ディジョネットが彼らの音楽に迎合しているような印象はまったくなく、曲のほとんどをディジョネットのオリジナルがしめていることも考えると、(もちろん相互影響はあっただろうが)ディジョネットが自分が当時やりたかった音楽に必要な人材が彼らだったということだろう(その後のパラレル・リアリティーズなどの内容も考えると、たまたまディジョネットと彼らの音楽がシンクロした時期だったのでは?)。シーケンサー、ヴォコーダー、ハーモナイザーなどの使用はディジョネットの当時の音楽そのものだ。オーネット・コールマンの曲を取り上げている点も興味深い。1曲目は明るい曲調なのだが先発のゲイリー・トーマスのソロのダークさが心にしみる。2曲目は吹き伸ばしが中心の不穏な曲でギターソロがその不穏さをあおるような不安定な音使いを重ねていく。オズビーのアルトソロはハーモナイザーかなにかをかましていて、右チャンネルからアルト、左からその生霊のような浮遊感のあるか細いおとが同時に聞こえる。いやー……これはめちゃかっこいいねー。3曲目はゲイリー・トーマスのリーダー作に多いような、複雑なテーマを重いビートにのせた曲で、だれのコンポジションかと思ったらグレッグ・オズビーでした。なるほど、M−BASE。ソロもバッキングもわけられてなくて渾然となった演奏。1枚目B面にいって、1曲目はこれも不穏な印象の曲で、「スラムタンゴ」という曲名なのにぜんぜんタンゴじゃないなあと思って聴いていると、やたらシンプルなリフが延々続いたかと思うとサックス二人のチェイスになる。ははー、このリフのリズムパターンがタンゴなのね。非常に聞き応えのあるヘヴィな演奏。次の曲は4ビートでオーネット・コールマンの曲。またしてもオズビーのソロはハーモナイザーをかけているが、これがものすごくいい。いやー、やっぱりこの人はうまいわ。熱烈応援! え? いまさらいいですか。続いてでてくるトーマスのソロもハーモナイザーかけてあるのだが、オズビーよりもアブストラクトなフレーズを大音量で渾身の力で吹きまくっているという印象。つまり、より過激。ときどきベースも鳴るのだが、ほとんどドラムとのデュオのような感じ。そこから(たぶん)グッドリックのギターシンセのソロになり、なんじゃこりゃと思っていると、突然プラクシコのベースのアルコソロになってアコースチックの世界に引き戻される。聞き終えると、しんどー!となるようなたいへんな演奏。2枚目に移って、1曲目はこれまでとガラッと雰囲気が変わって、あの「ワン・フォー・エリック」の再演。トーマスはバスクラにハーモナイザーをかけている。オズビーのソロもいいけど、そのあとにトーマスがフルートでもう1回ソロをする。これはこれで全員の個性が存分にでた熱い演奏。マレイ〜ブライスとの比較は必要ない。ええ曲であることも再確認できるよ。12分10秒の演奏だが30分ぐらいに感じるほど密度が濃い。2曲目は比較的短いバラードで、これは超まとも。トーマスはフルート。オズビーはソプラノでソロをする。さいごの曲は2枚目B面いっぱいをしめる長い曲でタイトル曲でもある。一種のフリーな演奏で、ビートはステディーだがあまり決め事はないようだ。オズビーがリフ的なものを何種類か吹いているのがテーマのようだが、そう聴こえるように吹いているだけでしょう。その横でトーマスはずっとソロしてるし。バランス感覚も含めて、このひとたちのセンスはすごいなあと感心する。こういうずーっと同じビートのうえでカラフルでクリエイティブな演奏をするというのは、なかなか困難だと思うが、このひとらは死ぬまでやってられそうだ。それだけ吐き出せる音楽的蓄積が個々にあるということでもあるし、メンバーがめちゃめちゃいいということもあるだろうけど。なかでもオズビーが凄まじい。クライマックスが何度も襲い掛かってくるようなソロを繰り広げている。それにしてもこの先どうなんねんと思っていると、オズビーがリフを出し(たぶん、即興的なものだと思う)、それにトーマスも乗っかって、演奏は収束していくのです。いやー、凄い!この集中力はただごとじゃないよね。聴くのはしんどいけど、傑作です。
「MADE IN CHICAGO」(ECM RECORDS ECM2392)
JACK DEJOHNETTE
正直、ジャック・ディジョネットがシカゴのフリージャズ人脈から出発したミュージシャンということを私もすっかり忘れていて、本作の企画のことを聞いて、一瞬「?」となったぐらいだが、考えてみればこのひとはコテコテのシカゴ〜AACM人脈のひととして世に出たのだ。そんなディジョネットが古巣というか原点であるシカゴに戻り、かつての先輩たちと共演した記録である。ディジョネットも含めみんなジジイばっかりで、長老のムハール・リチャード・エイブラムスは80代(録音時82歳)で、ほかはだいたい70代(主役のディジョネットは録音時70歳ちょうど。ロスコー・ミッチェルは録音時72歳、ヘンリー・スレッギルは録音時68歳で、なんだ、けっこう若いやんという錯覚に……)、ただしベースのラリー・グレイは年齢はわからないけどめちゃくちゃ若いはず、という状態のバンドだが、全員の精神的な若さは相当なもので、しかも肉体的にも、リチャード・エイブラムスなんてガンガン弾きまくっていて驚く。1曲目はロスコーの曲だが、ドレミレ・ドレミレ……というシンプルすぎるリフ(ピアノはソファレド・ソファレド……)で、それがミファミレ・ミファミレ……になったりと変化するという、ちょっとミニマルミュージック的にはじまるが、テーマ部分のダイナミクスのつけ方を聴いてるだけで、ああ、さーすがアート・アンサンブル! と思ってしまう。リフをバックにして、スレッギルのアルトソロがはじまるが、短いけど強烈な印象。全員でリフに戻って、そこからリチャード・エイブラムスの美しくも過激なピアノソロになり、じつは去年、突然私はエイブラムスの良さに目覚め(それまで気づいてなかったんかーい)、いろいろとアルバムを聴いて、まったくもってこれまでちゃんと聴いていなかった馬鹿さ加減を呪ったのだが、本作でもエイブラムスは爆発しており(82歳だよ、82歳!)、このひとがいればシカゴは安泰だ! と思う。自由な発想と強靭なリズムが胸を打つ。短いフリーなドラムソロを経て、ロスコー・ミッチェルのソプラノ(だと思う)がわけのわからんソロ(このひとのソロは何十年も前からわけわからん。というかコンセプト自体がわけわからん)が炸裂する。昔は、(アート・アンサンブル・オブ・シカゴ以外での)このひとのサックスは、下手くそ過ぎる気がして好きではなかったが(ジョセフ・ジャーマンも同じ)、今はさすがにこのわけのわからなさ、下手なんだかなんなんだか、という感じをちゃんと賞味できるようになってはいると思うが……それにしても、ほんまにわけわからんやんけ、このおっさんは! 何十年もこんな感じで分析不能なことをやり続けるというのはたいしたもんだよ。オーネット・コールマンしかり、ですが。60年代的な混沌としたフリージャズ的サウンドのなか、72歳のジジイが循環呼吸もまじえてひたすら吹きまくる。それを煽る82歳のピアノ! そして、スレッギルのアルトが登場し、ロスコーとは反対のシンプルな音使いによるソロをはじめた……と思ったらすぐにロスコーが割り込んできて、混沌さに拍車をかける。このあたりもおもろいなあ。そして、いきなり「すっ」と終わる。うーん……やっぱりわけわからん。すばらしい。2曲目はエイブラムスの曲。フリーなドラムソロで始まり、いかにもエイブラムスの書きそうな、荘厳かつ変態的なテーマがはじまる。こういう曲ばっかり書くから我々はエイブラムスの真の姿を見誤るのだが、本人はこういうのがいたって好きなのだろうな。テーマのあと、スレッギルのアルトが震えるような、もがくような、でたらめなようなフレーズと、異常な「間」による表現で空間を埋めていく。それに呼応するディジョネットの瑞々しいドラム。こういう演奏をさせたらスレッギルはすごいです。ディジョネットの、ドラムと戯れているというか遊んでいるというか、これまたわけのわからんドラムソロになるが、ほかのグループではこんなディジョネットはなかなか聴けない。それが次第にまとも(?)なドラムソロへと昇華していく過程を聴いていると、このひとのシカゴフリー〜マイルス〜キース・ジャレット……という変遷を見るような気さえする(錯覚ですが)。そのあとゆるやかな集団即興になり、ベースソロがフィーチュアされてそのままテーマにも行かずに演奏終了。一筋縄ではいかぬひとたち。3曲目はロスコーの曲で、スレッギルのフルートとピアノで演奏スタート。そこにロスコーのフルートも加わり、三重奏による重厚なテーマが奏でられる。かっこいい。スレッギルのフルートとベースのアルコのデュオになり、ドラムも短いフレーズでときどきつっこみを入れ、途中からはピアノも加わり、バラード的ではあるがなかなか刺激的で緊張感のあるプレイが続く。最終的にはロスコーのフルートも入ってきて、それぞれが絶妙の間合いと効果的なフレーズでやりとりし、もしかしたら本作でいちばん美味しいかもしれない瞬間を作り上げる。そのあとピアノとアルコベースが主体のトリオとなり、2フルートによるテーマでしめくくられる。いやー、すばらしいです。4曲目はディジョネットの曲で、ピアノソロによるイントロではじまり、そこに2サックスによるテーマが乗る。そのあとピアノがマイナーなフレーズに誘導し、物悲しげなもうひとつのテーマが現れる。不協和音なのに悲しい雰囲気が醸し出され、そのバックではドラムが暴れるという凝った構造のバラードだが、見事に成功している。スレッギルの濁った音色での吹き伸ばしが演奏をリードしているが、ほかの楽器もすべて同時に鳴っている、一種の集団即興で、しかもえらい盛り上がる。そのあとピアノトリオとなり、エイブラムスの凄みあるピアノが炸裂する。この部分も本作の白眉のひとつといっていい。途中からスレッギルのフルート、ロスコーのサックスがからんでいき、最後は雰囲気を保ったまま集団即興が続いてエンディングはエイブラムスのピアノがふたたび全部持っていく。5曲目はそのエイブラムスがもっとも爆発する演奏で、このジジイ凄いとしかいいようがない。テーマのあと、ソロピアノが始まるが(ウルトラQのテーマかと思った)、右手左手ともに強力で、いやはやすばらしい。ディジョネットのシンバルワークも見事で、絶妙のコンビネーション。80になっても90になってもフリージャズはできる! この部分も、本作では突出して聴きごたえがある。ひたすらエイブラムスをフィーチュアした曲かと思ったら、中盤で突然曲調が変わり、ロスコーのソプラノ(ソプラニーノ?)が登場。これがあいもかわらぬわけのわからん(今回、この言葉多すぎ)ソロなのだが、バックのファンキーなリズムになぜかばっちりとはまり、すげえかっこよく聴こえるのは不思議不思議。そして、そのまま演奏は唐突に終了する。さあ、もう一度言いましょう。わけわからん! そのあと(たぶん)ディジョネットによる熱いメンバー紹介とシカゴに対する思いが語られる。なかなか感動的である。ラストはたぶんアンコールとしての短いインプロヴィゼイションだが、エイブラムスのリズミカルな打鍵を中心としたソロの応酬で、これも充実した演奏。というわけで、買ってから10回ぐらい聴いたが、いまだにわけがわからん。わけがわからんからまた聴くわけで、スパーッと割り切れる、明解な音楽に比べると、こういう音楽は謎めいて、じつに魅力的だ。いつまでもこんな具合に謎めいた音楽をやり続けているジジイたちに乾杯。でも、テナーかいないんだよなあ。生きていたらフレッド・アンダーソンの出番があったような気もするが……。個人的にはここでヴァンダーマークが加わって、とか夢想したりして。傑作。
「ALBUM ALBUM」(ECM RECORDS POCJ−2211)
JACK DEJONNETTE’S SPECIAL EDITION
ボックスを除くと全部で6作ある(ですよね?)ディジョネットのスペシャル・エディションの4枚目、ということでいいのだろうか。このグループの第一作を発表したとき、ディジョネットは同時期にレスター・ボウイ、ジョン・アバークロンビー、エディ・ゴメスらとのニュー・ディレクションズも継続していて、とにかく創造意欲満々だったと思われる。1作目があまりにすばらしくてめちゃくちゃ愛聴盤だったので、「ティン・カン・アレイ」と「インフレーション・ブルース」の印象はやや薄いが、でも傑作であることは間違いない。どの作品も今の目で振り返るとスーパーバンドという感じの人選だが、当時としてはロフトジャズの若いメンバーをフロントにしたバンド、という感じの認識だったかもしれない。一作目のデヴィッド・マレイ〜アーサー・ブライスのフロントがとにかく衝撃的で、2作目、3作目のジョン・パーセル〜チコ・フリーマンというフロントもええ感じではあるが1作目には及ばない……とえらそうに言っておこう。そして、この4作目である2枚組はデヴィッド・マレイがフロントに復帰し、2、3作目のレギュラーだったジョン・パーセルに加えて、ハワード・ジョンソンが参加していて、ある意味、初期というか第一期の集大成的な作品だろう。二期目は、グレッグ・オスビー〜ゲイリー・トーマスということで、ややM−BASE寄りになるのだが、それはそれでめっちゃかっこいいのだ。つまり、ざっくり言うと、前期がロフトジャズ的で後期がM−BASEということか。まあ、とにかくこのスペシャル・エディションというバンドがディジョネットの創造意欲の実験場みたいなところがあって、聴いているともう美味しくて美味しくて頬ずりしたくなる。このグループの特徴として、多少フリージャズ的、ノイズ的……ではあるのだが、基本的には2サックスの柔らかいアンサンブルが中心、ということがある。本作でもそれは引き継がれていて、ジョン・パーセルとデヴィッド・マレイというフロントの構成するふくよかなハーモニーは前衛っぽいといってもとげとげしさをまるで感じない。ECMサウンドということもあるだろうが、やはりデジョネットの狙いなのだろう。ここにトランペットとか金管が入ると、ハードバップ的になり、デジョネットはあくまで「サックスだけ」にこだわったのではないか、というのが私のアホ耳による感想である。ハワード・ジョンソンはチューバとバリトンサックスの両方でそのサウンドに貢献している。この豊穣かつ過激なアンサンブルは、たぶん多くのリスナーが「エリントン」を想起したのではないかと思う。悠雅彦さんのかなり長文のライナーでは、ほとんどジョン・パーセルについて触れられていなくて、ちょっとドン引きした。というのは、本作においてパーセルは大活躍しているからで、あまりに冷たい扱いというか、意識的に触れないようにしているように思えた。なんでや? 1曲目はパーセルのソプラノが印象的な明るいラテン系の曲だが、ディジョネットの曲だけあって、さまざまな仕掛けがしてあって、構成も一筋縄ではいかない。でも、全体の印象は、なんかハッピー! みたいな感じです。2曲目はモンクの曲で、3管(ハワード・ジョンソンはバリトン、パーセルはアルト)の部厚いアンサンブルが、やはりエリントン的である。ある意味、ワールド・サキソフォン・カルテットを思わせる。ハワード・ジョンソンのバリトンソロも、柔らかくて重厚でかっこいい。こうなったらスウィングもフリーもないな。各々の奏者の個性とそのブレンドがあるだけで、ジャンルとかは関係なくなっている。すばらしいですね。3曲目は一転して派手なリズムでの演奏。「フェスティバル」というタイトルが、なるほど、と思えるような明るく熱狂的な曲。こうして聞くと、マレイの音はアンサンブルのなかで非常に目立っている。パーセルも高音での印象的なフレーズをガンガン吹きまくる。ディジョネットのパワフルでカラフルなリズムのなかで、3管(ハワード・ジョンソンはバリトン)が同時にソロをするのだが、これがめちゃくちゃかっこいいうえに、ディジョネットの短いドラムソロが全体を引き締めている。全員一丸となってる感がある最高の演奏。4曲目は「ニュー・オリンズ・ストラット」というタイトルだが、たしかにニューオリンズ的なスネアのリズムを感じます。ライナーによると「この屈託のないサウンドは、あたかもウェザー・リポートのユートピア・サウンドを想起させる」とか「ディジョネットは(中略)ジョー・ザヴィヌルのように振る舞っている」とあるが、まったくそんなことは思わないのはなぜだろう。パーセルのアルトからマレイのいつもの感じのテナーソロに移行する。ドラムはめちゃくちゃかっこいい。5曲目は組曲的で、1枚目の「スペシャル・エディション」を想起するような最高の曲であり演奏である。ディジョネットのドラムと他のメンバーが一体となる感じは、このバンドならでは。ちょっとしたリフがものすごく全体を鼓舞している点もすごい。混沌としたなかから4ビートになってパーセルのアルトがフリーキーな音域も使って圧倒的なブロウを展開する。そのあと二度にわたってハワード・ジョンソンの凄まじいチューバソロが聴ける。マレイのソロ(いつもの高音でぴよぴよいわせるやつ)を挟んでの二回目のソロも圧倒的で、いやもう凄すぎるやろ。なんでディジョネットがハワード・ジョンソンに二度ソロを取らせたのかはよくわからないが、とにかく本作中の白眉といっていい演奏。この曲に至るまでのバリトンソロももちろんよかったが、この曲での圧倒的なチューバソロを聴くと、「やっぱりチューバや!」と叫ばずにはいられない。ラストの5曲目はおなじみ(?)の「ズート・スート」で、たしかに「スート(組曲)」というべき構成の曲。この曲でのマレイはものすごくよかった。アルトとバリトンが加わるフリーな感じのコレクティヴ・インプロヴィゼイションの部分もすばらしい。ディジョネットがフリー〜シカゴ系出身であることがはっきりわかる傑作だと思います。