arthur doyle

「LIVE AT GLENN MILLER CAFE」(AYLER RECORDS AYLCD−002)
ARTHUR DOYLE & SUNNY MURRAY

 何を考えてるのかわからない狂気のテナーマン、アーサー・ドイル。ビデオを見ても、何がやりたいのかよくわからないような、思いつきの演奏をしているように思える。そこが好きなのであるからしかたないけど。このアルバムは、そのアーサー・ドイルの名前になっているが、実質はサニー・マレイがふたりのサックスとのデュオを行ったもので、1〜3曲目はベン・フリップ・ノードストローム(と読むのか?)というたぶんスウェーデンのアルト奏者とのデュオでドイルは出てこず、4曲目に至って、やっと登場という、看板にいつわりのあるアルバムである。しかも、アルトの人はアイラーっぽいテーマを奏で、いっしょうけんめい吹いているのだが、まるでサニー・マレイとあっておらず、ちぐはぐな演奏に聞こえる。ドイルとのデュオになると、ドイルがあまりにマイペースで、例によって、しゃがれたような中音域主体のよくわからないソロをくりひろげ、そのねちっこさ、しつこさ、くどさでじわじわ盛り上がる。ドイルが好きな人向けだと思います。
と書いてから半年ぐらいして、このアルトのベン・フリップ・ノルドストロームという人が、スウェーデンのパイオニア的アルト奏者で、2000年に63歳で亡くなったことを知った。2000年というと、このアルバムが録音された年であり、録音時にはすでに病魔におかされていたのだ。彼は、アルバート・アイラーとともにサニー・マレイがスウェーデンを訪れたときに、サニーと知り合ったという、まさにスウェーデンフリージャズシーンの井上敬三のような人だったのではないだろうか。上記、ちぐはぐだなんて書いて申しわけない。病気でもう、力がなかったのかもしれないしなあ……。

「A PRAYER FOR PEACE」(ZUGSWANG 0002)
ARTHUR DOYLE TRIO

 アーサー・ドイルというのは謎のテナーマンである。アーサー・コナン・ドイルを真似たのか、偶然なのかわからない名前も変だが、ソロは、ぐちゃぐちゃ、ぶつぶつ、ねとねと……と中音域を中心に這いずりまわるような粘着質のもので、スカーッとしない。テナー奏者のなかには、自分のいちばんおいしい音を知っていて、ここぞというときにそれをスコーン! と露骨にヒットさせる人が多いが(たとえばファラオ・サンダースとか近藤直司とか)、ドイルはまるっきり逆である。彼の音をたとえていうと、「錆びた鉄パイプを、鈍器でぐじゃっとへしゃげさせた」ような音である。高音でスクリームすることはほとんどない。スクリームというより、「わめきたてている」という感じの音はよく使うが。つまり、聴いていて、発散しない。かっこええ! という瞬間があまりない。あと、ドイルには「オクターブ下」の人という印象がある。高音を鳴らしていても、つねにそのオクターブ下が同時に鳴っているような感じ。だいたい、常に口で唸りながら(グロウル)演奏しているので、いつも唾の音の混じった、濁ったような汚い低音が聞こえてくる。よく、未熟なサックス奏者の場合、低音を出そうとしたのが裏返って、高音部が出てしまうことがあるが、ドイルは逆で、高音を出そうとして、それが低音部で鳴ってしまっていることがほんとに多い。ソロ自体も、組み立てのない、いかにもその場のその場の適当な感情の起伏だけでやってるみたいだし(ビデオを見て、それを確信した)、フルートなんかは音よりも息の音のほうが多く、めちゃくちゃへたくそだし(フレーズもほとんど指くせだけ)、何を考えているのかさっぱりわからない。よく、ドイルは奇人変人だといわれるし、演奏を聴いていても、わけのわからない自筆のライナーノートとかを読んでも「ちょっと頭おかしいんちゃうか」と思うときもある(ビデオを見て、それを確信した)。だが、個性豊かで、ちょっとやそっとのことでは崩れない、傲然とした岩のような魅力をはなっている。たいへんな存在感だ。この盤は、そんなドイルの魅力にあふれている。あと、ドイルをもっとも特徴づけているかもしれないあの異常者のようなボーカル(ボイス?)が、そのテナーソロにあまりに酷似しているのもすばらしい。

「ALABAMA FEELING」(DRA RECORDS)
ARTHUR DOYLE PLUS 4

  78年に出たアーサー・ドイルの名高い初リーダーアルバム(だと思うけどちがうかもしれん。そういうデータ的なことは全然知らないからな)のCD化だが、「とくに日本で(レコードの)ビニールコピーが出回り、200ドルの値がついている。日本では、アーサー・ドイルはフリージャズの伝説になっているのだ」てなことがライナーに書いてある。ほんまかいな。中身は、まさにいつものアーサー・ドイルで、むちゃくちゃである。1曲目から、トロンボーンが朗々とゆったりしたリフを吹き、フェンダーベースが覆い被せるような長い音を弾きまくり、ドラムが小刻みなビートを叩きまくっている横で、アーサー・ドイルはそれらをまったく無視して最初っから最後までずーっと「ぎゃおおおおおっ」という「老婆のへしゃげた悲鳴」みたいな音を吹いている。どの曲も同じで、トロンボーンソロがあったり、ドラムソロがあったりしても、アーサー・ドイルが出てきたら、もうどの曲がどの曲か聞き分けられないほどの「同じ展開」である。とにかくずーーーーーーっと「ぎゃおおおおおっ」と吹いている。バスクラを吹くと、さすがに少しはフレーズも変わるし(中音域からうえは、テナーと同じ「ぎゃおおおおっ」だが)、フルートは異常に下手で、「ぴっぴっぴっぴきぴっ」と日本の祭りのときの横笛にしか聞こえないが全体の印象としてはとにかく「むちゃくちゃ」である。ほかのメンバーはそれなりにコールアンドレスポスをしているが、主役のドイルは1曲たりとも手を抜かず、誰が何やってようとおかまいなしにただただひたすらエレキギターのハウリングのような「ピーガー」音を吹き続ける。あの奇怪なボーカルもあり、要するにこのアルバムのときに、現在まで続くドイルの演奏スタイルは完全に完成していたということだ。こんなでたらめでめちゃめちゃな演奏なのに……どうして我々をひきつけるんだろう、アーサー・ドイルは。

「DOING THE BREAKDOWN」(YOKOTO MUSIC ENTERTAINMENT YME−1)
ARTHUR DOYLE LIVE IN JAPAN

 アーサー・ドイルといえば頭のおかしいフリージャズマン……みたいなとらえられかたをしているかもしれないが、この日本でのソロは、アーサー・ドイルってちゃんとしてるやん、まともやん、ということが再認識される傑作だと思う(まあ、そういう再認識ってどうよ、とも思うけど、これまでがこれまでだからなあ……)。わけのわからないボーカル(ボイス?)やピアノも含めて、かなりでたらめ感が強く、はじめてドイルを聴く人は、どこがまともやねん、と思うかもしれないが、この作品はじつは相当ちゃんとしているのである(つまり、普段がどれだけ無茶苦茶やねんということになるが)。冒頭にテーマの提示が行われ、それに基づいてインプロヴィゼイションが行われ、別の展開があり、ふたたびテーマが提示される。うむ、たしかにちゃんとしている。自由奔放に聞こえるし、たしかに自由奔放なのだろうが、でたらめではないのだ。そんな当たり前のことを、ドイルに関しては、こうやって押さえておかないと、ほんとのでたらめなおっさんがでたらめにサックスをへろへろ吹いてるだけ、と思われかねない。そんな危うさがドイルの魅力なわけだが、本ソロアルバムは期せずして、ドイルの音楽の秘密や、その土台、構築の方法などを我々にかいま見せてくれる結果となった。ドイルのほかのアルバム同様、どこがいいんだかよくわからないが、なにかクセになり、また聴いてしまう……そんな不可思議な魅力が本作にもあります。