duke ellington

「MONEY JUNGLE」(UNITED ARTIST JAZZ UAJ−14017)
DUKE ELLINGTON

 実は、アルバムは聴いたことがなかった。今回はじめて買ってはじめて聴いたのだが、それというのもある本で絶賛されていたからで、ふだん私はそういう、どこそこでほめてあったから、という理由でアルバムを買ったりしないのだが、なにしろそのほめ方が異常で、これを聴かないものは死ね的な大げささだったのだ。これまでも、いろんなところでこのアルバムがいいよという声を耳にするたびに、なんでピアノトリオを買わなあかんねん、それもモダンジャズならともかくエリントン……? アホかっ、と思っていた。RCAのエリントンのピアノアルバムは昔から愛聴しているし、もちろんエリントンバンドは大好きである(ハリー・カーネイがいる時期ならどのアルバムでも好きである)。でも、ミンガスとマックス・ローチ? なに考えとんねん。おかしいやろ。というのが私のこれまでの姿勢であった。しかし、買って聴いてみて、いやはやびーっくりいたしました。ええやん、とかいうレベルではない。めちゃめちゃ、めっちゃめちゃ、めーーーっちゃめちゃ凄い。おみそれしました。このアルバムをほめ倒してくれたあの本の著者に感謝。どこが凄いか。とにかく、まずミンガスとローチは、まるでエリントンにあわせようとしていない。いつものとおり、というか、いつも以上に自分たちをさらけだしている。まるで、そうすることが礼儀であるかのように。そして、エリントンも「ぜんぜんきみら若いもんにはついていけませーん」と適当にあわせる、どころか、完全にふたりと対等に、一ピアニストとしてがっぷり四つに組んでいる。エリントンのリズムのすごさ、モダンなフレーズ、ベース、ドラムとからみまくる即興感覚、前衛的といってもいい骨太のアレンジ、そしてスウィング感……どれをとってもエリントンって超一流なのだなあということがわかる。こういう編成でこそ本音が出るということか。最初は革命であったはずのバップピアニストたちが、カクテルピアノのような軟弱なアルバムを作るようになるご時世で、エリントンはピアニストとしてもずっと最前線にいたのだなあ、とちょっとうるうるした。それほど、何かが伝わってくる。傑作ですわ。なんでこんな凄いアルバム、聴いたことなかったのか。めちゃめちゃ反省しました。

「THE POPULAR DUKE ELLINGTON」(RCA RJL−2515)
DUKE ELLINGTON AND HIS ORCHESTRA

 エリントンのオーケストラのアルバムは、本作と「デューク1940」とかいうのと、あとジミー・ブラントンが在籍していたころのボックスと、最初期のオリジナル演奏を集めたアルバム……ぐらいしか持っていない。やはりベイシーに比べると、エリントンは凄すぎて、どろどろすぎて、毎日楽しく聴くというわけにはいかない。聴くときはこちらも真剣に、一音も聞き落とさぬように真摯に向き合う感じにどうしてもなってしまう。ベイシーというのは、正直いって、どんな時期もそれほど違いはなく、マニアックなファンになると、ああ、このリードの引っ張り具合はマーシャル・ロイヤルじゃなくてボビー・プレイターだな、とか、このラッパのリードはスヌーキーが入ってるな、とか、ドラムは○○だな、とかわかるが、その程度であって、同じ時期の同じ曲であればソリストもちょっとしたフレーズのちがいを楽しむぐらいの差しかないと思うし、時期がちがったとしても、個々のソリストの差を聴くだけだ。しかし、エリントンは、メンバーの違い、時期の違いによって音楽そのものがガラッと変わってしまう。再演はただの再演ではなく、根本的な変化がある。というのも、エリントンはメンバーによってアレンジを書き換えていたからで、「ちがうメンバー→ちがう音楽」という発想だったのだろう。これはきわめて非クラシック的である。エリントンの音楽のもっとも美味しいところは、おそらく私の持っているアルバムでいうと本作ではない。どちらかというと、本作はエリントンはわけがわからなくて苦手だなあ、というひとが、なんやなんやエリントンってめっちゃかっこええやん! と思えるような作品である。ほとんどが再演で、タイトルの「ポピュラー・デューク・エリントン」というのはエリントンの作品のなかでもポピュラーなものばかり集めて再演してみましたよという意味なのだろう。どれもオリジナルに比べて演奏もアレンジも洗練され、すごく聴きやすくなっている。ある意味、どの時代も「前衛」でありつづけたエリントンオーケストラの、稀有な「フツーに聴ける」アルバムのひとつなのだ。しかし……ここが大事だが、洗練されてはいるものの、本質的にはまったく変わりないエリントン先生であって、そもそもメンバーが凄すぎて失神しそうになる。主要なメンバーをあげるだけでも、サックスにはジョニー・ホッジス、ラッセル・プロコープ、ジミー・ハミルトン、ポール・ゴンザルベス、ハリー・カーネイとこれ以上はないといえるほどのベストメンバー。トランペットにクーティー・ウィリアムス、キャット・アンダーソン、マーサ・エリントン、トロンボーンにローレンス・ブラウン、バスター・クーパー、チャック・コナーズ……ああ、ため息が出る。エリントン曰く「私の楽器はオーケストラだ」が見事に実践されているすばらしいアルバム。100回、いや1000回聴いても飽きないと思う歴史的な傑作。エリントンはたしかに神です。

「ELLINGTON’55」(CAPITAL RECORDS T521)
DUKE ELLINGTON

非常に充実したメンバーで、ジョニー・ホッジスがいないぐらいでしょう。エリントンのアルバムのなかでもけっこう変態度が高いと思う。一見、エリントンバンド自身のヒット曲(「ロッキン・イン・リズム」「ブラック・アンド・タン・ファンタジー」「ハッピー・ゴー・ラッキー・ローカル」「スウィングしなきゃ意味ないね」)や、ほかのビッグバンドのヒット曲(「サボイでストンプ」「イン・ザ・ムード」「ワン・オクロック・ジャンプ」「フライング・ホーム」など)をずらりと並べた、口当たりのいいアルバムのように思えるかもしれないが、よく聴くと、隠れた変態性が顔をだしまくっている。エリントンのオケは、できるだけでかい音でいろんなひとがどんなことをやっているかがわかるような状態で聴くのがベストなのだが(ジャズ喫茶などで、みんなで聴きながら、ぎゃははと笑うのがいいと思います)、本作も、ものすごくちゃんとしている場面も多々あるのだが、なんやねんこれ、とか、わけわからんなあ、とか、アホちゃうか、とか、思わずデューク大先生に対して不遜な言葉を吐いてしまいそうになるようなアレンジやソロもいっぱいあって、そういう部分はすごすぎる変態度なのである。エリントンはおかしい、という話は以前からいろいろ語られているのでここでは詳述しないが、アメリカポピュラー音楽の教科書のように思われているエリントンがじつはそんな生易しいものじゃないよというその暴走というか破綻は、ソロからもたらされたり、アンサンブルからもたらされたり、テーマの吹きかたからもたらされたりする。このアルバムではたとえば「イン・ザ・ムード」アルトソロであったり、「ワン・オクロック……」後半の突然の「ワイルドだぜえ」的なアンサンブルだったり、「ハニー・サックル・ローズ」で挿入される「スクラップル・フロム・ジ・アップル」のテーマアンサンブルとそれに対比されるクラリネットのわけのわからない掛け合いであったり、「フライング・ホーム」(例のジャケーのソロもユニゾンで再現)の後半の本家ハンプトンも真っ青の単純きわまりない荒くれリフとかそこにかぶるこれまた荒くれなラッパソロであったり、アホかいな的なラッパバトルであったりするわけだが、とくに私は昔から、「ハッピー・ゴー・ラッキー・ローカル」という曲については、なんちゅうアレンジやと思っているのである。これがかっこいいとか洒落てるとか思うひとはどうかしてるのでは、と思われるほど、癖の強い、ブラックミュージックの濃厚かつ強引なノリ優先の演奏である。要するに、ぶっかぶっかぶっかぶっか……というリズムで、ローカル線の汽車がのんびりと旅をする様子を表している、一種の「トレイン・ピース」(ブルースとかでよくある、汽車や電車の物真似をする演奏)なのだが、そのやりかたが濃すぎて、ポール・ゴンザルベスやラッパやクラリネットが個性丸出しすぎて、聴いていてしんどい。おまえらちょっと加減せえよ、という感じ。しかも、アンサンブルもかなり強引なので、もはや笑うしかない。終盤にでてくるキャット・アンダーソンのトランペットの意味のないフリークトーンの連発にいたっては、「え? これで終わり?」的なおいてきぼり感をあじわうことまちがいなしである。すごいなー、エリントンは。この荒さ、雑さがスタジオ録音なのだから、よけいにすごいわ。いちばんちゃんとしていてすばらしいのはポール・ゴンザルベスのホーキンススクールの圧倒的にうまいテナーをフィーチュアした「ボディ・アンド・ソウル」だと思う。これはほんま、びっくりするぐらいよかった。かなりメカニカルなフレーズも吹いていてモダンでもあるし(ジミー・フォレストでおなじみのアレ)、引用フレーズやらラブソディックなフレーズなどもまじえ、超聴かせる。ラストの「スウィングしなけりゃ意味ないね」では、そのポール・ゴンザルベスとジミー・ハミルトンのテナーバトルが熱い。ジミー・ハミルトンはクラリネットだと紳士だが、テナーを吹くといわゆるホンカー的なダーティートーンでブロウしまくるというのは有名だが、ここではゴンザルベスを圧倒するシンプルで気合い十分のブロウまたブロウで盛り上げる。これはなかなかですよ!というわけで、コアなエリントンファンにもマニアックなエリントン好きにもおすすめできるアルバムです。

「THE BLANTON−WEBSTER BAND」(RCA B18D−47008〜10)
DUKE ELLINGTON AND HIS FAMOUS ORCHESTRA

 エリントン山脈はあまりに高く広く、私ごときはそのほんの裾野のほうを舐めたにすぎないが、あるとき、エリントンはこれとこれとこれだけあればいいか、と思って、あとは売ってしまった。ベイシーはシンプルに、ただひたすらスウィングするバンドなので、しとはソリストを聞きくらべたりするだけで呑気に楽しんで聴けるのだが、エリントンはどの曲もちょっと身構えてしまう。というわけで、うちには今エリントンは15枚ほどしか残っていない(それでも結構あるな)。その数少ない「うちのエリントン」のなかでももっとも大事なお宝がこの「ブラントン・ウェブスター・バンド」3枚組なのである。もう、どこから聴いても、すごい演奏ばかり。なにしろメンバーが凄すぎる。たいがいの凄いメンバーは全員在籍しており、そこにベン・ウェブスターとジミー・ブラントンが付け加わっているのだから、もう涎垂れまくりである。たとえその曲でソロがなくても、アンサンブルのなかにハリー・カーネイやジョニー・ホッジスの音を見つけるだけでも興奮する。ブラントンは、こういうキラ星のごとき面子をそろえた当時のエリントンオーケストラにおいて、ベースがソロを与えられるというのだから、どれほどすごいかわかろうというものだ。いっぺんに聴くと凄すぎて鼻血が出るから、一日1枚ぐらいにとどめておいたほうがいいと思います(忠告)。66曲も入っているので、個々の演奏への感想は割愛するが、折角なのでいくつか挙げるとたとえば「ココ」の不気味なサウンドとプランジャーを使った人間の声そっくりの「叫び」、「モーニング・グローリー」の美しいメロディのあとで出てくるド変態的な重ね方のサックスソリ、「コンガ・ブラヴァ」のこれも変態的な、ミュートトランペット3本のトランペットソリ、「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニ・モア」のローレンス・ブラウンの超馬鹿でかいトロンボーンの音、「ブルー・グース」のホッジスの官能的なソプラノ、「ハーレム・エアシャフト」のバーニー・ビガードの流麗なクラリネット、「イン・ナ・メロートーン」のテーマを吹くカーネイのバリトンのかっこよさ、また、同曲でのクーティ・ウィリアムスとサックスソリのバトル(?)とその後に現れる華麗に吹きまくるホッジスのアルト、「クロエ」のトリッキー・サム・ナントンの人語のごときソロのあとに出てくる変態的なバッキングやベン・ウエブスターのいぶし銀のソロ、「フラミンゴ」のハーブ・ジェフリーズの完璧なベルベットヴォイス、「A列車」のレイ・ナンスの輝かしいソロ、「ジャンピン・パンキンス」のまさしくジャンピンなアレンジ、「アー・ユー・スティッキング」のバーニー・ビガードの異常に豊饒な表現力、「ザ・ギディバッグ・ギャロップ」の超アップテンポでのド変態的なアレンジ(とくにサックスセクションの音の重ね方!)、「アイ・ガット・イット・バッド」のホッジスのすばらしい音色と持ち上げでのテーマ提示、「ジャンプ・フォー・ジョイ」でのホッジスの見事な歌心、「チェルシー・ブリッジ」のベン・ウエブスターのぞくぞくするような音色と心に染みるモダンな重ね方のサックスソリ、「レインチェック」の同じくウエブスターの豪放なブロウテナー、「パーディド」の豊かな音量のカーネイのバリトンワンホーンによるテーマ提示、「Cジャムブルース」のレイ・ナンスのラブソディックなヴァイオリン、「ファット・アム・アイ・ヒア・フォー」のゴージャスなオルガンハーモニーの間奏部分にプランジャートランペットの妙な声を配置するという頭がおかしいとしか思えないアレンジ、「メイン・ステム」の激しいリズムとそれに乗ってのベン・ウエブスターの炸裂するブロウ……などはとくに私の耳を引いた部分である。本作に収録された曲はどれも、さすがRCAだけあって録音がすごくよく、楽器の音がいきいきと伝わってくる。ボーカルも同じで、非常にリアルな息づかいが聞こえてくる。また、フィーチュアされるボーカルが皆うまい! ついでに言うと、どの奏者も、「音」に対するこだわりがすごく、音量変化、アーティキュレイション、音色、ビブラート、ポルタメント……等々を駆使して、自分の表現を作り上げている。愛想のない音を出すことがモダンだと思っているようなプレイヤーはこういった演奏を聴いて悔い改めるべきだと思う。ブックレットには一曲ずつ(つまり66曲分)の超くわしい解説が載っているが、その著者(マーク・タッカーというひと)は、ときに大げさに褒めちぎりは、ときに解説とは思えないほどの口調でけなしまくる。とりあえず一家に一枚(というか3枚組なので3枚か)は置いておくべきアルバム。

「THE DUKE PLAYS ELLINGTON」(CAPITAL RECORDSECJ−50058)
DUKE ELLINGTON

学生時代からの愛聴盤。ヘヴィローテーションで聴いているわけではないが、ときたま思い出したように取り出して聴く。ほんま、普段はピアノトリオはほとんど聴かんからかなあ。エリントンのピアノは基本的にはストライド奏法なのでオーケストラと同じくゴージャスなものだが、ここでは自作の名曲の数々をさらりと弾いている。たとえば「マネー・ジャングル」のような過激なアプローチは一切なく、「今日はオーケストラに休みをあげているから、トリオでちょっと遊ぼうか」的な「侯爵の余裕」が全面的に感じられる演奏である。そこがいいんです。1曲目の「イン・ナ・センチメンタル・ワード」からして、「お、エリントンがこの曲をトリオでどう弾くのか」と身構えるリスナーに向かって、「なにをそんなに固くなってるんだね」と言わんばかりの洒脱さで粋にテーマをすらすら弾きこなすエリントンには「かっこえーっ!」としか言いようがない。しかし、ただ飄々と弾いているだけではなく、リズム面、ハーモニー面での仕掛けもある。日本語ライナーを読むと、12曲中7曲が「その場で即興的に演奏されたもの」だそうだが、どう聴いてもコンポジションがあるようにしか聞こえないものもある。やはり天性の作曲者だということか。純粋な即興曲でも、とりあえず仮のテーマを設定せざるをえない体質なのかもしれない。ときおり、音と音とがぶつかってキラリと初夏の清流のように輝く瞬間があり、ハッとさせられるが、これはモンクとかでもよく感じる。なんででしょうね。さりげないユーモアもあって、偉大な音楽侯爵が気まぐれで自己の音楽の秘密を垣間見せてくれたような傑作。

「DUKE ELLINGTON THE ESSENCE OF JAZZ CLASSICS」(RCA RECORDS RMP−5109)
DUKE ELLINGTON

油井正一選曲による日本オリジナルアルバム。たぶん高校生のときに、ジャズをちゃんと聴かなければ……という気持ちがあって、この「ジャズ栄光の巨人たち」というシリーズをいくつか買って聞いたのだ。そのなかに含まれていた。なんと言ったらいいのか、とにかく全曲が珠玉すぎて、この曲がとかあの曲がとか書くのが馬鹿馬鹿しくなるので書かないけど、最初にエリントンの音楽に触れるには最適の一枚かも。もちろんそれはエリントン山脈のほんの一角なのだが、それでもこのアルバムから入るのはなかなかいいチョイスだと思う(もしくは「ポピュラー」か)。個々の曲におけるエリントンの作曲に際しての目の付け所がどれもすごいし、それをもっとも効果的に見せるアレンジもすごいし、個性豊かなソロイストたちがほんのワンコーラスずつのソロでその個性を全開にしてアピールしているのもすごいし、そういうアクの強いソロイストを集めて要所に配置しながらも「ポピュラー」な音楽にしたてているのもすごいし、まあようするに全部すごいのだ。そして、エリントンのピアノもすごい。

「THE DUKE 1940」(PHILIPS/日本フォノグラム 15PJ−12〜2)
DUKE ELLINGTON LIVE FROM THE CRYSTAL BALLROOM IN FARGO,N.D.

二枚組放送録音。1940年代という時点でのアマチュアによる録音で、めちゃくちゃ貴重だが、正直、中身があまりに凄くて、そういう意味でも歴史的に超貴重なライヴ音源。エリントンといえば、さまざまな名演、名盤があるのだが、ほんとのところこれが一番じゃないの? と思うほどの内容。SP盤の尺をはるかに超えた、ライヴならではの長尺の演奏がばっちり録音されていて、ものすごく貴重だが、ふたりのエリントンマニアが「この演奏は録音して後世に伝えなければ……」と使命感をもって一期一会の音楽を録音しようとしたのもすごーくよくわかる。パーカーを録音したディーン・ベネディッティも同じ気持ちだったのだろうなー。メンバー的にも最強といっていい。ベン・ウエブスタートジミー・ブラントンがいるのもすごいが、トランペットにレックス・スチュアート、ウォーレス・ジョーンズ、レイ・ナンス、トロンボーンにファン・ティゾール、トリッキー・サム・ナントン、ローレンス・ブラウン、サックスにジョニー・ホッジス、オットー・ハドウィック、バーニー・ビガード、ベン・ウエブスター、ハリー・カーネイ……というえげつないゴージャスさだ。クーティー・ウィリアムス、ラッセル・プロコープ、キャット・アンダーソン、ジミー・ハミルトン……などはいないがそれにしても皆一国一城の主のようなすごいひとたちばかり。しかもライヴなので、そのリラックスした演奏っぷりは、うー、たまらん! という感じである。A−1に針を落とすと、冒頭の部分は切れていて、いきなり途中からフェイドインのような感じではじまる「ザ・ムーチ」のテーマの感動をなんと表現すればいいのだろう。ここで吹いている連中は、ちょろっと聞こえるクラリネットはバーニー・ビガードであり、ソリを一生懸命吹いているひとたちもそれぞれビッグネームのスターたちなのだ。それがエリントンの指先の合図に合わせて演奏している。こういうのを聴いていると「歴史」というものの凄みを感じる。1940年という時期における、しかも、エリントンファンによる私的録音にもかかわらず、ものすごく音がよくて、細かい点まで(ジミー・ブラントンのベースも!)バランスよくしっかり聴こえるというのもすごい。これは録音したひとの腕もあるだろうが、当時のエリントン楽団のメンバーの楽器が鳴りまくっていて、そのうえでの「生バンド」としてのバランスが取れていたことにもよるのだろう。つまり、ミキサーをあれこれいじらなくてもすでに最高のバランスで鳴っているのだから、それを録ればいいのだ。放送もされていたらしく、1曲が終わると拍手と歓声のなか、アナウンサーがつぎの曲名を告げ、すぐに曲がはじまる……という現場の臨場感がすべて録音されているのも貴重すぎる。B−2に至ってようやくベン・ウエブスターのソロが出てくる、というのもすごい。どれだけスターソロイストを抱えているのか、ということですよね。エリントンのピアノも曲によっては大きくフィーチュアされているが、それも見事に録音されている。そして、全体にライヴならではの洒脱さ、のんしゃらんさ、ユーモア、リラックスがある一方、ライヴならではの迫力もすごくて、ただただ感心するばかり。ソロイストとしてはレックス・スチュアートがめちゃくちゃいきいきしているが、ホッジスもビガードもウエブスターもトリッキー・サムもユアン・ティゾールもローレンス・ブラウンも皆、手抜きなくブロウしまくっていて、ああ、これがこの時点でのエリントン楽団の真の実力なのだ、と思うと泣きそうになる。とくに心に残った演奏をあげようかと思ったが、どれもこれもすごいのでやめる。だが、個人的に1曲だけ……2枚目のD−4における「スターダスト」のベン・ウエブスターのテナーは、なんというのかな、ジャズ史的にテナーのバラードの魅力をこれほどアピールするソロもない、と思うぞ。かなり初期のジャズにおけるテナーバラードの完成された姿のひとつだと思う。そして、2枚組最後の曲であるD−6「セントルイスブルース」の凄まじさは、この曲が実際のラストナンバーだったかどうかはわからないが、とにかくライヴとかコンサートにおけるエリントン楽団の「ショーアップ」を感じる。すごいよなー。というわけで、傑作と言うしかないアルバム。CD的にはどうなっているか知らないのだが……。