kahil el'zabar

「AFRICA N’DA BLUES」(DELMARK DE−519)
KAHIL EL’ZABAR’S RITUAL TRIO FEATURING PHAROAH SANDERS

 長年不動のメンバーで演奏を続けているリチュアルトリオに、ファラオ・サンダースがゲストで加わったアルバム。テナー奏者がゲストということで、アリ・ブラウンはほとんどの曲でピアノにまわっており、アリ・ブラウンファンの私はとても悲しいのだが、これまでリチュアルトリオや自己のリーダー作でもピアノの腕を披露しているアリのピアノはとても味わい深く、いけるのである。1曲目は、ファラオらしいスピリチュアルな曲……と思ったら、ジョー・ボウイの曲だった。2曲目は、女性ボーカルをフィーチュアしたアフリカっぽい曲。3曲目はコルトレーンの「マイルス・モード」で、ここでファラオとアリ・ブラウンがテナーバトル(?)を展開するが、ちょっと聴くだけでは、ファラオひとりが吹いているようにきこえる。それほど、ここでのアリ・ブラウン(後発ソロ)はファラオっぽくて、フリークトーンを連発する熱演である。でも、もっと無茶苦茶になってもいいのになあと思っていると、4曲目はなぜか「枯葉」。ピアノトリオで、アリ・ブラウンのコキコキしたピアノをひたすらフィーチュアした、ごくフツーの枯葉で驚く(驚くことはないか)。5曲目はアルバムタイトル曲で、ブルースという曲名がついているが、モード風の曲。6曲目の「ファロア・ソング」はいかにもリチュアルトリオらしい、細かいリズムにゆったりしたメロディーの乗った、アフリカンタイプのかっこええ曲で、一番、リチュアルトリオとファラオがかみ合った感じ。ボーカルもよくて、この曲がいちばん好きだ(でも、盛り上がりはないけど)。こう書いてくると、おまえはこのアルバムは嫌いなのかと言われそうだが、そんなことはない。めちゃめちゃ好きなリチュアルトリオに、めちゃめちゃ好きなファラオが加わったということで、こちらが勝手に異様な期待を燃やしただけなのである。買ってから何度となく聴いたし、好盤だと思う。でも、もっとすごいのかなあ……と思ってただけなのよ。やっぱりリチュアルトリオだけのアルバムのほうがいいなあ(本音)。

「CONVERSATIONS」(DELMARK DE−514)
ARCHIE SHEPP MEETS KAHIL EL’ZABAR’S RITUAL TRIO

 上記の「AFRICA N’DA BLUES」はリチュアルトリオにファラオをゲストで迎えたものだが、こちらは同じようだが、シェップとリチュアルトリオは対等である(ような表記になっている)。やはり、アリ・ブラウンのサックスの出番はきわめて少なく(2曲だけ)、あとはピアノを弾いている。シェップも1曲だけピアノを弾いている。最近のシェップに関して、満足したことはないので、「AFRICA N’DA BLUES」とは異なり、この盤にはほとんど期待していなかった。しかし、強力なリチュアルトリオのプッシュによって、シェップが往年の輝きを取り戻す可能性もなきにしもあらずなので、おそるおそる聴いてみた。うーん……やはり、いまいちですな。トリオは立派なもので、いつもながらすごくかっこええのだが、シェップがなあ……。例によって、音が薄っぺらく、ごりごり吹いてもあまりこちらに届いてこない。あいかわらずだらだらした吹きっぷりだし、ファラオのようにスピリチュアルな感じで勝負……というわけにもいかない人なので、もうちょっとがんばってほしかった。とはいえ、5曲目の「ダイアローグ」という曲や、6曲目の、シェップとアリ・ブラウンがテナーで共演した、(たぶん)マルコムXに捧げた曲などはなかなかかっこいいし、聴かせどころもあちこちにあるので、決して悪いアルバムではない。購入してから、何度も聴いてるしね。それに、ファラオ盤でも思ったのだが、シェップはやっぱり一音聴いたらシェップとわかる個性を持ったテナーマンなので、そのあたりは立派である。でも……やっぱりリチュアルトリオだけのアルバムのほうがいいなあ(本音)。

「GOLDEN SEA」(SOUND ASPECTSRECORDS SAS 027−1)
KAHIL EL’ZABAR WITH DAVID MURRAY

 このアルバムは、私にとって、収録されている一音一音が宝物のような、本当の意味での「珠玉の名作」である。どの曲も、聴けばよだれをだらだら垂らしてしまうほど、おいしい演奏が詰まっている。どこを切ってもおいしいので、ほんと、金太郎飴みたいなアルバムだ。実は、一時期、デヴィッド・マレイが好きではなくなっていた。デビュー作の「フラワーズ・フォー・アルバート」以降、ソロアルバムや「ミング」などのあたりまでは本当に好きで好きでたまらなかったが、そのうち同じようなアルバムが連発されだし、アルバム数が多くなりすぎてフォローしきれなくなり、ディスクユニオンにうつってからは、つまらん企画ものばかりが目立ち、とうとう嫌気がさしたのである。このアルバムも、レコードで買ったときは、大好きなパーカッション奏者のカヒールのアルバムだから購入したわけで、相手がマレイであるというのはマイナス要因にしかならなかった。しかし……聴いてみて衝撃を受けた。この信じられないほど深い、豊穣な音楽はなんだ。それは、種々の要因がバランスよく混じり合ってのことだというのはすぐにわかった。たとえば、ふたりの演奏家のお互いへの深い信頼と理解。即興と作曲のバランス。黒人的なフィーリング。楽器の完璧なコントロール……などなど。もちろん、ほとんどの曲を作曲しているカヒールの卓越したコンポジション能力にも、よるところ大だが、その曲を完全に吹きこなしているマレイの実力にも瞠目する。そして、何より大事なのは、マレイの「音」である。このすばらしい音色がなかったら、いくらすごい演奏をしても、しょぼくしか聞こえないだろう。とにかく、たったふたりなのに、あるいはたったふたりだからこそ、かもしれないが、めちゃめちゃ豊穣である。オーケストラを聴いた気持ちにすらなるほどの、深く、豊かな世界がそこに広がっているのだ。CDも買ってしまったが、それは何度も何度もしつこく繰り返して聴きたいがため。このアルバムで、マレイにふたたび開眼した私は、かつて「しょうもない」と思った時期のアルバムを聴き直してみたのだが、もーしわけありませんでした。安直な企画もの乱発……と思っていた時期のものも、どれもこれもよくて、頭がさがった。私の耳が腐っていたにちがいない。今ではまたすっかりマレイ好きになってしまった私なのだった。だが、どれか一枚、といわれると、やはりこのアルバムということになってしまう。それほどいいんです。

「TRANSMIGRATION」(DELMARK DE576)
KAHIL EL’ZABAR’S INFINITY ORCHESTRA

 裏ジャケットのデータを見ただけでは、カヒール・エル・ザバーのエスニック・ヘリティッジ・アンサンブルを中心に、メンバーを若干増強したオーケストラかなあ、と思ってたら、ライナーのメンバーを見て驚いた。なんと三十九人編成の超大型ビッグバンドなのである。どこかのフェスティバルの「カヒールの夕べ」みたいなプログラムのときにとくべつに組まれたバンドのようだが、知っている名前は、中核になっているエスニック・ヘリティッジ・アンサンブルの三人以外ひとりもない。ということは、その三人がメインソリストとして吹きまくるのか、と思っていたら、これがちがうんです。つまり、無名といっては悪いが、シカゴ派の若手たちがどの曲でもばりばりにフィーチュアされているのだ。アーノルド・ローアネット(と読むのか?)というテナーのひとは、アーネスト・ドーキンスとアリ・ブラウンに師事したらしいが(キックボクサーでもある、と書いてある)、なんというか、シカゴだねえ、というか、なんとも無骨で不器用で、鉈でぶった切るようなソロをする。大味と紙一重だが、ぎりぎりのところでふみとどまっている感じ。しかし、シカゴのテナーは、フレッド・アンダーソンしかり、カラパルーシャしかり、アリ・ブラウンしかり、エドワード・ウィルカーソンしかりで、みんな、小手先で吹かないなあ。腹の底からずーんと豪快に吹く。でも、その分、ワンパターンになりがちだ。このテナーも、トリルやダーティートーンやフラジオやトリッキーなフレーズなどの「技」を順番に繰り出していくが、その演奏の方法論はまるっきり正攻法で実直で、ひねりのかけらもない。このテナーは2回フィーチュアされるが、そのほかにフィーチュアされているアルトやトロンボーンなども、だいたい同じようなタイプ。つまり、無骨で実直でヘタウマな感じだが、そこがいい。さて、アルバムの冒頭、いきなりターンテーブルによるスクラッチノイズのビートがギュキュキュキュと飛び出してきて、一瞬、アルバムをかけまちがったか? とびっくりするが、あとの曲は(DJの出てくるナンバーもあるけど)だいたいアコースティック。ほとんどの曲はきわめて単純な「リフ」の曲で、曲というのもはばかられるような単純さだが(ロバート・アーヴィング三世が編曲しているらしいが、どうして?)、それを三十九人のメンバーが全力で吹く。それをバックに、無骨な男達が豪快なソロをする。だいたい全部そんな構成。はっきり言って、こんなにたくさん人数はいらない。せいぜい五人で十分だと思うが、それをカヒールはあえて三十九人に吹かせるのだ。必然性? 音楽性? そんなの関係ない。とにかくたくさん集めて、ドバーッと行こうぜ。そういえば、エドワード・ウィルカーソンの「シャドウ・ビネッツ」というのもこんな感じだった。四十人ぐらいのメンバーを集めて、どわーっとやる。シカゴの伝統なのか? あれにもカヒールは加わっていたはず。最後の曲になって、ようやくジョウ・ボウイとエーネスト・ドーキンスが登場するが、さすがの貫禄でそれまでのソリストを圧倒する個性を見せつける。白眉はやはりアーネスト・ドーキンスのアルトソロで、坂田明にも通じるすばらしいソロである。というわけで、やかましいやかましい、かっこいいアルバムでした。(小声で)でも……カヒール・エル・ザバーはやっぱり小編成がいいなあ……。

「BIG CLIFF」(DELMARK RECORDS DE−477)
KAHIL EL’ZABAR’S RITUAL TRIO

 リチュアルトリオの一枚目を聴いたときに、マラカイ・フェイバースのオスティナートの重さにまずしびれ、リーダーであるカヒールの軽さ(といっては語弊があるかもしれないが、じつに軽々と飛翔するパーカッションである)にしびれ、そして、そのうえに乗るアリ・ブラウンのサックスの木訥な凄みにしびれた。私にとって、ジャズの理想型に近いかもしれない。この三人は、三人だけで完璧なトライアングルを構築しているので、ゲストを加えるときはよほど注意を要する。たとえばシェップやファラオ・サンダースといった、このひとならぴったり溶け込むだろう、というようなミュージシャンでも、どうもぎくしゃくする。本作ではヴァイオリンのリロイ・ジェンキンスが加わっており、いかにも黒々としたフィドルを披露しているが、これが非常に相性がよいのである。例によって曲もいいし(カヒールの作曲能力の高さは特筆すべきである)、リチュアルトリオをまず一枚、というひとに、トリオ編成のものでなく本作を勧めたとしても、べつにおかしくはない。それほどよい。傑作です。

「RENAISSANCE OF THE RESISTANCE」(DELMARK PCD−4715)
KAHIL EL’ZABAR’S RITUAL TRIO

 いやー、この作品もいいなあー。しみじみ「いいなあ」と思えるアルバムであり、リチュアル・トリオを代表する一枚。このグループは、ゲストを迎えず、3人でやってるほうが充実していると思う。一曲目、いきなりの「ほんわか」「のんびり」「しみじみ」ムードではじまる。こっちは、マラカイ・フェイヴァースの重いビートのオスティナート、カヒールのカラフルなパーカッション、そしてアリ・ブラウンの咆哮を期待しているのに、思いっきり肩すかし。でも、この肩すかしがたまんないのである。どの曲も、ほんとにいい曲ばかりで、リチュアルトリオがジャズ史に残る名コンボであることを再確認する。マジで、カヒール・エルザバーに駄作なし、である。凄いジャズ、凄い演奏、凄いバンド、凄いソロ……を求めていろんなアルバムを聴きまくっても、けっきょく、「それってここにあるじゃないか」と灯台もと暗し的に気づくのがこのグループなのかもしれない。同じAACMのアート・アンサンブル・オブ・シカゴよりも「黒人ジャズ史の凝縮」を感じさせるのが、このリチュアル・トリオである。

「LOVE OUTSIDE OF DREAMS」(DELMARK DG−541)
KAHIL EL’ZABAR TRIO FEATURING DAVID MURRAY AND FRED HOPKINS

 カヒール・エルザバーとデヴィッド・マレイという組み合わせでは、あの大傑作(と思っているのは私だけかもしれないが)「ゴールデン・シー」があるが、あの感動をもう一度、というわけで、本作には並々ならぬ期待を抱いていた。で一曲目を聞いて、おや? なんとなく肩すかしか? と思ったのだが、二曲目のマレイの曲あたりから徐々にエンジンがかかりはじめ、だんだんよくなる法華のタイコで、一枚通して聴き終えたときにはすっかり感心していた。カヒールがすばらしいのはもちろんのこと、ときにはダレたり、大味だったり、「いつもの展開」的なワンパターンが目立ったりするマレイも、本作では適度な緊張感と豪快さを併せ持っているし、フレッド・ホプキンスのベースも、いつものマラカイ・フェイバースよりも鋭い感じでとても良い。そのあと、もう一度一曲目を聴き直してみると、肩すかしのように思えたこの一曲目も非常によかった。この曲って、カヒール作の表題曲だったのね。私はもちろん、リチュアルトリオを愛しているが、このトリオは(根っこは共通のものがあるが)リーダーが同じ、楽器編成も同じなのにまるでちがう様相を示しており、とても楽しめた。

「OOH LIVE!」(BRIGHT MOMENTS/KATALYST 100519)
KAHIL EL’ZABAR’S RITUAL TRIO FEATURING PHAROAH SANDERS WITH MALACHI FAVORS AND ARI BROWN

 ファラオの新譜!というだけでただちにレコード屋に走った私だが、ファラオのリーダー作ではなく、カヒール・エルザバーのおなじみリチュアル・トリオに二曲だけ客演したもの。しかも、最新録音ではなく、2000年の演奏だという(ベースは、まだマラカイ・フェイヴァースが元気に弾いていて、そのことがすごくうれしい)。ということは、例の「アフリカン・ダ・ブルース」と同じではないか(「枯葉」もやってるし)。あれはスタジオ録音だったから、そのころのライヴなのだろう。正直、あのアルバムはファラオのアルバムとしてもリチュアル・トリオのアルバムとしても中途半端な感じはあったなあ……と思いだしながら、おそるおそる聴いてみると、一曲目、いきなりアリ・ブラウンがピアノを弾いて、トリオでの「枯葉」。まあ、悪くはないのだが、このようなものを私は彼らに求めていない。18分にも及ぶトリオの「枯葉」のあと、いよいよファラオ登場。ここでもアリ・ブラウンはピアノにまわっている。この曲がめちゃめちゃ凄い。ファラオのリーダー作でもここまではやらんで、というぐらいスクリームし、吹き倒している。かっこええ! なんでこの曲を一曲目にしないのかさっぱりわからん。興奮のるつぼ状態の25分があっというまにすぎて、3曲目はまたしてもアリ・ブラウンのピアノ・トリオ。「枯葉」よりは悪くない。というのは、モーダルな曲調だからで、やっぱりこのトリオにはこういう曲がむいてますよねー(誰に同意を求めているのか?)。とはいえ、今のところまだアリ・ブラウンのサックスをまったく聴いていないではないか……と思っていると、はやくも最後の曲である。これはふつうのブルースで、ファラオとアリ・ブラウンがテナーバトル(?)をする。ファラオは、あいかわらずこういう曲ではふつうにたらたらブルースを吹いていたかと思うと、突然ギャオーッとスクリームする……という突発性過激症的な演奏。そして、アリ・ブラウンがやっとこさ本領発揮しまくりのすばらしいテナーソロを展開。いやー、このソロはいいなあ。というわけで、ファラオのファンのひとは二曲目でのけぞってください。リチュアル・トリオのファンのひとは、もしまだ聴いていないほかのアルバムがあったら、そっちを聴いてからのほうがいいかも。でも、もちろんこのグループを私は偏愛しております。

「LIVE AT THE RIVER EAST ART CENTER」(DELMARK RECORDS DE−566)
KAHIL EL’ZABAR’S RITUAL TRIO FEATURING BILLY BANG

カリンバのイントロダクションに乗せてはじまる曲は……おお、懐かしの「BIG M」ではないか。なにしろ活動歴の長いリチュアルトリオ、そして、ゲストがビリー・バングとなると、ノスタルジックにもなろうというものだが、しかし、そんなノスタルジックな気分をこの連中は一瞬にして一蹴する。マラカイ・フェイバースの後釜であるヨーゼフ・ベン・イスラエル(すばらしい)のオスティナートがはじまり、そこにアリ・ブラウンとビリー・バングのソロが乗っかると……ああ、もうダメだ。こういうときに私は「モード」という音楽のすばらしさを実感する。モードこそ、このグループのためにある演奏形態だ。もうめちゃめちゃかっこいい。グルーヴというか、この「空間」はすごいと思う。彼らの演奏が続いているあいだは、聴衆はその空間のマジックにかかっていて醒めない。ハイハットを踏みながらのカヒールのカリンバソロは筆舌につくしがたい味わいだし、アリ・ブラウンの地味ながらも美味しいソロ(じつはけっこう豪快かつすごい表現力)や、ビリー・バングの狂熱的なソロなど聞きどころ満載。永遠に聴いていたいと思わせるような、音楽の桃源郷だ。アリ・ブラウンがテナーに専念しているのもうれしい。

「WE IS」(DELMARK RECORDS DE−557)
KAHIL EL’ZABAR & DAVID MURRAY

死ぬほどかっこいいいいいっ。マレイ〜カヒール・エルザバーという組み合わせのアルバムはいくつかあり、デュオとしては「ゴールデン・シー」があるが、本作はライヴで、1曲目からエンジン全開のすばらしいプレイが惜しみなく大放出される最高の作品である。マレイ〜カヒールというこの組み合わせを聴いていていつも思うのだが、私が思う「黒人音楽としてのアコースティックな即興」みたいなものをもっとも私に合う形で具現化してくれるのが、このふたりのデュオではないか。とにかくマレイが奔放に吹きまくる(ほんとうに「吹きまくる」という形容がぴったり)バックで、カヒールがパーカッションでリズムをずーーーっと送りつづけているのだが、そのリズムのグルーヴだけでも、もう心地よくて心地よくて……。カヒールは同時になんだかわからん言葉で一種のヴォイス・パフォーマンスを行っているのだが、これがまたプリミティヴでかっこいいのだ。2曲目はもっと激しい曲でマレイもカヒールも「年、いくつやねん!」と叫びたくなるようなぶっとびの激演。そして3曲目は即興バラードで、それもマレイがひたすらブロウする絶叫系のバラードなのだが、バックはほとんど無音に近く、カヒールがチラン、ポロン、ペロン……とカリンバかなにかを鳴らすだけ。それがまたいいんですね。音の密度としてはマレイ99に対してカヒール1ぐらいの割合なのだが、カヒールの圧倒的存在感がそのチラン、ポロン……のなかにあるのだ。マレイのソロの最後のほうは、ちょっと「グッドバイ・ポークパイ・ハット」的な感じになり、そのあとカリンバ(?)ソロになる。めちゃめちゃ音が小さいので、必死に聞き耳をたてなければならないが、それもまたよし。ダイナミクスというものをこれほど心得ているひともいないのだ(昔、生で見たときは、カリンバにピックアップをつけて、大音量で鳴らしていたっけ……)。カリンバと唸り声だけでこれだけの「場」をつくってしまうひともそうそういないよなあ(ハミッド・ドレイクも似たところあるし、芳垣さんもそういうことができるグレイトなパーカッション奏者だが)。4曲目はマレイのバスクラソロではじまる曲で、こういうのを聴くと、マレイはたしかにドルフィーにはじまる「テクニカル系即興バスクラ奏者」(勝手に私が今命名した)の系譜につながっているのだ(ふだんはあまり意識しないが、ソロアルバムとか聴いても、アイラーとドルフィーを強く感じさせる)と感動する。めちゃめちゃうまいです。ラスト(アンコール?)はおなじみ(?)のカヒールの曲「スウィート・ミート」。これもドスのきいた演奏ですばらしい。あー、10年近くまえの録音だが、このデュオで日本に来てくんないかなあ。それがダメならマレイ来日時に芳垣さんとのデュオでも……。タイトルもかっこいいよね、「WE ARE」じゃなくて「WE IS」なのだ。ふたりは一心同体という意味でしょう。

「ALIKA RISING」(SOUND ASPECTS SAS CD 040)
KAHIL EL’ZABAR’S THE RITUAL TRIO

ドイツでのライヴ。たぶんこのトリオでの演奏をはじめて聴いたのが、このアルバムだったと思う。もうはるか昔のことだ。最初は、カヒール・エルザバーってだれ? みたいな感じで、アリ・ブラウンの名前にひかれて購入したのだが、聴いてみて驚愕。めちゃめちゃええやん。もう私の好み、直球ど真ん中。ピアノレスで、テナーが中心で、モーダルな曲調で、民族音楽の香りも漂い、プリミティヴかつモダンで、ブラックミュージックの伝統を感じさせるフリージャズで、しかも自由度がめちゃ高い……と、言葉にすればこういう具合であるが、とにかくパッと聴いたときに、冒頭、マラカイ・フェイヴァースがマイナー系のパターンを弾きだしたところで、ぐわっとのめりこみ、そこに乗るアリ・ブラウンのサックスにしびれ、あっというまに聴き終えて、うーん、世の中にはすごいグループがあるもんだ、と感心しまくっていたら、当時関西にいた芳垣さんが、カヒールがどうのこうのと言ったのを聴いて、そうか、有名なひとなのだなあ、という認識になった。その後すぐに、カヒールはあの馬鹿でかいビッグバンド「シャドウ・ヴィネッツ」で来日し、アンプリファイアしたカリンバを弾きたおしたのを生で見てまたまた感動。それ以来、ずーーーーーーっとこのトリオを聴きつづけてきているわけだが、いやー、飽きませんなあ。どのアルバムも悪くないのだが、やはりファラオやシェップのような豪華ゲストが入ってしまうと、アリ・ブラウンがピアノにまわることが多いので、やはりアリ・ブラウンにはサックスを、それもテナーを吹いてもらいたいものだ。たくさんのアルバムがでているが、私にとってははじめてこのトリオを体験したこのアルバムがやっぱり一番の愛聴盤であります。

「THE RITUAL」(SOUND ASPECTS 011)
KAHIL EL’ZABAR

カヒール・エルザバーの「リチュアル・トリオ」はサックスにアリ・ブラウン、ベースにマラカイ・フェイヴァースを擁した不動のトリオであり、マラカイ亡きあとはベースを変えていまに至る、ジャズ史に残る偉大なグループ(だと勝手に私は思っている)だが、このサウンド・アスペクトのアルバムがその結成のきっかけになったのではないだろうか。本作はライヴで、カヒール、マラカイに加えて、なんとレスター・ボウイがフロントであって、曲はA面B面を通してAECでおなじみの「マグゼルマ」のみ。とにかく3人のほんとうに好き勝手で演奏というより遊んでいるような、しかも奥が深く、諧謔精神や民族の血みたいなものへの思いもはせられるような演奏が詰まっているうえ、カヒールの躍動感あふれるリズムに乗ったレスターのブロウは水を得た魚のようにぴちぴちと跳ねていて、もういうことなしである。しかし、レスターがアリ・ブラウンに変わったことによって、このグループはちがった局面を見せることになった。というか、完全なものになった、ということができると思う。本作において、レスターの存在は大きすぎて、レスター・ボウイのアルバムのようでもある。アリ・ブラウンが入ったことで、リチュアル・トリオは完璧なトライアングルとなり、さっきも書いたがジャズ史に残る名バンドになったと思う。でも、もちろん本作の価値が低いわけではなく、一期一会なこの3人の出会いはすばらしい。なにしろA面B面通して一曲だけのライヴなので、レスターだけでなく、ほかのふたりのソロもたっぷり聴けるし、しかも飽きることがない。なかなかこうはいきませんよ。じつはレスター・ボウイを聴いてみたいんだけどなにか一枚推薦して、と言われたら、彼のリーダーアルバムよりも本作をすすめることにしているほど、レスター・ボウイの最良の面が出ていると思う。

「FOLLOW THE SUN」(DELMARK RECORDS DE5013)
KAHIL EL’ZABAR’S RITUAL TRIO

 これまた妙なアルバムが出た。カヒール・エルザバーのおなじみのリチュアル・トリオの新譜なのだが、いつもの3人(といっても、ベースがベン・イスラエルからジュニアス・ポールというひとに変わっている)に加えて、ドワイト・トライブルというボーカリスト(ロスを拠点に演奏しているひとらしい)が6曲参加しているが、それだけではない。デューク・ペインというテナーサックスとバグパイプを吹くひと(オーデル・ブラウンとオルガナイザーズのひとらしいから、けっこうな年配のはずだ)が参加しており、5人編成である。もう30年近くやっているバンドだが、だんだんよれよれになっていくどころか、なんともいえぬ熟成感というか滋味が増してきて、ますます美味しい状態なのは、リーダーのカヒール・エルザバーの手腕なのだろうな。ちょっと感動してしまいました。あいかわらずの、アコースティックなグルーヴがあふれかえるような演奏で、AACMということからいわゆるフリージャズを期待するとそういうものではないのである。どちらかというと民族音楽的なモードジャズである。モードというものの魅力をこれほどうまく自家薬籠中のものとしたグループも少ないと思う。彼らの表現方法には「モード」がぴったりである(オリジナル曲はほぼ全部カヒールの作曲)。本作は、2曲目の「ソフトリー……」だけが、2テナーをフィーチュアしたセッションのようになっているが(かなりタルいですが、このタルさもこのバンドの良さであるのは、皆さんもご存知のとおりです。とくにデューク・ペインはうまいんだか下手なんだかわからないが、このヨレヨレさ加減は愛すべきである)、ほかはほぼ全編、「あの」サウンドであり、しかもしっかりとボーカルが前面に出ているものが多く、本作のコンセプトは明確すぎるほど明確だ。私はこのアルバムですっかりボーカルのドワイト・トライブルのファンになってしまった。1曲目からいきなりモーダルなベースのラインではじまり、デューク・ペインのへろへろだが味わい深いテナー、そして、迫力と表現力豊かなボーカルが飛び出してきて、胸を鷲づかみにされる。いやー、このボーカルは凄いわ。アリ・ブラウンはピアノのバッキング(重い)に徹している。3曲目はその名も「グレイト・ブラック・ミュージック」というタイトルで、これがめちゃめちゃ黒くて深くてかっこいいのです。カリンバの響きとピアノのゆったりとしたアルペジオに導かれるように、ボーカルがシャウトする。歌詞はシンプルに「グレイト・ブラック・ミュージック」というモーダルなリフレインに乗って、黒人音楽のすばらしさを歌い上げる。コルトレーンの「至上の愛」やカークの諸作を思い浮かべるひともいるだろうが、そこで吹きまくるのはゴリゴリのテナー……ではなくて、なんとデューク・ペインのバグパイプである。これがめちゃかっこいい! ルーファス・ハーレイなんかよりずっとエグくて重い、モーダルなバグパイプ! そしてアリ・ブラウンのシンプルすぎるほどシンプルなピアノソロ。いやー、この曲はすごいわ。シングルカットしろ! 4曲目は、なななんとショーターの「フットプリント」だが、ボーカル入りで、そのうえ民族音楽のような感じに改変されている。フルートみたいな音がするのはだれでしょうね(たぶんデューク・ペイン)。フィーチュアされるデューク・ペインのテナーソロはほんとにヨレヨレで、「ああ、ヨレヨレ!」と叫んでしまいそうになるほどであるが、途中で4ビートになるあたりからなぜか突然力強くなり、それなりのソロになる。ほんま、うまいのかへたなのかわからん。アリ・ブラウンのピアノソロもええ感じ。このひとはモーダルな曲のピアノは重さとリズムと味で聴かせる。最後のボーカルのシャウトも凄いよ。5曲目「グランマーズ・ハンド」というのはビル・ウィザーズの曲だそうです。これも完全にモードジャズになっている。めちゃめちゃかっこいいです。後ろできこえるカヒールのアフリカンスキャット風のヴォイスと相まって、最高の瞬間を作り出している。6曲目はデューク・ペインのテナーとアリ・ブラウンのピアノをフィーチュアした重たいバラードで、ここでもアリ・ブラウンのピアノがサウンドに大きく貢献している。このバンドにいちばんはまるピアノはアリ・ブラウンだなあ。いつものリチュアル・トリオで、シェップやファラオ・サンダースがゲストのときかならずアリ・ブラウンがピアノに回るのが個人的には物足らなかった(レギュラーテナー奏者なのに、有名テナーがゲストに来ると、ピアノに追いやられてる……という感じがするから)が、今回はまったくそういう気持ちにならないのはなぜだろう。7曲目は、(どうやらカヒールのフェイヴァリットナンバーらしい)「ボディ・アンド・ソウル」。もちろんボーカルフィーチュア。リズムはあるのだが、かなり自由な感じで演奏される。アリ・ブラウンがピアノではなくテナーを吹いているせいもあるかも。ボーカルの表現力に圧倒される。8曲目は2テナーで奏でられるモード曲。シンプルなテーマが演奏されたあとアリ・ブラウンのソロになる。木訥で豪快で、黒々とした手触りのソロである。それを受けて、デューク・ペインのソロ。やや細い音で動き回るようなソロ。アリ・ブラウンよりもフリーキーなのだが、雰囲気はへろへろでおもしろい。どちらも超個性的。最後の「アップ・ユア・マインド」という曲はこれだけがライヴ録音で、カヒールのファンキーなパーカッションに乗って、ボーカルが歌い、テナーがリフを吹き、まわりのみんなが手拍子をしたり、叫んだりする。ものすごいノリノリの雰囲気の演奏で、アフリカのどこかの村の光景が思い浮かぶほどだが、じつはシカゴなんですねー。ラフな録音なのも、曲に合ってる。最高じゃないですか、この曲。というわけで、このアルバムを聴き終えたひとのなかには、たしかにかっこええ。でも、テナーがもっとブリブリ吹きまくってくれれば大傑作なのになあ……という感想を漏らすかたもいらっしゃるのではないかと推測するが、そうじゃないんです、このテナー(アリ・ブラウンもデューク・ペインも)がいいんです。このバンドには「うまい」テナーはいらないのです。ねえ、(リチュアル・トリオのファンの)皆さん!(激しく同意!)ライナーの最後に、カヒール・エルザバーのデルマークでのリーダーアルバムが掲載されているが、デルマークだけでなんと14枚もあるのだ。そして、私はほとんど聴いているのだった。えらいでしょ。1枚や2枚聴いたやつの出るマークじゃないぜ!

「BLACK IS BACK−40TH ANNIVERSARY PROJECT」(KATALYST ENTERTAINMENT)
ETHNIC HERITAGE ENSEMBLE

 いやもうほんますばらしいとしか言いようがない。サックス〜トランペット〜パーカッションという、ピアノもベースもギターもいない、この無骨な編成(もちろん゛この3人になったのは近年で、そのちょっとまえはエドワード・ウィルカーソンとジョー・ボウイ(この時期が一番記憶にある)による2管だったり、ドーキンスとジョー・ボウイだったり、ギターがいたりして、いろいろメンバーチェンジはある。カラパルシーャがいた時期もあったなあ。とにかく、だいたい3〜4人なのだ)で、しかもフリーインプロヴィゼシイョンとかでなく、普通の曲をやり続けてなんと40年! 歴史的快挙であり、カヒールは本当に偉大だ。(ふつうの曲を演奏する)バンドをやるのに、ベースは絶対に必要だよな、ベースがいないならせめてギターかピアノがいないとね……みたいな考えを木っ端みじんに砕いてくれるのがこのグループだ。本作もほとんどがカヒールのコンポジションで、その意欲には頭がさがる。1曲目はタイトルナンバーで「ブラック・イズ・バック」。なんちゅうタイトルや。しかし、そのタイトル通りの演奏。カリンバとパーカッションとサックスとトランペットとボーカルによる演奏。カリンバはたぶんカヒールだが、パーカッションはどうなっているのか。オーバーダビングなのか、カヒールが同時にやってるのか。とにかくカリンバによる3音のシンプルなオスティナートが延々と続き、そのうえで暗く静かにグルーヴする。かーーーーーーっこええ! 2曲目はベース的な役目の楽器が存在しないトリオなので、たとえばトランペットのソロのときはカヒールとラッパのデュオなわけだ(基本的にこのバンドは全部そう)。それでもちゃんとコード感がある演奏に聴こえるのは、ふたりのソロイストのそのあたりの音楽センスか抜群だからだろう。テーマをきっちり提示して、その響きがリスナーの耳に残っているあいだにソロをして、フリーになっても、ときどきテーマを示唆するフレーズを入れ込む。こうすれば、管楽器2+パーカッションのトリオでも、こういう曲が演奏可能なのだ。3曲目はガレスピーの「ビバップ」で、このエキゾチックかつバッピッシュな曲がこの編成でどうなるのか、と思って聴いていると、カヒールのパーカッションに載せて、トランペットはベースその他がいないことなどまったく気にしない様子でバップフレーズをつむいでいく。アルトも同様だ。そのあと、(たぶん)カヒールによるバップスキャットになり、これがまたちゃんとうまいのだ。コンガというのは、うまいひとが叩くとドゥーンと響くので、まるでウッドベースがどこかにいるように聞こえるな。4曲目は「クレオール・ペッパ・シチュウ」という意味深なタイトルで、まるでエリントンの曲のような悲哀が聞こえてくる佳曲。リズム的な遊びもあり、ええ曲書くなあ。演奏中ずーっとうめき声のごとき詠唱が聞こえるが、これも一種のモードジャズ的な感じで演奏を支えているのかも。ほんとかっこいいんですよ。5曲目の最初の部分はパーカッションを叩きながらカヒールが歌うという「叩き語り」でこれがまた渋い。サンハウスのブルースを聴いているようなえぐ味とディープなグルーヴ感がある。年輪というのか、凄いとしか言いようがない。そのうち管楽器のリフが入ってきて、すごいスピード感のあるブラックジャズになる。最後も壮絶。ああ、70年代。6曲目は普通のドラムを使った4ビートの演奏で、本来はベースとピアノが絶対に必要なタイプの曲だが、それをこの編成で押し切り、しかもソロイストは好き放題やりまくり、そしてちゃんと崩壊せずに一体感がある……という化け物的な演奏だ。7曲目は、重いグルーヴの曲で、渋いボーカルがフィーチュアされる。一曲目のタイトルでもある「ブラック・イズ・バック」という言葉がアルバム全体を貫いている、ブラックスピリッツと重量感のあるすばらしい作品。これは必聴であります。

「ANCESTRAL SONG」(SILKHEART RECORDS SHCD−108)
THE ETHNIC HERITAGE ENSEMBLE

 私はカヒール・エルザバーがめちゃくちゃ好きだが、それと同じぐらいアリ・ブラウンが好きなので、要するにリチュアル・トリオが大好きなのだ。というわけで、もうひとつ(?)のリーダーバンドであるこのエスニック・ヘリテッジ・アンサンブルについてはあまり熱心に聴いてこなかったが、それはサックス奏者(だけでなく管楽器が)がころころ変わるので、いまひとつ思い入れがない、という理由もあった。しかし、このシルクハートでの第一作である本作は、久々に聴きかえすと、やはりものすごくいいですね。ドラムとテナーとトロンボーンという変則的な編成で、フリーインプロヴァイズドミュージックではなく、リズムを前面に押し出した、グルーヴもある、きっちりした音楽をやる、という発想そのものがすばらしいが、それをちゃんとやりきることのできるメンバーの技量もすばらしい。どんな編成でも音楽はできるし、その音楽にもっとも適した編成をするべきだし、その編成ならではの解釈による演奏をすべきだし、編成にとらわれることなくそれを最大限に利用したほうがいい、というあたりまえのことをこのグループは教えてくれる。ベースやピアノ、ギターなどのコード楽器がいないことが枷にならず、といってタガが外れたような自由すぎる状態にもならないといういちばん心地よい、美味しいところをカヒールは熟知している。カヒールのカリンバ、パーカッション、ドラムなどがすごいのは当然だが、ジョー・ボウイもデファンクトとも共通するリズミカルなトロンボーンを激奏して、そのストレートさ、パワフルさはすがすがしいぐらい熱いし(大原さんともちょっと似てるな)、エドワード・ウィルカーソンもいつもはもっと丸っこい音のような記憶があるのだが、本作では私好みのエッジの立った音(マウスピースの差かも)。曲(とアレンジ)もいいし、ほんと、グレートでブラックなミュージックです。ジャズの歴史に残るような傑作アルバムだと思います。

「WHAT IT IS!」(DELMARK RECORDS DE5002)
KAHIL EL’ZABAR QUARTET

 カヒール・エルザバーは大好きだが、リチュアル・トリオやエスニック・ヘリティッジ・アンサンブルはけっこうフォローしているものの、この「カルテット」は、テナーがよく知らんひとなので「まあええか」とスルーしていた。ところが、このケヴィン・ネイバーズというテナーのひとがコーリー・ウィルクスのアルバムでめちゃいい演奏を繰り広げていたひとだと知って、あわてて聴いてみると……うぎゃー、これはすばらしい! ピアノのジャスティン・ディラードはハモンドとフェンダーも弾いていて、いつものカヒールのアルバムとは相当違う感じだが、演奏がはじまってしまうと、あのいつもの熱気やモーダルな音作りやねちっこい演奏の持っていきかたなどはそのままで、全体にとにかく「若い」のだ。そして、カヒールのドラミングが、いつにもまして過激でエグい。普段はプリミティヴといっていいぐらいグルーヴを前面に押し出し、シンプルなドラム〜パーカッションを叩いているカヒールが今回はめちゃくちゃアグレッシヴで、「どつきまくり」と言っていいぐらいのやかましく、叩きまくる演奏をしている。じつはこのエグさがこのアルバムの鍵ではないかと思うぐらいで、テナーのネイバーズは明らかにカヒールのドラムに煽られて自分のなかから普段以上のものをあふれさせているように思う。曲は2曲をのぞいてカヒールのオリジナルで、あいかわらずいい曲を書く(5曲目とか6曲目のかっこよさは筆舌に尽くしがたい。大原さんの曲みたいにシンプルなのにしみじみかっこいい)。アフロ・アメリカンなモーダルな曲で、モードという手法はこういうところに結実するのだなあといつも思う。リチュアルトリオなんかはもうモードありきなのだ。残りの2曲がコルトレーンの曲というのもなかなか意味深いが、「インプレッションズ」でひたすら咆哮して吹きまくる、といってけっしてぐちゃぐちゃにならずフリーというよりモードの延長上でのフリーキーさを発揮するケヴィン・ネイバーズはほんと、私の好みにぴったりのテナーですばらしい。硬派なフレージングのはしばしに、たとえば吹き伸ばしのときにフラッタータンギングを使ったりする細かい技もいい。シダー・ウォルトン・カルテット在籍時のボブ・バーグぐらいの期待感は十分にあるし、なにより(さっきも書いたけど)私の好みなのだ。テーマの吹き方ひとつとっても堂に入っていて、めちゃかっこいいし、ソロにガッツがある。もちろんカヒールも過激一辺倒ではなく、3曲目ではボーカルも披露しているし、ハモンドオルガンもめちゃくちゃかっこいいし、全体に「カヒール・エルザバーのバンド」という感じがくっきりはっきりわかる演奏ばかりで、もう垂涎ちゅうか涙なみだというか美味しいというか……とにかく好ましい。ベースのひともめっちゃいい。でも、とにかくカヒール〜ネイバーズに尽きるアルバム。傑作です。えー、カヒール・エルザバー以外知らんなあ……などと思っているひとはとにかくだまされたと思って聴いてみて! 大傑作!

「THE CONTINUUM」(DELMARK RECORDS DE−496)
ETHNIC HERITAGE ENSEMBLE

 97年録音。メンバーはカヒール・エルザバーのほか、アーネスト・ドーキンスとジョセフ・ボウイ゛それにハロルド・マレイというパーカッショニスト。1曲目はこのマレイのアフリカ語とトーキングドラムのめちゃかっこいいソロで開幕。ベースもピアノもギターもいないのに、トーキングドラムのどぅんどぅんという低音のせいで、あたかもベースがいるかのように聞こえる。5拍子のグルーヴで、ドーキンスのアルトソロはほんまにかっこええ。モードというものを知りつくしたソロ。それにつづくジョー・ボウイのソロも破壊力満点。ドゥンドゥンと鳴り響くトーキングドラムをバックにテーマに。このグループを聞くといつも、ジャズのバンドにはベースやピアノやギターがいないとダメ、という固定観念がいとも簡単にぶち破られる。ほんと、自然に聞こえるからなあ。びっくりです。2曲目は文句の「ウェル・ユー・ニードント」だが、こういうバップの循環曲がコード楽器がいないのに成立してしまうのはすごい。もちろんひとりひとりの力量あってのことだが。ジョン・ゾーンの「ニューズ・フォー・ルル」などはこういう演奏の延長線上にあるのだ。トロンボーンソロのあと、マレイのバップスキャット+アフリカみたいなヴォーカルが出てきてこれも面白い。3曲目はカリンバの怪しい響きと高音部でのパターンに乗ってハロルドの歌がフィーチュアされる。アフリカが連想される美しくもかっこいい曲(ちょっと小林旭の「熱き心に」似てるか。ええ感じやなあ。4曲目は「オーネット」という曲でリチュアルトリオでもやっているし、このバンドでも再演しているカヒールの愛奏曲(?)。ドンツックドンツック……というアフリカの祭を思わせる呪術的なリズムが鳴り響き、アーネスト・ドーキンスの武骨だが超かっこいいソロがフィーチュアされて、聴いていて熱くなる。このソロめちゃ好き。それにしてもシカゴのテナーマンはどうして武骨なひとが多いのだろう。ジーン・アモンズやボン・フリーマン以来の伝統なのか。流麗にテクニックをひけらかすというやつは見かけんなあ。フレッド・アンダーソン、カラパルーシャ・モーリス・マッキンタイア、アリ・ブラウン、そしてアーネスト・ドーキンス……。つづくジョー・ボウイのソロも、デファンクトとはまたちがったブラックネスを感じさせる汗臭いソロですばらしい。ハロルド・マレイの即興スキャットも披露される。こういうのを聞くと、バップスキャットのルーツがアフリカにある、という説が信じられるような気になるな。5曲目は珍しく4ビートの曲。カヒールはこういうのも上手いですね(倍のノリになっているのか、パルスみたいな感じになっていて、まともには叩いていないのだが)。とにかくめちゃくちゃのようで合うところはばっちり合っているドラムがド迫力である。普通はベースとかがいるときにそういうことをするわけだが、さすがカヒールはそんなことは気にもしません。アブストラクトなフレーズでエネルギーを暴走させるジョー・ボウイに対して、アーネスト・ドーキンスはこれだけドラムが叩きまくっても基礎となるビートに立脚してテナーでフレーズをつむいでいく。このソロもすばらしい。そして、そのままドラムソロに突入してテーマ。たぶん終わったあとカヒールはかなり疲れていたのでは?と思わせるようなパワフルな演奏だった。6曲目はまたアフリカ的なリズムに乗った演奏。こういうグルーヴは強い。いつまでも聴いていられる。ラスト7曲目は「オール・ブルース」。カリンバとパーカッション(カバサ的なもの?)をベースにものすごくゆったりしたリズムで奏でられる「オール・ブルース」は、またちがった味わい。ジョー・ボウイのミュートトロンボーンのわざとキンキンさせた音によるソロ、ドーキンスのアルトのポール・デスモンド的な感じさえするクールで淡々としたソロ、そしてまたまた出ました、マレイの「今出ますか?」的なボーカル。おもろいっ……と思ったらフェイドアウトされてしまいました。いやー、さすがの貫録。エスニック・ヘリッティジ・アンサンブル万歳!

「RETURN OF THE LOST TRIBE」(DELMARK RECORDS DE−507)
BRIGHT MOMENT

 どっちがバンド名でどっちがアルバムタイトルかわからなくなるというたまに起こる現象に見舞われつつ、まあたぶんこうであろうという感じです。カヒール・エルザバー〜マラカイ・フェイバースというリチュアル・トリオのリズムセクションに、カラパルーシャ・モーリス・マッキンタイアとジョセフ・ジャーマンというAACMの狂気ふたりがフロント、そこにピアノのアデゴゲ・スティーヴ・コルソンというひとが加わるというクインテット。しかし、大丈夫かなあ、なにしろフロントのふたりがカラパルーシャとジョセフ・ジャーマンというかなり癖の強いひとたちなので、いつものリチュアルトリオやエスニックヘリティッジアンサンブルのようなしっかりした演奏にはなるまい……と危惧しながら聴いてみたが、いやー、笑えますなー。思っていたとおりかなりぐだぐだな演奏である。しかし、面白い。1曲目なんかテーマのアンサンブルはぐだぐだで(とくにカラパルーシャのテナー)これはヤバいな、と思っていたら、ソロに入ると案外ちゃんとしていて、カラパルーシャは力強く、ひたすらスケールを上がったり下がったりするような、ビリー・ハーパー的なソロを吹きまくる。いやー、味あるなあ。上手いとか凄いとかかっこいいとかそういった言葉は一切出て来ないけど、「味」の塊のようなテナー。アーサー・ドイルぐらい「なに考えてるかわからん」テナーですね。これよりあとに録音されたチューバとのトリオではもっとちゃんと吹いてたと思うのだが。2曲目ではジョセフ・ジャーマンがまたぶっ飛んだアルトソロを躊躇なく吹きまくり、ピアノが暴れ、カヒールが叩きまくり、狂乱の世界が現出する。いやはや無茶苦茶でござりまするがな。3曲目にしてようやくカヒール・エルザバーの世界というかアフリカンモードの演奏になる。ベースのオスティナート、プリミティヴなパーカッション、マイナーペンタトニックをしつこく吹き続けるフルート、妙なヴォイス……すべてが黒々と塗りつぶされるような、こってりとしたグルーヴ。ジョセフ・ジャーマン、フルート上手いなあ。呪術的な「クデュス……クデュス……」というヴォイスの反復とそれにかぶさる詩の朗読。めちゃくちゃかっこいい。やっぱりこういうのをやらせるとこのひとたちの右に出るものはいない。4曲目はゆっくりした4ビートでじわじわくるやつ。カラパルーシャがまたしても「味の塊」としかいえないような、独特すぎるソロを聴かせる。5曲目はピアノのコルソンの曲でちゃんと吹けばたぶんかっこいいのだろうが、2本のサックスがぐじゃぐじゃにしてくれる。ジョセフ・ジャーマンのわけのわからないアルトソロがここでも炸裂する。カラパルーシャの豪放なテナーもすごい。いやー、この変態サックスふたりをフロントにするなんてカヒールも勇気あるなあ。6曲目もまたアフリカンテイストだなと思ったらカヒールの「オーネット」だった(ほかのアルバムでも何度か取り上げられている)。ここでのカラパルーシャのテナーは安定感抜群で、低音から高音までのびのびと吹きまくっていて、いったいこれまではなんだったんだ……と思うほど。わざと下手に見せていた? いやいやそれはあるまい。とにかくこの曲のテナーソロは最高である。カラパルーシャにとってもかなり会心のソロではなぽだろうか。かっこよすぎる。最後の7曲目はフリーな感じのバラードで、ジョセフ・ジャーマンが(意外なほど)美しい音色で見事なアルトソロを展開。それに続くカラパルーシャのソロは自由奔放でこれまた超かっこいい。ピアノも、そしてドラムソロまでが「フリーなバラード」というコンセプトを守って緊張感を失わぬまま最後まできっちり聴かせてくれる。お見事です。傑作という言葉がふさわしいかどうかわからないが、めちゃくちゃいいアルバムだと思います。

「DANCE WITH THE ANCESTORS」(CHAMELEON RECORDS 61494−2)
ETHNIC HERITAGE ENSEMBLE

 なぜか録音年月日も録音場所も書いてないのでよくわからないのだが、93年リリースなのでまあ録音されたのはそのあたりでしょう。カヒール以外のメンバーはジョセフ・ボウイとエドワード・ウィルカーソン。ディジー・ガレスピー、ジョージ・アダムス、エディ(そう表記されている)・ブラックウェル、ライト・ヘンリー・ハフといった、このアルバム録音のころに逝去したミュージシャンに捧げられている。1曲目はいきなりアフリカンテイスト全開。ゆったりとしたナイル川の悠久の流れを思わせるような曲調。カリンバなどのパーカッションが奏でるオスティナートのうえをウィルカーソンのテナーがこれまたゆったりと流れていく。カヒールが歌いだし、ジョー・ボウイが激しいブロウを展開する。2曲目はまたしても「オーネット」。この曲、エルザバーはよほど気に入っているのだろうな。コンガのグルーヴとウィルカーソンの吹くリフだけを手がかりにジョー・ボウイが吹きまくる(大原さんみたいなソロ)。そのあとウィルカーソンとボウイが役目を入れ替える。ウィルカーソンのソロはフレッド・アンダーソンを思わせるような、柔らかな中音域中心のソロ。そのあと全員で「オネッコー、オネッコー」と呪文のように唱えるのがめちゃくちゃかっこいいが、もちろん「オーネットコールマン」と言っているのだ。すばらしい演奏。3曲目は本作中唯一のエルザバー以外の曲(スタンダードを除く)で、ジョセフ・ボウイの曲。「ヒット・ミー」というのは「俺を殺せ」ということか? なかなか複雑なテーマで、これをベースもピアノもギターもいない、ドラムだけの状態で2管で合わせるというのは相当むずかしいと思うが、ばっちり合わせていて感服。ジョー・ボウイの過激でフリーなブロウとそれを煽るカヒールのドラムがすばらしい。ウィルカーソンもぐにゃぐにゃっとした腰砕けのノリで応酬(フリージャズ界のエリック・ディクソンと呼びたい。嘘です)。4曲目は「A列車」なのだが、これがまあ、これまで聴いたことのない超斬新なアレンジなので、仰天。アフリカのサバンナを疾走する「A列車」である。デューク・エリントン(とビリー・ストレイホーン)もこれを聴いたらあいた口がふさがらないだろう。5曲目はリチュアル・トリオでもおなじみの「アリカ・ライジング」。カリンバの奏でるスローなリズムに乗って、2管のハーモニーによる美しいメロディが心地よい。しかし、カリンバをバックにしたジョー・ボウイの迫力あるソロを聴いているとどうしても「SIGHTS」を思い出してしまうなあ。6曲目はディジー・ガレスピーに捧げられた曲。アップテンポのかっこいい曲で、ちゃんとした編成のバンドでやればさぞかしかっこいいのだろうと思うが、それをこんな変態的な編成でやってしまうのがカヒール・エルザバーのすごいところだ。ジョセフ・ボウイの白熱のソロ、ウィルカーソンは逆に鼻歌のようなソロ。どちらも出たとこまかせ。個性が出るなあ。エルザバーのコンガソロもナイスだが、それよりも曲全体を通して凄まじいグルーヴを与え続けていることのほうがすごい。7曲目はエルザバーによる詩の朗読。ええ声してるなあ。内容はちゃんとブックレットに全文掲載されているのでちゃんとわかりますよ。8曲目は4ビートのジャズっぽい曲(というかジャズ)。これもちゃんとベースやらピアノやらを入れたらめちゃかっこいいんだろうな。このままでも十分かっこいいけど。こういう普通にチェンジのある曲のほうがモーダルな曲よりもずっとむずかしいと思う。なにしろ、ソロのほとんどはドラムとデュオなので、どこをやってるかわからなくなる危険性も絶大だ(サビもあるし)。9曲目はグウェンヤナ・ブラックバーンというひとに捧げた曲だが、このひとのことは調べてもよくわからなかった。しかし、これはほんまにええ曲。カリンバをベース代わりに2管でハモりながら奏でられるテーマのかっこいいことよ。カヒール・エルザバーの作曲能力にはいつもながら脱帽。この曲でのジョー・ボウイのソロが破壊力抜群で超かっこいい。それに続くウィルカーソンのソロはアルトクラリネットだ。そのあとカヒールのカリンバソロ(ほんまのソロ)になるが、このパートも最高です。最後の10曲目はタイトルチューンの「ダンス・ウィズ・ジ・アンセスター」なのだが、これがめちゃくちゃかっこよくてわけがわからん。カヒールのパーカッションではじまり、グルーヴしまくったあと、カヒールのボーカルがフィーチュアされるのだが、これが「スウィング・ロウ・スウィート・チャリオット」なのである。それがいつのまにかギニアのチャントになり、バップスキャットになる……という演奏である。管楽器のふたりもパーカッションに徹している。うわーっ、超かっこええやん。というわけで、本作は文句なしの傑作だと思います。大推薦!

「FREEDOM JAZZ DANCE」(DELMARK RECORDS DE−517)
ETHNIC HERITAGE ENSEMBLE

 99年録音。ジョセフ・ボウイ〜エーネスト・ドーキンス〜カヒール・エルザバーといういつもの3人に、珍しくフェアイード・ハク(ネットによるとそう読むらしいがあてにはならない)というギターが入っている。これもネット情報だが、パキスタンとチリのハーフで、デイヴ・ホランド、ジョー・ヘンダーソン、スティング、ラムゼイ・ルイス、ザヴィヌル・シンジケート、ボブ・ジェームズ、ハービー・マン、カサンドラ・ウィルソン……などとの共演歴もあるジャズとクラシック両方ともバリバリのひとらしい。そんなひとがなぜにこのバンドに……と思ったらシカゴのひとなんですね。マイルスの「マイルス・スマイルズ」で有名な「フリーダム・ジャズ・ダンス」を演奏し、アルバムタイトルにもしているのは、ひとえにこの曲のタイトルゆえだと思う。まさにAACMが好みそうなタイトルだ。でも、オリジナルのエディ・ハリスのやつもマイルスのやつも、普通のリズムのうえにかなり変態的なテーマが乗る、という感じなのだが、ここでの演奏は変態的なテーマを変態的なリズムに乗せる、という感じで、なんというか「ぐちゃーっ」としていてめちゃくちゃおもしろい。ドーキンスの妙にファンキーな音色でのアルトソロ、ジョー・ボウイのいつもどおりの瞬間芸的なトロンボーンソロ、どちらもすばらしい。ギターソロはドラムと管楽器のリフだけを背景に展開するのだが、これも浮遊感があっておもしろい。2曲目はバラード。ボウイがトロンボーン奏者としての上手さを見せつけ、あとはハクのギターがひたすら美しく泣く。これはすごいぜ。そのあとカヒールのカリンバが、またまた泣かせます。あー、美しい。3曲目は速い4ビートのリフ曲。ギターが先発ソロをとるが、いやー、これはええなあ。ドラムだけをバックに自由に弾きまくる。そのあとドーキンスが吹きはじめると、やはりフリーに対して「慣れた」感じで圧倒的なソロ。やはりかなりちがう。そしてボウイのミュートトロンボーンによる、ほとんど「しゃべっている」に近いソロ。それにからむギター。いやー、最高じゃないですか。4曲目「ママズ・ハウス」ははコンガのグルーヴをベースにした演奏。これだけグルーヴするコンガがあれば、なにを吹いてもいい感じになるのでは、とさえ思う。ドーキンスのソロが登場するあたりではそのグルーヴが最高潮に達していて、この凄まじいスクリームにはみんな納得するのでは? 5曲目は5音のスケールによる曲でかなり変態的。こういう曲ではソロイストの力量が露骨に出るが、みんなすばらしい。とくにギターのハクはええ感じ。ドラムソロもあり。6曲目はアフリカンなパーカッションとボーカルがフィーチュアされる曲で、トラディショナルらしい。エスニック・ヘリティッジ・アンサンブルの面目躍如たる演奏で、そうそう、これだよねーっと思う。結局このグルーヴにつきるのだ。最後はパーカッションの饗宴になるが、テクニックの見せびらかしなどからはもっとも遠い、ただただひたすらのグルーヴだ。永遠に続きそうなエターナルリズム。最後の7曲目はカヒールの作曲の才能が発揮された最高にかっこいい曲。ほんと、このひとはウェイン・ショーターか大原裕ぐらい作曲の才能ある。美しく、危うく、幻想的で、なおかつかっこいい。トロンボンーとアルトソロもじつにええ感じです(とくにエキゾチックなアルト)。というわけで傑作です。

「MAMA’S HOUSE LIVE 35TH ANNIVERSARY PROJECT」(KATALYST ENTERTAINMENT)
ETHNIC HERITAGE ENSEMBLE

 CD番号も録音日や場所もよくわからないのだが、そういうのがエスニック・ヘリティッジ・アンサンブルの35周年の記念盤だというのだから、大雑把で、このグループの35周年にはふさわしいだろう。すでに40周年の記念盤も出てしまっている今の時点から35周年を振り返るというのも一興だ。メンバーは、アーネスト・ドーキンスとコーリー・ウィルクス。ベテランドーキンスもめちゃくちゃ張り切ったすばらしい演奏だが、若いコーリー・ウィルクスがはっちゃけたプレイで耳を引きつけられる。アルバムタイトルの意味がいまひとつわからないが、「ママズ・ハウス」というスタジオ録音盤があってそのライヴバージョンという意味かと思ったら、そういうスタジオ作はないのだ。では、「ママズ・ハウス」というライヴハウスでもシカゴにあって、そこでの演奏かというとどうもそうでもないようだ。「ママズ・ハウス」という曲はまえから演奏していたし、どういう意味なんでしょう? というわけで、1曲目「OOF」はリチュアルトリオでも演奏している曲。カリンバの響きに導かれるように2管がゆったりしたテーマを奏でる(たった3つの音だけで構成されている)。カヒールはなにかしゃべったり歌ったりしながらカリンバを弾いていて、それがいい効果をあげているがなにを言ってるのかはわからん。ウィルクスがソロの冒頭、循環呼吸でかなり長く吹くあたりからどんどんテンションがあがっていき、最後はいい感じの拍手が来る。ドーキンスの、グロウルしまくりのパワフルなソロも最後にかけての昂揚がすごい。カヒールのカリンバソロはシンプルななかにパッションがこもっており、これまたかっこいい。2曲目は、アフリカンリズムのうえを雄大な景色を見ているようなテーマが流れて行くが、最後にキマる(何のことかわからんと思うが、聴いてもらうしかない)。ドーキンスのアルトソロは「叫び」である。かなりフリー寄りの激しいブロウが延々続き、聴いているほうも思わず拳を握りしめたくなる。つづくウィルクスはトランペット2本を同時吹きするという快挙というか暴挙に出て、しかも、それにバッキングをするドーキンスもアルトとテナーの同時吹きである。途中からウィルクスは一本に絞ってハイノートでハンニバルのように高らかなソロを吹きまくったりプランジャーでブワブワ言わせたりするが、ドーキンスはずっと二本吹きでリフを吹いている。トランペットソロの最後にマウスピースを「ちゅ、ちゅ……」と吸うのはレスターの真似か? そしてカヒールの大音量でのドラムソロになり、テーマ。3曲目はアルバムタイトルにもなっている「ママズ・サンバ」で、「フリーダム・ジャズ・ダンス」でも演奏されていた。ウィルクスの輝かしいトランペットのバックで、ドーキンスとカヒールがバッキングをするのだが、ドーキンスは単音のみだが、カヒールはコンガを叩きながら口でもバッキングをしており、なかなかたいへんそうだ。ここでのウィルクスのソロはエネルギーに満ち溢れており、めちゃくちゃいい。つづくドーキンスも過激に吹きまくり、いやー、さすがやなあと思っていると、最後のカヒールのコンガの超ロングソロが圧倒的だったので、先のふたりがかすんだほど。曲はフェイドアウトしておわる。4曲目は、ドラム+2管という変則編成なのによくよく考えられたアレンジのせいで、まるで普通の曲のように聞こえる。ウィルクスの溌剌とした攻撃的なソロ、ドーキンスの自由奔放、なにをやってもええもんね的なソロ、そして、ずっと歌ったり叫んだりしつづけているリーダー、カヒール。長いパーカッションソロ。全編すばらしい演奏です。5曲目「ALL BLUES」もカヒールはエスニック・ヘリティッジ・アンサンブルの「コンティニューム」やデヴィッド・マレイとのデュオなどでも取り上げている愛奏曲。カリンバが奏でる3拍子のテーマのあと、ウィルクスのミュートトランペットがジャズっぽく迫る(ジャズだけどね)。そのあとオープンにしてからは得意の高音域で吹きまくる。そこにカヒールの歌がからむと、マイルスというより気分はもアフリカ。カヒールはこんな風に最初から最後まで歌ったりしゃべったりしてて、喉乾かんのかな、といらん心配をしてしまった。2管がからまりあうようになってもりあがったあと素朴で幻想的かつエグいカリンバソロがあってエンディング。あのカリンバという単純きわまりない楽器から、こんな凄いサウンドを引きずり出してしまうカヒール・エルザバーは唯一無二だ。そういえばシャドウ・ビネッツ来日のとき、メリケンパークに巨大なPAをどーんと積んで演奏があったのだが、そこでカヒールは電気的に増幅したカリンバを延々大音量で弾き続けていたっけ。ラストの6曲目は、えー、またこの曲かい!「オーネット」……好きやなあ。ここでもカヒールはコンガを叩きながら絶叫しております。本作ではアルトの使用率が高いドーキンスもテナーでガッツのあるソロをしている。ウィルクスもストレートアヘッドな熱いソロを展開して、かっちょいい。その間じゅうずーーーーーっと「オーアー、オーアー」と謎の呪文を唱え続けているカヒールは鬼気迫るものがある。そのあとバップスキャットになり、そこから演劇的なむちゃくちゃな展開になったみたいだ(音だけなので想像。ミュージシャンも客も大爆笑してる)。そしてテーマ。いやー、これでエスニック・ヘリテヘッジ・アンサンブル、無事に35周年を迎えることができました!傑作。

「BE KNOWN  ANCIENT/FUTURE/MUSIC」(SPIRITMUSE RECORDS SPM−KEZ001)
ETHNIC HERITAGE ENSEMBLE

 エスニック・ヘリティッジ・アンサンブルの新作がなんと国内盤で出た(といっても輸入盤に日本語の帯とライナーをつけただけだが、それでもすごいことだと思う)。メンバーはカヒールに加えて、この界隈ではしょっちゅう顔を出す(そしてすばらしいプレイをする)引っ張りだこのコーリー・ウィルクスとなんとアーネスト・ドーキンスではなくアレックス・ハーディング。テナーではなくバリトンが入ったのは長いエスニック・ヘリティッジ・アンサンブルの歴史上はじめてではないか(ちがうか? まあ、全部聞いてるわけではないからわからんけど)。それに加えてなんとチェロのイアン・マクシンというロシアのひとが参加。いやー、面白そうですなー! というわけで早速聴いてみると、いやいやいや……衰えんなあカヒールは。すばらしい内容だった。44年も同じバンドを継続していて、しかも最新作が最高傑作だなんてなんというすごいことだろう。あまりに良すぎて、購入してから今までほぼ毎日聴いている。それぐらい耳になじむポップな演奏ばかりなのだ(ポップという言葉はまちがってるかもしれないが、毎日聴いても飽きないし抵抗感なく繰り返し聴けるという意味で)。1曲目はカヒールのカリンバが炸裂する4小節のアフリカンなリフを繰り返し、カヒールの深みのあるボーカルが生々しくもかっこいい。この1曲目で心臓をつかまれたようになり、あとはひたすら76分の音楽の旅だ。なお、この曲はランディ・ウェストンとジェリー・ゴンザレスとセシル・テイラーに捧げられている。2曲目は「フリーダム・ジャズ・ダンス」でハーディングの低音のバンプに乗った、ドスのきいたグルーヴがある演奏。ウィルクスによる先発ソロは、いやー、このひとは上手いよなあ、といつもながら感心させられる。引っ張りだこなのもわかる。そして、チェロの軽さ(本当は重いのだが聴いた感じとして)とバリサクの延々と地獄のように果てしなく続く重いバンプの対比が、もうめちゃくちゃかっこいい(今後「かっこいい」という言葉が頻繁に出てくると思うのでご注意)。アッレクス・ハーディングさんおつかれさまでした。3曲目はハバードの「リトル・サンフラワー」でマカロニウエスタン的なテイストもある曲。もともとモードジャズ的な8ビートの曲だが、それをエスニックな雰囲気を強調したアレンジにしていてかっこいい。ウィルクスのソロ、この曲でも爆発している。そしてハーディングのソロもアクの強い、超個性的なもので最高です。なお、この演奏はロイ・ハーグローヴに捧げたものらしい。4曲目はタイトルチューンで、カヒールのコンガ(?)のリズムを中心として、コーラスをバックにカヒールが深みのある声で朗々と歌う。もう気絶するほどかっこいい。いや、ほんと。5曲目は「ブラック・イズ・バック」という曲で前作の40周年記念盤のタイトルでもあった曲。アレックス・ハーディングの豪快かつスムーズなソロ、コーリー・ウィルクスのリー・モーガン並みに張り詰めたテンションのソロ……などのバックでカヒールがずっとパーカッションを叩きながら歌ってる、というかしゃべってる、というか……それが超かっこいいのだ。あー、ほんま最高です。パーカッションソロもシンプルなのにめちゃかっちょええ! 6曲目はハミエット・ブルーイットに捧げたその名も「ブルー・イット」という曲で、タイトルが泣けますね。「そいつを吹き飛ばせ」みたいな意味か? たしかにブルーイットの追悼にふさわしい曲名だ。アレックス・ハーディングのバリトンは、かなりフリーよりの演奏で熱い。つづくチェロのソロはそれを上回る過激さでうっとり。それを受けたトランペットも高揚しまくりのすばらしい演奏だ。カヒールのドラムがそれを煽りまくる。7曲目はドキュメント映画「BE KNOWN」からの演奏だそうで、その映画はネット公開されているらしい(私はまだ観ていない)。パーカッションを叩きながらカヒールが歌うシンプルな演奏。8曲目は「ファロア」という曲で、なにも注記はないがおそらくファラオ・サンダースに捧げた曲ではないかと思う。曲名は「ファロア」なのにカヒールは演奏中ずっと「ファラオ」と歌っているのを聴くと、日本ではいまだに「ファラオ・サンダース」と呼ばれているが、案外アメリカでもそうなんじゃないかと思ったりして……。たしかにファラオ・サンダースがやりそうな曲調だ。コーリー・ウィルクスのソロが熱い。アレックス・ハーディングの朗々として落ち着いたおおらかなソロもちょっとファラオ・サンダースを想起させる。そしてそれらのバックや自分のソロで、パーカッションを叩きながら「うん……うわ……うん……」という呻き(?)を延々とフィーチュアするカヒール! これだけでかっこいいのだから、完全にサン・ハウスの域に達していると思う。チェロと呻きがからむあたりも最高です。9曲目は「ヌトザケ」という曲で、去年(2018年)に亡くなった劇作家で詩人のヌトザケ・シャンゲに捧げられた曲。超シンプルだが重いテーマのときに笛を吹いているのはだれだろう。カヒールかもしれない。ただただそれだけで終わる曲だが強烈な印象を残す。10曲目は「リトル・サンフラワー」をチェロのベースを抜きにして、パーカッションと管によるテーマだけで演奏したバージョン(フレディ・ハバードに捧げた演奏)。カヒールのひたすらグルーヴするパーカッションを堪能できる演奏。11曲目はカリンバが先導する哀愁のナンバー(この曲だけライヴで16分に及ぶ演奏)。ここでもカヒールのヴォイスがええ味を出しまくっている。ウィルクスとハーディングのソロもライヴだけに爆発しまくっている(とくにハーディングは最高!)。カヒールのカリンバソロも延々堪能できて脳内物質でまくります。あー、傑作だった。次作も超楽しみにしてますので、メンバーの皆さん、がんばってください。そして、いつか日本にも来てください。

「ONE WORLD FAMILY」(CREATIVE IMPROVISED MUSIC PROJECTS CIMP−220)
KAHIL EL’ZABAR WITH DAVID MURRAY

 カヒールとマレイという組み合わせはこれまで傑作しかなかった。ある時期からのマレイがけっこう苦手な私でも、カヒール〜マレイはとにかくひたすら聞き惚れるような垂涎のというか珠玉のというかそういう作品ばかりだった。2000年のライヴである本作はどうか。1曲目、おなじみのカリンバに導かれながら登場するマレイのテナーは力が抜けすぎているような気もするがそれもまたよし。そのあとに出てくるカリンバの一音一音が「ピカッ」と光っているような錯覚に陥るぐらいすばらしい。これもまたおなじみのカヒールの、うめき声というかヴォイスというか……そういうものがルーズなファンキーさをかもし出し、そこにマレイのテナーの生々しい音が乗ると、ああ、これはまさに一期一会の瞬間芸術だな、と思う。2曲目はゆるーいグルーヴで、カヒールがファルセットでずっと歌う4音のリフ(?)が不気味な曲。3曲目はコンガで、コンガという楽器は名手が扱うと、シンプルに叩いていてるだけなのにものすごく深いグルーヴが浮かび上がる。カヒールのヴォイスとマレイのテナーがプリミティヴな音階のなかでからみあう。4、5、6、あたりはジャズ的なリズムに対してマレイがこれもまたジャズ的なフレーズをぶつけるような演奏で(バスクラもあり)、いつもどおりのマレイ、という感じ。えらそうなことを言うようだが、もうちょっと殻を破るようなチャレンジングな演奏をしてくれたらなあと思わんでもない(すいませんね)。7曲目はマレイのガッツのあるブロウがかっこいい。8曲目はすごくいい曲で、マレイのモンク(?)的なくねくねしたラインが心地よい。熱気も十分だが、フリーキーに吹いてもいつもの枠からはみ出そうとしないので若干物足りないが本作の白眉といってもいい演奏かも。ラストの9曲目はコンガとバスクラによる演奏で、カヒールのボーカルもフィーチュアされるタイトルナンバー。マレイのバスクラも切れ味がある(とくにラスト近くのタンギング)。全体にとんでもない爆発はないが、カヒールのすばらしいリズムを味わうことができる作品。

「KAHIL EL’ZABAR’S AMERICA THE BEAUTIFUL」(SPIRITMUSE RECORDS SPM−KEZ005)
KAHIL EL’ZABAR

 カヒール・エルザバーの2020年における最新作にして、あのハミエット・ブルーイットのラストレコーディングが収録されている。ブルーイットは2018年の10月に亡くなっているので、本作のブルーイット参加曲(5曲ある)の録音はそれよりもまえだと思われる(録音日や場所は記載がない。マスタリングはロンドンで行われたようだが……)。1曲目は「アメリカ・ザ・ビューティフル」で、この曲名にカヒール・エルザバーの今の思いが込められていることはまちがいない。トランプ政権下でさまざまな問題が噴出し、そこに新形コロナによるパンデミックが追い打ちをかけ、かつてないほどの状況にある大国アメリカ(日本も大国ではないが状況は似たようなものだ)。しかし、カヒールはそんな状況でもただなげいてはいない。ここに聴かれる音楽は、悲しみに打ちひしがれるだけのものではない(十分、そうしてよいと思うのだが)。哀しく、そして力強い。カヒール・エルザバーのコンガが打ち鳴らされ、おなじみコーレイ・ウィルケス、ハミエット・ブルーイット、そしてアルトのデニス・ウィンスレットというひとによる3管編成にチェロとヴァイオリンが加わったアンサンブルが絡み合うように進行していく。2曲目のパーカッション群のカラフルなリズムとベースのオスティナート、そこに絡む幽玄かつ切れ味鋭いストリングス、そして音塊を力強くばらまくようなトランペットを聴いていると、これはまさにカヒール・エルザバーの音楽だ、という手応えを感じる。そして、コール・アンド・レスポンスなども巧妙に使われて熱量は次第に増していく。ヴァイオリンが無数の蛇のように駆け抜け、ミゲル・デ・ラ・セルナというひとの訥々としたキーボードがそのヴァイオリンと絡む。暗いところで呻いているような重い演奏だが、かっこいい。3曲目は一転して明るい曲調。アルトが楽しい雰囲気のソロをする。4曲目は「フリーダム・マーチ」という曲。パーカッションの叩き出すリズムは躍動感あふれているが、そこにバックがまったく同じ3音のリフをひたすら延々と繰り返す。こんなもんで行進できるかい! と言いたくなるような演奏だが、これがめちゃくちゃかっこいいのだ。徹頭徹尾フィーチュアされるブルーイットのバリトンはラストレコーディングとは思えないほど力強く、輝きに満ちている。しかもかなり長尺で、いかにもブルーイットらしい魅力が詰まっている。すごい! このアルバムの白眉といっていい演奏。こういうものを作り上げるカヒール・エルザバーの作曲〜アレンジ力というか、想像力に感動する。5曲目はコルトレーンの、というか、モンゴ・サンタマリアの「アフロ・ブルー」をモチーフにした曲。リズムは3拍子ではなく、アフリカっぽい、ざくざくと刻まれる3連符で、一種のチャントのような雰囲気もある。ここでもコーレイ・ウィルケスと弦楽器たちの交歓が繰り広げられるが、それはまるで古代の呪術儀式のようだ。そして、そのあとに登場するストリングスソロのかっこいいことよ。最後はトランペットと弦楽器が対決する二匹の怪物のように感じられてくる。最高ですね、この演奏。6曲目は美しいワルツで、タイトルの「破れたハートを癒すにはどうしたらよいのか」にふさわしい、癒しの曲である。しかし、その底にしみじみとした哀感がある。レスター・ボウイのあと今やシカゴの重鎮となった感のあるウィルケスあっての演奏。そして続く7曲目でもウィルケスの表現力のあるトランペットが大活躍する。弦楽器や訥弁なピアノと混じり合い、哀愁のある雰囲気を作り出す。8曲目はなぜか唐突にはじまる。「正当ではない苦しみへの祈り」というタイトルで3連のモード曲。全編エルザバー(と思われる)の素朴な笛がフィーチュアされる。ヴァイオリンが痙攣したような音を何度となくぶつけてこようと、笛は淡々と単純なメロディをつむいでいく。ラストはふたたび1曲目と同じ「アメリカ・ザ・ビューティフル」だが、こちらはボーカル入り(カヒール・エルザバーだろうか?)でファンキーな雰囲気。ピアノはこの曲だけ、ロバート・アーヴィン三世が弾いている。いろいろ考えさせられる一枚だった。

「SPIRIT GATHERER・TRIBUTE TO DON CHERRY」(SPIRITMUSE RECORDS SPM−KEZ010)
KAHIL EL’ZABAR’S ETHNIC HERITAGE ENSEMBLE

 エスニック・ヘリティッジ・アンサンブルの新作はドン・チェリー・トリビュート。相変わらずカヒール・エルザバーの強烈なリーダーシップのもとに展開するグレイト・ブラック・ミュージックである。メンバーはコーリー・ウィルクスのトランペットにアレック・ハーディングのバリトンサックスという最近としては不動のメンバーに加えて、ドン・チェリーの息子であるデヴィッド・オーネット・チェリー(昨年11月に本作録音後の同メンバーでのロンドンのライヴ後に死去。本作がラストレコーディング)とドワイト・トリブルが参加している。このグループの特徴のひとつは、管楽器2本とパーカッションという三人編成であることで、ベースなどがいないという個性的な編成が独特の音楽を生み出している……というのはみんな知っているとおりである。ベースもピアノもギターもいなくて大丈夫なのか? みたいに思うのは普通のジャズを聴き過ぎてるからであって、ほら、フリーっぽいセッションとかだと、もっとヘンテコな編成でどんどん曲とかやってるじゃないですか。ああいうノリをずっとキープし続けているのがこのバンドである。なので、演奏はどうしてもモードジャズ的になるが、そこがまたいいんですよねー。曲は、ドン・チェリーの曲のほか、エルザバーのオリジナル、モンクの曲(「ウェル・ユー・ニードント」)、ファラオ・サンダースの曲(「ハーヴェスト・タイム」)などであるが、すべてこのグループのやりかたにリアレンジされている。モンクのバップ曲などもモード的に解釈されているように思える。
 1曲目はその名も「ドン・チェリー」という曲で例によってカリンバの響きに導かれるオープニングから「ドン・チェリー……ドン・チェリー……ドン・チェリー」と繰り返し詠唱のごとくドンの名前がシンプルなメロディに載せて繰り返される。あとは管楽器や独特のスキャットなどがスカスカな空間を埋めていく。随所にデヴィッド・オーネット・チェリーのメロディカも聞こえ、いきなりこのバンドの面目躍如の演奏である。2曲目は意表をついて(?)「ロンリー・ウーマン」である(ドン・チェリーの曲が来るかと思ったらオーネットだった、という意味で)。これがめちゃくちゃかっこいいのである。トランペットとバリトンサックスによるテーマの吹き方を聴いているだけで感動する。歌詞もついていて、(たぶん)ドワイト・トリブルが歌いあげる。デヴィッド・オーネット・チェリーはピアノを弾いている。3曲目はひたすら短いリフを繰り返すことでこのバンドならではのグルーヴが生まれる曲。4曲目はドン・チェリーの「デジ・デジ」(「ブラウン・ライス」でやってるやつ)である。ドン・チェリーの「オリジナル民族音楽」みたいな、こんなことができるのはドン・チェリーだけ、みたいなオリジナリティの塊のような演奏に比べると、エルザバーならではのアフリカっぽさ(?)というかプリミティヴな感じが強いかも。とにかくグルーヴの洪水。そんななかをコーリー・ウィルクスのトランペットが響き渡る。かっこいい! 5曲目は「至上の愛のスケッチ」というタイトルで、コルトレーンの「至上の愛」のパート1のリフの変形をバリトンが延々吹く。ボーカルもフィーチュアされ、これも「至上の愛」をアフリカ的に解釈した、と言えるかも。ウィルクスの絞り出すような高音でのソロ、ハーディングののたうち回るようなソロが最後のボーカルに集約されていく。6曲目は「バップ・オン」というタイトルだが、コンガの圧倒的な躍動に載せて、バリトンがブロウする。そのバックでオーネット・チェリーがかなりエグいピアノを弾き続けているのもかっこいい。7曲目も呪術的なリフを主体にした曲でバラフォンが延々と鳴り渡り、「ホーリー・メン」という言葉がときどき投げかけられる。8曲目はモンクの「ウェル・ユー・ニードント」なのだが、すべての土台であるコンガのリズムが4ビートではなく、ニューオリンズ音楽のようにはねるような独特のビートであるせいかモードジャズっぽく聞こえる。トランペットもバリトンサックスも個性丸出しのソロで、げらげら笑いながらコンガを叩き続け、ときに歌うカヒール・エルザバーは凄すぎる。モンクの世界が完全にエルザバーの世界になってしまっている。本作中の白眉のひとつかも。9曲目は3人だけで奏でられる幻想的というか神秘的なバラード。カリンバが秋の虫の音のように蕭条と響く。カヒール・エルザバーのボーカルが重い。10曲目はファラオ・サンダースの曲で、(たぶん)バラフォンによる軽快なリズムが提示され、ピアノをバックに「豊穣な時だ」とボーカルが歌い上げる。全員の一体感が感じられるまっすぐで感動的な演奏。ラストの11曲目タイトル曲は重たいグルーヴがこれまた延々続く感じの曲で、ここまでのアルバムのすべての要素が集約されたような演奏。全員すばらしい。タイトルはカヒール・エルザバーのライナーを読んだかぎりではドン・チェリーのことを示していようで、「魂を集めるひと」みたいな意味なのかな。
 まさにドン・チェリー讃歌で、表面を撫でたような部分は一カ所もなく、ドン・チェリーの音楽の深いところを掴んでいて、しかもカヒール・エルザバーの、というかエスニック・ヘリテッジ・アンサンブルの音楽になっているところがすごい。さすがさすがのアルバムでめちゃくちゃ気に入りました。傑作!

「IMPRESSIONS」(RED RECORDS RR 1231156−2)
ETHNIC HERITAGE ENSEMBLE

 このアルバム、最高です! もっとも初期のエスニック・ヘリテッジ・アンサンブルのアルバム(2枚目)。全曲「インプレッションズ」となっているがコルトレーンのアレではない。作曲はすべて「エスニック・ヘリテッジ・アンサンブル」名義になっているので、全編即興かと思うかもしれないが、全部コンポジションだと思う。アレンジもしっかりしている。エスニック・ヘリテッジ・アンサンブルというのはカヒールのパーカッションと管楽器ふたりという編成をかたくなに守って数十年……というグループだが、管楽器はそのときどきで入れ替わる。そして、その全員がひとくせもふたくせもある、カヒールのお眼鏡にかなった連中で、そのこだわりぶりにはただただ敬意を表するしかない。ヘンリー・ハフはテナーも吹くひとだがここではソプラノ(とパーカッション類)に徹している(と書いてあるが実際はそうでもない感じ)。エド・ウィルカーソンはテナーとウッドウインズと書いてあるが、テナーもウッドウインズやんけ、と思うひともいるだろう。私もそう思ったが、要するにテナーがほとんどだということでしょうね。ピアノもウィルカーソンが弾いている。
 1曲目はいきなりディジリドゥみたいな感じの音(サックスとかのマウピを外して吹いているのかも)とキラキラしたなんだかよくわからないパーカッションではじまるが、これが最高なのです。そのあとふわふわした不思議なテーマ(バスクラとクラリネットか?)。ああ、これですね、これがこのバンドの感じである。とにかくこの1曲目で完全に心をつかまれる。すばらしい。2曲目はカリンバがお経のように響くイントロから、2管+カリンバによる絶妙な演奏になる。たった3人で(オーバーダビングもあるかも)この法悦境を生み出すというのは、従来の「ジャズ」的な発想を飛び越えたカヒールたちが切り開いた世界としか言いようがない。本当にすごい。3曲目も3人だけで到達した世界観で、これこそワン・アンド・オンリーとしか言いようがない。こんなリフだけでなあ……と「音楽」というものの深さをしみじみと思う……大げさと思うかもしれないがマジでそんな感じです。ウィルカーソンがブチ切れたようなテナーソロをぶちかます。あいかわらずのカヒールの構成力のたまものといっていい曲だと思う。4曲目もカリンバがファンタジー世界にリスナーを誘導する。ハーメルンの笛吹きのようである。ウィルカーソンのバスクラとハフの(尺八みたいな)フルートもそれに加わる。幻想的、という言葉がぴったりな気がするが、世俗すぎる気もする。至福の瞬間である。唐突に終わるが、もっと延々と聴きたかった。5曲目はパーカッションの鋭い響きからはじまり、フルートが加わるが、そのあとカヒールのポエットリーディングになる。そして、力強い2管のアンサンブルになるが、全体にアフリカ的な響きを感じる。6曲目はパーカッションとテナーによる「インターステラー・スペース」的なパワーにあふれたデュオ。カヒールのスピード感のあるコンガが延々とぶちかまされて快感である。ラストの7曲目はフルートの独奏ではじまる。フルートと(サブトーン)のクラリネットのシンプルなデュオによってこれだけの感動的な演奏が生み出されているというのはすごい! というわけで、いつもいつも言うことながら、これがたった3人(しかもベース、ピアノ、ギターなどがいない)で生み出されている音楽というのは奇跡だと思う。このバンドの音楽はある意味ジャズ史を変えたといっていいぐらいのすごいことを成し遂げた……と思っているのは私だけでしょうか。傑作!

「KAHIL EL’ZABAR’S SPIRIT GROOVE FT.DAVID MURRAY」(SPIRITMUSE RECORDS SPM−KEZ003)
KAHIL EL’ZABAR

 カヒール・エルザバーはデヴィッド・マレイと多くの共演盤があるが、どれもすばらしい。マレイは長いあいだ創造的な活動を行っているが、安直な作品もかなりあるように思う。しかし、エルザバーとの共作はどれもいい。本作はカヒールのパーカッションにベース、ピアノ(シンセなども)、そしてマレイのテナーというカルテットで、ある意味ジャズの王道的な編成だが、一曲目(20分を越える演奏)、いきなりカヒールのサムピアノから始まるこのサウンドはまさにカヒールならでは、であって、正直、こういうのを聴いてるだけでカヒールを聞く喜びというのは満たされてしまうのだ。このまま30分、いや1時間が続いても満足するだろう。フリージャズとかスピリチュアルジャズとかなんだとかかんだとかいっても、このサウンド以上の説得力はなかなかないですよ。マレイのテナーもそのあたりを十分心得ていて、3分を過ぎたあたりから登場するが、フリーキーなトーンも交えているのに、完璧にミディアムテンポのアフロアメリカンなグルーヴのひとりとなる。マレイは、カヒールの音楽性に「合っている」のだ。カヒールのヴォイスはここでも炸裂しており、ピアノのジャスティン・ディラードとベースのエマ・デイハフの手堅いサポートのうえで子どもが遊ぶような自由な演奏を繰り広げている。私は正直、「スピリチュアルジャズ」という言葉にはフリージャズと同じぐらい抵抗があり、使いかたには気を付けねばならないと思っているのだが(本作のタイトルなど、このひとたちが使うから納得という感じなのであります)、こういった「子どもが遊ぶような音楽」をスピリチュアルジャズと呼ぶなら、それもまたよしである。ラストに向けて、心(?)がぴったりあったカヒールのボーカルとマレイのテナーはまさしく「デュオ」というにふさわしい演奏である。2曲目はマレイが端正なテナーをずっと吹く曲で、おそらくベーシックなトラックにカヒールとマレイがのってインプロヴァイズドした演奏だと思うが、マレイはまったくフリーキーな咆哮をしないので、かなりコテコテというか濃い演奏になっている。めちゃくちゃ息の合った濃密きわまりないデュオで、ベースとピアノは完全に伴奏に徹している。これは凄いです。3曲目はベースとドラムのパターン的グルーヴのうえにピアノ(オルガン?)が延々と間をいかしたそれこそ「スピリチュアル」なソロをする。そして、ピアノやビブラホンの音にチェンジしてからも、そういう空気がずっと続く。最後にマレイがかなりエグいブロウをするが、それもこのカルテットの音楽を壊すことなく、空気のように溶け込んでいく絶妙の演奏なのである。4曲目の冒頭はカヒールのカリンバが大きくフィーチュアされる。マレイのテナーもフロントというより参加楽器のひとりとして扱われているように思わる。それがまたいいんです。まるで雅楽のような雰囲気のなかをマレイが叫んだり、つぶやいたり、朗々となにかを述べたり、早口で主張したり……という場面が延々と続くのが感動を呼ぶ。最後はカヒールのサムピアノが締めくくる。5曲目はゆったりとした大河のようなグルーヴが押し寄せる。カヒールが「イン・ザ・スピリット……」と呟き、笑う。マレイのテナーもゆったりと乗る。正直、ただそれだけでなにも起きないのだが、なんともいい気分の演奏で、永久に聴いていたいと思わせる。6曲目は「トレーン・イン・マインド」つまり我が心のコルトレーンという曲で、ちょっとカズン・メアリーに似ているがマイナーブルースではない。本作のなかではかなりオーソドックスなジャズ寄りの演奏。最後の7曲目はライヴ。楽しいノリでカヒールのボーカルを全面的にフィーチュアしたポップ(?)な曲調だが、軽いわけではない。歌詞もシリアスだ。それにしてもなんといういい声なのだろう。マレイの音も遠くから木魂のように聞こえてくる感じの録音で、その感じはとてもいい。
 というわけで、やはり「カヒール・エルザバー〜デヴィッド・マレイに外れなし」であった。マレイのテナーは「フラワーズ・フォー・アルバート」のころからある意味変わっていないようなソノリティである。引き締まった低音は心地よいし、深いビブラートも、フラジオ部でのフレージングも健在……というか復調して、今、ふたたび絶頂期が巡ってきたかのようなすばらしさだ。しかも、いつものようなギョエーッというあまり意味のないフリークトーンばかり連発することもなく(ほぼ封印されている)、カヒールのパーッカションとボーカルにひたと寄り添っているかのようだ。すばらしい。傑作。

「OPEN ME,A HIGHER CONSCIOUSNESS OF SOUND AND SPIRIT」(SPIRITMUSE RECORDS SPM−KEZO11)
KAHIL EL’ZABAR’S ETHNIC HERITAGE ENSEMBLE

 エスニック・ヘリティッジ・アンサンブルの50周年(?)記念アルバム。1曲目は例によってカリンバに誘われるイントロからはじまる「オール・ブルース」だが、原曲などに比べてもめちゃくちゃゆっくりで心地よい。このテンポはかなりむずかしいと思うが、もちろんこのメンバーは苦もなくグルーヴしてみせるのだ。コーリー・ウィルキスのミュートトランペットはマイルスを模しているのだろう(マイルスに捧げるアルバムを作ったひとですから)。カリンバソロも、本当に単純な音使いなのだが、ものすごくよくて、脳内物質が出まくる。いやー、これですね。エスニック・ヘリティッジ・アンサンブルは、というかカヒール・エルザバーといえばこのサウンドであり、このグルーヴなのだ。2曲目はゆったりとしたリフが延々続き、一種の催眠状態に誘われるような演奏。アレックス・ハーディングのバリトンは、ぶりぶりのジャズフレーズをキメることもできるのだが、こういう演奏ではアリ・ブラウンやアーネスト・ドーキンスのようなダルい魅力を発揮する。3曲目もシンプルなリフが呪術的に続き、カヒールのボーカルが祈祷師のように全員を暗く、深い世界に導いていく。蝋燭が立っているぐらいのほの暗い明かりのしたで、皆がゆるゆると踊っている光景が目に浮かぶ。4曲目はバリトンのバンプをベースにした曲で、そのうえをトランペットと弦楽器がテーマを演奏するのだが、これもなんともいえないダルい、ゆるい雰囲気で、音作りとしてはスカスカだ。チェロ(?)の茫洋としたソロ、トランペットの輝かしいソロ、バリトンの咆哮など、どれも短いがそれぞれ自己を主張しているが、それがアンサンブルのなかに溶け込んでいる。がっつり融合、というより、スープに出汁が出ているような感じの無理のない自然な溶け込み方だ。この曲「リターン・オブ・ザ・ロスト・トライブ」はカラパルーシャの入ったブライト・モーメンツというグループでも演奏されていた(タイトル曲になっていた)。デヴィッド・マレイのグループでも吹き込まれているようだ。5曲目は速いテンポのコンガとベースラインが印象的な、ちょっとバップ風味もある曲でヴァイオリンが大活躍する。バリトンのブロウもかっこいい。6曲目は重厚な、まるで宗教歌のような曲調で、2音だけのベースが遥か太古の神事のような神秘性を感じさせる、まさにこのグループの真骨頂。そこにエルザバーの唸りというか呻きが加わると、このまま延々と聞き続けたいと思うぐらいのスローなグルーヴに浸れる。いつも思うことだが、こういう演奏やファラオ・サンダースなどの演奏の上澄みを取って、「スピリチュアルジャズ」と称しているような音楽(パーカッションのポリリズム、民族楽器の使用、パターンのベースライン、モーダルなテーマ、ときどきフリーキーな感じを挟む、等々……)はけっこう多いが、やはり言葉としてどうも受け入れがたい。しかし、エスニック・ヘリティッジ・アンサンブルの音楽を「スピリチュアル・ジャズ」と呼ぶのは「まさにその通り」と言いたくなる。7曲目もカリンバに導かれてはじまる曲だが、タイトルはまさかの「グレイト・ブラック・ミュージック」。そのものずばりではないですか。このカリンバの三連符が延々続き、そこに単純なリフがときどき入り、それぞれの楽器が合いの手(?)を入れる……という曲調で、このスカスカ具合はやっぱり「アフリカ」という言葉を思い浮かべざるをえない。この曲にこういうタイトルをつけるエルザバーの感覚が面白い。8曲目はマッコイの「パッション・ダンス」で、これもテンポのせいか、ややゆるゆるなグルーヴの演奏ですごくいい。テーマのあとバリトンとトランペットのチェイスになり、ヴァイオリンのなんというか自由きままな雰囲気のソロが続く。カヒール・エルザバーのドラムもいい感じに皆をプッシュしている……がなぜか唐突に終演する(ファイドアウトというのでもなく、いきなり終わる)。9曲目は「オーネット」という曲で、もちろんオーネット・コールマンに捧げられた曲なのだろう。コンガの跳ねるビートのうえでチェロ(ビオラ?)、バリトン、トランペットとソロが続くが、ベースはラインというより好き勝手にソロにからむ感じで、なるほどこういうのが「オーネット」なんだろうな、と思った。コンガソロもすごくいい。シンプルに叩いてるだけのソロだが、これがなんともいえない。最後の部分で「オーネット・コールマン……オーネット・コールマン……」と呪文のように繰り返されるのもなんだかわからないがすごい。10曲目はジーン・マクダニエルズの有名曲「コンペアド・トゥ・ファット」(レス・マッキャンとエディ・ハリスの「スイス・ムーブメント」でマッキャンが歌ってるやつ)で、各種のパーカッションやバリトンのバンプ、祈祷師の呪文のようなボーカルが合わさって、まるで原曲のイメージとちがう(とは言い切れんか……)呪術的な演奏になっている。これもやはりアフリカ的だ。トーキングドラムが響いているような錯覚さえ覚える。バリトンや弦楽器のコレクティヴなソロもヴォイスもなにもかも溶け合って独自の世界観を作り上げている。11曲目はジャズ的なリズムが重々しく躍動する曲。最後は例によってぷっつりと終わる。ラストの12曲目もアフリカっぽいリズムのうえで各楽器やヴォイスがからみあう。全体に、ひとつの組曲のように統一感があり、これはどの曲とか意識せずに延々といつまでも聴いていられるのは、やはり彼らの作りだすグルーヴの賜物だろう。レギュラーメンバーに加えてジェイムズ・サンダースのヴァイオリンとイシュマド・アリのチェロがいい味を出している。今後も末永く続いてほしいです!