martin escalante

「LACERATE」(UGEXPLODE RECORDS UG73)
MARTIN ESCALANTE + WEASEL WALTER

 まったく知らなかったメキシコのアルト奏者。大友良英さんがすごいすごいと言い、共演した小埜涼子さんが絶対見逃すなと言っているのをツイッターで読み、これは行くしかないと思った。いろいろあってどう考えても出かけられるような状況ではなかったのだが、這うようにして京都まで行き、「外」という小さなライヴハウスに。京都は不案内なので、四条のあたり以外はまったくわからんのだが、とにかくバスを降りてから30分ぐらいさまよったあげくたどりついたら、もう満席。しかもどんどん客が増えて半分以上立ち見。マルティン・エスカレンテ、えらい人気やん! というわけで、対バンの「空間現代」というバンドが終わったあと(コンセプトがすごく面白かった)、わくわくしながら登場を待っていたら、最初はソロ。アルトサックスのネックを取り去り、管本体に金属製の短い筒のようなものをはめこみ(ネット情報ではメタルクラリネットの部品)、そこにマウスピースを垂直に差し込んでいる。よくフリー系のサックス奏者は演奏中にネックを外して管本体にマウスピースをくっつけるようにして吹く……ということをやるが、それは一時的な効果を挙げるため、や、サウンドの変化が欲しいためにやるわけだが、このひとはそれがデフォルトなのである。つまり、ストレートアルトの先端が曲がっている、というか、サクセロ的というか、まあ、こんな楽器は存在しないわけで、それに徹しようというだけで「変わってる」のがありありとわかる。どういうことなのだろう。カン・テーファンのように座って吹いたり(あぐらはかかないけど)、立って吹いたり……と行動はかなりちょこまかしているが、出てくる音は一貫してひたすらフリーキーだ。マウスピースが真っ直ぐということは、安定した姿勢で吹くことはできず、つねに首は下を向いている状態だ。だが、そのほうが息がまっすぐ入る……とかいったこのひとなりの理屈があるのだろう。とにかくずっとひたすら徹頭徹尾フリークトーンで、マルチフォニックスといってもきちんとした指使いでこういう運指だとこう……という感じではなく、かなりの確率で出たとこ勝負な雰囲気である。なんかこんな変な音が出たので、つぎはそれに対してこういう風に……あ、また変な音が出たので……という自分で自分の音に反応してつぎに続けていく感じであり、コントロールできていないところを逆に「よし」としているような演奏である。これはすごい。自分で自分に振り回されている。それによって共演者もこのひとに振り回される。これこそ即興であり、これこそアナーキーだ。ずっとグロウルしていて(それがたぶんノイズの大きな要因)、たぶんかなりしんどいと思うが(大友さんも、マルティンのロングソロが終わったあと「大丈夫?」と言っていた)、これがこのひとのスタイルなのだなあ。「徹する」ということはすごいことだ。だって、このアルト、ネックを取ってしまってるからほかの楽器と音程を合わせられないだろう。こういうギャーッ、グワー、ブキョキョキョキョ、ベー、ピーガー……という演奏だけのために特化したセッティングなのだ。なんとすがすがしい! なんと思い切りのいい! しかし、メキシコにいて、どうやってこういう演奏スタイルになったのだろう。不思議ふしぎ。本当は終わってから本人にいろいろきいたらいいのかもしれないけど、当方めちゃくちゃ人見知りなのでどうしてもそんなことはできないのである。終わったらとっとと帰って四条河原町で飯を食おうと思ったが(朝からなにも食べていなかった)、王将とか長崎ちゃんぽんとかモスバーガーとかいった私が入れそうなたいがいの店は終わっていて、しかたなく梅田まで出て、ケンタッキーでチキンバーガーを買い、終電で家に帰った。いや、そんなことはどうでもいいのだが、とにかく本人になんにもきけなかったので、アクティヴというか社交的なかたはちゃんといろいろきいて、それを教えてほしいわけです。で、そのときの物販も、なの予備知識もなく、だれも教えてくれなかったので、本当に動物的勘で、犬の写真のジャケットのアルバムを適当に2枚買った。それがよかったのかどうかわからんけど、本作はヴィーゼル・ウォルターとのデュオなので、ほぼ保証されているといっていい。で、聴いてみると……いやー、卒倒しました。ライヴも凄かったけど、こうしてバランスよくきっちり録音されたものを聴いてみると迫力も倍増で、このひとのやりたいことがびしびし伝わってくる。ライヴを聴いてたときは正直、カン・テーファン同様、「ソロのひと」という印象だったが、本作を聞くかぎりではそんなことはない。ドラムとのコミュニケーションはばっちりで、本当にすばらしい。もう一回ぐらいライヴを観れたらいろいろわかってくるのかもなあ、と思ったが、とにかく本作は傑作だと思う。傑作は傑作なのだが、とにかく「やかましーっ!」と叫びたくなるアコースティックノイズの嵐である。1曲目冒頭から度肝を抜かれる。そういえば、小埜涼子さんもこのひととのコラボのやりかたについていろいろ書いておられたし、吉田達也さんとの演奏をツイッターでちらりと見たが、それもコラボぶりが興味深かった。うーん、なるほど。きっとこのひとはこれからどんどん世界的なミュージシャンになっていくにちがいない。初来日を聞くことができて本当にありがたく、うれしい。で、本作はとにかくめちゃくちゃ傑作なのでみんな聞いてね! 聴いてると興奮のルツボである。あのですね、この世にはいろいろ複雑な音楽とか和声とか新しいビートとかヒップホップとかラップとかドラムベースとかあるわけだが、「これでええんとちゃう? わしら、これでいきまっせ」感がものすごーくある演奏。古い? いや、古くない。新しい? それは知らん。全力でこの演奏を支持する。ヴィーゼル・ウォルターもめちゃくちゃ凄い! ……というような感想を抱いていたわけだが……正直、このアルバムを何度も聴いているうちに(ほんまに10回以上聴いたけど飽きないどころかもっと聴きたい)、「めちゃくちゃではちゃめちゃでアナーキー」だと思っていたのにじつは自分がやっていることをしっかりコントロールして(かなり高次元の意味だが)、ある意味クールに演奏しているのだなあとも思った(6曲目とかを聴くとよくわかる)。ヴィーゼル・ウォルターはすごいテクニシャンだし、エスカランテも世間によくあるでたらめでなりゆき任せのインプロとは違ってビシッと筋の通った演奏である。成り行き任せだったとしたら、こういう具合に(9曲目など顕著)次第しだいに盛り上がっていく、という積み重ねというか構成を取れない。即興演奏家として、「つぎの展開」を頭に入れたうえでドラマを作り出しているのだから、クールと言ってもおかしくないでしょう。アコースティックノイズは世界を救う。本気でそう思わせてくれる演奏。でも、たった44分しか収録されていない、今のCDとしてはかなり短いのだが、この44分は相当密度が濃い、阿鼻叫喚の44分だということを忠告しておきたい。覚悟して聴け! 傑作! ただ、私はこのジャケットが犬だと思っていたが、狼なのか? 裏ジャケの写真は変。

「SNOWCONE」(SPLOOSH RECORDS SPLOOSH−04)
MARTIN ESCALANTE

 マルティン・エスカランテとベースのオリヴァー・スタインベルグのデュオ。ものすごく短い曲ばかり17曲入っている。エスカランテの音、というかアコースティックノイズのあまりの生々しさに言葉を失う。彼が特殊なセッティングのサックスから引きずりだす特殊な音の数々はとにかくやたら説得力があって、こんなもん際物やで、と言おうとするひとたちを沈黙させる。ただただ暴力的にめちゃくちゃやってるのではないのだ。しかし、どう聴いてもただただ暴力的にめちゃくちゃやってるとしか聴こえない。そこが凄いのだ。ためらいがなく、一直線……のように聴こえる。でも、じつはその途中で捻じ曲がっている。インタープレイもちゃんとある。いや、じつはインタープレイしかないのかもしれない。このひとがこういうプレイを真剣に、肉体を鍛えて行っている、ということについては、ひたすら気の狂ったようなノイズを吹きまくったあと、ピタッと別のフレーズを吹いていることでもわかる。これだけ絶叫的なブロウをしまくったら、唇がしまらなくなるのだが、そういうことは一切ないのだ。いやー、マッチョですね。だが……そういうことすべてをわかったうえで言わせていただこう。「頭おかしい」と。あああああ……一回しかライヴに行けなかったことが悔やまれる。この、アホなサックス奏者の生音をまた聴きたい。物販で買ったアルバムは、適当に買ったにもかかわらず本作も含めて全部すばらしかった。そして、そのアホなサックスを煽るコントラバスもすばらしい。しかし、とにかくこのめちゃくちゃなおっさんのギョエエエエエエエエエエ……というブロウにすべてがある。このノイズに宇宙があり、宇宙はこのノイズのなかにある。サックスのノイズ……それは俗であり崇高なのだ。ビッグ・ジェイ・マクニーリーやアーネット・コブ、ローランド・カーク、そしてファラオ・サンダースたちは伝道師としてそのことをひとびとに示してきたが、マルティン・エスカランテはその伝道師のひとりだといえるだろう。スクリーム! スクリーム! スクリーム! とてつもないエネルギーの無駄遣い。すばらしい! 傑作!

「MNE IS NOT NME」(LOVE EARTH MUSIC LEM−367)
MNE

 非常階段のT.美川、ダウト社長の沼田順、変態改造アルトの使い手マーティン・エスカランテのトリオ「NME」によるBAR ISSHEEでのライヴ。今回の来日は関西に来なかったので見ることができなかったが、こうしてそのときの音源を聴くことができた。うれしいうれしい。こういうノイズ系でサックスが入るときは、音を加工したりすることが多いと思うが、エスカランテはほぼ生音でまるでエレクトロニクスのような壮絶なノイズを展開するのだ。そういうことに「なんの意味があるの?」という問いはもっともであるが、それははっきり言って、「見たらわかる」と思う。このひとの気が狂ったようなひたむきな改造アルトによる生音ノイズへの取り組みは、結果的にすばらしく、凄まじいのだが、なんでそんなことをやるのかと言われてもだれも答えられないだろう。しかし、見たら即座に、ああ、なるほどと理解できる。当然のことながら、生音でこれだけのめちゃくちゃなことをするのだから肉体的にかなり無理があるのはたぶんだれでもわかる。私が見たとき、一曲終わったあと共演の大友さんが「だいじょうぶ?」と言ったのを思い出す。しかし、この肉体を痛めつけ、振り絞るように延々吹きまくる(文字通り「延々」なのだ)演奏は感動を呼ぶ。ある意味、インドの行者のように身体をいじめ、痛めつけ、過酷な状況において、それを耐えることで宗教的な法悦を得るのだ。いや、ちょっと待て。そんなことではないぞ。エスカランテの演奏は、楽器も変だし、やってることもおかしいが、そういう「絵」を見ることなくただ音だけを聴いてもちゃんとすばらしいのです! そして今回は(というか今回も)そういうことをわかっている共演者がふたり、容赦なく音をぶつけてくる。三人のあいだに行き交う音、音、音……の猛烈なスピードは、ジャズのインタープレイを高速度で行なっているようなもんで、俺が俺がの世界とおまえがおまえがの世界がちゃんと両立していてすごい。しかし、即興音楽としてきちんと構成されていて、ある意味クールネスも感じさせるというのは、やはりこの三人が互いの音をしっかり聞き合いながら自分の音を出しているからで、そこには一瞬の躊躇もない。普通はあるやろ、躊躇。こっちの方がいいかな、いやこっちかな、あー、こっちだったか……みたいな。しかし、ここにはそれがない。あまりに交感が速すぎるというのも理由だろうが、要するに「そういう音楽」なのだ。すごいよねー。あー、観にいきたかった。来年(2025)5月にまた来日するらしいので、そのときは関西にも来てほしいです。傑作! 三人対等な作品だと思うが、便宜上エスカランテの項に入れました。タイトルも頭おかしい感じです。