sleepy john estes

「THE LEGEND OF SLEEPY JOHN ESTES」(DELMARK PA−3011)
SLEEPY JOHN ESTES

 盲目で、再発見されたときには、電気も水道もない家で貧乏のどん底の悲惨な暮らしをしていたと伝えられるスリーピー・ジョン。中村とうようのライナーノートにも、こんな悲惨なブルースがあろうか、みたいな調子で、彼の演奏が極貧のなかから生まれる真実である的な書かれかたをしている。たしかに一曲目の「ラット・イン・マイ・キッチン」は、ネズミが無数に走り騒ぐ台所を歌った歌詞の悲惨さはなんともいえないが、その奥の奥には、同居者であるネズミたちに憎しみ、うっとうしさ……それだけでなく若干の同居者意識があるようにも思う。そして、それ以外の曲は、極貧状態で発見され、ギターを持つのも何十年ぶり、みたいな書かれかたに反して、じつに力強く、明るく、しっかりしたリズムのある演奏である。悲惨なブルースという売り文句(?)とは反対に、明朗で、かっこよく、スウィンギーである。もちろんその底辺には悲哀があるのかもしれないが、あまりどろどろした悲惨さは感じないのである。だからこそ、この演奏はすばらしい……というとなに言うとんねんと言われるかもしれないが、そういう風に私には聞こえる。しかし、この極貧のジジイが、再発見されたあと、あれよあれよとメジャーな場所にひっぱりだされ、来日までしたのだから、人生というのはわからんものだなあ、としみじみ思う。この「スリーピー・ジョン・エスティスの伝説」を聴くときには、いつも、そういった意味でのパワーをもらうのだ。バンク・ジョンソンやサンハウスからも、私は、演奏そのものだけでなく、人生って捨てたもんやないで、とか、音楽って一度やめてもまたできるもんやで、みたいな意欲というか力をもらっているのである。