peter evans

「DESTINATION:VOID」(MM141)
PETER EVANS QUINTET

 昨年長期間来日して多くの音楽的成果を残していったピーター・エヴァンスだが、個人的にはこのアルバムがあまりに好きすぎて、ピーター・エヴァンスのアルバムをなにか聴こうとするときはほぼこのアルバムに手が伸びてしまう。おかげで、ほかのやつがあまり聴けない。なにがそんなにいいのか。作曲と即興のバランスか。曲の尖り加減か。ノイズの混じり具合の心地よさか。エレクトロニクスとアコースティックのせめぎあいか。ドラムやピアノの凄さか。トランペットのトランペットらしからぬ演奏か、トランペットらしい部分か。五人のインタープレイか、ソロの突出か。まあ、すべてを仕掛けたリーダーの音楽性がすばらしい、というのは当然だが、こんな風になにからなにまですばらしいアルバムはなかなかない。で、このアルバムを聴くときはいつも思うのだが、1曲目はエヴァン・パーカーに捧げられていて、そのことが先入観としてあるのかもしれないが、とにかくサックス的なトランペットの演奏である(全部が全部ではない)。吹き出したところのロングトーンなんか、ソプラノサックスか? と聞き間違うぐらい似ている。しかも、フリーインプロヴァイズドなソロもエヴァン・パーカーと似てる。こういう風に、あるひとの演奏をべつのだれかの演奏に例えたり、似ている、と言ってしまうことほど危険なことはないが、この文章はただのブログ(?)なのでいつも思っていることを書いてしまった。もちろん(言うまでもないが)金管的な音色、フレーズその他を満喫できるような演奏もたくさん入っている。なにが言いたいかというと、ピーター・エヴァンスがトランペットによる即興演奏家として、ひとつ突き抜けた場所にいる、ということだ。それはサックスに似てる、とかいった表層的なこととはちがってて(ちがうんかい)、ほかのトランペット奏者とはちがったいろいろな表現方法を手に入れているということなのです。このことを言い出すとテクニックの話になっていくし、私はトランペット奏者ではないので具体的に語ることができないので、このへんでやめておきますが。とにかくすんばらしいアルバムなので多くのひとに聴いてほしい(とくにトランペット奏者。関西でのライヴには、プロアマ問わずトランペット奏者の姿をほとんど見受けなかったのは不思議)。びっくりしてひっくり返るような傑作!

「PULVERIZE THE SOUND」(RELATIVE PITCH RECORDS RPR1039)
PETER EVANS/TIM DAHL/MIKE PRIDE

 今年のメールスのライヴを観たが、来日時に感じたあの「ひょえーっ、すげーっ」感が増幅されているので驚愕した。ソロパフォーマンスでは、ホールのどこか(よくわからん)にある足場みたいなところの一角でトランペットを隙間から突き出し、吹きまくっていた。ピックアップがあるから今はどんなところでもそういうことができるのですね。その演奏にもほとほと呆れたが、ジョセフィン・ボードというリコーダー奏者(めちゃくちゃ変な楽器を吹いたり、歌ったりする)、津山篤、吉田達也、そしてエヴァンスというセットでのエヴァンスも凄まじくて、いやもう、呆れかえった(ほかの三人も魔物のように凄かった。いいものを観た。観たといってもネットでだが)。このアルバムもエヴァンス来日時にゲットしたのだが、その直後に二枚目が出てて、そっちはもっと凄い、というのは話には聞いているがなにしろ入手できないんだからしょうがない。そういうのはレーベル直に頼むようなマニアックなひとたちにお任せして、私はまあ、普通に聴ける範囲のもので楽しめばいいや……などということではやはり満足できないのであって、とくにこのアルバムがめちゃくちゃすごいので、どうしても二枚目を聞きたい。でも聴けない。まあ、そんな感じのなか、今年のメールスの実況があったので、ああ、たぶんその2枚目よりも今のエヴァンスは超えていってるんだろうなあ、と思ったりした。こういう、ミュージシャンがどんどん進化していく過程に出会えるというのは幸福である。というわけで、本作だが、タイトル(というかバンド名?)どおり、ぐちゃっー、げぼーっ、ぎきききき、ドギャーッ、というサウンドだが、まえも書いたかもしれないけど、従来はそういうのはおもにサックスが担っていたのだ。しかし、エヴァンスはそういうサウンドを完璧にトランペットから出せるうえ、トランペットとしての(だけの?)ノイズももちろん完璧に心得ているので鬼に金棒であり、ブリリアントな金管楽器としての魅力も存分に持ち合わせている。そのうえ、「ジャズ」トランペッター的なリズムに乗った複雑で長いフレージングもめちゃくちゃ上手いし、譜面もばりばりで、これ以上付け加えるものはない。循環呼吸とかダブルタンギングとかいったクラカシルなテクニックに関しても、あまりに普通に使っているのでわかりにくいが、とにかく音楽的な使い方をしている。現在のフリージャズ〜インプロヴァイズドミュージック〜ノイズシーンを俯瞰しても、突出して圧倒的なプレイヤーだと思う。しかも、演奏におけるアイデアが過激で、冴え渡っている。コンポジションの凄さも際立っている(変拍子とか自由自在。2曲目を聴いてぶったまげた。しかも、三人が曲を提供していて、それぞれに個性的ですばらしい!)。そして、ベースもドラムも完全にエヴァンスの意を汲んで「ぴたっ」とした演奏を行っている。なんだかんだ理屈をつけたりしても、しかたがないと思う。なにしろ「かっこいい」のだから。「なんだかわからないけどかっこいい」ものに対して批評は無力であろう。なぜならそもそも「なんだかわからない」のだから。3曲目はコンポジションと即興のハザマで展開がどんどん変わっていき、説明することは無意味である。とにかく三人の緊密でなめらかで流動的で猛スピードの動きを堪能できる。この凄まじい演奏を聴いていると、ピーター・エヴァンスはトランペット表現の(あえてトランペット即興のとは言わん)新しい地平を切り開いたように思う。紋切り型の言い方だが、実際そうじゃないでしょうか。マルサリスと比較するのは変だが、あのひとが登場したとき、プロアマ問わずすべてのトランペット奏者はいろいろな選択を強いられたはず。ピーター・エヴァンスもそういう存在かもしれない。いろいろ突きつけてくるなあ。4曲目も同じで、三人による一糸乱れぬ変拍子のコンポジション、循環呼吸や特殊奏法の嵐、ノイズ、変なエフェクト……などめくるめくジェットコースターが体験できる。構成も含めて、ほんとに上手い。5曲目もいきなりフラッタータンギング的な特殊奏法ではじまるが、いやー、変な曲やなあ。タタッ、タタッ、タタッ……とシンプルに繰り返すだけかと思ったら、それを微妙に変化させる。ちょっとでもまちがったら崩壊するのに、涼しい顔で軽々とやってしまうんだろうなあ、この三人は。凄いとしか言いようがない。ずっとこういうのを聴いてると癖になってしまう。中毒になりそうな曲(演奏)ばかりである。展開も読めないし、ノリノリの部分をノリノリで聞いているとすかされたり、落っことされたりする。6曲目はえげつないノイズではじまる本作ではもっとも長尺(15分)の演奏。5分ぐらいのところからの、トランペットがスラップタンギング的な音を出し、ベースがノイズみたいなのを振りまくところはめちゃくちゃかっこいい。それに続くスペイシー(?)な部分からのドラムがブラッシュになりトランペットが息の音だけになるところも、このトリオの柔軟性(ジャズっぽくなってもかまわない)が現れているようでステキである。この演奏もとにかく展開がものすごく目まぐるしく、現代音楽の大作を聞き終えたような気になるぐらいの密度の濃さだが、それでも何度も繰り返し聴けるのは、どんどん先へ先へと興味をもたされるそのひきつけの上手さなのだろうな……と思う。こういうのは計算ではなく、センスというか才能なのだ。エンディングも見事。傑作です。