「FEDAYIEN FIRST」(トランジスターレコード NIR−004)
FEDAYIEN
足穂ファームというところから出たLPがフェダインのファーストだとばかり思っていたのだが、フェダインと名乗ったのは本作がはじめてらしい。ものすごく久し振りに聴いて、面白かったので続けざまに10日ぐらい毎日聴いたが、このアルバムをはじめて聴いたころの印象や、フェダインをはじめて生で見たときの印象などを思い出して、あのころ自分がこのグループにいまいちのめり込まなかったのかがわかってきた。まず、曲がめっちゃいい(これはフェダインのすべてのアルバムに言えることだが)。そして、3人なのに音の密度が濃い。濃すぎるぐらい。狭いライヴハウスの空間に粉のようなものが濃密にまき散らされて、粉じん爆発を起こしそうになっている……そんなイメージが浮かぶほどだ。ちょっとした隙間も埋めてしまわないとおさまらないような演奏で、たしかにこの3人以外は入り込む余地はないかもと思う。「間」があいたら音で埋める……そういうものを感じる。ただごとではないような熱気がずーっと持続していて、聴き手は気を緩める瞬間がない。熱い波に呑み込まれ、そのまま沖に持っていかれる……そういう感じで、聴き手はひたすら溺れる。三人によるトライアングルががっちりと存在し、テナー、ベース、ドラムそれぞれに聞かせどころがあるのだが、やはりドラムが(バランスとしては)少し突出していて、この雪崩れ込むような、地滑りのように止まらないノリはドラムが作り出しており、ベースはどちらかというとぐっと踏みとどまり安定させようとしているようにも聞こえる。サックスはそのうえにのってひたすら情熱的に吹きまくっている。川下のテナー(とソプラノ)は、多くの曲では音色が崩れるほどにグロウルしていてそのまま突っ走る。――とまあ、どう考えても私がめちゃくちゃ好きになりそうな要素ばかり目白押しのバンドなのだが、結局、私はこういう過激で熱い即興であっても、聴いていて自分が第4のメンバーのように思えるような、隙間を作ってくれる演奏というか、聴き手が想像力を遊ばせるゆとり(?)があるようなやつが好きだったのだなあと思った。フェダインは聴き手にそういう隙を与えず、冒頭からラストまでドドドドドドド……と怒濤のごとく持っていってしまう。こちらはあれよあれよとその渦中に巻き込まれて呆然として聞き入るしかないのである。今聞くと、めちゃめちゃ面白いし、楽しいが、あのころはリスナーとして自分にそういう余裕がなかったのだろうなあ。川下さんのテナーも、朗々としたええ音で吹く側面や、フレーズ歌いまくりの側面、これでもかといろんなフレーズをどんどん繰り出してくる側面などを、フェダインのころは知らなかった。ただただこういう演奏をするひとだと思っていたのです(ほんとアホな聴き手で申し訳ない)。今聞くと本当に傑作だと思う。あのころもうちょっとライヴに行っておけばなあ……(たぶんフェダインとしては2回しか見たことないのです)と思ったけど後の祭りである。1曲目だけ勝井祐二がゲストで入っている。
「ジョイント」(ナツメグ NC2063)
フェダイン
フェダインに南正人、加藤崇之のふたりがゲストとして加わった、とジャケには書かれているが、実質的には全6曲で南正人の作詞・作曲であり、ボーカルが全面的にフィーチュアされているので、南正人+フェダインといっていいのではないかと思われるが、この相性の良さはすばらしい。そこに加藤崇之の強烈なギターが加わり、見事に一体感のある演奏になっている。川下さんもフォークのひとだし、不破さんもアンダーグラウンドのひとなので、なんの違和感もなくフォーク+フェダインが成立している。歌詞も染みる。川下さんに関していうと、1曲目のソプラノもいいが、3曲目、4曲目のマイナー曲でのぶっといテナーのブロウにもっていかれる。4曲目のサウンドなど、まるでビッグバンドのような迫力である。こうして最後まで聴くと、やっぱりフェダインなのだった。フェダイン+ゲストという表記に納得。スズキコージさんのジャケ絵も秀逸。
「LIVE」(地底RECORDS B10F)
FEDAYIEN
1曲目の最初はなぜかソプラノサックスがオンマイクではないのか、少し遠いが、演奏を鑑賞するうえでは問題ない。このソプラノの音のきわだちが尋常ではない(だからもっと大きく録音してほしかったかも。録音者の近くにいるひとの声は入ってるんだけどなー)。いやー、なんという凄いサックス奏者だろう、とあらためて川下直広のとんでもない力量を感じた。会場からの声や拍手の臨場感も半端ないが、とにかく川下のブロウは凄まじいというか、なにもかも斬り裂くような切迫感がある。ベースの野太い煽りとともに演奏はどんどん昂揚していき、月へも届くような高みへと上がる。ヴァイオリンとドラムが作り出すエクスタシーに満ちた空間が、メールスの聴衆をぐっとつかんでいるのがわかる。エレトリックヴァイオリンがエレキギターのようにへしゃげたノイズをメールスにぶちまける。そしてふたたびソプラノが戻ってきたときには、ソプラノにエレクトリックヴァイオリン的な要素も加わっていて(なんのことかわからんかもしれませんが)、そのエネルギー量は倍増していて、聴き手を叩きのめす。2曲目はヘヴィなジャズロック的な演奏で、川下のテナーも不破のベースも大沼のドラムも全員ドスがきいている。どっしりとしたグルーヴを感じさせながら、テナーが自由に暴れまくる。そして途中からどんどんアナーキーで面白い展開になっていき、あれよあれよといううちにぐちゃぐちゃのノイジーな音が会場に広がっていくが、その根底にはいつもグルーヴがある……というのが2曲目の特徴である。ヴァイオリンに持ち替えてからも、モードというか一発ものの自由さで3人が好き放題にやる。しかし、ばらばらになることなく、逆に凄い一体感とともにひとつのゴールを目指している感じがあって、こういうのはひたすら楽しく味わうしかない極上の演奏である。テナーが登場してからは、「古いフリージャズの王道」的なごつい展開になるが、この「古い」というのはけっして悪い意味で使っていない。私がめちゃくちゃ愛するところのオーネット、アイラー、ファラオ、シェップ、ドルフィー……といった初期のフリージャズの猛者たちの荒削りだがなにかを求めている音楽、という意味なのだ。3曲目は「カリプソ」というタイトルだが、どこがやねん! という演奏。つまり、テンポが速すぎてカオスにしか聞こえない。でも、かっこいい! この曲からゲストとして北陽一郎、泉邦宏、花島直樹、カズ中原が参加する。トランペットも随所にぎらぎらした輝きを示し、ギターも解けこんでいる。とくに泉のアルトは狂乱のブロウで、すばらしい。そして大沼のドラムはその狂熱のなかにありながらじつはクールに聞こえる。川下のテナーが登場してリフを吹きだしてからは、アドリブでもなんでもないただのリフなのに、それが爆発的な魔力をもって迫ってくる。ラストはたぶんアンコール曲なのだろうが、「フワルンバ」という曲名だが、茂とぐちゃぐちゃな感じのブルース。ひとがソロをしていても全員が割りこんで吹く……というこの感じは渋さ知らず的である。最後のほうで4ビートになり、混沌とした感じはますます強まっていく。あー、メールス、あー、フェダイン……という締めくくりで、めでたいなあ。正直いって、私がジャズとかフリージャズとかなんとかかんとかに求めるものはつまりは「これ」であって、今でも「これ」を求めて夜の町をさまよっているわけです。もし、この演奏の1曲目の音圧がもう少し高かったら、歴史的名盤となっていただろう……とは思うが、この臨場感はほかのものとは替えがたいので、リリースされたことは本当に良かった。