chico freeman

「BEYOND THE RAIN」(CONTEMPORARY RECORDS GP3182)
CHICO FREEMAN

 原田和典氏がチコ・フリーマンについて「セシル・マクビーと共演したアルバム以外は凡打の山」と書かれた文章があった。原田さんの書くものを読むと、けっこう意見が違うなあと思うことがあるのだが、これについては賛成です。チコ・フリーマンほど我々を期待させ、そのあと完全にその期待を裏切ったテナー吹きもいない。ほんと、ある瞬間、というか、ある作品からまるで別人のように「ただのおもろない下手なテナー吹き」になってしまって、失望とかいうより、ただただその変貌ぶりにびっくりしたままこんにちに至っているのである。どのあたりからかなあ、けっこう初期のころですよ。たぶん私が「あれっ?」と思ったのはエレクトラミュージシャンのあたりか。とにかく今振り返ってみると、チコ・フリーマンはデビューした時点で相当高みにいて、そこから6,7作品ぐらいがピーク、そして、そこから突然崩れたような、じわじわ落ちていくのじゃなくて、崖から飛び降りたぐらい落差の激しい感じで、なーんか「ちがう」ようになった。私が一番好きなのは「アウトサイド・ウィズィン」だが、「モーニング・プレイヤー」(ヘンリー・スレッジルはいらんかったと思うけど)も「チコ」も「キングス・オブ・マリ」も「スピリット・センシティヴ」も「ザ・サーチ」も好きだ。そして、この「ビヨンド・ザ・レイン」も好きなのです。原田氏の文章では、コンテンポラリーのアルバムはダメということになっているが、本作がそれに含まれるのかどうかはわからない。私は、この作品はかなり好きなのです。もちろん「アウトサイド・ウィズィン」あたりに比べると「ふつーのジャズ」という様相ではあるが、その「ふつーのジャズ」としては非常にハイレベルのアルバムだと思う。リチャード・エイブラムスの、なかなか難解な構造をもったクセの強い曲が2曲入っているあたりがポイントかもしれないし、スタンダードの「マイ・ワン」をなかなか見事に歌っているあたりも評価高いし、ラストをサンバで締め、そこでのフリーキーなソロや、エルヴィンの昂揚感、躍動感がぐわっと出ているあたりもよい。ややまとまりすぎているかもしれないが、このメンバーでライヴをやったらおそらく……と想像させてくれるだけでも、本作の出来はよい、よすぎるぐらいよいと思う。チコ・フリーマンというテナー奏者は、長いあいだトランペットをやっていて、大学のときにテナーに転向したらしく、そのせいかもしれないが、良くも悪くも、いわゆるビバップ的なフレージングがほぼゼロである。コードチェンジのある曲だと、たいがいの奏者は、いくら隠していてもバップ的なコード分解のフレーズが出てしまうものだが、チコの場合は、そういう土台がないのか、徹底して、醒めたような、もっというと「愛想がない」ようなコードへのアプローチで、そのあたりが「コルトレーン以降のひと」という感じに聞える。コルトレーンを聴いて影響を受け、そこから出発している、という意味では、なんらおかしくないのだが、それ以前を切り捨ててしまうというのが、なーるほどなー、新しい世代なのだなー、と(当時は)思ったものだ。しかも、雰囲気作りというか空気感の演出がすばらしくて、そういうタイプのミュージシャン(つまり、セシル・マクビーとか)と共演したときは、凄まじいまでのシリアスでかっこいい音楽を作ってくれるのだが、そうでない、古いジャズのひととやると、なーんか面白みのない演奏になってしまう。不思議なものである。この作品は、ベースもマクビーではなくジュニ・ブースだし、ピアノもドン・ピューレンやジョン・ヒックスではなくヒルトン・ルイスなのだが、とても相性が良かったのか、ええ感じの演奏ばかりである。とくにヒルトン・ルイスのピアノとエルヴィンの圧倒的なドラムはすばらしい。上記にあげたアルバムはどれも、いわゆる「スピリチュアル・ジャズ」(この言葉は好きではないのだが)っぽい雰囲気があり、そこがまた良いわけだが、本作ではそういうスピリチュアルジャズっぽさは希薄とはいえ、ちゃんと感じられる。そのあたりがコンテンポラリーというレーベルのカラーなのだろうか。でも、繰り返しますが、私は大好きですよこのアルバム。あと、英文ライナーでチコの言葉として、「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」について、「もともとはGの曲だが、今回はB♭でやった。B♭はちょっと暗い感じで、シリアスに導く」みたいなことが書いてある。私は学生時代にこれを読んで、うーん、なるほどそういうものなのか、と感心し、いろいろ試したのだが、どうもわからない。あくまでテナーにおいては、ということなのか。それとも、楽器の特性に関係なく、キーによって響きがちがうのか。私のアホ耳ではよくわからないのです。あと、マイワンは普通、E♭でやるのが多いと思うがどうなのかな。それと、べつのひとのアルバムでマイワンをCで演奏していて、そのライナーにも演奏者(テナーのひと)の言葉として、キーそれぞれのカラーのちがいについて書いてあったような気がするのだが、だれのなんというアルバムか思い出せん。あー、いらいらする。まあそんなことはどうでもいい。とにかく本作はええアルバムだと思いますよ。

「THE OUTSIDE WITHIN」(INDIA NAVIGATION)
CHICO FREEMAN

 いわずとしれたチコ・フリーマン初期の大傑作であり、おそらくチコの終生の最高傑作でもあるのではないかと思う。ここに収められた4曲には、チコの、というより、70年代ジャズの最高の部分(収録は80年代だが、明らかに内容は70年代ジャズ的である)が最初の一音から最後の一音にまでぎっしりびっしりと詰まっていて、何度聴いても感動し、落涙し、興奮する。A面いっぱいを占める「アンダーカレント」が白眉なのだろうが、B面の3曲も含めて、このアルバムは全体をひとつの組曲として聴くことができ、そうしたほうがより感動的である。それにしても、この研ぎ澄まされた鉈のような鋭い感性と、シリアスでスピリチュアルな空気感と、メンバー相互のレスポンスの速さと、個々の個性を積み上げていき、これだけの砂上の超高層楼閣を作り上げてしまう力業の凄さよ。ジョン・ヒックスも、ディジョネットも、マクビーも若いリーダーの意図をちゃんと汲んで、えげつないぐらいええ仕事してまっせ! ある意味、コルトレーンの「至上の愛」と同じくらいのシリアスさがある(音楽的に似ているという意味ではない)。そして、このころのチコに感じるのは、よい意味でのクールさであって、ブロウしても、ダーティートーンを使っても、フリーにぐちゃぐちゃにしても、決してどこかで醒めていて、あまり忘我の状態になって頭のなか真っ白、ひたすら没入して汗だくになって吹きまくり、気が付いたらトゥーマッチなやりすぎ演奏に……ということは絶対にないような(あくまで印象ですが)、非常に知的な部分があるように思う。たとえば1曲目でディジョネットとのデュオになり、かなり過激なブロウになり、聴き手も熱く、昂揚する箇所があるのだが、ここも、熱くなりつつも、良い意味でのコントロールがなされていて、暴走しない。こういうのを聴いて、当時の私は「くーっ、かっこいいーっ。ビリー・ハーパーやジョージ・アダムスとはちがうよな」と感涙したのでありました。それが……そんなチコが……こんなことになるなんて……。いえ、今もリーダーズとかでバリバリやってはるわけですが、正直、エルヴィンに捧げるアルバムなども、試聴して、うーん………………と5分ぐらい考えて、結局買わなかった。親父っさんのヴォン・フリーマンがあの年齢まで現役で吹いていたことを考えると、チコはまだまだ、なんぼでもいけるはず。ふたたびこのアルバムのようにテンションの高い、一音でリスナーがスピーカー前でぶっ飛ぶような刺激にあふれた、シリアスな音楽を作ってほしいと切に切に願う。とにかく、マクビーもジョン・ヒックスもディジョネットも最高のプレイで、もう言うことのないこのアルバム。チコはバスクラも吹いているが、それもなかなかの味わい。ということで、本作は、大傑作なので、もし見かけたらただちに購入し、大音量で聴くことをおすすめします。

「MORNING PRAYER + 1」(OCTAVE−LAB/ULTRA−VIBE OTLCD2633)
CHICO FREEMAN

 チコ・フリーマンの初リーダー作。この作品のあとメジャーになって、セシル・マクビーとのコンビネーションでつぎつぎと傑作を生むわけだがその原点がここにある。ある意味、チコ・フリーマンのもっともアヴァンギャルドな部分を剥き出しにした演奏といっていいかもしれない。私は学生のころ、ちょうどチコの初期の諸作が発表され、それぞれに賛否両論だったのを覚えているが、私は引き締まったテナーの音や思索的なフレージング、バラードを吹いても甘さに流されない透明感などめちゃ好きだった。その後、ああなってこうなって……現在に至るわけだが、とにくか本作がそのすべての原点であり、20代半ばのチコの姿がしっかりとらえられている。ヘンリー・スレッギルの方が目立っていると思うかもしれないが、本作は全曲チコのオリジナルであり、すべてのメンバーがチコの音楽性に奉仕していることはまちがいない。しかも「すべてのメンバー」と書いたが、それはスレッギル、マクビーをはじめとして、リチャード・エイブラムス、スティーヴ・マッコール、ダグラス・ユワート……といった猛者たちばかりなのである。化け物たちを統率する立場のチコはちゃんとその責任を果たしているといえる。2曲目はチコの爆発的なブロウで幕を開ける大胆な曲調で、超アップテンポのピアノレスワンホーントリオ的な演奏。チコはスクリームしたりせず、ひたすら真っ向勝負で思いのたけをぶちまける。この演奏を聴いていると、当時のシカゴのAACMというもののありかたの一端がかいまみられるような気がする。3曲目はドルフィー的というかモンク的というか、そういうひねったテーマを2管のユニゾンで吹いていくミディアムのこってりした曲。スレッギルはバリトンサックス。チコはテナーの魅力全開で、ドスの効いたブロウを展開する。中音域の「ゴリッ」とした音色など最高である。AACM総帥のリチャード・エイブラムスのシリアスきわまりないピアノ、だれにも似ていないスレッギルのバリトンなど、若いチコのリーダー作というだけでなく、ここにつどった表現者たちの共同作業でこの傑作は形作られているのだ。4曲目は表題曲で、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ的なそれぞれ好きなような楽器を手にしての即興だが、チコ・フリーマンがここまでAACM的な集団即興を押し出した演奏は少ないだろう。打楽器類とフルート類、アルコベースなどがからみあい、いわゆるスピリチュアルジャズ的な雰囲気をかもしだしている。この重厚さは先輩たち全員の共同作業で行われたものだが、やはりその中核にはチコがいるのだ。チコはテナーを吹いていないが、この曲が本作の最大の聴きどころだとは思う。ラストは、エルヴィンとのアルバムにも入っていた変拍子のサンバで「ペペズ・サンバ」。2管によるテーマの掛け合い、ノリノリのリズムセクション、そして、それがリチャード・エイブラムス、セシル・マクビー、スティーヴ・マッコールという重鎮で行われている面白さ。フリーマンのテナーはあくまでも甘さのかけらもない、そしてフリーキーに流れない、真っ向勝負の演奏で、初リーダーアルバムでこのメンバーで、これだけの自己主張を通せたというのはさすがとしかいいようがない。マクビーの骨太かつ軽快なベースソロやそれに対するリチャード・エイブラムスのバッキングもめちゃくちゃいい。6曲目は5曲目の長尺の別テイクで、こちらのほうが軽快かも。LPの制約がなかったら、これが本テイクになっていたかも。チコのソロのすばらしさよ。普通ならここでフリーキーに逸脱するだろう、というところでぐっと押さえてきっちり筋を通す。しかも、そこで膨大なエネルギーを注ぎ込み、聴き手を納得させてしまうのだ。正攻法のドラムソロも聴きごたえあり、リチャード・エイブラムスも力任せ(?)のゴリゴリのソロをぶちかましていて感動する。マクビーのソロはさっきも書いたけど「骨太かつ軽快」ですさまじい。傑作。