「MUSIC FOR THE AIR OF SOUTH AMERICA」
藤原大輔・井野信義・外山明
ピアノレストリオで、南米文学の空気感を表現したようなものかなあ、と聴くまえは思っていたが、聴いてみると予想していた音とはかなりちがっていた。なんというか、非常に内省的で繊細で、ライヴとは信じられないほどの雑な部分が一箇所もない、ちょっと聴き通すのがつらいほどに丁寧に紡ぎ上げられた演奏だった。かなりフリージャズ寄りで、藤原大輔のテナーは、しっかりしたフレーズを吹くときも、ノイジーにブロウするときも、はっきりした確信をもって外しまくるし、ほかのふたりも同様で、いくら大きな音で吹きまくり、弾きまくり、叩きまくっても、決してぐちゃぐちゃのパワーミュージックにはならず、テンションがピーンと張りつめた空間を維持しつづける。普通なら、このまま爆発的なフリーインプロヴィゼイションの嵐が吹き荒れ、そのままギャーッと3人一丸になって盛り上がる……という方向にいくはずなのに、3人が共演者の音をものすごく注意深く聴いていて、一音一音に細かく反応していくため、全体としてたいへんなシリアスで自己抑制を感じる音楽になっている(ような気がする)。しかし、しんどいということはないのです。聴き通すのがつらいほど、と書いたが、私は購入してからほぼ毎日聴いている。それはこういうのを聴くと、心地よいからなのだ。ライヴの場でこれを聴いていたひとは、さぞかし心地よい疲れを感じただろう。こうして、何度も聴き直すと、ほんと、いろいろな場面が詰まっていて、楽しい。とくに、私は藤原大輔のテナーの音が大好きなので、このひとが低音部をボギャッとかバリッとかいわすたびに目がうるうるする。ええ音やなあ、ほんま。こういう比較をするのはあまりよくないが、デヴィッド・ウェアみたいな低音だ。それを聴くだけでも快感なのである。たまにはこういうめちゃめちゃシリアスでヘヴィなものを集中して聴くと、身体のなかの毒素が抜けていくような気になります。
「COMALA」(DKR/VELVETSUN PRODUCTS DKR−001)
FUJIWARA,DAISUKE FEAT.INO,NOBUYOSHI AND SOTOYAMA,AKIRA
前々から聴きたい聴きたいと思っていた作品だが、やっと聴けた。藤原大輔のテナートリオ。すごいメンバーだが、演奏も凄い。藤原大輔のテナーは、柔らかい音で楽器を最高音から最低音まで鳴らしきる独特のソノリティと、微妙な音程の変化やニュアンスの付け方で繊細な表現をする一方、そういう柔らかな音でのフレーズが次第次第に積み重なり、過激なブロウにまで展開して手に汗握る……というオリジナリティあふれるものだと常々思っていたが、そういう快感が100%発揮されたのが本作だと思う。曲作りにおいても、インプロヴィゼイションにおいても、藤原のプレイは揺蕩うようで、快感の裏の裏を行く感じというか、3者による緻密なインタープレイと距離感のなかで我々リスナーは快楽に溺れながらも、どこか冷めた目で「これはいったいなにが起こっているのだ」と必死に分析しようとしている……そんな目にあう。幻想……というより幻覚を見ているような楽しさと苦しさと悲しみがずっとつきまとう。なにかを連想する、と思っていたら、やはりそれはオーネット・コールマンであったり、トリオのころのソニー・ロリンズだったりするが、藤原のアプローチはそれら先人と比べても独特としか言いようがない。南米文学の小説家に対するオマージュ的なものだと明記されているが、その名前を見てもガルシア・マルケスしか読んだことがないのでなんとも言いようがない(小説家なのにすんまへん)。しかし、そういう私でも十分鑑賞できたのでだれでも普通に味わえるはずである。ジャケットの絵も秀逸。傑作としか言いようがない。これは一生の愛聴盤になるだろうと思った。