ryojiro furusawa

「12,617.4q ”古澤良治郎の世界”ライヴ」(日本コロンビア BETTER・DAYS YB−7008〜9−N)
古澤良治郎

 私がこよなく愛する二枚組。もう死ぬほど愛してます。一枚目の一曲目から二枚目のラストまで、とにかく全部好き。「キジムナ」が出たころの、当時のレギュラークインテットを中心にゲストをそれぞれ招いた豪華な編成だが、ゲストといっても当時しょっちゅう付き合いがあった人たちなので、うわついたものにはならず、逆にどの曲も深まっている。レギュラーである高橋知己のテナー、ソプラノがどの曲でも要としてがんばっているし、本多俊之、向井滋春らのソロはどれも最高。順番に言うと、こどものコーラスではじまるあたりからわくわくする一曲目の「ラッコ」もシンプルながら名曲で、各人のソロが歌いまくりですばらしいが、二曲目の「クムクム」がもう最初のクライマックスだ。ええ曲やなあ……ほんましみじみええ曲や。歌謡ジャズというんですか、このマイナーのメロディ……すばらしいっす。この曲で涙したあと、3曲目の「ユー・ウィル・ビー・フリー・トゥナイト」がカリプソっぽい明るい曲で盛り上がる。B面に移って、三上寛とのデュオによる二曲「青森県北津軽郡東京村」と「三上工務店」が強烈な印象を残す。これ聴いたときたぶん大学1年ぐらいだったと思うが、あまりにも衝撃で、それ以来、三上寛の大ファンである。とくに前者は野坂昭如の描くところの都会の地獄絵図のようにどろどろした傑作だ。唐突に終わるところもかっこいい。3曲目は明田川荘之とのデュオで「エインシャント・マリーナ」つまり古代の海。これがもう最高にすばらしい名曲で、はじめて聴いたときからいまだに感動しまくり。本作の白眉ともいっていい演奏で、何度聴いたかわからない。そしてBラスの「できたよ、ねーママ!!」はシャッフルのブルース。森山威男とのドラムバトルが凄まじい。この曲、大学二年のときのジャズコンで演奏したことを覚えている。さて、お楽しみはまだまだ続く。二枚目にうつって、A面は山下洋輔の登場だ。最初はソロで、そのあと川端民雄らが入ったトリオ、そして渡辺香津美が加わってカルテットに……。どちらもすばらしい。山下は迫真の演奏で存在感を示す。さすがの個性爆発である。香津美も、こういうセッションではめちゃめちゃつよい。B面に移って、有名な「エミ」。そして「暖かな午後」。どちらも全員によるセッション風ながら、ものすごくかっこいい。とにかくA−1を聴きはじめたら、どうしても二枚組全部聴きたくなるすばらしい演奏。ああ、これこそ日本のジャズ。ヴィレッジ・ヴァンガードやらブルーノートでは逆立ちしても聴けない、わが愛する日本のジャズ。とにかく宝物であります。CD化されてるかどうかは知りません。

「RACCO」(UNION RECORDS GU−5004)
RYOJIRO FURUSAWA QUARTET

 一時期、これと「ユー・ウォナ・レイン」ばっかり聴いていた時期があった。私は古澤良治郎バンドの良い聞き手ではないと思う。フリージャズとは対極をなす、温かく、メロディックな音楽だからである。でも、日本ジャズのファンとしては、こういう熱くて楽しくて耳になじむ演奏はじつは大好きなのである。何度も書いているが、高橋知己のサックスはこのグループにとてもよく合っている。彼が訥弁な感じでいっしょうけんめい紡いでいくその歌心が、古澤の書く曲にぴったりなのだろう。全6曲、どれもすごくいい曲だが、一曲目の「クムクム」の日本人好みのマイナーなメロ、二曲目「モキ」のモードジャズ独特のかっこよさ(この曲での高橋知己のテナーはすごくいい)、3曲目「ラッコ」はシンプルなメロディなのに心に響く、童謡のような名曲。B面も「ラ・グズタバ」(つまりグズラとバタというふたりのベーシストの名前を冠した曲)や「ウルフ・フィッシュ」など佳曲が多く、ほんとにこのひとは作曲の才能に恵まれていると思う。ラストの「バーニング・クラウド」のテナーソロもよく、すばらしいコンビネーションのバンドだったと思う。ジャケットもかわいい。

「YOU WANNA RAIN」(FRASCO FS−7006)
RYOJIRO FURUSAWA QUARTET

これが初リーダー作なのかなあ。一曲目は、あの松風鉱一の大傑作「アット・ザ・ルーム427」に入っていた「アコースティック・チキン」。ここでは高橋知己が訥々と岩のようにフレーズを積み上げていく。ラストの一曲をのぞいて全部古澤のオリジナルで、ほんまええ曲書くなあ。ゲストの向井がどの曲でも圧倒的なうまさを見せるが、高橋のどちらかというと地味なテナーと好対照だ。知己のソロも、不器用な、これしかできまへん的なブロウで全部いい。古澤本人によるライナーノートがすばらしく、ちょっと引用すると、「もうプラトプラトプサタクタトットーデ、ズグダズグダズグダズグダだよ、ほんと? だって、ウワァーパラトトチッチチでね、ザァータタクザァーチだ、なんて思う」などと書いてある。すごい。また「それと、ここで演ってる自分の曲全てがワンモードなので、個々のメンバーの日頃の積み重ねという事が非常に重要になる。私は音を出す以前に、ここでいっしょに演ってくれる人をそれぞれ、非常に愛しているのです。おのおの立派にしつこそを積み重ね、深く掘り下げる事を知っている人たちであると確信する。(中略)私はますますモードというものの深さを感じた。以前にも増して、しつこくくり返すことに喜びを感じるよう、心掛けていこうと思う」……なるほど深い。

「古澤良治郎ラスト・レコーディング第1集 タケシ」(AKETA’S DISK MHACD2634)
古澤良治郎

「古澤良治郎ラスト・レコーディング第2集 マナブ」(AKETA’S DISK MHACD2635)
古澤良治郎

これは……つらい。つらいが意義深いアルバムだ。こんな2枚組、アケタズディスクでしか出せないよ。これまでもアケタズディスクはいろいろなひとの追悼盤的なアルバムを、商売考えずにリリースしてきた。たいしたものだ。頭のさがる偉業だと思う。古澤さんといえば、メロディとリズムが完璧にバランスした絶妙のコンポジションを、楽しく、温かく演奏するひとだというイメージがあり、そういう音楽には管楽器(サックス)が必要だと単純に思っていたのだが、ここ10年ほどの古澤さんの音楽はかなり振幅があって、音や金時での内橋さん、林さん、外山さんたちとのガチンコ即興などは凄まじい演奏だったし、なんだかいい感じで枯れてきて、メロディアスなものから切ったはったの修羅場即興までを、ときに仙人のように淡々と、ときにあたたかくほんわかと、ときにパワフルにビシッと、ときに繊細にときに大雑把に……と千変万化する境地に達しているのかなあと思っていた。このラストレコーディングでは、石渡さん、渋谷さん、望月さんという管楽器のいないカルテットでオリジナルやスタンダードやいろいろな素材を演奏している。「至上の愛」や「グッド・バイ・ポーク・パイ・ハット」などが取り上げられているのも興味深いが、そういった細かいことより、この2枚組を通して何度も聴くと、ひとりの音楽かの生きざまのようなものがズドーンと胸に迫ってきて、あまりのその壮絶さに口もきけなくなる。ここにサックスが入っていたら私の耳はどうしてもそのサックスを追ってしまっただろうから、ラストレコーディングがこの編成だったのはよかったのかもしれない。この先、何度聴くかと言われるとそれはわからない。やはり「キジムナ」「ラッコ」「ユーワナレイン」「古澤良治郎の世界」などを聴いてしまうだろうと思う。しかし、できるかぎり、折に触れて、この2枚を聴き続けたいとも思う。非常に重い、意義のあるリリースであります。

「ライオンのいるふうけい」(AKETA’S DISK MHACD2604)
古澤良治郎 大口純一郎デュオ

 まず、ピアノのドラムのデュオというのがピンとこないのだった。ピアノとベースのデュオならわかるが、ピアノとドラムなら、ピアノソロでええやん、と思ってしまうのだった。おまえはまだそんな幼稚なことを言うとるのか、とおっしゃるかもしれないが、まあ、聴くまえはそんな風に思っていたのだが、聴いてみると正直ぶっとんだ。なるほどなあ、と思った。ピアノとドラム……というのはフリージャズや純粋即興以外でも、まったくもって「あり」なのだとわかった。私はアホなのでこういう風に音でもって教えてもらわないとわかんないのだ。そりゃあ、ピアノとドラムのデュオが4ビートジャズにおいて、ありえることはわかります。でも、わざわざやる意味があるのか→ある、という風にわかったということは個人的には大きいのだ。このふたりの演奏は、ピアノが弾いてそれにドラムがつける、とか、ドラムのリズムにピアノが乗る、とかそういうレベルをはるかに超えて、完全に融合しており、なんというか魔法を見せられているようだった。これはフリージャズではないが、フリーなジャズである。なによりも自由である。お互いに、相手を誘導しようとかこういう展開に持ち込もうとかそういった小賢しいことは超越して、ただただ目のまえにある音をプッシュしている。かーっこええ! これは知られざる、いや、俺が知らんだけでじつはなんとかジャズ大賞とか取ってるのか? まあ、ひとが知ってるか知らないかどうでもいいが、傑作です。ほんと。

「あのころ」(BETTER DAYS COCA−111116)
古澤良治郎とリー・オスカー

 出た当時はほんとによく聴いた。私が大学に入った年に出た作品で、このころのベターデイズの勢いはすごかったのです(ジャパニーズ・フュージョンというか、いわゆるフュージョンでもめちゃくちゃ個性的なミュージシャンによる個性的な作品をリリースしていたので、本当に信頼できた)。ラジオでもジャズ喫茶でもかかりまくっていたし(とくに1曲目の「いま、春?」)、自分でも持っていたのでいつも聴いていた。でも、レコードがどこかに行ってしまったので(だれかに貸した?)、CDで買い直したのだ。ジャケットも含めて、すばらしいアルバム。メンバーもすごい。いい音楽ができないわけがない……が、それにしてもここまで最高の演奏になったというのは奇跡としか言いようがない。ライナーにあるとおり、リー・オスカー(ゲストということになっているが、全曲に参加している)が、あらかじめ作曲したものではなく、古澤良治郎に「好きなリズムを叩け」と言って、いちいち「それはよくない」と否定していったあげく、気に入ったリズムに対してハーモニカでメロディを乗せていき、次第次第に曲ができあがっていった(2曲目の「ブギー・マン・リヴス・イン・トーキョー」はまさにそうらしい)というのが本当だとしたら、このアルバムの演奏はどれもこれも神がかっている。そういう緊張感のなかでできあがったにもかかわらず、ここで表現されているのは、リラックスしたグルーヴであり、ひあたりのよい芝生で寝転んでいるかのようなくつろぎ、なごみである。しかし、まったく弛緩したものでなく、全員が一丸となったこの「古澤良治郎サウンド」としかいえない音楽に全員が真摯に貢献しようとしている情熱というか「気持ち」が伝わってくるのだ。このころの古澤良治郎の演奏は「ラッコ」や「キジムナ」や「古澤良治郎の世界(二枚組)」や本作を聴けば一目瞭然だが、ドゥン……とフロアタムを叩く、シンバルをぱしゃんと打つ……それだけでグルーヴが生じる。あとはさまざまなリズムに乗って心地よいメロディが奏でられ、(客も含めて)全員がひとつになっていく、というのが典型であったように思う。メロが耳障りがよいので、ふわん……と聞いてしまうが、じつは川端民生のずんずんと腹に響くファンキーかつ重厚なエレベ、大口純一郎によるバップをベースにした華麗なピアノ、高橋知己の歌心あふれる……といってもコルトレーンライクなストレートアヘッドなソロなど、どれもこれも素晴らしすぎる。もう30年もまえなのか……。今聴いても、いや、今聴くと余計にそのすばらしさを感じる。基本的には最初に古澤が短くリズムを提示して、そのあとほかのメンバーが加わる、というパターンなのだが、その短いリズム提示の瞬間に、全員をそのリズムに乗せている、というか、巻き込んでしまっている古澤さんはすごいと思う。1曲目は、アルバム全体の魅力を凝縮したような曲で、冒頭の一瞬のドラムのイントロがすでにすごい。この演奏を聴いて、心がほぐれないひとはいないと思う。ぶわーっ、とハープが入ってくるあたりで、ああ、ええなあ……となる。音使いはシンプルなソロだが、歌いまくっている。渡辺香津美のソロも同じくである。2曲目の「ブギー・マン・リヴズ・イン・トーキョー」は、ドラムのイントロのリズム提示とそこに加わるハーモニカとのデュオが本当にかっこいい。ドラムはずっと同じリズムパターンを刻んでいるのに、すごいデュオに聞こえる。そして、そのあと他のメンバーが入ってくるところのかっこよさよ! 渡辺香津美のソロもすごいが、そのバックの大出元信のカッティングもすごい。3曲目は「カナ・カナ」というタイトルだが、ヒグラシの声が降り注いでいる状態を曲にしたのかな、とも思う。テーマを吹く高橋知己のソプラノが心地よい。なんというか、朴訥な感じの吹き方なのだ。大口純一郎のピアノソロも同じく朴訥な雰囲気で、テクニックを誇示しないがひたすら引きつけられる。4曲目は「12 617.4km 古澤良治郎の世界」でもやっていた「キョン」だが、たしかに八丈島のキョンが跳ねまわっているような雰囲気の16ビートで、ギターのバトルがフィーチュアされる。5曲目はリー・オスカーをフィーチュアした叙情的な演奏。ここまで来るともはや童謡といってもいい。短いが心に残る。ラストのタイトル曲「あのころ」はまさしくノスタルジーを感じさせる曲調。高橋知己のテナーがめちゃくちゃいい味を出している。かなり自由奔放に吹いているのに、曲にばっちり合ったソロなのである。吹き伸ばしを多用したリー・オスカーのソロ、そのバックで活躍するギター二本のバッキングも最高であります。というわけで、時代を越えて愛聴されるべき名盤だと思います。なお、似たようなメンバーでのライヴ盤「フレンドリー」「サブリメーション」というのもあるらしいが未聴です。すんません。

「ライヴ・アット・アケタ」(AKETA’S DISK MHACD−2616)
ね。

 これは大傑作なのですが、もしかしたら「知られざる傑作」というやつかもしれない。というのは古澤良治郎のリーダー作のなかで傑作は……という話のときに本作を挙げているひとを見たことがないからである(もしかしたら私が知らないだけでいるのかもしれませんが)。「ね。」というのは古澤良治郎がリーダーのバンドで、メンバーは藤ノ木みか、福島紀明、早川徹、石崎忍、帆(佐藤帆)。本作ではそれに、録音日によってゲストが加わる。日倉士歳朗、KOTEZ、江口弘史、かわいしのぶ、外山明、高岡大祐である。18曲入っているが、ほぼ全部古澤の作詞・作曲による曲である(1曲、民謡が入っており、あと藤ノ木みかによる作詞の曲が1曲ある)。これがまた、信じられないぐらいどれもいい曲ばっかりなのである。古澤のほかにドラマーやパーカッション奏者が複数いることでもわかるが、基本的にはコンポジションと歌が主体になったノリノリでファンキーで温かい曲ばかりである。どの曲も面白いし楽しいし笑えるしかっこいいしなにか深いし、古澤の提供するベーシックなリズムの温かさは相変わらずだし(あんまりドラムは叩いていないかもしれないけど)、こういう「温かいファンク」みたいなのをやるとほんと世界一だった。そして、じつは私のお目当て(?)はもちろん佐藤帆さんなのだが、これがまた私の期待通りのすばらしい演奏(と音)であって、佐藤帆のテナーがたっぷり聴けるという意味でも本作はうれしいアルバムなのである。タイトルだけ見て、買うのを(聴くのを)ためらっているひとはぜひ聴いてほしいです。「アケタのシマダ」とか「ほっとけDuDu、おでこでDuDu……」とかどこからこんなことを考えつくのか感動であります。こういう姿勢はぜひ見習いたい。ちょっとした思いつきがベースの、リフ曲が多いのだが、それがまたかっこいいんであります。「宮崎ドラム愛好会」という曲は、ドラム〜パーカッションだけの曲。「オーデュボン・ズー」というのはニューオリンズのオーデュボン動物園のこと。「ズー・ズー・ズー・ズー・ズー・イン・ニューオリン」「オーディボン・ズー」と連呼する。スライドギターも超かっちょええ。17曲目の「いきなりお墓だぜ!」というわけのわからん曲での佐藤帆のテナーソロは見事のひとこと。もう、ほれぼれする。その曲の最後での古澤さんのトーク(?)のわけのわからなさは天下無敵。とにかく大傑作であり、古澤ミュージックのすべてがここに入っているので、古澤ファンで本作を聞いてないひとはぜひ聴いてください!

「もうすぐ死にまっせ」(P−VINE RECORDS PCD−5753)
古澤良治郎と大往生

 永六輔の「大往生」が映画化され(このCDの帯には「原作」とはっきり書いてあるが、ウィキペディアには「下地にしたと言われる」という曖昧な書き方になっている)その音楽監督を古澤良治郎が担当したのだが、それがきっかけになって結成された「大往生バンド」によるライヴ。映画のテーマ曲は上々颱風が担当しており、スタッフ一覧を見ると、「音楽」も上々颱風となっている。本作はじつに12人編成の大所帯。ジャズ系からブルース、カントリー……などなどジャンルをまたいだミュージシャンたちが集結しているが、すべてが古澤人脈である。川端民生も入っている。サックスは片山広明と津上研太。外山明はバラフォンのみというぜいたくさ。上々颱風からは猪野陽子が参加している。9曲中、1曲を除きすべて古澤良治郎作曲である(歌詞のある曲は作詞も)。その1曲というのは7曲目に入っている「来た道、行く道」という曲で、監督の藤田氏が作詞した曲(作曲は鶴賀代寿郎)。ジャズっぽい曲、ファンクっぽい曲、レゲエっぽい曲、カントリーっぽい曲、ブルースっぽい曲、演歌っぽい曲、サンバっぽい曲……曲調も構成もバラエティに富んでおり(たとえば6曲目はギター2本とハープだけ)、全体に縛りがゆるく、セッションっぽいので、非常にライヴ感があり(ライヴなので当たり前だが)、また、自由さも感じる。古澤良治郎は「ドラムス・アンド・パーカッション」となっているが、7曲目の「来た道、行く道」のボーカルはたぶん古澤良治郎だと思う。この曲もじつに自由な雰囲気で演奏され、古澤ワールドになっている。最後の曲は4曲目の「オー・ジョー」を外山明を中心としたパーカッション、バラフォンなどによるアフリカっぽい曲調に変えての演奏で、スピード感もグルーヴもあり、トランスミュージックっぽさもあって、これまた興味深い。後半の古澤によるラップというかスキャットというかトーキングブルースみたいな「しゃべり」もじつにはまっていて凡人にはできんことである。