eddie gale

「EDDIE GALE’S GHETTO MUSIC」(BLUE NOTE RECORDS BST−84294)
EDDIE GALE

 いろいろ言われるアルバム〜グループではあるが、彼らのプロテスト(?)を受け止めても、全体のサウンドを面白がっても、リーダーであるエディ・ゲイルのトランペットに焦点を当てた聴き方をしても、どういう風にも楽しめる、じつに傑作だと思います。1曲目、女性ボーカルがギターを弾きながら歌う冒頭は、フォークソングのようで、それはそれでかっこいいのだが、そこに激しいリズムとコーラスがガーン! と入ってくると、突然、アフリカっぽくなる。そして、トランペットとテナーによるリフ、パーカッションの雷のような轟きを経て、ふたたびギターとボーカルだけのパートになって、そのあとまたリズムとコーラス……というサンドイッチのような構造に、まずやられる。トランペットソロもキレキレの激しさと情熱を感じるもので、力押しだがその気持ちは伝わってくる。とにかくこの曲で、アルバム全体の空気感とかこのグループの目指す方向性などがはっきりわかる。2曲目は、ややハードバップっぽいが、リズムがまるでちがう。コーラス(スキャット的?)も入る。テーマが終わると、激しく荒れ狂うドラム〜パーカッションと対峙するように吹きまくるラッパソロになる。ええなあ。ブレイクがあってテナーソロになる。このテナーのひとがもうちょっと個性的でうまかったら、この作品はジャズ的にも名盤となったかもしれないが、このテナーのひとはじつはこのバンドにはめちゃはまっていて、この無骨な演奏を味わうべきだと思う。そのあと叩きつけるようなベースソロになり、それがなぜか「怒り」の表現に聴こえる。そして、ドラムとパーカッションのソロ。かなり特異な構造の曲だが、なにも不自然ではない。全員、大熱演です。3曲目は、鎮魂のようなコーラスではじまり、それをトランペットとテナーが受け継いだテーマが続くが、そのバックでベース(?)が不気味にのたうっているのが面白い。バラードなのだが、そう呼ぶのはふさわしくないような、かなりテンションの高いリリシズムと悲しみが感じられ、ピーンと張りつめたようなトランペットソロである。それを受けたテナーは、逆に沈み込むような優しさがあり、ここもこのテナーがもう少しがんばっていたらなあと思ったりする。4曲目は、テーマのところのベースラインが変態的でかっこいい。トランペットソロに入ると、本作中いちばんストレートアヘッドなハードバップだったりする。ほんまに押せ押せのラッパやなあと思う。ダイナミクスとか、繊細な表現よりも、とにかくまじめにまっすぐに吹く。そのなかにちゃんと情感が表現できているのだ。テナーソロはなかなかそこまで行ってないけど、好ましい。テーマ部分はマーチングのリズムなので、なにか思いつめた気分を感じる。かっこいい。最後の曲は、チープな笛の音とカリンバの音ではじまる、もろアフリカを感じさせる曲。ベースがパターンを弾きはじめ、パーカッションが加わると、シェップ、ファラオなどの演奏や70年代モードジャズを思い浮かべる展開になる。朗々と歌い上げるボーカルとコーラスも、アフリカっぽいコール・アンド・レスポンスの形式で、リズムもポリリズムを強調している。めちゃめちゃかっこいいです。なかなかトランペットが出てこないが(エディ・ゲイルはたぶん、スティールドラムをずっと叩いているのです)、たぶんそれでいいのだ。エディ・ゲイルがやりたかったことはトータルサウンドであることはまちがいないのだから、ラッパソロなどなくてもかまわんのだろう。しかし、6分20秒あたりでやっとトランペットとテナーの2管のテーマ(?)が現れ、ブラックジャズの雰囲気になる。ここのテンションもかなりのものです。時代、とかで片付けてはいけないだろう。こういう「音」は時代を超えて普遍のはずだ。そのままトランペットソロになるのかと思ったら、ボーカル〜コーラスが出てきて盛り上げるだけ盛り上げてエンディングとなる。うーん、やるなあ。というわけで、最近ヘビーローテーションのアルバムだが、こういうのをやってみたいと思わせてくれる音でした。こういうサウンドが土台だと、ファンクにもフリーにもフォークにも、なんでもいけそうな気がするんですよ。ジャケットの左端に写っている痩せこけた犬がりりしく、かっこいい。