「WITCHI−TAI−TO」(ECM RECORDS UCCE−3035)
JAN GARBAREK−BOBO STENSON QUARTET
ヤン・ガルバレクの基本姿勢はずーーーーっと変わっていないし、その最大の魅力である(と私が思う)トーンも(ほぼ)変わらない。演奏内容はこのころとその後、また現在では大きく変わっているように見えるが、たぶんガルバレクの美意識はほぼぶれることなく一定なのだと思う。ただ、このアルバムのころはジャズをやってて、今はそんな狭い枠には入らない音楽をやっている、というだけだ。でも、どの時代のどんなガルバレクも好きです。多作なので全部はとうてい聴ききれないが、少なくとも私が聴いたことのあるアルバムはどれもこれも美しくてかっこよくてフォーキーでクラシカルでジャズでフリーだった。このひとのソノリティは、ほんと、ソプラノでもテナーでも変わらんなあ。たぶん、アルトでもバリトンでも、いやきっとクラリネットでもフルートでもトランペットでも変わらんのではないかと思うぐらい、上から下までほとんど均一に鳴り、あのラーセンメタルのやや濁ったサウンドで、これを下品に吹けば「ファンキー」になるところを、北欧のクールなサウンドに載せているところがめちゃくちゃかっこいいのである(一時ラーセンを吹いていない時期もあるみたいだが、まあ、基本的な音は変わらないのです)。プロのサックス奏者のなかでガルバレクのファンは多い……と思う。少なくとも私の知り合いだけでも5人ぐらい名前を挙げられる。みんな、ガルバレクの音楽のファンであるのだが、同時にやはり、この「音」のファンなのだ。そして、ガルバレクの音楽と音は切っても切れない関係にある。本作だと、(なにしろ「ジャズ」なので)途中で熱くなって、ブロウするような部分も多多あるわけだが、そういうラフな表現のときでも、ガルバレクのトーンコントロールとクオリティ、クールさはものすごくしっかりしていて、もうホレてまうやろ! ということになる。曲もええ曲ばっかで、一曲目の三拍子系のソプラノの曲(カーラ・ブレイ)など、何度聴いてもうっとりするぐらいの名曲。2曲目のバラードは、ガルバレクはテーマを吹く程度で、あとはボボ・ステンソンのピアノトリオに任せてしまうわけだが、そのあたりもおしゃれでいいなあ。ピアノすばらしい。ベースソロもいい。3曲目はスパニッシュな感じの曲でガルバレクのテナーはもう完璧の一言。ラーセンのメタルで低音から高音まで吹ききるこの技術。歌心。パッション。メカニカルなフレーズと歌い上げが同居して、個性で味付けしたすげーソロは、聴くたびに興奮しまくる。アルバムタイトルになっている「ウィッチ・タイ・ト」はジム・ペッパーの有名な曲で、たぶんだれでも知ってるナンバーだと思うが(ペッパー自身も何度も吹き込んでいる)、それをタイトルに持ってくるとは大胆だ。しかし、聴いてみると、いやー、この曲のベストバージョンじゃないの? と思うぐらいいい演奏でしみじみ聞きほれてしまう。ピアノトリオがたっぷりと演奏したあと、ガルバレクのソプラノが激しくシャウトする。この激情をコントロールしたソプラノの美しくも情熱的なブロウよ。最後になってテーマが現れる構成。ラストはドン・チェリーの曲で、ドン・チェリーとテナーといえばガトー・バルビエリだが、ガトーのトーン(ラーセンメタル)とガルバレクのトーンは(サックス吹きならだれでもそう思っているはずだか)本質的には一緒だ。ガトーはその音でフリーキーにシャウトし、ガルバレクはもっとクールだが、自己の音(音色というか)のとらえ方としてはほぼ一緒と言い切ってもいいと思う。考えてみれば、ふたりは音楽的にも共通項があるなあ、と思ったが、日本語ライナーを読むとすでにそう書かれているのだった(3曲目に対する文章だが)。なるほどね。ピアノソロも延々とフィーチュアされるが、ベースとドラム(大暴れ)のサポートもすばらしく、緊張感と透明感を持続しながら弾きまくる。ガルバレクは激情的に吹きまくり、ここぞというときはフレーズ全体をぐっと押すように濁らせたり、ボリュームを上げたりといった緩急をつけながら盛り上げるのだが、やはり全体的にはどこかにクールさも感じさせるのだ。いやー、傑作というしかないでしょう。
「SALT」(ECM RECORDSUCCE−9178)
JAN GARBAREK/BOBO STENSON/TERJE RYPDAL/ARILD ANDERSON/JON CHRISTENSEN
初リーダー作を録音したときはまだ20歳であり、ECMにおける初リーダー作である(と思う)本作を録音した24歳のときには、すでに膨大な数のレコーディングを経験していた(しかも、リーダー作を本作を含めて6作発表している)。とにかく早熟の天才だったわけだが、このアルバムを聴くと、単に若いけどめちゃ上手いテナー奏者、とか、アメリカの最先端の演奏をいち早く取り入れている、とかいったレベルではなく、20歳にして目指している独自の音楽性に驚く。先日、このアルバム録音の3年まえ(つまり、まだ17歳ぐらい)の映像をYOU TUBEで観る機会があり、それはなんとファラオ・サンダースの曲を演奏しているのだが、なるほどこれはファラオやなあ、と思えるぐらい、音色がエグい。グロウルのやりかたが強めで、かなりノイジーな、ディストーションをかけたような音でブロウしまくっている。その3年後の本作でのガルバレクの音色は別人のように変貌している。つまり抑制が効いていて、フリークトーンやグロウル、マルチフォニックスなども使っているのだが、すべてが音楽のために奉仕していて、叫びのための叫びになっていない。サブトーンからビッグトーンまでダイナミクスを使い分け、自分の音世界を作り上げている。その音色は後年のものの萌芽がある(つまり、心地よく、美しい濁らせ方)。1曲目はアルバムタイトルにもなっている「サルト」で、リズムが茫洋とした感じに隠されていて、全編がルバートのような雰囲気の美しい曲である。テリエ・リピダルのギターは音を捻じ曲げ、ECM的というか透明感がありアコースティックなほかのメンバーの音にエレクトリックな異物をぶつけているが、全体としてためいきが出るほど「美しい」演奏で、おそらくリーダーの強靭な意志のもとに構築された「美」がコレなのだろう。24歳にしてこの音楽美というか演奏美を作り上げるというのはとんでもなくすごいことではないか。リーダーのフリーキーなテナーの音も、きっちりその「美」に奉仕している点が、3年まえのファラオ的な演奏とは一線を画している。2曲目は「涙の泉」という組曲。パート1は、集団即興ではじまり、比較的静かなやりとりから次第に盛り上がっていき、最後の最後にテーマが出現する。パート2はフルートを中心としたルバートなアンサンブルで、まさしくECMという感じの超短い演奏。3曲目は「ソング・オブ・スペース」というタイトルで文字通りに受け取れば「宇宙の歌」。たしかにそんな感じの標題音楽的な雰囲気もあるが、ベンドしたテナーの音とエレクトリックギターのユニゾンによるテーマはめちゃええ曲やなあと思うし、それに続くドラムだけをバックにしたリピダルのギターソロはかっこよすぎる。ベースが入ってきてトリオになり、しばらくしてからピアノも入ってくる。おいおい、リーダーはどこだ、と思っていると5分17秒ぐらいのところでやっと登場。こういう趣向なのですね。全体にギターが主役の演奏だが、ラストのテーマ提示でのサックスはかっこよすぎるやろと思う。4曲目はベースのアリルド・アンデルセンの曲で、アルコベースとガルバレクのバスサックスのデュオ。バスサックスの音色があまりにしっかりコントロールされているので、2本のアルコベースのデュオのように聞こえる。2分足らずの短い演奏。5曲目は「鰻」という曲で、ベースのフリーなピチカートソロで開幕。ドラムが入ってデュオになる。この時点で、ああ、順次、一人ずつ加わっていくのか、と思っていたら、そのとおりで、ガルバレクのサックスが入ってきてトリオになる。ベースが速いランニングをはじめ、ジャズっぽい感じになってからテナーがしりぞいてピアノが加わる。このピアノソロは滅茶苦茶かっこいい。なぜかギターは入ってこず。最後にテーマ的なものが提示されるが、基本は全編フリーインプロヴィゼイションか。ラストの6曲目はギターのテリエ・リピダルの曲でギターとは思えない、「歪んだ琵琶」みたいな表現の演奏。2分ほどの超短い曲。こうして全編通して聴くと、ガルバレクの意図が浮かび上がる……というよりは、ガルバレクはなにを考えてんねん、という気持ちが強くなるが、正直、これだけの「音楽」をリーダーとして構築し、最後まで導いたその手腕にはおそれいる。天才ですよねー。全部をひとつの組曲として聴く、というのは本作においてはあたりまえの聞き方かもしれない。このあとガルバレクのECMにおける快進撃(?)がはじまる、その発端という意味でも重要な作品。傑作。