「LIVE AT GLENN MILLER CAFE」(AYLER RECORDS AYLCD−093/094)
STEPHEN GOUCI’S STOCKHOLM CONFERENCE
アイラーレコードから、それもグレン・ミラー・カフェでの二枚組ということで、北欧のひとかと思っていたら、それは私の無知のなせるわざであって、このテナーのひとはニューヨークを拠点にばりばり活躍しているフリージャズの雄だそうである。すんまへんなあ、無知で。調べてみると、クリーンフィードからのアルバムなんぞもあって、私が知らんだけなのであった。ピアノレスで、ベースがフラーテンで、ライヴ二枚組で、一枚ごとにボントロとラッパ(アトミックのマグナス・ブルー)がゲストで入っている……ということで、これは聴かざるをえない。一曲目を聴いてみると、なるほどフリーインプロヴィゼイションが主体で、主役はテナーで、ベースがフラーテン……どう考えても私の好みであるはずなのだが、なぜかいまいちピンとこない。なんでやろ……と考えながらずっと聴いていくと、だんだんその「ピンとこない」印象の正体がわかってきた。つまり、主役であるテナーが軽すぎるのだ。軽すぎるという言い方がおかしければ、つるつるつるーっとうまく、巧みに吹いてしまいすぎる。たとえばジョージ・ガゾーンのテナーみたいなもんで、心がこもっている(というような古臭い言い方も問題はあるとは思うが)かどうか、ということである。一音入魂、一期一会……そういう日本人的な感覚からすると、この演奏はうますぎて、心に響かない。ときおり見せるハーモニクスはめっちゃかっこいいのだが、そのほかの部分がいまひとつなんだよなあ……とつぶやきながらなおも聴いていると、だんだん、うーん、そうでもないか、と思えてきた(どっちやねん)。このひとは、デヴィッド・ウェアのように音の説得力に賭けるようなタイプではないし、血反吐を吐くまで吹きまくるというようなタイプでもない。こうやって全体のサウンドをまとめあげていくのが、このひとのフリージャズなのだろう。そう思えるようになったのは一枚目を二回聴き直したときであって、最初の印象とはかなり聞こえかたがちがってきていた。ええやん……かなりええやん。これ、全然悪くないわ。驚いたのは「ソニー・ムーン・フォー・トゥー」で、このミディアムのブルースナンバーを、このテナーマンはまるっきりビバップとして料理している。バップフレーズ出まくりで、めちゃめちゃうまい。そうか、やっぱり根はバップのひとなんですね。なぜアルバムの統一感を壊すこういう演奏を入れたかったのかはわからないが、とにかくあまりに達者にバップを吹くので、この曲だけ聴いたひとは、「ごきげんなバッププレイヤー。このアルバムは『買い』だね」とか思うかもしれない。じつはこのアルバムは3枚組であって、ディスク3はダウンロード販売のみだそうで(フリージャズもそういう時代になってきてしまったのか)、それは私には聴くことはできないので、ほかにもバップ的なアプローチをしている曲があるかどうかはわからないのだが……。ゲストについては、やはり一枚目に入っているトロンボーン奏者がよかった。ときに主役のステファン・ゴーシ(と読むのか?)を食ってしまうところもある。二枚目に入っているマグナス・ブルーはあいかわらず私にはまったく良いところなしに聞こえる。なんというか、大味というか雑なラッパだと思うけどなあ……。でも、みんながアトミックをほめるのだから、私にはトランペットの本当の良さはわかっていないのかもしれない(と、いつもの悩みが……)。二枚目の、ドラムとテナーのデュオの部分などすごくいいので、こればっかりでもよかったんじゃないか、と思ったりした。変にゲストとかいれず、せめてテナートリオで突っ走ったほうがよかったような気もする。ライナー(リーダーが書いている)を読むと、ニューヨークでハーカー・フラーテンと一緒に演奏したが、彼はファイアだ! と書いている(フラーテンはシカゴに拠点を移したらしい。アトミックはどうなるのだろう)。そんな彼が単身北欧に乗り込んでのライヴ。いろいろなことを考えさせられた。