heiner goebbels

「LIVE A VICTORIAVILLE」(VICTO CD04)
HEINER GOEBBELS−ALFRED 23 HARTH

 その昔、ゴッペルズ〜ハースがすごく話題になって、今、一番尖ってる即興みたいに評価されていた時代があったが、そのころはあえて聴かなかった。怖かったのである。そういう、みんながすごいすごいというものを聴いて、もしピンとこなかったら、自分の感性が衰えているのを見せつけられるような気がするじゃないですか。そういうことってない? 私は往々にして、ある。小説でも絵画でも映画でも音楽でも、みんながすごいすごいと言ってるものは、怖くて聴けなかったりする。だから、この人たちをはじめて聴いたのも、そういったブーム(?)が一段落したころにこそっと聴いた。非常におもしろかった反面、ああ、こんな感じか、わかるわかる、と思えてホッとしたりして(情けないやつ)。で、今回久しぶりにCDで聴いてみて、思ったことは、梅津〜原田デュオに似ているなあ、ということだ。楽器編成ももちろん似ている。ピアノとサックスのデュオで、きちんと曲があって、ちゃんとテュエット用のアレンジができていて、それをやりこなす基本的な演奏技術があって、ピアニストはときに管楽器を吹いて、管楽器のデュエットにもなって、チンドン的あるいはアイラー的な要素もあって、演劇的な部分もあって……ああ、やっぱりこうやって書き出すだけで似ていると思う。とくにハースのサックスは、楽器自体がすごくよく鳴っていて、それがまた梅津さんを想起させる。ギャーッとフリーキーになる部分でも、あまりに楽器が鳴っていて、しかも基本的なテクニックがありすぎて、いまいち狂気とか混乱が伝わってこず、一種の表現方法のひとつとしてのフリーに聞こえる、という点も梅津さん的である。もちろんちがう部分もある。ときにシニカルでときにブラックではあるが、ユーモアを底辺にもっているのが梅津〜原田デュオだとしたら、ゴッペルズ〜ハースは「ペキン・オペラ」という大作を聴いてもわかるが、ユーモラスなところもあるが根本的にはあくまでシリアスで、政治的なメッセージなどがもりこまれていたりする。また、安っぽいロックやテクノ、ファンクっぽい部分もあり、そういったところは、たとえばジョン・ゾーン的でもあるが、私にはケシャバン・マスラクの別名であるケニー・ミリオンズを思わせる音だった。とにかく、心地よい演奏で、しかもやる気がびんびん伝わってきて、何度聴いてもええなあと思うが、あまりに外殻ががっちりしすぎていて、このデュオのあいだに入り込んで想像力を伸ばすというわけにはいかない。そういった意味では排他的な、完全にできあがってしまっているデュオということなのかもしれない。対等のリーダー作と思うが、便宜上、先に名前のでているゴッベルズのほうへ入れた。