grant green

「GRANT’S FIRST STAND」(BLUE NOTE ST−84064)
GRANT GREEN

グラント・グリーンは、ジャズギターにほとんど関心のない私がほぼ唯一といっていいほど「好きなプレイヤー」である。それも、最近もてはやされているソウルジャズっぽくなった後期ではなく、ブルーノート初期の、しかも管楽器が入ってないやつが好きだ。つまり「サンデイ・モーニン」「フィーリン・ザ・スピリット」そして本作あたりである。ぶっとい弦を使い、弦高はあくまで高く、シングルトーンでボキボキという硬質なノリでバップフレーズをつむいでいくスタイルは、そのシンプルさ、そのプリミティヴさなどが、戦前ブルースのようで(スタイルではなく精神的に)、なんともかっこいい。これが初リーダーアルバムとは思えないほど完成されたスタイルで、全曲すばらしい。このアルバムを聴くと、私はふだんのジャズギター嫌い(ああ、言い切ってしまった)を忘れ、口をダランとあけて、よだれを垂れ流してしまうのである。こんなかっこいいアルバムはなかなかないですよ。ジャズはブルーノートが最高、とか、ブルーノートを集めてます、とかきくと、あんなもん誰が聴いとんねんと反射的に思ってしまう私だが、じつは山のようにお宝なアルバムがあるすごいレーベルである。いや、それはわかっとるんやけどな。

(別のところに書いた文章も載せておきます)

「GRANT’S FIRST STAND」(BLUE NOTE RECORDS TOCJ−6510)
GRANT GREEN

 グラント・グリーンは、ジャズのギタリストのなかでは珍しく好きなひとである。私は、ウエス・モンゴメリーもケニー・バレルもバーニー・ケッセルもタル・ファーロウもガボール・ザボもジム・ホールもジョー・パスも、……えーと、ほかにだれがおる? とにかくほとんどギターという楽器に興味がない。これがフリージャズとかインプロヴィゼイションとかノイズとかになってくると、がぜん好きなミュージシャンが多くなるのだが、ジャズギターというものに関心がないのは、たぶんせっかくいろいろできる楽器なのにシングルトーンでバップフレーズを弾く、というのがいまいちピンと来ないのだろう。そこへいくとブルースのギタリストはみんなかっこいいなあと思う。しかし、どういうわけかグラント・グリーンだけは学生のころから好きで、それもとくにこの初リーダー作である「グラント・ファースト・スタンド」が一番好きなのだ。後期の、こういうスタイルを捨ててファンキーに楽しくやり出してからも好きだ。本作は、ぶっとい音でバップフレーズを一生懸命つむぎだしているグリーンの真剣さが伝わってくるし、ほとんどがブルースというのもいいし、他のメンバーも相性ばっちりだし、なによりも全体を覆うブルーな雰囲気と重いノリがいい。先輩に入れてもらったカセットテープをずっと愛聴していたが、CDで買い直して久々に聴いたが、やっぱりええなー。傑作。

「GRANT GREEN LIVE AT THE LIGHTHOUSE」(BLUE NOTE TOCJ−50503)
GRANT GREEN

 大学に入った年に、ギターの先輩の片井さんの車に乗せてもらったときにかかっていたのがこのアルバム。聴いていると、片井さんに「どう思う?」と言われた。ふつうは「ええやろ」とか「かっこええやろ」とかきくはずなのに、「どう思う?」と言われたので、ちょっとひっかかったのだが、すなおに「めちゃめちゃかっこええですね」と答えたら、「そやろ。でも、このアルバムはグラント・グリーンのなかではいまいち、という評価らしいねん。かっこええと思うけどな」……これが私がグラント・グリーンを聴いたはじめでありました。そののち「グラント・ファースト・スタンド」とか「フィーリン・ザ・スピリット」とかぶっとい、渋い音の単音でキメるアルバムをいろいろ聴いて、すごく好きになったが(ジャズギターというのは、だいたい私にはよくわからないのですが、グラント・グリーンとウエスはさすがにアホ耳でもわかるのだった)、はじめに聴いたこのアルバムの印象はそれとは切り離された感じでずっと持っていた。テープは持っていたのだが、廉価盤が出たので久しぶりに聴いてみると、けっこう覚えてるもんで、やっぱりかっこいいのであった。私は最近のクラブジャズ的な展開でなにがウケてるのかとかさっぱりわからんけど、このアルバムがマストアイテムだときいて、そらそやろな、と思った。ええもんはええのであり、「単音で訥々とビバップをやるホーンライクなギタリスト」という評価を(日本の)評論家によって与えられていたグラント・グリーンが、そういうイメージから脱して好きなように暴れまくった本作は、今こそ、歴史とかしょうもないことにとらわれない、聴く耳をもった若い連中によってちゃーんと支持されているわけで、やっと健全な状態になったわけであります。「あれもあり、これもあり」というのが正しいのである。グラント・グリーンはこういう風なジャズのギタリストというレッテルを貼って、それから逸脱したものは、コマーシャルだとか時代に流されたとかいうのはアホのたわごとであります。一時クスリで収監されていたあとの、いわば新生グリーン。本作でも、さすがにリーダーのグリーンは、めちゃめちゃええソロばかりを展開していて、盛り上げる盛り上げる。いやー、グリーンってこんなにロッキン・ジャンピンなやりかたでも表現力がはんぱじゃないんだなあと感心しまくるが(アルバート・キングか!と思ったりする)、共演者としては、はじめに片井さんの車のなかで聴いたときから耳に飛び込んできていたサックスのクロード・バーティーがめっちゃええのである。たとえば1曲目のソプラノソロ(テーマはテナーで吹いている)の荒さ(しょぼい音色とか、音程とか、音が裏返ったりするとか、そーゆー細かいことはどーでもいいんです!)がスバラシー! ノリ一発の雑いソロやなあと思うかたは、この超アップテンポで、ライヴで、この時代で、ここまで吹けるというのは、なかなかの逸材であります。嘘だと思ったら、このテンポで吹いてみてくれたまい。というか、こういう場でジャズ的に完璧なソロをサックスが吹いてもしらけてしまう。このひと、グラント・グリーンのこの時期のアルバムには常連的に入っているので、レギュラーバンドのメンバーなのだろうが、ほかではほとんどその名前を見ないし、リーダー作もないようで残念だ。テナーは、ソプラノに比べても、音も音程もしっかりしているし、タレンタインに輪をかけたようなファンキー節+コルトレーンな部分もあり、より一層自在である。オルガンもええソロをするし、こういうリズムがちゃんとしているオルガンは好きであります。ベースはウィルトン・フェルダーで、さすがにノリノリでブチブチのかっこよさ。ついついベースに耳がいってしまう。エド・ハミルトンのアナウンスのあとではじまる「ジャン・ジャン」という、新世界の横丁みたいな曲は、いきなりめちゃめちゃノリノリ、ドファンキーなベースラインではじまり(ベースだけ聴いていてもかっこええ!)、これは踊りたくなります。この曲のギターソロなど、おまえはほんまにあの「フィーリン・ザ・スピリット」のグラント・グリーンか? と詰問したくなるほどのアホ丸出しのめちゃめちゃかっこいいものでありまして、それにかぶさるオルガンの絶叫……いやはや恐れ入ります(テナーはなぜかかなりオフマイク)。エンディングの「ウォーク・イン・ザ・ナイト」も、ドスのきいたベースが最高(ソプラノは、この曲ではとくに音程悪いけど、ええやんええやん最後の曲やん)。というわけで、多くのハードバッパーがジャズ・ロックやモードジャズに移行しようとして対応できず失速していくなか、完璧にこういったファンキーミュージックに対応できたグリーンはスバラシーッ(もともとそういう素質があったのでしょうね)。今では、このアルバムをくさすやつもおらんと思う。よい時代になったもんだ。でも、日本語ライナーはちょっと大げさにほめすぎ?