johnny griffin

「THE KERRY DANCERS(AND OTHER SWINGING FOLK)」(RIVERSIDE UCCO−9126)
JOHNNY GRIFFIN QUARTET

 グリフィンには大好きなリーダーアルバムが何枚かあって、それはたえとばブルーノートの「イントロデューシング」であり、ギャラクシイの「リターン・オブ……」であり、ブラックライオンの「ザ・マン・アイ・ラヴ」であり、そしてリバーサイドの本作である。つまり、グリフィンはやっぱりワンホーンなのだ。名盤といわれる「リトル・ジャイアント」にしても、ロックジョウとのバトルチームにしても、クラーク・ボーラン・ビッグバンドでの活躍にしても、ワンホーンで自在に吹きまくっているものに比べるとなんとなく不自由そうである。このアルバムは、いわゆるトラディショナルフォークナンバーをグリフィンがジャズアレンジしたものが4曲と、後年も重要なレパートリーになる「ハッシャバイ」(この曲、クラシックをモチーフにした曲とか、映画音楽とか、民謡をアレンジしたものとか、さまざまな説があって、よくわからん)、あとはブルースなどをとりあげているが、一曲目の一音目から気合いのはいっだ独特のフレーズがほとばしり出て、あっというまに全曲聞きおえてしまう。グリフィンのプレイは、どんなアルバムでもガッツのある、すばらしいものだが、ライヴなどではその気合いが裏目に出るというか、超アップテンポの曲をえんえんやったり(アクロバットとして聴くのはよいが、あまりえんえんやられると、聴くほうの耳が追いつかなくてしんどい。もう少しテンポをさげれば、やるほうも聴くほうももうちょっとくつろげるのに)、一本調子でダレたり、共演者を置いてきぼりにしたりすることもある。しかし、上記のアルバムではその心配はない。そして、その頂点にあるのが、このアルバムではないか。何遍聴いてもいいので、CDで買い直しました。なお、グリフィンというひとは、バップフレーズの塊のようにいわれているが、よく聴くと、けっこう「特殊」なフレーズが多いひとで、例のレスター・ヤング+パーカー派の四天王(と私が勝手に呼んでいる)アモンズ、スティット、ゴードン、グレイとはまるで系統のちがうフレーズを吹く(この四人、ある意味、フレーズ的には兄弟である)。そして、ピッチがやや高めである。こないだクラーク〜ボーランのビデオを観てもそう感じた。

「INTRODUCING JOHNNY GRIFFIN」(BLUE NOTE 1533)
JOHNNY GRIFFIN

 このアルバムはめちゃめちゃ好きだった。一曲目ののテーマ部分から、独特のちょっとシャープ気味のフレーズの吹き方がたっぷり堪能できるし、とにかくグリフィン(我々は「グリちゃん」と呼んでいた)に関しては、どんなに速いテンポでも指やアーティキュレイションが乱れるということはない。とくにそのすばやい舌づかいは神技で、アップテンポでの8分音符の羅列を聴いているだけでうっとりする。とくにB面の「イッツ・オールライト・ウィズ・ミー」と「ラヴァーマン」あたりは絶品で、毎日のようにターンテーブルに置いた(「イッツ・オールライト・ウィズ・ミー」はコピーしたが、結局吹けなかった)。アーネット・コブのところやビッグバンドなどでつちかったと思われるブロウフレーズが顔を出すのもいい。しかし、今の気分としては、グリフィンからは少し離れている感じがする。本作も、昔あれだけ聴いたのに、長い間手にとっていなかった。聴きかえすと、なるほどすばらしい、と思うのだが、積極的に聴こうという気持ちにはなれない。なお、うちにあるレコードは裏面には「シカゴ・コーリング」というタイトルが印刷されていて、背中にはなにも書いていない。どーゆーこっちゃ。

「A BLOWING SESSION」(BLUE NOTE 1559)
JOHNNY GRIFFIN

 学生のころ、めちゃめちゃ感動した。凄い凄い凄すぎると思った。でも今の耳で聴くとかなり荒いセッションである。曲が速すぎる。それを完璧に吹きこなすグリフィンはすごいが、それは音楽の凄さというより曲芸のすごさであって(こういう言い方をすると怒るひともいるだろうな)、モブレーもコルトレーンももたついていて、もうちょっとテンポをさげれば全員、すばらしい演奏をするはずなのに、と思うと、あまりにもったいない。グリフィンが超アップテンポを軽々吹きこなせるのはよくわかっているから、そういうのはワンホーンのときにすればいい。3人いるんだから、ターヘなあとのふたりに少しは花をもたせてやればいいのに(技術的な問題で、音楽的なこととはまったく関係ない)。3人のテナーによるバトルかと思うと、リー・モーガンがなぜか一枚噛んでいるのも、ブルーノートというよりプレスティッジのオールスタージャム的である。ジャケットはかっこよくて、グリフィンがドラキュラのように見える。

「THE MAN I LOVE」(BLACK LION PA−7068)
JOHNNY GRIFFIN

 たぶん、学生時代、グリフィンで一枚といわれたら、このアルバムを挙げただろう。それぐらい好きだった。ライヴという高揚感、めまぐるしいアップテンポでの、マシンガンのように粒だった八分音符のアーティキュレイション(とくに最後の「ウィー」の速さといったら……)、バッキングをつとめるピアノトリオ(ドリュー、ペデルセン、ヒース)のすばらしさ、そして選曲の妙(「ザ・マン・アイ・ラヴ」「ソフィスティケイテッド・レディ」「ハッシャバイ」……)など、グリフィンの魅力のすべてが味わえる。今聴くと、さすがに「ウィー」は速すぎるが、やはりグリフィンを代表する名盤だと思う。

「FLY MISTER FLY」(SAXOPHONOGRAPH BP−504)
JOHNNY GRIFFIN WITH JOE MORRIS ORCHESTRA

 サキソフォノグラフというのは、LP時代にブローテナー、ホンカーたちのマニアックなレコードを出しつづけてくれたすばらしいレーベルで、学生時代、私も金の許すかぎりここのアルバムを買った。これはそんななかの一枚で、ジョー・モリスのオーケストラ(といっても三管とか四管編成。このころは、四管ぐらいでビッグバンド風のサウンドを狙ったジャンプっぽいバンドが流行っていたようだ)でグリフィンをフィーチュアした作品を集めたもの。内容はマジですばらしい。サキソフォノグラフというのは、とにかくマニアックで、中身に関係なくクロノジカルに全部収録しまっせ、というコレクター的観点から編集されたアルバムが多く、演奏としては「ありゃー」というものもたくさん出ていたわけだが、このアルバムに関しては、主役があのグリフィンということで悪い演奏はゼロ。若干十九歳(!)のグリフィンが、その年齢からは信じられないような完成度の高いブロウを繰り広げる。ぶっとい、濁った音で、頭の線の切れたような(おそらくライオネル・ハンプトンバンドでテナーの席をわけあった大先輩アーネット・コブから学んだものであろうが)フリークトーンを駆使したアクロバティックな演奏から、引用フレーズを入れまくったユーモア溢れる演奏、そして「イントロデューシング」以降で見せるあの凄まじいまでのめくるめくテクニックを示すバップテナーの王者としての早吹きまで、後年のグリフィンが完璧にこのアルバムの時点で完成しているのである。もう一度言うが、十九歳ですよ! ウィントン・マルサリスどころではない早熟さなのだ。しかし、ここでぎゃーぎゃーいってたグリフィンが、このあとモンクとの共演、欧州へわたってのクラーク〜ボーランとの共演、そして、ニューヨークへ凱旋……という数奇な人生を歩むとはこのとき誰が予測したでしょう。そんなことを思いながら聴くのもまた一興。思えば遠くまで来たひとなのだ、グリフィンは。

「THE TOUGHEST TENORS」(MILESTONE M−47035)
JOHNNY GRIFFIN AND EDDIE”LOCKJAW”DAVIS

 グリフ〜ロックの「タフテナーズ」チームは、アモンズ〜スティットの「ボステナーズ」チーム、ゴードン〜グレイの「ザ・チェイス」チームとならぶ3大テナーバトルチームのひとつだが(こういう場合、たとえばアルアンドズートとかは入らない)、ボステナーズには「ブルース・アップ・アンド・ダウン」、ザ・チェイスチームには「ザ・チェイス」という「この一曲」があるのに、グリフ〜ロックにはそれがないのがじつに惜しい。しかし、音楽的充実度からいうと頭ひとつ抜けているかもしれない。とにかく文字通りタフでディープでストロングなふたりのテナーが持っている技術のすべてを、ドカンドカンと全力でぶつけまくる、聴き手にも体力を要求するテナーバトルなのだ。このグループのアルバムはプレスティジからも(ライヴ盤を含めて)けっこうでているが、主要な作品はジャズランドにあり、この二枚組はジャズランドのベスト盤である。正直いって、私はこの二枚組で十分である。五枚のアルバムからのより抜きで、ほんとうに「ベスト」な選曲なのだ。たとえばモンク作品は1枚目のB面にまとめる、というような編集がなされているので、個々のアルバムの個性を失うことなく通して聴ける。グリフ〜ロックを5枚も聴くのは、はっきり言ってしんどいでしょう? そういう意味でこのアルバム、とてもいいと思う。とにかく全曲すばらしい出来ばえで、選曲もよく、これを聴いて興奮しないひとがいたらおかしい、と思うぐらいのエキサイティングな重量級のぶつかりあいである。グリフィンは、凄まじいテクニックで吹きまくるのだが、スティットのように、軽い早吹きではなく、どれだけアップテンポでブロウしても、ヘヴィな感じを失わない。そして、ロックジョウはもちろん一音の重みをわかっているプレイヤーであり、濁った音でブロウしまくる。この対比もいい。そして、なによりスウィングスタイルのロックジョウが、モンクの曲をやっても、ちゃんとモンクの世界をそれなりに表現しているところがすばらしい。グリフ〜ロックのアルバムを聴いてみたいが、どれから聴けばいいのかわからん、というひとや、全部は買う気ないけどなあ、というひとにはだんぜんおすすめの二枚組。CDとしてはどうなってるのか知らんけどね。

「OW!」(REEL TO REEL RECORDINGS RTR−CD−003)
JOHNNY GRIFFIN & EDDIE”LOCKJAW”DAVIS LIVE AT THE PENTHOUSE

 グリフィンとロックジョウの「タフテナー」チームの未発表ライヴが突然発売された。放送録音なので音質はばっちり(ピアノがちょっとオフ?)。このふたりほどどっちがどっちか聞き分けられない心配のないテナーバトルもないだろう。個性が強すぎるふたりなのだ。それが猛烈なパワーでぐいぐい押してくるような演奏を繰り広げるので、結果は「壮絶」の一言。すべてを焼き払うようなえげつないバトルになる。しかし、どちらも正攻法のひとであって、真っ向勝負でここまでぶっ飛ばすというのもすごいことだ。ロックジョウは例によって例のごとしで、野太いが、常にへしゃげたような(軽くずっとグロウルしているような)音で、あのヘンテコなフレーズを吹きまくる。ロックジョウの変態ぶりについては何度も書いてきたが、とくに下降フレーズに顕著で、おそらく音楽的な理屈があるというよりただの指癖なのだと思うのだが、ちょっとずつ外しながら降りてくるフレージングは「歌心」とか言われるものとはかなり遠い。コピー不可能というより、コピーする意味がない、と聞いているものに思わせるような変態的なものだ。それが「心地よい歌心のあるフレーズ」を旨とする……と思われているスウィング系のテナー奏者(そのこと自体がかなりの偏見なのだろうが)によってひたすら使用される、という点もまた驚きなのだ。そして、ひとたびスイッチが入ると、グロウルしまくりの濁った音でのホンクがはじまり、フラジオでのアクロバティックなフレーズなども織り交ぜて客を興奮のるつぼに叩きこむ。やることは毎回同じなのだが、それに巻き込まれてしまう。一種の化け物である。なお、ロックジョウの変態フレーズに関してだが、日本語ライナーで書かれているような「急激な音の跳躍はエリック・ドルフィーのプレイにも比せられ……」とあるのはなにが出典なのかわからないが、ロックジョウはああいうドルフィー的な跳躍のあるフレーズを吹くわけではなく、上昇下降の道筋がおかしいのである(とくに下降)。ロックジョウは、サブトーンの使い手でもあり、音をぐにゃりとベンドする奏法も名人で、本作でもそういうのを織り交ぜたフレーズを聴くたびに「あー、すごい」とひたすら感心してしまう。あるテンポ以上だとだいたいいつもおんなじフレーズを吹いているわけだが、それで聞き手が満足するというのは、ジャズにおける即興というものを考えさせられる。ロックジョウの圧倒的な個性と台風のようなブロウは聞き手をして納得させるだけの力があるのだ。そして、グリフィンもまたテナーのモンスターだといわざるをえない。これだけのスピードで吹いても、指とタンギングが完璧に一致するというのは驚異で、指が回るというだけならこれだけの速さで吹けるひとはけっこういるかもしれないが、グリフィンはそのうえにアーティキュレイションが乱れないところがすごすぎるのである。とにかくこのアーティキュレイションを聴いてるだけで「快感……!」となってしまう。しかも、ロックジョウとは対照的にテナーのバップフレーズの宝庫であって、美味しいフレーズがつぎつぎと途切れずに出てくる。それも、テナーの全音域を軽々使ったもので、どれだけ上手いねん、と呆れてしまう。10曲目の「ハウ・アム・アイ・トゥ・ノウ」での延々と続く4倍テンのソロの見事さには口があんぐりとあく。ふたりとも、めちゃくちゃ速いエキサイティングな曲だけでなく、ミディアムテンポの曲でも基本的にはやっていることは同じだ(倍テンあるいは4倍テンで吹くからなー)。軽い音色で流しているような曲でも、全体にどうしようもないコテコテ感が噴出するのは不思議。「カウント・ベイシー」に収録されているロックジョウのこのバトルチームに関する言及は貴重だが、引用しようと思ったけど長いので皆さん自分で読んでください。楽器を操る名人ふたりのチームだ、とか、テナーはのろまな楽器だと思われていたがそうじゃない、とか示唆に満ちた発言が多い。そして、テナーバトルというのはだれとだれがやってもテーマ部分は同じような感じになるのだろうと思われているかもしれないが、ソノリティというものがあって、このグリフィン〜ロックジョウのふたりの音色は本当にうまくブレンドし、ハモらせてもめちゃくちゃ気持ちのいい、個性的なハモリになるのだ。このこともタフテナーズチームが成功した理由のひとつだと思う。このチームは(本作でもわかるとおり)選曲も渋い。モンク集を出していたり、と意欲的な試みも行っていたし(しかも、このふたりの良さもちゃんと残していた)、本作においても(なんと)12曲目で(ようやく)グリフィンフィーチュアのバラード(「ソフィスティケイテッド・レディ」)があるが(サブトーンとかをほとんど使わない、武骨でストレートな演奏だが超かっちょいい。ビブラートは多用。異常にすごいタイム感覚で名人芸としか言いようがないすばらしいバラード演奏)、基本的にはふたりで「ガーッ!」とやる、という演奏ばかりである。ラストの「ティックル・トゥ」も爆弾のような凄まじい演奏で、単に「テンポが速い」というだけなのにこれだけ壮絶な演奏になってしまうのである。パーランのピアノも指を鍵盤にぶつけまくるような感じ。そして、本作はグリフィン〜ロックジョウの強烈な個性にアテられるためのアルバムだとはいえ、ホレス・パーランのゴツゴツしたピアノやバディ・カトレット(!)のベース、アート・テイラーのドラムのサポートもすばらしい。皆さん、お疲れさんでした! と言いたくなるような、ただただ暴風が吹きまくるようなバップのハリケーンであります。