「BORN AT THE SAME TIME」(OWL 010)
STEVE GROSSMAN
「ホールド・ザ・ライン」以降のグロスマンにはほとんど関心がないので(ええのはサムデイのライヴぐらいかなあ……)、ネットのあちこちで、「ハードバップを演っているグロスマンが好きです」みたいな文章を見るとまるで理解できない。グロスマンはやっぱりこれでしょう。レコードももちろん持っているのだが、それを買ったのは、忘れもしない、今はなき東通り商店街の「LPコーナー」で、入荷の報を聴いて駆けつけ、レジに持って行くと、店主のおっちゃんが「おお、グロスマン吹きまくり!」と言いながら受け取ったのを思い出す。それまでも、「サム・シェイプス・トゥ・カム」や「ストーン・アライアンス」(一作目のことです)、「コン・アミーゴス」、エルヴィングループでの諸作(とくに「ライトハウス」と「ミスター・サンダー」)、「ワン・ウェイ・トラヴェラー」などを先輩にテープに入れてもらったり、自分で買ったりして聴きまくっていた私ではあったが、このアルバムは衝撃でしたね。完全にバックバンドは置いてきぼりで、ひたすらずーーーーーーーっとグロスマンが吹きまくる。一瞬のためらいもなく、とにかくあのグロスマンフレーズを延々と、アップテンポに乗せてブロウするそのエネルギーというかパワーというか、その破壊力は凄まじいものである。これを聴いたら、ハードバップのグロスマンなんかべつにどうでもいい、という感じ。本人の思いはしらんけど、聴き手としての私は永久にこの時期のグロスマンの突出したフレーズを愛し続けるでしょう。
「HOLD THE LINE」(SOUND DESIGN RECORDS1342−50)
STEVE GROSSMAN QUARTET
うーん……そやなあ……。個人的には本作が発売されたとき、ちょうど大学生で、うわっ、グロスマン復活や! やった! と単純に大喜びしたわけだが、聴いてみて、うーん……どうもちがうんじゃないかと思った。当時、ジャズライフとかにコピー譜が掲載されたりしたこともあって、それを吹いて勉強させてもらった思い出もあるのだが、どうも「あの」グロスマンがただのハードバッパーになりさがったような感じがして嫌だった。なりさがった、というのはグロスマンにもハードバップにも失礼だが、とにかくそういう印象だったのである。「ボーン・アット・サ・セイム・タイム」「サム・シェイプス・トゥ・カム」やストーン・アライアンス、エルヴィングループなどであれだけえげつないフレーズをひたすら、一瞬のためらいもなく吹きまくっていたグロスマンの姿はここにはないのだ。あれがよかったのだ。あれが好きだったのだ。あれに死ぬほど惚れていたのだ。なのに……。まあ、前兆はあった。「ニュー・ムーン」というアルバムはロリンズ的なフレーズをつむいでいく部分も多く、なんじゃこりゃー、と思ったが、ここまでグロスマンが本気だったとはなあ。このあとに出たアルバム「ウェイ・アウト・イースト」(テープの回転数がちょっと変)をはじめ、たいがいのアルバムをしつこく聴いたが、心にぐっときたのはサムデイのライヴ(あれは最高です)ぐらいのもので、ほかはどれも、うーん……と首をひねってしまう。どれもおそらく、ハードバップアルバムとしてはかなり良質のものばかりなのかもしれないが、なにしろ以前が以前なので、冷静な目(耳?)では見られないのである。というわけで、本作で「おっ!」と感動したのはグロスマンフレーズが噴出する「チュニジア」でしょうか。ほかの曲も、(グロスマンでなかったら)かなりいいと思いますが……。この時期の来日ライヴも見に行ったが、こういうハードバップ的な演奏ばかりでした。
「SOME SHAPES TO COME」(PM RECORDS SHOUT226)
STEVE GROSSMAN
1曲目の超アップテンポのリズムがスピーカーから流れてくると心は一気に、このアルバムをはじめて聴いたあのときに逆流する。大学に入って、サックスの先輩から「これを聴け」といわれた何枚かのアルバムのうちの一枚だった。テープに入れてもらったが、欲しくて欲しくてたまらなかった。買えたのは数年後で、カットアウトの輸入盤だった。音質がめちゃくちゃ悪くて、カットアウトのせいかなあと思っていたが、どこで聴いても同じなので、なるほど、PMというのはこういうレーベルかと納得した。フリージャズと同等、いや、それ以上の爆発的な狂乱がモーダルな土台のうえでコルトレーンチェンジを基礎にした変態的なフレージングと悲鳴のようなフラジオによってもたらされる。アルトのような図太い音で絶叫するえげつないソプラノ、そしてヤン・ハマーの気の狂ったようなキーボード……ああ、これを極楽浄土の快感と言わずしてなんと言おう。ストーン・アライアンスにヤン・ハマーを加えただけのメンバーで、音楽性もほとんど変わらんと思うが(ストーン・アライアンスのほうがややラテンっぽいかも)、そのことが当時の彼ら4人がやりたかったことが共通しており、そこへ向けて一丸となって猛進しようという意気込みを感じる。このときグロスマンは若干22歳で、それでこれだけの演奏をしていたというのは驚異としかいいようがない。突出したテクニックと音楽性、ハーモニーセンス、作曲能力、モーダルなフレージングを一瞬のためらいもなくふきまくる暴風のようなその激奏には、若さとか初々しさよりも、ドスのきいた「ふてぶてしさ」を感じて、怖いぐらいだ。あのころの学生サックス吹きはみんなこのアルバムを宝物のようにしていて、日々聴きまくっていたので、今聴いてもまるで懐かしいという気にならん。つーか、最近もよく聴いてるし。こういうのは永遠に聴き続けるべき傑作なのだろうな。CD化されたので、普通はレコードで持っているアルバムは買わない主義なのだが、こればっかりは音質が向上しているかもという可能性を捨てきれず、つい買ってしまったのだ。結果、うん、かなり音はよくなっていると思う。でも、あのもやもやしたエコーも健在なので皆さん安心してください(なにが?)。いやー、しかしCDを買ってから、今日まで一カ月ほどだが、よう聴いたなあ。たぶん20回ぐらい聴いたと思う。ほんと、好きなんです。残念ながら日本盤のライナーを書いているかたは、なんというかすごく冷めていて、このアルバムが我々に対して持つ異常な麻薬性というかバイブル的な意味合いが全然伝わらないように思うので(もちろん、冷静にリスナーに情報を提供することは大事かもしれないが、私がもしグロスマンのこのあたりのアルバムのライナーを依頼されたら喜びと感動とああこの思いを伝えたいという気持ちとで舞い上がってしまって無茶苦茶になるだろうから)、最近あったエピソードを書くと、西宮のジャズ喫茶コーナーポケットの入り口のドアに、長年このアルバムジャケットが飾ってあって、閉店のとき、芳垣さんが「このアルバムをどうしても譲ってほしい」といって持って帰った(テナーの松本さんも狙っていたらしいが、先輩の特権として芳垣さんが勝ったらしい)。芳垣さんに、「持ってないんですか?」ときくと、「あそこのドアにずっとあったやつやから価値があるねん」と言ってはりました。なお、芳垣さんは同じくPMのエルヴィンの「オン・ザ・マウンテン」を死ぬほど愛しているらしいが、CDになって音質が変わってしまってめちゃめちゃ悲しいとも言っていた。まあ、それぐらい、ある世代(私も含めて)にとっては宝物のようなアルバムであり、ここに収められたグロスマンの一吹きから我々は、音楽的なことだけでなく、ある種の思想というかスタンスまでも感じとって影響を受けたのだと思う。そういう意味合いを現在の新しいリスナーにもちゃんと伝えてほしかったです。
「TERRA FIRMA」(PM RECORDS PMR−012)
STEVE GROSSMAN
有名な初リーダー作「サム・シェイプス・トゥ・カム」の2〜3年後の録音になる2作目。メンバーもまったく一緒だし、音楽性も変わらない。おなじみの「カトーナ」で開幕し、ラストの曲までまったく変わらない疾走ぶりを示す。個性というものがジャズミュージシャンにとっては宝なのだと思った一枚。正直、「サム・シェイプス……」よりこっちのほうをよく聴いたかもしれない。それは、学生のころ、本作が取り出しやすい棚に置いてあったから、というだけの理由なのだが、それにしてもよく聴いたよなあ。「カトーナ」のグロスマンのソロあとの曲調の変化とそのあとまた戻るところのかっこよさったらないんです。「イン・イット」の落ち着いたグルーヴとこれまたかっこいいアレンジのあとに暴風のように吹き荒れるテナーのバイオレンスもしびれる。3曲目のテーマは、グロスマンがほかの曲のソロ中にも引用するやつだが、死ぬほどかっこよくないっすか、この演奏。ぎゃーーーーーーーーーっていうだけの部分と、異常なテクニックでメカニカルなフレーズを吹いて吹いて吹き倒すドラムとのデュオ部分など、もう頭がおかしくなるようなテンション。4曲目「エンヤ」は多重録音も用いられていると思うが、硬質なビートに乗ってグロスマンフレーズの典型が聴ける。アレンジもすばらしいです。5曲目は本作では一番長尺(といっても6分49秒)の演奏。この曲のテーマもかっこいい。この曲をブレッカーかサンボーンが吹けば、すごく耳触りのいいフュージョンの曲に聞こえるだろうが、グロスマンが吹くとかくのごとし。グロスマンってほんとに作曲、編曲能力も抜群だし、どうしてあんなハードバップテナーになってしまったのかまったく理解できん。6曲目「リレントレス・レディ」はジーン・パーラの曲でバラード風(?)。ラストの曲もパーラの曲で、グロスマンが吹きまくり吹き倒す。荒い演奏だといってしまえばそれまでだが、この荒さ……テクニックも異常にあるのに、なおかつ荒い(荒々しいというのとはちがう)感じというのは、狙っているんでしょうねー。すごいよなー。全編にわたってヤン・ハマーはあいかわらず変態だし、この猥雑感、剥きだしのロック〜ラテンリズム、複雑なのに雰囲気としてはものすごい直情的な感じがするというのは、いったいなんなんでしょうね。このころの彼らの持つ膨大なエネルギーが、そう感じさせるのだろう。この2作目のほうはライナーが原田和典さんで、さすがに「サム・シェイプス……」のライナーを書いているひとよりは遙かに熱くて共感もできるのだが、ソプラノに関しては私はずっと逆のことを思っていた。この当時のグロスマンのソプラノの圧倒的な音の太さは、ちょっと信じがたいほどであり、この「音の太さ」を得るために、もしかしたら奏法とかもむちゃくちゃなんじゃないかとさえ思ってたほど。それがいちばんよくわかるのは、エルヴィン・ジョーンズの「ミスター・サンダー」(「ミスター・ジョーンズ」じゃないよ)というアルバムで、大木のようなソプラノの音が聞ける(私は持ってません)。でも、たしかにテナーが一番。グロスマンのハードバップしか知らないひとは、本作と「サム・シェイプス……」を毎晩交互に聴いて、ぶっ飛びましょう。
「PERSPECTIVE」(ATRANTIC SD19230)
STEVE GROSSMAN
79年というフュージョン全盛期にグロスマンがアトランティックをだまして作ったアルバム……と私は思っているのだが、真実はどうだろうか。とにかく、バリー・フィナーティ、オナージェ・アラン・ガムス、マサブミキクチ、マーク・イーガン、マーカス・ミラー、スティーヴ・ジョーダン、ヴィクター・ルイス、レニー・ホワイトなどなど錚々たるミュージシャンを従えての録音で、いかにかっこいいフュージョンサウンドがあふれるのかと思っていたら、これがめちゃめちゃ硬派なジャズというかグロスマンミュージックなのだから笑うしかない。曲も一曲目はスティーヴィー・ワンダーの曲(ストーン・アライアンスの1枚目で取り上げていた「クリーピン」)などをやっているが、あとは「キング・タット」(すげーっ)や「カトーナ」(すごすぎるっ)といったグロスマンのおなじみの曲やマサブミキクチの曲などを取り上げている。もちろん、録音とかアレンジはなかなか洒落た風を装ってはいるが、隠しようのないグロスマンの個性がそれらをぶち破って放出される。1曲目の、めちゃめちゃかっこいいアレンジのなかを貫くようにして吹きまくるグロスマンに爆笑してしまうひとも多いだろう。口当たりがいいうえ、グロスマンは手抜きなしで徹底的に自分を出しているというお得な内容なので、学生のころはほんとによく聞いた(テナーのひとはみんな聞いてた)。そのあとも、なにしろリズムとかアレンジがかっこいいので、ついつい聞いてしまい、今回聴いてもあんまり久しぶりという感じがしない。どの曲もグロスマンのテナー(とソプラノ)のド迫力のブロウを最大限に引き立たせる作りになっているので、すばらしい。これがたとえばブレッカーとかリーブマンだったら、もっとこのアレンジに溶け込んだ、もっとちゃんとはまるプレイを繰り広げただろうが、グロスマンというひとは不器用なので、そういうわけにはいかない。その結果が、こうしていつまでも聴き続けるにたる傑作として残ったのではないだろうか。本当はCDで欲しいような作品で、もちろんCD化はされているのだろうと思うが私は知りません。このなかに、「サム・シェイプス・トゥ・カム」「テラ・ファーマ」「ストーン・アライアンス」「コン・アミーゴス」「ボーン・アット・ザ・セイム・タイム」……などなどで爆発、暴発、炸裂しまくっているグロスマンの音楽性が、いささかも減じることなく入っている。一種のショウケースであり、入門編としても最適だし、またグロスマンを一通り聞きおえたファンがもう一度戻ってくる毎日の心の癒しとしてもいいのではないかと思う。私は天下の大名盤と思うんですが、世間の評価はどうなのだろうか。テナーにエコーかけすぎって? ほっときなはれ! オナージェの作曲であるA−4でのソプラノプレイが、本作では唯一、かなり耳障りのいいフュージョンっぽく聞こえないこともないが、それでもソプラノソロ自体はやはりグロスマンのフレージングだ。B面に入ると、演奏はよりヘヴィになり、これだけのゴージャスなメンバーをそろえたのに、まるでストーン・アライアンスを聞いているような錯覚に陥ったりして。ひぇーっ、かっきーっ! と叫ぶ瞬間が目白押し。酒飲んで聴くと、より効果倍増(まえから疑問だったけど、「カトーナ」のラストは隠しトラックなのかな?)。それにしても、こんなにすばらしかったグロスマンがあんなハードバップの……ぐちぐちぐち(もう言うな)……ぐちぐちぐちぐちぐち。
「KATONAH」(DIW RECORDS DIW−8010)
STEVE GROSSMAN
日本制作のアルバムで、グロスマン以外のメンバーは全員日本人。グロスマンの日本ツアーのときに吹き込まれたもの。なにしろ「ホールド・ザ・ライン」以降のアルバムだし、あの「グロスマンVOL.1」「VOL.2」「ラヴ・イズ・ザ・シング」などなどを吹き込んだあとの演奏なので、当時は、聴きながら頭のうえに「?」が点灯しまくった記憶があるが、今こうして聴き直すと、かなりよい。というか、ぶっちゃけた話、私の個人的な好みでは、「ホールド・ザ・ライン」以降に吹き込まれた全作品のなかではいちばん良いと思う(サムデイのライヴは別)。この当時のグロスマンのライヴは出来不出来の差が激しくて、私が見たのはおそらく最不出来のときだったと思うが、まあ、個人的にはそれでも復活を祈っていたわけです(たぶん日本中のグロスマンファンがそう思っていたと思う)。「復活」というのは、あの、かつての輝きに満ちたグロスマンフレーズを吹きまくるようなタイプの演奏をしてもらいたい、という意味であって、スタンダードをハードバップ的にきれいに吹くような演奏はもういらん、という意味でもあった。そして、本作はその祈りがある程度通じている。1曲目はおなじみ「カトーナ」で、テーマの吹き方からしていいかげんで、自作の曲なのにちゃんと吹かず、やる気あるんかなあ、調子悪いんかなあ、と心配させる。ソロに入ってからも最初のうちはなんだかちんたら吹いていて、ああ、もうダメだあっ、と髪をかきむしっていたら、だんだんすごくなってきて、しまいにもめちゃめちゃすごくてかっこよくて、これだこれだこれですがな! と叫んでしまう……というじつにキタナイやり口の演奏だ。しかも、そのあとに出てくる本田竹廣のソロが圧倒的で、グロスマンがかすんでしまうほどのすさまじい演奏で、もうこの1曲で本作は「だいじょーぶ!」と確信できる。2曲目のスタンダード「アフタヌーン・イン・パリス」3曲目の「アイ・ヒア・ラプソディ」も、ああ、いつもきハードバップかあ、と思わせておいて、しかもかなりすごいんだけど、それだけではなく、随所に逸脱してグロスマンワールドに突入して戻ってこない……みたいな展開があり、つまりはグロスマン色に塗りつぶしたような演奏ですばらしい。B面にいって、これもおなじみの自作「トーラス・ピープル」だが、この曲をコード分解的というかビバップ的に演奏する。しかも、相当気合いが入っている。残りの2曲のスタンダード、モンクの「13日の金曜日」、ダメロンのバラード「ソウル・トレーン」もいい。というわけで、本作は全体として、「あの」グロスマンがちゃんと聴けるうえ、かなりテンションも高くて、かっこいいのです。グロスマンの八分音符のノリというのは、ときどき跳ねるノリに聞こえるときがあり、モーダルな感じの演奏だとまるで気にならないのだが、ハードバップ的な歌心をきかせる演奏(つまり近年の演奏)の場合は、なーんか気持ち悪く感じることがあり、本作でもちょっとだけそういう瞬間があるが、これも調子の良し悪しなのだろうか。共演者では本田竹廣のピアノが出色の出来で、双頭バンドといってもいいぐらいの最高のソロとバッキングをしている。あとは音楽とは関係ないことだが、ソロや曲の終わったあとに拍手が入るので、ああ、ライヴかと思っていたら、スタジオ録音なのである。日本語ライナーを読むと、「東京のアバコスタジオで本レコード会社の方々をまじえてアットホームな雰囲気で収録されたものである」とだけ書いてあって、スタジオライヴであるとかそういった説明はまったくない。どういうこっちゃ。それと、帯には「オリジナル曲を中心にグロスマン本来のアグレッシブなアドリブが炸裂する。(中略)カムバック後のベストパフォーマンス」とあるが、ライナー(かなりの長文ですよ。グロスマンの経歴もいろいろ書いてある)を読んでも、グロスマンは一時的に引退しており、いついつこういう風にカムバックした、というような記述はない。なんでや。ついでにいうと、6曲中、オリジナルは2曲だけなので「オリジナル曲を中心に」というのも変だよな。そして、ライナーノートだが、これを書いたひとはリーダーであるグロスマンの経歴で、代表作として「第六感」(サム・シェイプス・トゥ・カム)「パースペクティヴ」「ホールド・ザ・ライン」「スティーブ・グロスマンvol.1 vol.2」とマイルスのフィルモアを挙げているが、マジか? ストーン・アライアンスは? 「ボーン・アット・ザ・セイム・タイム」は? 「テラ・ファーマ」は? 経歴についても、日野の諸作や東風についてもかなりの誌面を費やしているぐらい細かいのに、ストーン・アライアンスのことはどこをみても一言も書いていないのは不思議だ。なーんか、印象だけで書いて申しわけないけど、グロスマンのこと、ほんまに好きなんか? と思ってしまうわけです。
「”LIVE” AT THE SOMEDAY VOLUME.1」(SOMEDAY OF MUGEN MUSIC SM−1002−CD)
STEVE GROSSMAN
グロスマンが「ホールド・ザ・ライン」や「ウェイ・アウト・イースト」などによって正式(?)に「バップテナー」であることを宣言したあと、世間の評価は高くとも個人的には「?」というアルバムが続いていたが、本作はそのもやもやを解消してくれた大傑作だと思っている。発売されてすぐに購入して聞きまくったが、「こういうこともできるんや」「こういうことを今もするんや(してくれるんや)」という気持ちで胸がいっぱいになったのを覚えている。VOL.1というのだから2もあるのだろうと楽しみにしていたが、そういうものは出る様子はなかったし、聞き及ぶところでは権利関係がすっきりしていなかったらしく、一旦廃盤になったのを、のちにそのあたりをちゃんとして復刻した(あくまで私が聞いた話なので、そのとおりかどうかわかりませんが)とかいう話も聞いた。しかし、そんんなことはどうでもよくて、すばらしい内容である。私が、当時聴いて、なんじゃこれ、と思ったスタンダードでの演奏においても、すばらしい演奏ばかりで、あー、やっぱりグロスマンというのは好不調の波が激しすぎるひとなのだな、と思った。そういうひとこそ我々は応援したくなるものだが、このアルバムは引き締まった音色といい、前方の一点を目指してごりごり進んでいくフレージングといい、ワン・アンド・オンリーの凄まじいものだ。1曲目の「インプレッションズ」(「インプレッション」と表記されている)も、ちょっと聴くだけで周到に用意されたものではなく「セッション」という感じがするが、グロスマンに関してはそれがまったくマイナスに作用していない。考えてみれば世界中でこういう場当たり的な演奏を行ってきたひとなのである。「ホールド・ザ・ライン」以降ハードバッパーとしてのグロスマンを求めるひとたちも多かっただろうが、一方でマイルスバンドやストーン・アライアンス、「サム・シェイプス・トゥ・カム」以降の数々のリーダー作での表現……などを愛好するファンは正直落胆したはずで、本作での1曲目を聴いて、え? こういうやつもう封印したのかと思ってたら、やるんや……とわたしをはじめとする多くのリスナーが思ったはず。罪作りなひとであります。とにかくこの1曲目の「インプレッションズ」(「IMPRESSION」と表記されている)は多くのひと(アマチュアテナー奏者が多いかも)が「ギョエーッ」と喝采を叫んだはずで、まるで「ボーン・アット・ザ・セイム・タイム」のあの吹きまくりのブロウのように繰り出されるモーダルなフレージングの畳みかけはただただ快感で、快感の滝を頭からどばどばと浴びているようなものである。ハードバップに行っちまった……と思われていたグロスマンのこの手のソロの快感をもう一度感じることができるとは……と当時大多数のファンは思ったのではないか。私もそうでした。永遠に続くかと思われる八分音符のフレーズや濁ったフラジオのかっこよさなど、グロスマンの魅力全開の演奏で、なんのイントロもない冒頭のテーマから、悲痛な叫びのような独特の濁ったフラジオ、低音におりていくフレーズでの低音をオーバートーンで割る感じの音、オルタネイティヴフィンガリングをこれ見よがしに使ったフレーズなど、ハードバッパーでない「スティーヴ・グロスマン」を堪能できる演奏であります(ライナーノートには「唯一のバッパー」とあるが、たぶん精神的な意味であって、文字通り受け取るとなんのことかわからない)。ピアノソロのあとに、ドラムとのデュオがあって、ますます激しく炸裂するグロスマンの噴火のような熱いブロウを聴くことができる。2曲目は「ウェイ・アウト・イースト」でもやってる「ミスター・サンドマン」(ええ曲やなあ……)で、ここでは一転してハードバッパーと化したグロスマンの鬼のバップフレーズの連打を聴くことができる。これもすごいなあ。ときおり混じる「ハードバッパーらしからぬ」フレージングがかっこよくてたまらん。熱くなっていくにつれ、ゴリゴリのフレーズばかりになっていくあたりもすばらしく、奇跡的な名演ではないでしょうか。3曲目「OUT OF NOWHERE」(これも「ウェイ・アウト・イースト」などで演ってる。愛奏曲なのだろう)では延々続く16分音符でのゴリゴリしたフレージングがド迫力だが、その部分が明らかにハードバッパーとはちがう独特のコワモテのものなので、くつろいだバップとはちがったぴりぴりした緊張感を作り出していてめちゃくちゃかっこいい。このころのグロスマンは、明快なバップ〜ハードバップ的なフレーズとモーダルなフレーズの衝突(?)がなにか新しいものを生んでいた気がする。最後にドラムとのかなり長尺の8バースがあって、ここも聴きごたえがありすばらしい。4曲目は「マイ・セカンド・プライム」とかでも演奏している自作の「ニューヨーク・ボサ」。あいかわらずリズムに軽やかに乗るというより、自分から、うえからぐいぐい乗ってリズムを作り出すような吹き方で、これだけ力のあるテナーマンならこれもアリだと思う。グロスマンは「東風」での初来日のとき某評論家に「あなたの演奏はメカニカルだ」と言われて、そういう演奏はしていない、と反論したそうだが、この曲のソロを聴いても、熱いだけでなく、急に思いついたことをすぐにパッと演る、みたいな自由奔放な部分があり、聴いていて楽しい。ラストの「オレオ」はハードバッパー的にめちゃくちゃ快調に飛ばしているが、ソロ終わりでフェイドアウト。全曲すばらしいが、しかし、やはり1曲目の「インプレッションズ」がなんといっても凄まじいよなあ、と思う。日本人リズムセクションのことには触れなかったが、もちろん立派なサポートだと思うけど、ここではグロスマンの演奏に絞って書かせていただきました。この同時期の日本でのライヴの隠し録りはいろいろ出回っているようだが、とりあえず本作を聴きましょう! 傑作!
「STEVE GROSSMAN−IN NEW YORK」(DISQUES DREYFUS 191 087−2)
STEVE GROSSMAN
このアルバムに関しては、「傑作! めちゃくちゃスゴいっすー」と書くこともできるし、「なんじゃこれは、しょうもなー」と書くこともできる。フォーカスの問題である。何度聴いても、ええやん、と思う反面、うーん……とも思う。グロスマンでなかったらこんなに悩みはしないだろう。スウィート・ベイジルでのライヴ。あのグロスマンがマッコイ・タイナーと……! とファンの期待は盛り上がっただろうと思うが、1991年の作品で「ホールド・ザ・ライン」以降のグロスマンはひたすらバップ〜ハードバップを演奏するひとになっており、本作でもひたすらスタンダードが並ぶ。力強い音でコード分解のフレーズをストイックに重ねていくグロスマンはまさに現代のハードバッパー……なのかもしれない。ときに例の濁ったフラジオを交えつつ、すばらしいアーティキュレイションの妙を見せるグロスマンのロングソロは、たとえばジャズ喫茶とかで聞いたら「すげー」と思うだろう。バップ的なフレージングのなかに本来のモーダルなフレーズを交えながらのブロウはめちゃくちゃすばらしいと思う。正直、ハードバップ的な演奏としても、グロスマンのアルバムとしてもかなりのクオリティの名演だと思う。しかし、私がグロスマンに臨むものはこういう「きっちり」したものではないし、マッコイとのからみも「共演した」という以上のものはないように感じる(マッコイ自身のソロはめちゃくちゃすげー!)。剛腕で、はっきりした音色で、押しに押しまくる演奏で、三曲目「ソフトリー」や四曲目「インプレッションズ」など、コルトレーンを連想させるような曲(マッコイとの共演なのだから当然だろう)についても、モーダルにガリガリ吹くというより、ハードバッパー的なマターを遵守して、ある意味ロリンズを連想させるような演奏である。正直いって、こういったモーダルな曲においてもグロスマンはあの「神がかりな演奏」ではないように思う。なんでしょうね、この感覚は。パッと聴いたらすごく派手な感じなのだが、実際には「ハードバップとはこういうもの」「モードジャズとはこういうもの」というイメージから抜け出ていないように思う。これが凡百の吹き手ならこんなことは言わないが、グロスマンですよ。あの天才グロスマンが「『インプレッションズ』ってこんなもんやろ」という感じで吹いているように思える。日本のサムデイでのライヴのすばらしさに比べても、本作は「うまいなあ」と思うだけである。そういうところが天才たる所以なのか。そういった聴き手の過度の思い入れをべつとしたら、本作は録音もいいし、グロスマンの音もぶっとく録れているし、吹き方も自信にあふれているようだし、マッコイも絶好調だし、アート・テイラーもいい……ということで名作ということになるのではないか。あの狂気の、アルバムのバランスとかくそくらえな天才グロスマンを期待するのではなく、きっちりしたハードバッパーとしてのグロスマンを聴きたいなら本作はちょうどいいのではないかと思う。これがグロスマンの本来の姿に根差しているのだとしても、なんだか「ハードバップのパロディ」のように聞こえる。これはめちゃくちゃ失礼な言い方だと思うが……。なお、六曲目「LOVE FORE SAL」は「LOVE FOR SALE」の誤記ではなくグロスマンのオリジナル。最近ある本で著者がこのアルバムに対する思いのたけをグロスマンに語ったら、あれはコマーシャルな仕事で金のために作ったアルバムだ、と言っていた、というのを読んだが、「グロスマンがやりたかったこと」というのがあのハードバップだったとすると、それはそれでひとつの悲劇だったのでは……と私は思います。
「OUR OLD FRAME」(OSC RECORDS OS−9901)
STEVE GROSSMAN & MASAHIRO YOSHIDA TRIO
グロスマンの87年の来日時のスタジオ録音。共演は吉田正広トリオで、ライナーには「当時吉田とグロスマンの間ではこの演奏を商品化する話はなかったようだ」とあるが、だったらなんのために録音したのでしょう。1曲目が「ニュー・ムーン」なので期待したが、なぜかあまり心が湧き立たない。ソプラノはすばらしい鳴りをしているし、グロスマンもかなりがんばっているが、いつもの「ニュー・ムーン」のあの一種独特の神秘的な雰囲気があまり感じられないのです。2曲目のアップテンポの「チェロキー」はグロスマンの独壇場でピアノなどにソロを回さず、ひたすらテナーでバップフレーズを吹きまくる。めちゃくちゃかっこいいし上手いけど、ハードバップのパロディにも聴こえる。これはグロスマンひとりだけの音楽であり、マイナスワンをバックに吹いてもこれぐらい吹くでしょう。3曲目のソプラノによる自作こそが本作の白眉であろう。ソプラノによるすさまじいブロウは、バップフレーズをたくみに並べ立ててつなぎあわせる、という「ホールド・ザ・ライン」以降のグロスマンの演奏とはちがい、グロスマンのオリジナリティを強く感じるすばらしいソロで、リズムセクションとも噛み合って全員でひとつの世界を作り上げている。4曲目はバラードで「アイ・キャント・ゲット・スターテッド」。これもかつてのテナー奏者たちの演奏のパロディのように聞こえる。フレーズの頭に強いアクセントを置き、跳ねるようなリズムを強調するあたりがグロスマンの個性か。最後の5曲目は愛奏曲らしい「アイ・ラヴ・ユー」で、この当時はこんな風なざっくりした押せ押せのバップ的な演奏をひたすら連発していたが、結局亡くなるまでずっとこの路線だったなあ。なお、ライナーノートは私の感想とかグロスマン観とはまるで正反対の内容で、ちょっと驚きました。