「WINDOWS:THE MUSIC OF STEVE LACY」(BLUE CHOPSTICK BC4)
MATS GUSTAFSSON
サックスソロというと何を置いても買わざるをえない私だが、このアルバムにははまりました。6曲中、3曲がレイシーの曲で、あとはガスタフスン(と読むのか)のオリジナルが2曲とセシル・テイラーの曲が1曲。これ無伴奏ソロで演奏しているのだが、1曲目の途中でいきなり現れる荒々しいボイスとサックスの音の融合部分におおっとのけぞると、あとは一気呵成。循環呼吸やハーモニクス、フラッタータンギングの嵐……などなど、かなりの高等テクニックを駆使しているものの、それがテクニックの披露におわらず、演奏に奉仕しているので、聴いているあいだはそういうテクニックを使っているという認識を持たずに、純粋に演奏だけを楽しむことができる。そういう意味で、希有なソロ。レイシーもライナーに長文を寄せていて、べたぼめに近いほめかたをしているが、それもわかる。このアルバムからは、いろいろ学んだ。
「THE THING」(CRAZY WISDOM 001)
MATS GUSTAFSSON/INGEBRIGT HAKER FLATEN/PAAL NILSSEN−LOVE
めちゃめちゃ良い。一曲目「アウェイク・ヌー」からいきなり全開。ポール・ニルセンラヴのドラムが暴れまくり、ガスタフスンのテナーが暴力的な雄叫びをあげる。ヴァンダーマークもよく演奏している曲だが、このアルバムのは図抜けてすばらしい。タイトルはドン・チェリーの曲からとられているが、演奏されてはいない。でも、6曲中、4曲がドン・チェリーの曲(あとの2曲はガスタフスンのオリジナルで、「オード・トゥ・ドン」という曲を含む)ということで、バンドの方向性がわかる。ライナーはドン・チェリーの奥さん(だと思う)。2曲目の冒頭の無伴奏ソロからトリオになだれこむあたりもいい。バンドとしてのキーは、ニルセンラヴのタイコだろうが、よくしらないベースもいい。とにかく全部いい。ドン・チェリーのオリジナルバージョンを引っ張り出してきて聴いてみたくなる。
「SHE KNOWS……」(CRAZY WISDOM 006)
THE THING w/JOE MCPHEE
1枚目ではアルバムタイトルだった「THE THING」が同メンバーのバンド名となっての2作目(だと思うけど、ほかにも出てるかもしんない)。ジョー・マクフィーがゲストで参加している。1枚目では「ドン・チェリーの曲をやるバンド」というコンセプトだったように思ったが、本盤はドンの曲は「ザ・シング」1曲だけで、あとはオーネット・コールマン、ブラッド・ウルマー、フランク・ロウ……などの曲をとりあげている(スタンダードの「ゴーイン・ホーム」もやってる)。ジョー・マクフィーが入ってる分、一作目よりやや散漫な印象なきにしもあらずだが、それは一作目があまりにできがよかったからであって、そういった比較さえしなければ、本作もきわめて上出来の内容。やはりニルセンラヴはめちゃめちゃかっこいいし(ニルセンラヴって、ちょっと芳垣さんっぽいとこないですか)、ガスタフスンもダーティーな音色で吠えまくっていて、期待通り。結局、ドラムが大暴れして、テナーが絶叫する、というこの手の演奏が一番好きなのだろうな俺って。
「HIDDEN IN THE STOMACH」(SILKHART SHCD149)
AALY TRIO + KEN VANDERMARK
マッツ・ガスタフスンのAALYトリオにケン・ヴァンダーマークがゲストで加わったアルバム。このふたりはいろんなセッティングでしょちゅう共演しているので、まあ、よくある企画といってしまえばそれまでだが、この盤は(オッカやデルマークではなく)なんとシルクハートから出ており(なんと、というのは、シルクハートは何となく黒人系フリージャズのレーベルといった印象があるからだが)、録音も古く、当時としては「よくある企画」ではなく斬新なアイデアだったと思われる(このまえにFJHというバンド(?)のアルバムで共演しているけど)。一曲目の、伊福部昭調のゴジラが出てきそうな曲の迫力を見よ。たった4人でこのとんでもない昂揚をつくりあげたのは立派立派。とにかく、主役のふたり(ガスタフスンとヴァンダーマーク)がすごい。まあ、すごいといっても、「いつものようにすごい」わけだけども。ウガーッ、グワー、ドギャー、ズボーッ、ブルブルブル、ピギーッ……と、まさに二大怪獣の死闘である。ようするに、ふたりとも楽器がよく鳴っていて、音がでかくて個性的で(すぐに聞き分けられます)、ソロが卓越していて、しかもドラムとベースがバンド内の自分の役割を熟知しているからこそ、こんなオーケストラみたいな巨大な、しかも凶暴なサウンドが出せるのだ。ふたりとも(とくにヴァンダーマーク)曲ごとに楽器をとっかえひっかえして、カラーを変えることを忘れないが、ラストにアイラーの曲を演奏して、ふたりのルーツをあからさまに示し、ぎゅっとしめくくるのはさすが。ガスタフスンやヴァンダーマーク好き(つまり私のこと)にはたまらんアルバム。
「AALY TRIO WITH KEN VANDWEMARK LIVE AT THE GLENN MILLER CAFE」(WOBBLY RAIL WOB008)
すごいすごいすごいっ。ヴァンダーマークがAALYトリオに客演したアルバムはたくさんあるが、これはそのなかでも白眉の一枚。一曲目からめちゃめちゃ興奮する。壮絶としか言いようのないバトルが展開し、聴いていてアドレナリンがガーッとあがってくるのがわかる。二曲目の「ゴースト」も凄まじく、ひとりがテーマを吹いている横で、絶叫また絶叫。これ、生で見てたとしたら、悶絶・気絶・鼻血ものだっただろう。全4曲、息をもつけぬスピード感で曲が吹っ飛んでいく。気がついたら、終わっていて、またスタートボタンを押すしかない。ドラムもベースもよいが、やはりなんといってもフロントのふたり。ガスタフスンがオガーッと吠えれば、ヴァンダーマークがギャオオと応える。ぴったりあった息。マーズ・ウィリアムスとのコンビよりも、もしかしたら合ってる? フリージャズを、こうゆう風な、パワーとパワーのぶつかりあい、ぎゃーぎゃーうるさく吠えるフロントで評価するというのはいかんのだろうが、とにかくわしゃこういうのが好きなのよ。サックスは、ぴーぴーぎゃーぎゃー叫ぶようにできている。そのことを再確認できる一枚。私の好みにはとにかくぴったしあう、ヘビー級サックスふたりの激突である。キングコング対ゴジラ? いやいや、もっとすごい。ゴジラ対ガメラ、あるいはゴジラ対ゴジラぐらいかも。
「FROGGING」(MAYA RECORDINGS MCD9702)
MATS GUSTAFSSON・BARRY GUY
バリー・ガイといえばエヴァン・パーカーを思い浮かべてしまうが、相手がガスタフスンだとどうなるのか。そういう先入観で聴くせいか、いつになくガスタフスンがエヴァン・パーカー的に聞こえる瞬間がある。しかし、やはりガスタフスンはガスタフスン。例によって、千変万化する音色で楽しませてくれる。バリー・ガイも、こういったデュオでは本当にのびのびと実力を発揮し、このベース奏者の長年にわたる深い蓄積とそこから汲み上げられる無限の表現力に圧倒される。アルバムタイトルは「蛙化」とでも訳せばいいのだろうか。個々の曲名も、全部、蛙の学名だそうで、これまたそれが先入観になっているのか、バリー・ガイのベースもガスタフスンのサックスも、妙に蛙っぽい気もする。好盤です。
「I WONDER IF I WAS SCREAMING」(CRAZY WISDOM 003 013 111−2)
AALY TRIO
マッツ・ガスタフスン率いるAALYトリオにヴァンダーマークが客演したアルバム。でも、AALYトリオのアルバムって、いつもヴァンダーマークが客演してないか? とにかく、これはものすごいぞ。いわゆる観念的な演奏を聴くと、ああ、こういうのもいいなあ、と思うのだが、そういうあとにこのアルバムの、ひたすらギャオーッ、ギェッー、ドバーッ、ズゴーッ、どうだまいったか、いやいやまだまいらぬ、こいっ、くるかっ、ドーッ、ダーッ、ズバーッ、やられたあっ……みたいなのを聴くと、「やっぱりこれだよなーっ!」と叫んでしまう。わしゃこういう血湧き肉躍るのが好きなのだ。文句あるか。しかし、ガスタフスンもヴァンダーマークもどっちもすごいけど、こうしてテナーで聞き比べると、微妙なちがいが見えてくるな。同じようなところで同じような視点で活動しているふたりだが、やはりヴァンダーマークは「フリージャズ」のひとで、ガスタフスンは「インプロヴァイズド」のひとだなと思った。さまざまな音色の変化で劇的なインパクトを与えようと試みるガスタフスンに対して、ヴァンダーマークはそれほどこだわりなくごりごり吹きまくる。ガスタフスンがごりごり吹く場面もあるし、ヴァンダーマークが微妙な音色にこだわっている場面もあるが、だいたいにおいてはそういえるのではないかと思う。でも、このアルバムを聴き進めるにつれ、そんなことどーでもええわ、気持ちよかったらええねん、吹け吹けもっと吹け、という気分になってしまう。あー、興奮しますなあ。でも、同じようなセッティングで同じような演奏をしている人たちのアルバムが、ぜんぜん興奮しなかったりするのだ。サックスで、パワーミュージック的なフリーで、聴き手を気持ちよくさせるというのは、実はすごくむずかしいのだ、と思います。5曲目のガスタフスンがテナーで、内臓をはき出すようなえげつないソロをするところなど、このアルバムの白眉といえるが、どの演奏もすばらしい。一曲たりとも凡演のない傑作。でも、どうして6曲中、ヴァンダーマークの曲が3曲もあって、ガタフンスンの曲が一曲もないのか。
「MOUTH EATING TREES AND RELATING ACTIVITIES」(OKKA DISK OD12010)
MATS GUSTAFSSON/BARRY GUY/PAUL LOVENS
まえにガスタフスンとバリー・ガイのデュオを聴いたときにも思ったのだが、ガスタフスンはバリー・ガイやポール・ロブンスといった大先輩たちと演るとき、やや控えめな感じがする。自分を全開にしていないというか、相手にあわして、一世代まえのフリー・インプロヴァイズドを演奏しているように思うのだが、気のせいだろうか(もしかしたら、ガスタフスンの経歴からみて初期のアルバムだということもあるかもしれないが)。このアルバムも、バリー・ガイやポール・ロブンスサイドからみるとなかなかいいんだけど、ガスタフスンのファンとしてはちょっとモノ足らないかも。いつものような過激な音色を駆使した、「前に出る」タイプのインプロヴィゼイションがかげをひそめ、カンパニー的な音のキャッチボールが多い。なんというか、おとなしいのである。音楽そのもののグレードはもちろん高いのだが、ガスタフスンにいつもの「ガーッ、ゴゲガッ、ギョゲゴゲッ……」というのを期待すると、ちょっとはずすかも。いずれにしても、真剣なインプロヴィゼイションの塊である。
「IMPROPOSITIONS」(PHONO SUECIA PSCD 99)
MATS GUSTAFSSON
超豪華ブックレットのついた意欲的なソロアルバム。ガスタフスンのソロはこれまでにも数枚でているが、これはその決定版というべきもの。エンハンスドCDなのだが、なぜかうちではその部分は再生できず、音楽だけしか聴けなかった。13曲中、バリトンサックスの登場回数がもっとも多く、あとテナー、ソプラノその他である。いつものような、音色をねじまげ、へしゃげさせたうえで荒れ狂うような怒濤の表現は、それほど多くなくて、いろいろバラエティがあって聞き飽きることなく楽しめる。ブックレットにはガスタフスンの長文の演奏解説も収録されており、なかなか読み応えもあるが、なにしろ英語なのでよくわからんのが難点。エンハンスドCDにはおそらくダンスとのコラボレーションが収録されているのだと思うが、この部分の演奏は本作中もっとも過激なブローが聴ける。さぞやダンサーも踊りにくかったであろう。見たいんだけどなあ。でも、映像なんかなくても、音だけで十二分に楽しめます。ガスタフスンのソロはどれも好きだが、このアルバムもいいなあ。
「GARAGE」(SMALLTOWN SUPERJAZZ STS078CD)
THE THING
最高傑作、という言葉は乱発すると真実味がなくなるが、これは本当に彼等の最高傑作だと思う。ゴリゴリの、むちゃくちゃの、ずぼずぼの、どろどろの、バリバリの作品。ガレージロックというのは実は全然聴いたことがないのだが、このアルバムの良さはわかる。ほんま、最強の3人だよな。即興の世界に生きているツワモノたちが、過激なロックをやる、というのは、たとえばラスト・イグジットみたいなものだが、この3人は、ラスト・イグジットの3人よりもずっと年齢が若い分、元になっているロックとも、より親しく自家薬籠中のものとしているわけで(ブロッツマンが、日頃、ふつーにロックを聴いているとは思えんからな。ま、想像だけど)、そういう意味でより自然であり、より突き詰めた感じであり、より自由である。なにか嫌なことがあったとき、大音量でかければスキーッとするが、じっくり聞き込むと、実は隅々までいきわたった気の使いかたに驚く。シンプルで、深くて、過剰で、自由で、高い技術と音楽性を味わえる大傑作。マッツの千変万化する音色を味わっているだけで至福。フラーテンの変態的なアコースティック・ロックサウンドを聴いているだけで至福。エルヴィンがハードロックドラマーとして輪廻転生したようなニルセンラヴのタコ足ドラムを聴いているだけで至福。その3つの至福が有機的にからまりあって、まさに極楽浄土。
「CATAPULT」(DOUBT MUSIC DMS−103)
MATS GUSTAFSSON BARITON SAX SOLO
グスタフソンのサックスソロアルバムはけっこう多いが、これは日本に来たときに吹き込んだバリトンサックスのみのソロアルバム。バリトンのみに絞ったのがよかったのか、これまでの、短編集的なソロアルバムとはちがって、一本の長編を読んでいるような、ずっしりとした手応えのあるアルバム。しかし、バリトンのみということで、フットワークはかなり重いので、そのあたりが評価がわかれるかもしれない。やっぱり、グスタフソンだと、テナーのほうが自由自在だもんなー。でも、あえて彼はこのアルバムではバリトンだけに絞ったわけで、そこが聴きどころである。私は大好きです。アイラーの曲などもやってます。
「LIVE AT BLA」(SMALLTOWN SUPERJAZZ STSJ099CD)
THE THING
「ザ・シング」初のライブ盤(のはず)。ブラ(と読むのか?)っていったいどこや、という暇もなく、えぐい演奏が展開。二曲収録だが、それぞれの曲がメドレーになっていて、一曲めはジョー・マクフィーの曲、ノーマン・ハワードの曲、チャールズ・タイラーの曲がつづけて演奏される。いわゆるフリージャズ・クラシック的な演奏だが、強者ぞろいのこのユニットは、さすがに手慣れた感じでずぼずぼとこちらのツボを刺激する。チャールズ・タイラーの曲あたりで、ニルセンラヴのドラムが爆発し、聴衆が興奮のるつぼに叩きこまれているのがよく伝わってくる(このあたりのドラムの感じ、やっぱり芳垣さんに似てるよなあ……)。二曲め(ものすごく長い)は、「ガレージ」でもやっていたホワイト・ストライパーズというバンドの曲、このグループの結成当初からやってるドン・チェリーの「アウェイク・ヌー」、デヴィッド・マレイの曲がつづけて演奏される。こちらも一曲めをのぞけばフリージャズクラシック的な選曲のだが、音楽的にはフリー・ロック的に聴こえる。インゲブリッド・ハーカー・フラーテンの、わざとぺらぺらの音にしていると思われるウッドベースの過激なソロがイントロとして雰囲気をもりあげ、そこからロックベース風のパターンを刻みだすと、すぐにニルセンラヴが重いビートを叩き出し、グスタフスンが絶叫をはじめる。ああ、かっこええ! 途中、グスタフソンのテナーの無伴奏ソロになるところも凄くて、これだけ吹けるひと、ちょっといないっすよ。とにかく彼はファラオ・サンダースの衣鉢をつぐ、現代最高のフリークトーンマスターである。その無伴奏ソロから「アウェイク・ヌー」にいくのだが、そこがまたまたかっこよすぎる。前作「ガレージ」ほどの異常なまでの過激さはないかわりに、フリージャズとフリーロックがうまくバランスした音楽になっていて、聴いていて「うぎゃああああ」と叫びたくなるほど興奮する。最強、無敵。このバンドにくらべたら、アトミックとかぜんぜんあかんやん……といいたくなるほど(まあ、ここは好みの問題ということにしておこう)。とにかく、本当に三者ともこのバンドには不可欠な存在であり、誰がほかのメンバーにかわってもこの音はでないだろうなというのがびしびしわかるような、まあ、絶頂期の山下トリオのような感じのバンドである。あー、いっぺん生でみたいようっ。
「HIDROS ONE」(CAPRICE RECORDS CAP21566)
MATS GUSTAFSSON
最初はドン・チェリーに捧げるバンドだったはずなのに、最近は超過激な前衛ロックバンドといっても過言ではない「ザ・シング」のリーダーであり、アグレッシヴではあるが具体的なフレーズとヤバい音色で我々をとりこにしているマッツだが、もちろんもともとは即興畑の出身で、かつての(と言ってしまっていいのか)バリー・ガイらとの演奏はまるでエヴァン・パーカーのような立ち位置の、アブストラクトなものである。本作は大人数での即興プロジェクトであり、現在(2006年12月)、たぶん3まで出ている。こういうものは、混沌としたサウンドのカオスになりがちで、そういうやつは私はあまり好まない。というのも、オーディオの解像度の問題、音量の問題などがあって、自宅の自室のしょぼいスピーカー・音量では、ただのもやもや・ぼんやりした音塊にしかきこえないからである。しかし、本作ではさすがにリーダーのしきりがよく、演奏は高いテンションをキープしたまま、ソロありデュオありトリオあり、アコースティックありエロクトロニクスありテープありと、さまざまな局面をパノラマのようにみせながらつぎつぎと変化していく。ほんのちょっとした音の重なりが最後にはオーケストラのような壮大なサウンドになる……といった展開の曲もあって、感動する。とくに目(耳?)をひくのは、アトミックのテナー奏者、フレデリック・リュンクヴィストがすでに参加していること(たぶんこのアルバムの時点ではアトミックというバンドそのものがなかったのではないか? しらんけど)と、エレクトリックの使い方だろう。マッツ・ガスタフソン、ただのガーガー吹くだけの男ではなかった。ヴァンダーマークなみの、あるいはそれ以上のクリエイターなのである。
「WORDS ON THE FLOOR」(SMALLTOWN SUPERJAZZ STSJ114CD)
MATS GUSTAFSSON & YOSHIMI
めちゃめちゃええやん! ああ、これはほんとに凄い。極楽じゃあ〜……と陶酔の極地になってしまう傑作。マッツは、AALYトリオ以降、ザ・シングとか、バンドものが多いが、やはり原点はエヴァン・パーカーにも通じる、ジャズその他の尻尾をひきずっていない「即興もの」であって、バリー・ガイとやってるやつなどがその代表だとおもうが、これはそういった「即興」マッツの最高傑作ではないだろうか。いやはや興奮したなあ。聴いていて思わず、きーっとなった。2曲収録されているのだが、1曲目はすごく短くて、実質は1曲だけのアルバムである。マッツとヨシミというひとが本当に寄り添うように演奏していて、ああ、完全にわかりあっているんだなあ、としみじみ思った。さがゆきとアド・ペイネンブルグとの「蘭楽」に通じる、人の声のすばらしさ、凄さを堪能できる。ラストのサックスと声が一緒に高みにのぼっていくところなど、ほかの音楽(即興ではない、予定調和の音楽ということです)では真似のできない表現としかいいようがなく、フリージャズ寄りの即興ばかり聴いている私にとって、たぶんジャズにはまったくルーツのない、この「ボアダムス」のヨシミというひとのことは正直よくしらないが、すごく感動した。日本人もやるやんけ。
「NORRKOPING」(ATAVISTIC ALP161CD)
GUSH
マッツ・グスタフスン、ピアノのステン・サンデル、ドラムのレイモンド・ストリッドというおなじみのメンバーだが、「ガッシュ」というのはこの三人によるグループ名で、ライヴ盤も出ている。ベースのいない、リード、ピアノ、ドラムという変則トリオだが、かつての山下トリオと同じ編成である。「キアズマ」を自己のバンドで演奏しているグスタフスンのことだから、もしかしたら山下洋輔ばりのどしゃめしゃフリーが展開しているのか、と思って聴いてみたら、(まあ、あたりまえといえばあたりまえだが)そんなことはなく、しっかりと大地に足をつけたインプロヴィゼイションだった。グスタフスンが、かなりジャズよりのプレイをみせていて、ぶっとい音でごりごり吹くのが気持ちいい(めずらしくソプラノも吹いている)。最近グスタフスンは、どんなセッティングでもどんなメンバーでも私を満足させてくれる。相性診断あなたと私はぴったんこという感じでしょうか。またそれが離れていくときも来るだろう。新譜でミュージシャンを追いかける楽しみはそういうところにあるな。マッツのプレイに関してはこないだライヴを観て、いろいろとわかったこともあった。どうしてこういう音が出ているのか、とか、そういう技術的なことだが、マッツをこれからも聴いていくうえで、すごく参考になった。3者対等のアルバムだが、最初に名前のでているマッツの項目に便宜上いれた。
「LIVE AT FASCHING」(DRAGON RECORDS DRCD313)
GUSH
マツ・グスタフスン率いるバンドのなかでは、「ザ・シング」の裏でひっそり(?)と続けている感じのガッシュだが、テイスト的にはいかにも「バンド」という感じの「ザ・シング」よりは、昔から彼がやっていたバリー・ガイらとのインプロヴィゼイションものに近いような気がする。本作はそんなガッシュの、スウェーデンのジャズクラブでのライヴだが、ライヴとは思えない緊密かつ緻密なコラボレーションが展開していて、驚く。曲が終わったあと、拍手が来るので、やっと「ああ、ライヴか」と気づく程度である。購入してか何度聴いただろうか。なにしろどの曲もあまりにかっこいいのである。ド迫力で盛り上がる曲もあるのだが、静かなインプロヴィゼイションも、めちゃくちゃスタイリッシュなので、退屈することなどなく聞き入ってしまう。約10年まえの演奏だが、すばらしいですねえ。
「WEAPONS OF ASS DESTRUCTION」(SMALLTOWN SUPERJAZZ STSJ091CD)
DISKAHOLICS ANONYMOUS TRIO
えげつないジャケット、えげつないタイトル、えげつない曲名……そして演奏はどうかというと、これがまたえげつない。エレクトリックなノイズと暴力的なリズムのまっただ中を凶暴なサックスが切り裂いていく。しかし、こういった音の奔流のようなインプロヴァイズを聴いていると、その大音量の洪水のような演奏に身体ごと持って行かれて、もみくちゃにされ、なにがなんだかわからなくなる……ということはなくて、やはり即興は即興。いろんな意味で、心楽しく遊ばせてくれるのだ。アコースティックな即興と同様、よく聴いていると、ちゃんと想像力をはばたかせる余地もあるし、(ある意味)リラックスできる瞬間もある。笑える部分もあるし、とにかくいろいろなエッセンスが凝縮されている。そういうのは、マツ・グスタフスンやジム・オニールという名手による演奏だからなのかもしれないが、たまにはこういうのを聴くとスカッとします。
「PARROT FISH EYE」(OKKA DISKOD12006)
MATS GUSTAFSSON DUETS & TRIOS CHICAGO 1994
よろしゅおまんなあ。ザ・シングでガレージロックからワイルドな表現を入手したり、ガッシュではバンドとしてのインプロヴィゼイションの極北にチャレンジしたり、ディスカホリック・アナニアス・トリオではエレクトリックなノイズをまじえた凶暴な演奏を繰り広げたり……と、「バンド」ものが多くなっているマツ・グスタフスンだが、このアルバムは、少しまえの録音だからか、純粋な即興セッションで、前半分が、マツとシカゴのパーカッション奏者マイケル・ツラングのデュオ。後半が、マツとバスクラリネットのジーン・コールマンとジム・オニールのトリオ。でも、それら二つのセッションを一枚にまとめても、違和感はとくにない。マツはソプラノ(珍しい)とバリトン、それにフルートホンを吹いていて、テナーもアルトもなしだが、このソプラノの多用(そしてその使い方)が、エヴァン・パーカーっぽい感じをところどころ醸し出している。内橋さんとも共演していたジーン・コールマンとは、非常に寄り添った(歩み寄った、といってもいいかも)表現をしており、うーん、こういうこともできるんだなあ、とちょっとびっくりした。聞き所満載の好盤である。私は一度聴いて、同じ日になにげなくもう一度聴いて、そのあともう一度聴いた。それぐらい、心を遊ばせてくれる内容なのです。
「IMMEDIATE SOUND」(SMALLTOWN SUPER JAZZ STSJ105CD)
THE THING WITH KEN VANDERMARK
傑作!とか凄い!とかいう言葉もむなしく響くほどに私好みの作品。以前はAALYトリオ+ヴァンダーマークなどこの手の作品が多数あったのだが、最近はヴァンダーマークもフリーフォールやスクールデイズ、ヴァンダーマーク5、テリトリーバンドなどに力を注ぎ、こういったゴジラ対キングコング的な「吹きあい」をしていなかったように思う。本作は、むろんリズムセクションは最高最強最凶で、かれらをバックにひたすらヴァンダーマークとガスタフソンがサックスを鳴らしまくり、吠えまくるというシンプルイズベストを絵に描いたようなパワフルな汗だくの作品。手応えばっちり。いうことなし。実質一曲だけといういさぎよさも良い(リスナーのために途中でインデックスを入れてます、と注記がしてあるが)。ヴァンダーマークが久しぶりにテナーに徹しているのも良い。あと、個人的に「おおっ」と思ったのは、本作はシカゴ録音なのだが、ガスタフソンが吹いているアルトはマーズ・ウィリアムズに借りたものらしく、なるほどなあ、かつてあれほどヴァンダーマークとコンビを組んでいたマーズだが、最近はまったく一緒にやっていないし、ブロッツマンテンテットにも参加していないし、リキッド・ソウルに専念しているのか、ヴァンダーマークとは喧嘩でもしたのかなあ、と無用な心配をしていたのが、こうして今でもつきあいがあることがわかってうれしい……ってどうでもいいことだが、ファンとしてはそういう細かいことが気になるのだ。とにかく必聴の傑作と断言しましょう!
「THE VILNIUS EXPLOSION」(NO BUSINESS RECORDS NBCD1)
MATS GUSTAFSSON
マツ・グスタフソンがリトアニアの現地ミュージシャンと共演したアルバム。現地ミュージシャンのなかにはテナー奏者もおり、彼がなかなかのがんばりを見せる。また、ドラマーは豪腕で、ベースもおもしろく、グスタフソンも喜々とした表情で彼らとの共演を愉しんでいることがわかる。リトアニアってこういう音楽の土壌があるんだなあ、たいした国やで。やはりマツの爆発的なバリサクブロウが頭ひとつ出ている観があるが、ほかのメンバーも聴きおとりすることはなく、うーん、たいしたもんだ。聴くまえはちょっと危惧を抱いていたのだが、結果的には私は全編、飽きずに愉しめました。
「THE MUSIC OF NORMAN HOWARD」(ANAGRAM RECORDS ANA LP 001)
PERFORMED BY ”SCHOOL DAYS” AND ”THE THING” PRESENTED BY MATS GUSTAFSSON
ノア・ハワードといえば、あのブラック・アークのアルトのノア・ハワードなのだろうか。よくわからないが、本作はA面がマッツ・グスタフソンの「ザ・シング」にヴァンダーマーク、ジェブ・ビショップ、なんとかノルデソンというヴィブラホン奏者がゲスト参加したもので、B面はヴァンダーマークの「スクール・デイズ」にマッツがゲスト参加したもの……つまり、同一メンバーということである(ややこしいなあ)。共通しているメンバーは、書くまでもないが、フラーテンとニルセンラヴである。そして、プロデュースがマッツなので、一応マッツのリーダー作ということでいいと思う。演奏はノア・ハワードが聴いたらびっくりするような、ちらっとテーマのモチーフが出てくる程度であとはひたすらぐじゃぐじゃの即興。ときどきビブラホンがフィーチュアされたり、後ろのほうでバッキング的に音が聞こえるのが一服の清涼剤に思えるほど、やかましい。ヴァンダーマークとグスタフソンという組み合わせはとにかくやかましくなって爽快だ。B−1はフラーテンの狂気のアルコソロではじまるが、そのあとビショップの(これはこのひとの持ち味だが)ジャズの基礎を感じる、というより、ジャズトロンボーンそのもののミュートソロ。空間的な響きをいかしたマッツのテナーソロなどの連鎖のある曲で、うーん、なるほど、ノア・ハワードへの供物といえないこともないな、とは思うが、まあ、正直いって、あんまり関係なく聴けると思う。ラストはリズミカルでシンプルなリフとぐちゃぐちゃの即興が交錯するパワフルな曲で、このメンバーがノア・ハワードが好きというのもわかるような気がする。ブロッツマンテンテット的でもある。モードジャズ的あるいはクラシック的な、しっかりした技術を感じるうえに疾走感のある清涼なビブラホンソロのあとに出動(?)するヴァンダーマークのバリサクソロ、そしてコレクティヴ・インプロヴィゼイション……こういうのが結局いちばん好きなのだ。野卑で単純なリフを、ブラックミュージックの方法論によって神々しいまでに高めたのがノア・ハワードなのかもしれない。そういう意味では、本作はノア・ハワードへのトリビュートとしてはなかなか本質的なことをちゃんと押さえているような気がする。
「IT IS ALL ABOUT」(TYYFUS 5)
MATS GUSTAFSSON SOLO
マッツの2006年のバリサクソロのLP。フルートホンやスライドサックスも吹いているが、基本的にはバリサクが主体のアルバム。マッツのサックスソロアルバムは数多いが、本作はその出来ばえといい、気合いといい、非常にすばらしい。度迫力かつスリリングな場面連発で思わず「惚れてまうやろ!」と叫んでしまいそう。全六曲だが、どれも即興で、準備してきたようなチューンは(たぶん)やっていない。彼のソロは、どちらかというと強引に力で「もっていく」感が高く、技術力とかを前面に出したり、全体の構成を考えたりするよりは、どや、この音! めっちゃすごいやろ! みたいな「その場その場」的な即興なのでそういう「場当たり感」も含めて私は引かれるのだが、本作はそういマッツのむちゃくちゃだけどパワーで「いてこます」的な面がドーンと出ている。ハーモニクスとかも、こういう指使いでこういう吹き方をしたらこういうオーバートーンが出て……といったテクニカルなものではなく(もちろんそういう部分もあるだろうが)、ぐわーっとここで吹きたいねんという「気持ち」で音をむりやりねじ曲げる感じである。おなじみの「吹きながら声を出す」やつとか爆音でパーカッシヴに吹く奏法とか、みんなやってることだが、ここまで徹底的にやるひとはめずらしい。それはなぜかというと、おそらくマッツがそのときの気分のおもむくままに吹いているからであって、ちょっとした狂気を感じるほどの自由度の高いソロである。傑作。
「MATS G. PLAYS ALBERT A.」(QBICO LAMDBA)
MATS GUSTAFSSON SOLO
このLPは、ほんとひどい作りで、ジャケットは写真をセロテープで貼り付けてあるだけだし、裏ジャケットにもなんの表記もない。レーベルも真っ白。なかに入ってるペラペラの紙一枚にミュージシャンはだれとか曲名とか最低限の情報が書いてあるだけだ。しかも、片面しか録音されていない。アイラーに捧げたアルバムのようだが、アイラーの「ベルズ」と同じなのだ。冒頭、オルゴールの響きに導かれるようにしてマッツの、ぬるっとした珍しく木管的なバリトンが微妙なハーモニクスとともに演奏される。7分ほどの短い演奏だが、格調高く、まるで教会音楽のような荘厳さを最後まで保ったままソロは終わる。2曲目も同様である。静かで、森閑とした深夜のシベリアの森のように、静寂と紙一重の「音のある静けさ」がつづく。しかし、二曲目は途中からしだいにマッツのバリサクが音量をあげていき、フルトーンになっていく。そして、バリトン独特のハーモニクスが空間を熱く支配していき、ついには叫びのようになるが、それでもなお荘厳さを保ち、バイブレイションを狂おしくまき散らしながら中世の石造りの建物の地下室のような厳粛な空気を演出する。いやー、見事! なるほど……マッツのこういう感じ、いいですね。私はめちゃめちゃ気に入りました。
「MATS G PLAYS DUKE E」
MATS GUSTAFSSON SOLO
このレコードもひどくて、ジャケットは写真をセロテープで貼り付けてあるだけだし、裏ジャケットにもなんの表記もない。レーベルも真っ黒(ここが上記とちがう点)。なかに入ってるペラペラの紙一枚にミュージシャンはだれとか曲名とか最低限の情報が書いてあるだけだ。しかも、片面しか録音されていない……とまあ、アイラーに捧げたアルバムとほぼ同じ作りなのである。本作はエリントンの曲を5曲演奏している……ことになっているが、そうだとはっきりわかるのは一曲目の「インナ・センチメンタル・ムード」ぐらいのもの。これは、テーマメロディをほぼストレートに吹く、という「裏技」(?)で、しかもフルトーンで朗々と吹くのではなく、小さな音で叙情的に吹くだけなのである。おおっ、と思わせておいて、二曲目はいきなりノイズマシーンによるガガガガガ……ギギギギギ……という雑音の嵐に終始する(サックスは吹いてるのかどうなのかすらわからない)。どこが「アイ・ネヴァー・フェルト・ディス・ウェイ・ビフォア」やねん。こういうあたりにマッツの諧謔精神を感じるわけだが、3曲目の「カム・サンディ」はこれも小さな音での演奏で、タイトルを見ないと、テーマのない純粋な即興かと思うほど。4曲目はまたしてもノイズ。でも、「ブルー・グース」というエリントンナンバーらしい。うーん、わけわからん。そしてラストの「ソフィスティケイテッド・レイディーズ」だが、テーマもソロもずっとハーモニクスを使って、微妙な倍音が鳴った状態で演奏される。ハリー・カーネイからいちばん遠い感じ。だが、どこかにエリントンのあのハーモニーを感じるのは不思議。聴き終えて、なんだかマッツの術中にはまったというか、してやられた感のあるアルバム。でも、せめてA面B面両方録音してくれよ!
「KOPROS LITHOS」(MULTIKULTI PROJECT MPI013)
EVANS/FERNANDEZ/GUSTAFSSON
信じがたいほどの昂揚! なにげなく聴いたら、これはものすごい傑作だった。ピアノ、サックス、トランペットというこの変則的なメンツでなにをするねんと思ってたら、いやー、これがなんでもできるのだなあ。ジャケットにはピーター・エヴァンスはトランペット、グスタフソンはバリトンサックスとアルト・フルートホン、アグスティ・フェルナンデス(と読むとはおもえないがどう発音するのかわからん)はピアノとしか表記がないが、皆、ほかにもいろいろな楽器を操っていると思う(そういう音が聴こえる)。しかし、すごい。なぜ即興をするのか、コンポジションではどうしていけないのか、なぜフリーなのか、コードやリズムにのっとったアドリブではなぜいけないのか、そういったこちょこちょしたくだらない質問の回答は「これ」だと言ってもいい。こういう演奏がありえるから即興をしなければいけないのですよ。フリーインプロヴィゼイションという音楽は、少なくとも、ピアノ、サックス、トランペットというめちゃくちゃな組み合わせで、こんなにすげー音楽が創造可能だということを示しただけでも意味がある。3人がそれぞれ、自分の楽器の極限の奏法を駆使していて、見事としか言いようがない。局面もどんどん変わるし、聴いていて飽きることがない。あっと言う間に彼らの演奏の渦に巻き込まれ、高みへと運ばれてしまう。まさにジェットコースターインプロヴィゼイション(なんのこっちゃ)。傑作です。完璧に、はまりました。なお、三者対等の作品だと思うが、プロデュースに名前を連ねているマッツの項にいれた。
「BAG IT!」(SMALLTOWN SUPERJAZZZ STSJ−155CD)
THE THING
「ガレージ」で「化けた」感じのザ・シングはそのあとずっとその過激路線を維持しているが、本作は現時点でのその頂点ではないか。とにかくこのベクトルで、立ち止まらず手を抜かず脇目もふらずやれるとこまでやったろやないか的な強い方向性を感じる。1曲目の冒頭のバリサクのへしゃげた音での無伴奏のイントロから目が点になるが、リズムが入ってくると、うわー、ここまで来てしまったか、こいつらは! と叫びたくなる。もうむちゃくちゃ凄いって。あまりにかっこよすぎて失禁しそうになる。全曲凄いけど、とにかく4曲目のドラムは凄すぎるやろ。グスタフソンはフルートホンを吹いたりもしているけど、ブックレットに何カ所かある演奏シーンの写真で吹いているテナーは使っていない。バリトンがメインでアルトをちょっと吹いてる。ライヴエレクトロニクスを多用しているので(フラーテンとグスタフソン)、エレキギターがいるようにも聞こえる。2枚目はボーナスCDで30分一本勝負の即興だが、聞きどころが多すぎてどうにもならん。世界最凶のトリオの凄まじい激熱の進撃を聴いてほしい。ニルセンラヴの変幻自在かつ気合いとパワーにあふれた蛸足ドラム、グスタフソンのバリサクのハーモニクスによる狂気の叫び、仲をとりもつフラーテン。ノイズな部分もたっぷりあって、ダイナミクスも微細音から大音量まで振幅が激しすぎて大笑いしてしまう。即興によるドラマというか一種のオペラのようにも感じる、劇的な展開がかっこよすぎる。ニルセンラヴがシンバルだけでオーケストラのような荘厳かつ壮大な空間を構成する場面など、やっぱり芳垣さんと似たセンスを感じるなあ(というか、現代音楽のエッセンス?)。今現在、ザ・シングでなにか一枚といわれたらこのアルバムかなあ。でかい音で聴いていると日常のもやもやはすべて吹き飛びます。
「PIPELINE」(CORBETT VS.DEMPSEY CVSDCD0010)
13年前、マッツ・グスタフソンがシカゴに来たとき、ジョン・コルベットとふたりで「クレイジーな企画」を思いついた。シカゴとストックホルムを往復してるような連中を全部集めてビッグバンドを作って録音したらどうだろう。ブロッツマンのオクテット〜テンテットはまだ活動をはじめて数年だった。それはおもしろい、ということになり、たちまち8人のシカゴ人と8人のスウェーデン人の16人が集まった。タイトルも「パイプライン」と決まり、CDは、グスタフソンのクレイジー・ウィスダム・レーベルから出すことになり、ミックスダウンもすんだが、突然、クレイジー・ウィスダムが活動を停止してしまい(そのことを私は知らなかったが)、CDは宙に浮いた。そして13年の年月を経て、コルベットのレーベルから発売されたのである。というようなことをジョン・コルベットがライナーで書いている。彼はまたこうも書いている。あれから13年して、いろいろな変化があった。ジェブ・ビショップはシカゴから去った。フレッド・アンダーソンは死去した。AALYトリオは解散した。ノーデソンはアメリカに移住した。マッツはオーストリアに住んでいる(これは知らんかった)。ヴァンダーマークは新しいプロジェクトを山のように率いて、ノルウェーと米国のパイプラインになっている。そしてみんな忙しくなったので、こういうプロジェクトは不可能になった云々。なるほど。そういういきさつでしたか。というわけで、早速聞いてみると、1曲目はヴァンダーマークの曲で、まさにそういう曲だが、演奏時間は33分以上ある。ソロオーダーは書いていないし、同じ楽器が複数だぶっているので、以下、ソロは想像である。ジム・ベイカーのシンセの音だろうか、冒頭延々と続く微妙なノイズのあと登場する伊福部昭風のテーマは、アンサンブルを含めてきちんと譜面があるようだが、そのあとはほぼ自由である。マッツとおぼしきテナーが冒頭、リフをバックにフリーキーに吹きまくる。そのあとは静かなフリーインプロヴィゼイションのコーナーになり、虫が鳴いているような音や、きらきらと転がるなにかシロホンのような音、トロンボーン、ピアノ、パーカッション……などが重奏的に音をちりばめていく。やがて、(おそらく)ヴァンダーマークのクラリネットソロになり、ベース(とチェロ?)が重いランニングをはじめると、べつのテーマが現れる(これもヴァンダーマークらしい複雑な第二テーマだ)。そしてリュンクヴィストとおぼしきテナーの、ぐにゃぐにゃした腰のないソロになる。このソロがめちゃめちゃかっこいい。つづいて(たぶん)ステン・サンデルのアブストラクトなピアノソロ。これもかっこいい。ベースを仲立ちにしたギター(たぶんジョー・モリスと思うがわからん)とドラム(だれかはわからん)の交感のようになる。といっても、ほかの楽器(もうひとりのギターとか)も鳴っている。そして、ドラムだけが残って静かでパーカッシヴなソロからピアノ2台のデュオ風になり、ヴァンダーマークとクラリネット2本の吹き伸ばしのうえにギレルモ・グレゴリオのアルトがソロをするという3重奏になる(これも想像)。そこからドラム〜アルコベース〜マッツのテナーの3人での演奏になる。そのあとはなんだかわけのわからない展開になって、最終的には二本の管楽器の吹き伸ばし(もしかしたらギレルモ・グレゴリオが二本くわえて吹いているのかも?)になって、そこにチューバとトロンボーン主体の重いテーマが現れる。そのあとギターとかシンセ(?)がくちゃくちゃ言う集団即興になり、そのまま終演した感じになる。一旦、完全に音が消えてしばらく無音になるのだが、そのあとピアノが急に重い打鍵をしはじめて、あれ? どないなっとんねんと思っていると、こどもが遊んでいるみたいなピアノソロが2分ほど続いて、ふっと終わる。なんやこれはーっ! かなり頭のおかしい演奏だと思う。2曲目はリュンクヴィストの曲で、ピアノによる幻想的なイントロから、2本のクラリネットによるインプロヴィゼイションになる(バックにはチェロとかいろいろ入ってる)。ここもずーっと幻想的な世界が続く。クラリネットの静かなテーマ(かなり複雑)のように、譜面がある部分もあるのだが、基本的にはギターその他のインプロヴィゼイション。なにがやりたいのかよくわからんなあ、と言いつつ聴いていると、ギターがトレモロをするようなソロのバックで全体の音が次第にうねりはじめ、音量もあがっていく(このあたりは切迫感があってかっこいい)。そのあと、ほんとに唐突に明るい雰囲気でのゆったりした(ラテン的で、ちょっと沖縄っぽくもある)テーマが演奏される(その間もずーーーーっとギターはソロをしている)。ベースが6拍子の陽気なパターンを弾き始め、ラテンパーカッションがリズムを刻み、チューバがノイズを振りまく。この部分も相当長い。そして、もう一度ゆったりしたラテン的なテーマが奏でられる。そのあとまずはピアノのじゃかじゃかいうソロ。そこから偏執狂的に狂っていく感じはかっこいい。ジェブ・ビショップのトロンボーンがそれを受けて、すごくストレートアヘッドなしっかりしたソロ。ノイズっぽいギターのバッキング(?)とあいまって、かなりかっこいい。そして2音しか使わないリフをバリトン、ベースなどが延々と奏ではじめ、トロンボーンソロを煽る。全員一丸となってものすごいパワーでリフを吹きまくり、えげつないエネルギーを感じた。このあたりの昂揚感をなにに例えたらいいのか。初期のブロッツマンシカゴテンテットでヴァンダーマークの曲をやってるときみたいな感じか。このアルバムでもっとも盛り上がる箇所がここかも。それがブレイクして、マッツ(と思う)テナーが怪獣の雄叫びのような無伴奏ソロをするコーナーからまた徐々に楽器が重なっていき、テナーが吹きまくるような集団即興になり、そこからまたべつのテーマが現れてヴァンダーマークがテナーでブロウしまくるという場面のあと、どんどん盛り上がり、またさっきのテーマが現れてエンディング。2曲とも、ようするになにがやりたいんだーっと叫びたくなるような「曲」だが、そこがまたいいとも言える。作曲者にしても、答はないのだろう。たぶんこのころ(200年)はまだブロッツマンテンテットはきちんとした譜面があったはずで(若手に曲とアレンジを書かせていた)、そののち、ほぼすべてを即興でこなすようなスタイルへ変わっていったわけだが、その先駆的なところがある演奏のようにも思った。ジャケットの写真も秀逸。
「ACTION JAZZ」(SMALLTOWN SUPER JAZZ STSJ123CD)
THE THING
「ガレージ」を発表したあとのザ・シングはなにかに取り憑かれたように変貌を遂げ、今にいたるが、今はほぼすべて即興で押し通すようになっている(と思う)。この「アクション・ジャズ」のころは「ザ・ガレージ」のちょっとあとなので、まだチューンをやっている。というか、9曲中2曲をのぞいてチューン集といっていい。1曲目はグスタフソンがよく共演している「カト・サルサ・エクスペリエンス」の曲で、ただただテーマを吹くだけの演奏だが、テーマを吹くときのマッツの音圧やその崩し具合などがすでにフリージャズなのだ、ということか。2曲目は山下洋輔の「キアズマ」だが、マッツはプラスチック製アルトを吹く。テーマはたしかに「キアズマ」だが、ソロに入ると、どこまでも飛翔するあのピアノがないのでなんとなくちがった曲に聞こえる。もちろん、ちがったメンバーによるちがった演奏なのだからいいのだけど。マッツのソロはまさしくマッツのソロであって、フリーキーかつフレーズより音重視なもの泣きで、それも一因か。でも、一番の違和感は、山下トリオ特有のテーマに入るまえの「決め」がないので、みんなで顔を見合わせて、一瞬とまったときを狙って、せーの、でテーマに入っていることが大きいかもしれない。3曲目はオーネット・コールマンのおなじみ「ブロークン・シャドウズ」。マッツはバリサク、ニルセンラヴはマレットによるバラード的な短い演奏。4曲目はロックバンド「ライトニン・ボルト」の曲。シンプルで重くてリズミカルなテーマがずっと後ろで鳴っているところで、マッツがバリトンで巨大な音をへし折り、ねじ曲げたようないびつなソロをする。かっこいい。5曲目は即興。途中で聴かれる変な音はスライドサックス? 6曲目はラーシュ・ガリンの曲なのにマッツはなぜかアルトを吹いている。でも、アルト、ええ音してるなあ。これがプラスチックアルトとは驚異だ。途中からものすごくベタベタな吹き方になって、すごくおもしろくなります。7曲目はアルヴァ・メリンというひとの曲。バリサクによる正攻法なトリオフォーマットでのフリージャズ。マッツはものすごく快調で、吹けば吹くほどどんどん盛り上がっていく。8曲目はまた即興。マッツはアルト。魂が震えるような昂揚感がある。最後の曲はおそらくビリー・ストレイホーンに捧げた一種のバラードで、ニルセンラヴがパーカッション類で醸し出す、こどもがおもちゃ箱をひっくり返して戯れているようなアコースティックなノイズのなかを、ゆっくりしずしずとマッツがテーマを吹く。というわけで、やはり、即興の2曲がいちばん心躍らせてくれるなあ。今のマッツは、ジャズでもロックでもサルサでもなんでも、なにも決めない即興で演奏できる状態にあると思う。
「SPLATTER」(SMALLTOWN SUPERJAZZ STSJ115CD)
MATS GUSTAFSSON PAAL NILSSEN−LOVE
マッツとニルセンラヴのデュオ。全体にマッツの凄まじいタンギング(シングルもダブルも含めて)が炸裂する。まるでキツツキだ(うまいたとえではないな)。その細かいタンギングでも音の迫力がまったく減衰していないからすごい。そして、その猛スピードのタンギングがニルセンラヴのロールなどとぴったり合って心地よい。マッツはバリトンに徹しているのだが、表現のバラエティが豊かすぎて、まったく持ち替える必要は感じられない。バリトンがときにリズム楽器になり、ときにノイズマシーンになり、ときに野獣となる。ニルセンラヴのアクティヴすぎるドラムもまたバラエティが豊かで、微細音から天井が落ちそうな轟音までを自在に使って、リズムもグルーヴもあったりなかったりして、もう面白いったらありゃしない状態。「間」の使い方もめちゃかっこよくて、そこにスピード感があったりなかったりするのも素敵。アコースティックノイズミュージックとしては世界最高。全部で20分ぐらいしか収録されていないマキシシングル状態なのも、すごく集中して聴けるからいいですね。タイトルの「スプラッター」はスプラッタータンギングのことかと思ったが、どうもちがいますね。
「SLIDE」(FIREWORK EDITION RECORDS FER1054)
MATS GUSTAFSSON
マッツがこれまでに出した数々のアルバムのなかでも、いや、ジャズ〜フリーインプロヴィゼイションのすべてのアルバムのなかでも、かなり突出した「変な」アルバムである。いやーすごいよなあ。これをやろうとした時点で相当頭おかしいし、それを録音して一枚の作品にしようとした時点で狂ってる。36分間のインプロヴィゼイションが1曲だけ収録されているのだが、36分間、まったく同じことがおこなわれている。つまり、単音でしかも同じ音程の音を「ぷー、ぷー、ぷー、ぷー……」というほぼ一定のリズムで吹くだけなのだ。この意志力というか狂気というかアホさ加減をみんなもっと見習うべきだ(私も含めて)。むちゃくちゃやったらええねん。ギャオーッとフリーキーに吹きまくるだけかむちゃくちゃではない。それはすでにひとつのフリージャズの「型」であり、皆が認めている。こういう演奏のほうが(こいつ、ほんまにだいじょうぶか)と思う。ミニマルミュージックとかアンビエントとかともまったくちがう。アコースティックで、その場で思ったまま、即興的に吹いてるのはたしかだが、その結果が「ぷー、ぷー、ぷー、ぷー……」なのだ。すげー。もう少し詳しくいうと、実際には同じ音程ではなく、「そう聞こえる」ということである。マッツが吹いているスライドサキソフォンというのは彼が勝手に作った自作楽器ではなく、かつてはちゃんと販売されていたものらしいが、長細い金管にサックスのマウスピースがついており、横につまみ(?)みたいなものがあって、それを前後させることでトロンボーンのように音程を変えることができる。よくおもちゃで売ってるスライド式のホイッスルみたいなものだ。こんな楽器が市販されていたこと自体驚きだが、それを使ってアルバムを一枚作ろうというやつも驚きだ。スライド楽器なので、微妙に音程をずらしていくことができるため、同じ音程がずーっと延々続くようだが、じつは少しずつ少しずつ音程が変わっているのだ。しかし、聴いてるぶんにはそれとわかるほどの差が出ないように、ほんとうにちょっとずつ何音かに一回だけ、みたいな感じで半音の何分の1かずつずらしていく。それになんの意味があるねん! と怒るあなたは大正解。たしかに意味はない。でも、めちゃくちゃおもしろい。本当は、スライドサックスといっても、タンギングとスライドをきっちり操作すればけっこう複雑な曲でも吹けるはずなのだが、それをこうして単音を36分間並べるだけ、という作業に徹したマッツはほんとうに馬鹿……いや、グレイトなミュージシャン、すごいサウンドクリエイターだよなあまったく、と苦笑しながら聞くのがいちばんいいのではないだろうか。でも一度聴いたら、趣向としての面白さはなくなっちゃうからなー、一回しか聴けないんじゃないの? というかたもおられるだろうが、そんなことはない。私はもう5回ぐらい聴いて、そのたびに大笑いしましたぜ。マッツは、このアルバムと同時に録音した短い2曲を「スライド・アウェイ」というCDをたった8枚の限定で作ったらしいがもちろん聞いたことはありません(ダウンロードでは聴ける)。
「ENTER」(RUNE GRAMMOFON RCD2158)
FIRE! ORCHESTRA
FIRE!の拡大版だが、28人編成ってちょっと拡大しすぎじゃないの。以前「EXIT!」というのが出て、ほぼ同じような感じなので同日録音の残りかと思ったら、新録なのだった。リズムがしっかりしていて、ギターが活躍し、ボーカルがインプロヴァイズ気味にシャウトする……という部分はロックなのだが、そこに分厚いホーンアンサンブルがかぶさり、さまざまなソロイストが登場して吹きまくる……というのは前作と同じ。しかし、ここまで人数いるやろか。まあ、一種のオペラと考えればいいのか。とにかく壮大で荘厳でロックテイストでフリーキーでノイズでかっこいい。でも、そのすべてがコントロール下に置かれている感じなので、だれでも安心して聴ける……といったらけなしているようだが、そうではない。これはフリージャズ+オーケストレイションのあるべき姿だと思うし、とにかくコンポジションとソロの融合がいちいちツボに来るので、あれよあれよというあいだに聴き終えてしまう感じ。もちろん、いい曲、いいアレンジ、いいソロイスト、いいミュージシャン……が揃っているからなのだろうが(とにかくメンバーはびっくりするぐらい凄いスターばかり)、大成功と言えるんじゃないでしょうか。フリージャズファン、インプロヴィゼイションファン、ノイズファン、プログレファンはもちろん、(もしかしたら)クラシックファンにもおすすめできるかもしれない。たとえば、「はい、ここはなんぼでもインプロヴァイズしてもいいよ」という場が提供されている部分(3曲目冒頭のボーカル即興とか)以外では、ソロイスト(だいたいサックス)がいくらギャーギャー吠えても、バックはきっちり譜面を吹いているかコンダクションに合わせて吹いていて、ソロによってバックがどんどん変わる、というわけではないので、これは一種のレゲエのリズムトラックみたいなもので、カラオケのまえでサックスが吠えてるだけじゃないのか、的なことを思ったりしないでもないのだが、正直、これだけ凄いソロイストが揃うと、個々の個性の違いやすごいブロウを聞いているだけで十分面白いのである。シャウトしまくるボーカルたちも、めちゃくちゃ快感である。前作と並ぶ傑作じゃないでしょうか。こんなバンドがひょっこり来日したりして……ってバブルのころじゃないとありえねーっつーの。一応便宜上マッツの項に入れておく。
「SHAKE」(THE THING RECORDS/TROST RECORDS TTR005CD)
THE THING
2015年末のザ・シングのライヴは凄かった。2015年のベストライヴのひとつといってもいいぐらい凄かった。ザ・シングはこれまで何度もライヴを観ているので、今回は忙しかったし、パスしようかと思ったりしたのだが、そうしないでほんとによかった。グスタフソンもバリトンだけではなく、テナーも吹いてくれたし(でもほとんどバリトンだった)よかったよかった。あいかわらずのこちらの心臓をぶち抜くようなとんでもない生音で、いやー、これだけでかい音のひとは世界中探してもなかなかいないだろうと思うが、今回はその音にさらに磨きがかかり、一音でなにもかもぶっとばしてしまうような破壊力だった。それがニルセンラヴの大爆発、フラーテンの狂気とともに延々続くのだ。快感以外のなにものでもない。で、そのときのツアーはこの「シェイク」発売記念ツアーだそうで、たしかに本作に入ってる曲をライヴでもやってた。私がそのときのライヴを観て、へー、珍しいなと思ったのは、ほとんどチューンだったことで(「キアズマ」とか「アルフィーのテーマ」とかもやってた)、最近のシングは、すべて即興で演奏していく方式をとっていたようだったので「あれ?」と思ったが、ええ曲ばかりだし、ほんのちょっとしたリフひとつでどこまでも高みにのぼれる3人なので、曲をやっても縛られるどころかより解放されるのだ。なので、本作も基本的には全部チューンである。フラーテンは曲によってはエレベを弾いている。1曲目は変拍子のようだがじつは普通、というド迫力のファンクナンバーで、ニルセンラヴの「ジャズはバイキングがニューオリンズに行って作った」というジャズ大名的主張(?)に基づいた曲。超かっこいい。そこからオーネット・コールマンの「パーフェクション」につながる。2曲目はフラーテンの、いかにもフラーテンという感じの曲で、これも変拍子っぽいがじつは6+10なのだ。3曲目もバリトンによるヘヴィなファンクナンバー(ループのロバート・ハンプソンの曲)。テーマリフのときのニルセンラヴが気が狂ったように叩きまくっていてかっこよすぎる。4曲目はWYRD VISIONSという、私はよく知らないひとの曲で、11拍子のゆったりしたリフをベースが延々と繰り返す不思議な世界。5曲目はグスタフソンのソロではじまり、これもゆったりした変拍子(5拍子のリフに4拍子のブリッジ?)のベースラインを繰り返す曲。この曲だけアルトとコルネットが加わっている。グスタフソンが即興リフで高まっていくあたりはヴァンダーマークとの共通項を感じる。混沌としたインプロヴィゼイションになるが、そのときのフラーテンとニルセンラヴがめちゃくちゃ凄い。本作の白眉だろうか。6曲目はニルセンラヴの曲で、10拍子のリフ曲(リフ曲ばっかりやな)。ベースはずっとパターンを弾き、そのうえでグスタフソンのテナーとニルセンラヴのドラムが大暴れする。えげつないですなあ。ただひたすら、超かっこいいたけの演奏。途中からグスタフソンとニルセンラヴのデュオになり、いっそうえぐさが増す。ラストの曲は、ガムランのような金属の連打ではじまる。全体にゆっくりしたリズムのバラードで、フリーな部分もある。グスタフソンがバリトンのハーモニクスをしみじみ聴かせる。というわけで、かなり曲順や構成のしっかりしたアルバムで、全体を通してひとつの組曲にも思えるぐらいである。最近のシングでは、ここまでチューンを前面に押し出したアルバムはなかったと思う。傑作です。ザ・シングをどれか一枚、といわれたら、今なら本作を推薦するだろうと思う。
「HIDRO6 KNOCKIN’」(NOT TWO RECORDS MW924−2)
MATS GUSTAFSSON & NU ENSEMBLE DEICATED TO THE MUSIC AND LYRICS OF LITTLE RICHARD
ライヴの物販とかで一時見かけたレコード2枚、CD5枚、DVD付きのボックス的なアルバムから大編成バンドの曲だけを抜き出したアルバム……という理解でいいのかな。本作はピーター・エヴァンス、ジョー・マクフィー、ホーケル・フラーテン、ポール・ニルセンラヴなど豪華メンバーの12人編成のグループで、なんとリトル・リチャードに捧げたアルバム。捧げたといっても、曲をそのままやってるわけではなくて、リトル・リチャードの有名曲の歌詞を素材として、ボーカル(ヴォイス?)の女性がそれを歌うというかなんというか……あとはいつものフリージャズ+ビッグバンド的な感じですが、とにかくめちゃくちゃおもしろいのだ。どう面白いのかというと、このボーカルのスタイン・モトランド(と読むのか?)という女性の声というか歌い方や朗読ぶりが妙にひっかかって、かなりイライラくるのだ。ぶつぶつつぶやくような、なにを言ってるのかわからない感じで延々続けたり、変なメロディーをつけて、ひたすら同じフレーズを繰り返したり、ファルセットの出し方なども聴いているうちに「キーッ」となってくる。このイライラ感がだんだん癖になってくるのだ。このヴォイスのひとをのぞけば、あとはいつもの演奏で、もちろんすばらしいことはまちがいないのだが、本作をほかの作品とちがうものにしているのはやはりこのヴォイスのひとの力だと思われる。また、わざと声を電気的に歪めたりしてその気持ち悪さに拍車をかけている。こうしてみると、「気持ち悪いって気持ちいいことだなあ」と思わざるを得ない。ほかのメンバーもとんがった演奏のオンパレードで楽しいったらありゃしない。何度も山場が来て、あちこちに見せ場があって、グスタフソンの仕切りはさすがである。しかし、やっぱりこのボーカルのひとの印象ばかり残るんだよなあ(3曲目の男性(グスタフソン?)の長いトークの途中で何度も何度も声がゆがんだり、早送りになったり、高くなったり低くなったりするのも相当気持ち悪いけどね)。気が付いたらまた聴いてた、そんな麻薬的な中毒性のあるアルバムです。傑作。
「LIVE」(TROST RECORDS TTR003CD)
THE THING & THURSTON MOORE
ザ・シングにサーストン・ムーアが入ったカルテットによるカフェ・オトでのライヴ。フラーテンはエレベのみだし、グスタフソンもバリトンのみ、演奏も全編即興、というヘヴィなセットだが、一時のザ・シングはこれがあたりまえだった。でも、最近の「シェイク」では全部チューンになっている。そもそも最初はドン・チェリーの曲をやるバンド、という感じではじまったザ・シングだが、一か所にとどまることなくどんどんバンドコンセプト自体を変化させていく。それが新鮮な演奏の秘訣なのかもしれないが、初期のザ・シングとこのアルバムのザ・シング、そして最近のザ・シングはもはや名前が同じなだけでべつのバンドだと言ってもいいと思う。全編即興といっても、リズムは強烈すぎるぐらい強烈だし、ちゃんとテーマっぽいリフもあるし(1曲目の最後のリフなどは、まさにインスタントコンポジション)、まったくフツーに聴ける。サーストン・ムーアも完全にバンドに溶け込んでいる。全体にヘヴィに攻めてくる感じだが、よく聴くとユーモアもあり、間もワビサビもあって、攻めるだけの猪突猛進な演奏ではない。
「TIMING」(DOUBTMUSIC DMF−172)
MATS GUSTAFSSON + OTOMO YOSHIHIDE DUO
冒頭の数秒で持っていかれた。めちゃくちゃかっこいい。録音もよくて、まるで目のまえでライヴを観ているようだ。マッツのスラップタンギングや息使い、時折あげる叫び、音量のダイナミクスなども露骨なまでにリアルで、それだけでもう感動した。マッツと大友良英のターンテーブルはまるで双子のようにわかり合っている。ここまでわかり合っているならもう演奏しなくてもいいではないか、と呆れるぐらいだ。基本的にマッツはバリトンとフルートホン(マッツの自作楽器)を吹いているが、2曲目ではエレクトロニクスしか演奏していない。このデュオ、どうなるかと思ったら、これもめちゃくちゃかっこよくて、除夜の鐘にピックアップをつけてエフェクターを掛け、思い切り突いたときの音を爆音で鳴らしたらこんな感じになるかもしれない、というような音で、ふたりが暗い深淵をのぞき込んでいる光景が思い浮かんだ。たったふたりだがこれはオーケストラだ。マッツは、バリー・ガイとのハードな即興や、ザ・シングなどでの暴れ牛のように強靭なブロウ、ブロッツマンテンテットなどでの猛者たちとの斬り合いなどさまざまな場面に身を置いて音楽を追求してきたひとだが、エレクトロニクスをメインとしてもすごいところに達してるなあと思った。大友さんとのここでのデュオはもう最高で、上質のガムランを大音量で聴いているようなトリップ感があった。3曲目はフルートホンとバンジョーのデュオによる即興だが、やりとりにめちゃくちゃスピード感があり、聴いていると「ビューン!」と疾走しているみたいな迫力がある。4曲目はフルートホンとターンテーブルで、フルートホンはここでは超高音を循環呼吸で延々ヒャラヒャラヒャラヒャラとものすごい緊張感で吹き続け、ターンテーブルが餅つきの合いの手のようなノイズをこれまたものすごい緊張感で入れまくる。見事な応酬。挑発と融合が飽くことなく繰り返される。5曲目はバリトン(とエレクトロニクス)とターンテーブル。繰り出される音はふたりとも重く、深く、大きいのに、聴いた実感としてはものすごく軽快で、速い。こういう演奏を聴くと、私が昔、マッツ・グスタフスンというサックス奏者を知り、ぼちぼちアルバムを集め出したころに比べたら(最初は「WINDOWS」というレイシーとかセシル・テイラーの曲をやってるサックスソロアルバムで、そこでもフルートホンを吹いていて興味を持ったのだ)思えば遠くまで来たもんだなあと思う。6曲目はバンジョーとフルートホン。ややアジア的なテイストも感じる。アタックの強弱、和音、アルペジオ、ダイナミクス、タンギング……など微妙な弾き方、吹き方の変化によって複雑なドラマが魔法のようにどんどん先へ先へと変化していく。最後の方の淡々としたバンジョーのリズムのうえに乗るフルートホンは、東南アジアあたりの水辺の竹藪で演奏するふたりの老師……みたいな絵を思い浮かべた。7曲目は本作で一番長尺の演奏。マッツはエレクトロニクスとバリトン、大友はターンテーブルとギター。二種類のノイズのロングトーンが左右から赤い炎と青い炎のように凄まじい勢いで噴き出して中央で混じり合い、紫色の爆発が起きる。このひとたちの演奏は、いくら凄い音圧でぶつけてきても、押しつけがましくない。聴き手が頭のなかで遊ぶ余地をちゃんと残してくれているから好きだ。ラストの8曲目はバリトンとターンテーブル。地響きのような、隕石の衝突のような、怪鳥のけたたましい叫びのような、怪獣相手の地球防衛軍のメカの攻撃のような……超ヘヴィ級の音塊が超高速の紙芝居のようにひっきりなしに現れては消え、最後には「ふっ」と消える。
ダウトのアルバムとしては珍しくライナーが(それも複数)ついているが、ミュージシャンや沼田さんの本作への思い入れの表れであろう。傑作。
「LIMITED EXTRA CDR FOR DMF−172」(DOUBTMUSIC 2020)
MATS GUSTAFSSON + OTOMO YOSHIHIDE
いやー、これは凄い! 上記アルバムの特典CDだが、デュオではなく、それぞれのソロを集めたもの。1曲目のマッツ・グスタフソンのバリトンの激しく、打楽器的で、アタックと音響を見事に使った大迫力の演奏で、もうぶっとんだ。2曲目はフルートホンで、カークのマンツェロのソロを連想するような「聴いていて息が苦しくなる感」があって最高。3曲目は大友による演奏で、上記作の2曲目に入っている演奏を思わせるような、どでかい鐘を轟々と鳴らしているかのような荘厳なソロ。めちゃくちゃかっこいい。4曲目はバリトンソロでスラップタンギングとタンポを開け閉めするパーカッシヴな音を組み合わせた「バリトンドラム」の嵐、また嵐。異常なスピードで爆走する。ときどきぜいぜいという荒い息の音が(もちろんわざと)入って、生々しいというか狂気を強く感じる凄まじい演奏。ときにはフラッタータンギングをブルブルブルッと混ぜるなど、とんでもないテクニックを駆使しており、巨大な滝が落ちているような圧倒的なスピード感と迫力がある。5曲目はギターを使ったナイフのように鋭いソロ。いや、ナイフというより日本刀で、向かってくる敵をつぎつぎに倒していくような、名画の殺陣みたいにすばらしい演奏。これはかっこよすぎて震えがきた。後半は一転して、延々続く長いロングトーンを微妙な変化で聴かせたあげく、最後は狂乱の展開に。6曲目はバリトンで、ひとりで演奏しているにもかかわらず、アフリカンパーカッションを聴いているようなポリリズムが聞こえてくるのだ。驚異としか言いようがない。途中からバイクの爆音のようなタンギングがはじまり、最後にはなにかなんだか、どこをどうやってるのかわからんようなフレーズが延々ぶちかまされる。耳を疑うような、信じられない音の数々が、私がよく知っているはずのバリトンサックスという楽器から飛び出してくるのは摩訶不思議である。いやー、これは凄い。何度も言うようだけど、これは凄いよ。7曲目もバリトンソロで、これは1曲目とちょっと似た低音部にこだわったパーカッシヴな演奏。8曲目はギターがいきなり強烈極まりないノイズをぶちかます。初代ゴジラの天を衝く咆哮と地鳴りのような足音、崩れ落ちるビル街、転覆するタンカー、引きちぎられる鉄筋、転覆する電車の車両、降り注ぐ瓦礫と窓ガラス、陥没するアスファルト、炎上する帝都……などが伊福部メロディ(実際にはもちろんそんなものはないのだが)に乗ってたしかに俺の耳には聞こえてくる。膨大なエネルギーを短い時間に突っ込むことによって得られるハレーションのような演奏だ。 うーん、凄い。こんなもん、おまけにするのはもったいなすぎる。いろいろ事情はあるのでしょうが、なんとかもっと大勢のひとにこのすごいソロ集が届かないものだろうか。めちゃくちゃ感動しました。
「NAJA−BLACK CROSS SOLO SESSIONS 5」(CVSD CD087)
MATS GUSTAFSSON
ブロッツマンが亡くなってまだ数日しか経たない今、本作を聴くと、これは2020年のコロナ禍における一連のソロアルバムシリーズのなかの一作ではあるが、まるでブロッツマンの追悼作のように思える。ライナーにもブロッツマンのことがいろいろ書かれており、写真もブロッツマンとふたりで笑い合っているものが採用されており、演奏内容も、ブロッツマンがシカゴテンテットで採用していたシステムをここでも使っているらしい。そして、6曲目はブロッツマンが「14ラヴ・ポエムズ」で演奏した曲である。グスタフソンのブロッツマンへの深い思いが感じ取れる。さまざまなサックスが使用されているがグスタフソンの主奏楽器(と私が考えている)テナーは全く使われておらず、アルトも1曲だけだ。基本的にはバスサックス、バリトンサックスといった低音楽器による演奏が多い。1、2曲目はバスサックスによるソロで、息の音からはじまって、スラップタンギング的なパーカッシヴな演奏が続く。途中、ビールを注ぐ音などがめちゃくちゃ効果的に配置されている。息の音からサックスのリアルトーンに、というのはサクソフォンという楽器を吹くうえでも重要な奏法だが、ここではそれが自然にいかされている。3曲目はソプラニーノとソプラノとマウスピースによる演奏。4、5曲目はバリトンサックス。ここでもスラップタンギング、マルチフォニックスなどの技法がさりげなく(ほんとにさりげなく)使われている。しかし、こういったスラップタンギングはどうやるんやろなー(と内心の叫びが漏れてしまう)。5曲目の深い叙情となんだかわからないノイズをコントロールした演奏(車がとおりすぎるような音なのだがサックスで出している)もすばらしいと思う。6曲目はさっきも書いたとおりブロッツマンの「14ラヴ・ポエムズ」に収録されている曲だということだが、正直、聴いてもよくわからない。しかし、ここでのアルトの叫びは聴くものの心を打つ。7曲目の短いバリトンソロの圧倒的パワーとドライヴ感はすごい。8曲目はソプラノ、アルト、バリトン、バスをとっかえひっかえした演奏だが、聴いた分にはまるで一種類のサックスによる演奏のように思える。パーカッションのような打楽器的なスラップタンギングとマルチフォニックスを組み合わせたフレーズから暴走族のエンジン音のようなバリバリというノイズ、そしてスペーシーなトリル……まったくこのおっさんは! と言いたくなるような千変万化の演奏。9曲目はバスサックスによる、これもパーカッシヴな演奏。全体に、バリバリ元気だったころのブロッツマンとここでのグスタフソンがだぶる。ソロサックスといっても、いろいろなものがあるが、本作はそういうなかでも自然体の一期一会の演奏であるという点がブロッツマンのソロと共通していると思う。ラストの10曲目だが、ここまで来ると、グスタフソンのリードに対するアプローチというか表現力というかそういったものに感動するしかない。このスラップタンギングの凄さは、わかるひとにはわかるがわからんひとにはわからん。それでいい。でも、凄いのだ。傑作!