「THE PRIVATE COLLECTIONS」(NAIM AUDIO NAIMCD108)
CHARIE HADEN
告白すると、「ロンリー・ウーマン」のテーマの譜面でいまいちちゃんとしたものがないので、いろいろなバージョンをネットであさっているときに、このカルテット・ウエストのものがユーチューブで引っかかってきたのである。じつはチャーリー・ヘイデンはめちゃくちゃ好きなのだが、このカルテット・ウエストだけはどうにもわからず(つまり、ヘイデンがアーニー・ワッツというテナー奏者とレギュラーバンドを組んだ意味が)、ほとんど聞いていなかった。ジャズ喫茶でかかっても、ふーん……ぐらいの感じだったと思う。というのも、アーニー・ワッツというひとのことがいまいち好きではなかったからで、フュージョンの申し子的な存在で私が学生のころはほんとに華やかな活躍というかその手のアルバムには軒並み入っていて、しかも聴くところによるとオットーリンクの13番とかいうえげつないマウスピースで、毎日何時間も練習をしてクオリティを保っているみたいな話を聞いて、アホちゃうかと思ったのである(あくまで伝聞である。マウスピースについては当時はデマが横行していた)。ある日本人のフュージョンアルバムでのソロが嫌だった、とか、ストーンズの「刺青の男」でロリンズが2曲客演しているというのでストーンズ好きのバイト先の先輩に聞かせてもらったら、その先輩が意地悪で、わざとロリンズではなくワッツが入ってる曲を聞かせ、私が「うーん、ロリンズとは思えないいまいちなソロですね」と言ったら、じつはロリンズではなくべつのひとが入ってる曲をわざと聞かせたんや……的な体験もあって、アーニー・ワッツ=いまいちという刷り込みができていたのだと思う。しかし、ユーチューブでの「ロンリー・ウーマン」におけるワッツのテーマの吹き方やソロなどを聴いて、180度考え方が変わった。ワッツ、めちゃくちゃすごい。「ロンリー・ウーマン」に関しては完璧なテーマの吹奏、そしてソロの表現。かつて「ロンリー・ウーマン」をこんな解釈で壮絶に吹きまくったひとがいようか。ブランフォードのバージョンもこんな風に吹っ切れたものではなかった。コルトレーンが初期のオーネットのバンドに飛び入りして「ロンリー・ウーマン」を吹いたらかくも凄まじい演奏になったかも……と思わせるようなすばらしい演奏である。というわけで、いやー、もう遅きに失したが、アーニー・ワッツさん、長いあいだすいませんでした。あなたの真価がわからなかった私がアホだったのです。こうしてチャーリー・ヘイデンが晩年の相方にワッツを選んだ理由も今はわかったのである。というわけでこの2枚組を購入した。本作にもその「ロンリー・ウーマン」が入っているが、なんと26分にも及ぶ演奏である。ワッツはこのフリージャズの名曲を、一発ものとして解釈し、ひたすらモーダルなフレーズを吹きまくる。くーっ、かっこいい! 「ロンリー・ウーマン」のことばかりになってしまったが、この2枚組はヘイデンのオリジナルの他、パット・メセニー、チャーリー・パーカー、マイルス、トニー・スコットなどの曲に加え、「ボディ・アンド・ソウル」やバッハの「エチュード」もやっており、選曲のバラエティにも飛んでいて(メセニーとパーカーが3曲ずつで多い)、しかも、通して聴いても飽きないぐらいいろいろな見せ場があり、ほんとすばらしい。傑作です。
「STEAL AWAY」(VERVE RECORDS VERVE527 249−2)
CHARLIE HADEN・HANK JONES
思わぬ顔合わせによるデュオで、スピリチュアル、ゴスペル、トラディショナル集。本作の好評のせいか、後年、ハンクが91歳のときに同じ顔ぶれで「カム・サンディ」が出ているが、そちらの選曲はもっとゴスペルっぽい。本作は、とにかく気負わない、くつろいだ演奏にもかかわらず、どこかシリアスで、背筋が伸びるようなピリッとした雰囲気がどこかにある。本作を聞いて、まず純粋に思うのはスピリチュアル、トラディショナル、ワークソング、ゴスペルといったものの素材としての力強さで、そのもっとも底流を流れるなにかしらの共通項をも強く感じる。アイラーの「スイング・ロウ・スウィート・スピリチュアル」やシェップとパーランの何作かの共同作業に比べても、とにかくくつろいでいて、肩に力の入っていない、すーっとした演奏なのに、さっきも書いたようにどこかしらピシッとしている。本作を聞いて、眠たくなるという感想をもつひともいるようだが、いやいや、それってかまへんのとちゃう? こういう企画では外されそうな気がするブルースもフツーに演奏されている(11曲目とか)。ハンク・ジョーンズは、だれとやっても同じことしか弾かないとか、アドリブとはいえない、知ってるフレーズを順番に出しているだけだとか言った悪口が後年聞かれたが、そういうことをいうやつはほんとに馬鹿だなあと思うような音楽がここにある。アドリブのスリル? 今ここで言うかー。深夜、酔っ払って聴きたいアルバム。対等な作品のようにも思うが、先に名前の出ているヘイデンの項に入れた。
「THE BALLAD OF THE FALLEN」(ECM RECORDS ECM 1248)
CHARLIE HADEN
この深い演奏はなかなか短い文章では語れない。政治的な側面をまったく無視して音楽的な面からのみ語ったとしてもあまりにきめ細かいアレンジが全編にわたってほどこされており、それについて素人ながらあーだこーだと言うだけでかなりの文章を費やしてしまう。しかも、本作は政治的なプロテストの意味合いを外して語るということは無理な作品なのだ。そのうえ、あまりにしっかりしたアレンジが延々続くにもかかわらず、「自由」というものがまったく損傷されずにすべてのメンバーに慈雨のように行き渡っていることも驚くべきだ。なにしろ本作のテーマは(おそらく)「自由」なのであって、それをアレンジで縛るのは幣殿やカーラ・ブレイの意図とは真逆だったろうから。本作はヘイデンのリーダー作であり、アレンジをカーラ・ブレイが担当しているし、メンバーの人選を見ても、リベレイション・ミュージック・オーケストラの作品だと思われているかもしれないが(というか実態はリヴェレイション・ミュージック・オーケストラそのものだとは思うが)どこにもそういう表記もなく、ただただチャーリー・ヘイデンのオーケストラなのである。だが、そんなパッケージングとは関係なく、中身は「このひとたちの音楽」なのである。基本的には全曲切れ目なく演奏される。1〜3曲目まではスペイン市民戦争をテーマとした、かなり重い演奏であるが、一方ではめちゃくちゃかっこいい演奏ともいえる。スパニッシュなメロディ、ヘイデンによる簡潔だが狙いさだめたようなベースのピチカートソロ、ミック・グッドリックのギターに導かれるゲイリー・ヴァレンテのスパニッシュモードで歌い上げるトロンボーン、スティーヴ・スレイグルがリードするアンサンブル……いずれも譜面に書かれているのだろうが、美しすぎる。そして、胸をグーッとつかまれているようなギターソロ。ヴァレンテのトロンボーンソロはいつものビッグトーンのめりめりという激情を抑えた、ロングトーン中心のもの。リズミカルなイントロに続いてポルカというかロシア民謡みたいな感じのマイナーな曲調になる。邦文ライナーには15小節の曲となっているが、4拍子という数え方だと14小節では? ライナーのひとが書いているとおり「2拍子」の曲だとすると28小節か? まあ、どうでもええけど。ドン・チェリーの(ほぼ)無伴奏ソロ(ベースとドラムが鳴っているが、ここはチェリーの独白だと言っていいのでは)はいらないものをそぎ落としたようなソリッドな演奏。途中からブレイのピアノがからみだし、そこからマーチ的なリズムになってスレイグルとジム・ペッパーのフルートによるテーマのあと、ヴァレンテの豪快な音色で説得力のあるトロンボーンソロ。それがフェイドアウトのような形で消えていってから、ピアノのヴァンプによって導かれるマイナーな曲。マントラーとスレイグルがソロイストだが、全体にピアノとからみまくる感じのフリーな演奏。そこからチューバとトロンボーンによるマイナーでリズミカルな曲が爆発する。この哀愁なのにパワフルな感じは、「どうせ無理やで」的なある種のあきらめムードと、いやいやあきらめてないで、アホな連中ぶっ倒したる的な力強さなどが一緒になった雰囲気であり、表面を撫でたような「プロテスト」とはちがう「パワー」を感じる。それはたとえばコンポステラなどにも通じるものである。ここで一旦切れて、7曲目「サイレンス」になるが、マントラーのソロトランペットが先導する透明感のあるアンサンブルが次第にほかの楽器の参加によってじりじりと膨らんでいく感じがいい。教会音楽のようなテイストもある。そして最後にマントラーのトランペットが見得を切るかっこよさ。ここでまた一旦切れて、8曲目「トゥー・レイト」はヘイデンとブレイのデュオ。かなり長くて、たっぷり聴かせる。5分30秒を過ぎたあたりからアンサンブルが忍び込むようにズワーッと響きわたる。ここでも切れて、9曲目はミック・グッドリックのギターの見事なイントロのをと、スレイグルのアルトがリードするテーマのアンサンブルが超かっこいい。テーマのあとのベースのリズムとか、もうめちゃくちゃかっこいい。スレイグルのモダンジャズ的ストレートアヘッドなソロのあとアルト、ソプラノ(ペッパー)、テナー(レッドマン)による短いアンサンブルがあり、ベースのすばらしいソロがフィーチュアされる。ラストの10曲目は(このまえもちゃんと切れる)、マントラーが張り詰めた音で先導するマイナー曲。ライナーにはアルトソロとあるが、ソプラノサックスなのでおそらくジム・ペッパーではないかと思う(短いからなあ……)。トランペットソロ(たぶんドン・チェリー)のバックのアンサンブルはめちゃくちゃかっこいいし、とくにチューバかっこいい。なぜかテナーサックス陣のデューイ・レッドマンとジム・ペッパーの出番がないが、そんなことはどうでもいいぐらいすばらしい。ヘイデンの思いをブレイが形にし、多くのソロイストたちがそれを後押しした……というような印象。そうなのだ。本作のソロイストたちは、多くのビッグバンドのように「フィーチュア」されているのではなく、アレンジに溶け込んでいるような感じなのである。傑作とか書くのもはばかられるぐらいの傑作。
「DREAM KEEPER」(DIW RECORDS DIW−844)
CHARIE HADEN AND THE LIBERATION MUSIC ORCHESTRA WITH THE OAKLAND YOUTH CHORUS ARRANGEMENT BY CARLA BLEY
3枚しかアルバムを制作していないチャーリー・ヘイデンのリベレーション・ミュージック・オーケストラの作品だが、これだけのメンバーを集めて3枚目のアルバムを作った、ということでDIWの功績は後世に讃えられるだろうと思う。もちろん内容も最高である。こういうアルバムについて「最高」みたいな軽い感じの誉め言葉を使うのはどうかと思うが、最高なのだから「最高」と言うしかないのだ。インパルスでの1作目はスペイン市民戦に対して、ECMからの2作目は中米内戦に対してのプロテストの意味合いがあり、それに同調するミュージシャンを集めて作られたわけだが、本作は南アフリカのアパルトヘイトに対する抗議として演奏された。ドン・チェリーはなぜか不参加。1曲目いきなり重いコーラスとトランペットによるテーマの提示のあと、ヘイデンのこれも重いベースソロになる。そのあとの物悲しいが軽やかなメロディの提示はトム・ハレルだろうか(マントラーかも)。曲調はどんどん変わり、明るくなったり暗くなったりするのだが、全体を覆うのはやはり一種の「軽やかな陰鬱さ」である。ミック・グッドリックのギターのコードソロのあとに輝かしいが悲しいトランペットソロが続く。そしてコーラスが絶妙のタイミングで入り、重厚でめちゃくちゃかっこいいアンサンブルから、ユアン・ラザロ・メンドラスのパンパイプがリズムを取りはじめ、新たな厳しくもかっこいいテーマが提示される。リズムが激しくなってからのノイズのようなサックスはたぶんケン・マッキンタイアか。これがめちゃくちゃいい感じなのである。ドン・アライアスの絶妙なパーカッションソロを経て、再びコーラスがぐわっと現れる。基本的にはクールなのだが、重みがある。シンプルなリズムパターンをバックにしてのフルートソロが長く続くのだが、そこに軍楽隊のようなマーチングが急にかぶさり、チューバとドラムのデュオになる。このあたりの展開、手ぬほどかっこいいです。カーラ・ブレイは天才だ、とチャーリー・ヘイデンが書いているが、いや、ほんま、そのとおり。そしてまたコーラスになり、トランペットがからみついてのエンディング。1曲目からこれをかまされたら、もう腹いっぱいな感じなのだが、とにかくこの1曲目を聴くだけで、圧倒的な傑作だと確信する。2曲目はカーラ・ブレイではなくカレン・マントラーの編曲によるキューバの作曲家シルヴィオ・ロドリゲスの曲。センチメンタルなギターソロではじまり、明るく、正攻法なアレンジでテーマが奏でられる。ホルン(?)による短い演奏のあと登場するのはジョー・ロヴァーノで、そのあとデューイ・レッドマンのソロになり、最後は両者が同時にソロをする(バトルという感じではない)。1曲目のあとなので、なんともほっこりする。3曲目はアフリカ民族会議の党歌だそうで、もっと過激な感じかと思ったら、まるでクリスマスソングのような響きの曲だった。すごく速いビートになり、デューイ・レッドマンのソロになる。全編にわたって大フィーチュアされるが、やはりこのひとはいつ聴いても個性的である。その管楽器のバッキングのアレンジも、ピアノのバッキングもめちゃくちゃかっこいい。一旦ビート感が希薄になり、そのあとミディアムテンポの4ビートになるあたりが絶妙で、自由な演奏だなあ、と感動する。そこにコーラスがかぶってくるという考え抜かれた構成。最後はぐだぐだなフリージャズっぽく終わるのかと思ったらさにあらず。ピシッと全員によるテーマで終了。すばらしい! 4曲目はヘイデンの曲でギターのイントロからヘイデンのベースが哀愁を帯びたテーマを奏でる。そのあとインテンポになり、トム・ハレルのソロになるが、見事な演奏。そして、必要最小限のオーケストレイションもすばらしい。ホルンのソロもギターソロも短いがすごくはまっている。ええ曲やなあ。ラストの5曲目(ヘイデンの曲)は1曲目と同じくオークランド青少年合唱団によるコーラスが入ったタイトルどおりゴスペル的な曲。こういう曲だとレイ・アンダーソンかゲイリー・ヴァレンテの独壇場だと思うが、この曲ではアンダーソンの過激かつ雰囲気をよくとらえた最高のソロが聴ける。そのあとのブランフォード・マルサリスのソロは慎み深いというかぐっと抑制されたオーソドックスなもの。続くヘイデンのベースソロはこのひとが巨匠である理由がよくわかる演奏。そのあと渋いピアノソロ。そして、レイ・アンダーソンが説教師のように朗々と教えを垂れてかなり長いエンディング……のあとカーラのピアノソロのエンディング。あー、すばらしいですね。いやー、マジでDIWが作った大傑作だと思います。
「LIBERATION MUSIC ORCHESTRA」(IMPULSE! MCA RECORDS AS9183/UNIVERSAL MUSIC UCCJ−5136)
CHARLIE HADEN
個人的には私の「音楽史」(そんなたいそうなものではないが)における最重要アルバムのひとつだと思っている。学生のときに買ったレコードを今も大事に持っているのだが、もっと頻繁に聴きたいと思って廉価盤が出たのを機会にCDを買った。しかし、今もLPで聴いた方がなんとなく真剣に聴く感じになるような気がする。ソフトとかハードで聴き方が変わったりするのはよくない、と考えるほうなのだが、このアルバムばっかりは仕方がない。1969年に吹き込まれたこのアルバムによって、現代にいたるまで、世界中でとてつもなくたくさんの子ども、孫、ひ孫……が生み出されてきたと思う。精神的影響というか、押し付けられるものに対して抗議する姿勢というか、そういうものが「音楽」とか「演奏」によって表現できるのだ、ということがわかったひとたちによって、それぞれの立場や考え方によって継承されていったのだ。もちろん私がこの文を書いている2024年の今も絶対的に必要な音楽であることは間違いない。
たしかにメンバー的にも音楽的にもジャズ・コンポ―ザーズ・オーケストラなどとかぶってはいるが、本作はやはりまるで違ったものを目指していたと思う。ベースソロのパートの重要性などをみても、このアルバムがまずはヘイデンのものであり、彼の主張に賛同するミュージシャンによる「政治的」な意味合いが強い人選であると思う。ソロピアノと重厚なオケとのぶつかりあい、クルト・ワイル的な諧謔、コラージュによる主張、マーチングやスパニッシュギターやフリーキーなパートなどが交互に出てくることによる主張……などなどなど。こういう作品は「このひとの参加が大きい」などと書いてもしかたがないのであって全員の力なのであるが、本当はペリー・ロビンソンの参加が重要と書きたいのである。ときにはチープなぺらぺらな感じで、ときには鋭く突き刺すような感じで全体にからみ、したたかにクラリネットの痕跡を残すロビンソンは本当にすばらしい。
このアルバムはたとえばスパニッシュギターの部分などをのぞくとけっこうゴツゴツとした手探りの演奏なのだが、それがもしクラシック的にきっちり譜面に書かれ、練習しまくった演奏だったらもっとすばらしいことになっていただろうか。おそらく表面をなでるようなつるつるとしたものになっていたのではないかと推察される(これは本当に推察にすぎないので意味はないのですが)。しかし、それがただの超絶技巧のスパニッシュギターではなく、独特の(バンドとしての)前後左右に揺れまくるフリージャズ的なノリのなかで延々と行われるところがなんともかっこいい。ヘイデンがそのノリを作り出しているといってもいい。そのあとに続くヘイデンのベースソロには胸をかきむしられる。
マーチングというものの持つ意義を考えてみるべきなのかもしれない。私は、マーチングというのは吹奏楽のなかでも音楽以外の部分(行進とか振り付けだとかいろいろ)に気を遣わねばならない軍隊的、独裁国家的なものを感じざるをえない(すまん!)音楽なのだが、ドンツクドンツクといったダサいビートとフリージャズ的な崩れ落ちるようなビートの入り混じったようなこのマーチングははっきりとある主張を押し出していると思う。軍隊の行進である。
ガトー・バルビエリのソロはラーセンのマウスピースでグロウルした、濁ったスクリームのかっこよさに集約される。この「ギャオーッ」というテナーのすばらい絶叫音こそ、イリノイ・ジャケー、ビッグ・ジェイ・マクニーリー、ファラオ・サンダース……と継承されたものなのだ。ガトーはこれを後年、ポップジャズ的なものに使ったが、音楽的意味合いとは関係なく、ひたすらかっこいい……それがテナーのスクリームなのである。だからなんの問題もない。いや、このソロはもっと深い意味合いがあって……と言うひとがいるかもしれないが、それはそれで正しいと思う。しかし、私にとってはガトーは晩年までこういうテナーのストリームを磨き続けてきたと思う。すごいことじゃないですか。
4曲目の「ソング・フォー・チェ(チェ・ゲバラに捧げる歌)」の圧倒的なベースソロを聞いたら、もし、ゲバラについてなんの知識もなかっても、ネットで調べるでしょう。二本吹きの笛はドン・チェリーだが、普段のチェリーとはちがった緊張感があってすごい。そのあとのテナーはデューイ・レッドマンで、ガトーのような突き抜けた感じではなく、シェップのようなどろどろした感じでもなく、ただただグズグズ、グズグズとしているおっさんの演奏……という雰囲気で本当にすばらしい。
5曲目の「戦争孤児」はオーネットの作品で、カーラのピアノがフィーチュアされる。ヘイデンが「この曲をオーネットと一緒に演奏していて、どうしても録音したかった」と語っているが、ここでの演奏にオーネットは加わっていないのに、まるでそこにいるように思えるような演奏ではないだろうか。アンサンブルはほんのちょっとした吹き伸ばしだけで、ピアノとドラムとベースが壊れにくい巌のようなものを作り上げていく過程が聞ける。ある意味、本作のクライマックスでもある。カーラはピアニストとしてもすごい。
6曲目「インタールード」は小品だが、小編成アンサンブルの妙が聞ける。テンポが速まったり遅く鳴ったり自在だし、とくにテナーがオールドスタイルで陶然となる。
7曲目はヘイデンのベースソロではじまるのだが、この息を飲むようなソロからマーチングに展開していき、そこに各ミュージシャンがそれぞれのノイズ的な音をひっさげて徐々に加わっていく感じなど、めちゃくちゃ面白い。これは今後何度聴いても面白いに違いない。それがヘイデンのベースソロを合図に、悲しいメロディに集約されていくエンディングもいい。
ラストの小品はカーラ・ブレイが後年までこだわったゴスペル的な短い曲で、ラズウェル・ラッドのトロンボーンがびりびりと鳴り響く。
何度聴いても胸がしめつけられるような、世の中はこのころとまったく変わらない、いや、もっと悪くなっている、……と思えるような演奏で、聴くときは毎度毎度襟を正して聴いている(マジです)。しかし、見方を変えれば、ただただかっこいいジャズであることは間違いない。間違いないのだが……なんの先入観なく、ライナーも読まずに聴いたとしても、その奥底からあふれ出る「抗議」の意志はどんなひとが聴いても伝わるだろうと思っている。やはり、政治的主張と表裏一体で聴かれるべき音楽だろう。あと、ちょっと気になった点は私が持っているCD(日本盤)の帯に書かれた「哀愁漂うオーケストラ作品」とあるのは、たしかに「哀愁」的なものは感じるのだが、もっと根源的で激烈なな「悲壮さ」ではないかと思う。あと、ライナーにある「自由を謳歌したサウンドに特徴がある」というのも違和感があって、たしかに「リベレーション」というのは「解放」であって、つまり、自由を求めるものだが、自由がないからそれに対する抗議として解放を強く求め、主張しているのが本作ではないのか。