「VERY SAXY」(PRESTIGE RECORDS 7167)
EDDIE ”LOCKJAW” DAVIS,COLEMAN HAWKINS,ARNETT COBB,BUDDY TATE
ジャケットにはロックジョウ、テイト、ホーキンス、コブの順に名前が掲載されているが、これはジャケット写真の順番なので、アルバムの背や裏ジャケットは上記のような順番になっていてそちらに従った。こういうの、名前の順序で揉めたりしないのかな。このアルバムが学生時代、あるテナーの先輩が持っていて、そのひとの下宿でマージャンをやるときは一晩に何度もかかった。そして、それを聴きながらマージャンしていた後輩たちは、その後全員このアルバムを買ったのでした。それぐらい愛聴していたアルバム。今聴いてもいいですねー。この4人の顔合わせというだけで興奮する。よくこんなアホな企画を通したなあ。テナーコンクレイヴとかどころではないよ。ブロウテナー界の世紀の一大決戦ですよ。しかも、そのなかに、ジャズテナーというものを「発明」し、ブロウテナーをも「発明」したコールマン・ホーキンスが入っているというのも凄いことであります。そして、バックがオルガントリオというのも、プロデューサーがこの四人になにをやらせようとしているかがはっきりわかるというもの。ブロウテナー界のフォーブラザーズをやろうとしたら、こんなんなっちゃいました、という汗臭さ、男臭さ、唾とよだれ、ブルースと酒とステーキとニンニクに満ちたコテコテドロドロの大傑作アルバム。4人とも個性の塊のようなテナーマンで、なかでもホーキンスは残りの3人の先輩格であり、影響を与えた「父親」といってもいい存在なのに、そんなの関係ねえとばかりに吹きまくる。一曲目冒頭の情感あふれるオルガンのイントロに続いてテナー4本による分厚いオルガンハーモニーがほとばしる瞬間のかっこよさ、そしておのおののソロのハイテンションぶりにのけぞらざるをえない。どの曲もそういう調子で、バラードは一曲もないし、A−3など、ラストのバトルでいつまでたっても勝敗がつかず、ついに4バースの途中でフェイドアウトという前代未聞のエンディングというすごさ。あの濁ったビッグトーンで、えげつない変態フレーズをこともなげに吹き倒すロックジョウ、もっともブルース感のある、一聴したら忘れられない独特のフレーズを畳みかけるコブ、一番シャープな音色で歌いまくるテイト、そして1,3にアクセントのあるノリで八分音符を、太い音色でつむいでいく王者ホーキンス……この対決は聞きものでっせ。聴き終えるとこちらまで汗だくになる、ブロウにつぐブロウの嵐。ステーキ食ってから聴きましょう。そんでもって、タイトルが「ヴェリー・サクシー」って……アホか! 一応便宜上、テナーの王様であるホーキンスの項に入れておく。
「CLASSIC TENORS VOL.1 COLEMAN HAWKINS AND LESTER YOUNG」(FLYING DUTCHMAN RJL−2571)
コールマン・ホーキンスのセッションを10曲、レスター・ヤングが参加したディッキー・ウエルズのセッションを6曲カップリングしたアルバム。A面全体とB−7,8がコールマン・ホーキンスの吹き込みになっていてややこしい。B−1,2にすればいいのに。ホーキンスのほうはシグネイチャーというマイナーレーベルに吹き込んだもので、最初の4曲はクラリネットも加わっていて、さすがに古色蒼然という感じだが、1曲目でホーキンスが唸りの混じった男性的な音色で、縦ノリで1,3ノリの息の長いフレーズをブロウしはじめると、そういうことは気にならなくなる。そして2曲目は名演の名も高い「ハウ・ディープ・イズ・オーシャン」だが、フレーズの細部からエンディングの最後の一音にまで気の配られた、すばらしいバラード演奏。当時のテナー吹きはみんなコピーしたにちがいない圧倒的な名演。A面全体の白眉といっていい。3曲目はジャムセッション的な匂いのぷんぷんするソロ回し曲で、湾奧ロックジャンプっぽい雰囲気もある。クラリネット、トランペットとソロが続くあいだは古いスウィングの感じなのだが、ホーキンスがリフを主体としたソロをはじめると、やはり貫禄が首ひとつちがう。4曲目は、テーマのあとピアノソロ、トランペットソロとなかなかのソロが続くのだが、そのあとに出てくるホークのソロの出だしが、笑ってしまうほどのえげつない音でびっくりする。5曲目から8曲目までの4曲のセッションはエディ・ヘイウッド、オスカー・ベティフォード、シェリー・マンによるワンホーンカルテットで、当時のコールマン・ホーキンスがいかに凄かったかを見せ付ける演奏である。私も、昔、ラジオでかかっていたときにエアチェックしたテープを持っていて、しょっちゅう聴いていたので、フレーズを暗記してしまったほど。今聴いても、たしかに覚えている。5曲目はホーキンスが軽い感じで吹くテーマがよい。ピアノソロがかっこいい。ベースソロにつづいて登場するホーキンスは後半、濁り気味の荒々しい音で勝負をかける。6曲目はホーキンスがピアノソロが終わるまえに吹きはじめて、そのまま畳みかけるようにアドリブを繰り広げる気合い十分の演奏。だが、本当にすばらしいのはつづく7曲目の「ザ・マン・アイ・ラヴ」で、このときのセッションは4人に対してマイクが真ん中に一本あっただけらしいのだが、それでもオスカー・ベティフォードのベースソロ(めちゃくちゃすばらしいソロ)のときの息づかいが全部録音されていて、臨場感をあおりまくる。ホーキンスのソロも軽いノリなのだが、そのよくコントロールされたフレージングは圧巻。そして最後の「スイート・ロレイン」は、最高のバラード。コールマンの個性爆発であり、歌心もあふれている。B面に行くと、同じくシグネイチャーに吹き込まれた6曲はレスター・ヤング主役のセッション……ということになっているが、実際はトロンボーンのディッキー・ウエルズがリーダーのセッションで、ベイシー楽団のおなじみのメンバー(フレディ・グリーンやジョー・ジョーンズもいる)。やはりA面とはノリがちがうなあ。いかにもカンサスシティのスウィング感なのだ。たとえばB1の「アイ・ガット・リズム」だが、レスター・ヤングの演奏は明確なアイデアにあふれていて、当時の聴衆(とくにミュージシャン)これは超刺激的だっただろうと思う。音も、決して細くなく、芯のしっかりしたいい音だ。すでにオーバートーンを使ったフレーズも試みていて驚く。主役のディッキーはちょっと変態的な大雑把なノリとハイノート、グロウルで勝負するが、圧倒的な天才性を見せびらかすように吹きまくるレスター・ヤングのまえではやや影が薄い。2曲目とその別テイクである3曲目は軽快なブルースだが、やはりレスターのアイデアに満ちたソロ(短いです)が光りまくる。ブルースやらせるとカンサスシティの連中に勝てるやつはいないよねー。4曲目とその別テイクである5曲目はカンサスジャズらしいリフ曲で、レスター・ヤングのソロはすごく太い音に聞こえるが、こういうのが「か細く女性的」と言われたという当時のひとの意見がよくわからん。たぶん今なら、こういう音をそんな表現をしないと思うけど。しかも、ブルースの魅力に満ちたフレージングなのですごく男性的だと感じる(柔らかい音だとは思うが、低音なんかすごくいい音ですよね)。プレスがなよなよした小さく細い音になったのは、JATPのころ以降じゃないのかな(印象論ですいません)。絶頂期はそんなことないと思うけどな。6曲目もレスターのソロはすばらしい(途中でだれかがなにかいうけど、プレスがどうのこうのというぐらいしか聞き取れない)。そのあとの2曲はまたホーキンスのセッションなのだが、これもワンホーンカルテットで、7曲目は「ラバカン」なのだが冒頭からアドリブで入る趣向。ホーキンスの雄大で過剰なビブラートを強調するスタイルがたっぷり味わえる。ソロ終わりにアンサンブルがあって、ギターソロになる。ピアノソロはエリス・ラーキンスだが洒落てますなー。最後はまたホーキンスがさらって、エンディング。ラストの曲は「ブルース・チェンジ」というタイトルで、ホーキンスが最初こそゆったりとリラックスして吹いているものの、しだいにエキサイトしてきて熱いブロウをかます。こういうのを聴くと、まさしくブロウテナー、タフテナー、ホンカーたちの大元祖さまであることがわかりますな。しかし、レスター・ヤングのセッションのほうも、レスターによるホンキングなどが出てきて、それが「ホンク」という方法として定着するまえの、もっとも初期のアイデアとしての段階のものなので新鮮だし、かっこいい。つまり、このカップリングアルバムは、ホンカーのふたりの父親を両方聴けるお得なアルバムなのである。ホーキンスの吹き込みのほうが数が多いので、便宜上そちらの項に入れておく。
「THE ESSENCE OF JAZZ CLASSICS COLEMAN HAWKINS」(RCA RMP5118)
COLEMAN HAWKINS
ヨーロッパで演奏活動をしていたホーキンスが39年に帰米した直後の吹き込みから、すでにバップが隆盛を極めていた47年ごろまでの吹き込みを集めたもの。最後に1曲だけ、監修の油井正一の「強力な推薦」で1曲だけ56年吹き込みの「アナザー・ユー」が入っていてバランスが悪い。なんといっても白眉はA−4の大ヒットバラード「ボディ・アンド・ソウル」で、悠揚迫らぬホークの圧巻のバラード演奏の典型が聴ける。こういったバラードでもただただムードに流れるのではなく、逆に次第に熱くなっていき、唸りを混ぜ込み太い音色でフレーズを積み上げていくあたりが、「ジャズ」を感じさせてすばらしい。ひとつのスタイルを完成させるというのはこういうことなのだなあ。A面の最初4曲(39年)は9人編成でビッグバンドといってもいいサウンド(A−2にはボーカルもフィーチュアされる)。ただし、メンバーにはあまり有名人はいないが、かえってホーキンスの一人舞台になって、それはそれでいい。A面残りの4曲(40年)も8人編成だが、こちらはベニー・カーターやJCヒギンボッサム(うまい!)が入っていたりするが、それでもホーキンスひとりにスポットが当たる演奏であることは変わらない。ホーキンスとしてはとくにA−6の「アラビアの酋長」という曲での豪快なブロウが圧巻。後年のブロウテナーたちはこういう演奏を聴いて、技を盗んだのだろうな。ちょろっと出てくるほかの連中のソロもどれも上出来で、クラリネットのダニー・ポロというひともうまいよね。それにしてもベニー・カーターはトランペットもアホみたいにうまくて唖然とする。アンサンブルは、スウィングというよりニューオリンズジャズっぽいところもまだ残っている。B面に入ると、年代もA面から6〜7年後のバップ全盛期。ホーキンスは率先して若手のバッパーを雇い、共演したが、1曲目はアレン・イーガーやチャーリー・シェイヴァースが入っており、そのシェイヴァースのトランペットがなかなか聞きもの。ホーキンスは相変わらずのソロ。2曲目から7曲目は、当時としてはともかく今から考えると超豪華メンバー。ファッツ・ナヴァロ、JJジョンソン、バド・ジョンソン(ただしアルト)、ハンク・ジョーンズ、チャック・ウェイン、マックス・ローチなどなどキラ星のごとき面子。しかし、6曲中、バラードが4曲あり、キラ星たちの出番はほとんどない。だが、そのバラードがすばらしいのだからこれはもうしゃあない。速いテンポの曲だと、ホーキンスはコードに忠実ではあるが、アルペジオをつなげていくようなソロに終始するので、ぶっちゃけた話、あまり「歌心」を感じられない。歌というのはコードに対して縦にではなく(縦だけではなく、というべきか)横の流れがないと成立しないが、レスター・ヤングはそのあたりの感覚が抜群だったが、ホーキンスはかなりビミョーだと私は思っております。でも、バラードだとそのあたりが解消されて、すばらしい演奏が多い。さて、7曲目の「アイ・ラヴ・ユー」だが、油井正一の解説では「すべてのジャズメンに愛されているコール・ポーターの名曲」となっているが、聴いてもらえばすぐわかるとおり、同名異曲である。聴いとらんのかなあ、このひとは。それとも曲を知らないのか。そして8曲目には、この演奏を45回転でかければチャーリー・パーカーのソロになり、ホーキンスがモダンフレージングを自分のものにしていたかがわかるとなっているが、あまりにソロが短すぎ、そんなことまでわからん。まあ、ちょっはとバップ風ではあるが、今も書いたとおり、ホーキンスはもともとコードの流れをきっちり分散和音で表現することができる、しっかりした音楽的土台をもったミュージシャンだから、これぐらいのことは当然できただろう。
「NIGHT HAWK」(PRESTIGE SWING VILLE 00025218642026)
COLEMAN HAWKINS
こないだサックスの専門誌にコ―ルマン・ホーキンスの特集があって、それがめちゃくちゃすごくて、ホーキンスの使用楽器の変遷、それも、セルマーからなにに……みたいなざっくりした書き方ではなく、機種を完全に特定していて驚いたが、もっと驚いたのはマウスピースで、年代別にものすごく細かく書いてある。どうやって調べたのだろう。レコードジャケットをパッと見るだけではわからないと思うが……。まあ、我々が知っているホーキンスというのは映像が残っていたり、LPの尺で録音されていたりする、いわゆる後期のホークということになるだろうが、そこではだいたいラーセンのメタルを使っているというのが印象である。あの、強烈にビブラートをかけた、ぎゅっと詰まったような、ざらざらした音はラーセンの特徴だ。しかし、コールマン・ホーキンスの全盛期、つまりスウィング時代はだいたいリンクのメタルだったそうで、そう言われてみれば、昔のビンテージ録音のものはいかにもリンクっぽい、サブトーンからリアルトーンになるような感じの音だ。どこで読んだか忘れたが、「ホーキンスは昔は好んでテナーの高音部を鳴らしていたが、晩年は中音域しか吹かなくなった」……とかいう証言もあったと思う。硬いリードで太い、うねるようなサウンドを、テナーの高音で吹き続けるのはかなりしんどい。松本英彦さんも、晩年はリンクはもう無理だからといってラーセンにしていた。ラーセンが楽なマウスピースだとはとうてい思わないが、それぞれの吹き方というものがあり、たしかにリンクのメタルだとホーキンスのようにガッツで分厚いリードを鳴らす吹き方だとだんだんしんどくなってきたのだろう。私は正直、どっちのホーキンスも好きなのだ。このアルバムのジャケットではあきらかにラーセンのメタルのように見える。雑誌の特集を見ると、この時期の使用マウスピースはラーセンのメタル115だそうだ(どうしてそこまでわかるの!)。えーっ、俺の持ってるラーセンと一緒じゃん。まあ、そんなことはどうでもいいけど。本アルバムは、全編エディ・ロックジョウ・デイヴィスとの共演(バトルという感じではない)ということでテナー好きにはこたえられない内容ではないか。もちろん、まずは「ヴエリー・サクシイ」を聴いてもらわないといけないのだが。ロックジョウはもちろん生涯リンクメタルを吹き続けた男だが、その独特の音色と超個性的なフレージングは一度聴いたらだれも忘れないだろう。ずぶずぶ……というサブトーンからグロウルして濁らせるリアルトーンは「凄まじい」感じで、よくこれでベイシーのセクションワークができたなあと思うような、ワンアンドオンリーの音色とノリの持ち主である。もちろんもともとはベン・ウエブスターから来ているのだと思うが、ロックジョウはそれを完全に自分の色に染め上げ、変態的なロックジョウフレーズとしか言いようがないものを打ち立てた。そんなふたりの共演だから、世界中のブロウテナー好きが争って聴いたにちがいない(ほんまか?)。リズムセクションは、トミー・フラナガン、ロン・カーター(!)、ガス・ジョンソン……というなーんか寄せ集め的ではあるがその実力に文句を言うものはひとりもいない腕達者ばかりである。ライナーには「コールマン・ホーキンスはテナーサックスの父と呼ばれている。本来はその称号はアドルフ・サックスが受けるべきだが、ホーキンスは疑いなくこの楽器を再生した人物である」みたいなことが書いてある。1曲目はいきなりスローブルースではじまり、ふたりの20歳ほど年齢のちがうテナーがコテコテの演奏をはじめる。たまりまへんなー!先発はホークで、フラナガンのピアノソロも挟んでロックジョウという、バトルにならない構成である。こういう、黒人テナーならではの、涎が垂れるようなずぶずぶの吹き方は、言葉には言い尽くせないです。2曲目は「ノー・グレーター・ラヴ」で一応簡単なアレンジがほどこされていて、洒落た雰囲気なのだが、ソロに入ると濃厚なブラックミュージックが展開する。ホーキンスはたしかにこの時期、テナー吹きとしてはやや力を落としていたというかかつてのような凄まじい音量で吹きまくるということはできなくなっていたかもしれないが、それが逆に軽い音でスムーズに吹く感じになっていて、さすが名人芸! という印象。対するロックジョウは、なにしろまだ30代ですから、吹いて吹いて吹きまくる。先輩を圧倒するなんて失礼だろう、きみは! みたいな気持ちは微塵もないようだが、そこが潔いし、ホークも目を細めているような気がする。3曲目はエリントンの「インナ・メロートーン」だが、先発がロックジョウでいつに変わらぬ変態的なフレーズを一瞬の躊躇もなく吹きまくる。ホーキンスもさすがなソロで応じる。アルペジオ的な、コードを下から上へ吹いていく、かなりモダンなフレーズがいっぱい聴かれる。ロックジョウは基本的に装飾音を多用するので、四角張ったノリのホーキンスとはまったく異なるノリなのでその対比がいいではないか。しかも、最後のほうはロックジョウはもうとまらんとばかりにフリークトーンを連発する。おもろい! 4曲目はバラードで、テーマから最初のソロはロックジョウがベン・ウエブスター的なサブトーンを使いながら吹きまくり、フラナガンの絶妙なピアノソロを経て、ホーキンスが歌いまくる。こういう曲での歌い上げは、ロックジョウはああいう変態的なフレージングのひとなので、ホーキンスの上手さが目立つ。歌心を感じさせるすばらしいソロ……そしてカデンツァなのだ。ホーキンスえらい! そしてラストの5曲目は、ななななななんとあのケン・マッキンタイアの曲。なにがどうなってこのレコーディングにマッキンタイアの曲が使われることになったのかわからないが、まあ、聞いた感じはマイナーのリフ曲だなあ、と思っていると、じつは単なるブルースなのだった。ホーキンスが先発でいかにもスウィング的な歌い上げをしたあと、ロックジョウが「ロックジョウフレーズ」をひたすら吹きまくる。あー、もうコテコテやなあ。大阪のお好み焼き以上にコテコテである。フラナガンのソロが清涼剤に聞こえる。あー、ブラックジャズは楽しい。ホーキンスは楽しいぜっ。