「BLUE BOYE」(SCREWU 70008)
JULIUS HEMPHILL
フリー系のアルトに対して大いなる偏見を持つ私だが、ジュリアス・ヘンフィルに対しても、長いあいだ偏見をもっていて、聴かず嫌い、いや、何枚か聴いてのうえで嫌いだった。オリバー・レイク、ヘンリー・スレッギル、ロスコー・ミッチェル、ジョセフ・ジャーマン、アンソニー・ブラクストンらは音楽家としてはすばらしいが、サックスプレイヤーとしては全然ダメダメで、あんな楽器の鳴ってないアルトは聴くにたえない、というのがその理由であった。そのために、「いくらトータルミュージシャンとしてすごくても、サックスが吹けてなきゃねえ」みたいな感じで、何枚か聴いては売ってしまう、という状態が長く(20年ぐらい)続いていた。このジュリアス・ヘンフィルについても、ワールド・サキソホン・カルテットで生を見て、非常に感激したおぼえはあるが、それはWSQという枠組みがあるからであって、ジュリアス・ヘンフィルのリーダーアルバムはやっぱりダメだよねー、と思っていた。しかし、最近、ヘンリー・スレッギルについては完全に宗旨替えをして、ぞっこん参ってしまったので、ほかの人たちについても素直な心で聞き直してみることにしたのだ。で、このアルバムはジュリアスのソロで、アルトとフルートを中心に多重録音によって構築された音絵巻である。結論からいうと、「すげーっ!」と絶叫したくなるほどの傑作であった。いやー、またしても私が悪かったと土下座。ティム・バーンが惚れ込むわけだよねー。クリエイティヴという言葉はあまりよい語感ではないが、このアルバムに関しては「クリエイティヴとはこのことだ」と叫ばざるをえないほど、隅々にまでハイレベルな創作意欲が満ちていて、聴いているとその意欲がこちらにびんびん伝わってきて、一種のトリップ感に陥る。このアルバムは、CD化にあたってマスターテープがなくなっていたらしく、ティム・バーンがレコードから起こしたものが原盤になっているとのことだが、音質的には気にならない。ほんと、音楽と接するということの喜びを深く感じさせてくれる傑作です。
「’COON BID’NESS」(FREEDOM TCKB−70333)
JULIUS HEMPHILL
ジュリアス・ヘンフィルには長年偏見をもっていたが、それが取っ払われたので、これを機会にいろいろ聴いてみようとあちこち探したが、なかなかアルバムを入手できない。やっと見つけたこのフリーダムのアルバム(なんと日本盤)は、じつは昔レコードで持っていたけど売ってしまったもの。ようするに、つまらんと思ったから売ってしまったわけで、いくら偏見がなくなったといえど、久々に聴き直してみてどんな印象を持つだろう、とちょっとこわごわプレーヤーのスタートボタンを押したのだが……うわあ、すばらしいじゃないですか。俺の耳って腐ってたのか? ジュリアスのアルトとハミエット・ブルーイットのバリサクに、A面はアーサー・ブライスのアルト、B面はバイキダ・キャロルのトランペットが加わった三管編成で、ベースのかわりにチェロが入ったかなり特異な編成だが、A面は一種の標題音楽に聞こえる。管と管のかもしだす微妙な響きをつかまえて、ちょんとずつ増幅していくような知的かつ情念の作業にじっと聴きいるのは、ほんとうにわくわくすることだ。B面は全編ブルースをやる。ブルースといっても、どブルースではなく、彼ら流にひねりまくったブルースだが、それでいてなぜか、古いシカゴブルースやミシシッピデルタなどの黒い黒いブルース感覚が伝わってくるという稀有な演奏。さすがです、ジュリアス。みんな、素直に耳を傾けましょう。そうすれば至福の世界がそこに開ける……って、俺だけかなあ、ジュリアスがわからんかったのは。なんで前に聴いたときはこの傑作がつまらなく聞こえたのか。やはりジュリアスの「音色」が私の耳を曇らせたのでしょう。ごめん悪かった。今後は反省して、たくさんアルバムを聴くので許してくださいませ。合掌。
「THE HARD BLUES」(CLEAN FEED CF027CD)
JULIUS HEMPHILL SEXTET
ジュリアス・ヘンフィルのリーダー作だとばかり思って買ったのだが(だって、背中には「ジャリアス・ヘンフィル・セクステット」と書いてあるんだもん)、よく見ると、変フィルの没後に、ティム・バーンと並ぶ彼の弟子、マーティ・エーリッヒがメンバーを集めてヘンフィルのスコアを録音したサックス六重奏団なのだ。しかも、ライヴ。うーん、期待が膨らみますなあ。メンバーも豪華で、ヘンフィルのセクステットとだいたい同じ。それにしても、見開きジャケにメンバーのシルエット(?)が映っているが、バリサクのアレックス・ハーディングはチビでデブで、なんとなくバリサクが非常に似合う。テナーは有名なアンドリュー・ホワイトとアーロン・ステュアートで、どちらもソリストとして活躍するが、(マーティ・エーリッヒは別として)アルトのサム・ファーネイスというひとと、アンディ・レスターというひとはよく知らんが、どちらもめちゃめちゃうまいし、すごい。とにかく、全曲、夢をみているような気分のうちに進行し、あっというまにアルバム一枚聴き通してしまうほどの傑作である。そして、全編どこを切っても、金太郎飴のように「ジュリアス・ヘンフィル」色が濃厚に立ちのぼるのは、メンバーがヘンフィルの音楽性を熟知しているからか、それとも彼のコンポジション、アレンジにそういうマジックがあるのか。どの曲も、濃い。聴いていると心地よい疲労におそわれる。しかも楽しい。ジャズを聴くうえで理想の状態だ。ともかくサックス6人だけ、ということをまるで感じさせない、天才ヘンフィルの残した作品であり、マーティ・エーリッヒの才能も知ることのできる、すばらしいライブ盤である。おそらくマーティ・エーリッヒの項にいれるべきだろうし、ジュリアス本人はもちろん入っていないのだが、「ジュリアス・ヘンフィル・セクステット」となっているので、この項にいれた。
「DOGON A.D.」(ARISTA−FREEDOM 1028/0698)
JULIUS HEMPHILL
以前(もう二十年以上もまえですよ)、だれかに入れてもらったカセットテープで聴いたときは、まるでぴんとこなかった。というのも、私がアルトが苦手だからである。誰々のアルトが、というのではなく、アルト全般が苦手だった。好きなフリー系のアルト奏者はドルフィーや坂田明、梅津さん……など両手で数えられるほどで、オーネット・コールマン、マリオン・ブラウン、ジョン・チカイ、オリバー・レイク、アンソニー・ブラクストン、アーサー・ブライス、ロスコー・ミッチェル、ジョセフ・ジャーマン、ジミー・ライオンズ、ヘンリー・スレッジル……みんな苦手でした。まあ、ようするに「勉強」だと思って、そういうひとも一生懸命聴いていたのだが、やっぱり耳はテナーのほうに行ってたなあ。それが今ではすっかり変わってしまい(今でも苦手なひともいるけど)、とくにこのジュリアス・ヘンフィルなどは、入ってたら必ずそのアルバムを聴かざるをえないというほどファンになってしまった。で、本作もずーーっと聴きなおす機会を欲していたのだが、入手困難ということであきらめていると、これが再発されたので、ただちに購入。聴いてみて、いきなり冒頭からかなりの衝撃をうけた。うーん、これはすごいなあ。名盤というのがようやく納得できた。というか、以前はよほどこちらの耳がアホだったのだろう。1曲目の冒頭、ドラムとチェロが重厚で、ちょっといびつなリズムパターンを提示する瞬間から、ああ、かっこいいと思う。そして、一度聴いたら忘れられない印象的なテーマ。それに続くヘンフィルのアルトソロの凄まじい迫力は圧倒的だ。いつ果てるともしれぬ、延々と続く咆哮。それがドラムとチェロのパターン(よく聴くと、微妙な変化があって、毎回同じではない。このあたりが人間がやってるって感じするよなー)のうえに乗って展開する。これって11拍子なのか? とにかく4拍子系の耳では、「うっ」とくるような違和感があり、テンションが持続する。トランペットの輝かしいソロもいい。ヘンフィルの、コンポジションとアレンジと即興が不可分なものとして提示され、全体がまるでひとつのドラマというか劇のように構成されていて、聴くものになにかを思わせ、なにかを考えさせ、なにかを突きつけるような音楽性はここでも十分発揮されている。ヘンフィルの音楽を聴いたものは、重いものを持たされるのである。2曲目も同様だ。3曲目はフルートが千変万化の饒舌な演奏を繰り広げる。ヘンフィルのフルートは、演奏技術的にはどうだかわからないが、とにかく表現力という点では凡百のフルート奏者を超えていると思う。4曲目はちょっと曲調が変わり、曲名どおり「ハードブルース」、つまり重いブルースである。この曲だけハミエット・ブルーイットがバリトンで参加している。R&B的なハチロクのブルースだが、重量感あふれるバックをよそに(?)ヘンフィルはよれよれっとしたソロを延々つづける。昔はこういった、フリー系アルトのよれっとしたソロが苦手だったのだが、今はもうばっちりOKです。つづくトランペットソロもリーダーの意向を継いだ、空間をいかしたじつにかっこいいソロを吹きまくる。こうなるともう、しゃべっているに近いな。ブルーイットはソロはほとんどとらず、アンサンブルの低音部分を支えたり、集団即興にちょっとだけ加わったりしているのだが、その吹きかたが、音色といい、微妙な変化といい、存在感を感じさせる。この四曲目は、最初このアルバムがヘンフィルの自主レーベル「ムバリ」から五百枚だけ発売されたときは、たぶん収録時間の問題か、カットされて、1〜3曲目までしか入っていなかったが、その後ヘンフィルがフリーダムと契約して、本作のマスターを売ったとき、フリーダムはこの曲「ハード・ブルース」を「クーン・ビドネス」というアルバムに収録して発売したが、今回のCD化にあたって本来の形にようやく戻された。この四曲目は、少しほかの三曲と曲調がちがうのは、ヘンフィルがドゴンというアフリカの世界観をアメリカ黒人の音楽につなげようという、作品としての意図があったはずなので、まずはめでたい。本作全体を通して聴いて思うのは、ヘンフィルの異常なまでの個性とそれを存分に発揮しようという強い意志だ。アフリカがどうのマリがどうのドゴン族の宇宙観がどうの、といったことは私にはよくわからんが(要するに、アフリカのドゴン族の宇宙観や世界観に感心をもったヘンフィルによる、自己解釈のドゴン的ミュージックということなのだろう。ADとついているのは、古代のドゴン族ということ? とにかく1曲目はもちろん、ほかの曲も底の底にアフリカ大陸が横たわっているのは切実に感じる)、とにかく凄まじい音楽で、百回聴いても飽きないと思う。サックス、トランペット、チェロ、ドラムという変則的な編成も、今となってはさほど驚くべきではないかもしれないが、当時としてはかなり大胆で、衝撃的であったことは想像にあまりある。ベースではなくチェロなので、どうしても全体の音がスカスカになるのだが、それがいいんですなー。ところで、このCD化はほんとうに痒いところに手が届く感じで、さっき書いた四曲全部収録もそうだが、ジャケットもオリジナルのムバギレーベルのものがちゃんとなかに入ってるし、ライナーとかも全部復刻されており、しかも2曲目の「ライツ」という曲はラストの部分が現行のアナログマスターにおいて欠落してしまっているのをちゃんとレコードからのデジタルコピーから復元している(聴いてもわからん仕上がり)。じつは再発されたときいたとき、オリジナルマスターがないのでレコード起こしらしいよ、という話を耳にして、購入をためらっていたのだが、なーんや、たった数分のことである。みんな、気にせず買いましょう!
「AT DR.KINGS TABLE」(NEW WORLD RECORDS 80524−2)
THE JULIUS HEMPHILL SEXTET
例によってジュリアス・ヘンフィルが入っているわけではない。マーティー・エーリッヒが率いる、ヘンフィルの作品ばかりを演奏するサックスアンサンブルである。どの曲も短めで、全体を通して聴くことでひとつの大きなコンポジションであることがわかる。超絶技巧を必要とするアンサンブルワークと自由さは相反するものと思われがちだが、ヘンフィルのコンポジションとアレンジは、そのふたつが見事に共存することを証明している。とかなんとかごちゃごちゃ言うよりも、とにかくここに収められた演奏はどれもこれもかっこいいし、心地よいし、頭でっかちな部分など皆無である。ヘンフィルは入っていないが、ヘンフィルの偉大さが実感できる。ブラックミュージックの伝統を踏まえた、美しく、パワフルで、情感豊かな曲の数々は、聴いているうちに、リズムセクションがいないことなど忘れてしまうほどスウィングし、ロックし、グルーヴしているわけで、たとえばアンソニー・ブラクストンのコンポジションとのちがいを感じる(私もどっちも大好きです)。六人のメンバーそれぞれにソロがあり、アンサンブルワークのみの参加者がいない点もいいですね。譜面に強く、技術力があり、ソロも吹け、なおかつジュリアス・ヘンフィルの音楽の理解者である猛者たちが集まっている。どのソロも入魂の演奏だが、全員、しっかりと個性を感じさせるのもすばらしい。皆、朗々とよく鳴っていて心地よいサウンドだが、なおかつひとりずつ、音にも個性があるというのはクラシックサックスとはちがった点である。サックスを吹くひとたちみんなに聴いてほしい傑作であります。
「LIVE AT KASSIOPEIA」(NO BUSINESS RECORDS NBCD35−36)
JULIUS HEMPHILL/PETER KOWALD
ライナーとかが一切ないので制作の経緯とかがまるでわからんのだが、ドイツのヴッパータルという街にあるカシオペアとい(たぶん)ライヴハウスでのジュリアス・ヘンフィルとペーター・コワルトのデュオで二枚組……と思ったら、一枚目はそれぞれのソロで二枚目がデュオ。いやー、こういうのが一番血沸き肉躍る。テープの音の移り込みがけっこうあるが、まあ気にしない気にしない。1枚目の1曲目はヘンフィルのアルトソロだが、スウィンギーな曲。リズム的にも終始しっかりしていて、歌心あふれるソロがつむがれていく。二曲目もアルトソロで、一曲目よりもバップよりの曲調。ソロもコード分解的というかパーカー的。これはなかなかすごい演奏。ヘンフィルのバッパーとしてのルーツがモロに感じられる。めちゃくちゃ上手い。しかし、この曲も終始リズムも調性もキープされたままなのに、なんかわくわくするのは不思議。途中一瞬破綻というかフリーな感じが出るがそれもバップ的ソロを高速で推し進めた結果で、すぐにもとに戻る。3曲目はバラードで、これも同じ趣向。すごくオーソドックスな演奏。フラジオを上手く取り入れたフレージングが泣ける! しかし、3曲とも「アドリブを練習しているサックス奏者」みたいにならず、きちんと音楽になっているのはすばらしい(あたりまえやろ、というひともいるかもしれないが、往々にしてそういう「ソロサックス」がある)。続く4曲目はコワルトのベースソロで1曲だが32分もある。ダイナミックでピチカートの力強さ、アルコのまるでオーケストラのような豊穣さ、おそらくスティックかなにかを使っているパーカッションのような奏法、ホーメイのようなヴォイスなど……うっとりしているうちに32分は夢のように過ぎている。こちらはさすがにフリーな感じの演奏である。
2枚目は、1枚目とは打って変わってヘンフィルもフリーな応酬をしているが、一曲目は一枚目の延長的にも感じられるナチュラルで素直な演奏でもある(途中で急に途切れる)。2曲目はヘンフィルはソプラノで、36分半もある長尺の即興だが、非常にスリリングなデュオで、山あり谷ありというか、起伏がすごくて、ドラマチックな展開に一瞬も目を(耳を)離せない。ときどきサックスがしゃくりあげるような吹き方をするが、これはヘンフィルの特徴のひとつだろう。20分過ぎぐらいからベースソロになるが、ここは一音一音を大事にし、間をいかした凄みのある演奏。そのあとヘンフィルはアルトに持ち替えてふたたび参加。ベースの速いランニングに乗って、力強い演奏が続く。そのあとは最後まで予断を許さない展開で、すばらしいの一言。たったふたりなのに腹いっぱいです。3曲目はアルコベースとアルトのデュオで短い演奏だが、幕切れにふさわしい。
この2枚目こそがこのアルバムの真髄だ、という意見もあると思うが、逆に一枚目のスウィング感あふれるサックスソロとベースソロこそが……という意見もあるだろうし、そういう意味で二枚組にせざるをえなかったのだろうと思う。ありがたい話である。最後の最後にウッドペッカー的なギャグがあり、このデュオライヴの楽しい雰囲気が伝わってくる。傑作! なお、対等のデュオだと思うが便宜上先に名前の出ているヘンフィルの項に入れた。