「JOE HENDERSON QUINTET AT THE LIGHTHOUSE」(MILESTONE MCD47104−2)
JOE HENDERSON QUINTET
某レコード店の壁に長いあいだかかっていた(もしかしたら今もかかっているかも)オリジナルの中古盤(めちゃめちゃ高かった)を見たときからずっと欲しかった(でも、買えなかった)。その盤は、ジャケットがれレコードの形に丸くすり切れており、いかにも「オリジナル」という感じだった。メンバーも曲も、「絶対聴いてみたい」と思わせるに十分だったが、誰も持ってないし、ジャズ喫茶にもなくて、悶々としていたが、それがこうして2000円ほどで買える時代になったのである。ええ時代じゃのう。本作は、いろんなアルバムに分散収録されていた、ジョー・ヘンダーソンのライトハウスのライヴをひとつにまとめたものであるが、最初っからこの形で出すべきだった! と叫びたくなるほど統一感があるし(あたりまえか)、演奏のグレードもすばらしい。選曲も、ジョー・ヘンダーソン・ヒット曲集のようだし、はじめてジョー・ヘンダーソンに接する、というひとにも最適だ。正直なところ、ブルーノートの諸作(「ページワン」にはじまっていろいろ)にくらべても、たとえ同じ曲が収録されていたとしても、その内容、ソロなどはずっとこちらのほうが高いと思うよ。私は、ジョー・ヘンダーソンの最高傑作は「テトラゴン」だとずっと思っていたが、本作も負けず劣らず名盤だ。とにかく、主役のジョー・ヘンダーソンのテナーソロがどの曲でもすばらしい。それはもう、びっくりするほどすばらしい。マイケル・ブレッカーなどの、コルトレーン系白人テナーと呼ばれている人たちは、じつはコルトレーンではなくジョー・ヘンダーソンのほうに直接的な影響を受けているのだ、と言われても全面的に賛成したくなるほど、ヘンダーソンのソロはリズムとハーモニーに対していろいろなアプローチを試みており、それが露骨に具体的なアイデアの形で提示されていてすごくわかりやすいし、しかも、音色が個性的で、なおかつパッショネイト……というジャズソリストとしては最高の状態である。あふれでるアイデアの奔流に、聴いていてぞくぞくする。そして、共演のウディ・ショウがなかなかがんばっている。ここでのショウは、ライヴということもあってか、かなり雑い感じのソロをしているが、それがまたよい。ショウにかぎって、どんなにオーバーブロウしても大味にはならない。ジョージ・ケイブルスの「ラウンド・ミドナイト」でのエレピの効果音的使い方は今の耳で聞くと笑えるがそれもまたよし。ほかにも聞き所多く、いくらほめてもまだ足りないような傑作である。ジョー・ヘンダーソンを何か一枚聴きたい、というひとがいれば、ブルーノートの諸作ではなく、迷わず本作(もしくは「テトラゴン」)を聴くことをおすすめしたいです。
「THE STATE OF THE TENOR」(BLUE NOTE CDP7243 8 28879 8)
JOE HENDERSON
第一集がでたとき、どえらく評判になったアルバム。ジョー・ヘンダーソン復活、などと騒がれたが、実際のところ彼は、どんな時代もほとんどスタイルを変えることなく、地道に演奏を続けていたわけで、復活もくそもない。ジャズジャーナリズムが勝手に言ってるだけだ。しかし、このアルバムはライヴとはいえ、ピアノがいないトリオなわけで、ヴィレッジヴァンガードのライヴということもあって、ロリンズのライヴ盤がよく引き合いに出されていた。しかし、多彩なニュアンスでピアノがいないことを感じさせないロリンズに比べると、ジョー・ヘンダーソン(ジョーヘンという呼び方は大嫌い)は、いろんな意味で単調である。空間を埋め尽くすような派手なフレーズもないし、音色もダイナミクスも一本調子である。だいたい彼の演奏の特徴として、
・高音から低音まで同じ感じで吹く。とくに低音を低音らしくない感じで、フレーズのなかの一音としてあっさりと吹く。
・楽器が鳴っていないかとおもえるような、独特の音。
・音がすごく小さい。しかも、ダイナミクスがあまりない。
・トリルの多用。
・難解な独特のコードチェンジを好む。
・「ソラシソラファミ」をはじめ、新主流派のテナー吹きが使うフレーズの多くが彼の発明だと思われる。リズムをずらしたり、代理コードを使ったりといった多種多様な技のオンパレードである。
などが挙げられるが、たとえばブレッカーやグロスマンあたりが使うと、すげーすげーと拍手喝采になるようなフレーズも、ジョー・ヘンダーソンが吹くと、音色やダイナミクスなどのせいで地味〜に聞こえる。つまり、本当に彼のフレージングを愛する「理解者」にしかその真価はわからんはずなのである。そういう彼の特徴が、いちばんよくわかるのがこのアルバムである。ピアノがいないせいで、ほんと、サウンドとしてはスカスカだし、愛想のない演奏だが、しかし、これこそジョー・ヘンダーソンの真髄なのである。だから、このアルバムがもてはやされたことがすごく驚きだった。みんな、ほんとにわかって聴いてるの? と思ったのだ。日本のジャズファンは、ほんとにこのアルバムの良さがわかるほど耳がいいのか? まあ、そう馬鹿にしたもんではないということでしょうか(←えらそうかおまえは)。そして、ここに挙げた彼の特徴を、ジョー・ヘンダーソンはデビューのときから備えていて、以来ずっと変えていない。最初からほとんど完成されていたテナー奏者なのだ。これはすごいことですよ。まあ、このアルバムで、やっとジョー・ヘンダーソンに時代が追いついたともいえるかもしれない。じつは、私がアルトからテナーにかわったのは、彼の影響(?)が多分にあって、ジョー・ヘンダーソンの音色は、もしこれがアルトなら「鳴ってない。ぜんぜんだめ。しょぼい」と酷評されるが、テナーだとこんな風に「個性」といわれるからなあ。まあ、それはさておき、このアルバムは第2集とカップリングにしたお得盤。1集ばかりが有名だが、2集もグレードはかわらないので、両方聴きたい。一曲ずつ、アップテンポの、ジョー・ヘンダーソン吹きまくりの曲が入っているが、それを聴けば、マジでものすごいことをものすごい速さでやりまくっていて、ほんとに感動する。ブレッカーにオーレックスの最初のとき「同じ舞台に立てるだけで興奮する」といわしめた怪物の、真価発揮しまくりのライヴである。
「TETRAGON」(MILESTONE MSP9017)
JOE HENDERSON QUARTETS
ジョー・ヘンダーソンというひとは、非常にアクが強いテナーで、パッと聴いて、うわあ、ええなあ、と素直に思うひとはあまりいないだろう。まず、音が小さい。彼の演奏を、豪快にブロウしているなどと表現している文章がたまにあるが、どこがやねんと思うぐらい、小さな音である。これはたぶん、ずっと使用しているセルマーのエボナイトのマウスピースがかなり開きの狭いものなのだろうと思う。マイクをサックスのベルにずぼっと差して吹いているのを生でも観たことがある。だから、低音もテナーっぽくボゲッとした感じではなく、高音も叫ぶような朗々とした感じではなく、いわゆるジャズテナーのサウンドイメージからはかなり遠い、あるいは真逆の音だが、それをあえて選択し(わざとそういうマウスピースその他のセッティングにしているとしか思えん)ずっとそれにこだわり続けたという点で、ジャズテナー奏者史上トップクラスの変態スタイリストなのである。しかも、そのフレーズ作りも、よくコルトレーン派だとかいろいろ言われているようだが、コルトレーンというよりマイケル・ブレッカーにも通じる知的というかクールな方法論に基づいたテクニカルかつ斬新なフレーズだと思うし、その作曲も妙なコード進行の、しかも聴いてかっこいい、すごい曲を作るし、ミュージシャンとしての姿勢としても、ブラックミュージシャンとしての意識をつよく押し出した作品を作ったり、後年はピアノレストリオで自在に自己の音楽を紡ぐ境地に達したり……ととにかくワンアンドオンリーのすごいひとだと思うのだ。しかし、一般的なジャズ紹介の本とかの文章を読んでいても、ジョー・ヘンダーソンの真価をちゃんと言い当てたと思えるものにはなかなかでくわさない。それぐらい、けっこう「むずかしい」ひとだと思う。私も、白状するとこのひとの良さはなかなかわからず、高校生から大学2年のころまでは、音しょぼいなあ、フレーズもピロピロしたトリルとか多用してて、男ならもっと腰をぐっと落としてドスの効いた音でグワッとブロウせんかい、と思っていたが、あるときこのアルバムを聴いて、すべてがコペルニクス的転回というか、バーン! とわかったのだった。そうかそうだったのかジョー・ヘンダーソンの魅力はここにあったのかこいつのやりたいことってこうだったのか……とわかって、それまではマイナス要因だった部分がすべて長所に思えてきた。うーん、テナーサックスは深いなあ……と感動し、それが私がテナーに転向した、全部とは言わんがひとつの理由なのである。というぐらい、個人的に思い入れもあるアルバムだが、とにかく内容はスバラシーッの一言。嫌いだった私を逆転ホームラン的に虜にしてしまうほどだからすばらしいに決まっとるが、まずは「インヴィテイション」があまりにかっこよくて、もうそれで決まりのようなものだ。このフレーズのつむぎかた、曲(けっこうむずかしいチェンジ)の解釈、バックのトリオとのからみ……なにをとっても絶品。メンバーもすごくて、ドン・フリードマン、ケニー・バロン、ロン・カーター、ディジョネット、ルイス・ヘイス……といった連中が主役の意図を完全に理解したバッキングをする。おなじみの「RJ」や、タイトルチューン「テトラゴン」などもすばらしく、傑作中の傑作と思います。ブルーノートの諸作「ページ・ワン」「インナー・アージ」「モード・フォー・ジョー」などが有名だが、まず一枚と言われれば本作を強く推薦したいです。
「JOE HENDERSON IN JAPAN」(MILESTONE RECORDS 00025218704021)
JOE HENDERSON
ジョー・ヘンダーソンが71年に来日したときに、日本のミュージシャンと競演した記録。ワンホーン、ライヴ、しかもバックが日本人ということもあって、ジョー・ヘンダーソンはいつになく(?)「俺が主役として引っ張っていかないと」みたいな張り切っている感じで、かなりきわどい、荒っぽいブロウも繰り出して、興奮度高し。バックの3人もすばらしい演奏で、とくに市川秀男のピアノ〜エレピはめちゃかっこいいし、日野元彦のぐっと抑えたバッキングも渋い。しかし、なんといっても本作のよさは、ジョー・ヘンダーソンのソロをものすごーくたっぷり聴けるということだろう。吹いて吹いて吹き倒す。こんなジョー・ヘンダーソンを聞いたことがありまっか? ライヴ盤なのに、一曲目がバラードの「ラウンド・ミッドナイト」からはじまるという構成もなかなかだが、それが変に思えないのは、同曲がめちゃくちゃ盛り上がるからで、ほんと、半端ない盛り上がり方である。フレーズのひとつひとつがかっこいいし、考え抜かれている。ヘンダーソンの演奏は、たしかにブラックミュージックとしてのパワーやパッションにあふれているが、それと同時にじつに知的でクールなもので、コードに対するフレーズの組み立てや、ちょっとしたリズムの揺らぎの演出、音色の微妙な変化など、鋭いアイデアがいっぱい詰まっていて聴けば聴くほど面白くなってくる。先日ライヴで聴いたマーカス・ストリックランドも、このジョー・ヘンダーソンのぐるぐる、うねうねしたフレーズのつむぎ方(とくに低音から高音までを均等に使う感じなど)に、似た部分を感じた(ストリックランドがジョー・ヘンダーソンから影響されてるといってるわけではなく、私がそう感じただけです)。「ブルー・ボッサ」などの、本来、軽い曲でもここでのジョー・ヘンダーソンはハードに攻め立てる。全体に、半分フリージャズに足を突っ込んでいるような過激なオーバーブロウが目立ち、バックの3人もそれを的確にサポートし、なんだか一体感がすごくて、泣けてくる。市川秀男のピアノソロもかなり現代的なものから、フリーに突入するところまであって、いやー、なかなかすごいです。しかし、本作はやはりジョー・ヘンダーソンを聴くためのアルバムのようなところがあって、フレーズのひとつひとつを聴いていると、このオリジナリティの塊のようなテナーマンの凄さがひしひしと伝わってくる。傑作ライヴ!
「JOE HENDERSON BIG BAND」(VERVE RECORDS 314 533 451−2)
JOE HENDERSON
ジョー・ヘンダーソンのビッグバンドで、とにかく超豪華メンバー。一国一城の主たちがずらりと揃っている。しかし、ソロをしていないもの多数で、めちゃくちゃもったいないと思うのは私だけだろうか。たとえば、リッチー・ペリー、クレイグ・ハンディ、ディック・オーツ、スティーヴ・ウィルソン、ルー・ソロフ、マーカス・ベルグレイヴ、ヴァージル・ジョーンズ、アイドリス・シュリーマン、ジミー・オウエンス、ジョン・ファディス、ロビン・ユーバンクス、ジミー・ネッパー、コンラッド・ハーウィグ……といったひとたちがソロをしていないつーのはびっくりである。昔の渋さ知らズみたいだ。渋さのライヴに行くと、私が「あー、生で聞いたことない。このひとのソロ聴きたい」と思ってるようなプレイヤーがリフを吹くだけでソロをせずに終わってしまう。そのひとは楽しいかもしれないが観客としてはめちゃくちゃフラストレーションがたまる。本作も、そういう点がなきにしもあらずだが、そのあたりを考えなければ、これは傑作だと思う。9曲中2曲のスタンダードを除いてヘンダーソンのオリジナルでかためたうえ、そのうち5曲をジョー・ヘンダーソン自身がアレンジを手掛けた意欲作である(ほかのアレンジャーはスライド・ハンプトンやマイク・モスマン、ボブ・ベルデンなど。これもすごい顔ぶれ)。とくにスライド・ハンプトンのアレンジは素晴らしく、聞き惚れる。こうしてゴージャスなアレンジをほどこしてみると、ジョー・ヘンダーソンの曲の良さが際立って聞こえる。それぐらいの内容をもった曲ばかりだということだ。ソロをサックス奏者に渡さず、ピアノ(チック・コリアばかり)とトランペット(ハバードとニコラス・ペイトンばかり)に限ったのも、音楽的な統一感を出すためのプロデューサーの意向であろう。アレンジについては、正直かなり難しいもので、しかもめちゃくちゃかっこいい。そして、ヘンダーソンという主役を食ってしまわず、ちゃんと引き立てている。全編とにかくヘンダーソンの曲をヘンダーソンのアレンジでヘンダーソンのソロで……という主旨はちゃんと貫かれている。メンバー表など見なかったらおそらく「ひえーっ、めちゃかっこいいビッグバンドじゃん」という感想で終わったと思う。ヘンダーソンの名曲である「アイソトープ」「インナー・アージ」「ブラック・ナルシサス」「ア・シェイド・オブ・ジェイド」「リコーダ・ミー」……という名曲がすばらしいアレンジを得て、本人の炸裂するソロをもって新たな命を注がれて蘇ったことを素直に喜びたい。そして、ジョー・ヘンダーソン自身のソロはどれもすばらしい。まあ、メンバーとかについてはあんまり考えず、ひたすらヘンダーソンのテナーに集中して聴くべきなのだろう。ヘンダーソンがいかにスタイリストか、という話をしはじめると止まらないのだが、セルマーのソロイストにこだわるその音色(豪放と評されることもあるが、小さい音だと思う。でも、すごく魅力的)、くねくねとしたフレージング(コード進行に対してのアプローチというかアイデアが独特)などの味わいはどんな作品においても最高なのである。こういう理知的な演奏の愉しみは、ピアノレストリオであっても、クインテットであっても、こういった大編成のビッグバンドであっても変わりはしない。非常にストイックにコントロールされた音色、音量、フレージング、コードへのアプローチ……などなどは見事すぎるぐらい見事である。高校生のころ、一時的にジョー・ヘンダーソンを受け付けなかったときがあって、それはジャズテナーというものはコールマン・ホーキンス以来の太くたくましい音色でブロウするのが魅力であるという先入観に取りつかれていたせいなのだが、さいわいにもほぼ一瞬にしてそういう馬鹿な考えは捨て去ることができた。それは、高校生のときに観にいったオーレックスジャズフェスティバルのパンフでマイケル・ブレッカーが「同じステージに立てるというだけで興奮する」と言っていたのを読んだためで、ブレッカーがそこまで言うのならきっとすごいひとにちがいないと思い、そういう耳で聴くと、あっという間にファンになってしまった(自分の考えはないのか、という意見もあるだろうが、とにかくそれで先入観は消えたのだからいいですよね)。ヘンダーソンの音は、セルマーのソロイストに柔らかいリードを使っていて、おそらくかなり小さい。ライブでは、マイクをベルに突っ込んで吹いているらしい。また、ダイナミクスの変化もほとんどなく、バラードなどでも一定の音量でずっと吹いている。考えてみればこんなにスタイリッシュなテナーマンはいないのだが、私はそれに気づけてよかった。8曲目のバラードエリントンナンバー(ストレイホーンの曲だが)「チェルシー・ブリッジ」があまりに美しくて最高なのだが、ヘンダーソンのすごさにも感動するが、同時に原曲のすばらしさも伝わってくる名アレンジである。テーマ部も倍テンのソロもめちゃくちゃかっこいい。ヘンダーソン自身のアレンジは、いきなりテナーから入って、あとからバックが入ってくるというものが多く(多くといっても2曲だけだが)、これはなかなかできるものではないと思う。ヘンダーソン以外のアレンジャ―も、ヘンダーソンの個性とか魅力をきちんと理解したうえで、それをアレンジメントに反映させていると思われる。おそらくはヘンダーソンの音楽を多くのリスナーに届けたいという強い思いのゆえだろう。原曲のメロをちょこっと増強する、というのではなく、しっかりアレンジメントしている編曲が多い。ラストはおなじみの「リコーダ・ミー」だが、ボサっぽいこの曲をけっこう速いテンポで演奏している。おそらく何百回、何千回と演奏したであろうこの名曲でヘンダーソンは新鮮な感じのソロをぶちかましている。ニコラス・ペイトンのソロも秀逸。というわけで、ヘンダーソンの曲の数々をビッグバンドでやってみて、本人にソロを吹いてもらいました……的な演奏ではなく、すばらしいアレンジを味わえるし、ジョー・ヘンダーソンのソロも気力充実で聴きごたえあり、という傑作でありました。