「WHEEL STONE」(EAST WIND 15PJ−1002)
TERUMASA HINO LIVE IN NEMURO
昔聴いた印象では、宮田英夫というテナーのひとがこのメンバーに対してはやや格落ち(失礼)で、その分、トランペットがひとりでがんばっていたような記憶があったのだが、今回久しぶりに聴き直してみると、その印象は私のアホ耳によるまったくのまちがいであることがわかった。テナー、めっちゃええ。非常にうまくて、音もよく、コルトレーンフレーズを的確につむいでいくが、けっして派手にブロウしない。日野がガンガンまえに出るタイプなので、こういったタイプのツボをぐっと押さえたテナーはこのグループにふさわしい。もちろんほかのメンバーはいうことなしで、もしかすると「ハイノロジー」以来の日野さんのアルバムのなかで一番好きかも。このあと日野のトランペットはどんどんフレーズがアブストラクトになっていき、気合い一発、今この瞬間にかける……みたいなギューッと凝縮したような即興が主になっていく。正直言って、めちゃめちゃかっこいいが、あとでそれをコピーしてもしかたないという、即興としては魅力的ではあるが、それは日野さんとライヴの場を共有した客にしかわからない世界でもある……そんな表現になっていく。このアルバムのころの日野さんは、まだまだちゃんとした(?)フレーズを吹いていて、バンドとしていろんな意味でバランスがとれており、メンバーもそれに応えている。杉本喜代志のギター、板橋文夫のピアノもすばらしく、日野元彦の「流氷」と並ぶ、根室の生んだ名盤。
「寿歌」(EAST WIND UCCJ9171)
日野皓正
まえに聴いたときはめちゃくちゃ感動したのだが、あのときの印象は本当かと廉価版CDを買ってみた。まえは、周到に準備された傑作、というイメージだったが今回聴いてみると案外力技で押していくところもあり、それはそれでやはり傑作なのだった。CDのライナーには、和のテイストということが中心に書かれているが、実際は、熱く吹きまくる日野のフレーズは当時の主流だったフレディ・ハバードやウディ・ショウ的なモーダルなもの、つまりニューヨークジャズのテイストだし、アフリカンな展開もあり、一筋縄ではいかない。どろどろかつカラフルなポリリズム、民族音楽的なモーダルな力強さ、それらを横断するような形で日野のすっきりした明解なトランペットが鳴り響く。和テイストというより、アフリカというかスピリチュアルジャズ的なものがベースにあって、そこに日本的なものを振りかけたという感じか(ただし、ラストの曲は明らかに歌舞伎の影響。めちゃおもろいがな)。やはりかっこいいよなあ。サックスもギターもピアノもいない、トランペットのワンホーンカルテットなのでパーカッションやベースがたっぷりと自己主張の場を与えられ、しかもそれがひとつの大きなうねりのなかにあってアルバムとして完成しているあたり、本当によくできた作品だと再認識した。マクビーのベースソロは、チコ・フリーマンの最上の作品での演奏に匹敵するすばらしいものだと思う。とかなんとかぐちゃぐちゃいうよりなにより、このアルバムはかっこいいのだ。とにかく真摯で熱くて荘厳でもある。日野さんのやつではいちばん好きかもなあ。「藤」とか「ベルリンジャズフェスティバル……」もいいけどやっぱりこれでしょう。
「VIBERATIONS」(ENJA & YELLOWBIRD RECORDS/SOLID RECORDS CDSOL−46461)
TERUMASA HINO
はじめて聴きました。めちゃくちゃすごかった。1曲目は日野ファンならだれでも知ってる「イントゥ・ザ・ヘヴン」。ゆったりとしたリズムのうえに印象的なテーマが乗る、大河の流れを感じるような壮大な名曲だが、ソロに入ってからの「プラグドニッケル」あたりのマイルスを思わせるような日野の火を吐くようなトランペットは本当にすばらしい。まさに、この時期の日野が世界的にバリバリやりまくれる状態にあったことの証明がこの曲でのソロだと思う。なんというか、この当時だとたぶん「日本人が海外のジャズシーンに挑戦して云々」という雰囲気だったかと思うが、そういうことではなく、ごくごく当たり前に世界のミュージシャンと交わって、普通に演奏する……というレベルにあった稀有な奏者のひとりだとわかる。そのソロをプッシュアップするピーター・ウォーレンとピエール・ファーヴルもすごい。日野のソロの合いの手的にザウアーが吹いているのも緊張感が増して、いい感じである。録音のせいか、はたまたうちの機材のせいか、右チャンネルのハインツ・ザウアーのテナーの音量がかなり低い箇所がある(日野の激しいフリーインプロヴィゼイションのとき、左の日野の音はよく聞こえるのだが、そこにかぶせるように吹いているテナーが聴きとりにくい。そのあとのザウアーのソロの部分はまあまあ聞こえるので、録音の問題か?)そのあとザウアーのまさに「ゴリゴリの」という表現がぴたりのソロになる。ザウアーは、初期ヨーロッパフリージャズが好きなひとならよくご存じでしょう。マンゲルスドルフの良き相棒で、ザラついた音色でヨーロッパ的コルトレーン解釈を極めたひとだ。ピーター・ウォーのベースソロも曲調に合っていてすばらしい。曲目はロリンズでおなじみ「アイム・アン・オールド・カウハンド」。ちょっと聴いただけでは原曲がわからないぐらいデフォルメされている。ソロに入っても、リズムもパルス状に混沌としているし、日野のトランペットもそこに大きく乗っていて、緩急自在なのでなにがなにやら……というひともいるかも。つづくザウアーのテナーは、これははっきりとロリンズをめちゃくちゃいびつにした感じの演奏で、超かっこいい。日野がどういう理由でこの曲をここで取り上げたのかはわからないが、なにか理由があるのだろう。3曲目はザウアーの曲で、70年代ジャズ的なものにフリーキーな要素をぶち込んだ……みたいな演奏でかっこいい。この曲は日野とザウアーが同時に吹いていても両方ちゃんと聴きとれるのだ。なんで? ぐちゃぐちゃっ……としたドラムソロで終演。4曲目は日本語ライナーによると日野のオリジナルということだが、どう聴いてもフリー・インプロヴィゼイションだと思う。こういうのを聴いていると日野皓正であることをすっかり忘れてしまうが、いやー、日野さんというひとは凄いよなあ。どんなスタイルでも吹けるし、しかもそのすべてを上っ面だけではなく極めている。この演奏も70年という時期におけるフリージャズとしては世界的にトップレベルだったと思う。この曲で特筆すべきはザウアーのテナーで、ベースとのデュオ(?)で臓物を吐き出すようなグロテスクな表現のソロをおこなっている。惚れる! 途中でからんでくる日野さんの笛の感じは、銀パリセッションとかそういった実験的なセッションで鍛えられた「即興」の魂によるものかもしれない。ラストの「ディグ・イット」は新宿の皆さまご存じ「DIG」にちなんで名づけられた曲……とのことだが、聴いたらわかるように冒頭からひたすら吹き荒れる過激なインプロヴィゼイションの嵐である。一応、しっかりしたリフのテーマがある。というわけで、日野皓正のキャリアのなかでは珍しくヨーロッパフリーミュージック勢を相手に一本も引かず、いや、かれらを引きずるようにして前進した記録である。フリージャズ好きは必聴です! 傑作。