lightnin' hopkins

「LIGHTNIN’STRIKES」(DISCOTHEQUE RECORDS ULS−6021−V)
LIGHTNIN HOPKINS

 これも、ブルース聴き始めのころ、わけもわからずに名盤ガイドを頼りに買ったアルバム。それ以来、ずーーーーーっと聴き続けている。信じられないぐらい安っぽいジャケットなのだが、中身はすばらしい。歌はもちろんのこと、単音でぴりぴり奏でられるギターソロもいい。歌詞的にも、悪いことをするな、悪魔がおまえをみてるぞ、という「デヴィル・イズ・ワッチング・ユー」とか、今朝ニュースを見て戦争がはじまったことを知った、と歌う「ウォー・イズ・スターティング・アゲイン」など興味深い。最後の「クーン・イズ・ハード・トゥ・キャッチ」というのはどういう意味なのだろう。黒人の少年を犬などを使ってハンティングするような歌なのだろうか。よくわからん。とにかくライトニンのブルースはどんな暗い内容だろうが、バンドがいようがいまいが、じっと聴いているうちになんとなく元気がでてくる、活力をくれる音楽なのである。ゆるーいリズムカッティングのなかにじつは強烈なリズムが流れていて驚く。また、「ローリン・アンド・ローリン」のような歌詞にはあまり意味のないダンスナンバーもかっこいい。こんな感じのギター一本の演奏で、みんなを踊らせていたのだろうなあ。お座敷の三味線みたいなもんじゃあーりませんか。ちなみにA−1の歌いだしの歌詞があまりに「モージョ・ハンド」と似ているので、いつも、一瞬どっちをかけたのかわからなくなる。

「MOJO HAND」(FIRE RECORDS FLP104)
LIGHTNIN HOPKINS

 ジャズのひとは、音楽というのは、ドラム、ベースがあって、それにくわえてピアノかギターがないと演奏できない、といった頭があると思う。私もそうだった。少なくともベースがないと、「バンド」という形式は成立しないと思っていたし、そうでない演奏は、わざとそうした特殊な効果を求めてのことだと思っていた。ベースがいないときは、ギターがその代役をしなくてはならないから、不完全な状態だ、と。こういうのは、ジャズとかロックにおけるバンド形式にどっぷり浸かってしまっているための硬直化である。音楽なんか、ギター一本でも、ベース一本でも、いや、なんにもなくても声だけでも、そのへんにあるものを叩いても、どんな状態でもその状態にみあった表現ができるもんなのだ、それは不完全でもなんでもない、かえって形式化した「バンド」なるものよりも、ずっと自由で、好き勝手ができる状態なのだ、ということを私は、ライトニンとサンハウスから学んだ。手をばんばん叩きあわせているだけでも、十分なのである。それが私の今の、フリージャズに対する姿勢をつくっている。話が完ぺきにこのアルバムからそれているが、とにかくこの「モージョ・ハンド」は何十回も聴いた。もう、死ぬほど好きなアルバム。ライトニンのなかでおそらく一番好き(といっても、そのときの気分で、ほかが第一位になるときもあるが)。一曲目のタイトル曲で、こういう、ギター(とドラム)だけのブギーに、げへへへ、といいながら、ダミ声で自在に歌詞を乗せていく、ときどき小節が伸び縮みしても気にしない……これこそフリーではないか。そして、この強烈なブルース衝動、そしてダイナミクス。もうなにもいうことはない。歌っている途中で「げへへへ」と笑うところや、「サンド……サンド」とくり返すところなど、何度聴いてもかっこええ! ブルースって何? と質問されたら、「これです。このおっさんのこのギターを弾いての歌いかた……これがブルースなのです」と言いたい。それぐらい、私にとってのブルースのイメージは「ライトニン」なのです。名盤じゃあ。それにしても、ブルースファンでないひとは、「モージョ・ハンド」とはこのジャケットのイメージから人間のコブシのことだと思うかもしれないなあ。

「LIGHTNIN’ AND THE BLUES:THE HERALD SESSIONS」(BUDDA’S RECORDS)
LIGHTNIN’ HOPKINS

 これが再発されたとき、うわーっ、ついに出た、ライトニンの幻のヘラルドセッションの正規盤! これは事件だ。おそらくブルース界が大騒ぎになるにちがいない、と思ったら、まったくそんなことはなかったので逆に驚いた。なんかわしの印象では、それまではライトニンはヘラルドセッションがいちばんいいんだけど音の悪い海賊盤しかでてないからなあ、あれが出れば一押しなんだけど、みたいな意見が多かったような記憶があり、私は「ライトニン・ストライクス」とか「モージョ・ハンド」とかは大好きだったので、いつかヘラルドセッションなるものを聴いてみたいものだ、と思っていて、出たときは食いつくように買った。聴いてみると、いやー、めちゃめちゃかっこいいやないですか。さすがのヘラルドセッション! と感激した。音質も、マスターから起こしているので超クリアで、以来、ずっと愛聴しております。どの曲もすばらしくて、結局、ブルースのなかでひとり、と言われると個人的にはライトニンになるのかなあと思う。このかっこよさといいかげんさが同居したようなラフで繊細で熱を秘めた音楽に勝てるものは、そうはない。

「LIGHTNIN’ AND THE BLUES:THE HERALD SESSIONS」(HERALD 1012/PCD−23783)
LIGHTNIN’ HOPKINS

 上記はオリジナルの12曲収録のものに4曲足した16曲収録のものだが、現在の本作としては全26曲(!)収録のものが定番のようで、しかもその追加曲に小出斉さんによるとすごい演奏が入っているということなので買い直したのである。その「すごい演奏」というのは16曲目の「ホプキンス・スカイ・ホップ」と21曲目の「ゼイ・ワンダー・フー・アイ・アム」だそうだが、たしかにえげつない。アップテンポで歪んだ音でブギーを吐き出している。ここまで来るともはや「ロックン・ロール」といってもなんらおかしくはない。しかも、ドラムがかなりタイトにビシビシ叩きまくっているが、ライトニンのギターはまったく乗り遅れておらず、徹頭徹尾そのビートに乗って、演奏をぐいぐい引っ張るような引き倒し方で感動する。本作録音時、42歳ということで油が乗りまくった絶頂期ということか。17曲目のスローも、歪んだギターの音で弾きまくる。自身の自在な歌い方にギターがからみついて、めちゃくちゃかっこいい!
 よくブルースのひとは「再発見」ということがあって、仕事がなくなり、ミュージシャンを引退してべつの仕事についていたのをブルースブーム再来で担ぎ出され、大勢の聴衆をまえに演奏するようになる……というのがパターンなのである(サン・ハウスとかスリーピー・ジョンとか例をあげるときりがない。ジャズでもバンク・ジョンソンなど例は多い)が、ライトニンの場合は56年まで録音を続けていて、「再発見」が59年って……それってちょっと録音を休んでいた程度の感じじゃね? と思うのだが、やはり、「再発見」後の聴衆は白人のフォークブルースファンということで、吹き込みも「ヒットを狙う」というよりコレクターレーベルへの録音(生ギター弾き語り的な)になっていったわけなので、そこで線引きをするのは正しいのかもしれない。「再発見」後の演奏も名盤・名演数多く、やや枯れた味わいも加わり、生ギターのものもエレキのものも美味しいのだが(あまりに多すぎて、そんなには聞けてないのですが)、本作の時点でのライトニンはまったく枯れておらず、パワフルで、スピード感があって、ダーティーで、深くて……とにかくすごいのだ。ライトニンはギターを弾きながらしゃべることがけっこう多くて、ギターとしゃべりで掛け合いをしたりするのはトーキングブルースというかラップっぽい。最近は、酔っぱらってなにかブルースをというときには本作を聴くことが多い。それだけ、私にとってはライトニンのこのアルバムが「ブルース」の直球のように思えているのだろう。なお、私が持ってるやつに入っていなかったのは本作でいうと、13、16、17、18、19、20、21、23、24、25ということになる。18、19は女性シンガー(いまいち?)の歌伴。23と25はストレートなブギー(どちらもかっこいいが、とくに25のガンガン攻め立てるインストブギーにセリフが乗るかっこよさといったら……)。24は地を這うようなスロー。とにかく歌もギターもなにもかもがライトニン印の個性であふれているが、イントロなどでも「なんでこんな変なイントロを……」と思うような個性的なイントロだったりするが、ライトニンが弾くとなんとなくフツーに感じてしまうあたりもすごいです。よく「ダーティー・ライトニン」というが、たしかにエレキギターだとかなり歪んだ感じになるが、ボーカルは逆にちょっととぼけた、自然体な感じで、そのあたりがファンが多い理由ではないかと思ったりします。「風来のシレン」は千回遊べるというのがウリだったが、このアルバムは千回聞いても飽きないだろう。というか、私がブルースを聴くのは深夜に酔っぱらって気が向いたときだけなので、そういう機会に結局はこのアルバムに手を伸ばしてしまう。傑作やなあ……。

「THE TEXAS BLUESMAN」(P VINE RECORDS PCD−2501)
LIGHTNIN’ HOPKINS

 ブルースのことはよく知らないが、このジャケットはよく知ってるし、「テキサス・ブルースマン」が名盤といわれていることも知っている。本作はその「テキサス・ブルースマン」と「ライトニン・サム・ホプキンス」の2枚をカップリングしたお得盤ということらしい(ただし、「ライトニン・サム・ホプキンス」から1曲だけ削除されている)。聞くところによると、「テキサス……」のほうは、いつも酔っ払って、でへへへ……と笑いながら歌ってる感じのライトニンとしては珍しく、黒人差別や刑務所での虐待などについて歌っているらしい。歌詞カードがないので、私の耳ではほとんど聴き取れないが、1曲目「トム・ムーア・ブルース」(めっちゃ悪い農場主のところで働かされ、嫁はんが死んでも、そんなん知らんがな、働かんかいと言われる……みたいな歌詞だと思う)とか7曲目、9曲目などはかなり痛切で、しかもギターが見事すぎるほど見事で、「テキサス……」のほうは全曲、弾き語りなのだが、歌のない部分で、しかも単音で、めちゃくちゃリズムを押し出すような部分があって、それがもう死ぬほどかっこいい。歌とギターが一体となった、完璧なブルース演奏だと思う。もちろん楽しい曲、ダンスナンバーもある。どっちも凄い、怒涛のリズムで、それが狂ったように襲い掛かってくる。しかし、これがソロギターとはなあ……。ギターのフレーズも歌いまくっていて、信じがたいぐらいのカッコよさ(何回かっこいいという言葉を使うのだと言われそうだが、かっこいいのだから仕方がない)。何度も書くようだが、ブルースについてはよく知らないけどライトニンは大好きで、最初に買ったのは、学生時代に「ライトニン・ストライクス」というアルバムで、何の予備知識もなかったのだが、けっこうしつこく聴いていた。その後、ライトニンの日常を描いたビデオが発売されて、それを見てめちゃめちゃ好きになった。なんちゅうおっさんや。ありの〜ままの〜姿見せるのよ〜という感じ。まったく構えたり、とりつくろったり、ええカッコしようとしたりせず、普段着も普段着、そのへんの酔っ払いのおっさんがギター持って歌ってる感じがすばらしい。「モージョ・ハンド」やヘラルド録音も愛聴しているが、このアルバムもめちゃええなあ。名盤といわれているの、わかるわかる。どこがどう、というのはブルース耳がないのでわかんないけど、ライトニンの気合いがすごいと思う。とにかくリズムがすばらしくて、内容がわからなくても聴き惚れる。「ライトニン・サム・ホプキンス」のほうは、バンドがついていてこちらもノリノリのすばらしい演奏がたっぷり。ドラムだけの曲が2曲で、このドラマーは上手いとか下手とかを超えてライトニンに合っていると思う。すごいスウィング感。あとの曲はベースとドラムがついていて、音楽的には非常に安定している(もちろん安定してるほうがいいということはない)。16曲目はピアノでのブギでこれはライトニンが弾いているらしい。2枚分続けて聴くとへとへとになるので、アルバム単位で聞いたほうがいいかも。今は、どうやらどちらも単体で出ていて、歌詞カードもついてるらしいが、それは持ってないのです。

「THE COMPLETE ALADIN RECORDINGS」(EMI RERORDS USA CDP−7−96843−2)
LIGHTNIN’ HOPKINS

 ライトニン・ホプキンスというひとは戦前に録音していてもおかしくないキャリアだったが、実際には戦後の1946年、34歳にして初レコーディングであり、それがこの二枚組に収められているアラジンセッションなのでした。なにしろブラインド・レモン・ジェファーソンやテキサス・アレクサンダーの伴奏を務めていたような猛者なので、初レコーディングにおいてはもうすっかり自分のスタイルができあがっていて、正直びっくりする。二枚組で43曲。ほとんど同じような曲ばかりが並ぶのに、なぜ飽きずに楽しく聴き続けられるのか。それがまさにライトニンがブルースの王様、というかブルースそのものだということを物語っていよう。BBキングとかTボーンとかマディとかとはちがった、存在そのものもがブルースなのだ。
 もう1曲目において、「あの」ライトニン・ホプキンスなのだ。この1曲目の「ケイティー・メイ」という曲がヒットして、その後は順調にレコーディングを重ねたようである。とにかくこの「ケイティー・メイ」に始まって、ずっと聴いていっても、とにかくライトニンはライトニンなんですね。当時よく一緒にやっていたらしいピアノのサンダー・スミスというひとと名前のわからないドラムが入っているのだが、やはりピアノというのはしっかりと演奏を支配(?)する楽器で、ライトニンのいつもの12小節が伸び縮みするという自由な感じが若干薄らいでいるようにも思う。サブドミとかドミナントのときはきっちりそちらに行きたがる。こういう言い方はどうかと思うが、音楽的素養が前面に出る楽器なんでしょうか。やはりライトニンには自由に好き勝手に弾いてほしいものであります。でも、普通で考えると、これでもかなり自由で好き勝手なのでしょうね(1曲目から、12小節とかは無視している部分も多々)。でも、おそらくこのころたびこびコンビを組んでいた、ということもあってライトニンとサンダーはけっして悪くないようにも思う。なお5、6、8、9曲目はこのサンダー・スミスのボーカル曲である。7曲目はライトニンの弾き語りだが、ピアノとドラムがいない分、急にめちゃくちゃ奔放になっているような印象を受ける。この破天荒な感じは、のちのちまで維持されるが、そのへんもライトニンのすごいところだと思う。9曲目はピアノをフィーチュアしたトレインピースのブギだが、サンダー・スミスというひとはよくも悪くも素朴なテクニックのひとであります。ボーカルは鼻にかかった感じで、ジャンプというかノベルティな感覚もある。なんというか、ちょっとジェイ・マクシャンの風情もある。10曲目以降はライトニンの弾き語りばかり。音もいいし、ちょっとした感動ものである。この10曲目のボーカルとギターのコール・アンド・レスポンスだったりユニゾンだったりして、空白の瞬間があってもまったく動じない。すごいよねー。さすが路上で鍛えたひとである。11曲目はめちゃ速いブギーだが、超絶かっこいい。かっこいいけど途中のギターソロは異常に変態的で、ちょっとびっくりする(こういうソロ、ライトニンはけっこうある。フリージャズと言ってしまってもいいぐらい)。12曲目もソロなのだが、13曲目からライトニンの弾き語りの世界に突入する。録音も地元のヒューストンである。17曲目は「ワリード・ライフ・ブルース」である。18曲目もたぶん元ネタがあるのだろうな(聞いた覚えがある)。ブルースを日常的に聴いていないので、こういうときにまるで思い出せん。21曲目も「ワリード・ライフ・ブルース」の変形か? ソロの部分で、単音でくねくねと蛇のようにフレーズをつむぐことでもたせる(?)という、このねちねちした感じもいいですね。
 2枚目に移り、ブレイクの多い「ライトニン・ブギー」でスタートする。ギター一本でおそらく多くのひとが踊っていただろう。長いボーカルだけのブレイクのたびにライトニンの強烈なリズム感に打ちのめされる。かっちょいーっ! 2枚目に移ってもどの曲もライトニン節で、ずっと聴いていても飽きない。どれもこれも「フツー」な感じの演奏ばかりだが、この「フツー」というのが曲者で、当たり前さ、オーソドックスさのなかに「おっ」という自然な「思いつき」が加わり、ブルースは本当のブルースになる。5曲目は「ハウリン・ウルフ」という曲で、喉をつぶしたダミ声でシャウトしまくるのかと思ったら、めちゃくちゃオーソドックスなスローブルースでした。6曲目はちょっと変形的なブルースで、明るい曲調というか、なんかいい感じ。とにかく基本的には「全部一緒。全部、全部、ぜーんぶ一緒!」と言いたくなるぐらいのパターンなのだが(それがこのデビュー作でそうなっているのもすごいが)、この三連のパキパキ、ペキペキしたノリで、しかも弾き語りでビートをずっとつなげて、スローだろうがアップテンポだろうがノリのいいリズムをつむいでいるのはすごいとしか言いようがない。のちには「モージョ・ハンド」とか「ライトニン・ストライクス」の一曲目みたいな感じのブギーが多くなるが、ここではとにかく三連ですね。かっこいいったらないです。スルメのようなこの三連弾き語りのブルースをたっぷり味わいましょう!

 ライトニン・ホプキンスは56年までコンスタントに傑作を録音しつづけていたが、59年に再発見(!)されたらしい。3年ぐらい、ええやん! それって再発見になるのか? と思っていたが、どうやらそれまでは黒人マーケットのスターだったのが、「白人に」再発見された、ということらしい。コロンブスが発見しようがしまいがアメリカ大陸はそこにあり、ネイティヴアメリカンはそこに住んでいたのを「発見」と言い張るようなものでしょうか。ということでこれまではあまり「再発見」後のライトニンのアルバムを積極的に聞こうと思わなかったのだか(数が膨大であることもあって……)、考えてみたら、「モージョ・ハンド」も「ライトニン・ストライクス」も「ライトニン・ホプキンス」も「テキサス・ブルースマン」も全部その「再発見」後のアルバムなのだ(それにしても嫌な言葉だなあ、再発見……)。というわけで、今回廉価盤で再発見後のアルバム4枚を収めた二枚組を購入したのだが、うーん、思っていたよりもはるかにいい、めちゃくちゃいい……というわけでレビューさせていただきます。


「SINGS THE BLUES」(SOUTHERN ROUTES SR−2506)
LIGHTNIN’ HOPKINS

 例の美女ジャケのやつとはちがい、アラジンのベスト盤。ライトニンとおぼしきギターを持った人物がコンサートで演奏しているのを背中側から見ているというジャケット。なので、上記のアラジンのレヴューとかぶるので省略。内容はすばらしいですよ。

「LIGHTNIN’ HOPKINS」(SMITHSONIAN FOLKWAYS 2029969)
LIGHTNIN’ HOPKINS

 四人のライトニンが立っている印象的なジャケット。59年に再発見(?)されたあとのスミソニアン録音だが、資料臭さはなく、ひたすらダウンホームな感じ。正直、3年しかブランクがないので再発見もクソもなく、やってることはずっと同じである。1曲目の「ペニテンシャリー・ブルース」(テキサス・アレクサンダーもやってる)からひたすらいつものライトニンだが、めちゃくちゃクオリティは高く、聞き惚れる。アコースティックギターの弾き語りだが、伴奏といい声といい、すばらしい。シャッフルの曲とかでも、単音で弾きまくってもリズムが全然狂わない、というか、踊ってる連中はそのまま踊りを続けていられるような鉄壁のリズムが底に流れていて、「鬼」という感じですよね。タイトルに「牢獄」とか「不運と揉め事」とか「トラブルがドアから……」とかいった不穏な文字が並ぶ本作ではそういう曲は珍しいなかで、「カム・ゴー・ホーム・ウィズ・ミー」というのは傑作で、明るいシャッフルの曲で、後半ライトニンの語り(?)が乗るのだが、ここがなんともかっこいいのである。声も凄くて、なんというか「持っていかれる」感じ。「トラブル・ステイ・ウェイ・フロム・マイ・ドア」という曲のギターソロは変態的で、よくこんなソロを弾くなあ、と思うが、録音時だろうがなんだろうが、思いついたらやっちまおうぜというのがライトニンなのだろう。ブラインド・レモンの「シー・ザット・マイ・グレイヴ・イズ・ケプト・クリーン」もやっていて、ライトニンがブラインド・レモンを尊敬していることがわかるが(BBも晩年のアルバムタイトルにしていた)、その二曲あとにそのものズバリの「ブラインド・ジェファーソンの思い出」というコーナー(?)があって、要するにライトニンが録音者に対してまさに「ブラインド・レモンの思い出」を語っているのだ。全体がブラインド・レモン色に包まれたアルバムと言うこともできるかも。つづく「ファン・イット」という曲はこれもシャッフルの景気のいい曲。ギターの伴奏は、手を変え品を変えさまざまなバリエーションがつぎつぎ出て来て、まさにお手本。ラストは「シーズ・マイン」というシャッフルの軽快な曲で締めくくる。ギターをパーカッシヴにバカバカ叩く伴奏もいいですね。傑作だと思います。

「BLUES IN MY BOTTLE」(BLUESVILLE RECORDS BVLP 1045)
LIGHTNIN’ HOPKINS

 ブルースヴィルに大量に録音されたものの一枚だが、内容は(演奏はもちろん録音も)すばらしいと思う。マック・マコミックによる詳細なライナーがついているのでたいがいのことは読めばわかる。1曲目はかつてライトニンが伴奏をつけて旅をしたことがあるテキサス・アレクサンダーの曲でさすがに暗くて重い。アレクサンダーの伴奏のときもこんな風に弾いていたのか……と想像したりする。ライトニンの声は、アレクサンダーとはちがったタイプだが、これだけモーンされるとどうしてもイメージが重なる。この一曲目で幕をあけ、二曲目の「ワイン・スプーディー・オー・ディ」という曲はシャッフルの軽快な曲で、ブラウニー・マギーのヒット曲らしい。ワイノニー・ハリスやライオネル・ハンプトンにもカバーされ、ジェリー・リー・ルイスのバージョンはかなりヒットチャートを上ったらしい。ここで聴かれるライトニンのバージョンも明るくて軽快である。3曲目の「セイル・オン・リトル・ガール・セイル・オン」という曲はどこかで聞いたことがあるなあと思っていろいろ考えていたが、よくわからん。いろんなひとがカバーしてるみたいだが、オリジナルはライトニンなのか? ブルースに詳しいひとならすぐにわかるようなことだとは思うが……。5曲目はえげつないタイトルの「死の鐘」だが、中身はおなじみの感じの普通のスローブルース。でも、「呻き声のようなものを私は聞いている。死の鐘が私の頭のなかで鳴っている。あの世から4輪馬車(チャリオット)がやってきて私をここから連れていく」みたいな、グッとくる歌詞です。6曲目は「ダラスに行って私の子馬が走るのを観よう」というなんだかよくわからない曲だが、けっこう有名曲の由。7曲目のスロー(監獄ブルース)もいいですね(ベッシー・スミスの曲なの?)。8曲目はタイトル曲の「瓶のなかのブルース」。歌とほぼユニゾンで弾かれるギターがかっこいい。この曲でのギターはほんとに聞き惚れる。9曲目は、なにを言ってるのか全然わからないのだが、トーキングブルースみたいな感じでライト人かずっとしゃべっている。「豆」ってずっと言ってるのがよくわからん。しゃべりの間にギターをときどき入れるのだが、それが迫力があってかっこいい……けどなんのこっちゃわからんなあ。10曲目はおなじみの「キャットフィッシュブルース」で、そういうリフも入るのだが、フーチークーチーマン的なリフも入る。ラストは軽快なホプキンスのオリジナル「じいちゃんは年寄り」で締めくくられる。本作も、思っていたよりずっと充実した内容だと思う。この時期(「モージョ・ハンド」を録音したころ)のライトニンがいかにすごかったかということですよね。

「WALKIN’ THIS ROAD BY MYSELF」(BLUESVILLE RECORDS BVLP 1057)
LIGHTNIN’ HOPKINS

 ブルースのことは正直わからないので、本作がブルース的に傑作かどうかは私にはわかりません。ただ、ジャケットの写真はたしかにこのアルバムタイトルにぴったりである。全曲がライトニンの作曲ということになっているが、もちろんそんなことはない。私がわかる範囲だけでも「ワリード・ブルース」はもちろんビッグ・メイシオのスタンダードで、「グッド・モーニング・リトル・スクール・ガール」はサニーボーイ一世のアレで、「ハウ・メニー・モア・イヤーズ・アイ・ガット・トゥ・レット・ユー・ドッグ・ミー・ラウンド」というのは要するに「ハウ・メニー・モア・イヤーズ」である。どういう経緯で全曲ライトニンの曲ということになっているのかはよくわからないが、当時はまだまだ権利関係がいい加減だったのだろう。内容は、ピアノとハープとドラムがつく四人編成でこの時期としてはちょっと珍しいのか? 1曲目はピアノとハープ、ドラムが入るのだが、ハープ(ライトニンのいとこらしい)はずーっと伴奏(?)しているのだが、うーん、どうもいまいちというか、なんとなく変な感じである(このひとはこの曲と「ザ・デヴィル・ジャンプド・ザ・ブラック・マン」だけ参加)。ギターの弾き語りのほうがライトニンがいきいきしているような気がして好みである。4曲目の「ベビー・ドント・ユー・ティア・マイ・クローズ」という曲はテーマをギターでなぞるだけのスカスカな感じの曲だが、これかなんともかっこいいのである。「ワリード・ライフ・ブルース」はハープ抜きだが、ピアノとドラムはよくライトニンにからんでいる。シャッフルの「ハッピー・ブルース・フォー・ジョン・グレン」(ジョン・グレンは人類はじめての有人地球周回に成功したあの宇宙飛行士のこと)という曲もハープ抜きでピアノとドラムは上手くサポートしているようだが、やはりライトニンとかみ合わないところがあるような気がするなあ。カッチカッチと音を立てているのはだれだ? 「グッド・モーニン……」は本作の白眉といっていい出来映えだが、やはり弾き語りなのだ。全体に弾き語りの曲のほうが自由な気がするなあ。ラストのシャッフルの「ブラック・キャデラック」はピアノとドラム付きだが、ライトニンの歌い方がなんともたまらんなあという感じで、やっぱりにやりとさせられてしまう。このおっさんはなあ……という気になる。たびたび挟まるブレイクのかっこよさもさすがであります。

「SINGS THE BLUES」(BLUES INTERACTIONS PCD3056)
LIGHTNIN’ HOPKINS

 ライトニンの「シングス・ザ・ブルース」と題したアルバムは複数あるようだが、本作はいわゆる「美女ジャケ」でおなじみのクラウン(モダンの廉価レーベル)のアルバムをジャケットに使用したRPMの全曲集(まさかこの女性をライトニン・ホプトンスだと思うひとはいないだろうね)。といっても、RPMの音源によるアルバムも複数あるみたいですが(「ジェイク・ヘッド・ブギー」というタイトルのエース盤が収録曲数がいちばん多いのか?)、まあ、どれを聴いてもまちがいがない、というのがこの時期のライトニン。ライトニンは最初アラディンでデビューし、そのあとゴールドスターに大量録音、そのつぎがこのモダン/RPM期になる。あいかわらず(?)12小節からはみだした自由に伸び縮みする演奏が多い。低音弦をドローンのように鳴らしつつ、高音部でボーカルと掛け合いをするようなメロディを弾くだけでなく、カクカクした間奏のギターは驚異的なリズム感で、弾き語りであることを忘れるぐらいの強靭さがある。一曲目の「ジェイクヘッド・ブギー」のかっこよさ。二曲目はスローブルースでは飼い犬のことを歌うのだが、途中で、「(犬種は)ブルドッグ」と説明したり、最後に「ストンプ・ハウリン!」と言ったりするあたりの生々しい感じはまさにライトニンである。つまり、生活のなかから出てきた表現で、嘘がない感じなのである。弾き語りといってもライトニンの場合はギターを弾きながら歌うというより、歌は歌、ギターはギターというコールアンドレスポンス的なものも多く、この形式が成立するなら、あらゆる楽器において「ソロ」というものが成立するわけです。実際、サンハウスの「ジョン・レヴァレイター」とかハーモニカのジェイバード・コールマンの演奏などはそうでしょう。4曲目は「ワリード・ブルース」だ。9曲目の「ドント・キープ・マイ・ベイビー・ロング」という曲はボーカルがなぜかユニゾンで重ねられていて、なんともいえないヘンテコな揺らぎを作り出しているが、どういう意図でこんなことをしたのかわからない。めっちゃ変である。ギターはそういうことになっておらず、あくまでボーカルだけなので、どういう録音なのかよくわからんが、とにかく変な感じ。かつてのジャズサックスにおけるバリトーンみたいなものか? 12曲目は「エヴリデイ」で、BBキングなどのゴージャスなバージョンに比べても、デルタ的な味わいになっている。14曲目は犬に対して猫(ブラック・キャット)のダンスビートの曲。歌詞的にはちょっとルイ・ジョーダン的というかノベルティな味わいもある。ギターのコールアンドレスポンスの部分もなんともライトニンらしさが丸出しで、とにかくかっこいい。15曲目は突然深いエコーがかかる。歌詞もなかなか考えさせられる。16曲目はホプキンスがピアノを弾いている……のだろうと思う。左手はコードというより一音を押さえているだけだが、重みもあってなかなか味わいがある。ごつごつしたリズムの固さもいい。17曲目はブルースではなく、ゴスペルというかスピリチュアルズ、それもモロなやつだ。フォークっぽいメロディラインも印象的だが、コード進行とベースラインが多少ずれていても気にせず進むライトニンのおおらかな演奏に心が開放される。18曲目はかなりエグい演奏だが、19曲目は4曲目と同じ「ワリード・ブルース」を下敷きに(ときうかそのもの?)した曲で、弾き語りによるブルースの完成形だっ、と言いたくなるような非の打ちどころのない演奏。21曲目は「サンタ・フェ」という曲であの写真集とは大違いの非常に暗いブルーズである。コード進行的にもやや癖のある曲。22曲目は溌剌としたギターの弦のぴきぴきした感じが小気味よくていいですね(1曲目の別テイク)。あとは29曲目まで別テイクだが、どれもすばらしい出来で、それぞれ曲は一緒でも内容がまるで違うというのが(このころの)ブルースだなあと思う。「ロンサム・ドッグ・ブルーズ」なんかまるで別ものだよねー。26曲目は9曲目のもともとのテイクみたいだけど、こっちの方がはるかに普通に聴ける。こっちでいいんじゃないでしょうか。28曲目は、ナニコレ? という感じの演奏で、ギターとピアノが本人担当なのだろうがなんか不自然だよな。ずん……ずん……というヘタウマなピアノも含めて、なにがどーなっているのかはよくわからない演奏である。ラストの29曲目は17曲目の別テイクだが、これもボーカルにギターの伴奏のコードが無視しているところがある。そんなことはどうでもいい、いう感じで突き進むライトニンはかっこいい。というわけで、本作はあまりにブルース史上超かっこいいランキングに入る演奏ばかりなので、ぜひぜひ聴いていただきたいと思う。ジャケットがなあ……とは思うが、それはしゃあないですね。コレがええんや、というひともいるのだろうな。傑作なので、ただただ聴かないと!