lightnin' hopkins

「LIGHTNIN’STRIKES」(DISCOTHEQUE RECORDS ULS−6021−V)
LIGHTNIN HOPKINS

 これも、ブルース聴き始めのころ、わけもわからずに名盤ガイドを頼りに買ったアルバム。それ以来、ずーーーーーっと聴き続けている。信じられないぐらい安っぽいジャケットなのだが、中身はすばらしい。歌はもちろんのこと、単音でぴりぴり奏でられるギターソロもいい。歌詞的にも、悪いことをするな、悪魔がおまえをみてるぞ、という「デヴィル・イズ・ワッチング・ユー」とか、今朝ニュースを見て戦争がはじまったことを知った、と歌う「ウォー・イズ・スターティング・アゲイン」など興味深い。最後の「クーン・イズ・ハード・トゥ・キャッチ」というのはどういう意味なのだろう。黒人の少年を犬などを使ってハンティングするような歌なのだろうか。よくわからん。とにかくライトニンのブルースはどんな暗い内容だろうが、バンドがいようがいまいが、じっと聴いているうちになんとなく元気がでてくる、活力をくれる音楽なのである。ゆるーいリズムカッティングのなかにじつは強烈なリズムが流れていて驚く。また、「ローリン・アンド・ローリン」のような歌詞にはあまり意味のないダンスナンバーもかっこいい。こんな感じのギター一本の演奏で、みんなを踊らせていたのだろうなあ。お座敷の三味線みたいなもんじゃあーりませんか。ちなみにA−1の歌いだしの歌詞があまりに「モージョ・ハンド」と似ているので、いつも、一瞬どっちをかけたのかわからなくなる。

「MOJO HAND」(FIRE RECORDS FLP104)
LIGHTNIN HOPKINS

 ジャズのひとは、音楽というのは、ドラム、ベースがあって、それにくわえてピアノかギターがないと演奏できない、といった頭があると思う。私もそうだった。少なくともベースがないと、「バンド」という形式は成立しないと思っていたし、そうでない演奏は、わざとそうした特殊な効果を求めてのことだと思っていた。ベースがいないときは、ギターがその代役をしなくてはならないから、不完全な状態だ、と。こういうのは、ジャズとかロックにおけるバンド形式にどっぷり浸かってしまっているための硬直化である。音楽なんか、ギター一本でも、ベース一本でも、いや、なんにもなくても声だけでも、そのへんにあるものを叩いても、どんな状態でもその状態にみあった表現ができるもんなのだ、それは不完全でもなんでもない、かえって形式化した「バンド」なるものよりも、ずっと自由で、好き勝手ができる状態なのだ、ということを私は、ライトニンとサンハウスから学んだ。手をばんばん叩きあわせているだけでも、十分なのである。それが私の今の、フリージャズに対する姿勢をつくっている。話が完ぺきにこのアルバムからそれているが、とにかくこの「モージョ・ハンド」は何十回も聴いた。もう、死ぬほど好きなアルバム。ライトニンのなかでおそらく一番好き(といっても、そのときの気分で、ほかが第一位になるときもあるが)。一曲目のタイトル曲で、こういう、ギター(とドラム)だけのブギーに、げへへへ、といいながら、ダミ声で自在に歌詞を乗せていく、ときどき小節が伸び縮みしても気にしない……これこそフリーではないか。そして、この強烈なブルース衝動、そしてダイナミクス。もうなにもいうことはない。歌っている途中で「げへへへ」と笑うところや、「サンド……サンド」とくり返すところなど、何度聴いてもかっこええ! ブルースって何? と質問されたら、「これです。このおっさんのこのギターを弾いての歌いかた……これがブルースなのです」と言いたい。それぐらい、私にとってのブルースのイメージは「ライトニン」なのです。名盤じゃあ。それにしても、ブルースファンでないひとは、「モージョ・ハンド」とはこのジャケットのイメージから人間のコブシのことだと思うかもしれないなあ。

「LIGHTNIN’ AND THE BLUES:THE HERALD SESSIONS」(BUDDA’S RECORDS)
LIGHTNIN’ HOPKINS

 これが再発されたとき、うわーっ、ついに出た、ライトニンの幻のヘラルドセッションの正規盤! これは事件だ。おそらくブルース界が大騒ぎになるにちがいない、と思ったら、まったくそんなことはなかったので逆に驚いた。なんかわしの印象では、それまではライトニンはヘラルドセッションがいちばんいいんだけど音の悪い海賊盤しかでてないからなあ、あれが出れば一押しなんだけど、みたいな意見が多かったような記憶があり、私は「ライトニン・ストライクス」とか「モージョ・ハンド」とかは大好きだったので、いつかヘラルドセッションなるものを聴いてみたいものだ、と思っていて、出たときは食いつくように買った。聴いてみると、いやー、めちゃめちゃかっこいいやないですか。さすがのヘラルドセッション! と感激した。音質も、マスターから起こしているので超クリアで、以来、ずっと愛聴しております。どの曲もすばらしくて、結局、ブルースのなかでひとり、と言われると個人的にはライトニンになるのかなあと思う。このかっこよさといいかげんさが同居したようなラフで繊細で熱を秘めた音楽に勝てるものは、そうはない。

「LIGHTNIN’ AND THE BLUES:THE HERALD SESSIONS」(HERALD 1012/PCD−23783)
LIGHTNIN’ HOPKINS

 上記はオリジナルの12曲収録のものに4曲足した16曲収録のものだが、現在の本作としては全26曲(!)収録のものが定番のようで、しかもその追加曲に小出斉さんによるとすごい演奏が入っているということなので買い直したのである。その「すごい演奏」というのは16曲目の「ホプキンス・スカイ・ホップ」と21曲目の「ゼイ・ワンダー・フー・アイ・アム」だそうだが、たしかにえげつない。アップテンポで歪んだ音でブギーを吐き出している。ここまで来るともはや「ロックン・ロール」といってもなんらおかしくはない。しかも、ドラムがかなりタイトにビシビシ叩きまくっているが、ライトニンのギターはまったく乗り遅れておらず、徹頭徹尾そのビートに乗って、演奏をぐいぐい引っ張るような引き倒し方で感動する。本作録音時、42歳ということで油が乗りまくった絶頂期ということか。17曲目のスローも、歪んだギターの音で弾きまくる。自身の自在な歌い方にギターがからみついて、めちゃくちゃかっこいい!
 よくブルースのひとは「再発見」ということがあって、仕事がなくなり、ミュージシャンを引退してべつの仕事についていたのをブルースブーム再来で担ぎ出され、大勢の聴衆をまえに演奏するようになる……というのがパターンなのである(サン・ハウスとかスリーピー・ジョンとか例をあげるときりがない。ジャズでもバンク・ジョンソンなど例は多い)が、ライトニンの場合は56年まで録音を続けていて、「再発見」が59年って……それってちょっと録音を休んでいた程度の感じじゃね? と思うのだが、やはり、「再発見」後の聴衆は白人のフォークブルースファンということで、吹き込みも「ヒットを狙う」というよりコレクターレーベルへの録音(生ギター弾き語り的な)になっていったわけなので、そこで線引きをするのは正しいのかもしれない。「再発見」後の演奏も名盤・名演数多く、やや枯れた味わいも加わり、生ギターのものもエレキのものも美味しいのだが(あまりに多すぎて、そんなには聞けてないのですが)、本作の時点でのライトニンはまったく枯れておらず、パワフルで、スピード感があって、ダーティーで、深くて……とにかくすごいのだ。ライトニンはギターを弾きながらしゃべることがけっこう多くて、ギターとしゃべりで掛け合いをしたりするのはトーキングブルースというかラップっぽい。最近は、酔っぱらってなにかブルースをというときには本作を聴くことが多い。それだけ、私にとってはライトニンのこのアルバムが「ブルース」の直球のように思えているのだろう。なお、私が持ってるやつに入っていなかったのは本作でいうと、13、16、17、18、19、20、21、23、24、25ということになる。18、19は女性シンガー(いまいち?)の歌伴。23と25はストレートなブギー(どちらもかっこいいが、とくに25のガンガン攻め立てるインストブギーにセリフが乗るかっこよさといったら……)。24は地を這うようなスロー。とにかく歌もギターもなにもかもがライトニン印の個性であふれているが、イントロなどでも「なんでこんな変なイントロを……」と思うような個性的なイントロだったりするが、ライトニンが弾くとなんとなくフツーに感じてしまうあたりもすごいです。よく「ダーティー・ライトニン」というが、たしかにエレキギターだとかなり歪んだ感じになるが、ボーカルは逆にちょっととぼけた、自然体な感じで、そのあたりがファンが多い理由ではないかと思ったりします。「風来のシレン」は千回遊べるというのがウリだったが、このアルバムは千回聞いても飽きないだろう。というか、私がブルースを聴くのは深夜に酔っぱらって気が向いたときだけなので、そういう機会に結局はこのアルバムに手を伸ばしてしまう。傑作やなあ……。

「THE TEXAS BLUESMAN」(P VINE RECORDS PCD−2501)
LIGHTNIN’ HOPKINS

 ブルースのことはよく知らないが、このジャケットはよく知ってるし、「テキサス・ブルースマン」が名盤といわれていることも知っている。本作はその「テキサス・ブルースマン」と「ライトニン・サム・ホプキンス」の2枚をカップリングしたお得盤ということらしい(ただし、「ライトニン・サム・ホプキンス」から1曲だけ削除されている)。聞くところによると、「テキサス……」のほうは、いつも酔っ払って、でへへへ……と笑いながら歌ってる感じのライトニンとしては珍しく、黒人差別や刑務所での虐待などについて歌っているらしい。歌詞カードがないので、私の耳ではほとんど聴き取れないが、1曲目「トム・ムーア・ブルース」(めっちゃ悪い農場主のところで働かされ、嫁はんが死んでも、そんなん知らんがな、働かんかいと言われる……みたいな歌詞だと思う)とか7曲目、9曲目などはかなり痛切で、しかもギターが見事すぎるほど見事で、「テキサス……」のほうは全曲、弾き語りなのだが、歌のない部分で、しかも単音で、めちゃくちゃリズムを押し出すような部分があって、それがもう死ぬほどかっこいい。歌とギターが一体となった、完璧なブルース演奏だと思う。もちろん楽しい曲、ダンスナンバーもある。どっちも凄い、怒涛のリズムで、それが狂ったように襲い掛かってくる。しかし、これがソロギターとはなあ……。ギターのフレーズも歌いまくっていて、信じがたいぐらいのカッコよさ(何回かっこいいという言葉を使うのだと言われそうだが、かっこいいのだから仕方がない)。何度も書くようだが、ブルースについてはよく知らないけどライトニンは大好きで、最初に買ったのは、学生時代に「ライトニン・ストライクス」というアルバムで、何の予備知識もなかったのだが、けっこうしつこく聴いていた。その後、ライトニンの日常を描いたビデオが発売されて、それを見てめちゃめちゃ好きになった。なんちゅうおっさんや。ありの〜ままの〜姿見せるのよ〜という感じ。まったく構えたり、とりつくろったり、ええカッコしようとしたりせず、普段着も普段着、そのへんの酔っ払いのおっさんがギター持って歌ってる感じがすばらしい。「モージョ・ハンド」やヘラルド録音も愛聴しているが、このアルバムもめちゃええなあ。名盤といわれているの、わかるわかる。どこがどう、というのはブルース耳がないのでわかんないけど、ライトニンの気合いがすごいと思う。とにかくリズムがすばらしくて、内容がわからなくても聴き惚れる。「ライトニン・サム・ホプキンス」のほうは、バンドがついていてこちらもノリノリのすばらしい演奏がたっぷり。ドラムだけの曲が2曲で、このドラマーは上手いとか下手とかを超えてライトニンに合っていると思う。すごいスウィング感。あとの曲はベースとドラムがついていて、音楽的には非常に安定している(もちろん安定してるほうがいいということはない)。16曲目はピアノでのブギでこれはライトニンが弾いているらしい。2枚分続けて聴くとへとへとになるので、アルバム単位で聞いたほうがいいかも。今は、どうやらどちらも単体で出ていて、歌詞カードもついてるらしいが、それは持ってないのです。