mikio ishida

「TURKISH MAMBO」(FIVE STARS RECORDS FSY−507)
MIKIO ISHIDA TRIO

 あるサイトに載っていたこの石田幹雄というピアニストのライヴ報告を読んでいるかぎりでは、もっとアグレッシヴなフリー寄りのひとかと勝手に思っていたら、デビューアルバム(自主制作盤もあるらしいが)である本作を聴くかぎりでは、たしかに一曲目のトリスターノの「ターキッシュ・マンボ」(2テイク入っているが、どっちもめっちゃかっこええ!テイク2のほうが過激で興奮しました)や二曲目ミンガスの「ソー・ロング・エリック」、三曲目またトリスターノ「レクイエム」あたりまでは完全に私の好みで、おおっ、めちゃすごい、こらええわ、すごいピアニストが登場したでー……と思っていたのだが、四曲目以降、スタンダードがずらっと並ぶあたりから、やや様相が変わってきた。アップテンポのスタンダードではバド・パウエル的な歌心をみせるし、ちょっとひねったバップフレーズも出まくりで、聴くまえのイメージとはだいぶちがっていた。そういった演奏も非常にすばらしいし、ライヴでのすばらしさがこのスタジオ盤からも透けて聴こえてくるような気持ちにさせられるものばかりではあるのだが、こうまで趣味のいい選曲とかっこいいアレンジ、そしてその曲調をいかしたソロの演奏が並ぶと、これは私が聴かずとも多くのピアノトリオファンが愛聴する……というタイプのひとかな、と感じてしまった。でも、もしかしたらこの主人公はまだ全貌をさらしていないのかもしれない。そう思ったのは、唯一の自作曲「ワルツ」が、叙情性とアグレッシヴさが適度にバランスしており、(「ターキッシュ・マンボ」と「ソー・ロング・エリック」をのぞくと)本作中の白眉ともいうべき内容だからで、つぎはぜひもう少し自作曲を聴かせてほしいかも。あと、ぜひライヴに接してみたいかも。とにかく、このピアニストは超注目であることはもうぜったいまちがいない。早く第二弾出ないかなあ……。

「瞬芸」(TIGER SOUND RECORDS TGSR−0011)
石田幹雄 早川徹 福島紀明

一曲目のモンク的な過激な曲のテーマのかっこよさだけでも、もうしびれまくり。石田のピアノのフレーズは、一度に大量の音を出せるピアノという楽器がどうも苦手で、耳がついていかない私だが、全部、耳で追える。そういう意味ではバド・パウエルやアケタさんを連想させる。ドラムとベースもすごいが(とくにエレベのかっこよさは筆舌につくしがたい)やっぱりピアノが私の耳を、そして脳を支配する。いやー、これは傑作ではないでしょうか。日本のジャズは今すごいことになっとるなあ。ベースの早川さんの作った3曲目のバラード「ワルツ」の美しさも半端ではないが、4曲目の「ワン・オブ・ラテン」が今のところお気に入り(でも、どこがラテンなのかようわからん)。ベースソロから混沌とした(でも、筋の通った)即興に移るあたりのぞくぞくするような感覚は、管楽器が入らないピアノトリオならではだということは、さすがに私でもわかる。5曲目はタイトルチューンの「瞬芸」だが、シャープすぎるドラムソロではじまる超かっこいい曲(「かっこいい」という表現が多すぎるがご勘弁を)。いやー、さすがにタイトル曲だけあって、すごい。まともな演奏ができないほどの超アップテンポなので、まともなピアノトリオのようなからみはないのだが、べつの表現方法でぐにゃぐにゃ、ぐちゃぐちゃにからんでいる。笑うしかない。これですよこれ。こういうのを聴きたいのだ。たしかに「瞬芸」だよなあ、と納得。6曲目はドラムの福島さんの曲でスローナンバー。でも、途中からブルースっぽいファンキーな感じになり、そこで3人の至芸がとことんまで語り尽くされる。ひえーっ。7曲目はアルバムをしめくくるアブストラクトで具体的な曲。部分部分は具体的なのに、全体としては抽象的な感じで、見事な水墨画。それが内包するエネルギーを表出しつつ、押し寄せてくるような感動的な展開をなんと表現すればいいのか。一応、コンポジションはあるが、かなり即興性が高い。ほとんどフリーインプロヴィゼイション。エンディングはピアノソロ(?)になっての情緒的な表現でしめくくられるが、これがライヴ(7曲目だけ)というのもすごいな。1曲目からラストまでがひとつのドラマのようでもある。スタンダードを排してオリジナルでかためた超意欲作。これをすげーっといわずにどうする?

「時景」(GAIA RECORDS GAIA−1007)
石田幹雄

「いい……」という言葉しか出てこない。こうなるともう即興だのコンポジションだのといった境はまったく無意味だ。作曲されたものがベースにあることはたしかだが、ジャズとかクラシックとかフリーとかいった言葉さえそらぞらしい気がする。苦しげでせつなげで心地よげなあえぎ(うめき?)とともに醸し出される音が聴く人をとりこにする。聴いているうちにこの音楽と、この世界観と、このひとと同化していき、気がついたら石田幹雄とともにあえぎながらピアノを弾いている。夢のような現実のようなところにゆらゆらと揺れながらこの音楽を聴いている。実際、凄いし凄まじいし怖いぐらい心に入り込んでくる演奏なのだが、あまり直接的で過剰な表現を使って感想を言う気がしない。ただただボーッと聞き入るだけだ。このタッチ、この吐息、この和声、この「間」……なにもかもが超現実に感じられる。美しいが、すぐに手のなかで滅びていくような、一瞬しか生命のないマボロシばかりだが、考えてみるとそれこそがジャズではないか、と思ったり思わなかったりした。すばらしいとしか言いようがない。「とにかく聴け」とか大上段に構えて書くのも違う気がする。なんというか……言葉では言い表せない「もの」だ。聴くたびに身もだえしてしまう。すべての音楽好きに聴いてもらいたいです。各曲にはけっこうむずかしいタイトルがついていて、それぞれ意味はあるのだろうが、気にせず浸ればいいのだと思う。響きもシンプルで美しく、これが石田幹雄が今言いたいことなのだな、と感じる。いや、もう、とにかく傑作。

「緑輪花」(GAIA RECORDS GAIA−1008)
石田幹雄トリオ

 2020年1月15、16日のライヴで、つまり、コロナ禍でライヴやらレコーディングやらがどんどん中止に追い込まれるぎりぎり直前のレコーディング。発売はもちろんコロナの真っただ中。レコ発もいろいろあったみたいでとにかくたいへんだったと思われる二枚組だが、内容がもうめちゃくちゃ凄い。石田幹雄さんの演奏は年々どんどん峻烈になっていく気がする。それも、剃刀のような鋭さではなく、斧でぶった切るような、鋭くてかつ豪放であり、気迫に満ちて爆発している。我々聴き手は、斧でぶった切られる快感を味わっているのだ。こういうのを「スピード感」とか、そういった通り一遍の言葉で片づけてはいかんのだろうなあと思うが、そういう言葉しか出てこないのだ。しかも、そういうはじけた演奏と同じぐらいの割合で、はじけない演奏……というかあえて抑制をぐーっとかけたような演奏もたっぷり聴けて、聴いているとこちらも快感になってくる。もちろん1枚目4曲目、2枚目2曲目のようなフリーの曲もあるし(とくにこの2枚目2曲目はサイコー!)、リリカルな曲も、バップ的なカリカリした曲も、モードジャズ風のガツン! といく曲も全部あります。演奏、ということにおける精神性ということについて考えるとき、そんなものはないし、必要もない。音楽とか演奏は音と音を並べたものであり、聴き手はそこから精神的なものを感じることがあるかもしれないが、それはいわゆる錯覚である……という意見があるのはよく理解できるが、石田幹雄の演奏を聴いていると、どうしても「精神性」というものを感じざるをえない。例の「スピリチュアルジャズ」とは関係のない「スピリチュアル」さである。聴き手が耳にするひとつの音というものは、奏者がどれほどそこに気持ちを込めようと、呑気に気楽に弾こうと、同じである……というようなことを、石田幹雄がピアノの鍵盤と相対して、そこに指を下ろそうしているあのライヴのときの緊張感をまえにしてとても口にする気にならない。緊張感といってもピリピリしたつらいものではなく、さっきも書いたように斧でぶった切られているような快感を味わい、震え、楽しめるものなのだ。そして、このトリオの共演者であるベースもドラムも、そういう奏者であるように私には聞こえる(本当にバランスのいいトリオで、集まるべくして集まった3人という気がする)。この2枚組にはそんな、情感あふれる演奏が詰まっている。もちろん感情過多な演奏でも、気持ち先行の演奏でもなく、たいへんな技術力に支えられているのだが、トリオ部分も、ベースソロも、ドラムソロも、なんというか、聴いていると目がばちーっ! と覚める感じがするのだ。なにかヤバいものを身体に注入された、というか、目が覚めているのに、そこからもう一段階うえの「目覚め」をするような……ああ、俺はなにを言っているのだ。それぞれの奏者のソロが炸裂すると、そのあとに来る全体の演奏がよりパワーを膨れ上がらせる、という昔ながらのジャズのシステム(?)がここでも生きている。それはシンプルなことかもしれないし、現在においてはそうではないかもしれない。個々の曲に触れるのは意味がないと思うので書かないけど、このトリオが好きすぎて、それをなんとか伝えようとして、こうしてぐだぐだ書いているのだが、あまりにむなしいのでもうやめる。とりあえずもう一回聴こう(今のところ、毎日、一枚ずつ交互に聴いているというヘビーローテーションです)。傑作!

「張碓(HARIUSU)」(GAIA DESIGN RECORDS GAIA−1003)
石田幹雄トリオ LIVE AT くう

 凄い。石田幹雄の初リーダー作(ということでいいんですよね)。全曲石田のオリジナルで固め、一曲目からその熱い思いが伝わってくるようなシリアスな演奏。「ターキッシュ・マンボ」ではスタンダードやジャズマンのオリジナルを取り上げているが、ここでは曲も演奏もすべてが石田幹雄色に塗り固められている。メンバーも、今から考えたらスーパーバンドといっていい3人で、コロナ禍になる直前、いや、直後ぐらいにぎりぎり発売された「緑輪花」も同じメンバーのまま(レーベルも同じ)で、いかに石田幹雄がこの三人の顔合わせを重要に思っているかがわかる。一曲目「低音限界」というのは、最初、ピアノの低音部をゴーン、ゴーンと叩くことで雰囲気が醸成され、そのあとベースの低音がリズミカルに弾かれるという曲。そこから一種のフリーになってから快適なインテンポになるが、このあたりの自由自在さは現在の石田幹雄がしっかり保持しているものだと思う。ドラムもベースもすばらしいよねー! 全部、この録音に詰まっているのだ。デビュー作にすべてが出るというのはよく言われることだが、ほんとにそう。逆に言うと、デビュー作にすべてが出ていないひと(ミュージシャンでも小説家でも)は不幸かもな。俺はとにかく素人として好き勝手に書いたものだったけど。2曲目「高速限界」というのはとにかくアップテンポの演奏なのだが、アップテンポで技術を見せつけるというより、なんというかフリーで自由な演奏。ということは1曲目とどこがちがうのだ、ということになるが、ようするに各メンバーの頭のなかに流れているリズムがめちゃくちゃ速いのだと思う。これ以上いくとパルスになるぎりぎりのところでビートは崩壊せずに続いている。3曲目、4曲目は「ハリウス」で、「時景」や「緑輪花」、吉田隆一との「霞」でも演奏されているバラード。「ハリウスU」は瀬尾高志のベースが大きくフィーチュアされていて、めちゃくちゃかっこいい。骨太かつ繊細で豊穣な世界が広がる。そのあとのピアノソロも同様に静謐さと豊穣さを感じさせる超かっこいいもの。こういう深くて奥行がある演奏を「かっこいい」と表現するのはいかがなものかと思うが、かっこいいんだから仕方がない。「ハリウスT」は打って変わってお祭り騒ぎのような楽しい曲。開いた口がふさがらないような、ひたすらまっしぐらに弾きまくるような演奏。テクニックもすごいが、それが音楽に奉仕している。竹村一哲のドラムソロも凄い。ちょっとボーゼンとするようなえげつない演奏。5曲目は「雪風」(「時景」でも演奏され、ネガティヴ・サンのアルバムではタイトルチューンになっている)でフリーリズムのバラード。これがまたえげつないぐらいかっこいいのだ(なんべん言うねん)。後半部分〜エンディングとかもう身震いするようなかっこよさである。最後の曲は短い即興。うーん……全曲がクライマックスといっていいような傑作。