「犬楽」(OHRAI RECORDS/KAN−JA RECORDS JMCK−2003)
室内犬管弦楽団
(CDライナーより)
スタートボタンを押すと、一曲目の冒頭、いきなり三人の音が、メロディーが、リズムが爆発し、聴き手の心をつかむ。巧みなつかみかたなので気づかないだろうが、実はほとんどわしづかみに近い状態なのだ。
この音楽はあまりに甘美だ。
つややかな音色を誇りつつ、触手のようにからみついてきて、官能のツボを刺激しまくるヴァイオリンに陶然としていると、サックスが眼前、巨大な縄文杉のようにそそりたち、その枝葉はみるみる天を覆うほどに広がっていく。疾駆するピアノは空間を埋め、つなぎ、ほどく。室内楽という言葉にだまされてはいけない。このトリオはオーケストラだ。嘘だと思ったら聴いてみよ。本当にドラムもベースもいないのか、とメンバー表を見直したくなるほどのスピードとスペースにあふれているではないか。注意ぶかく聴けばそのわけがわかる。ときにサックスがドラムになり、チューバになり、ピアノはベースになり、チェロになり、ヴァイオリンがトランペットになり、歌手になっているからだ。いや、楽器だけではない。ここには鳥や象や豹や虫や……いろいろな生物までもが参加しているのではないか……そんな錯覚におちいる。
この音楽はあまりに危険だ。
あいまから蜂蜜がしたたりおちているような、甘い、甘い、甘い、耳に媚びる旋律に身体をまかせているうちに、いつのまにか自分が演奏家とほんの数センチしか離れていない場所まで来ていることに、聴き手は唐突に気づかされる。甘いと思えていた旋律が、実は激しく狂おしいパッションを秘めた凶器だとわかったときはすでに遅く、猛毒をたたえた壺に落とされ、もがけどもあがけども出ることはできない。まるで食虫植物だ。
各人のオリジナルを中心とした選曲もすばらしいが、うれしかったのは、六曲目に二〇〇三年末に不慮の事故でなくなったトロンボーン奏者大原裕の曲が収録されていることだ。「SIGHTS」とはまったく異なった編成で演奏される今回のヴァージョンを聴くと、「室内犬管弦楽団」の絶妙な解釈に驚かされるとともに、故人の曲の魅力を再認識させられた。
このアルバムにおさめられた演奏は、どのような聴きかたをしてもかまわないと思うが、できれば可能な限り大きな音で聴いてほしい。三人の奏者は自分を抑えることなく解放し、自己の楽器を楽器本来の音色で朗々と弾き鳴らし、吹き鳴らし、音量もプレイも普段のままぶつけあっている。そして生みだされる奇跡のようなバランス。アコースティックとはまさにこのことだ。よく「三者が対等のトリオ」というが、この「室内犬管弦楽団」は音楽的な対等にこだわらなくとも、三人それぞれの「存在感」が対等なのだ……。
などとごちゃごちゃ書きつらねるのがばかばかしくなってきた。無意味な小理屈をこねるよりも、もう一度CDのスタートボタンを押す。それで万事解決である。懐かしくて新しい音楽がふたたび流れだす。
この音楽はあまりに……そう、あまりに楽しすぎるのだ。